こんにちは、ライターの菊地です。
突然ですが、みなさんは陰陽師(おんみょうじ)という職業をご存知でしょうか?
映画やマンガ、ゲームなどで一度は聞いたことがあるはずです。例えば―
原作・夢枕獏|画・岡野玲子の漫画『陰陽師』
※映画やドラマにもなっています
原作・荒俣宏:主演・嶋田久作の映画『帝都物語』
ニコニコ動画で有名になった動画『レッツゴー!陰陽師』
※PS2用ゲーム『新・豪血寺一族 煩悩解放』のPV
など、陰陽師をモチーフにした有名な作品はたくさんあります。
それらの作品から陰陽師という職業を推察すると、以下のようなイメージになるのではないでしょうか。
呪術の天才・安倍晴明が、使い魔である式神を操り、都を騒がせる鬼や魔物を相手に七面六臂の活躍! いにしえの魔法戦争、今 決着!
か、か、か、カッコイイ~~!
でも……それって……
というわけで今回は、陰陽師の代表格・安倍晴明の末裔に会うため福井県おおい町にやってきました。
聞きたいことは以下3つ!
・陰陽師って実在した職業?
・本当にあったとして、マジで呪術を駆使するような職業だったの?
・謎めいた天才・安倍晴明ってどんな人だったの?
これらの疑問をぶつけて、陰陽師の真実を白日のもとにさらしてみたいと思います。
話を伺ったのは、安倍晴明の末裔として、土御門神道本庁(つちみかどしんとうほんちょう)の宮司を勤める藤田 義仁(ふじた・よしひと)さん。
さあ、さっそく話を聞いていきましょう!
安倍晴明の真実! 50歳で学生……?
「今日はよろしくお願いします!」
「よろしくお願いします。陰陽師について、どういったことを聞きたいんですか?」
「僕、陰陽師や安倍晴明が登場するような作品が好きなんです。夢枕獏さんの小説や、岡野玲子さんの漫画みたいな。そこでお聞きしたいんですが……」
「夢枕獏さんと岡野玲子さんなら、取材に来たことがありますよ。ていうか岡野さんは昨日来ました」
「へぇ~……えぇっ!マジで!?」
「お二人とも熱心な方でねぇ。うちに残ってる文献や資料を色々お見せして、お話をしました」
「そ、そうなんですか。すごいな……。で、えーっとどこまで話しましたっけ? あぁ、陰陽師をモチーフにした作品はたくさんあるって話です。あれって、真実なんでしょうか?」
「『あれ』というのは?」
「つまり、そういった作品によると、彼らは式神を自在に操って妖(あやかし)を成敗したり、呪術を使って要人を守ったりしてますよね。それは、実話なんですか?」
「そんなバカな(笑)」
「くっ……薄々思ってたけど、やっぱりあれは架空の物語なのか」
「たしかに小説や漫画に登場する安倍晴明は、呪術を使ったり式神を操っていたり、オカルトなイメージで描かれていますね。でも残念ながら、それは少し違います」
「では、実際の安倍晴明はどういう人物だったんでしょうか」
「実は詳しい情報があまり残っていないんですよ。残っている記録は、ほとんどが50歳前後になってからのもの。だから、どういった人柄だったのか、どんな生活を送っていたのかも、わかっていないんです」
「物語の晴明は若い姿で描かれてることが多いのに……歴史に登場するのは50歳からなんですね。逆に50歳の時に何があったんですか? 出世した?」
「いえ、普通の学生でした」
「50歳で学生?? キテレツの勉三さんを凌駕する遅咲き!」
「遅咲きですよねぇ。しかも生涯、一番えらい位にあたる陰陽頭(おんみょうのかみ)になることもなかったし、特別すごい身分の陰陽師というわけではありません」
「イメージと違う~~! 言っちゃ悪いですけど、めちゃめちゃ平凡な人じゃないですか。なぜ安倍晴明が陰陽師の代名詞になるほど有名になったんですか?」
「私は、今昔物語などで登場する逸話がきっかけじゃないかと考えています」
今昔物語とは
平安時代に登場したとされる説話集のこと。貴族や侍、農民、そして鬼や盗賊、陰陽師など様々な人物が登場する著者不明の物語集。
その中で晴明は『天文博士の安倍晴明という陰陽師がいた。若くして昔の大家に勝るとも劣らない優れた陰陽師であった』と記述され、鬼を察知して回避したり、式神を追い払ったりするなどのシーンがある
「ただし、平安期の今昔物語はあくまできっかけで、名が広まるようになったのは江戸時代あたりからかな。色んな逸話が語られたり、物語に登場するようになりました」
「安倍晴明が生きてた時代から、100年以上も経って突然有名になったと。一体なぜ、特に偉くなかった安倍晴明が、逸話の主人公に取り上げられたのでしょうか」
「詳しいことはわかりません。ただ、偉くはないけど天文学の分野ではかなり優れた人物だったようで。そういう立場的なものから、物語に使いやすかったのかもしれません」
「なるほど。50歳まであまり情報がないから自由に想像できるし、偉くはないけど優れた人物だったということは伝わっているから神秘性がある……。そう考えると、創作の主人公にはピッタリなのかもしれません」
「言い伝えでは、狐の子だったとか、鳥の話す言葉を理解していたとか、いろいろ言われていますけどね。事実かどうかはわかりません。私は、残っている逸話の9割は創作だと考えています」
「安倍晴明の子孫がそんなこと言っていいの!?」
「晴明の子孫ということで結構色んな方が相談に来られるんですけどね。『何か変な霊がついてる』といったような相談は全部お断りしています。私にはよくわかりませんから」
「式神を使って追い払ったりしないんですか? 」
「しませんよ! 病気の相談もよくされますが、『病院に行ってください』とお伝えします。病気のことは医者の方がよくわかっとりますから」
「ごもっとも」
陰陽師ってどういう仕事だったの?
