思わず目を奪われるような作品の数々、実はこれ飴細工なんです。独学で技術を磨いてきた若き職人・手塚新理さんが……
「ちょっと柿次郎さん、前回と全く同じじゃないですか!」
「お、若くして『飴細工アメシン』を立ち上げ、最近では海外での活動や弟子も増えている手塚くん」
「説明的な口調。それより、間違って前回の記事を開いちゃったのかと思いました。熱心なジモコロ読者が怒りますよ」
「手塚くんが『前回』と言ってるのは、2015年末に公開した『「若きアメ細工職人」と「引退を余儀なくされた鋏職人」』という記事のことですね」
「今回は、上の記事の『続き』なんです」
「1年以上前の記事なのに」
「いや、あの後めちゃくちゃ気になっていたんだよね。だって、手塚くんのアメ細工に欠かせない握り鋏(にぎりばさみ)がもう新しく作れないかも、ということだったじゃない」
「この鋏ですね。普通の握り鋏よりも大きくてばねの力が強いものを、燕三条の外山健さんという職人さんに特注していたんです。ところが、柿次郎さんと一緒に外山さんに会いに行ってみたら、鋏作りにドクターストップがかかってしまったと言われ、どうしようかと思いました……」
「燕三条で握り鋏を打てる職人さんは外山さんが最後だったもんね。でもその後、兵庫・小野市の職人さんが見つかったんでしょ?」
「そうなんです!実は、新しい握り鋏の試作品もできあがっていて。ちょうど打ち合わせで会いに行こうと思ってたんですが、一緒に行きません?」
「もちろん!ということで、『鋏職人とアメ細工職人のその後の物語』、始まります!」
出会いのきっかけはFacebook
手塚くんとやって来たのは、兵庫・小野市の「水池鋏製作所」。
小野市の位置する兵庫県の南西部は「播州」と呼ばれ、古くから金物産業が根付く土地です。
工房では、職人の水池長弥(おさみ)さんが出迎えてくれました。
「遠いところをようこそ」
「こんにちは!あれ、お隣にいるのは……?」
「弟子の寺崎研志です」
「おお〜〜なんと!お弟子さんまでいるとは!!」
「僕がそもそも水池さんのことを知ったのは、『兵庫・小野市の鋏職人さんが弟子をとった!」というニュースを見たのがきっかけ』だったんです」
「テレビかなにかで?」
「Facebookで記事がシェアされてたんです」
「めちゃ現代ぽい」
「そのシェアされた記事は、小野市在住のデザイナー小林新也さんが書いたもので。記事をシェアした友人を通じてすぐに小林さんに連絡をとって、彼の紹介で水池さんと繋がることができました」
「小林くんは、小野の職人の現状にすごく危機感をもって動いてくれているんだ」
「ジモコロで色んな土地を回っていると、職人の高齢化、後継者不足というのは共通の問題として気付くんですが、小野もやはり……」
「そうだね。年寄りばかりになってしまって、後継者も少ないな。私も寺崎を弟子にとるときは、かなり悩んだんだ。汚れて儲けの少ない仕事だし、自分の息子には継がせていなかったからね。将来の不安もそうだし、日々の注文を捌くので時間的にも体力的にもやっとで、弟子をとって教える余裕は無いという職人も多いんじゃないかな」
「職人さんが高齢になってしまうと、そこから弟子をとるのは難しくなりますもんね」
「燕三条の外山さんは『いつまで体が動くかわからなくて、一人前になるまで教える自信がないから弟子はとらない』、と言っていましたね」
「技術を伝えたくても、弟子をとるのをためらってしまう色んな要因があるんだ……」
「まあ、私の場合、小林くんの熱意もあって、弟子をとることになったんだけどね」
「長年、培われてきた職人さんの技術が途絶えてしまうのはとっても惜しいですからね。おかげで、僕の鋏もまた作ってもらえるようになったので本当によかったです」
「燕三条から小野の地へと、いわば鋏に導かれて辿り着いたのが面白いよね。それに76歳の外山さんから71歳の水池さんへのバトンパスって、考えてみたらめちゃくちゃ奇跡的じゃないですか?」
「僕も今でこそ普通にしてますが、水池さんが見つかった時の興奮はすごかったです」
外山さんと同じ形でも、違う個性の鋏
「じゃあ、握り鋏について詳しく聞かせてください。最初の手塚くんからの依頼は、どんな風だったんですか?」
「まず、燕三条の外山さんに作ってもらっていた経緯を説明して、それから外山さんが作った握り鋏の実物をお渡ししました」
「そういえば、前回の記事で外山さんも『(同じ職人なら)実物を見せれば頭の中で図面を引いて作れるはずだ』って言ってましたね。その鋏を見て理解する感じ、めちゃくちゃアツくないですか?」
「経験を積んだ者同士だからこその無言の会話というか……」
「私は小さい(通常のサイズの)握り鋏しか知らなかったから、最初に手塚くんから届いた鋏を見て驚いたね。大きいし、ばねがこんなに強くちゃ使いにくいんじゃないか?と思ったよ」
