ジモコロのキャラクター「イエティー」と「髭博士」の日常を描いた頭からっぽの4コマ漫画です。なんでも知っている髭博士となにも知らないイエティーのやりとりをお楽しみください。
●登場人物
頭からっぽ4コマ
漫画を描いた人:カメントツ
仮面を被った漫画家ライターゆえにカメントツ。オモコロでもマンガを描いているという噂がある。仮面凸ポータルから呼ばれればどんなときも予定があいてれば駆け付けるぞ。Twitterアカウント→@computerozi
ジモコロのキャラクター「イエティー」と「髭博士」の日常を描いた頭からっぽの4コマ漫画です。なんでも知っている髭博士となにも知らないイエティーのやりとりをお楽しみください。
●登場人物
仮面を被った漫画家ライターゆえにカメントツ。オモコロでもマンガを描いているという噂がある。仮面凸ポータルから呼ばれればどんなときも予定があいてれば駆け付けるぞ。Twitterアカウント→@computerozi
こんにちは。株式会社キュービックの菊地です。今回、私は静岡県の河津町にある日本初の体感型動物園iZoo(イズー)に来ています。
体感型動物園iZoo
住所:静岡県賀茂郡河津町浜406-2
営業時間:9:00~17:00(最終入園:16:30)
電話番号:0558-34-0003
定休日:年中無休入場料:■大人(中学生以上)1500円、■小学生 800円、■幼児(6歳未満)無料
http://izoo.co.jp//
iZooでは爬虫類を中心に、日本ではここでしか見ることのできない、珍しい生き物がたくさん展示されています。
しかしなんといってもiZooの魅力は、
見て!
触れて!
食べて!
と、このとおり五感で楽しめること!
そんなiZooですが、今回私はただ観光にきた訳ではありません。ことの発端は、私が通勤路で見かける、とある光景でした…
みなさんも住宅街を歩いていて、一度は見かけたことがあるのではないでしょうか。玄関先で小さなプラケースに入れられたミドリガメの姿を!!
その姿を見るたび、狭いケースよりも広い川で生きる方がカメも幸せなのではないか、と感じていました。
そこで、軽い気持ちでネットで調べてみると……
『ミドリガメ(ミシシッピアカミミガメ)を川に放すのは、自治体によっては条例で禁止されている』とのこと。
え……じゃあ、狭いプラケースで生活しているカメたちはどうしたらいいの?と思い、さらに調べていくと、
こんなページを発見。どうやらカメを引き取っている動物園があるようです。
というわけで!!この取り組みについてiZooの白輪剛史(しらわ・つよし)園長にお話を伺ってみることにしたのです。
白輪園長は、動物商(ペットショップでは取り扱っていない動物などを輸入して動物園に売ったりするお仕事)もしている動物にめちゃくちゃ詳しい人。自宅にワニを飼っているという爬虫類大好き人間です。
「早速ですが、私の疑問を聞いてください!小さなプラケースで飼われているカメは幸せなのでしょうか?」
「それは難しい問題だよね。カメにとって何が幸せかどうかはわからないから。広い池や川で暮らしていれば、必ずしも幸せってこともないでしょう」
「でも狭い空間に押し込められるのは、かわいそうじゃないですか?野生のカメはいつでも好きなところに行けるし、岩の上で気持ちよさそうに日向ぼっこしてる姿を見ると本当に幸せそうです」
「確かに、日向ぼっこをしている姿は幸せそうかもしれないけど、カラスに襲われる可能性だって高いし、もう何日もエサを食べられていないかもしれないよ」
「小さいプラケースの中で毎日ちゃんとエサを食べることができて、外敵に襲われる心配もない。どちらが幸せかは、人間が判断できることではないと思うんだよね」
「人間がとやかく言うこと自体、エゴでしかないと」
「僕はその議論自体がナンセンスだと思うんだよね。人が立ち入るべき部分ではないんじゃないかな。実際にカメの意見を聞けるわけでもないし」
「ではカメにとっての良し悪しはどう判断したら良いのでしょうか」
「飼い主の主観で判断すればいいと思うよ。こうしたらカメは喜んでくれるかも、と思うことならやればいいし、あれをしたらカメは苦痛だろうなと思ったらやらなければいい。それが一番じゃないかな。本来であれば野生で暮らす動物を飼うんだから、それくらいの気構えでいた方がいい」
「では、白輪園長はなぜカメを引き取ろうと思ったんですか?」
「僕が動物商という立場だったから。ミドリガメを積極的に取り扱っていたわけではないんだけど、外国から動物を輸入している立場としては放っておけない。輸入するだけして、入れた後のことはもう知らないとは言えないよね」
「ミドリガメからしたら、いい迷惑だよね。人間の都合で外国から連れて来られた上に、無責任な人に池に放される。で、繁殖したらしたで、今度は特定外来生物に指定されて殺されるって。まったくひどい話じゃない?」
特定外来生物とは、在来の生物を捕食したり、日本の生態系を害する可能性がある生物のこと。現在は、アライグマやブラックバスなどが指定されています。指定された動物は、飼養(飼って育てること)栽培、保管、運搬は原則として禁止され、規制前から飼育しているペットに関しては、申請し許可を得られれば飼養し続けることが可能。ミドリガメ(ミシシッピアカミミガメ)は段階的に法規制の導入が検討されている。
「なぜミドリガメが特定外来生物に指定されそうなんですか?」
「実際、レンコンが食い荒らされるような農業被害も出ているからね。でも、それは無責任に遺棄する人間のせいでミドリガメは悪くない」
「確かにミドリガメからしたら迷惑な話ですね」
「でも、ミドリカメを野に放す人のなかには、泣く泣くそうしている人もいるんだよ。どうしても飼い続けることが難しくなって、でも殺すこともできなくて、悩んだ末に池や川に放しちゃう。その行為自体は皮肉にも愛するが故なんだよね」
「だからといって野に放って良いわけにはならないと」
「そう。野に放つのは方法として間違ってる。だから、うちに連れて来てくださいねっていう話。iZooは、カメや爬虫類にとって終(つい)の住処であるべきだと思ってるんだよね」
「あとね、世間には『カメを引き渡しに来る人は無責任ですね〜』っていう人がいるんだけど、これは大きな間違い。ここにカメを連れて来る人は、責任感が強い人」
「そうなんですか?私もすっかり無責任な人が連れてくるものと思っていました」
「僕もこの活動を始める前は、『もう飽きたから』とか『大きくなったからもう飼いたくない』といった無責任な理由で手放す人が多いのかなあって思ってたんだけど、全然そんなことなかった」
「一番多いのは、お年寄りが連れてくるケースだね。子供が小さい時にミドリガメを飼ったけど、子供が成人しちゃって、自分が代わりに世話をすることになったお年寄りの方。先も長くないし、自分のたちの生活で精一杯で、どうしても飼い続けることができないと泣く泣くここに連れて来るの」
「あとは、自分や身内が病気になってしまって飼えなくなるケースも多い。投薬治療を始めると免疫力が下がるから、カメは飼っちゃダメってお医者さんに言われるんだって」
「確かに、そうなってしまったらどうすることもできないですね……」
「そうでしょ?ここにカメを連れて来る人たちは、本当に色々な事情を抱えている。ただ、カメを引き取ってますよっていうのは簡単だけど、そんな単純なもんでもないんだよね。菊地さん、ミドリガメの値段って知ってる?」
「そんなに高くないですよね」
「1000円以下で買えるんだよ。その安価なミドリカメを、わざわざ遠方からiZooまで連れて来る人がいる。iZooに連れて来るだけでも相当な労力と費用がかかるんだよね。それでもカメの幸せを思って連れて来るの」
「カメに対する愛がなければ、絶対できないですね。引き取ったカメたちを見せていただくことは可能ですか?」
「もちろん。せっかくだし、園内を見て行ってよ。カメ以外にも色々いるから楽しいよ」
「ありがとうございます!ペンギンが見たいです!」
「だからいないってば……」
というわけで、園長自ら園内を案内してくださることに。
園内には、キューバイワイグアナや、
ヒロオビフィジーイグアナなど、日本ではiZooでしか見ることができない動物ばかり。
そして、水槽の中にいたのは動物ばかりではありませんでした。
「イグアナの水槽内にアリがいるのですが、やっぱり野生に近い環境を作るための工夫でしょうか?」
「そうそう。うちが大切にしてるのは、一つの水槽の中で植物が育ち、魚もいて爬虫類も生きている環境を作ること。ただ、それをやると時間によって動物が木の陰に隠れちゃったり、ガラスが汚れたりして見えづらくなるんだよね」
「せっかくきたのに動物が見られないことも?」
「普通にある。でも自然って本来そういうもの。見られるかどうかわからない、だから一生懸命探す。その上で、動物を発見したときの喜びをお客さんに感じてほしいんだよね」
「ほら。ここの下にも土があるでしょ。これはイグアナの産卵のためでもあるんだけど、この土の中ではしっかりアリが巣を作って生活しているんだよ。イグアナのフンをアリが分解したり、イグアナがアリを食べたりして。そういった生態系もちゃんと再現してるの」
「こっちのはチュウゴクワニトカゲっていうんだけど、中国国家一級重点保護野生動物にも指定されてる絶滅危惧種。うちでは3年連続で繁殖に成功してるんだよ」
「絶滅危惧種というくらいだから繁殖も簡単ではないですよね?」
「そうでもないよ。うちの飼い方はね。ここに土と草を入れて池を作ってあげてるだけ。見たらわかると思うけど、ライトもなければ空調もない。夏場は暑いままだし、冬場は寒いまま」
「ケースに入れたり温度管理したり、もっと慎重に飼わなくていいんですか?」
「いや、これが理想形なの。彼らがいた野生の環境を再現してあげているだけ。そうすれば、自然に繁殖してくれる。殖えちゃうんだよ、勝手に」
「さっきのフィジーイグアナだって絶滅危惧種だけど、うちでは繁殖に成功してるのね。環境さえ整えれば、あとは勝手に殖えますよ。生き物は殖えるために生きてるんだから」
「そういえば、館内の床には土が敷かれていますね」
「うちは体感型だから、土を踏んだり水の匂いを嗅いだり、ムシムシした湿度の中で動物を見てもらってるんだよね」
「だからね、できるだけ、ガラスとかも設置しないようにしてるの。やっぱり人間と同じ空間に生き物がいてほしい。もちろん動物が逃げるリスクもあるんだけど」
「実際に逃げちゃうこともあるんですか?」
「そんなのしょっちゅうだよ。お客さんがいる間は、怖がって出てこないけどね。もちろん館内の外に出ることはないよ」
その後もヘビや、
ワニ、
トカゲに触れることができたり、
通路脇に生えている木の中にしれっとカメレオンがいたり。まさに『体感型』という響きにふさわしい展示ばかり。
「ここにいるのは全部引き取ったカメ。ちなみに、一緒に泳いでるアリゲーターガーも引き取りだよ」
「カメと鯉が一緒に泳いでるのは見たことがありますが、アリゲーターガーと泳いでいる光景は初めてです」
「あそこの砂地に穴がボコボコ空いてるでしょ。カメたちがあそこに上がって卵を産むのよ。外来種に指定されそうな動物を繁殖させるのは良くないんだけど、産みたいカメがいるなら環境くらいは整えてあげたい」
「卵は孵るんだけど、池に入った途端に大体はアリゲーターガーに食べられちゃうんだよね。子ガメは、アリゲーターガーにとっては貴重な栄養源になるんだよ」
「この池の中で生態系が形成されているんですね。すごいなあ」
「自然って何一つ無駄がないんだよね」
「それにしてもカメがたくさんいますね」
「これだけいると、どのカメが誰のカメだったのか分からなくなると思うでしょ?でもね、少し前にテレビ中継でこの池が映ったんだけどね。そしたら、メキシコに転勤した人から『うちのカメ吉が映りました!』って連絡がきたんだよ」
「わかるんですか?……」
「正直、僕等からしたらわからないんだけど、飼い主にはわかるみたいだね。『カメ吉が元気に生きていることがわかって嬉しかったです』ってわざわざ連絡くれたの」
「あと、うちではカメのエサを100円で販売してるのね。お客さんに購入してもらって、エサやりを体験できるようにしているんだけど。これがうちにとってはメリットばかり。カメたちが他の動物のエサ代も稼いでくれているんだよね」
「カメはエサが食べられる、他の動物のエサ代も稼げて、お客さんもエサやり体験ができて楽しい。三方よしというやつですね」
「カメってさ、世界に300種類以上もいるんだけど、ここまで世界規模で繁殖してるのはミドリガメだけなんだよね。多分これは、ミドリガメの侵略計画だったんだよ」
「だってさ、考えてみてよ。ミドリガメって小さい時は、ほっぺに可愛いチークみたいな模様までつけているんだよ。体も小さいし、足をバタバタさせてる姿も愛くるしいでしょ」
「なのに、大きくなると気性が荒くなって噛みつくようになる。それで野に放たれた途端に、周囲の自然を侵略しちゃったんだから。もしかしたら全て計算尽くかもしれないよね」
「急に話の雲行きが怪しくなってきました」
「自分たちが可愛いことを利用して、人間の商業意欲、購買意欲を利用したに違いない。そう思うでしょ?」
「猫が自ら家畜化したことに近いかもしれませんね。優秀だ、ミドリガメ」
と、冗談はさておき、ミドリガメの問題は想像以上に深刻で、地域によっては浮葉植物のハスやオニバスを消失させてしまう事態も起きています。
さらに、その被害は植物だけに留まらず、時にはカルガモのヒナを襲い捕食することも。
ただ、悪いのはミドリガメではなく、無責任に野に放してしまう人間です。
カメはもちろん、生き物を飼い始めることは簡単ですが、最期まで大切に飼うことは容易いことではありません。生き物によっては40年以上も生き続けます。つまり、生き物を飼うというのは、人生の半分を共にするということなのです。
その覚悟を持って生き物を飼えるかという問いに、私自身『はい』と即答することはできませんでした。
みなさんも生き物を飼う時には、この記事をふと思い出していただければ幸いです。
いかがでしたか?今回は少し真面目な話になってしまいましたが、体感型動物園iZooは本当に楽しい場所です。この記事ではご紹介できなかった珍しい動物がまだまだいっぱいいます。
都心からだと少し遠いですが、時間をかけてでも行く価値は必ずあります。近くに温泉も多いので、泊まりがけで遊びに行くのもオススメですよ!
それではまたどこかで!失礼します!
自社メディア事業を手がける西新宿のデジタルマーケティング企業、株式会社キュービックのPR担当。Webディレクター兼ライター。タイ人と2人で暮らしています。動物とぬか漬けが好き。Facebook:菊地 誠 / Twitter:@yutorizuke / 所属:株式会社キュービック / 運営メディア:「ココナス」「HOP!」「いい引っ越し.com」「クレマニ」「カービックタウン」「キューチャン!」など
●「柳田さんと民話」とは?
ひとり旅を趣味とする男性・柳田久仁夫が、日本各地で地元に伝わる民話を聞き歩く、ユルくておもしろくてためにならない8コママンガです。
1980年大阪生まれ。2008年、『ポテン生活』で第23回MANGA OPEN大賞受賞。単行本『ポテン生活』全10巻、『おやおやこども』が好評発売中。Docomoエンタメウィークで『マコとマコト』連載中。木下晋也公式サイト、cakesでもいくつか作品を公開中です。趣味はプロレス観戦。Twitter/Facebook
どこの学校にもいた、学年トップという存在。
1人目は、中学時代に学年トップだったAさん!
Aさんのこれまでの経歴はこんな感じ。
エリートすぎるだろ!!
というわけで、遠いアメリカよりビデオ通話にて取材にご協力いただくことに。
このスマホの画面にAさんが映っております。よく笑う明るい方です!
「はじめまして。よろしくおねがいします!」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
さあ、学年トップだったヤツの人生を暴いていきたいと思いま〜す!