「安倍晴明の逸話は、あくまで創作ということなんですね……。では、実際は陰陽師ってどんな仕事をする人たちだったんでしょうか」
「陰陽寮という……今でいう文部科学省のような国の機関があったんですが、そこで働く国家公務員のことを陰陽師と呼んでいました」
「えー! 陰陽師って国家公務員だったの!? イメージと違いすぎる!」
「逆に聞きますけど、どういうイメージだったんですか?」
「フリーランスとして、魔物に困ってる公家や市井の人々を相手に、エクソシスト的な業務を請け負っているのかと」
「夢を壊して申し訳ないですが、ガチガチの国家公務員ですね。博士や学生なども在籍し、教育機関としての役割も兼ねていたようです」
「役所と大学が一緒になったみたいなイメージ……?」
「そんな感じですね。業務としては、主に占いや天文、暦や時間などを編纂(へんさん)していました」
天体の位置を測定するために用いられた渾天儀(こんてんぎ)
「時間を編纂……って、すごいことでは? 時を司る神、クロノスじゃないですか!」
「それは別の宗教です。時間を編纂するというのは、時間を測定するという意味ですね」
「時間を測定……素朴な疑問なんですけど、昔の人ってどうやって時間を測ってたんでしょうか」
「漏刻(ろうこく)と呼ばれる時計を使っていました。いわゆる水時計ですね」
「漏刻を使って、日の出から日の入りまでの時間を測り、今が何時なのか測定していました」
「たぶん漏刻というのは、昔はめちゃめちゃ貴重で、最先端の機械だったんでしょうね。いわば、それの“番”をして、時刻を調べていたと 」
「はい。陰陽師たちは時間を測定したり、日々 天文学を勉強したりして、暦(こよみ)を作っていました。それがメインの業務と言えるでしょう」
「 暦というのは、僕たちが普段から使っているカレンダーのことですか?」
「はい。といっても、今のカレンダーは『新暦』ですが、当時は『旧暦』のカレンダーが使われていました」
月の運行をもとに1年を計算する手法で作られている(ちなみに「新暦」は、太陽の周りを地球が一周する時間を基準に作られている)
メイン業務のカレンダー制作と占い
安倍晴明の末裔として、土御門神道本庁の宮司を勤める藤田さんは、現在でも歴を作る仕事を続けている。
写真は来年・平成30年度の『運勢暦』。三嶋大社や平安神宮、稲荷大社にある『運勢暦』は、昭和20年からずっと藤田さんが作っているそう。
「陰陽師って、カレンダーを作ってたんですね。なんか……業務内容、地味すぎません?」
「呪術も魔物も出てこないので、かなり地味に聞こえるかもしれませんね。でも当時は大切な仕事だったんですよ。暦がなければ、祭りの日時も決められませんから」
「祭りの日取りなんて、いつでもいいのでは?」
「いえいえ、祭りも、日取りも、すごく大事です。今でも結婚式は『大安』や『友引』にするし、葬儀の日に『友引』は縁起が悪いといって外すでしょ? あれ『六曜(ろくよう)』といって、陰陽道から来てるんです」
カレンダーに書いてある『友引』『仏滅など』六曜の意味
・先勝
「先んずれば即ち勝つ」の意味。万事に急ぐことが良い。・友引
「凶事に友を引く」の意味。葬式を行うと、友が冥土に引き寄せられる(=死ぬ)と言われる。
・先負
「先んずれば即ち負ける」の意味。勝負事や急用は避けるべき。・仏滅
六曜の中で最凶の日とされ、婚礼などの祝儀を忌む習慣がある。・大安
六曜の中で最も吉の日とされる。何事においても成功しないことはない日。・赤口
午の刻(午前11時ごろから午後1時ごろまで)のみ吉で、それ以外は凶。
「そして『祭り』とは、本来は神を『祀る』ことであって、神さまや尊(みこと)に祈る儀式でした。古代における非常に重要なイベントだったんです。だから日取りが重要だったわけですね」
