都会の喧騒から離れ、たまには大自然に囲まれて心を癒やしたい。なんて思うこと、ありませんか?
ということで、やってきました山奥へ! 目の前には大きな池も!!
改めまして、こんにちは。ライターの山越栞(やまこし・しおり)です。
ここは栃木県日光市。鬼怒川温泉から車で1時間ほど走った山奥なのですが、元々は「栗山村(くりやまむら)」といって、栃木県で最後に「村」として残った場所。ほぼ「秘境」ですね。
そして、ここはただの池ではなく、
オーガニックサーモンやイワナ、ヤマメなど淡水魚の養殖場で、
池は釣り堀になっていて、
併設されている食堂では、手打ちそばと天ぷらを食べられます。
そしてなにより、私の実家でもあります。
いきなり情報量が多くてすみません。ようするに「田舎の後継ぎ娘」なんです、私。
私が4歳頃の家族写真です
大学進学を機に上京したのですが、正直、自分よりも過疎地域で育った人に出会ったことがありません。小学校の全校生徒は20人くらいだったし、同学年の数は7人でした。
そんな田舎で育ち、しかも長女となると、「旦那さんを見つけて実家を継ぐ」ことが人生の最優先事項になりかねないところですが……実は過去に一度も親に家業のことを言われたことがないんです。
そんな私は東京の大学を卒業したあと、そのまま都内で就職。5年前からはフリーランスのライターとして活動しています。
今は家業の外にいますが、私なりに関われたらとも思っていて、少し前にはこんな風にツイートしました。
【切実なお願い】
栃木県日光市の山奥で営んでいる家業が、数年前から人手不足です。未経験でも情熱を持って、父の右腕として魚と向き合ってくださる方がいたらいいなと思っているのですが…
少しでもご興味あればお気軽にご連絡ください!※移住のサポートもします!https://t.co/YYnsNlKrMj pic.twitter.com/fLxQtU6ytc
— 山越栞 (@shioriyamakoshi) June 9, 2020
すると私の投稿を見て、ジモコロ編集部の友光だんごさんが連絡をくれたんです。
「山越さん、実家の人手不足を心配してるんですね! ジモコロは『日本全国の仕事』がテーマなので、家業を心配する娘が父親にインタビューってすごくぴったりだなと。お父さんに取材してみませんか?」
「取材したいです! ただ、私は実家を『心配』してるわけではないんですよね……」
「??? でも家業の人手を募集してませんでした?」
「そうなんですけど、父に頼まれたとかでもなくて、ある意味私の勝手というか。父が私に『継げ』と言ったこともないですし」
「え、実はめちゃくちゃ仲悪いとか?」
「そんなことはないですよ! ただ、うちの親子関係はちょっと変わってるかもしれないので、だんごさんも一緒に取材へ来ていただけませんか?」
「よくわからないけど、行きましょう! 山越親子が気になってきました」
ということで、
なんでお父さん、私に一切「継げ」って言わないんだろう?
私はこのまま東京でフリーランスとして働いてて大丈夫かな?
そもそも私、あんまり家業について知らないな。あんな山奥でどうやって稼いでるの……?
などなど、今までちゃんと話してなかったアレコレについて、娘が父親にインタビューしてきました!
お父さん、なんで継げって言わないの?