「Aさんは、学年一位だったんですよね?」
「はい、中学生の時になったことはありますね」
「なんでそんなに賢くなるの〜!? 私、ほんとにアホだったので想像がつかないんですが……」
子供の頃の社領。この日から今まで一切勉強をしてません
「うーん、毎日勉強してたら一位になってましたね」
「毎日!? 怖〜!! 何が楽しくてそんなに毎日……?」
「子供の頃の環境が影響しているかもしれないですね。人からやれと言われるとやりたくなくなる性格だったんですが、親から全く『勉強しろ』と言われなかったとか。テストで満点を取ったら表彰状がもらえるので、それが楽しみだったとか」
「ホアー……」
「あと、もともと飽きっぽくないタイプだったので、勉強もこつこつ続けられたんじゃないかと思っています」
「私は物事に『飽きる』以外の選択肢がないので、素直に尊敬します……」
「でも勿論、一位を取るためにいろいろ捨てたんですよね〜!? 友達とか趣味とか!」
「捨てたものは……多分無い、ですね」
「無いの!? 趣味は!?」
「漫画を読んだり、友達とゲームをするのが好きでしたね。女っ気はなかったですけど(笑)」
「ふ、普通だな……? でも内心、友達のこと『こいつアホだな〜』とか見下してたりしたんでしょ〜!?」
「見下すって!無いですよ!(笑) 各々みんな、面白かったり良い奴だったり、色々すごいところがあるし……。思考の方法や知識の方向が違うことはあるけど、それは生きてきた環境が違うからなので」
「どうしたらこんなにモラルのある人間になれるの? 1万回くらい転生したの?」
「現在はどんなお仕事をされているんですか?」
「とある金融関係の会社に勤めています。もともと日本の企業で、今は海外にアサイン頂いている状態ですね」
「エリート街道の王道すぎる〜!! さぞ幸せでしょう!」
「まぁ……いい奥さんがいて、お腹の中に赤ちゃんもいて、かわいい犬もいて。間違いなく幸せだとは思います」
「あれ? 微妙に不満そうですね」
「うーん。ぼくの人生って、全部『やりたい!』と思って進んできた道では無いんですよ」
「というと?」
「大阪大学を選んだのも、『センター試験で英語が他の教科よりも良くなかったから』ってだけで。
就職活動中は、『金融関係の人の話が面白いかも』と思い、なんとなく金融関係に。
今こうして海外に来ているのも、『家族の幸せ』が1番の理由だったりするので……」
「えぇー!! 自我が無ぇ〜〜!!今はじめて私の方が勝ってそうな事を見つけて、嬉しくなりました」
「あはは(笑)」
「でも、仕事はお好きなんですよね? なんせ海外でバリバリやれるくらいだし」
「お客様からお金を預かるお仕事ですし、社会的に意味のある仕事だと信じて一生懸命やってはいます。
けれどそういう意味では、社領さんみたいな『これだ!』と決めたものを突き詰めていってる人をすごく尊敬するし、良いなと思いますね」
「や、ヤメテ〜〜〜!!! 真剣に言うと、こっちも同じ気持ちですよ!! Aさんがそこにいられるのって、なんでもこつこつ頑張る事ができるからじゃないですか。 そういう力が、マジの、真剣に、全く無い私からすると、Aさんはめちゃめちゃ羨ましい存在ですよ」
「そうですね……ぼくは自我がないですけど、その分、奥さんが好きなことに興味を持って一緒に楽しんだりっていうのもできますし。
ないものねだりですね(笑)いろんな人が居るし、居るべきなんでしょうね」
「じゃあ、最後に! 自分の人生は、人類73億人中何位だと思いますか?」
「え! どうでしょうか……。幸せは人それぞれ、価値観によって全く違うと僕は思っているので、正直測れないっていうのはあるんですが……。ど、どうかな、真ん中くらいじゃないですか?」
「いやもっと上でしょ〜!? 賢いし、海外勤務でお金もガッポガッポでしょ!?」
「うーん、少なくとも僕はお金を使う事に全く興味がないので……。とりあえず、好きな事に打ち込んでる社領さんには絶対負けてる気がしますよ」
「全然そうは思えないけどなぁ…!」
「あとは意外と、あまり何も知らない人の方が幸せなんじゃないかと思いますね」
「あ、子供とか?」
「そうですそうです。ゲームが自由にできた中学生の頃は幸せでした……。やっぱり、社会人はなんやかんやでつらい!」
「全国模試一位ってすごすぎません!?!」
「そうですね。予備校に通っていた一年間は、ずっと一位でしたね」
「なんでそんなに賢いの……!?」
「もともと効率の良い方法を模索するのが好きで。科目を自分の得意な教科だけに絞って、受験の傾向をかなり綿密に調べて勉強してたら、全国一位になってました」
「クッソ〜!! どうせ、みんなのことアホだって思ってたんでしょ〜!?」
「思ってましたね(笑)」
「思ってたんかい!」
「『根性論で覚えるヤツはアホ』とか言って、当時は相当調子乗ってましたから。嫌われてたんじゃないかな(笑)」
「では単刀直入に聞きますが、なぜ今ニートなんでしょうか?」
「ちょっと重い話になるんですが……。中学時代、かなりのいじめに遭ってて」
「ええ!?」
「あと、親とも不仲で。ちょっとアホなことを言うとすぐ怒られる家庭でした。親父の口癖は『俺は世界一不幸な人間だ』だし」
「で、地元を抜け出したくて都内の某大学に進学したんですが、そこでも結局人間関係で軽い鬱になって……」
「お、重すぎる……」
「大学はギリギリ卒業できたんですが、就活も出遅れたので、しばらくバイトを続けてました」
「もちろんそのあと就職されたんですよね?」
「最初は場末の工場で入力作業してましたね。派遣で」
「卒業してからの職歴について、詳しく教えていただけますか?」
履歴書を見せて説明してくれるBさん
「というわけで、僕はその会社で完全に病んでしまって。会社を辞めたあと、メンタルを治すためにあらゆる自己啓発セミナーに通いました。一回数万のセミナーを毎日はしご」
「で、ある日『この世界にずっといたら駄目なのでは?』とやっと気付きまして。会話の再頻出ワードが『宇宙』『心理』『魂』っておかしいのでは? と」
ユーザーがとにかくボケまくるお笑いWebサービス「ボケて」
「親の影響からか、『自分は世界一不幸だ』と思って生きてきたんですけど、違うって気付けましたし。世界一不幸なわけないし(笑) 今は、人と会って話すのが楽しいです」
きれいな景色を見ながら、こんにちは。ライターの斎藤充博です。
僕は栃木県の塩谷町というところで生まれて育ちました。北関東って首都圏からは「田舎」というイメージでくくられることが多いと思いますが、ここはその中でも本物の田舎。家の裏の畑にシカとサルとクマが出ますからね。
僕はここで18歳まで過ごしていました。若者にとってつらいのが「娯楽が少ない」こと。小さな本屋行くのに自転車で1時間。隣の町のTSUTAYAには車でないと行けません。
そんな町ですが、僕が11歳の時に、突然娯楽施設ができました。それが……「船生(ふにゅう)かぶき村」です。
写真中央の建物が「船生かぶき村」。
「かぶき村」という名称ですが、本物の歌舞伎ではありません。ここは大衆演劇の劇場です。
大衆演劇(たいしゅうえんげき)とは、日本の演劇におけるジャンルの一つ。一般大衆を観客とする庶民的な演劇のこと。一般的には「旅役者」と呼ばれる劇団に当たる。 確立された定義はないとされるが、専門誌『演劇グラフ』にはおおよそ下記のような要件が定義されている。
- 劇場またはセンター(後述)で、観客にわかりやすく楽しめる内容の芝居を演じること。
- 観客と演者の距離が近く、一体感があること。
- (歌舞伎や通常の商業演劇と比べ)安い料金で観劇できること。
地方の温泉場で、おじいちゃんおばあちゃんが見ている時代劇、といったらイメージがつきますでしょうか。
しかし、ここは田んぼのど真ん中で、温泉はありません。交通の便も悪く、公共交通機関を使っては来ることができません。
僕もここに入ったことはありません。実家から徒歩5分なのに。
というわけで、今まで一度も行ったことのない、かぶき村に行ってみたいと思います。上の画像はかぶき村の入口。緑が豊かすぎますね。
料金は2700円。観劇とお弁当と、酒かジュース1本が込みの金額です。さらに、8人以上の予約でマイクロバスでの送迎も付いてきます。演劇の相場なんてわからないけど、激安なのではないでしょうか?
朝10時に会場は開いて、ステージでのカラオケが可能だそう。僕は11時に来たのですが、今日はカラオケをやっている人はいませんでした。
座敷のスタイルなのですが、ソファやイスもたくさん置いてあります。足の悪い高齢者への配慮なのでしょう。それにしても、なんともかもし出される実家感。
開演の12時近くになると、たくさんの人が押し寄せて、あっという間に埋まってきました。今日は7割ほどの入りだそう。
平日だし、お客さんは少ないかな……なんて思っていたのに。正直、ちょっと信じられません。
お客さんの1人に話を聞いてみました。70代くらいのおばあちゃんです。
「こんにちは。僕、初めてなんですが、大衆演劇はお好きですか?」
「そうねえ。去年も来たわねえ。婦人会で年に1回旅行をするんだけど、今年もここだわ」
「(2年連続で!)かぶき村は来やすいですか?」
「値段が安いし、一日中いられるしね。だいたい婦人会の旅行っていうことになると、温泉か、かぶき村か、ってことになっちゃうのよね」
「(すごい2択だな……)ちなみに、どこからいらしているんですか?」
「大田原市(2つ隣の市)から来ているんですよ」
へ~~~~。大田原市だったら、超有名な観光地である那須の方が行きやすいはず。ちょっと足を伸ばせば、日光や鬼怒川にも日帰りで行けちゃいます。あえてここに来るんだ……。
さらに客席を見渡すと、20代前半くらいの女性もいました。
「取材で来ていまして。ちょっとお話うかがってもいいですか? 若い方がこういうところに来るのって珍しいと思うんですが、どうして?」
「えっ! 取材ですか! えーと……。私は大樹君(劇団員の1人)の追っかけです」
「追っかけ! それって、どんなことをするんですか?」
「いや。私は全然たいしたことなくて。ひそかにニヤニヤと応援するタイプです。追っかけの中には差し入れをして、熱心に応援している人もいますね」
「どんなきっかけでファンになったんですか?」
「私は福島県から来ているんですが、地元の温泉センターにたまたま来ていたのを見たんです。そこでお芝居を観て、私本当に泣いちゃって」
「福島県から……。すごい。ちなみに、大衆演劇以外の趣味ってありますか?」
「前はビジュアル系バンドの追っかけをしていたんです。ムックとか、シドとか」
「ビジュアル系って大衆演劇と真逆なような……」
「大衆演劇って男性が真っ白にお化粧するんですよね。そこに違和感を持っちゃう人は多いと思うんです。でも、ビジュアル系が好きな人は『男性のお化粧』をクリアしているから、むしろ入りやすいですよ」
「そんな共通点が!」
「舞台って、写真だと迫力がなかなか伝わらなくて。見ればわかるんで! みんな見るようにって、ぜひ書いてください~~~」
話を聞いていると開演時刻の12時。演劇が始まりました。
今日の演目は「奥様仁義」という演目。
腕っぷしの強い女形の女剣士が、通りすがりのならずものをこらしめる。その様子を見ていた大店の息子が一目惚れして結婚を申し込む。
女剣士は大店に嫁入りすることになるが、粗暴な性格のせいで、嫁いだ先でトラブルばかり起こしてしまう。
そんなストーリーです。
見どころは女形の剣士の二面性。女形というのは男性が女性を演じることですが、これがそのまま女剣士の二面性に生きています。
剣士の時はドスの効いた男性の恐い声。旦那さんの前ではきれいな女性の声色。この落差がテンポ良く出てきて、全然飽きません。
間抜けな丁稚さんが頭をパカーンと叩かれたり、誰かがボケたら盛大にずっこけたり。このノリは、大阪で見たことのある吉本新喜劇にそっくり。
しかし、シリアスなシーンも魅せるのです。前半で懲らしめられたならずものが、劇の終盤で剣士に復讐を計る。
正直見る前には「全然楽しめなかったらどうしよう……」と心配していたんだけれども、きっちり楽しめました!
休憩を挟んで後半は歌と踊りのショー。さっきの女性が言っていた「ビジュアル系」との共通点がなんとなく見えてきたような気がします。
全ての演目が終わったのは午後の3時。役者全員でお客さんをお見送りします。みんな大喜びで握手して帰っていきました。
公演終了後に役者の三崎春樹さんにお話を聞いてみました。
「みっつじゃん? えっ何? ライターしてんの? なんでも話すよ?」
実は春樹さんと僕は小・中学校で同級生なのです。「みっつ」というは僕のあだ名。でも話をするのは中学卒業以来の18年ぶり。
「初めて観たけどおもしろかったよ。『奥様仁義』。なんかもう、普通に笑っちゃった」
「あれはコメディだからなあ。取材なら、もっとシリアスな演目の時に見てもらいたかった(笑)」
「大衆演劇って全部があんな感じじゃないんだ」
「色々なんだよね。コメディもあるし、シリアスなのもある。お客さん巻き込んでアドリブでワーワー言うときもある。歌舞伎の演目をやることもある」
「もう小学生の頃から役者として出ていたんだよね。観たことはなかったけど……」
「たしかにやっていたけどね。あの時はまさか自分がこれで飯食うとは思ってなかったから。その場しのぎの仕事しかしてなかったよ」
「そうなんだ」
「ちゃんと始めたのって、17歳の頃かな。梅沢富美男さんの劇団に行って、そこですげえなって」
「あのテレビで怒っている人! やっぱすごいんだ」
「本当にすごい。それで自分はこのままじゃダメだって。むりやりに自分を成長させた。そこからかな~。ちゃんとやりだしたのは」
「仕事で大変なことってないの?」
「昔は大衆演劇ってものすごく人気があったらしいんだよね。それこそ梅沢富美男さんがやっていたころとか。今は、まず娯楽の数がすごく増えているし、劇団も増えている。なのに、公演先は減っている」
「公演先って、温泉とか、健康ランドとか?」
「そうそう。その他に大衆演劇専門の劇場もある。大衆演劇の劇団って、ほとんど全国にあってさ。無いのは沖縄くらい。それで、劇団の数としては全部で120くらいはあるらしいのね。
「120!」
「その中で、うちみたいに劇団が劇場を持っているのは、かなり珍しい。全国にうちを含めて2つしか無いって聞いたことがあるな。その他の劇団は、必ずどこかの公演先でやらなくちゃいけないから」
「全体として取り合いになっちゃうんだ。じゃあ、かぶき村みたいに劇場持っているのは、有利なんじゃないの?」
「うーん。良いところもあるけど。長く一カ所にいるつらさもあるね。演目は200本くらいあるんだけどさ。年間通して公演していて、23年やっていればどうしてもかぶっちゃう」
「それは確かに、どこかでかぶる」
「あとは単純に体力的に大変ってのはあるかな。おれは年に9か月くらいは地方公演に行っているんだけど、そういうときって、完全な休みが月に1日くらいしかない」
「なるほど」
「そうそう、この間、浅草の木馬館(大衆演劇の劇場)では、3時間半の公演を1日2本、それを1か月間やった。あれは大変だったな~~~」
「え~~~。それツラそう。っていうか、おれらももう35歳だもんな。だんだん体力は衰える」
「えっ……? みっつが35歳? 信じられんな(笑)。ただ、おれたちは夢を売る商売だから。お客さんに楽しんでもらって、笑顔で帰ってもらうのが、うれしいよね」
「今後の展望とか、ある?」
「ここが好きだからなー。ここでずっと続けていくってのが夢。田舎の風情があっていいじゃない。ただ、お客さんには『田舎の芝居を見に行ってみよう』じゃなくて、『田舎でもおもしろいことやっているんだ』って見方をしてほしいんだよね。そんな風に、書いといてよ!」
僕が栃木県で「娯楽がない」なんて思っていた頃に、同級生はすで娯楽を作る側で、今でもその仕事をしていました。
こんな田舎だけど、県内からも、県外からも人は来る。高齢者も若い人も楽しんでいる。これからもずっとここでやる。なんだ、熱いじゃないかよー!
ちなみに都内で大衆演劇を見ようと思ったら浅草の木馬座、立川のけやき座、十条の篠原演芸場あたりが行きやすいそうですよ。
取材協力:船生かぶき村
ツイッター:@geki_akatsuki
ホームページ:船生かぶき村
*2017年10月29日に矢板文化会館にて、かぶき村23周年記念公演を行います
1982年栃木県生まれ。東京で指圧師をやっています。インターネットで記事を書くことをどうしてもやめられない。
ツイッター:@3216
ホームページ:下北沢ふしぎ指圧
書いたものまとめ:自分のせつめい
こんにちは。ライターの菊地です。
私は生き物全般が好きで、昔から月に1度は水族館に足を運んでいます。
しかし最近になって、『水族館に行っても純粋に魚の鑑賞を楽しむことができない』という悩みを抱えております。
なぜか? それは……
魚を見ても値段ばかり気になってしまうから!
煮付けや刺し身など、おいしい魚料理の味を知ってしまった僕は、水族館でも「あの魚はおいしいのかな……値段はいくらなんだろう」という疑問が浮かんでしまい、鑑賞に集中できないんです!
というわけで今回は、『水族館の魚に 食材として値段をつけたらいくらなのか』調査を行ってきました。
協力してくれたのはこちらのお二人!
新潟県にある寺泊水族博物館・館長の青柳 彰さん
『寺泊きんぱちの湯』『旅館きんぱち』の総料理長・難波有宏さん
では、一緒に館内を回っていきましょう!
「今日はよろしくお願いします。水族館にいる魚を、食材として捉えた場合の値段が、どうしても知りたくて」
「僕は料理人なので魚は毎日のように触りますが、水族館に来たら『きれいだな~』としか思いませんね。いくらになるかなんて考えたことなかった」
「変なことを知りたがる人もいるもんだよね。じゃあ早速見ていきますか」
「まずはこの魚なんかどうかな?」
「ほう、アジですね。こうやって泳ぐんだ……。普段、まな板の上の魚しか見ないから、泳いでる姿は新鮮です」
「アジは刺し身なんかでよく食べますが、こんなに大きい魚なんですね」
「アゴがしゃくれてるのがギンガメアジ、ヒレが黄色いのはシマアジという種類だね」
「これってスーパーで売ってるんでしょうか」
「スーパーに売ってるのはマアジという種類が多いですね。もちろん、ギンガメアジやシマアジも美味しいですよ!」
「ちなみに、難波さんにはすでに、目の前の魚に値札が見えてるんですか?」
「当然です。シマアジは天然物だと1匹で2万円近くなることもあります。ギンガメアジは1匹2,000円くらい。比較的安い魚ですね」
「魚の値段は、天然か養殖か、あとは時期やサイズ、産地によって全然違うので、一概には言えませんけどね」
「あくまで、難波さんの感覚値ということですね。ところで館長、水族館にいる魚っておいしいですか?」
「いや、食べてる前提になってるけど、私は食べたことはないよ(笑)。でも、大海原を泳いでるわけじゃないから、天然物と比べたら脂が多いかもしれないね」
「それはそれで脂が乗って美味しそう……」
「こっちにいるのはシロザケの稚魚だね。新潟県では稚魚を毎年3,500万匹も県内の川に放流してるんだよ」
「3,500万っていったらカナダの人口くらいじゃないですか。それだけ放流してたら、海の中がサケだらけになりそう」
「それが、そうでもないんだよ。回帰率は0.7%と言われてるから、3,500万匹放しても、25万匹帰ってくればいい方」
「自然界って厳しいなぁ。それだけ回帰率が低いとサケの値段は高そうですね」
「その年の収穫量や取れる時期によって値段は全然違いますが、去年はサケが全然獲れなくて高かったんです。成魚の場合で1匹5,000円くらいかな」
「サケは塩焼きとか刺身が旨いですよね。あと、新潟では寒風干しにすることも多いんです。寒風干しっていうのは、サケに塩をまぶして寒風にさらしながら熟成させたもので、ご飯にも日本酒にもよく合いますよ」
「僕はやっぱり塩焼きが好きですね。酒で蒸し焼きにするとふっくらした食感になって最高です。特に皮がウマい! 皮だけでご飯3杯はイケます」
▼その他の食材のお値段
刺身もおいしいけど、煮付けにしたら、右に出るものはいないメバル。
ニジマスとアメマスを交配させて、新潟県が作ったマス……ミユキマス。香りがよく、身がしっかりして、脂がのっているんだそう。
「こちらは……ハコフグって書いてますね。普通フグ料理といえばトラフグですが、ハコフグは食べられるんですか?」
「食べられますよ。価格は1匹2,000円前後ですね。火で炙ると硬い甲(箱のような部分)が割れるので、そのなかを食べます。地域によっては味噌で焼いて食べますね」
※ちなみにトラフグだと1匹8,000円前後
「フグの刺身ってどうして薄く切るんですか? もっとモガッと頬張りたいのに、お皿の模様が透けるくらい薄く切りますよね」
「フグは歯ごたえがあるんで、厚く切っちゃうと噛みきれないんですよ。薄く切ったほうが味に集中できると思いますよ」
近くに似たような魚が泳いでいたので、これもフグかな?と思ったらハリセンボンでした。沖縄では汁物にして食べるそうです。
「せっかくだから、新潟っぽいのはいませんか?」
「新潟と言えばズワイカニだね、ここにはいないんだけど。でも代わりにタカアシガニっていって、深海に住んでいるカニがいるよ」
「タカアシガニは身に弾力があって旨いんですよ。ただ本当に大きいから、自宅で気軽に調理というわけにはいかないですね。1匹20,000円くらいかな」
「タカアシガニはスーパーで買ったことがあるんですが、大きすぎて鍋に入りませんでした。脚をボキボキに折って何とかブチ込みましたけど」
「よくスーパーに売ってたなぁ。タカアシガニは市場にはあまり出回らないんですよ。ツイてましたね」
「そうなんですか? でも無理やり茹でたおかげで噴きこぼれて、1週間はキッチンがカニ臭かったんで、もう自宅では食べません」
▼その他の食材のお値段
ウニは1匹あたりだと安いんだ……と思ったけど、一人前で換算するとやっぱり高い!
