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「みんな死んだ……」アマゾン未知の部族・最後の男が抱える絶望的な孤独

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「みんな死んだ……」アマゾン未知の部族・最後の男が抱える絶望的な孤独

 

取材後に観た試写映像で、完全に呑まれた……。

どうも、おかんです。公開前の映像ゆえ、マンガの中からこんにちは。

カメラ越しに我々を覗く先住民族の、すべてを見通すような目が、我々の粗や罪を浮かび上がらせてくるような……。深いアマゾンの森に取り残されたような孤独感を覚えて、映像を観た夜はなかなか寝付けませんでした。

過去数回ジモコロでも記事を紹介したNHK「大アマゾンシリーズ」。

 

 

バカでかいアマゾンの熱帯魚が川で暴れ狂う様子を追ったり、一攫千金を求めて金鉱山に暮らすならず者「ガリンペイロ」に密着したり。

もっとも有名なのは『ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる』でしょうか。1万年前から変わらない生活を送る先住民族・ヤノマミ族に合計150日間も密着し、記録した番組。

 

ヤノマミ族は、生まれた子どもを母親が「人間として育てるか」or「精霊のまま森に返すか」の選択をおこないます。

初産を終えた14歳の少女が、十月十日育てた子どもをバナナの葉にくるみ、シロアリに食べさせたのち巣ごと焼き払って天に返す、あまりにショッキングな様子は、多くの反響を呼び、劇場特別公開版が制作されるまでに至りました。

 

ジモコロでは、ヤノマミ族のドキュメンタリーの裏側の話をうかがったり、マンガ家の宮川サトシさんにドキュメンタリーの楽しみ方を語ってもらいました。

 

そんな地球の裏側にある秘境を掘り下げて、ロマンと人の業と喜怒哀楽の全てをスムージーにしたような名ドキュメンタリー番組ですが、

 

2018年の12月中旬にシリーズ一挙再放送&新作放映があります。

 

12月16日(日)に放映予定の新作の番組名は「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」。

忘年会・クリスマス・年末年始。「さよなら平成〜!」と賑わう師走の日本に、バカでかいボディーブローみたいな番組を惜しげも無く当て込んでくるの、だいぶ攻めてるなNHK。

そんな名シリーズの立役者、番組ディレクターの国分さんに過去のシリーズや、気になる新作映像について話をうかがいました。

 

詳細の前に、番組に登場する人物紹介はこちら!

 

 

偶然実現したシリーズ一挙再放送

国分 拓(こくぶん・ひろむ)

日本のノンフィクション作家、NHKディレクター。宮城県出身。1988年に早稲田大学法学部卒業後、NHK入局。「あの日から1年 南相馬~原発最前線の街で生きる」 や、「ヤノマミ~奥アマゾン 原初の森に生きる~」、「大アマゾンシリーズ」などの番組を制作。

「新作映像だけでも楽しみなのに、シリーズ一挙再放送ですか」

「もともとは新作放映だけだったんですが、あの……某CEOの特番が急遽つくられまして、放映が延期になったんですね。それがキッカケで、ラッキーなことに一挙再放送してくれることになりまして」

「オワ〜!あんまりそこツッコミすぎると……おっと、誰か来たようだ。いや、しかし『大アマゾンシリーズ』は堪えますよね。ヤノマミを観た夜は臓腑をえぐられすぎて一睡もできませんでした」

「あらら」

「番組を見る数日前に、友達の子どもの七五三をお祝いしたんです。晴れ着をまとった友人の子をお祝いしている地球の裏側で、自分の半分程度の年齢の女の子が産んだ子を殺してる事実に動けなくなりました

「たしかに、今の日本では考えられない習慣ですよね。俺たち取材班も、帰国後は激ヤセしたり悪夢をみたり、おねしょしちゃったりと大変でした」

 

──────

自分自身も猛烈にダメージを食らいながら、アマゾンの奥地で起こるさまざまなことを記録し続ける国分さん。

国分さんたちのおかげで我々の知り得ない世界を見られるわけですが、それにしても超ハード……。だって子殺しの儀式の一部始終を見てるんですよ?倫理観が足元からぶっ壊れそうな状況を追えるメンタルがすごい。

未知の部族 その最後の生き残り


「12月16日(日)放送の新作映像『アウラ 未知の部族 最後のひとり』はどんなお話なんでしょうか?」

「ある未知の民族の、最後のひとりを追った映像です」

「それは、たとえば日本人がわたし以外絶滅してしまって、最後の日本人になっちゃうってことですか?」

「それだけではありません。仮に日本人がひとりだけになったとしても、日本人自体は世界が認識していますし、文明レベルが他国と同水準なので、なんとか生きていけるかもしれない。