「祭りというと出店でアメリカンドッグを食べるイメージしかなかった」
家の間取り図に重ねて、家相を占う道具。間取り図にの中心において方位を確認しながら、水場の位置や窓の位置などを決める。
「旧暦の中でも、当時の歴は『具注暦(ぐちゅうれき)』と呼ばれ、朝廷が厳密に管理していました」
「ぐちゅうれき……というのは、どういうものなんですか?」
「日時だけではなく、方位などの吉凶、その日の運勢などが書き込まれた暦ですね。この暦をもとに、色々な物事の日取りを決めたり、占っていたわけです」
「む! 占い!?」
「そんなに食いつかれると申し訳ないんですが、菊地さんの持つイメージとは少し違うかもしれません。ここで言う占いとは、いわば統計学なんですよね。『今までは、あの星に動きがあると良くない年になった。だから今年もそうなるだろう』みたいな」
「う~ん、天気予報のような感じなんですかね? 『3月に、ここに低気圧があると雨が多くなる』とか」
「過去のできごとから事象の原因を考えたり、予測していたんでしょう。なので、未来を占ったり行動指針を決めたりするのも、平安の当時なりに、綿密な計算があったんです」
外出先や出張先で方角を確認するために使う、方位磁石のようなもの。陰陽道では、あらゆる場面で方位が重要視される。商談や打ち合わせのときには、自分が北を背にして座ると有利に進むらしい。
「そうか……今みたいに物理学で原因が解明してるわけじゃないですもんね」
「今まではこうだった、というデータを集めて、対処を“暦”という形で伝えていたんですよ」
「学者でもない町民なんかは、『理解できない天候や運勢に、占いで対処する陰陽師』のことを聞いて、超常的な能力をもった人間、という風に描いたのかな」
「実際の陰陽師は、天文学で星の運行を調べ、吉凶を記した暦を作り、時間を測る公務員だった。なんとなく、どんな仕事か、わかって頂けましたか?」
「はい! 魔法みたいなロマンチックなものではなかったけど、当時の科学者として未来を予測するために星を眺めてたんだな……と思うと、別のロマンを感じてきました」
「でも、霊的なものが本当に一切なかったというのは、やっぱりちょっとだけショックでしたね(笑)」
「いや、霊的なものが『一切なかった』というと、それはそれで、私には断言できません。伝えられてる逸話があまりにも多すぎる」
「でも、『残っている逸話の9割は創作』っておっしゃってたじゃないですか」
「9割はね。でも残り1割は……」
「(ゴクリ)」
「あはは、まあそういった逸話も、陰陽師を知るきっかけになってくれればと思ってます」
「僕が完全にそのパターンでした。では、今日は興味深い話を色々とありがとうございました!」
「はい、ありがとうございました」
まとめ
いかがでしたか?フィクションの世界だけの、どこか遠い存在だと思っていた陰陽師。
しかし実際は、私が想像していた陰陽師とはかけ離れていました。まさか陰陽師が国家公務員で、カレンダーを作っていたとは!
それに、あの安倍晴明が50歳まで無名だったなんて……。
なんだか元気が湧いてきました!だって今から頑張れば、僕でも歴史に名を残せる可能性があるってことですよね? ?
よーし! 頑張るぞー!
俄然やる気が出てきたので、今日はこの辺で失礼します!
取材協力:天社土御門神道本庁 藤田 義仁さん
おおい町暦会館 館長 谷川泰信(たにがわ・やすのぶ)さん
※取材のため特別に写真撮影の許可をいただいております。
書いた人:菊地誠
自社メディア事業を手がける西新宿のデジタルマーケティング企業、株式会社キュービックのPR担当兼ライター。タイ人と2人で暮らしています。タイでドリアンの畑を作成中。動物とぬか漬けが好き。Facebook:菊地 誠 / Twitter:@yutorizuke / 所属:株式会社キュービック