こんにちは、ライターの友光だんごです。取材が夏だったため季節感皆無の服装で失礼します。
さて、皆さんの地元に「商店街」はありますか?
こんな元気な商店街だと、ぶらぶら歩いて店をひやかすだけで楽しいですが…
シャッターが下りた店ばかりの「なんだか元気ないな…」という商店街、多くないですか。こうした「シャッター商店街」は日本全国で増えているんです。
Google検索の予測変換でも「活性化」「衰退」が上位にくるほど。
なんでそんなに元気がないのか…ざっくりまとめると次のようになります。
『商店街はいま必要なのか』(満薗勇・著、講談社現代新書刊)によれば、日本の商店街が繁栄したのは1970年代にかけて。その後、1980年代には衰退傾向に入り、シャッター商店街が増え続けている、といいます。
実際、皆さんも商店街のお店より、スーパーやコンビニで買い物をすることの方が多いのではないでしょうか。
時代の変化といえばそれまでですが、肉屋でコロッケを買い食いしたり、八百屋のおじさんに「大根とネギで300万円ね!」みたいに言われたり…商店街のよさってあると思うんです。
果たして、このままシャッター商店街ばかりになってしまうんでしょうか?
シャッター商店街を再生させた「90万円の男」
しかし、見事「再生」に成功し、全国から熱い注目を集めている商店街もあります。
それが宮崎県の南、日南市にある「油津商店街」です。
この油津商店街、以前はご覧の通り。
4軒に1軒は空き店舗という、まさにシャッター商店街でした。
アーケードの下で地元の子どもたちが野球をできるくらい寂れてしまっていたそうなんです。
しかし、それが今では…
すごい賑わってるー!!!
復活を生んだキーマンが、こちらの木藤亮太(きとう・りょうた)さん。
元々は福岡で環境設計やランドスケープデザイン、まちづくりなどに関わっていた木藤さん。2013年に日南市へやって来て以来、次のような実績を築いています。
その復活ぶりは数字の面にも現れ、地方創生大臣が訪問したり、経済産業大臣から「はばたく商店街30選」に選ばれたりと油津商店街は全国から注目を集める存在になっています。
ちなみに木藤さんはメディアで「90万円のひと」として取り上げられていたそうなのですが、どういう意味でしょう…?
「商店街を再生させるため、日南市が全国から人材を公募したんです。その条件が『月額90万円の委託料』で」
「その公募で採用されたのが木藤さんだと。月給90万円ということは年収1000万円超え⁈ 外車買えるじゃないですか!」
「いや、諸々の経費が含まれてるので、懐に入るのはもっと少ないですよ」
「安心しました。木藤さんがやってきた時、油津商店街はシャッター商店街だったんですよね」
「はい。営業している店舗が全盛期の半分以下になっていました」
「かなり寂しい状況だったんですね。ただ、シャッターだらけの眺めって、終末SF好きとしてはちょっとワクワクもしちゃうんです。人のいなくなった世界というか……!」
「急に興奮するのやめてくださいね。あのね、シャッターが閉まってても、意外と人が住んでる場合があるんですよ」
「まさか空き家に誰かが忍び込んで勝手に…終末の世界…!」
「SFからいったん離れてください。商店街のお店は店舗と住宅を兼ねているところが多いですから。店は営業していなくても店主一家が住み続けている場合があって」
「あ、なるほど。でも、店をやらないなら引っ越したりしないんですか?」
「持ち家の場合が多いですし、店主は高齢の方が多いですから。そのまま住み続けるんでしょうね」
「それだと新しい人には貸さないですね。お子さんが継いだりは…?」
「よく聞くのは子どもは都会で就職しているパターンですね。しかも、頑張っていい大学に行かせたので、医者とかになっていて」
「子どもには勉強させて偉くなってほしい!と都会の大学へ行かせた結果、家業の後継ぎがいなくなる、か…」
「あとは、油津商店街では、家主が別の場所に住んでいるけれど『実家だから』と手放すことに消極的なケースも多くて」
「その気持ちも理解できます…難しいな〜全国でシャッター商店街が増えていく理由がわかってきました」
「気持ちの問題も絡むので、なかなか難しいですよね」
「では、木藤さんはどうやって油津商店街をどうやって再生させたんでしょうか?」
「1週間だけ鍵を借りる」テクニック
「僕の大きなミッションは、シャッターの下りた空き店舗に新しい店を誘致すること。そのためには家主さんとの交渉が必要です」
「でも、家主さんは人に貸すことに消極的な人が多いわけですよね」
「そうです。そこで上手くいったやり方の一つは、『夏休みのお化け屋敷として空き店舗を使わせてもらう』ことでした」
「??『幽霊が出るから早く出て行ったほうがいい』と家主さんを説得する…?」
「違います。地元の高校生が、毎年の夏休みのイベントでお化け屋敷を企画してるんです。『その会場で使うから』と数日間だけ鍵を借りて、シャッターを開けるんですよ。これって、一時的にでも使ってる状態を見せるのが目的なんです」
「なるほど、何年もシャッターが下りたままだった場所が…」
「賑わう状態が生まれる。そしたら昔見てた風景が蘇るじゃないですか。『ああ、そういえばこんなに人が来てたな』って思うと、貸すことに前向きになれると思うんですよね。実際、過去4回、お化け屋敷として使った物件はすべて新しい店に変わってます」
「すごい!数日だけ、というのは心理的なハードルを下げる効果もありますよね。異性を口説くテクニックみたいだ…!」
「『辞めやすくなる商店街』というのはありかな、と思うんです。これまでは店が廃業してシャッターが閉まると、閉まったままだったんですよね」
「店主の皆さんは、未来への前向きなビジョンを持てなくなってた…」