アワビはさすがの貫禄ですね。とても手が出ない!
ロブスターって、昔は日本では見かけることすら難しかったですよね。おいしそ~!
「おぉ、タコだ! でっけぇ!」
「これはタコの中でもミズダコという種類だね。スーパーではマダコが多いんじゃないかな? マダコより歯ざわりがいいんだよ」
「そう言えばタコの丸々1匹の値段って想像がつきませんね。切り分けられてるのしか見たことないかも。いくらなんでしょう?」
「値段はかなり大きさに左右されます。館長、このミズタコは何キロくらいあるんですか?」
「10キロくらいだね」
「10キロだと20,000〜30,000円くらい……間をとって25,000円ってことにしましょうか」
「あれ? さっき(動画参照)は真っ赤だったのに、今(値段のついた写真)はピンクですね。色が変わってるような……?」
「タコは、興奮したり隠れたりするときに色が変わるんだよ。さっき真っ赤だったのはエサをもらってテンションが上ってたからだね。海底では岩に擬態することもあるよ」
「そういえば、イカスミを使った料理は聞いたことあるけど、タコスミは聞いたことないですね。おいしくないんですか?」
「よくタコのスミはまずいって言われますけど、調理次第でおいしいですよ。ただ、取れるスミの量がイカの10分の1くらいしかない。しかもスミを取り出すのがすごく難しいんです」
「コスパの問題だったのか」
「あと、イカのスミは粘度が高くて料理に使いやすい、といった理由もありますね」
「そうそう。イカは、自分の分身(おとり)を作るためにスミを吐く。だから粘度が高くて水中でもまとまってるんだね。タコは目くらましのために吐くから、広範囲に広がるんだよ」
「勉強になるなぁ」
「おぉ? こっちには変わった生き物がいますね! これはもしや……?」
「これは生きた化石と言われているカブトガニだね」
「やっぱり!こちらは、お値段いくらでしょうか?」
「いやいや、これはさすがに値段がつけられないです。そもそも食べれるの?」
「実は僕、タイで食べたことあるんです。1,500円くらいでした」
「食えるのか……。しかも値段まで学んでしまった。味はどうでした?」
「味は………まぁ、こういう味なんだーっていう、そんな味でした」
「なるほど、ウチの店で出すのはやめときます」
▼その他の食材のお値段
スーパーマリオ64のトラウマが蘇るウツボ。恐ろしい顔とは裏腹に、刺身や塩焼きにするとおいしいのです。
唐揚げにすると美味しいらしいタツノオトシゴ。市場価格は不明ですが、ペットショップだと2,000円前後です。
バ~ッと回ってきましたが、寺泊水族博物館には400を超える種類の魚を展示していて、展示数は1万匹以上!
とてもじゃないけれど、すべては紹介しきれませんでした。
「今日はお付き合い頂いてありがとうございました。難波さん、どうでしたか?」
「いやぁ疲れました! 魚は、時期やその年によって値段がまったく違うんですよね。だから、寿司屋とか魚を取り扱うお店のメニューには時価という表記が多いでしょ?」
「そうですね。一日の中でも値段が変わったりするんですか?」
「変わります。だから今回は難しかったですね」
「なるほど、青柳館長はどうでしたか?」
「“食材としての値段”というのは、新しい視点だったね。疲れたけど、興味深かったよ」
「私も最後まで興味が尽きませんでした。良ければこれから、紹介できなかった他の魚も、すべて値段をつけていきませんか?」
「それは勘弁して!」
日本海に沈む美しい夕日。
この雄大な海に、今回紹介した食材たちが泳いでいるのだ……
今回確信したのは、料理人と水族館にいくと、一人で行った時の楽しさに加えて、別の視点からの話も聞けて、二度楽しいってこと。
知り合いに料理人や魚屋さんがいるかたは、ぜひお試しください。
それでは、今回のまとめです。
おいしそうな説明を聞き過ぎてオナカがすいてきたので、私はこのへんで! 失礼します!
寺泊水族博物館
住所: 新潟県長岡市寺泊花立9353-158
営業時間:9:00~17:00(最終入館:16:30)
電話番号:0258(75)4936
定休日:HP要確認入場料:■一般 700円、中学生 450円 小学生 350円、幼児(3才以上)200円
http://www.aquarium-teradomari.jp///
寺泊きんぱちの湯、旅館きんぱち
住所: 新潟県長岡市寺泊松沢町(寺泊水族館隣)
営業時間:10:00~21:00(最終入館:要確認)
電話番号:0258-75-5888
定休日:HP要確認入浴料:■大人 500円、小学生 400円
宿泊(大人1室2名:9,000円〜
http://www.kinpachi.co.jp/
自社メディア事業を手がける西新宿のデジタルマーケティング企業、株式会社キュービックのPR担当。Webディレクター兼ライター。タイ人と2人で暮らしています。動物とぬか漬けが好き。Facebook:菊地 誠 / Twitter:@yutorizuke / 所属:株式会社キュービック
7年間で1000泊以上キャンプをし、「ひとりキャンプ」のプロとして『マツコの知らない世界』にも出演したこいしゆうかさんがジモコロで連載開始!
テーマはズバリ「キャンプ×お酒」。こいしさんがいろんな地方を旅しながら、地元のお酒と食材を紹介していきます。
キャンプコーディネイター、イラストレーター。引きこもり系キャンパー。ソロキャンプスタイルでクルマでも飛行機でも船でもキャンプに行きます。酒と焚き火が好き。苦手は料理。作るものが8割くらい沼のようになります。著書「キャンプ、できちゃいました」(アスペクト)、「日本酒語辞典」(誠文堂新光社)が発売中。
ツイッター:@koipanda
ジモコロをご覧の皆さま、はじめまして。沖縄在住のフリーライター真崎と申します。飲んでいるものは、沖縄居酒屋の泡盛カクテルです。
わたしは昨年6月に東京・池袋から沖縄にふらりと移住しました。東京でバリバリ働く女性の5人に1人(当社比)が20代半ばか後半に「もう仕事も都会にも疲れたわ」と人生を憂う第2次モラトリアム期に入るじゃないですか。わたしももれなくそのアレです。
「もう全てを捨てて、暖かくて自然の多い場所でこころ穏やかに生きていきたい」
そんな悲痛な思いと共に都会を離れ、日本でいちばん南国っぽい沖縄に住んでみようと決めました。
まぁ、那覇が想像の500倍都会でアゴ外れたんですけどね。「あれ、ここ東京?」ってなりました。ちょっとした不思議体験。
那覇から車で約20分の宜野湾市に住むことに決めたのですが、東急ハンズもドンキもスタバもマクドもコワーキングスペースもあって超便利。
美しい海、豊かな自然、毎日が南国リゾート……。勝手にイメージ・期待していた「沖縄っぽさ」とは少し違いましたが、特別気にすることもなく宜野湾市での新生活を始めました。
そして昨年10月。沖縄移住から4ヵ月が経ったころ、あるお仕事で沖縄北部の「今帰仁村」という場所に行くことになりました。
今帰仁村は、那覇空港から車で約2時間、高速道路を使えば約1時間半、距離にして約82km北上した場所にあります。
これまでわりと都会で生きてきたわたし。そもそも「村」が新鮮でした。
そんなわたしが初めて訪れた今帰仁村で見たものは。
「あ、これは私のイメージしていた沖縄ドンピシャだ」
青い空に白い雲。水色の海に緑のアーチに赤やピンクのハイビスカス。移住前に想像していた「沖縄っぽい景色」が、ここにありました。
そして、初めて来たのに「なんかここ見たことある気がする」という既視感の連続。
それもそのはず。今帰仁村はCMやドラマ、映画のロケ地としてよく使われている場所なんです。
この民家とか、なんだかとっても見たことある気がしませんか?
こちらは、映画『チェケラッチョ!!』で、井上真央の自宅として使われた場所です。
とっても見たことあると思ったー!
こちらは、今帰仁村を案内してくださった又吉演さん。
現在は退職されていますが、取材当時は今帰仁村観光協会の事務局長をされていました。めちゃくちゃ気さくでこころが永遠に少年なおじさまです。
「せっかくなので、仕事のお話は古宇利島(こうりじま)でしましょうか」
「古宇利島……!(とは)」
「今帰仁村から車で行ける島があるんですよ」
「車で行ける島??行きます!!!」
今帰仁村の役場から又吉さんの車に揺られること約10分。
「うわあああああああなにコレめっちゃきれい!!!!!!」
車の中から全方位に見える、とっても澄んだ海。
この美しい海の中に悠然と佇む島が、古宇利島です。
古宇利島の人口は約350人。
車で10分も走れば1周できてしまう、小さな島です。
本島と島とをつなぐ「古宇利大橋」ができたのが2005年。
橋の完成を機に多くの観光客が訪れるようになり、年間7~8万人の観光客が訪れるようになったそうです。
「でも今はもっと観光客が増えて、年間80万人くらい来るよ」
「え、10倍じゃないですか! なんでそんなに客数が爆増したんですか?」
「1つは、やっぱりハートロックだよね」
「ハートロック……!(とは)」
こちらの岩が、通称ハートロック。
古宇利島のビーチに佇む自然岩です。
2つの岩が重なってハートに見えることから、この名称がつけられました。
この岩が、古宇利島の観光客数を10倍にしたの、か……?
「ハートロックがね、JALの先得CM『ニッポンを見つけよう』でロケ地に使われたんだよ」
犯人は嵐でした。
これは全国民(特に10~20代の女性)が湧いてもおかしくありません。年間80万人も納得。だって嵐だもん。
💗ハートロック💗
— (煮) たまごん (@tamagonars2) 2017年7月29日
脇腹痛いみたいになっちゃったけど同じポーズして、テンション上がりながら写真撮った✌️
嵐が踏んだかもしれない砂踏んできたぜ~幸せ…! pic.twitter.com/uQt88p0EUJ
「来て良かったね、JALの先得で」の
— a-jun(あけ) (@ake_j_shic) 2017年7月29日
ハートロック見てきた💙❤💚💛💜
こっちからの角度でゴメンナサイw
二つの岩がこんな感じで並んでるよ〜ってことでw
ここに嵐さん来たんだね(*´ω`*)♡
そして海がめっちゃ綺麗✨ pic.twitter.com/hR44pDpcaj
(湧いてた)
この日の夜、今帰仁村観光協会の皆さんが地元の居酒屋で飲み会を開いてくれました。
「この人が、今帰仁村観光協会つくって代表やってた上間宏明さん」
「あの岩に『ハートロック』って名前を付けた人だよ」
「なんと! 大ヒット観光地の名付け親なのですね…!」
「いやいやそんな」
「たしかに、ハートロックのおかげで観光客はめちゃくちゃ増えたけど」
「はい」
「あれは大きな失敗でもあったんだよね~」
「え、そうなんです……か……………?」
・
・
・
と、この辺りでこの日の記憶がなくなっています。
このお店、蛇口から泡盛が出るってなもんで調子にのって飲み過ぎました。
上記の会話も本当にしたのか曖昧。なにより上間さんと話した記憶がほぼほぼ皆無。
でも、ハートロックの話が、気になる……!
観光客数を10倍にしたハートロックが生まれたきっかけも、「大きな失敗」と言われる理由も、すごく気になる……!
ということで、あの飲み会から10ヵ月経った今年7月。
改めて、ハートロック名付け親の上間さん、そして共に今帰仁村を盛り上げた又吉さんのお話を聞く機会をいただきました。
今帰仁村を盛り上げた当事者のおふたり、海と日光が似合いすぎる。
「まずは、ハートロックが生まれたきっかけについてお聞きしたいです!」
「ハートロックを見つけたのは2009年ですね。当時は仕事の合間にずっと村歩きをしながら、今帰仁村のシンボルになりそうな場所を探していました」
「観光スポットを作りたかったんですか?」
「というよりは、ロケ地開拓かな。ロケの誘致には2001~2年くらいから力を入れていました」
(映画『サウスバウンド』のロケも行われ、豊川悦司が来ていた!)
赤墓(サダバマ)ビーチ。こちらも人気のロケ地
「今帰仁村って自然いっぱいで他にもロケ地候補がいっぱいありそうですが、なんでハートロックにピンときたんですか?」
「ロケ隊が求めているものって、『象徴的な何か』なんですよ。でっかい岩とか、変わった木とか、広い草原とか。そういうロケで使えそうなシンボルを探していたら、ハートロックを見つけて。『あ、これハートになってていいじゃん!』って思ってね」
「宏明さんから『これをハート岩として売り出したい』と言われて、俺も『絶対コレは当たる!!』と思った。当時俺は行政機関で沖縄へのロケ誘致なんかをする部署にいたけど、ロケ隊を送客するときに『ハート岩は、ぜひ見てってください!!』とオススメしまくったね~」
「古宇利島は当時から人気だったので『古宇利に行くならハートロックに行こう』みたいにメディアで取り上げてもらってね。2009年から2014年くらいまでは、そうやって地道~にプロモーションしていました」
「じわじわ人気は出てきました?」
「いや、なかなか。ANAでロケ地巡りのツアー組んだけど大コケした(笑)」
「あの時は、まだロケ地として有名でもなかったからね」
「でもその後、2014年、ついにハートロックへ嵐が来るんですね……!(二重の意味で)」
「きっかけは、『JAL先得のCM候補地を探してほしい』っていう県内のコーディネート会社から依頼だったのね。先方は『5本生えているシンボリックな木はないか』との問い合わせだったけど、この近くでは見つからず」
「ふむふむ」
「で、コーディネーターさんが『前に教えてくれたハートロックどうですかね?』って言うから、5つじゃないし、地味ですし大丈夫ですか?ってこっちは心配してたんだけど、逆に評判よかったらしくて(笑)」
「そして、嵐の5人が来ちゃった、と。CM放映後の反響はどうでしたか?」
「『撮影後は、ヤバいですよ……』って先方に言われてたけど、あんなにヤバいと思わなかったね」
「あんとき、駐車場ちゃんと作っとけば良かったよね」
「そんなに、たくさん人が来たんですか?」
「ビーチロックの手前に、地元の人が1台500円の駐車場を作ったら人気でね。1日の売上が30万くらいあったんじゃないかな?」
「さんじゅうまん。駐車場だけで、1日さんじゅうまん……」
「そんなにいったっけ?」
「30万だったら……大体600台でしょ? 600台は来ていたはずから、やっぱり30万だよ」
ハートロックのあるビーチに続々と降りてくる方々。入れ替わり立ち代わり人が移動するので渋滞が起きていた
「まあ集客的には大成功だよね」
「そうですよね。どうやって人に来てもらうか試行錯誤の地方にとって、観光名所が大ヒットしてたくさん人が来てって、すごい理想的な成功例だと思います」
「でも、やっぱり『集客』以外の面では大失敗事例でもあるんだよ。」
「なぜ……!?」
「まず、駐車場以外には意外とお金は落ちてないんだよね」
「そうなんですか? カフェとか宿とかサーフショップとか利用する人も増えたんじゃ」
「ううん。みんなハートロックに来て、パシャっと写真とったら出ていく。滞在時間30分くらいで、次から次に人が来る感じ」
「今帰仁村は『素通り観光』されちゃうんだよね。ハートロック見て写真撮ったら終わり、その後は美ら海水族館に行って、泊まるのは那覇や恩納村。ご飯も今帰仁村じゃなくて宿の近くで食べるから」
「お金は落ちないけど人はたくさん来る。もともと素朴なビーチだった場所に年間80万人が来るようになったんだから、その歪みも出たよね」
「駐車場がもうかっているって話を聞いた事業者がどんどん駐車場作ったからね~」
「値下げ競争で、今はもう1台100円に(笑)」
「駐車場の看板もガンガン建てちゃうし、「元祖駐車場」って看板まで登場したな(笑)」
「差別化が強引」
「金もうけの色が強くなって、ちょっと下世話な感じになっちゃったよね」
「あれだけたくさんの人が来ると、当然『悪い客』もいる。ビーチにポイ捨てする人や、落書きする人とかね」
「脱輪事故もすごい多かった」
「地元の人にとっては、正直迷惑な話でもありますよね。たくさん人が来て、静かな村が騒々しくなって、海や自然を荒らされて……」
「そうそう、だから『集客』を目標にするのは止めたの。今のテーマは『選客』と『客育』だね」
「観光協会を設立した時に、僕が今帰仁村にある宿を1つ1つ回って『今帰仁村にいいところは?』とヒアリングしたのね。そしたら『何もないところがいい』という声が圧倒的に多かった」
「だから、『ぬーんねんしが 今帰仁村』、つまり『何もないけど 今帰仁村』っていうポスターができたんです。何もないんだけど、今ある自然の中で癒されてほしいって思いを込めて」
「立ち上げ時からずっと話していたのは、『ハコを新しく作ってドバドバ客を呼ぶんじゃなくて、今ある自然そのままの今帰仁村を好きになってくれる人に来てほしい』っていうことだったんだよね」
「そう、だからゴミを捨てて自然を壊すような人には正直来てもらわなくていい。話題に飛びついてやってくる人よりも、毎年足を運んでくれる1つ1つの家族を大切にするほうが大事なんです」
「これが、今帰仁村の『選客』なんですね」
「そう。で、あとは客育。中高生が修学旅行に来て、ビーチにゴミが落ちているところに来たら『こうやってゴミを捨てる人には来てほしくないって地元は思ってるんだよ』って伝えるのね。彼らが将来、今帰仁村やそれ以外のところに旅行へ行くときに『良いお客さん』であってほしい」
「なるほど」
「爆発的に人を呼ぶんじゃなく、なにもない場所で自然に癒される観光地を、お客さんも含めてみんなで守っていきたいんだよね」
「俺たちがやりたいのは金もうけじゃなくて、みんなに今帰仁村を知ってもらって好きになってもらうことですからね」
「新しい観光名所を探すとき、俺らけっこう『ハート』をキーワードにしたよね」
「今帰仁城にもハートの岩がないか探したもんね」
「ハート作っちゃおうかって話もしたな。今泊集落に石垣作るとき、俺けっこうハート埋め込んだよ。自分で石をハート型に削ってさ」
「(カワイイことしてらっしゃる)」
「ディズニーランドであちこちに隠れたミッキーマークを見つけるみたいに、今帰仁村のあちこちに隠れたハートを探してもらうのも面白いよね~」
「俺、自分のお店にハート埋めようと思ってるよ」
「ああ、いいっすね! それやりましょうよ!」
ハートで盛り上がるおふたりの姿が、完全に無邪気な少年でした。
こんなテンションでハートロックも生まれたんだろうなあ。
沖縄に来てからも、わたしは半都会の便利な場所で結局せかせかと仕事をしています。時々またどうしようもなく心が疲れて「早く来世に行きたい」とグッタリすることもあります。
今帰仁村は、そんなわたしをほっと休憩させてくれる場所。
行くたびに「夏休み」の気分になります。
聞こえてくるのは人の声より虫の声。
豊かな自然にふれ、現地の美味しいものを食べ、又吉さんや上間さんとお酒を飲んでベロベロになる。
気付けばこの場所がだいぶ大好きになりました。
沖縄に来た際は、よかったら今帰仁村に遊びに来てみてください。
その際はぜひ「良いお客さん」として。
そしてハートロックを見に来るついでに、村のどこかに隠れているらしいハートも探してみてください。私も未だに見つけられていません。
沖縄在住のフリーライター。89年大阪生まれ京都育ち。生みの親はmixi、育ての親はTwitter。「京都人は腹黒い」と決めつけてくる人達にいつか笑顔でお茶漬けを出したい。 Twitter:@masaki_desuyo_ / 個人ブログ:真崎ですよ /
株式会社バーグハンバーグバーグのかんちと申します。
ジェットコースターやバンジージャンプなど、スリルが大好物です。
世の中にはスノーボードやスカイダイビング、ロッククライミングやエアレースなど、いわゆるエクストリームスポーツがたくさんありますよね。
Photo by tataquax - Red Bull AIR RACE 2015 Chiba / CC BY-SA 2.0
レッドブル協賛の大会が日本各地で開かれたり、アクティブな映像が撮れる「Go Pro」がバカ売れしたりなど、エクストリームスポーツのブームはとどまることを知りません。
ところで日本から世界に広まったエクストリームスポーツがあるのをご存知でしょうか?