でも彼は先住民族です。言うなれば日本語が日本語だと理解されず、他者とコミュニケーションが全く取れない状況。さらに知識も文化も価値観も何ひとつ知っているものがない。自分以外の全部が異世界という環境です

 

(絶句)

「ある日、アマゾンの開拓民の家に素っ裸の男ふたりが森の中から突然現れたんです」

「最初はふたりだったんですか」

「ええ。政府がその男たちを保護したんですが、いままで保護してきた先住民族のどの言葉とも当てはまらない。そこで、彼らがはじめてイゾラド(文明と未接触の先住民族)だと判明したんですね」

 

広大なアマゾンにいまだ生き残る「イゾラド」と呼ばれる原住民。文明との接触を断ち、原初の生活を送るが、近年、開拓によって文明人との衝突が増加している。

 

「保護したところで、彼らが何者なのかわからない。政府は、彼らを『アウラ』と『アウレ』と名づけて、なんとか文明と同化させようと様々な策を講じるわけです。隔離施設に住まわせたり、アマゾンに住む他の先住民族の村で同居を試みたり」

「とはいえ、アマゾンって日本の14倍以上の面積もありますよね。そこに点在する民族なんて言語も文化も価値観も違うのでは……?」

「そう、うまくいかなかったんです。いろんな施策は失敗に終わった。同居先でトラブルを起こして、人を殺しちゃったりね」

「殺された側の民族の人も可哀想すぎる」

「何年も行き詰まっていたんだけど、ノルバウ・オリベイラという奇特な言語学者がいて。アマゾンの一角で先住民族たちにブラジル文化や言語を教えながら、先住民族の文化を研究しているんです。最終的にノルバウのもとへ、アウラとアウレは落ち着くことになった」

「ひとまず安心……ってことですか?」

 

「それでもコミュニケーションが取れませんから。彼はひとつひとつ周りのものを指差しながら単語を収集していって、800語くらいを記録しました」

「800語ってなかなかの少なさですね。中学生向けの英単語集でも2000語近くあるのに」

「一応、200語くらいは別の民族と被る言葉だったみたいなんですけどね」

「アマゾンで暮らす人々は、単語数が極端に少ないと聞いたことがあります。『左右』や『数』などの概念をもたない先住民もいるみたいですね。原初の生活を送る人たちにとって、詳細を語る単語はそもそも必要ないのかも」

「それはあるかもしれませんね。なんせアマゾンは『今〜〜する』という行動の連なりなので、『when』という概念があるのかも怪しい。だから結局、集められているのはほとんどが名詞です。形容詞や動詞はほぼ記録できていないから、詳細なコミュニケーションが取れないんです」

「じゃあアウラとアウレは、自分たちしか互いの言葉が理解できなかったのか」

「ええ。彼らはふたりっきりで暮らし、狩に出かけ、夜は小屋の中で語りあっていたわけです。ですが2012年、ずっと一緒に暮らしていたアウレが死んでしまうんですね

 

「もうやめてあげて……」

「最後のひとりになってしまったアウラは、ノルバウに何かを話しはじめるようになりました。難解な言葉のなかで少しずつ見えてきたのは、彼の部族に『死』を連想させる何かが起こったのではないかということなんです」

「『死』ですか」

「『オッキン』『モミイン』『マヌ』という単語が登場するのですが、それらは全て『死』を意味する単語です。『母は?』『父は?』『子どもは?』『女は?』と問うと、『死』にまつわる単語しか出てこない。そのあとには、『火花』『カヌー』『煙』『大きな音』などという単語が続く」

「それは、アウラたちの部族に、開拓民との争いがあった……?」

 

アマゾンを開拓する「ガリンペイロ」の人々。1970年代にアマゾン奥地で起きたゴールドラッシュ以降に流入が増加。一攫千金を夢見て森林に入り込み、先住民たちの生活圏を侵している。

 

確かに、アウラとアウレが発見されたエリアは幹線道路の開通をきっかけに、ゴムの木、金鉱山、牧場と開拓民が入り込んできた場所です。だけど、落雷にあったのかもしれないし、病気が蔓延したのかもしれない。なにせ言葉が伝わらないから、はっきりとしたことはわからないんです。