「着きましたけど、なかなかの山奥ですね。山道を走ってると、どんどん人家の気配がなくなって不安になりました」
「運転お疲れ様でした! お父さんはこんな田舎で生まれ育った人なんですけど、けっこう都会派なんです。パタゴニアとサザンとミスチルが好きで、よく東京に連れて行ってくれたり」
「山越さんに『継げ』って言わないのも、都会派だから?」
「どうなんでしょう……? あ、食堂で父が待ってるみたいです」
写真右が私のお父さん、山越祐二(やまこし・ゆうじ)。祖父がはじめた有限会社大滝の跡継ぎとして大学卒業後、家業に入り、今は二代目の社長です
「……」
「……」
「あれ、なんか2人ともカタくないですか? 緊張してます?」
「いやあ、急に栞がインタビューしたいだなんて、どうしたのかなと」
「『親に取材』って、いざやると難しいですね(笑)。あの、今日はウチの家業について、ちゃんとお父さんに話を聞きたいなと思ったの」
「ウチの会社? 順調だけどね」
「そうやっていつも余裕な感じだけど、人手不足じゃない? ふたりいる社員さんも、ひとり退職しちゃうんでしょう」
実家の会社「大滝」は、お父さんと2人の社員さんが養殖業の方を主に担い、お母さんが食堂と釣り堀の切り盛りと経理、一時的に実家に戻って来ている妹がその手伝いをしている状態です
「そうだね。だけどまあ、まだ父さんも母さんも元気だしなあ」
「……なんか話が噛み合ってない! 人手の話はおいといて、別のところから聞きましょうか。お父さんは、山越さんに家業を継いでほしいとは思ってないんですか?」
「私には『大学を出たら戻ってきなさい』って絶対に言わなかったよね」
「栞は『継げ』って言われたかった?」
「いや、それは……」
「お父さんは、自分のときに言われて嫌だったからね」
「そうだったんだ。お祖父ちゃんが大滝の創業者で、お父さんが跡を継いだんだよね」
「そうだね。長男だったし」
「跡継ぎとして生まれたことをどう思ってる?」
「正直、自分は犠牲者だと思っていた頃もあったよ。俺の父親、栞のお祖父ちゃんは『やりたい』と思ってここを創業したけど、自分はそうじゃなかったからね。たまに、今と違う道を選んでいたらどうなってたんだろう?と思うこともある」
「……私も最初から『お前は跡を継げ』って言われて育ったら、家業のことを良くは思えなかったかも」
「だから、栞には好きなことをして欲しかったんだよ。都会は面白いし、いろんな人がいるじゃない。そこで働いて、自分を試すのはいい経験だと思うよ」
「(やっと話が進んできたぞ……)」
「この辺でもちょっと珍しいくらいに、お父さんは都会派だったよね。お父さんも東京に拠点がある大学の水産学部を出たわけだけど、ここへ戻ってくるときの葛藤はあった?」
「いろんな思いはあったね。水産学部には入ったけど、研究室に残ってみたいって気持ちもなくはなかったし。でも、最終的には自分を求めてくれる場所にいるのもいいかな、と思って」
「自分を求めてくれる場所、かあ。私は継ぐことを強制されなかったおかげで、就活のときに働くことについて客観的に考えられたのかも」
「ほうほう(タバコをふかす)」
「例えば、山越さんは働くことに対してどんな風に思ってたんですか?」
「お父さんみたいに跡継ぎとして最初から決められた道に進まなきゃいけなかった人もいる一方で、自分が選んだ会社に勤めているのに、仕事にやりがいを持っていない大人もたくさんいることにも気づいて。私はせっかく自由に将来を選ばせてもらうんだから、絶対に好きな仕事をしようと思ったんです」
「こうして栞に仕事としてインタビューをされるなんて、面白いよ。でもさ、栞はいろんな会社にインタビューしてるわけでしょう。それにしてはウチの仕事がどんな感じなのか、知らなすぎるんじゃない?」
「ぎくり」
「お父さんの反撃が始まった…!」
釣り堀と食堂はお母さんが切り盛りしていて、子どもの頃からよく食堂を手伝っていました。お母さんがつくる手打ちそばはとっても美味しくて、遠くから食べに来てくれるお客さんもいます
お父さん、ウチってどんな会社なの?