「鋏の切っ先でアメに細かい細工をするので、ばねの強さは必要なんですよね。長い時は一日中握って作業するので、普通の握り鋏とは違うところが多いです」
「驚いたけど、それは私が飴細工をやったことがないからだと思ってね。手塚くんの求める形に近づけようと思ってやっているよ」
「水池さんの作ってくれた握り鋏を見て驚いたんですが、形は同じでも、外山さんと違うところもあって。例えば、この刃の根元の鋼のつけ方とか……」
「職人さんの個性の違いってことですね!」
「根元は刃を重ねたときに何度も刃同士がぶつかるから、耐久性があった方がいいな、とか、そういう工夫は考えるね」
「実際に小野に来るのは3回目ですが、その間も電話で何度もやりとりしています。微妙な点も使いやすさに影響するので、つい、めちゃくちゃ細かい注文をしちゃってると思いますね」
「まあ、手塚くんの方も『このおっさん、俺の言うこと聞けへん』なんて思ってるんじゃない(笑)? やっぱり、細かな注文は、職人だからこそのこだわり。使う人には満足してもらいたいから、そのこだわりにはちゃんと応えたいね」
「こんな細かく頼めるのも職人さんの手作りだからこそで。こんなことを頼めるのも、いまや水池さんだけになってしまったんですよ」
「『日本で最後の手打ち鋏職人』ってことですね」
「そうだねえ……あ、コーヒー飲んでください」
我々のために、石油ストーブの上で缶コーヒーを温めてくれていた水池さん。優しさ……!
「邪魔にならんから」と父から教わった手打ちの技術
「ルーツ大好きおじさんなので気になるんですが、そもそも、小野の鋏づくりはどこから来たんでしょう?」
「200年以上前に、大阪に播州から数人の職人が修行に行って、鋏づくりを学んできたのがきっかけといわれているね。その後、堺や関、燕三条につぐ刃物の生産地と呼ばれるくらいになって、私が工房を継いだ50年ほど前には、160人くらいの鋏職人が小野にいたんだ」
「それが、いまや鋏職人は水池さんひとりに」
「プレス(機械を使う製法)の職人は何人か残っているけどね。彼らも、もうあと数年で辞めると言っている」
「職人さんがガクッと減ってしまったきっかけはあったんですか?」
「繊維産業が工場を海外に移す流れが20年くらい前に始まったんだ。握り鋏は、繊維工場での需要が大きいんだよ。ひとつの工場で使う鋏の数も多いし、その分、鋏を修理・調整する需要も生まれるしね。だから、日本の繊維工場が無くなると、小野への鋏の注文も減って、職人も廃業せざるをえなくなっていった」
「大量生産して安く売るために、人件費の安い海外へ工場を移した結果、工場で使われている道具を作る国内の職人さんに影響が出ていたんですね。ファストファッションチェーンの洋服、安いからつい買っちゃいますけど……」
「消費者の側は安価なもの、便利なものに流れるのはしょうがないとは思うんだよ。だけど、反面、影響を受けている場所もあるんだよね。気づいていないだけで」
「しかも、問題として皆が気づいたときには、ほとんど手遅れなんです。現に、燕三条は鋏が作れる職人さんがいなくなってしまったので」
「小野にプレスの職人さんが数人と仰ってましたが、手打ちとどういう違いがあるんですか?」
「プレスは機械を使うから、手打ちと違って量産できるんだよ。私がまだ父の鋏作りを手伝っていた頃、小野の鋏職人が一気に機械を導入したときがあって、プレスの職人がほとんどになった。だけど、父は手打ちをやめなかったんだ」
「量産できる方が儲かりそうな気はしますし、そちらに流れる職人さんの気持ちもわかります。でも、お父さんはあえて、周りとは逆を行ったんですね」
「そうだね、その後、私が45、6歳のときに、手打ちの技術を父から教えられたんだ。『覚えておけば邪魔にならんから』と言われてね。周りの状況をみて、技術が途絶えてしまうという危機感が、父にあったのかもしれない」
「そこで教わっていなかったら、燕三条のように、小野でも手打ちが途絶えていたかもしれないんだ……!」
「お父さんの決断がなかったら、途絶えるのは燕三条より早かったかもしれませんね」
「だから、私の体が動く今のうちに、寺崎に『火作り』までは伝えておかないとと思うね」
「そうだ!寺崎さんはどんな経緯で弟子入りしたんですか?」
熊本からやってきた弟子・寺崎さん
「ああ、まずジャックとダミアーノの話をしなきゃ」
「誰????」
「まずですね、ジャパンブランドを海外展開するための『MORE THAN プロジェクト』という経済産業省の事業がありまして。デザイナーの小林さんがプロジェクトの支援を受けて、小野の職人さんに弟子を紹介すべく活動していたんです」
「小林さん、マジのキーマンですね」