それが車のタイヤを滑らせて走る
ドリフト走行
です。
車を滑らすようにしてカーブを攻略
このドリフトの聖地と呼ばれる場所が僕の生まれ故郷の福島にあると聞き、今日はやって参りました。
福島県二本松市にある「エビスサーキット」、またの名を「くるまの遊園地」です!
僕も普段から車の運転はしますが、ドリフトは体験したことがないので実際に乗って味わってみたいと思います。
こちらがドリフトを体験できる車「ドリフトタクシー」
体験料は1時間3万円ほどで、最大3人まで乗車可。タイヤ代や燃料代等も料金に含まれます。
運転するのはプロのドリフトドライバーである末永 直登(すえなが なおと)さん。
「よろしくお願いします!」
「はい、シートベルトをしっかり締めてくださいね。いきますよー」
バゥンバゥン!
「あ゛ぁああぁぁあ!!」
「ははははは」
「あぁぁ!うぉおおっち!!」
「はははははははは」
「あ゛ぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛(車ってこんな動きするの!?)」
「はははは、どうですか?」
「末永さん!すごいです!ところで、ドリフトって日本発祥と聞いたことあるのですが、どのようにして生まれたのでしょうか?」
「ドリフトという文化は70年代~80年代頃、『走り屋』と呼ばれる若者達が峠に集まって、自分たちの走りを競い合ったのが始まりと言われています。急なカーブをいかに速く曲がれるかを突き詰めた結果、タイヤの後輪を滑らせて走るドリフトが生まれました」
「なんでわざわざ公道を走ってたんですか?」
「みんなサーキット場を借りるお金がなかったんですね。お金をかけずにギャラリーが大勢いる前で『とにかくドリフトをカッコよくキめて目立ちたい』とか、『女の子にモテたい』とか、そういったモチベーションで技術を切磋琢磨させていました」
「事故も起きていたでしょうし、危険運転ですよね……」
「一般車も走る道をスピード出して走るわけですからね。当然、警察の取締はどんどん厳しくなりましたし、そのおかげで今では峠をドリフトするような人は殆どいないはずです」
ギャアァアアァ
「……やっぱり、すみません!全然頭に入ってこないのでもう大丈夫です!!ドリフトの感覚はよく分かりました!!」
「もっと詳しい話は、エビスサーキット代表の熊久保に聞いてみてください」
………。
……………。
今まで味わったことのない車の動きで、それはもうスリル満点でした。
こちらのドリフトタクシーは上でお伝えしたように体験料は1時間3万円ほどで、誰でも乗ることができます。ドリフトのプロが運転する車でスリルを味わいたい方は、是非申し込んでみてはいかがでしょうか!
ドリフトタクシーの詳細・予約はこちらから!
それではエビスサーキットの代表の方にお話を伺いたいと思います。
エビスサーキット代表取締役社長の熊久保さん。ドリフト界のレジェンドと呼ばれる現役ドライバー。
熊久保 信重(くまくぼ・のぶしげ)
1970年2月10日生まれ 福島県出身
モトクロスレースからモータースポーツに入り、エビスサーキット就職後の24歳にドリフトに目覚める。01年にD1グランプリに初参戦を果たし、以後シリーズに継続参戦。01年にはシリーズチャンピオンに輝いた。
「はじめまして、よろしくお願いします。いやードリフト、凄い体験でした!福島にこんな場所があったとは。ここはいつからやっているのでしょうか?」
「この場所は馬や牛を飼育するウエスタン牧場だったんですけど、祖父が1978年に東北サファリパークを開園して、父が1988年にエビスサーキットをオープンしました」
「僕も東北サファリパークは小さい頃に親と来た記憶があります!でも同じ敷地内にサーキット場があるのは知りませんでしたね」
「ここがサーキット場になる前の話なのですが、ある夜、この敷地の前で暴走族が喧嘩をしていたらしいんですね。そこにうちの父親が割って入って『お前ら、こんなところで喧嘩するんだったら、俺がコース作ってやるからそこで勝負しろ!』と言ったそうです」
「喧嘩の仲裁にしては規模がデカすぎる」
「牧場だったので土地だけは沢山ありましたからね。それで実際に敷地内にバイクのレースコースを作って、さらに当時の月収の5倍の賞金も用意したらしいです」
「今の価値にしたら100万円以上!?暴走族の勝負に賞金かけるって凄いですね」
「それがきっかけで、ここにモトクロスバイクや車のダートコース(未舗装の道路)が出来ました。すると車メーカーのテストコースとしても使われるようになり、1988年にアスファルト舗装の大幅リニューアルをしてサーキット場がオープンしたんです」
「なるほど。でもその頃はまだドリフトを売りにしてはなかったんですね」
「そうですね。私自身、もともとはモトクロスバイク出身でドリフトなんて一切興味無かったんです。サーキット内をドリフト走行する車に対して、路面が痛むし危ないからやめてくれ、と注意していたくらいでした」
「それなのに今はドリフトを……?」
「その注意した車、何度注意しても全然ドリフトやめてくれないんですよ。それで私も少しずつドリフトに興味が出てきまして。たまたま従業員にドリフト経験者がいたので、試しに教わってみたら、すんなり出来たんですね。その時『これを売りにしたら会社の利益になるぞ』と感じ、ドリフトに力を入れるようになりました」
「さきほど末永さんが、『走り屋は峠に集まって走りを競っていた』とおっしゃっていましたが、集会の規模ってどのくらいだったんですか?」
「走り屋が全盛期の頃は本当に凄かったんですよ。週末になると峠や埠頭には100台以上の車が集まって、さらに何百人という数のギャラリーがいて、そりゃあ毎週お祭りのようでした」
「公道にそんなに集まるって凄い……。熊久保さんもそこで走っていたんですか?」
「いえいえいえ。私は毎週土曜日に東日本の各地、例えば『日光のいろは坂』や『横浜の南部市場』など、走り屋の名所と呼ばれる峠や埠頭に行っては、『サーキットで走りませんか?』とエビスサーキットのチラシを配りまくっていました」
「そんな地道な営業活動をされていたんですね。すぐ効果出ましたか?」
「最初はなかなか厳しかったですね。そりゃそうですよね。峠でタダで走れるのに、なんでわざわざサーキットに来てお金を払わなきゃならないんだって。だから奴らを説得させるために、自分がドリフトの頂点に立ってやろうと決めたんです」
「峠の走り屋よりも上になるってことですね」
「はい。それで当時のカー雑誌『CARBOY』のドリフトコンテストに出場して優勝し、日本中のトップの走り屋を集めた全国大会でも優勝して日本一になることができました。それで私の名前とともにエビスサーキットの名前が、全国の走り屋達に知れ渡り、ここに一気に人が来るようになったんです」
「すごい。力を示して、走り屋を憧れさせたんですね!でも走り屋が集まってきたら警察とのトラブルとかも起こりませんでした?」
「いやぁ、もうしょっちゅうでしたよ。今でこそ違法改造車は少ないですけど、走り屋全盛期の頃はバリバリの違法改造車が全国からここに集結するわけですからね。警察がうちの目の前の道路の上り下り両方で検問していたこともありました」
「罠ですね…」
「それで頭きちゃって、検問手前でお客さんの車を車両運搬車に積んで、うちの敷地まで運び込んだこともあります」
「力技!」
「ドリフトといえば、漫画『頭文字D』の作中で『コップの水をこぼさないように車を運転する』って描写ありますけど、あれって本当にできるんですか?」
「できますよ!流石にタプタプに水を入れたらこぼれちゃいますけど、3分の2くらいだったら余裕です!」
「すごい!藤原とうふ店に就職できるじゃないですか!」
「というか作者のしげの秀一さん、うちに来てネタ作ってたんで」
「えっ!そうなんですか!?」
「エビスサーキットという場所にトヨタ・AE86(ハチロク)でサーキットしている人たちがいるということで、しげのさんがここを訪れたんです」
「ほほう」
「コースを走っている様子を見て、『みんな側溝にタイヤ落として走ってますけど、あれ、わざとやってるですか?』と聞かれて。はい、速く走るためにタイヤを側溝に落としてますって答えました」
「えぇっ!?あの溝落としってフィクションじゃないんですか!?『できるわけないでしょ!』って思って読んでたんですけど……」
「実際やってましたよ(笑)」
「しげのさんも生で見た時は心の中で『どこを走ってんだァ!?』って叫んだんでしょうね」
「こちらのエビスサーキットは外国人の方も結構見かけます。海外に向けて何かPRされているんですか?」
「長年かけてドリフトビジネスを海外に輸出したことが大きいでしょうね」
「ドリフトビジネス…ですか?」
「20年ほど前、海外にまだドリフトという文化がなかった頃の話です。私は趣味でよくアメリカ・ラスベガスに旅行に行ってまして、ある時シルク・ドゥ・ソレイユの『O(オー)』という公演を観たんです」
「有名なエンターテイメント・ショーですね」
「その時に、感動のあまり大号泣してしまいました。と同時に『音楽とドリフトをシンクロさせた演目をやりたい!』『このラスベガスでドリフトをやりたい!』と強く思ったんです」
「夢が生まれた瞬間!」
「そこでスポンサーになってくれそうな、車のパーツを手がけるアメリカのとある企業に乗り込んで必死にアピールしました。しかし二度の門前払いを食らって、『イエロー』なんて差別的なこと言われたりしましたね(笑)」
「相手にしてもらえなかったんですね……」
「それでも諦めずに、三度目でようやく社長に会うことができました。持ち込んだVHSで私達のドリフトの映像を見せて『実際にやるから見てくれ!』と直談判したら、OKがもらえました」
「現地の車でドリフトやったんですか?」
「いえ、自分たちの車を日本から船で運び込みました。その会社の広い駐車場を借りて、私含めて3人でドリフト走行を実演したら、それまで慎重だった社長の姿勢が180°変わって『今度大きなイベントあるから、そこでやってみろ!』となったんです」
「ここでも実力で説得したわけですね」
「それからは全米のカーショーでデモ走行をするようになり、日本とアメリカを行ったり来たりしながら公演していました。そして、あのとき夢見たラスベガスの舞台でもドリフトのショーをすることができたんです」
「アメリカで3年ほど公演した後は、ヨーロッパのギリシャに活動の場所を移しました。ここでもドリフトは大ウケでしたが、これまでのようにただ公演するだけではなくドリフトのスクールも始めてみたんです」
「エビスサーキットでやっているスクールを海外展開したんですね」
「はい。さらにスクールで上達した生徒らが腕を試す場所として、ドリフトの大会も開催しました。ただ私達は大会を主催したわけではなく、現地の人たちに『大会を開催するノウハウ』や『ドリフトで稼ぐためのビジネスモデル』を教えたんです」
「何故ですか?」
「そうすれば私達がいなくても継続して大会を開催できますし、ドリフトの文化がその国に根付くだろうと思ってましたから。これらをパッケージにしてギリシャ以外にも南アフリカや中東、ロシア、中国など、これまで世界30カ国に展開しました」
「それが『ドリフトビジネスの輸出』なんですね!思ってた以上にスケールが大きい話でビックリしました」
「そういった活動を続けているうちに、いつの間にかエビスサーキットが国内外から『ドリフトの聖地』と呼ばれるようになって、海外で教えた生徒達がおさらいをしに来たり、ドリフトを学びたいという人達が集まったりしたんです」
「聖地巡礼!」
「ちなみに『ワイルド・スピードX3 - TOKYO DRIFT』という映画があって、そのカースタントを私と末永で担当しましたが、それもこういった海外との繋がりで生まれたものだと思います」
「観ました!『主人公の外国人、めちゃくちゃドリフト上達してる!』と思って見てたんですが、あれ熊久保さんだったんですね。あれは今思い返せば、吹き替えで観るべきでしたねぇ……あ、いえこっちの話です、すみません。ところで、ここに来られる外国人の方は、どのくらい滞在しているんですか?」
「ほとんどの方が1週間~1ヶ月ほどいます。ここでドリフト用の車を買ってメンテナンスして、思う存分走りを楽しんでお金が無くなったら帰っていく、みなさんそんな過ごし方をされています」
「その間の宿泊は周辺のホテルとか旅館でしょうし、福島県のインバウンド消費にも繋がっているんですね」
「昔は『ドリフト=暴走行為』という悪いイメージしかありませんでしたが、時代が変わって今では観光資源として県がバックアップしてくれるようになりました。外国人向けにエビスサーキットのプロモーションビデオも作ってもらいましたしね」
「すごい。ちゃんとしっかり作ってある映像だ!」
「海外の方にはこれまで通りドリフトに興味を持ってもらいながら、車離れが進んでいると言われる日本の若い子にもぜひ体験してもらいたいですね」
「ジェットコースターやバンジージャンプのようなスリルにはもう飽きたな……という皆さん!ドリフトタクシーで未体験のスリルを味わってみてはいかがでしょうか!エビスサーキットならドリフトを習得もできますよ!」
最後に熊久保さんは、福島をエクストリームスポーツの特区にしたいと仰っていました。その理由として、まず世界に誇れるドリフトの聖地がここにあること。
また最近話題のレッドブル・エアレース、そのワールドチャンピオンシップで優勝した室屋義秀さんの本拠地も福島で、「ふくしまスカイパーク」という農道空港でトレーニングを積んでいるそうです。
さらに僕の生まれ故郷でもある南相馬市の北泉海岸は、震災前までサーフィンの世界大会や全日本選手権が開催されていた”いい波”のスポットとして知られていて、最近になってまた大会が開かれるようになりました。
日本で4番目に大きい湖を持つ猪苗代湖はジェットスキーが盛んですし、猪苗代町はフリースタイルスキーやスノーボードの大会も数多く開催されています。
最近では福島市に、スケートパークやボルダリング、スラックラインが出来るチャンネルスクエアという屋内で楽しめるエクストリームスポーツ施設がオープンしました。
このように福島にはあらゆるエクストリームスポーツの環境が揃っているので、「それならエクストリームスポーツ特区にして福島を盛り上げよう!」と熊久保さんらが県に提案して、議会でも話し合われているそうです。
最後に思ってもいなかった復興のアプローチのお話が聞けてとてもワクワクしました。
今後も国内外から、非日常を求めて福島に沢山の人が訪れることを願います!
それではごきげんよう、さようなら。
ギャアァアアァァァ
株式会社バーグハンバーグバーグ所属。
胸板が厚いので隙間に挟まって動けなくなることもしばしば。
Twitter:@zmukkuri
●「ポテン生活」とは?
ギャグ漫画界の新鋭・木下晋也が描く、の~んびりして、クスッとしてしまう8コママンガ。独特の中毒性から、10巻までの単行本は大きな話題になりました。ジモコロでは、そんな「ポテン生活」から、おもしろかった話を毎月2本、選り抜きでお届けしますよ!
1980年大阪生まれ。2008年、『ポテン生活』で第23回MANGA OPEN大賞受賞。単行本『ポテン生活』全10巻、『おやおやこども』が好評発売中。Docomoエンタメウィークで『マコとマコト』連載中。木下晋也公式サイト、cakesでもいくつか作品を公開中です。趣味はプロレス観戦。Twitter/Facebook
子どものころ、よく教科書の隅に絵を描いて遊んでいた。
こんなふうに、ちょっとずつ変化するイラストを描いて素早くめくると……
動く。
みなさんご存知の「パラパラ漫画」だ。
小さいころは夢中になったものだけれど、それはもう昔の話。すっかり目にする機会もなくなった。そもそも、紙をさわる機会が減った。
しかし、このパラパラ漫画がいま、かなりの進化を遂げているらしい。
百聞は一見にしかず。まずはこのパラパラ作品をごらんいただきたい。
https://www.youtube.com/watch?v=pTxdJOEz4_s より抜粋
ドカーン!
すごい。
虫が爆発すると、本当に紙に丸い穴が開いてしまうのだ。この仕掛けが見事すぎて、本屋で立ち読み(と言っていいのか)したときに声が出そうになった。すごい。
ばくだんむし(もうひとつの研究所パラパラブックスvol.3) (Flipbook もうひとつの研究所パラパラブックス Vol. 3)
このすごい作品は「パラパラブックス」という絵本シリーズの一作。全国の大型書店を中心に発売されており、累計90万部以上の売上を誇っているとのこと。
裏表紙を見てみると、「パラパラブックス」の作品を作っているのは「もうひとつの研究所」だそうだ。
研究所……? ラボ……?
気になることがたくさんあるので、研究所を直接たずねてみた。
某所に存在する「もうひとつの研究所」。作品が棚一面に並ぶ。
―― いま「もうひとつの研究所」では、「パラパラブックス」シリーズとして、パラパラ絵本を販売しているんですよね。
もうひとつの研究所(以下「もひ研」) はい。これまでに11種類のパラパラ絵本を制作しました。
―― いくつか見せてもらってもいいですか?
もひ研 どうぞ。
もひ研 こちらは『むしくいさま』という作品です。「むしくいさま」が「むし」を食べてしまう短い話です。
https://www.youtube.com/watch?v=QZvbjPQoBFE より抜粋
―― 紙に穴をあける演出、すごい……! 穴を少しずつ大きくしていくことによって、パラパラすると穴が広がっていっているみたいに見えるんですね。
もひ研 これは『めからかいこうせん』という作品です。文字通り、目から怪光線が出ます。
―― 飛び出す絵本みたいなことでしょうか…?
https://www.youtube.com/watch?v=CZ78fRGk5a8 より抜粋
―― ……? あ、なるほど! パラパラしたときの「目の残像」が、まるで怪光線みたいに見えるんだ。おもしろい。
―― これ、動画だとあんまり伝わらないかも…! 目で見ると本当に光線っぽく見えるんですよ。
もひ研 こちらは『クリスマスの足音』という作品です。シリーズで一番売れたんだったかな。
https://www.youtube.com/watch?v=Z6OhcKTNFqU より抜粋
―― ……! これはすごい……! 鈴が隠れてるだけじゃなく、紙の穴の微妙な引っかかりで鈴が鳴るようになってる。
「もうひとつの研究所」の工房
―― 「パラパラマンガ」を描いたことのある人はきっとたくさんいますが、これらの作品は……なんというか、レベルが違う感じがします。「もひ研」さんも、昔からパラパラマンガを描き続けてたんですか?