「食堂のほうは手伝うけど、養殖場には全然寄り付かなかったじゃない。魚屋の娘なのに魚もさばけないし」
「ははは……」
「心配するのはありがたいけど、この機会にもうちょっと家業について知っておくれよ」
「そ、それももちろんインタビューの目的だから! まず、うちって色んな事業をやってるじゃない。何が一番の収入源になっているの?」
「たしかに養殖、釣り堀、食堂と色々やられてますよね」
「一番は養殖業ですね。鬼怒川温泉も近いし、近隣の旅館に食材として卸すのが量としては多いですよ」
「川魚の塩焼きって、旅館の料理の定番だもんね」
「でも、ここ数年は魚の質を上げることに力を入れてきたから、県内外の有名レストランから注文をもらうことも増えてきたね。それは知ってる?」
「知ってるよ! 私も食べるのは好きだし、お父さんもよく話をしてくれたから」
「ブランド魚みたいなものがあるんですか?」
「はい、『大滝日光サーモン』といいます」
「卵や稚魚の段階から餌や環境に配慮して育てるから、品質をコントロールして高品質な肉質になるのが特徴……で合ってるよね?」
「そうそう」
「サーモンと言っても、この環境だから淡水魚じゃないですか。素人目線だと、淡水魚の養殖ってあんまりピンとこなくて」
「 知り合いに大滝のことを説明するとき、まずそこで引っかかります」
「まあね。日本では淡水魚の養殖、海水魚に比べてうんと数が少ないんです。それに、横のつながりが海水魚業界に比べて少なくて」
「それはどうして?」
「地域ごとに水質の差も大きいし、食用と遊漁用の養殖でもやり方が変わってくる。そのうえ生産量が少ないから事業者ごとに品質のばらつきが出やすいこともあって、農家みたいに『皆で作って農協に収める』みたいな組合的な動きがしづらいんだ」
「なんだか話が複雑になってきたけど、つまり淡水魚の養殖業者は個人プレーで頑張るしかないってこと?」
「まあ、そうだね」
「一匹狼なお父さんにはぴったりの仕事なんだ」
「それ、暗に悪口言ってないかい(笑)? それはさておき、良くも悪くも、組合に頼らずに付加価値をつけて魚を販売していくことを考えないと、利益が出づらくなっていて。だから、ウチは魚の質を高めてブランド化しているんだよ」
養殖場は魚の種類や大きさによって人工池で管理しているのですが、我が家の敷地内には池が20以上も!
有名レストランで使われている、実家のサーモン
調理場で魚をさばく父。あまり家業に詳しくない私でも、この姿は小さい頃から印象に残っています
「うちの魚は音羽和紀シェフ(※)の『オトワレストラン』や、『ザ・リッツ・カールトン日光』の食材として使ってもらってるんだけど、結構すごいことなんだよ?」
※JR東日本の豪華寝台列車「四季島」などでも腕をふるう、日本のすごいシェフの方
「よくウチの魚を使ってもらっているレストランに連れて行ってくれてたよね。味はもちろん、店の雰囲気も高級感あったなあ……」
オリジナルブランドである「大滝日光サーモン」は魚の身質にこだわり、フレンチやイタリアンで生食として調理してもクセの少ない味わいになるように、手間隙かけて育てられているんだそう
「たしかに美味しそう! めちゃくちゃ鮮やかなオレンジ色……」
「でも、どうして有名店で使ってもらえるようになったか、気になってた」
「魚の質には元々自信があったけど、最近は特に注力してきたからかな。今は安く量を供給すれば儲かる時代じゃない。だから、ウチは質の良さを分かってくれるお客さんに、正当な価格で買ってもらうことを大事にしてるんだよ」
「質の良さをわかってくれるお客さんが、腕のある有名シェフってことだね。でも、魚の質を上げるって具体的にはどうやるの?」
「この場所の水質や自然環境も大事だけど、餌を改良したのが大きかったかな。魚の餌にワインの絞りかすを入れると、身質の改善に効果があるという情報を仕入れて、やってみようと思ったんだ。それが20年くらい前かな」
「そんなに前から……!?」
「そうそう。釣り堀のお客さんたちにも、改良した餌を与えた魚とこれまでの魚を食べ比べてもらったら、大多数が前者のほうが美味しいと言ってくれて。それ以降もずっと餌を改良し続けて、今に到るね」
「いいものをつくるための企業努力だ。改めて、私ってそんな家で育ったんだなとびっくりしてる。すごい」
「いまさら何を言ってるんだか(笑)。その呑気さは俺じゃなくてお母さん譲りだよな。だんごさんもそう思いません?」
「すごく返事が難しいんですが、きっとそうですね!(としか言えない)」
「呑気すぎてすみません……」
フリーランスになった娘が、悩んでいること
「なんか、改めてお父さんは経営者なんだなって実感してる。私もフリーランスとして色々悩んでることはあって、相談してもいい?」
