ラベンダー越しの富士山でこんにちは。ライターの友光だんごです。
富士山といえば日本のシンボルですが、「和食」「和菓子」「和服」「和紙」など、日本ならではの「和〇〇」は色々ありますよね。
例えば和紙。古くから障子や団扇などに使われ、日本人の暮らしには欠かせないものでした。
しかし一説によると、「和紙」とは明治時代に西洋から入ってきた「洋紙」と区別するために生まれた名前。それまでは、あくまでただの「紙」だったそうなのです。
小学校のときの習字で使った『半紙』やおじいちゃんちの『障子』、そしてお金の『お札』だって、そういえば和紙でできています。
意外と身近にある和紙ですが、改めて考えてみると知らないことだらけではないでしょうか。あの独特な手触りは何なんだろう…? そういえば和紙の素材って? パルプとかいうやつだっけ…??
そもそも、和紙って何なんでしょう?
日本人が意外と知らない和紙の世界。その秘密を探るべく、山梨の和紙メーカー「大直」の一瀬美教さんに話を聞いてみることにしました。
話を聞いた人:一瀬美教(いちのせ・よしのり)
1000年の歴史を持つ和紙の産地・山梨県市川大門に本社を構える「大直」社長。地場産業である障子紙をはじめ、和紙雑貨ブランド「めでたや」や深澤直人さんがデザインを手がけた「SIWA|紙和」などを展開し、紙の新しい可能性を発信し続けている。
何をもって「和紙」と呼ぶか?
「いきなりですが、『和紙』って何なんでしょう?」
「それは、実はとっても難しい問題なんですよね。歴史も相当長いし、なかなか簡単には言えるものではなくて……まあ、私の知る限りでお話しします」
「ありがとうございます!」
「まず、そもそも『紙』というのは紀元前に中国で発明されたと言われています。その後、紙の製法は中国から世界各国へ伝えられます。日本には朝鮮を経由して入ってきたんですね」
「なんと、紙の発祥は中国だったんですね! 知らなかった……ところで、紙ってどうやって作るんでしょうか」
「ざっくり言うと、いわゆる『紙』というのは何らかの植物の繊維を水の中で分散させて、それを漉いてシート状にし、乾燥させたもの。ただ、国によって生えている植物は違いますよね。だから、紙づくりの技術は、それぞれの国の風土に合わせて独自に発展してきたんです」
「では、中国の紙と日本の紙も違うんですか?」
「簡単に言うと、日本の紙の方が『薄くて均一』です。その理由は日本人の技術の高さと、紙漉きの際に独自の『粘り成分』(トロロアオイという植物)を使っているから。これは日本で発見された製法なんです」
「日本オリジナル成分! 薄くて均一のきれいな和紙は、トロロアオイのおかげなんですね」
「そうですね。そして明治時代になり、文明開化とともに西洋から向こうの紙が入ってきて、『洋紙』と区別するために『和紙』という名前がついたという説があります。そもそも、自国の紙にわざわざ名前をつけてるのは日本だけなんです。他の国ではただの『紙』ですよ」
「知らなかったです……昔から日本人は自国の文化にプライドを持っていたのかもしれませんね」
「日本人の美的感性が、薄くてきれいな紙を求め、それを作り出す加工技術が生まれたんでしょうね。書道用紙のように『ものを書く』だけでなく、障子や提灯、団扇や傘など、暮らしの中のさまざまな用途で和紙が使われていました」
「ちなみに、日本で和紙の素材に使われてきたのは以下のような植物なんですが」
「和紙の材料になっている楮はアジア、特にタイから輸入されているものが多いんですよ。海外の紙漉き工場で生産されている和紙もあります」
「材料や生産まで海外で!! そう聞くと気になってしまうのですが、海外産の材料を使ったり、海外の工場で作られても和紙は和紙なんでしょうか」
「それが難しい問題なんです。文化としての和紙と、産業としての和紙という2つの考え方があると思うんですが……例えば、和紙はユネスコの世界無形文化遺産に指定されています。文化遺産として考えれば、楮のみを使用した伝統的な製法を守ろうという人もいる」
「ふむふむ、それが『文化としての和紙』ですね」
「ただし産業、つまり和紙メーカーとして会社を経営していくためには、伝統的な和紙だけを作っていたのでは難しいんです」
「『産業としての和紙』は、時代に合わせて考え方を変える必要があると。その『文化』と『産業』の構造、業界内でいろんな議論がされていそうですね……」