ただ、繰り返し話し続けるアウラの言葉には『死』の単語がたくさんある。伝えたい悲劇があるんでしょうね」

「ちなみに、アウラの年齢はいくつくらいなんでしょう?」

「60歳前後と言われているけど、個人的にはもうちょっと上だなと思います」

「先住民族の平均寿命を考えたら、そんなに長くないですね……」

「いまは文明に寄り添って生きているので、他の先住民族よりも長生きはするかもしれません。いまのアウラは服も着てますしね。西成のおっちゃんみたいですよ

「西成のおっちゃんって!」

「なんにしても、遠からぬうちにひとつの民族が姿を消すことになります。想像を絶するような孤独を抱えながら生きる人間の記録です

日本人は「死」へのアンテナに対して鈍感になっている

「なんて悲しい話なんだ……。そう遠くない未来にあるだろうアウラの『死』は、肉体の『死』だけじゃないんですよね。そこに生きた民族の言語や文化や歴史が根こそぎ消滅してしまう。

その『死』は、私たちの考える『死』とあまりに違いすぎて、漠然とした感覚しか持てないですね。ただただ、壮大な悲しみが眼前に横たわっている感じ……」

 

「そうかもしれません。日本人は『死』に対してすごく鈍感になってるじゃないですか

「と、いうと?」

「たとえば朝の通勤ラッシュ時に人身事故で電車が遅れてる。そこで、つい舌打ちする自分がいたりするわけですよ。人がひとり死んでいるのにですよ

「ああ、わかります。わたしも『なんでこんな時に……』って思っちゃうことありますもん」

「昔は絶対にそんなこと思わなかったんですよ。これはなにかおかしいぞと気づいた。おそらく文明の向上によって、『死』へのアンテナが鈍感になってしまっているんです」

 

──────

病人は病院へ、死者は葬儀屋が対応する現在の日本では、専門職以外の人は「死」を間近に感じられません。

目まぐるしく変わる世の中において、凶悪な殺人事件も、名俳優の往生も、当事者以外はすぐに記憶が薄れていってしまうのです。

「悲劇を描きたくなかった」救いのないアマゾンの淡々とした事実

「国分さんは、アンテナの脆弱性に警鐘をならすために番組をつくっているんですか?」

「いえ、そういうわけではないです。なにも思わない人には届かないかもしれないし、もしかしたら届くかもしれない、その程度ですね。議論を起こしたいとも思っていません」

「それは意外です! アウラおじさん、なんだかロンサム・ジョージのような話だなと思ったんですよね」

 

※ロンサム・ジョージ:1971年にガラパゴス諸島のピンタ島で発見されたピンタゾウガメの最後の個体。繁殖計画が成功せず、2012年にジョージが死んだことによってピンタゾウガメは絶滅したといわれている。

 

「あれも悲しい話ですよねえ。でも俺はあんまり『悲劇』を描きたくないんですよ

「どういうことでしょうか?」

「最初は、泣かせる方向性も考えたけれど、邪心を捨てて、ニュートラルにいこうと決めたんです。俺が取材をして観たもの、政府によって記録されているもの……事実を淡々と積み重ねただけのものをつくろうって」

「悲劇ではなく事実を描くと……」

「ノルバウいわく、夜中に突然の電話で起こされて、電話の向こうから政府の調査員が『先生、ついにアウラとアウレの仲間が見つかったんだよ!』って言うんですって。彼は泣きそうになりながら、早くふたりに朗報を伝えなければと思った矢先、それを伝えられる言語がないことに絶望する……」

 

「そこで、目が覚める。ノルバウが何度も何度も見る夢です。」

 

「救いがなさすぎて胃が痛くなってきた……」

「このノルバウの『夢』の話は、4K版映像の冒頭のモノローグに使っています。アウラたちの仲間を探して、政府は何度も調査をしたんですが、住居の跡がかろうじて見つかっただけで、仲間は見つかりませんでした。もう、見つかるはずないんです。彼らの一族は、近いうちに滅ぶ。でも、アウラはいまもひとりで生きているし、その事実だけは淡々とそこにある」

「なるほど、淡々と描かれた事実の絶望感……。そもそもアウラをひとりにしてしまったのは我々文明人かもしれないわけだし、かといって生きるのに必死で開拓してる人たちを責められるかっていうとそれも違う……」

「そうなんですよ。森を伐採して先住民族と衝突するガリンペイロの人たちにも大義名分がある。それはヤノマミの子どもを森に返す風習に関してもだし。前の記事でも言いましたが、答えが出せないからこそ淡々と事実を言うしかないんですよね