「珍しいじゃん(笑)。まあいいけどね」
「あんまり正面からちゃんと話をするの、恥ずかしいから(笑)。……あの、私もフリーランスになって、やりたい仕事を自分で取りに行くことはそんなに簡単じゃないなと思ってて。でもお父さんは、憧れの人との仕事をちゃんと掴んでいる風に見えるんだよね」
「まぁさ、仕事ってのはだいたいやりたいことばっかりはできないもんだよ。でも思いついたアイデアを『こうしたらいいんじゃないか』って、自然と周りの人に話してるかもしれないな。そうすると、『じゃあ一緒に商品開発をやろう』と声をかけてもらったり、イベントに呼んでもらったりもするしね」
「なるほど。そこから関係性を築いていくんだ。アイデアを出すためにインプットはどうしてる? 本を読むとか?」
「本も読むけど、それよりも実際に会ったすごい人の話を聞いて学ぶことの方が多いかな。生産者のリアルな成功話とかね。そういうのを聞いて、自分のところではどんなのができるかなって考えたりはしてる」
「なるほど、やっぱり自分から動いていくのは大事なんだね。フリーランスだと一日誰とも会わなくても仕事できちゃったりするけど、ちゃんと人に会ったり話を聞くようにしなきゃだな」
「そうそう、じゃないと井の中の蛙になっちゃうからな」
「じゃあ、オンとオフの分け方は? 社長って、いつでも仕事モードで心が休まらなかったりしない?」
「たまに休日の昼間から呑んでることもあるし、そういうときは流石にオフだよ(笑)。ただし、ウチは生き物を扱う仕事だから、自分の都合だけでオフにできない面はあるよね。特に大雨や台風のときには、いつでも会社を守れるように臨戦態勢だよ。雨雲レーダーはいつもチェックしてるし、外出していても気が気じゃないときだってあるし」
「それはそっか……。会社を守る立場だからこその責任は大きいんだね」
「ところでお父さん、私が会社を辞めてフリーランスになるって最初に伝えたときに、電話口で言ったこと、覚えてる?」
「なんだっけ?」
「『社会をなめるなよ』って。あの言葉、今でも自分への問いになってる。経営者のお父さんに言われたからこそ、すごく刺さったんだよね」
「まあ、社会の厳しさもたくさん経験してるから。石の上にも3年って言葉があるように、社会に出てからのちょっとした理不尽は、ある程度経験する必要があると思ったんだよ。フリーランスとしてやっていく以上、甘えちゃダメだぞ、とね」
「それはすみません(笑)。でも、帰ろうと思えば受け入れてくれる実家があるからこそ、自分がちゃんと誇りを持てる働き方をしたいと思ったの。お父さんをはじめとした自営業の大人に囲まれて育ったから、フリーランスで働くイメージもしやすかったのかもなって、今になって思ったり」
「今はいろんな働き方がある時代だから。個人でも面白みを見つけて活動していける人は、自分の道を切り開いていくんだろうなとは思うよ」
「うんうん。いまの私はライターとして経営者さんを取材することも多いけど、『商機があるから』がモチベーションの人と、『面白いから』がモチベーションの人がいるなと思っていて」
「俺は後者だね。せっかくやるなら自分が誇れることや、やってみたいことをしたほうがいいじゃない。もちろん、ちゃんと稼ぐことも大切だけどね」
「そこがすごくお父さんらしいなと思う。いい意味で我が道を行くというか、お父さんも好きなことをしてるから、私にも自由にさせてくれてるのかなと思ったり」
「そうだねえ」
「…………なんかいい感じの親子の会話になってたので黙ってたんですが、山越親子の関係がだんだんわかってきた気がします。すごくお互い自立してるというか、だからこそ山越さんの家業へのスタンスも『心配』じゃないんだろうな〜と」
「そうそう、がっつり中に入ってるわけじゃないので、心配するのもおこがましいなと思っていて。でも私の目からすると、お祖父ちゃんが亡くなって社長になったお父さんは、いろんな新しい挑戦をして、いきいき働いているように見えるな」
「そうかな? こっちは必死だけどね」
「いいですね。あとは僕がいなくても大丈夫そうなので、離脱します! 親子水入らずで会話していただけたら……」
「お気遣いありがとうございます! ちょっと緊張しますけど…」
「いまさら緊張してるんじゃないよ!(笑)」
こちらは父が発案し、昨年完成した初の消費者向け商品であるオーガニックサーモンの「粕漬け」と「麹漬け」。県内のお土産屋さんなどにも徐々に置いてもらっているそうです。
しかし、 コロナ禍の影響で、ホテルや飲食店をお客さんとするウチの売上も大きな打撃を受けています。
それでもただじっとしているのではなく、公式ホームページを開設してオンライン販売をはじめたり、SNSをこまめに更新したり、最近はPR動画の撮影を進めているとか(!)