もひ研 最初にパラパラ作品を作ったのは2000年代の前半、デザインアート系の学校に通っていた頃ですね。
―― 教科書の隅にパラパラ漫画を描いていてその延長で、というわけではないんですね。
もひ研 はい。きっかけは、佐藤雅彦さんが慶應義塾大学の研究室で生徒に課題を出して作らせたパラパラマンガの存在を知ったことでした。
※佐藤雅彦さん……「だんご3兄弟」「バザールでござーる」などの名フレーズを生み出したクリエイティブ・ディレクター。現在は東京芸術大学大学院・映像研究科教授。教育番組『ピタゴラスイッチ』の監修でも知られる。
―― それはすごく納得感があります! 佐藤雅彦さんの作るものには「抽象的な概念を視覚的にわかりやすく伝える」というコンセプトがありますよね。「パラパラブックス」にも同じものを感じます。
『動け演算 -16 FLIPBOOKS-』(2000年)のちに生徒が制作したパラパラマンガは製本され発売された。
もひ研 『動け演算』という作品集で、生徒が作った小さなパラパラ漫画がたくさん収録されているものなのですが、それがとても面白くて。「これはもっと進化できる」と思って作り始めたのが最初ですね。
―― 「進化できる」?
もひ研 パラパラ漫画というのは、時間と空間が合わさった媒体なんですよ。
―― どういうことですか?
もひ研 紙を何層も重ねて素早くめくると動いて見えるのが、パラパラ漫画の基本的な仕組みですよね。
もひ研 つまり、絵を時間軸上に重ねていくことで、空間的な厚みが生まれてるんです。これは他にはない特徴だぞと気づきました。この特徴を活かした、新しい表現がまだ作れると思ったんです。
―― 普通のパラパラ漫画なら映像アニメーションでもまったく同じことが表現できますが、「時間」と「空間」という要素に着目すれば、映像では作れないものが表現できるかもしれないと。
もひ研 そうですね。たとえば、この束ねた紙の真ん中にズドンと穴を開けてしまう。この穴の大きさをだんだんと大きくしていけば……
―― 穴が広がっているみたいになりますね!
もひ研 そして、ここが立体作品の特徴なんですが、穴の向こうに次のページの穴が…つまり、未来が見えるんです。その結果「穴の絵」ではなく、ちゃんと深さのある本当の穴が作れる。
―― なるほどー。これは2D映像では作れないですね。「時間と空間が合わさった媒体」という言葉の意味がわかりました。
もひ研 「パラパラ漫画」が好きで作っているというよりは、この表現手法でできることの領域を広げてみたくていろいろと試しているんです。
―― ああ、たしかにそれは読んでいて感じます。「パラパラブックス」は、絵がかわいく独特の雰囲気があって楽しいですが、驚くような発明が必ずあるのが好きなんです。
もひ研 「動け演算」を監修していた佐藤雅彦さんに、私の作品を見てもらったことがあるのですが、そのとき「作品にオチはいらないんだよ」とアドバイスされてハッとしたんです。作品のしくみ自体がおもしろければ、それは見ていておもしろいはずだから、と。
―― 先ほど見た「めからかいこうせん」は、まさにそれですね。起きていることは目からビームが出ているだけで2秒で読み終わってしまうのに、紙の残像がビームに見えること自体がおもしろいから何度も繰り返しめくっちゃう。
もひ研 佐藤さんは、ふつうの人とはアンテナの張りかたが違っていて、みんなが「わあ、すごいね!」ってところには引っかからない。起こっている現象そのもののおもしろさにこだわっていましたね。
―― さきほど、パラパラ漫画は時間と空間が合わさった媒体だと聞きましたが、作品の作り方も特殊になりそうですね。こういうパラパラ絵本はどうやって作っているのでしょうか?
もひ研 アイデアが出たら、まずは単純な試作品を作ってみます。こういうのですね。
―― おお、すごい!
もひ研 これは紙がシャッターみたいに開くのがおもしろいなと思って試作品を作ってできたものです。こういうしくみを作って初めてわかったんですが、紙を指で押さえるとズレるんですよ。だから、穴の下にピッタリ絵がくるようにするために、絵の印刷をズラさないといけない。
―― アイデアを形にするために、おのずと細部にこだわる必要が出てくるんですね。紙の材質とかも重要になりそうですね。
量販店でも買えるエプソンのフォトマット紙
もひ研 紙もいろいろな種類を試していますね。試作品を作るときは、エプソンのプリント用紙のかたさが一番しっくりくることがわかりました。商品化されるときの用紙も似た質感のものを使っています。
もひ研 構想がかたまったら、まずは紙に鉛筆でラフを描きます。登場するキャラクターの細かいデザインなどを、想像を膨らませながら絵にしていきます。
もひ研 これは『まいまいHOME』というパラパラ絵本に登場するキャラクターですね。
―― かわいい。
もひ研 それから、パソコンに取りこんで、Photoshopという画像編集ソフトで彩色します。そして、After Effectsという動画編集ソフトで、一度アニメ動画を作ります。
―― まずデジタルで2Dアニメを作ってるんですか?
もひ研 そうです。レイヤーごとにかなり細かく絵や動きを設定しているんですよ。動画ができたらフレームを切り出し、Illustratorというソフトにはりつけて印刷します。できあがったら実際にパラパラしてみて仕上がりを確認し、調整をくわえていきます。
―― デジタル・アナログの垣根なく、いろんな手法を縦横無尽に使っているんですね。
https://www.youtube.com/watch?v=3eS9Ge3iWiE から抜粋
―― ここ、紙がシャッターのように開くアイデアが活かされてますね!
もひ研 アイデアを出す段階ではいろいろと手法を考えて10以上も試作品を作ることもあるんですが、最終的にはシンプルな表現になることが多いです。そのほうがおもしろいんですよね。
―― ところで、これを商品化して大量生産するのは大変じゃないですか? 穴とか開けてるし、鈴が入ってたりもするし。
もひ研 大変らしいです。発行は青幻舎さんという出版社なんですが、紙に穴を開けるためだけに金型を作るんだそうです。穴の形が変わる場合は、それぞれの大きさで別の金型を用意しなくちゃいけない。
―― けっこうお金がかかりそうですね。
もひ研 元をとるためにはたくさん刷らないといけないし、使える金型の数にも制限があります。最近は売れることがわかってきたので、いっぱい穴を開けられるようになりました。鈴はパートのおばさま方がすごい速さでつけているらしいです。
―― 見てみたい……。
店頭設置用のボックスは「もうひとつの研究所」がデザインした特別な品
―― パラパラブックスのことを知りたいと思ったきっかけに、娯楽の電子化の流れがあります。ほとんどの本を電子書籍で買うようになり「紙であることの意味ってなんだろう」と思ったんです。パラパラ絵本は物体であることに意味がありますよね。映像じゃあまり意味がない。
もひ研 そうですね。いま、テレビの中の映像が動くのがあたりまえ、という認識が広がってるけど、パラパラ漫画は手元で紙をめくることで絵が動く。そこが逆に新鮮に感じておもしろいのかもしれません。
―― 特に「パラパラブックス」の作品は、紙ならではのギミックがある。だからなおさら物体として所有したくなります。
もひ研 「もうひとつの研究所」としては「驚き」の要素というか、変なことやりたいという思いがあります。なので「パラパラ作家」としてでなく、いろんな媒体でいろんな手法を試してみたいですね。絵本やインタラクティブなアニメーションなども作ってみたいです。
―― 次の作品がどんな形になるかわかりませんが、「もうひとつの研究所」の新作を楽しみにしています!
多くの読者を魅了する仕掛けたっぷりのパラパラ絵本は、「パラパラ」だからこそ成り立つアイデアに満ちていた。
ちなみに上記画像の作品は「立体的なパラパラ漫画できないかな」と思って作ったらできてしまった飛び出すキノコ(非売品)。紙の層がキノコになって浮かび上がる。すごい。
表現媒体としての紙の可能性は、まだまだ眠っていそうだ。
(おわり)
まいまいHOME (もうひとつの研究所パラパラブックスシリーズvol.10)
株式会社バーグハンバーグバーグ所属。作家名義は品田遊。
排水口の掃除やミントガムの咀嚼など、多方面で活躍中。
ブログ→品田遊ブログ
Twitterアカウント→@d_v_osorezan
神妙な顔つきで失礼します。ライターの根岸達朗です。
みなさんが今、一番怖いことはなんですか?
お金がなくなることでしょうか。それとも病気になって体が思うように動かなくなることでしょうか。親友や恋人から愛想を尽かされるのが怖い、なんていう人もなかにはいるでしょう。いやーわかります。わかりますけれども・・・
しかーし!!!!
私はこの日本という国に暮らしている以上。いや、この地球という星に生きている以上、恐れておきたいことがひとつあると思うのです。それは・・・
火山です!!!!
今、世界には約1500の火山があり、そのうち110の活火山が日本に集中しています。その数なんと、世界の陸上にある火山の7分の1!
陸地面積では世界の0.25%しかない小さな島国に、それだけの火山が集中しているという事実を私たちはどう捉えるべきなのでしょうか。でかい噴火が起きたら絶対ヤバいことになるんじゃないの・・・!?
火山大国に生きる心得を学ぶべく、『火山入門 日本誕生から破局噴火まで』(NHK出版新書)の著者であり、地球物理学者の島村英紀さんに話を聞いてきました。
1941年、東京生まれ。武蔵野学院大学特任教授。東京大学理学部卒業。同大学院修了。理学博士。北海道大学教授、北海道大学地震火山研究観測センター長、国立極地研究所長などを歴任。専門は地球物理学。著書→■
「今日は火山について勉強したいと思っています。よろしくお願いします」
「いいでしょう。まず知っておいてもらいたいのは、火山というのは日本人がこの土地に住み着く前からずっとあったものだということです」
「火山のあった場所に後から我々が住み着いたという?」
「そう。日本人が日本列島に住みついたのは約1万年前ですが、日本列島は約2000万年前からあります。その日本列島をつくったのは火山であり、その下にあるプレートです」
「ふむふむ。プレートというのはどのようなものですか?」
「プレートは卵でいうところの『殻』です。地球は鳥の卵によく似ていて、『黄身』がコア、『白身』がマントル、一番外側の硬い『殻』がプレートです。プレートはいくつにも割れていて、それがマントルの上でお互いに動き回るから噴火や地震が発生するのです」
「へええ」
「火山の噴火は、プレートが衝突することでマグマが生まれ、それが地表に上がってきて起こります。地震もまたプレートの衝突によって地下の岩に歪みがたまり、それが耐えられる限界を超えると発生するのです」
「噴火も地震もすべてプレートの作用なんですね。そのプレートがせめぎあっているのが日本?」
「そう。日本は4つのプレートがせめぎあって2つの火山前線をつくっている世界的にも珍しい場所です。だから火山も多いし、地震も多い。そういう場所に私たちは住んでいるという前提で、あらゆるものごとを考えていかないといけません」
引用:『火山入門 日本誕生から破局噴火まで』(NHK出版新書)P17より
「では、これからどんな噴火が起こると考えられますか?」
「まったくわかりません。ただ、この100年間は火山活動が異常に静かなので、ある日突然、文明を崩壊させるような噴火が起こる可能性はあります」
「文明崩壊って、また・・・」
「本当です。実際、約7300年前に九州南方の海域で起きた『鬼界カルデラ噴火』では、九州地方から西日本一帯にかけての縄文文化が途絶えたんです。それと同じ規模の噴火が起こった場合、日本で1億2千万人が死ぬという試算もあります」
「ええ!? それってほとんど全部じゃないですか……!」
「カルデラ噴火というのは、普通の噴火とは噴火のメカニズムが違っていて、エネルギーが桁違いなんです。日本には屈斜路カルデラ、阿蘇カルデラ、姶良カルデラなどいくつかのカルデラがありますが、そのどれもが噴火の可能性を持っています」
「ではカルデラ噴火ではない、大噴火の場合はどうでしょうか? 文明崩壊とまではいかないまでも・・・」
「いや、それでも文明が崩壊した例はいくつもあります。インドネシアなんか何度も崩壊してますよ」
「ええ。そんな軽く店じまいするみたいに!」
「一番大きかったのは、535年のクラカタウ火山の噴火でしょうね。その当時、ジャワ島西部にはカラタンと呼ばれる高度の文明が栄えていましたが、この噴火によって姿を消しました。しかし、噴火の影響はそれだけにとどまらなかったという説もあります」
「え、どういうことですか?」
「実はこの噴火によって、東ローマ帝国は衰退し、ヨーロッパ中にネズミが媒介するペストが蔓延、イスラム教が誕生し、中央アメリカではマヤ文明が崩壊したともいわれているのです」
「世界中に影響が・・・なぜ?」
「まず大規模な噴火が起こると、火山灰が地球を覆って気候が変わるんです。たとえば、1815年にインドネシアの中南部スンバワ島にあるタンボラ火山が噴火したときは、東京ドーム10万杯分のマグマが噴出し、舞い上がった火山灰が地球に降り注ぐ太陽の光と熱を何年も遮りました」
「東京ドーム10万杯分!?」
「これによって世界中が異常な低温になりました。世界各地で太陽が赤っぽく見えたり、太陽のまわりに大きな輪が出現する『ビショップの輪』も見られました」
「へええ……」
「何年にもわたって冷害が続き、農作物も不作に。核戦争が起こったら訪れると恐れられている『核の冬』と同じことが火山噴火によって起きたのです」
「じゃあ、クラカタウのときにも同じようなことが・・・」
「そう。クラカタウは1883年にも噴火しました。このときは、火山島の一部が吹き飛び、大津波が発生。死者は3万6千人に及びました」
「きょ、凶暴すぎる・・・」
「火山灰による気候変動も起こりその後数年にわたって異様な色の夕焼けが観測されました。ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクが1893年に制作した『叫び』という絵画をご存知ですか?」
「あ、はい」
「あれは、当時の異様な夕焼けがヒントになっていると主張する学者もいます」
「えええ!そうだったんですか。どうりで世紀末的な・・・」
「気候変動が社会にもたらした影響はほかにもあります。たとえば……」
「ちょ……ちょっと待ってくださいー!!!」
「気持ちがざわついてきたので、大好きなぬか床のこと考えていいですか?」
「どうぞ」
「……ああ、落ち着く。続き、お願いします」
「気候変動が社会にもたらした影響というのはほかにもあるんですね。たとえば、1783年に起こったアイスランドのラキ火山と日本の浅間山の大噴火。このときも世界の気候が何年にもわたって異常な寒冷になりました」
「でかい噴火が同じ年に二発ってヤバい」
「実はこれが、世界的な食糧危機に伴う社会不安を生み出し『フランス革命』にもつながったといわれているのです」
「フランス革命!? 歴史的に重要な市民革命まで・・・」
「もちろん、社会への影響だけでなく、噴火そのものの被害にも注意しなければいけないでしょう。たとえば、1902年にカリブ海・西インド諸島にあるマルティニーク島の北部にあるプレー山が噴火したときは、当時の県庁所在地だった人口3万人のサンピエールの街が、ほとんど瞬時に全滅しました」
「瞬時に!?」
「なぜかというと、そのときの噴火から出た1000℃もある火砕流が、新幹線よりも早いスピードで押し寄せたから。この噴火で助かったのは、地下牢に収容されていた囚人3人だけだったそうです」
「……いやあ、火山恐ろしすぎ」
「過剰に恐れるのもよくないですが、この脅威は知っておくべきことでしょう。さらに、もし大噴火が今の時代におきたら、昔とは比べものにならないくらいの被害がでる可能性もあるんですよ」
「ああ、昔より人口も多いから……」
「それもそうなんですが、今の時代はあらゆるものがコンピュータで動いています。火山灰はコンピュータのほんの狭い隙間にも入り込みますから、それによって都市機能がストップする可能性もあるでしょう」
「確かに……そういえば、2年前に箱根山が噴火したとき、大涌谷から出た火山灰でエアコンが全部壊れた宿があったと聞いたことがあります。機械は火山灰に弱いんですね」
「そう。僕たちは文明が発展して便利な暮らしを手に入れたけど、その分、自然災害には弱くなってしまった。そのことをあらためて考えなければいけないでしょう」
「ところで、島村さん。これまで火山の危険な面をクローズアップしてきましたが、現実には火山の恩恵も日本人はたくさん受けてきましたよね?」
「もちろんそうです。まずは温泉ですね。火山の地熱があるから日本中にはたくさんの温泉があります」
「ですよね。そういえば、温泉好きのジモコロ編集長・柿次郎も、屈斜路カルデラの野外温泉は格別だったといっていたなあ」
「ほんとはこの地熱でエネルギーを自給しているアイスランドのように、日本でも地熱をもっと利用したらいいんです」
「できない理由があるんですか?」
「そう。日本では自然公園法が穴を掘るハードルになってることや、意外と費用が高くつくこと、温泉が枯れることを心配する人などもいて、なかなか本格的な運用には至っていないのです」
「ポテンシャルはかなりありそうなのになあ。そのほかにも、火山灰の農業利用も恩恵のひとつですよね?」
「そうです。たとえば、長野や群馬でつくられる『高原レタス』。あれは浅間山から吹き出した、栄養価が高く、水はけのよい火山灰を起源にした土だからできます。鹿児島名物の『桜島大根』も桜島の火山灰を利用していますよ」
「火山灰は一時的には農業に被害を与えるけれど、長い目でみると農業に役立っているんですね」
「園芸に使われる『鹿沼土』もそうです。あれは、関東地方の赤城山から出てきた噴出物の粒を使っています」
「へえ、探せば日本全国にありそうだなあ。では、工業はどうですか?」
「もちろん役立っています。富士山麓にある静岡県富士市の製紙工場群を知っていますか?」
「はい。新幹線からも見えますよね」
「あそこでは富士山の伏流水を利用しています。火山は大きくて高さがあるので、標高の高い場所では雨がたくさん降ります。それがきれいな伏流水となって流れるから、麓ではきれいな水を大量に使うことができるのです」
「火山は、あらゆることに影響を与えているなあ」
「さらにいえば、火山は日本人の自然信仰や精神性にも影響を与えていると思います。それは火山が気候をつくり、日本の四季をつくったから。火山は日本人の存立そのものに関わっているといってもいいでしょう」
「でもですよ島村さん。どんなに火山の恵みに私たちは支えられているとはいっても、さっきお話いただいたように、噴火したらすべてがめちゃめちゃになるかもしれないじゃないですか」
「そのとおりです」
「予知というのはむずかしいんですか?」
「むずかしいんです。本当にわからない。だからどの火山も危ないとしかいえない。戦後最大の被害を出した御嶽山の噴火だって予測できたらよかったと思うけど、それもできなかった。桜島が噴火すると記者会見を開いて警告して、噴火しなかったこともある」
「うーん……。どうしてそんなにむずかしいんですか? 天気予報みたいにはいかないのかなあ」
「天気予報は割と当たりますね。なぜかというと、それは大気の運動方程式がわかっているから。でも、地下で起きていることの方程式はまだないんです。だから僕らは前兆で予知をしようとしてきたんですが、この20〜30年でそれも当てにならないということがわかってきた」
「えええ……予知の壁が」
「そう。昔はトンネルのなかから光が見えた気がしたんです。でも今はその光が消えちゃったという感じ。正直、八方塞がりなんです」
「そうなんですか……」
「もちろん、予知を諦めたわけではありません。ただ、残念ながら、それが地球物理学者として、世界中のあらゆる火山をめぐって研究をしてきた自分の現在地です」
「地球ってまだまだ謎がいっぱいなんですねえ。ところで、島村さんが専門とされている地球物理学というのはどういう学問なんですか?」
「地球のなかがどうなっているかを調べ、それがこれからどうなるかということを考える学問です。僕は地球そのもの、人間が生きる舞台としての地球がおもしろいと思ってこの学問を始めました」
「へええ。ダイナミックだなあ」
「特に僕が研究を続けてきた火山は、地球のなかでもっともダイナミックなものです。地球が生きて動いている証拠ですから、それを研究することは危険もあるけれどとてもおもしろい」
「いやあ、そうでしょうねえ」
「でも今、日本ではこの学問を扱う大学も少なく、その裾野が非常に狭くなっているのです。これは学問としては非常によろしくない」
「火山大国ならもっと発展してもよさそうな学問なのに、どうしてですか?」
「それは、たまたま日本人がこの100年くらいの間に大きな噴火を経験していないこともあるでしょう。災害や地球のことについて学ぶよりも、経済発展のために目に見えて役立つことを学ぶほうが優先されてきた現実もあります」
「ああ。差し迫って必要な学問ではないと考えられてきたと」
「でも、先ほどお話したように、火山はこの世の中のあらゆることにつながっています。そして、いつかかならず噴火します。この学問が今すぐには役立たなくても、それが数十年後に役立って人類を救うということだってあるでしょう」
「はい。そうなってほしいです」
「地球物理学は、人類がこの地球上で生き続けるための学問です。46億年という壮大な歴史を持つこの地球をより深く知ろうとするこれからの知性が、噴火予知の未来を切り開いてくれることにも期待しています」
いつ噴火するのかわからない多くの火山とともに生きることを定められている日本人。火山による経済損失は世界一といわれているけれど、なくなって悲しいのはお金じゃなくて命です。
自分が住んでいるところにはどんな火山があって、それが噴火した場合にはどのようなことが起こりうるのか。日頃から防災に対する意識を持つことはもちろん、いざというときのために自然のなかで生き抜く知恵を蓄えておくことも大切かもしれません。
地球物理学者・島村英紀さんの『火山入門 日本誕生から破局噴火まで』は、日本人なら誰もが知っておきたい火山の知識が詰まった一冊。いつかの日に備える気持ちで、まずは「足元」の脅威を知ることからはじめてみてはいかがでしょうか。
ではまた!