「そうなんです。あとはコストの問題もありますよ。さっき言ったように和紙の原料の多くは海外産になっているので、『純国産』にこだわるとコストが上がり値段が高くなる。すると売れない。だから、うちは国産だけでなく海外産の原料を使うこともあるし、一部の和紙は海外の工場で作っています」
日本の暮らしから和紙が消えていった
「日本だけでなく、海外でも和紙を作っているんですね! どのような経緯だったんでしょうか?」
「そうですね、まず、うちの歴史から簡単に説明しましょうか。大直のある市川大門は昔からお寺が多くて、写経用の紙の需要があったんです。だから、昔から和紙屋がたくさんあった。江戸時代には幕府が使う専用の紙『御用紙』を作り、市川大門から幕府へ納めていました」
「写経紙に幕府専用の紙…いろんな和紙の需要があったんですね」
「そうですね。書道用紙や障子紙づくりは今や市川大門の地場産業になっていますが、江戸時代には300軒の紙屋があったといわれています。大直もそのなかの一つとして始まりました。私が小学生のころまではどこも手漉きだったから、町を歩くと紙を漉く『ピッチャンピッチャン』って音がしてましたね」
「まさに和紙の町!町中に紙漉きの音が響いてたって、風流な感じがします……」
「ただし、時代が変われば、需要も変わります。市川大門に関して言えば、オイルショックの時がピークだったかな。書道をする人も、障子や襖のある家も減っていきましたから」
「私や妻はいわゆる団塊の世代で、アメリカの文化に憧れて育ったんです。ビートルズや平凡パンチが好きでね。だから、自分たちがものづくりをする際も、モダンな和紙製品を作ろうと考えたんです。伝統を守っていくことも大事ですが、新しい挑戦も必要じゃないかと。それが30〜40年前かな」
「ミニスカートやアイビーが流行した頃ですね」
「それに『デザイン』という考え方が海外から入って来た時代でもあった。だから、和紙とデザインを組み合わせようと、デザイナーさんと一緒に作り始めたんです。当時、和紙業界でそういうことをしている人は少なかった」
「斬新な取り組み! 最初に作った『モダンな和紙製品』はどんなものだったんですか?」
「和紙のロールスクリーンが最初だったかな。当時の横浜そごうのインテリアコーディネーターに、テーブルまわりのものを和紙で作って欲しいって頼まれたんです。時代に合った和紙製品はまだ少なかったので、とても人気になってね」
「その頃、生産は日本だけで?」
「はじめは京都の工場で作ってもらってたんですが、生産量が追いつかなくなっちゃってね。そこから海外の工場との出会いがあったんです」
きっかけは「Made in Thailand」の紙
「80年代のことですが、たまたまヨーロッパの紙の展示会に行って、手に取った紙の見本に『Made in Thailand』と書いてあったんです。パッと見たときに日本の和紙かな?と思うくらいの品質だったんですね」
「でも、タイで作られた紙だったと!」
「はい。ちょうど和紙を作れる工場を探していたので、『アジアに行かなきゃ』と思って、家内と現地へ飛んだんです。自分たちの足で工場を回って、まずタイとフィリピン2社ずつと付き合いを始めました」
「向こうの紙屋はどんな風だったんでしょう。昔ながらの職人さん?」
「中国から伝わった製法で、現地の植物を使って紙を漉いていましたね。産業としては歴史が浅かった。タイでは楮やパイナップルの繊維を、フィリピンではマニラ麻やバナナの繊維を使った紙でした」
「パイナップルやバナナで和紙を! 本当に国によって原料は色々なんですね。面白いなあ」
「そこに私たちが日本の和紙の『製法』の一部と『感覚』を伝えて、うちで扱う和紙の一部をお願いするようになりました。そして、その和紙を使い、クラフト(工芸)品も作り始めたんです」
「そこからアジアの工場との関係が始まって、もう30年近く続いているんですね。僕の生まれる前から……すごいですね」
「当時は国内の人件費が上がってきたから海外で作ろうというのが一般的な流れでしたけど、我々は違いました」
「と言いますと?」
「大量生産も考えていませんし、コストを求めるんじゃなく、高い技術で継続的にものを作っていくということが重要でした。こちらの要求に応えられる職人がいたのが、たまたま海外だったんです」