「はい。だけど、今年に入って廃業された布団屋さんがあるんですが、そこにIT企業のオフィスがはいることになったんです。高齢で後継ぎのいないお店も多くあり、こういった事例ができれば、いつまで続けようかなってことが考えやすくなりますよね」
「日本人って周りに合わせがちですからね。そうやって1軒ずつ新しい店を開拓していったと」
「まあ、菓子折りを持って1軒ずつまわって、会合に顔を出してお酒を飲んで、みたいな泥臭いことがほとんどですよ。結局は人対人のコミュニケーションですから」
「九州の人ってお酒が強そうなイメージですが」
「はい。僕が公募で選ばれた決め手は『焼酎の注ぎ方』だと言われました」
「地元の人をオトしたテクニック、後で教えてください…!」
商売の場所ではなく、新たな価値を生む
「正直なところ、僕がしたのは『商売の場所としての再生』というより『新しい価値観をつくる再生』だと思うんですね」
「商店街が商売の場所ではなくなっている、ということですか?」
「少し商店街の歴史をお話しますね。油津には港があって、江戸時代はブランド杉の積み出しで、昭和に入るとマグロ漁などで栄えていたんです。やがて油津駅ができて、港と駅の間に商店街が生まれました」
「人通りの多い場所にということですね」
「商店街ってそういうもので。買ってくれる人がいるから『俺は野菜売るわ』『じゃあ俺は魚売ろう』なんて商売をする人が集まる。そこに店舗が並んでアーケードが作られて商店街になると」
「なるほど」
「ただし、人の流れは時代とともに変わるわけです。まず魚が取れなくなって港が寂れる。車社会になって、駅を使う人も少なくなる。すると人通りが減りますから、商店街での商売も苦しくなると」
「そうなると、昔と同じだけのお客さんを呼ぶのは難しいですね」
「はい、だから『新しい価値』=『つながり』や『チャレンジ』を生む再生を目指したんです。例えば住人が集まれる新しい公民館や交流スペースをつくったり、起業家の出店を支援したり」
「たしかに、油津商店街には保育園やIT企業のオフィスがあるのが面白いですよね。いい意味で商店街らしくないというか」
「町の空気感を前向きに変えることは意識しました。あとは『覚悟』ですね。私が市と結んだ契約には『4年で20店舗を誘致』と明記されていて。具体的な目標の数字を入れるって、行政側の覚悟の現れだと思うんです」
「移住して、地域のなかから活性化させるっていうのも本気度を感じます」
今後、日本の商店街はどうなっていくの?
「油津は一つの成功例だと思うんですが、日本の商店街って今後どうなっていくんでしょうか」
「新陳代謝は促進されるでしょうね。空き店舗の状態にすると税金が高くなる、みたいな法律ができるって話も聞きますし」
「先行き不安だからとりあえず手放さずにおこう、だとじわじわ衰退していくだけですからね…」
「ただ、意外と表には見えない商売で成り立ってるお店もあるんです」
「どういうことですか?」
「例えば布団屋さんが近くの学校の合宿のたびに布団を貸し出してたり、傘屋さんが夏に農家向けに麦わら帽子を売ってたり。儲かってるように見えなくても、地域に根付いた商売があるんです」
「知らなかったです…」
「だから必ずしも『人通りが全然ない=商売が成り立ってない』ではなくて。何を持って賑わってるかの定義はすごく難しいんです。それに、人の流れがまた変わる場合もある。油津には広島カープのキャンプ地があって、ここ数年のカープ人気ですごく観光客が増えました」
「油津港にクルーズ船が寄港するようになって、海外からの観光客も増えました。ただ、そういう外からくる追い風は宝くじみたいなものですから、やっぱり地域の中から変えていかないと。我々としては、ここで『次の世代に渡す』いい成功例を作って、それを伝えていきたいです」
「『次に渡さないとかっこ悪い』くらいの空気が生まれればいいですね。ありがとうございました!」
おわりに
取材を終えて商店街を歩いていると、道端でゲームに興じる少年たちの姿がありました。こんなのどかな光景が見られるのも、油津商店街がよみがえった証なのでしょう。
「次の世代に渡す難しさ」は、今の日本がさまざまな場所で直面している課題のように思います。
地域活性に関する著書も多いまちビジネス事業家の木下斉さんは、「東洋経済オンライン」の連載で次のように指摘しています。
国土交通省実施の「平成 26 年空家実態調査」では、空き家にしておく理由の3分の1以上を占める37.7%の人が「特に困っていないから」と回答しています(調査結果の概要の14ページ、複数回答)。
(中略)他人に貸したり、売ったりしなければ、家計や事業が破綻するような切羽詰まった状況にあれば、必死になって営業してどうにか借り手や買い手を探します。つまり、そこまでに至らない空き家が問題の中心になっているのです。
「シャッター商店街」は本当に困っているのか(http://toyokeizai.net/articles/-/139294?page=2)より引用
そして、この空き家問題と同じ構造なのがシャッター商店街の問題である、と木下さんはいいます。
「困っていない」家主たちにより、シャッターが閉まりっぱなしの通りが生まれる。しかし、そのままでは地域は先細っていく一方です。
そんな時に、地域が変わるための一つの答えが「辞めやすくなる商店街」なのではないでしょうか。だからこそ、油津商店街の事例はこれからの地方の希望になりうる。そんなことを感じた取材でした。
この記事でみなさんの商店街観が少しでも変われば幸いです。それではまたー!
書いた人:友光だんご
編集者/ライター。1989年岡山生まれ。Huuuu所属。インタビューと犬とビールが好きです。Facebook:友光だんご / Twitter:@inutekina / 個人ブログ:友光だんご日記 / Mail: dango(a)huuuu.jp