ライター。発酵おじさん。縄文好き。合気道白帯。ニュータウンで子育てしながら、毎日ぬか床ひっくり返してます。メール:negishi.tatsuro@gmail.com、Twitter ID:@onceagain74/Facebook:根岸達朗
東京で生活するマンガ家・シベリカ子が、夫のロシア人男性・P氏と共に、日本をレポートします。料理や文化など、ロシア人から見た日本や東京を、優しい絵柄でのんびり切り取りますよ!
きっとハラショー(素敵)なニッポンが待っている……?
●シベリカ子の単行本情報
埼玉県出身、東京都在住。漫画家、イラストレーター。ロシア人の夫と1年間ロシアに滞在した時のことを描いたコミックエッセイ「おいしいロシア」で単行本デビュー。
ツイッター:@ShibeRikako
ブログ:シベリカ通信
●「柳田さんと民話」とは?
ひとり旅を趣味とする男性・柳田久仁夫が、日本各地で地元に伝わる民話を聞き歩く、ユルくておもしろくてためにならない8コママンガです。
1980年大阪生まれ。2008年、『ポテン生活』で第23回MANGA OPEN大賞受賞。単行本『ポテン生活』全10巻、『おやおやこども』が好評発売中。Docomoエンタメウィークで『マコとマコト』連載中。木下晋也公式サイト、cakesでもいくつか作品を公開中です。趣味はプロレス観戦。Twitter/Facebook
あ~っ!!あれは!
ハッピードリンクショップだ〜!!
冒頭からハイテンションで失礼いたしました。
こんにちは、ライターのナカノです。
みなさんはハッピードリンクショップをご存知でしょうか。
ハッピードリンクショップとは山梨・長野で展開されている自動販売機がずらっと並んだスポットのこと。
田舎道を走っていると突如現れる、青地に黄色の文字で書かれたごきげんな看板。その先にはずらーっと自販機が並んでいます。
甲信地方の雄、ハッピードリンクショップ。見かけるたびに何かテンション上がる。 pic.twitter.com/14oipqs65l
— 昭和な男(相互) (@shikarare084) 2017年8月13日
甲信地方には「ハッピードリンクショップ」なるものが至るところにありまする。ドライブの休憩によく使うゾ。 pic.twitter.com/8QcztXJW3v
— えんどうまめ (@NEKI_END) 2017年8月8日
車を走らせると高確率で目にする、あの謎の自販機群「ハッピードリンクショップ」って一体なんなの⁈
そこで訪れたのが自動販売機「ハッピードリンクショップ」の運営を行う山梨県笛吹市の株式会社フローレンです。
今回、お話を伺った常務取締役の菅野照彦さん。ハッピードリンクショップの歴史を知る重要な人物で、好きな飲み物は「ポッカサッポロ / カフェ・ド・クリエアイスティー微糖(500ml)」だそうです。
「わー!ここが本社前のハッピードリンクショップ。実は私の自宅から徒歩圏内に3店舗あって、かなり重宝しています!」
「ありがとうございます。現在、長野県と山梨県でおよそ600店舗ずつ展開していますよ」
「合計1200店舗!?」
「はい。頑張って増やしました!」
「想像以上に多い。率直な質問なのですが、そもそもハッピードリンクショップってなんなんですか?」
「ある条件を満たして自動販売機が4台以上並んでいたら、それはもうハッピードリンクショップですね」
「(概念なの?)ええっ、どういうことですか!」
「ハッピードリンクショップの出店条件はなんでしょうか?」
「ハッピードリンクショップは、運転中のお客さんがメインターゲット。ドライバーは40〜50キロのスピードで走っていますよね? 自動販売機の存在に気づいも、間口が狭いとなかなか止まりづらい。そこで、なるべく間口を広くして車が入りやすいスペースが不可欠になります」
「なるほど!」
「特に長野や山梨のような地方では、町から町へ行くのに田舎道を走ることが多い。町まで距離があり、なおかつコンビニが出店していない場所に、点々と自販機があることも特徴かもしれませんね」
「たしかにそうですよね。真っ暗な夜道を走っている時にハッピードリンクショップを見つけると安心感があります」
あっ、そうだ、ハッピードリンクショップにはまじで助けられた。いや、ドリンクを買ったとかじゃなくて、そこにいてくれることにすごく心救われた。夜の山道おっかねーって思ってて、なかなか山終わんねーよ…何って思ってるときに、行きに見たハッピードリンクショップが見えたときには本当に安心した
— 不知火祐希@カツゲキィ… (@mya121x) 2017年8月13日
「出店に関してですが、実はハッピードリンクショップに適した土地を見つけてからが大変なんですよ」
「場所を借りて自販機を置くってことですよね。簡単じゃないですか。ドーンと置いちゃえば。そんなに大変なんですか?」
「それがですね…。まず地主さんを探す必要があります。土地をお貸しいただけることになったら、地面の舗装工事や電気工事、そして自販機の発注や看板の発注を行って…いろんな作業工程を経て完成です。電線が国道や県道をまたぐ場合は、許可をとるのに時間がかかることもあるんですよ」
「想像の118倍大変だし、関わる人も多いですね。想像以上に大変だ。完成までどれぐらい時間がかかるんでしょうか?」
「土地を見つけてから、平均3~4週間でしょうか。中には新しく道路ができたことで旧道沿いの店舗の客足が減り、止む無く撤退することもありますね」
「アンハッピードリンクショップですね……」
「え、あ、はい」
「ハッピードリンクショップ」の名称は社内公募で決定。
老若男女問わず覚えやすいようシンプルなネーミングを意識したそうです。
走行中でも認識してもらえるよう看板は青地に黄色。菅野さんいわく「飲料を連想させる色で青を採用した」とのこと。
「そもそもハッピードリンクショップってどういった経緯でできたんですか?」
「ハッピードリンクショップが誕生したのは今から14年前の平成15年。それ以前の弊社の事業は一般商店、地元企業との取引が中心でした」
「一般商店?」
「今は減少傾向にありますが、『◯◯商店』とか『◯◯たばこ』といった名称の店舗を見たことがありませんか?」
「ああっ!なんとなくイメージ湧きます。おじいちゃんやおばあちゃんが細々とやっていて、生活用品とかお菓子とかが売っているお店ですよね」
「そうです。最初はそういった一般商店の前に自販機を置かせてもらっていました。当時は管理も店舗側にお任せで。店舗経営者の高齢化によって、だんだん自販機の設置件数が減ってしまいまして…」
「高齢化の波が……!」
「さらに機械の構造もデジタル化したことで、高齢者では管理が難しくなってきました。そこで場所と電源をお借りし、弊社が商品の補充など自販機の管理を行う『フルサービス』の形態が主流になってきました」
「たしかに最近、お店のおばあちゃんがガラガラと缶ジュースを補充する姿って見ないですね!」
併設されている倉庫には、ダンボールに入った大量の飲料が! 小売店への卸用、自販機への補充用に分けられて、毎日トラックで運ばれていきます。
「これは重いわー」と同行したジモコロ編集長・柿次郎さん。
確かにおじいちゃんおばあちゃんが管理するのは一苦労かも。
「そうでしょう。さらに時代が進むとともに大型スーパーやコンビニの参入が増え、一般商店はどんどん減少していく……。次なる一手として考えたのがハッピードリンクショップでした」
「ついに!」
「ナカノさんは『オートスナック』をご存知ですか?」
※オートスナックとは…
高速道路が今より開通していなかった1970年代頃から、国道沿いを中心に設置された自販機の並ぶ24時間開かれた施設のことです。長距離トラックのドライバーなどの憩いの場。飲料の自販機だけでなく、ハンバーガーやうどんなどバラエティに富んでいた。
「オートスナック! 最近テレビで見ましたよ。レトロな自販機が並んでいるやつ…!」
「そうですそうです。一時期から、商店と代わって競合であるコンビニの出店が増えてきました。そこで一昔前に流行ったオートスナックにヒントを得て、誰でも気軽に立ち寄れる自販機コーナーを復活させたいと、先代の社長が考案したのがハッピードリンクショップなんです。現在弊社は、一般得意先とのお取引きとハッピードリンクショップの二本柱で運営しています」
「ハッピードリンクショップはいわばコンビニへの対抗馬ってことですね。時代の流れだなぁ…。ちなみに競合であるコンビニとの差別化はしているんですか?」
実は山梨県・長野県だけでなく静岡県にも5店舗ほど存在するとのこと。運営会社が違い、先代の社長が友人に名前を貸す「のれん分け」。見つけたら相当レア!
「なんと言ってもコンビニに負けない品揃えですね。先に上げたように品揃えを考慮して、原則ハッピードリンクショップは4台以上の自販機の設置を条件としています」
「たしかにドリンクの種類が多い!」
「中には売上は見込めそうだけど、場所の関係で3台しか置けない場合もあります。そのような場合、例外として『WITH』や『ハッピードリンクショップミニ』といった名前で展開しています」
「うわ~たまに見かけます『WITH』! これってレアケースだったんですね」
ハッピードリンクショップグループの『WITH』。通常のハッピードリンクショップよりも自販機の数が少ないぞ!レアだしキャラゆるすぎ。 pic.twitter.com/6D8Rf6apkW
— ナカノヒトミ@秋田8/28-9/1 (@jimonakano) 2017年8月22日
「品揃えという点では、例えば10年ほど前に流行ったおでん缶を2年前に復刻版として販売してみたり、しじみの味噌汁やシュークリームドリンクなど変わった飲料を入れてみたり。時には柿の種などのおつまみを入れたりと、消費者の方が飽きないような珍しい商品の販売も行っています」
「自販機で変わり種の商品を見つけると、つい買ってみようかなという気になりますね! 自販機専用販売ってPOPも最近は見かけますし」
「それも差別化の一環ですね。コンビニ毎に独自販売しているPB(プライベートブランド)商品に対抗する意味でも、自販機独自の商品を各飲料メーカーさんが出してくださっています」
「言われてみればコンビニの品揃えって固定化していて、人気商品とプライベートブランドの商品で埋まってるような印象があります」
「フローレンさんでは、飲料の開発はやっていないんですか? ハッピードリンクショップ限定のドリンクがあったらすごく売れそうだな~って思ったんですけど」
「実は、以前お仲間の企業さんからお声がけをいただいたんです」
「そうなんですか! まさかハッピードリンクショップのハッピードリンクが⁈」
「残念ながら叶わず…。大量生産すれば商品自体は安くつくれるんです。ただ、ダミーをつくるのにかなりのコストがかかるんですよ……」
「昔は耐食性・耐光性のインクで印刷された缶を差し込んでいましたが、今は色鮮やかで透過性のあるプラスティック素材に変わりました。半切りという半分の状態で自販機にパカっとハマっています」
「あ、意識したことなかったけど、いつの間にかこの形状に変わってたかも!」
「遠くから見ても色が映えますし、夜間は照明の光が透けてとても明るく見えるので、購買意欲をかきたてられるんです。しかし、弊社でオリジナルドリンクを作るとなると、ダミーの版代・印刷代を自社で負担しなければなりません。自社の自販機での専売となると、印刷のロット数も限られるので高くついてしまうんですよ…」
「なるほど……技術が進んだからこそ、かかってしまうコストですね……」
「ちなみに、売れ筋の商品ってあったりするんですか? ターゲットがドライバーさんだからコーヒーは売れそうな気がしますけど…」
「コーヒーやお茶は定番商品として安定した売上がありますね。飲料にも流行りがあるのですが、最近だと『いちごみるく』がよく売れていますね」
「いちごみるくが売れる⁈ どうして⁈」
「どうしてでしょうね(笑)。理由は定かではないですが、推測するに100円で500mlのお得感があることと、デザインの可愛さや鮮やかさではないでしょうか? 学生さんや女性の方にウケそうですよね」
「うーん。言われてみると一番上にあって目立つし100円なのも魅力的かも。知らないところでマーケティング展開が進んでいたんですね」
「一時期はコンビニにも入っていたようですが、商品の供給が追いつかず自販機とドラッグストアに販路を狭めたそうです。今はメーカーが製造ラインを増やして安定供給ができるようになったみたいですが」
「すごい……。コンビニの売上が伸びていると言われつつも、こうやって自販機発のブームが生まれていることに嬉しさを感じます」
「まだまだコンビニと比べると売上的に厳しい傾向にありますけどね。時代のニーズに合わせてマーケティング面でもコツコツと工夫を重ねていきたいと思います」
当たり前ですが、スーパーやコンビニに行けば何でも揃ってしまう時代。
普段なにげなく利用していたハッピードリンクショップですが、よくよく振り返ってみると、確かに設置場所は近くにスーパーやコンビニのない土地が多いかも?!
新規開拓を続けるフローレンさんの営業部隊に感謝しかない…!
商品の品揃えもさることながら、ひと目みると安心感を与えてくれるハッピードリンクショップに敬意を込め、発見した時には声を揃えて言いましょう!
あ!あれは、ハッピードリンクショップだ〜!
【山梨県民・長野県民に告ぐ】明日10時に山梨県民、長野県民が歓喜する自動販売機界のオアシス「ハッピードリンクショップ」の取材記事をジモコロで公開します。#ハッピードリンクショップ
— 徳谷 柿次郎(Huuuu inc.) (@kakijiro) 2017年9月4日
このハッシュタグでハッピードリンクショップへの愛を投稿してもらえると嬉しいです!盛り上げよう! pic.twitter.com/1gAlVYmVYH
(おわり)
1990年長野県佐久市生まれ。
長野↔東京で二拠点生活の実験中。
twitter: @jimonakano/個人ブログ: ナガノのナカノ
21歳からカメラとバックパックを持って日本放浪の旅に出る。
全国各地を周りながら撮った写真を路上で販売し生き延びる生活を続け、沢山の出逢いと経験を積む。
現在は東京に落ち着きカメラマンとして活動中。
Instagram : @fujiwara_kei
カンッカンッカンッ
シュイィィィーン
ストンッ
鉄の塊を叩いて、曲げて、磨いて、美しい鋏に仕上げる。何十年もかけて培われた職人の勘と技術のなせる技です。こうした職人技術はさまざまな分野にわたり、古くからこの日本で脈々と受け継がれてきました。
しかし今、日本全国で職人文化が滅びつつあるんです。
「滅ぶ」という響きで神妙な顔になってしまいました。ライターの友光だんごです。
「職人文化がヤバい」っていう話はよく耳にするんですが、具体的にどうヤバいのか、僕なりにまとめてみました。
例えば、日本の鍛治職人をフィールドワークし、現状をまとめた本には次のように書いてあります。
(戦後になって)良いものかどうかは別にして、大量生産によって安いものができるようになり、今の人はすぐに新しいものに手を出すようになってしまった。昔は新しいものが高価であったため、一度買ったものは完全にダメになってしまうまで修理をして使っていた。
『生き残れ!日本の職人文化』(齋藤貴之著・風響社刊)から引用
かつて、生活に関わる道具は職人の手で作られていました。道具が壊れたら職人が修理し、長く使うのが当たり前でした。
しかし、戦後に大量生産の波が押し寄せ、大きな価値観の転換が起こります。すると…
ということに。現状は④がまさに進行中で、職人がどんどん減ってしまっているというわけです。
ただ、『職人がいなくなってなにが困るの?』と思う人もいるかもしれませんよね。ということで、職人代表の話を聞いてみたいと思います。手塚さーん!!