50年後も「錆びない」映像を求めて

「事実をニュートラルに伝えていくという明確な意志があるのに、『もしかしたら届くかもしれない』程度だというのは意外です。ドキュメンタリーを撮る人は、『これで社会に一石を投じたい!』っていう気合いを持った人が多いのかな?と感じていたので」

「そうですねえ、俺が番組をつくるときに大事にしてるのは……『錆びない』ことですかね

「『錆びない』?」

「俺はニュース番組を撮りたくないんですよ。ニュースってすぐに情報が更新されるじゃないですか。今日のニュースは明日にはもう古くなっている。俺は50年後の人間が観ても刺さる番組をつくりたいんです。時代が変わっても錆びない、鮮度を保った番組づくりは意識してますね」

「錆びない番組……!」

「もともと新聞社で働きたかったこともあるかもしれませんが、映像をつくりながらも言葉は重要視しています。つまりナレーションですね。

たとえば『ヤノマミ〜』は『女』という単語を冒頭に持ってこようと決めていました。番組を最後まで観られるかって、冒頭15分くらいの出来で決まるじゃないですか。『開始15分で引きずりこむぞ』という意識は持っています」

「15分をいい形で引っ張れたら、いまを生きている人にも、50年後の誰かにも、刺さる可能性はグンと上がりますもんね。わたしもきっと何年も見返すと思うし、自分に子どもができたら見せたいです」

「まあ、ニュースは撮りたくないっていっても、俺、報道の所属なんだけど……」

「笑う」

「大アマゾンシリーズを観ていて思ったんですが、そもそもアマゾンって救いがないですよねえ……」

「救いがない?」

先住民族は自然信仰なので、『神』ではなく自然そのものを表す『精霊』を信じているんですよね。だからこそ大らかなんですが、その一方でとてもシビアな一面もある気がして……

 

「なるほど、そうですよね。『神の救い』は存在しないかもしれません

「『ヤノマミ〜』で、子殺しをした娘のそばで、誰に向かうでもなく父親がつぶやいていた『森は大きい、歩けないほど大きい』って言葉が、アマゾンの世界観を物語っている気がします」

「俺は、本来生命は等価だと考えていて。力の強弱があるので、そりゃあ噛まれたら蚊は潰しちゃうけど。原初の森であるアマゾンは、生命の対等さを教えてくれますよね。父親の言葉がないと、もっと命の価値に差を感じてしまったり、残酷さが増してしまっていたりしただろうなと思います」

 

──────

 

生も死も、森のなかで循環していく。映像を通して、アウラやアマゾンの先住民族たちから感じたのは、原初の死生観を淡々と受け止める『強さ』でした。その生物としてのあり方は、私たちがもう開け方を忘れてしまった引き出しの中身を見せてくれるのではないでしょうか。

 

おわりに

あ〜〜もう〜〜!「生と死」にふれたら思考の迷路に〜!!

何も考えずに安居酒屋で焼き鳥齧りながらスマホゲーしたりYouTube観つづけられたらどんなに楽だったか〜〜〜!!

 

「暴力的なまでに思考することを強要する番組である」ナレーションの町田康さんが映像を見て呟いた言葉。

淡々とした展開だからこそ、自分の生き方、文明人の繁栄とその功罪、もっと深みにはまって「人とは……?」みたいな思考の迷宮に落とし込む「アウラ 未知の部族 最後のひとり」。そしてシリーズ一挙再放送はこちら!

 

ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる
12月14日(金)25時40分~26時39分(明確な日付としては15日です)

沢木耕太郎 アマゾン思索紀行 隔絶された人々 イゾラド
12月15日(土)16時15分~17時04分

大アマゾン 最後の秘境 第1集 伝説の怪魚と謎の大遡上
12月16日(日)14時00分~14時58分

大アマゾン 最後の秘境 第2集 ガリンペイロ 黄金を求める男たち
12月16日(日)15時05分~15時54分

大アマゾン 最後の秘境 第3集 緑の魔境に幻の巨大ザルを追う 
12月16日(日)15時55分~16時44分

大アマゾン 最後の秘境 第4集 最後のイゾラド 森の果て 未知の人々
12月16日(日)16時45分~17時34分

アウラ 未知の部族 最後のひとり
BS 4K版:12月16日(日)19時00分~ 20時25分
NHKスペシャル版:12月16日(日) 21時10分〜21時59分

※放送枠の関係上、若干内容が異なります。

 

文明のはるか彼方から我々を見つめる瞳に、みなさんはなにを感じるでしょうか。

刮目〜〜〜ッ!


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