「ものづくりのクオリティや継続性を考えた結果だったんですね。なるほど…」
「アジアの人って器用なんです。メインの工場はタイの北部にあるんですが、タイの人は勤勉だから技術もどんどん伸びます。日本人より、日本人らしい感性を持っているといってもいいかもしれない」
「へえ〜、ものづくりへのこだわりということですか?」
「はい。向こうの人には日本のものづくりに対する憧れがあり、プライドを持って仕事をしてくれます。和紙を通して理解し合えたからこそ、文化の壁を越えて30年も取引が続いたのかもしれません。うちでは『逆フェアトレードな関係』と呼ぶんですが、向こうの工場の人も豊かになっていますよ」
目先の数字よりも「好きなもの」を目標に
「大直さんの根っこには『時代に合わせ、ちゃんと使われるもの、需要のあるものを作る』という姿勢がありますね。新しいものを作るために変化を恐れず、使ってもらうためには、品質にもこだわる。品質を求めた結果、たまたま海外の工場でも和紙を作ることになったという」
「基本的なスタンスが、目先の利益を追うってことじゃないんですよ。機械生産ではない、手仕事であり手工芸の和紙製品を作りたかった。『自分たちの好きなものを作る』を目標にするのがいいんじゃないかな、とは昔から思っていました」
「自分たちが欲しいものを作る、ということですね」
「利益追従じゃないから、会社の経営としては難しいですよ。数字が付いて回りますから」
「真面目な話、今の若者もあまり求めすぎず、自分たちの手の届くところで何かを作る方が幸せじゃないかと気付き始めてるように思うんです。そんな時代の変化と、大直さんの姿勢は同じなような気がして」
「そうかもしれないですね」
「そういえば、河口湖に『めでたや』の新店舗をオープンされたんですよね。『めでたや』はモダンなものというより、日本の伝統がテーマなんでしょうか」
「和紙の小物や雑貨を通じて、日本の行事や歳事を大事にしてほしい、少しでも生活のなかで感じて欲しい、というのが『めでたや』です。その伝統を昔ながらの形ではなく、デザイナーさんと組んだり、今の暮らしに合わせた形で提案しているんです」
「大きな正月飾りは置くのが難しいかもしれませんけど、小さな和紙の小物だったら、アパートでも飾れますよね。これも『時代に合わせた形』ですね」
「親から子へ、少しでも伝わればいいなと思いますよ。そういう『心』みたいなものを載せる役割は、和紙にはまだまだあるんじゃないかな。その役割を果たしてもらうには、やっぱり、時代に合わせて変えてかなきゃいけないんです」
「これから、さらに挑戦していきたいことはありますか?」
「産業としての和紙だけでなく、文化としての和紙ともうまく共存していきたいですね。日本各地に伝統的な和紙を作る産地がありますが、その産地とタッグを組んで、継続的なものづくりをできたらと考えているんです」
「伝統的な和紙を使い、例えばデザイナーさんと一緒に時代に合わせた製品をつくったり…」
「そうですね。イタリアにファブリアーノという製紙会社があるんですが、ユーロの紙幣も手がけるような大企業で。産業としてちゃんと利益を生んでいる一方、紙の博物館を作り、文化としての紙も遺す活動をしている。理想の形ですね」
「『産業』と『文化』が両輪になっているんですね」
「やっぱり伝統は業界がちゃんと残さないと。1000年以上続いた伝統があるからこそ、現代的な紙のものづくりも可能になっていますから。基本は『伝統と革新』ということを忘れず、これからもやっていきたいです。『和の心』を大切にね」
「和の心があれば和紙なのかもしれないですね。今日は勉強になりました。ありがとうございました!」
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— どこでも地元メディア「ジモコロ」 (@jimocoro) 2017年9月26日
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書いた人:友光だんご
編集者/ライター。1989年岡山生まれ。Huuuu所属。犬とビールを見ると駆けだす。Facebook:友光 哲 / Twitter:@inutekina / 個人ブログ:友光だんご日記 / Mail: dango(a)huuuu.jp