最近では「FUNAI」の4K液晶テレビのCMに登場するなど、活躍の場を広げる飴細工職人・手塚新理さんに話を聞いてみました。
手塚工藝株式会社代表。1989年、千葉県生まれ。幼少より造形や彫刻に勤しみ、飴細工 アメシンとして全国各地にて製作実演や体験教室、オーダーメイド等を手掛けてきた、日本随一の技術力を誇る飴細工師。2013年、東京浅草に飴細工の工房店舗「浅草 飴細工アメシン」を設立。現在、7名の弟子を抱える。
「飴に細工をするときに、僕は特別な握り鋏を使っています」
「この鋏を作ることができるのは、もう日本でただ1人、兵庫・小野市の水池長弥さんしかいません。なぜなら、水池さんの持つ『手打ち』という技術なしに、細かな調整ができないからです。水池さんがいなくなれば、僕の握り鋏は新しく作れなくなる。つまり、職人がいなくなるということは、技術が途絶えるということなんです」
「何十年、何百年とかけて受け継がれてきた技術が失われるって大変なことですね…」
「職人の技術は、師匠の元で何年と修行して『身につける』ものがほとんど。だから、途絶えた技術を後から復活させるのはかなり難しいんです」
「この悪い流れを断ち切らなきゃいけないんですが、職人の側も自分たちの技術を安売りすることに慣れてしまい、状況を改善する方向に動く余裕のある人が少ないんです。作ったものを気軽に人にあげちゃったり、技術に見合わない値段で仕事を引き受けたり」
「まさに悪循環ですね」
「なにより、一番の問題は『知られていない』ということです。危機的状況も、技術の価値も、知られていない。問題が表面化したときには時すでに遅しで、貴重な技術が途絶えてしまっています」
「なんかもう、『ないない』づくしでお腹痛くなってきました」
「ただ、なんとか状況を改善しようと動いてる人もいます。僕の知り合いなんですが、会ってみますか?」
「行きます!明るい話が聞きたい〜〜!!」
兵庫・小野市の「小林表具店」にやって来ました。ジモコロ編集長の柿次郎も一緒です。
小野市は古くから、そろばんや刃物作りといった産業が盛ん。つまり、職人文化が根付く土地なんです。今回訪ねた人も職人の息子さん。ただし、家業を継ぐのではなく、デザイナーとして、地元の職人問題の解決に取り組んでいます。
1986年兵庫県生まれ。実家は代々続く表具店「小林表具店」。大阪芸大でプロダクトデザインを学ぶ。大学卒業後、地元の兵庫・小野市に戻り、2011年にデザインスタジオ「 合同会社シーラカンス食堂 」を設立。2016年「MUJUN」をオランダ・アムステルダムに設立。小野の伝統工芸「そろばん」や「播州刃物」をはじめ、日本各地の地域財産を世界市場へ向け「 伝える」ことに注力した販路開拓に取り組む。
「僕が飴細工で使う握り鋏も小野市の『播州刃物』。そのブランディングを手がけているのが小林さんなんです」
「実家はふすまや障子、掛け軸を扱う『表具店』です。曽祖父が京都で創業して、祖父、父と代々職人ですが、僕はデザイナーになりました」
「職人の息子がデザイナーに!」
「単に製品をデザインするだけではなく、『ブランドとしての見せ方』『売り方』から変えて、職人さんの現状を良くしたいと思ってます」
「小林さんが『継がなかった』理由、気になるな」
「10代の頃は家業や地元の産業に関心が薄くて。絵やものづくりに自信があったのでデザイナーになろうと大阪芸大へ進学しました。その在学中に瀬戸内海の豊島に滞在した時期があって、地元の漁師さんとすごく仲良くなったんです。『船やろうか』なんて言われたりして」
「めっちゃ気に入られてる!」
「漁師も後継者問題が深刻ですから。漁師さんたちと話してるうちに、『そういえば自分の地元のこと、全然知らんな』と思ったんです。そこで初めて『地元』っていう視点ができて、帰りたくなって。大学卒業後に小野市へ戻って、デザイン事務所を開きました」
「一度、外へ出たことで、改めて地元に興味が湧いたんですね。ふすま職人のお父さんとの関係が気になってるんですが、デザイナーになるって言って『馬鹿もーん!』みたいに怒られたりしませんでした?」
「いえ、一緒に仕事をしてますよ。僕の参加する展示会の什器を父に作ってもらったり、僕が関わっている掛け軸を作るプロジェクトにも協力してもらったりしています。ちゃんと仕事として発注してますよ」
「息子がクライアントとして父親に仕事を依頼してるんですね」
「めちゃいい親子関係じゃないですか!」
「実家との仕事は一番難しいですけどね。職人の親子と同じだと思います。父にもプライドがあるから」
「職人をめぐる問題って解決が不可能なくらい複雑に思えるんですが、小林さんはどんな風に取り組んでるんですか?」
「一言でいうと『売り方から変える』ですね。そもそも、職人問題にはいろんな『矛盾』があると思っていて」
「矛盾ですか」
「たとえば『儲からない』。そもそも、『職人のこだわり』と『金儲け』って矛盾するんですよ。儲けるにはたくさん作ってたくさん売るのが一番ですが、職人さんも人間なので、1日に作れる量は限界がありますよね」
「職人としてはひとつひとつのクオリティを落として量産するわけにはいかないですから、物理的な限界があります」
「材料の原価率もそう変わらないし、送料や消費税だってかかる。だとしたら、解決法は売り方を変えて、価格を上げるしかないんです。そのために、『播州刃物』というブランド戦略を立てました」
当初は小野の刃物組合から「新しいデザインを」と頼まれましたが、その高い技術に感動し、「そのままでいい」と感じたという小林さん。デザイン以前に、「見せ方」「売り方」を変えることに取り組み始めました。
「ブランド化して、刃物の価値を高めたんですね。値段を上げれば職人さんの儲けも増え、余裕も生まれますね」
「ただ、新しいブランドとして売り出しても、今までと同じ国内の販路では、パッケージを変えて価格が高くなっただけと思われてしまいます。そこで、新たな販路を開拓しています」
「国内でなければ…海外?」
「はい。そして、販路といっても、ただ向こうへ商品を卸すだけでは駄目なんです。なぜなら、いくら刃物が一流でも、その価値を店頭で伝えられないと、お客さんにはわからないですよね。それなら、いっそ現地に店を作ればいいと思ったんです。いずれ、オランダとニューヨークとシドニーに店を開こうとしてます」
「えええ!海外にお店!」
「『MUJUN』というプロジェクト名で、海外進出を進めています」
「ヨーロッパは『合理化』の歴史なので、伝統的な製法の刃物はあんまり残ってないんです。販路として未開拓なので、とても可能性を感じていて」
「オランダは、江戸時代に鎖国中の日本と貿易してましたよね。日本文化になじみがありそうな」
「国立民族博物館に日本の工芸品や文物を集めた『シーボルト・コレクション』があったり、ライデン大学には日本語コースもあったりしますね。日本語コースには、江戸オタクとか明治オタクのオランダ人がいっぱいいますよ」
「そういうところに日本の刃物の店ができたらめちゃくちゃウケそうですね」
「現在はアムステルダムを拠点に、各地のミュージアムでポップアップショップを展開しているところです」
「一気に海外へ行っちゃう行動力がすごいな」
「海外に店ができれば、向こうへ商品を卸したり、商品開発の相談を受ける窓口になります。なにより、製品のよさをきちんと伝えられて、かつメンテナンスもできる人を置くことができます」
「職人さんの刃物って長く使えると聞きますが、手入れがあってこそですもんね」
「数日間の展示会でものを売っても、その後のケアがないと結局は定着しないんですよ。売り方を変えるということは、定着させるためのシステムまで作るということ。一時的に関わるんじゃなくて、一事業者として、真剣に向き合わないと駄目だと思うんです」
「初めて展示会に『播州刃物』を出展したとき、小野の職人さんを会場に呼んで、お客さんが技術に驚く様子を見てもらったんです。今まで小野の職人はお客さんの反応を直接見る機会が無かったんですが、リアクションを生で見ると、その後の張り切りようが違って」
「誰が使うかもわからず作るより、モチベーション上がりますよね。ライターだって、記事の反応を見るのがいちばん嬉しいですから」
「職人さんは本当に凄い技術を持ってるんです。もっと職人という仕事が正当に評価されるべきで、そのために僕は『見せ方』『売り方』を変えます。そして適正な需要が生まれることで、職人さんにちゃんとお金が入って、自分の仕事に自信を持って欲しいんです」
「後継者の問題も、職人さんに余裕が生まれないと解決は難しそうですもんね」
「金銭的にも、時間的にもですね。僕もメディアに出ることで、職人がかっこいいって思わせたいんです。子どもが『なりたい』って憧れるくらいにならないと。我々若い世代がどれだけ頑張れるかだと思います」
「技術の素晴らしさや何が問題かを知ってもらって、世の中の価値観を少しずつ変えていくしかないですね。僕たちメディアも頑張らないと…!」
「ご縁しか信じない」という小林さん。デザイナーを志して一度は地元を出るも、さまざまなご縁に導かれた結果、地元の職人文化を守り、次世代へ繋げるべく奔走しています。
閉塞した伝統文化を、若い世代の革新的なアイデアが変えていく。ここ小野市は、そうした幸福な連鎖が生まれている場所でした。「播州刃物」がやがて「BANSHU HAMONO」として世界的ブランドになることも、夢ではないように思います。
複雑になってしまった問題を解決するには、小手先ではなく、根っこから変えること。時間をかけて取り組むこと。
「時すでに遅し」になってしまう前に、できることはまだまだあるはずです。
↓職人さんに取材したジモコロの記事はコチラ
編集者/ライター。1989年岡山生まれ。Huuuu所属。犬とビールを見ると駆けだす。Facebook:友光だんご / Twitter:@inutekina / 個人ブログ:友光だんご日記 / Mail: dango(a)huuuu.jp
長野県奥信濃発のフリーペーパー『鶴と亀』で編集者兼フォトグラファーをやっている。1991年生まれ。ばあちゃん子。生まれ育った長野県飯山市を拠点に、奥信濃らしい生き方を目指し活動中。
こんにちは、ジモコロを運営している株式会社バーグハンバーグバーグの取締役社長・シモダです。
会社という生き物がもっとも重視しなければいけないのは、外交よりもむしろ内部のコミュニケーションではないか?
という信念のもと、今回は、このようなお題で社員を集め、話し合いの場を設けてみました。
今回のテーマは「人生のターニングポイント」。自らが思う、「あの時のアレがターニングポイントだったな」っていう話を聞いてみたい!
そこで、なかなか濃い人生を歩んでそうな3人に集まってもらいました。
メンバー紹介
2010年6月に株式会社バーグハンバーグバーグを設立
オモコロなどで活躍するブロガー。小学生の先生を目指していた
もともとは上昇志向の強い人間だったそうだが……?
実家のガソリンスタンドを継ぐために、修行として上京
「今回は、みなさんの人生のターニングポイントを教えてください。例として、僕の場合をお話しすると……なんといっても、学生時代にテキストサイトにどっぷりハマったというのが大きいです」
「テキストサイトが流行ったのって、十何年前ですよね」
テキストサイトとは―
1990年代中期から2000年代前期に日本で流行した日記サイト。特にエンターテイメント性を重んじたウェブサイトのこと
「自分でも趣味でテキストサイトを運営して、就職した後も仲間を集めてオモコロというサイトを立ち上げました。これが1番のターニングポイントですね」
「僕もオモコロに参加していなければ、ここにいませんからね」
「サラリーマンをやりながらだったんで、キツイ時期もありましたが……メンバーがどんどん集まってきて、やがて規模が大きくなって、会社を立ち上げることになります。それが株式会社バーグハンバーグバーグです」
「もし『サラリーマンとの二足のわらじはキツい』という理由で、オモコロを立ち上げなければ……?」
「この会社は存在してませんね。前職で、一生ヒラ社員のまま働いていたと思います」
「そしたら、ここにいる全員の人生が違っていたんでしょうね」
「ですね。こんな感じで、みなさんの人生の転機を教えてください」
「じゃあ最初はARuFaくんからお願いします。知り合った頃はすでに人気ブロガーだったから、それ以前のことってあまり知らないね」
「僕のターニングポイントは、ブログを始めるもっと前の話……僕の性格を構成するに至ったエピソードです」
「なるほど。ARuFaくんをARuFaくん足らしめている性格は、後天的なものだったと」
「そうなんです。僕、小学2年生まではそこそこ大人しい性格で。足の速さも、ドッジボールもまぁまぁ普通……カーストも中の下くらいだったんです。そんな僕が変わるきっかけになったのが矢島です」
「誰?」
「小3の時の僕のクラスメイト、矢島です。どういうやつかと言うと、めちゃめちゃ面白いやつです」
「知ってるわけないし、説明が雑すぎる」
「矢島も僕と同じで、能力的には普通の人間でした。たったひとつ僕と違ったのは、メチャクチャ面白かったという点だけ。でもその一点のおかげで、クラスで一番の人気者だったんです」
「いるなぁ、そういうやつ」
「小学生のステータスである『足の速さ』や『ドッジボールの強さ』を全て無視して面白さだけで友達がたくさんいる矢島は衝撃的でした。そして気付けば僕も矢島の友達になっていたので、矢島の面白さの仕組みを研究することにしました」
「研究?」
「そうです。常に近くで矢島を観察し、矢島の技を一つひとつ分析しました。『あの話し方ならウケるのか』『その牛乳の飲み方ならみんな笑うんだ』という感じで、一年間勉強したんです」
「真面目なのかバカなのかどっちなんだ」
「一年後、4年生になって、矢島とは別のクラスになりました。そこで、矢島がやっていたようなことを、今こそ試してみようと」
「どうだったの?」
「爆裂にウケました。で、その辺から性格も明るくなったので、小2の頃の僕を知ってるやつは、みんな『急に明るくなったね』って言ってました」
「今の明るいARuFaくんは、矢島のおかげで生まれたんだ!」
「ちなみに矢島の持ちギャグは『自転車に乗っている時にターミネーターのモノマネをしながら竹藪につっこむ』というものでした」
「ムチャクチャすんな」
「矢島は、今は何してるの?」
「前にミクシィのプロフィール画像をみたらホストやってるっぽかったです。喋りが上手かったから楽しそう」
「もし矢島に会ってなかったら、どうなってた?」
「そのまま暗い性格だったかもしれません。個人ブログを開設して、学校のムカつく奴等の苗字をモジったキャラを自分がかっこよく殴り倒す創作小説とか書いてたかも」
「バーグハンバーグバーグに入るきっかけにもなった『ARuFaの日記』が、カスみたいなブログになってたかもしれない?」
「このターニングポイントは“性格”という目に見えないものだったけど、物理的な変化はあった?」
「矢島のおかげで、めちゃめちゃ小学校の生活が楽しくなったので、進路として教師を目指すことにしました。そして、そこで第二のターニングポイントを迎えることになります」
「中学から始めた個人ブログもどんどん楽しくなってきて、大学生まで続けていたんですけど、教育学科を出て教師になるか、ブログを続けるかという問題でかなり悩むことになります」
「ずっと続けてたブログとはいえ、大学まで行ってるんだから教師になるっていう選択肢も、もちろんある。悩むところだね」
「悩みながらも、とりあえず必修だった教育実習に行ったんですね。そしたら、めちゃ楽しいんですよ! これなら教師目指せるかなって。実習校は小学校だったんですが、子どもたちも みんなかわいくて……」
「じゃあ小学校の先生には本気でなりたかったんだ」
「当時はそう思っていましたね」
「じゃあ、何でライターになろうと思ったの?」
「実習期間中のある日、休み時間に、思い詰めたような表情の女の子が近づいてきたんです。大学で聞いた話なんですけど児童から実習生への告白っていうのが結構あるしくて、『必ず断わること』って大学で言われてました。そりゃそうですよね」
「恋の告白!? それはドキドキするね」
「で、『来るぞ、来るぞ……!』と思いながら待っていると、その子が、ゆっくりと口を開きました。『先生って、“ARuFaの日記”のARuFaでしょ?』って」
「うわー! 身バレしたんだ。“ARuFaの日記”は下ネタとかも多いから、公になると印象悪いよね」
「そう思って『他の先生には内緒だよ?』って言ったんですけど、『校長先生に言ってやろ』とかいってからかわれて……教育実習中のわずかな期間でバレるなら、もう無理だなと」
「教師になったらもっとバレやすいし、バレた場合はシャレにならないからね」
「ですね。その瞬間に、教師の道は諦めてライターを目指すことにして、今に至ります。あの女の子の告白は、今では『よく言ってくれた!』と思って感謝してるんです」
「その女の子、今もこの記事を読んでくれてるかもしれないね。まさか自分がARuFaの人生を変えたとは知らずに」
「続いては長島さんのターニングポイントを教えてください。今でこそ同じ会社で働いてますけど、昔は取引先の人間、という関係でしたよね?」
「ですね。昔の僕はとにかく上昇志向が強くて、ガンガン働いてキャリアを積むぞ~!っていう人間でした。そんな時、仕事でシモダさん(バーグハンバーグバーグ)と会う機会があって」
「よく憶えてます。その……印象深い人物……だったから」
「とにかく名を上げて有名になりたかった僕は、『取引先としてではなく、個人でバーグハンバーグバーグと組めば、一発逆転で有名になれるのでは』と思いつきまして。何かできませんか?と依頼したんです」
「個人的に?」
「完全に個人的な相談ですね。その時に生まれたのがイケてるしやばい男 長島という企画。何者でもない男(自分)のことを、あらゆる手段で宣伝してもらうっていう」
「個人からの依頼というのも話題になって、かなりウケてくれました。あれ、何か影響はありました?」
「Twitterのフォロワーが100倍に増えて、バレンタインチョコが200個くらいもらえました。周りの目も変わりましたね。『個人で依頼したんだって? すごく面白い発想じゃないか』なんて」
「特定の個人が、存在としてバズるって、あまりないことですからね」
「大きな転機でした。有名になって、ビジネス的にも良い武器になった。あと、まあ……やんわりチヤホヤされましたよね」
「調子乗ってたわけですね? もしそのターニングポイントがなかったら?」
「なかったら……名を上げるためにバリバリ仕事して、今頃は政治家とか目指してたかもしれません。金と地位にほんと弱かった」
「数字のためなら人の感情なんてどうでもいいという、合理的な奴になってそう。今もちょっとその傾向はありますけどね」
「ないですよ! でもあんな上昇志向が強い人間が政治の世界に入ってたら、癒着とか不倫とかですっぱ抜かれてたんだろうなぁ」
「仕事も順調。イケヤバのおかげでネットでは有名になった。最高じゃないですか」
「そうですね。しかも32歳の時に転職して、グイグイ来てる成長企業に入社できたんです。さぁこれから頂点に駆け上がるぞ~!という、まさにそのタイミングで、人生2度めのターニングポイントがきたんですね」
「ここまでは順風満帆に思えますけど……どういうターニングポイントが?」
「転職一ヶ月で交通事故に遭ったんです。それが結構深刻な状態で。脳挫傷、頭蓋骨骨折、くも膜下出血で、意識不明の重体になりました」
「えええぇぇ~~~!!!」
「何より困ったのが、言語障害や記憶障害が起こったってこと。神経が傷ついたせいで、うまく喋れなくなって、昔の記憶も所々抜け落ちてるみたいなんです」
「ひょっとして、今も記憶がなくなってるところがあるかもしれない?」
「あると思います。言語障害の方はまぁまぁ治ったんですけど、記憶に関しては、失った部分は思い出せないんで。抜け落ちたままということは考えられますね」
「うわぁ、自分ではわからないってところが怖いですね」
「せっかく築いたキャリアがゼロに……さぞかしつらかったでしょうね」
「いや、地位や名誉を求める気持ちが少なくなっちゃいました。死を意識した時、いつ死ぬかわからないなら、片っ端からやりたい事や楽しいことを追求したい!ってすごく思ったんです」
「それでバーグハンバーグバーグに入社したんですね!」
「死を身近に感じると、人生観が変わるって言いますよね。グラップラー刃牙のガイアもそんなこと言ってました」
「今、ガイアの話はしてませんでしたよね?」
「最後はかんちくんのターニングポイントを聞かせてもらおうかな」
「僕も中学時代からホームページを持っていて日記などをアップしていたんですけど、今から14年ほど前にテレビで『ジャッカス・ザ・ムービー』という映画のDVDを紹介していたんです」
「『ジャッカス』って、体を張ってバカなことやってるアメリカの番組ですよね?」
「ですね。その中で、“お尻に肉をくっつけてワニの上を綱渡りする”っていう過激なことをやっていて衝撃を受けました。その時に『僕も体を張って笑いをとりたい!』と思いまして」
「リアクション芸人みたいなものに憧れたわけね」
「その日のうちにDVDを買いに行きました。で、とりあえずやってみよう!ということで、お尻にロケット花火を刺す動画とか、こちらに向かってくる打ち上げ花火を剣で斬る動画とか、色んな動画を撮り始めました」
「僕はかんちさんの動画を見てオモコロの存在を知りました。今で言うユーチューバーみたいな感じでしたよね」
「うん。当時はまだYouTubeというサービスはありませんでしたが、それでも意外に多くの人が動画を見てくれていて、更新を続けているうちにシモダさんの目に止まったんですね。で、メールをもらって」
「おもしろいからオモコロでやってみない?と声をかけました」
「なので、僕の1つ目のターニングポイントは『ジャッカス・ザ・ムービーを紹介してるテレビ番組を見たこと』ですね」
「その時に違うチャンネルを見てたら、ここにはいなかったってことですね」
ジャッカス・ザ・ムービー 日本特別コメンタリー版 [DVD]
「というわけでオモコロライターになったんですけど、それはあくまで趣味。将来を考えて実家の家業を継ぐことにしたんです。うちは、祖父の代から福島県でガソリンスタンドを経営していたから」
「それは嫌ではなかったんですか?」
「長男だから、いつかスタンドを継ぐんだろうなとは漠然と思っていて、あまり違和感はなかったですね。で、修行としてガソリンスタンド業界の大手に就職したんです」
「大手のノウハウみたいなのを、実家のスタンドで活かすためってことね」
「そうですね。それで東京に配属になって4年間がむしゃらに働きました。で、いよいよ実家に戻って学んだことを活かすぞ~と思って、退職届を出したんです。それが2011年3月のことです」
「2011年3月……!」
「そう、ここでメチャクチャでかいターニングポイントを迎えます。東日本大震災が起きてしまったんです」
「!あ、そうか、2011年3月11日は……!」
「その日は仕事が休みで東京の社宅でずっとテレビを見ていたんですけど、地元の被害の様子が伝えられていて、顔面が真っ青になりました」
「そうだろうね……」
「しかも翌日からは福島第一原発がヤバいみたいなことになって。実家は南相馬市小高区という原発20km圏内にあったので避難指示が出て入れなくなっちゃったんですね」
「それにしても退職届を出したあとっていうのはね。地震や津波は人間の都合なんて考えてくれないからね」
「命があるだけでも儲けものとは思うんですが、実際問題、人生が立ち行かなくなって」
「かんちくんからは、震災が起きる前に『家業を継ぐために、実家に帰ります』って話を聞いてたんですね。で、寂しくなるなぁ……とか思ってたら、あの震災があって」
「その後、ガソリンスタンドで修行する意味無いな、と思って転職を繰り返していた頃に、シモダさんには『よかったらバーグハンバーグバーグに就職してみない?』って声をかけてもらったんです」
「別に同情とかじゃなくて、おもしろい感性もってるのに、田舎に帰っちゃうのはもったいないなぁとは思ってたんで」
「東北大震災がなければ今頃、田舎のガソリンスタンドで働いてたことでしょう。震災の“おかげで”今の人生が開けた、とは決して言いたくないですけど」
「東北大震災に関しては『巻き込まれた』ターニングポイントだったけど、もとを辿ると『ジャッカス・ザ・ムービーをテレビで見た』っていうのが事の起こりですよね」
「ですよね。それで動画を作り始めないと、そもそもシモダさんと会ってないわけだから」
「最初の最初、きっかけとなるターニングポイントって、たぶんほんとに些細なことなんだろうなぁ。人生って不思議ですね。これ、社員全員に聞きたいな」
いかがだったでしょうか。
人生を変えてしまうようなターニングポイントって、どんな人にも訪れると思うんですが、一番最初の兆しがあまりにも小さくて、気づかない人が多いのではないでしょうか。
「あぁ、あの時のアレがターニングポイントだったなぁ」という感じで、後になるとわかるんですけどね。
読者のみなさんも、ターニングポイントとなったあの時のアレを、
#人生のターニングポイント
のハッシュタグと共にツイートして頂けると嬉しいです。
「はい、これにて収録OKです! 今日は皆さん、お付き合いいただきありがとうございました」
「おつかれさまです!」
「では通常業務に戻ります」
「あ、すいません。長島さんだけ残ってもらってもいいですか?」
「僕だけ? いいですけど」
「なんでハゲたときの話しなかったんですか?」
(おわり)
1981年京都生まれ。Webクリエイター。バーグハンバーグバーグ代表取締役社長。 代表作は「インド人完全無視カレー」「分かりすぎて困る! 頭の悪い人向けの保険入門」など。著書に『日本一「ふざけた」会社の - ギリギリセーフな仕事術』がある。Twitterアカウント→@shimoda4md
ご機嫌麗しゅうございます。都道府県マスターの潤です。
さて早速ですが、みなさんご存知でしょうか?