「職人が高齢化していて、かつ弟子もいない人がほとんどなので、このままではまずいとなったんですね。それで、小野の金物組合を通じて、親方(水池さん)に弟子をとらないかという話があったんですよ」
「さっきも言ったけれど、最初はあまり乗り気じゃなかったんだ。こんな状況で弟子なんて、と思ってね。実際、最初の募集では、日本人の応募はなし。ただ、海外からの応募は来たんだ。それがジャック」
「ジャックさんはどちらの方だったんですか?」
「アメリカ人だね。その次に来たのが、イタリア人のダミアーノ」
「2人続けて海外の方だったんだ。日本の職人への憧れみたいなものがあるんですかね」
「ダミアーノが一昨年の2月だったかな。ただ、海外の人を弟子として受け入れるのは、私の方もプロジェクトの方でも受け入れ態勢がうまく整っていなくて、丁重にお断りすることになった。その後で、寺崎が応募してきたんだ」
「やっと日本の方が!」
「僕は当時、熊本に住んでいて、普通の会社員だったんです」
「ええ!ちなみにどんなお仕事を?」
「フィルム関係なので、鋏には全然関係がなくて。鍛冶屋は小さいころからの憧れだったんですよ。それで、『MORE THAN プロジェクト』のHPを見て、思い切って応募しました。当時36歳だったので、やるなら今しかないと」
「あ、インターネットで募集を見つけたんですね」
「いまどき、『鍛冶屋のなり方』なんてネット以外に調べる方法がないじゃないですか」
「確かに……ハローワークには求人出てなさそう」
「インターネットでいろんな情報が得やすくなったから、いい時代だよね」
「作り手の側からも発信できて、自分で販路を確保することもできますよね。そういえば僕が水池さんを知ったのもインターネットだ」
「うお〜、インターネットがいい仕事してますね!」
日本の職人のこれからは……
「手塚さんみたいな、オーダーメイドの注文は多いんですか?」
「そうだね。これは庭仕事用にオーダーされた握り鋏。それから、去年の暮れに、北海道から漁船で使う鋏を依頼されたな」
「海外に機械で鋏を作っている工場はあるんですが、細かいオーダーメイドの注文は無理ですからね。できる人がもういないから、注文が集まっているんです。そうだ、水池さん、もっとお金とっちゃっていいんですよ!! 握り鋏に僕のブランドのロゴを入れるための「刻印」(金属のハンコのようなもの)を頼んでいる浅草の職人さんも、とても安い料金しかとっていなくて……」
「手塚くんが怒ってる」
「刻印の職人さんも世界的なブランドの仕事をするような、すごい技術を持った方なんです。だから、仕事の適正価格という意味で、もっと料金をもらっていいいと思います。もっと職人が儲かって、子供からカッコいいって憧れられるような仕事になってほしいんですよ!!」
「寺崎さんにも頑張ってもらわないとですね」
「奴は去年、結婚もしたしな」
「え!お相手は?」
「熊本にいたときに付き合っていた方と……」
「弟子入りしてから兵庫に呼んで、結婚したってことですか?めっちゃいい話〜〜〜〜!稼ぎましょう寺崎さん!そしてフェラーリ買いましょう!」
「僕のアメ細工がもっと有名になることで、水池さんや寺崎さんにも利益が生まれると思うんですよね。最近、海外に行くことも多いんですが、僕のブランドの鋏を欲しいと言ってくれる現地のファンの方もいるので。日本だけでなく海外でも鋏が売れて、小野の鋏の良さも海外へ伝わって……というのが理想です」
「手塚くんの弟子が寺崎さんの鋏を使うこともあるんだよね。受け継がれる意志……!なんだか、この先がめちゃくちゃ楽しみになって来ました! 」
取材を終えて
水池さんのお父さんから水池さん、そして寺崎さんへ。小野で古くから受け継がれてきた技術が次世代へ受け継がれることは、本当に大きなことだと思います。
燕三条から始まった手塚さんの鋏の物語は、ここ小野へと移り、続いていきます。やがて、寺崎さんとともに、日本のみならず世界へも続いていくのでしょう。
そして、今回の継承の物語のキーマンであるデザイナーの小林さんのインタビューも、後日ジモコロにて掲載予定です。お楽しみに!
ライター:友光 だんご
編集者/ライター。1989年岡山生まれ。暮らしからミニコミまで、面白いもの、美味しいもの、特に「だんご」が好きです。Facebook:友光 哲 / Twitter:@inutekina / 個人ブログ:tmmtの日記 / Mail: momoaka1989(a)gmail.com
企画・編集:徳谷 柿次郎
株式会社Huuuu代表取締役。ジモコロ編集長として全国47都道府県を取材したり、ローカル領域で編集してます。趣味→ヒップホップ / 温泉 / カレー / コーヒー / 民俗学など Twitter:@kakijiro / Facebook:kakijiro916 Mail: kakijiro(a)gmail.com