こんにちは。ライターの友光だんごです。公園で見かけた犬の写真でも撮っているようなポーズをしていますが……
実はいま、“妻への遺書”を撮っています。動画で。
面食らった方もいるかもしれませんが、まだまだ生きる気は満々です。ではなぜ遺書を、しかも動画でのこしているかというと、「ITAKOTO」というアプリがきっかけなんです。
ITAKOTOは、遺書を動画の形で撮影し、大切な人を選んでシェアできるサービス。文字にするとシンプルなんですが、これが実際にやってみるとすごい体験で……
まず、撮ろうとすると「嫌だ!」と体が全力で拒絶して、
撮った直後はめちゃくちゃ不安な気持ちになって、
だけど最後に「もっと生きたい!!!」と前向きな気持ちが湧いてきました。
とにかく今まで味わったことのない、強烈に心が動かされる時間だったんです。31歳のいま、やってよかったと思っています。
このアプリを作ったのは、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さん。
長年、テレビではバラエティの司会からニュースのコメンテーターまで大活躍するほか、ビジュアル系ロックバンド「jealkb」のボーカルや、最近では起業家としても活動する淳さん。
実にさまざまな顔を持つ彼ですが、2019年から慶應義塾大学大学院のメディアデザイン研究科に所属する学生でもあるんです。その研究テーマが「遺書」。
なぜ淳さんは「遺書」を研究しているのか? さらに遺書をのこすためのアプリまで作った理由とは? その理由をたずねると……
「今の日本では『死』が最大のタブー。だからこそ、もっとみんなで死について議論できる世の中を作りたいんです」
という言葉が返ってきました。一体どういうことなんでしょう??
「ITAKOTO」のサイトを開くと、相方である田村亮さんの腕に抱かれた、印象的なビジュアルが
遺書をのこすと、生きるモチベーションが上がった
コメンテーターを務める朝のニュース番組『グッとラック!』の収録終わりにお話を伺いました。YouTubeの「ロンブーチャンネル」でおなじみの部屋!
「お忙しいところ、ありがとうございます。取材前に『ITAKOTO』を使ってきたんですが、今までにない気持ちになりました」
「どんなことを思いました?」
「まず『うわ、めちゃくちゃ恥ずかしい!』って。妻に宛てて『俺が死んでも、楽しく生きてください』みたいなことを喋ってる自分がスマホに写ってるので、すごく違和感があって」
実際に撮影した、遺書動画の絵面。「自分が死んだ後の、妻への言葉を喋る姿」を認識すると、脳が最大級に混乱しました
「はいはい」
「最初は、なんだかすごく『嫌だ!』ってなったんですよね。体が拒絶するみたいになって。今から思うと、僕は『自分が死ぬこと』についてちゃんと考えたことがなかったんだな、と……。遺書をのこそうと思うと、『死んだ後』を真面目に想像することになるので、すごく抵抗があったんです」
「そういう人、多いですよ」
「で、わけわかんなくなりながら撮り終わった後、すごく不安な気持ちになって。『死ぬの、嫌だな……』と」
「そのあとは落ち込んだままでした?」
「いや、そうじゃないんですよね。最終的に、『まだ生きたい! やりたいことある!!』とめちゃめちゃ思ったんです。ポジティブな気持ちが湧いてきました」
「なるほど。僕は大学院で遺書を研究してるので、昨日も50人くらいの方が遺書を書いてる様子を見せていただいてたんです」
「50人! 皆さん、どんな反応なんですか?」
「だんごさんと同じように、9割くらいはポジティブに振れるんですけど、逆に、すごいネガティブになる人も1割くらいいますよ。死に関する『見えない不安』を見つめ直した結果なんだと思います」
「身近な祖父母の死にも触れてるんですけど、自分の死は本当にちゃんと意識してなかったですね。ちなみに淳さんはどちら側だったんですか?」
「僕は完全に、モチベーションが上がりました。生きる道筋がシンプルになったというか。前は芸能界だけで生きようと思ってたんですけど、それだけじゃないなと思ったんですよね」
「それが大学院に進まれたり、起業されたりといった活動に?」
「そうですね。自分のインフルエンサーとしての力が発揮できるうちにいろんなことを発信して、生活基盤を芸能界以外にも作りたい。そう思ったのも遺書を書いて、自分の死と向き合ったのがきっかけだったので、『こんな風に思うのは俺だけなのかな?』と」
「それがITAKOTOを作ったことにも繋がるんでしょうか」
「はい。日本では、なぜか『死』がタブー視されてると思うんですよね。もっとカジュアルに、死について話す機会を増やしたいと思ったんです」
ITAKOTOのチュートリアル画面。「大切な人は誰だろう?」と改めて考えるのもほぼ初めての行為なので、変な気分になる
撮影した動画は「遺書URL」が発行され、それを見せたい人に送ることでシェアできる。保存期限は無料版が1年、有料版が無制限