こんな風に、会社として常に新しい挑戦をしているのって、娘ながらにすごいと思います。
帰ってくるもこないも、好きな道を進めばいい
「やっぱり私は、これからもお父さんがどんどん挑戦していくためにも、新しい人が入ってくれたほうがいいと思うなあ」
「そうだなあ。いまは家族経営みたいな形になっているけど、本当は魚のことをよく分かっている人が社員として長く定着してくれると嬉しいなと思ってる」
「魚の養殖となると、専門知識も必要だよね?」
「水産学校を出たり、ある程度の知識はあると嬉しいよね。でも、一番は魚が好きで、仕事に熱心に取り組んでくれることかなあ。淡水魚の養殖は日本ではあまりメジャーじゃないけど、だからこその面白さもあるから」
「だからこその面白さって?」
「他社と差別化して独自の強みを伸ばしていけば、興味を持ってくれるレストランもある。市場規模が大きくないからこそ、逆に挑戦のしがいはある分野だよ」
「レッドオーシャンってやつだね。最近は地方で働くことに興味を持っている人も多いみたいだけど、うちは山奥すぎるかな、って心配はちょっとしてる(笑)」
「まあね(笑)。でも、特急を使えば鬼怒川温泉から東京まではすぐだし、都会にはない山奥の魅力ってのもあるからさ」
「そうだね。自然が豊かで人もあたたかいし、ここでの仕事がピッタリな人はきっといるはず……。実は私も、コロナ禍の東京にずっとこもっていたときに『このままでいいのかな』と思ったの。家族や地元の人たちに心配かけてまで、東京にいる意味あるのかなって」
「東京から田舎へ帰りづらいとかはあったかもね。でもさ、好きにすればいいんじゃない?」
「だけど、好きなことばかりさせてもらってるし……」
「いいんだよ、人様に迷惑をかけないでちゃんと働いてればさ。帰って来るも来ないも、自分で選んだ道を進みなよ」
そっか……!
「私はわたしで、東京とここを行き来して、ウチの魅力を発信して届けるって貢献の仕方はあるのかも。せっかく情報を発信する仕事なんだし。お父さんに似て都会好きだけど、帰ってくるとやっぱりいいところだなぁって思うんだよね」
「栞なりのやり方で関わってくれたらいいよ。今回のインタビューも、きっとそうだしね」
「うん、だからこの記事を読んで『働きたい!』って人が来たら最高!」
「まあ、それは嬉しいけど、そんなにうまくいくかなあ(笑)。ひとまず栞の気持ちは、ありがたく受け取っておくよ」
家業のある実家に生まれたこと
今まで、家業があるのに東京にいることに関して、中途半端な後ろめたさがあったことも否めません。
でも、今回お父さんに改めて話を聞くことができて、フリーライターという自分の進みたい道を選んだことに、少し自信を持つことができました。
私が周りの人から「継がないの?」と言われても、決して無理強いせず、私の意思を大事にしてくれるお父さん。
だからこそ、今回のように取材を通して実家のことを知ってもらうなど、私はわたしなりの形で、家業に誇りを持って少しずつ関わっていこうと思います。
社会の流れもあるし、正直言ってこれから先のことはわからないけれど、その時々で正しいと思うことをしていけばいいのかな。
この機会にお父さんに話を聞けてよかった!
ここが、私の実家です。