ドン!
急に何を言っているんだとお思いでしょうが、百聞は一見に如かず。
早速行ってみましょう。
ようこそ都道府県水族館へ。
私、館長のスルメ謙三です。
こんにちは!
本当にここでは都道府県が泳いでいるんですか!?
本当に?
本当に本当?
もしかして泳がない…
はい…
ま、そんなことを言うなら、この水族館の人気都道府県の泳ぎを、5位から見せてやるよ…
ではさっそく…
福岡県だわ!!
って泳いでねえじゃねえか!!
福岡はな水槽にビタっとひっついてんの!
これをおめえ引っペがして、網焼きで食ったらうっまいどー。
食えんのかよ!
続いて…
三重県だわな!!!
あ!タツノオトシゴみたいで可愛い!
だろ!
そういや、タツノオトシゴってオスが子を産むって知ってた?
(こいつTVCMで見た情報をそのまま言ってるよ…)
3位は、
群馬だっつうのーーーー!!!!!!!
あ、群馬はエイみたいに泳ぐんだね
(急に大きい声出すなよ…)
ねえ、今度家遊び行っていい?
(なんかこいつ怖いな)
福井県な!!!!!
まじでいい動きしてっだろ!
あまりに動きがいいからよ、こないだトルシエがスカウトしに来たってよ!!!
カッカッカ!
それはないか!
(冗談で扱うサッカー日本代表の情報が古いんだよ…)
んでよ…
一位はこの水族館のメイン展示水槽にいんのよ…
こっちだど…
こ、ここは…!
!!!!!
バババーン!!!!北海道じゃーーーー!!!!
な…何?
え……ちょ
うそ……
あ
パパパーン!
………………バカ
おしまい
イラストレーター。イラスト・マンガ・GIFアニメ等を使用して活動中。オモコロライターとしても活動。特技「たべっ子どうぶつ盲牌」がフジテレビの番組「ジマング」で取り上げられて、そのことをたまに思い出してはニヤけている。お仕事常に募集中!お気軽に! 公式サイト:スシックスタジオ(http://www.susics.com)/ TwitterID:@susics2011
こんにちは。ライターの菊地です。めっきり涼しくなってきたこの頃、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
僕は今、東京都墨田区の曳舟にある仮面専門店『仮面屋おもて』に来ています。おもてさんの製作する仮面は、映画『デスノート』や、数多くのアーティストのPVにも登場しています。
ここでは、オーダーメイドの仮面はもちろん、
韓国の伝統的な仮面や、
ヨーロッパの仮面など、世界各国から集めた幅広いジャンルの仮面を取り扱っています。
今回、お話を伺うのはこのかた。仮面屋おもての店主、大川原脩平(おおかわら・しゅうへい)さん。仮面屋を営みながら自身も舞踏家という生粋のアーティストです。
それにしても現代で「仮面屋」なんて商売が成立するのでしょうか……? どんな人が買いに来るの? そもそも仮面って? などなど、気になるあれこれについて質問してみました!
「さっそくですが、大川原さんはどうして仮面屋を始めたんですか?」
「もともと僕が舞踏家ということもあり、仮面文化に触れる機会が多かったから。あとは、とある仮面作家のアーティストの個展をたまたま見に行ったときに、『やばい、かっこいいなあ、この人の作品を売りたいなあ』って惚れ込んじゃって」
「若い才能を応援したいということでしょうか」
「そこまで大それたことじゃないんだけど。仮面作家って、作りたいものをとりあえず作っちゃうんだよね。でも売る場所がないから困ってる。じゃあ、僕が売る場所を用意してあげちゃおうってシンプルな理由」
「なるほど。それにしてもすごい数の仮面ですね。全部でいくつくらいあるんですか?」
「いっぱいあります。二階にもあるよ。見たい?」
「はい!ぜひ!」
「おおっ!あの仮面!!『東京喰種(トーキョーグール)』の映画に登場していた仮面に似てる!あの仮面屋のシーンで!!」
「よく気がつきましたね(笑)。似てるも何も、うちの仮面を貸し出したので実物ですよ。探せばほかにも何点かあると思うよ」
「そうなんですね!東京喰種ファンにとって、これはアツい!!」
「それにしても、本当に仮面だらけですね!アミューズメントパークみたいでワクワクします。一口に仮面といっても、色々なカタチやテイストのものがあるんですね」
「できるだけ仮面の配置も、ばらけさせるようにしているんです。その方が面白いかなって。高価な仮面の横に、安価な仮面を置いてみたり、日本の仮面の横にアフリカの仮面があったりね」
「これ、かっこいいですね、くちばしのシワが寄ってるあたりとか。中二病心がくすぐられます」
「これは『ペストマスク』といって、14世紀からヨーロッパで黒死病(ペスト)が大流行したときにお医者さんがかぶっていたマスクなんですよ」
「マスクの先端にハーブを詰めて、ペストに感染することを防いでいたことから『ペストマスク』と呼ばれるようになった。でも実際のところ、全然ペストを防げなかったみたい」
「確かに、ハーブを詰めたくらいだと防げなそう……」
「防ぐといえば、ガスマスクもあるよ。菊地さんかぶって!グイっていっちゃってください」
「完全にその道の人みたくなりました。そして苦しい……」
「そのガスマスクはヴィンテージものなんですけど、フェティシズム系(簡単にいうとフェチ)の人から人気があります。ガスマスクをかぶって、酸素がなくなっていくことで快感を得られるらしいですよ」
「それは何フェチなんですか……」
「こっちもガスマスクですか?」
「こっちは戦時中の日本で、実際に配給されていたガスマスクです。たしか」
「あ!本当に日本語で説明書きがある!カタカナと漢字が組み合わさっている文章に歴史を感じます。アジがあるなあ〜」
「そうそう。面白いでしょ?」
「それぞれの仮面に歴史があるんですね。本当に面白いです。そして、楽しい!!」
「うわ!このでかいサカナみたいなやつも仮面なんですか?!」
「こっちはヘルメットの内側の部分で作った普段使いできるマスクです。クジラがモチーフになってますよ」
「……普段使いってなんだっけ。ちなみにどういう経緯で制作されたんですか?」
「これは若いアーティストの作品なんだけど、本人曰く、ただなんとなく作っちゃったんだって。いるじゃない、そういう人。用途とか関係ないんですよ。とりあえず作っちゃったから、うちに置いておく。そうすると誰かが買っていく、そういう仕組みです」
「なんとなくで作れるのがスゴイです」
「こっちのつぶらな瞳の仮面はなんですか?」
「こっちの牛も普段使いできる仮面。僕がオーダーメイドしたんだけど、履くタイプの仮面なんだよね。履いてみます?」
「どうですか?履いてみた感想は……(絵面的に大丈夫だろうか)」
「普段使いできそうです」
「あ、そうですか。それはよかったです(何をいってんだろう)」
「これは翁(おきな)といって能楽(のうがく)に使われる仮面です。能面のなかでは唯一、顎の部分が動くようになっています。劇中にセリフがあるからなんだけど、翁は神様だから日本語を話さないんですよ。だから、演じている役者さんも、セリフの意味はわからずに演じているんです」
「意味がわからないセリフを言うなんて呪文みたいですね。でも、家に飾ってあったら夜とか怖そう」
「そう? 翁は五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願ってる仮面だし、家も守ってくれるから怖くないよ〜」
「仮面には、それぞれちゃんとした意味があるんですね! やっぱり奥が深いなあ」
「そうですね。ただ。菊地さんに限らずなんですけど、みんな仮面を見ては、歴史や文化を調べて意味を見出そうとしちゃうんですよね」
「はい、仮面の持つ意味とかルーツとか、知れば知るほど楽しくなってきました」
「でも仮面って時が経つにつれ、作り手の想いとは違った意味合いで世に伝わっていくことも多くあるんですよ。例えば、ある文化圏で女面として劇に使われていたものが、違う文化圏では男面として劇中に登場したりね」
「仮面に意味を持たせようと思えば、いくらでも持たせられるんです。もちろん、能面の研究者の中には、その面の起源や意味を調べている人はいます。それ自体は素晴らしいこと。でも個人的には、そこにあまり興味はないんですよね」
「そうなんですか?」
「流通していくうちに誤解されていって、当初とは違った意味合いになっていく。でもそれでいいんじゃないかな。僕は、むしろそういう現象を積極的に作っていったほうが面白いかなって思ってます」
「どういう意味を仮面に持たせるかは、人それぞれ、ということでしょうか……。仮面について知ろうとすればするほど、より一層わからなくなってきました」
「それでいいんですよ。わからなくていいんです。仮面って実体があって確かなものと思われているけど、実は不確かなもので、語れば語るほどわからなくなるんですよ。だからこそ、もっと知りたくなるし、考えようってなる」
「でも、そういうのって無理に考えるものでもなくて、仮面で遊びながらおぼろげに理解していくものだと思うんですよ 。だから僕も、仮面っぽいものを集めてお店に置いて遊んでるんです」
「うちに置いてあると、なんでも仮面に見えてくるっていう現象もあるんですけどね(笑)。例えば、そこの壁についてる花瓶。ずっと見てると、木の模様なんかと合わさって仮面に見えてきませんか?」
「本当だ……仮面ってなんなんだろう。もうわかりません」
「そうですね。僕もわかりません。仮面について知りにきた人が、帰るときにはもっとわからなくなって帰っていく。それでいいんです」
仮面について知りにきたのに、お話を聞けば聞くほどわからなくなりました。
「では、どんな人が仮面を買いに来るんですか?」
「最近だと、『東京喰種』で仮面に興味を持った人がよく来ますね」
「確かに『東京喰種』には仮面がいっぱい登場しますよね」
「もちろん、『東京喰種』ファン以外の人も多いんですけどね。純粋に仮面が好きで来る人もいれば、全然興味がない人も。滞在時間の長い人もいれば、すぐに帰っていく人、お話をしていく人もいれば、一言も喋らずに仮面だけ買っていく人とか。まあ、実際に聞いてみるのが一番ですよ」
たまたま来店された女性。仮面屋おもてに来るのは2回目だそうです。
「突然すみません。なぜ仮面を買いにいらっしゃるのですか?」
「えっと、ここではまだ買ったことはないんですけど、私の場合は単純に仮面が好きなんです」
「仮面をコレクションしているということですか?」
「いえ、かぶるのが好きなんですよ。私は、仮面をかぶっている状態の自分が一番好きなんです。素顔のときよりも、表現が豊かになるような気がして。仮面をかぶっているときの方が、自分でいられる気がするんです」
「わかるようなわからないような……」
仮面をかぶっているときが本当の自分なら、床にしゃがんで仮面を眺める彼女はいったい何者なのでしょうか。仮面って何だろう……。
そもそも本当の自分ってなんだろう?そんなことまで考えてしまいました。
何事も試してみなければ、わからない。そう思った僕は、翁(おきな)の仮面を購入。
早速かぶってみました。仮面をかぶった今の僕は、何者なのでしょうか。考えれば考えるほど、わからなくなるばかり……。
今回はご紹介できませんでしたが、仮面屋おもてには、まだまだ面白い仮面がたくさんあります。
雰囲気もそれぞれ違っていて、
ポップなものや
不思議な雰囲気のもの
近未来的なものから
動物をモチーフにしたもの
なかには、リアルな人の顔をした仮面まで。ここまで精巧だと、街中でつけていても違和感がなさそうです。
いかかでしたか? そろそろ皆さんも仮面に興味が湧いてきたことと思います。
次の週末は仮面屋おもてで、ちょっと不思議な仮面の世界に飛び込んでみてはいかがでしょうか。(僕は取材後から、何を見ても仮面に見えてしまう奇病を患っています)
それではこの辺で失礼します!ではまたー。
仮面屋おもて
住所:墨田区京島3丁目20番5号
営業時間:12:00~19:00(HP、Twitter要確認)
電話番号:070-5089-6271
定休日:HP要確認Twitter:@maskshopOMOTE
自社メディア事業を手がける西新宿のデジタルマーケティング企業、株式会社キュービックのPR担当。Webディレクター兼ライター。タイ人と2人で暮らしています。動物とぬか漬けが好き。Facebook:菊地 誠 / Twitter:@yutorizuke / 所属:株式会社キュービック
7年間で1000泊以上キャンプをしたキャンプコーディネイター&イラストレーターのこいしゆうかさん。「キャンプ×お酒」をテーマに、日本のいろんな地元を旅しながら地元のお酒と食材を紹介していく連載です。
【登場人物】
☆今回紹介したキャンプ場:霧ヶ峰キャンプ場(毎年7〜9月の営業)
記事を読んでキャンプに挑戦してみたくなった人のために、こいしゆうかさんがオススメする基本の道具リストを紹介します! これであなたもキャンプデビュー!
(写真右上から時計回りに)
・テント:テンマクデザイン / PANDA
・焚き火台:モノラル / ワイヤフレーム
・マット:NEMO / ZOR 20S
・バーナー:ソト / マイクロレギュレーターストーブ ウィンドマスター
・クッカー:プリムス / イージークックソロセットM
・ライト:スノーピーク / たねほおずき
・ヘッドライト:マイルストーン / MS-B2
・チェア:エーライト / メイフライチェア
・テーブル:シエルブルー / UL toproll table
※写真のクッカーはプリムス:AluTechポット0.6 L(日本未発売)
キャンプコーディネイター、イラストレーター。引きこもり系キャンパー。ソロキャンプスタイルでクルマでも飛行機でも船でもキャンプに行きます。酒と焚き火が好き。苦手は料理。作るものが8割くらい沼のようになります。著書「キャンプ、できちゃいました」(アスペクト)、「日本酒語辞典」(誠文堂新光社)が発売中。
ツイッター:@koipanda