「フラフープを回す母ちゃんの動画」も、遺書のかたち
「カジュアルに……。仰りたいことはわかるんですけど、ハードル高くないですか? どうしても構えちゃうというか。友達とお茶してて『どんな遺書にしたい?』とか言えないですよ」
「例えば、ITAKOTOをうちの母ちゃんが使ってくれたんですよ。でもその動画が、孫のフラフープを回してるって内容で」
「フラフープ? それって遺書なんですか???」
「母ちゃんも70過ぎだったので、『遺書の動画』なんてもんに正面から向き合えなかったんでしょうね。でも、そのフラフープの動画に色んな情報が詰まってたんですよ」
「母ちゃんがフラフープを元気に回してるんですけど、恥ずかしくて正面を向けない。そしたら横から父ちゃんの『正面向けよ』って声が入ってくる……って内容で。いまも時々見返すんですけど、母ちゃんって恥ずかしがり屋だったよなあとか、いろんな感情が浮かんでくるんですよね」
「ああ……ほんとに日常のささいな風景だけど、だからこその良さはありそうです」
「実家の畳やタンスってこんな感じだったなとか、後ろに親父が作ったプラモデルがあるな、とかね。その後、母ちゃんは死んじゃったので、それが残ってる最後の動画なんです。フラフープの動画に、すごく僕は癒されるし、前向きになれていて」
「そもそも、文字だけが遺書じゃない、ってことですもんね」
「そうなんですよ! 形式が決まっていて、法的な効力のある遺言(ゆいごん)と違って、遺書は親しい人に向けて、自分の気持ちをのこすためのもの。だったら、形は色々で良いと思うんです」
「動画でもいいし、結果、どんな形で遺書を残すかに、『その人らしさ』が出るのかも」
「父ちゃんに聞いたら、『私が元気に動いてる姿を遺したい』って言って、母ちゃんはフラフープを題材にしたらしくて。その遺し方も、母ちゃんらしいなあと。そんな風に、ITAKOTOで色んな遺書動画が生まれてほしくて。固定観念を打ち破りたいんです」
「僕は使った時に『ちゃんと話すのめっちゃ恥ずかしいな』と思ったんですが、もっと自分らしく言葉を残せるやり方がありそうですね……照れながらでもいいのかも」
遺書を「死の間際」にだけ書かなくてもいい
「遺書と聞いてつい構えちゃうのは本当にそうで、ITAKOTOを初めて使う日、妻に『これから君宛の遺書動画を撮ってくる』って言ったら、なんとも言えない苦笑いをされたんです。ふだん、お互いの死について話したことなかったので」
「遺書と遺言の違いすら、みんな知らないですからね。よくわからないまま来て、死が目の前にきた70〜 80代になってから、何を書こうか考える。本当に残さなきゃいけない言葉を、死期が近づかないと書けないってのはもったいないと思うんですよ」
「まあ、若いうちに書いたほうが時間もあるし、頭もシャキッとしてそうです」
「死ぬ間際なんて、遺書を書く側も、受け取る側も平静じゃないわけです。それより、肉体的にも精神的にも元気なうちに言葉を遺したほうがいいとは、遺書の研究をするようになって、より強く思ってますね」
「清書の前の、予行演習をしておくというか」
「何回書いたっていいと思うんですよ。一番最新のものが清書でよくない?って。それに、履歴も全部残したほうが面白くないですか?」
「ああ〜〜〜、なるほど」
「ITAKOTOは履歴が残せるんで、それを見てると『こういう感情の変化があったんだな』とか気づくのが面白くて。それこそ何十年も経てば、老いていく変化すら残せるじゃないですか」
「老いる過程も楽しむ、みたいな?」
「『いい朽ち方』というか、老いることもポジティブに捉えていいと思うんですよね。日本ではアンチエイジング的な、老いにあらがう考え方が強いですけど、もっと楽しんでよくない?って」
「でも、年取るのって怖くないですか? いろんなことが衰えて、できなくなるって」
「でも、人間だれでも老いていくし、いつかは死ぬじゃないですか。タイミングは人それぞれだけど、終わりは絶対に決まってる」
「まあ、そうですね……死からは逃げられない」
「じゃあ抗うよりも、それを理解したうえで、人生が続いてる間に精一杯楽しんだほうがいい。そのためには立ち止まって、 頭の中を俯瞰して、自分は何が大切なのか?を考える必要があると思うんです」
「僕はそれで言うと、ぼんやり生きてましたね…」
「なんでも隣の人に合わせて、他人軸で生きるのは、やっぱ不幸だと俺は思っていて。軸は常に自分のなかにあったほうがいいと思うんですよね。その点、日本は『死に方』の選択肢が少ないなあと常々感じてます」
日本は「死」の選択肢が少ない
「死に方の選択肢というと、例えば安楽死のような?」
「そうですね。『すぐに安楽死を解禁しよう!』と言いたいわけじゃなくて、死に方についてもっと議論しませんか?と思っていて。ようやく『墓ってどうしよう?』って話され始めたぐらいなので」
「ああ、うちの母親も『墓はいらない』みたいなこと言ってました」
「僕も墓は残さない派だし、海かどこかへ散骨して欲しいですね。もちろん、上の世代の方たちの、死んだら一族のお墓に入って……という価値観を否定しないですよ。でも、新しいものがどんどん生み出されてる今、死生観もアップデートしたほうがいいんじゃないかなと」
「みんなで議論して、自分の『死に方』を考えて、言語化して……」
「そうそう。死んだら自分で決められないんですから。当たり前の価値観に囚われ過ぎなくていいと思います。この間、母ちゃんの四十九日の法事があったんですけど、実家宛に送ってたはずのスーツが間に合わなくて」
「それで、どうされたんですか?」
「たまたま黒色のジーンズとシャツがあったんで、それ着て出たんです。親戚の人には『あっちゃん、最後まで母ちゃんに迷惑かけて…』っていう人もいましたけど、並んだ写真を見たら、別になんにも支障ないな、と思って」
「『黒にしよう』とはされてるわけですしね」
「で、来てたお坊さんにも聞いたんです。すると『私がお寺に勤めてるなかでは初めてですけど、スーツじゃなくてはダメだと言うこともないですよ』と。そこで僕もアップデートされて」
「死にまつわる慣例も、タブー視されてみんなで空気を読みあってるのかもしれませんね」
「僕は元々、タブー視されてるところに首を突っ込みたいって気持ちがあるんです。日本では宗教と死が最大のタブーだと思うんですけど、まだ宗教は選択の自由がある。でも死に関しては触れられてない。例えば、僕が『大学院で遺書の研究してます』と言うと、その理由を誰も聞いてくれないんです」
「それは……死に関する話になりそうだから?」
「おそらくは。『そうなんですね…』で次の話題にいっちゃうんです。そりゃあ尊厳死の議論なんてされないわ!と思うし、なんか不思議な国だなあと。だって、先送りにするほうが面倒くさくないですか? 俺は面倒くさがりなんで、そう思っちゃうんです」
「俺に遺書を残したい」って人がいたら、見たい!
「震災やコロナの流行で、死を身近に感じて少しずつ考え始めた……みたいな人はいるかもしれない、と思うのですが」
「もちろんいるとは思いますけど……言っちゃえば、政治の世界で『死生観を変えよう!』なんて政策を掲げても票が取れないわけですよ。国民の興味がないから。じゃあ、民間から少しずつ変えてくしかないんじゃない?と思って『ITAKOTO』をやってるところはありますね」
「ITAKOTOに込められたビジョン、かなり壮大ですね」
「使ってくださったらわかると思うんですけど、『自分は何を遺そう?』って自問自答するシステムでもあるんですよね。その結果、本人が納得した言葉が動画として遺るメリットはあると思うんです」
「残された側にとって、『最後の言葉』になるわけですからね」
「基本的には『聞けてよかった』ってハッピーになるもののはずだし、仮にネガティブな言葉だったとしても、本人が自問自答した末のものなら、それも真実ですから。残す意味はある、と思ってます。結果が出るまでに時間はかかりますけど、色んな使い方が生まれて欲しいですよ」
「誰に遺書を遺そう?って考えるのもすごく新鮮で。僕は妻宛でしたけど、もしかしたら家族じゃない人もいるかもしれませんよね。それこそ、大好きだった歌手に宛てて遺す人もいるかもしれない」
「ああ、あるかもしれませんね。もし俺宛に撮ってくれた遺書があれば、見てみたいですもん! いま色んな人に遺書を書いてもらっていて、公開する許可をもらったものを集めて、いずれ展示もしたくて」
「面白そうですね。いろんな人の生き様がそこに現れそう」
「遺書を研究してると、10〜20代の若い人は『自分に死が訪れる』とは思ってない。それって俺の若い頃も一緒だったなあって。でも、『やりたいことが見つからない』って悩んでる人にこそ、遺書を書いてみて欲しいんです」
「僕自身、野心とか全然ないと思ってたんですよね。そこそこにお金があって、平和に暮らせればいいや的な……でも『明日死ぬかも』と考えると、『稼ぎたい!!!』という気持ちが湧いてきてびっくりしました」
「そんな風に、10代や20代のうちから遺書を書くと、自分の意外な一面と向き合えるかもしれませんね。例えば両親や恋人に宛てて遺書を書くのは『自分はこの人をどうして大切に思っているか』を理論立てて考えることになるんです。自分の気持ちを俯瞰で見て、言葉にして出すって練習を重ねていくと、自分の中で理論が積み重なっていくんで」
「自分にとって大切にしたいことが見えてくる、と。それが『やりたいこと』にも繋がってきますよね」
「本来、『こんな遺書を残したい』って思うのは、ファッション誌を見て『この服着たい』って思うのと一緒だと思うんです。ITAKOTOが広まって、それくらいカジュアルに、みんなが『自分の死に方』について考えて、話せるような世の中にしたいですね」
☆お知らせ
ITAKOTOで淳さん宛の遺書動画を撮って送りたい人を募集!
詳細は以下のリンクからご確認ください。
(※応募締切:2021年1月15日)
編集:くいしん
撮影:藤原 慶(HP)