いつもお世話になっております。赤祖父と申します。普段はシステム系の仕事に従事する30代後半・妻子ありの会社員です。ジモコロでは普段、鉄道関係の記事を書いてきたのですが…
今回は、都内からほど近いながらもあまり知られていない”七沢温泉郷”を訪れたときのことを書かせていただきます。
日常からのプチ逃避
とある平日、精神が疲弊していたため、有給を取った。迷惑をかけないよう事前に調整は済ませていたが理由は特に誰にも語らないでおいた。
朝8時半、いつものように子供を保育園に預ける。普段は送りが自分、お迎えが妻と分担しているが、自分が休みの日はお迎えも担当する。そのタイムリミットは17時。この時間で何をしよう。そうだ、温泉に行こう……そんな使い古されたフレーズが頭をよぎり、ベタだなあと頭の中で自分につっこむ。
……この限られた時間で日帰りでき、それもできるだけ鄙びたような、人がいないところが良い。だからいわゆる東京の奥座敷として人気の箱根や熱海は今の気分とはちょっと違う。そしてお金もあまりかけたくない。
そこで脳内の「あとで読む」ならぬ「あとで行く」リストに何となく残っていた、都内から近いある温泉のことを思い出し早速行き方をググり始めた。
その温泉地の名前は「七沢温泉」。温泉が好きで全国色々巡っているつもりだったが、こんな近くに温泉郷があることに気付いたのはつい最近のことだった。
住所としては神奈川県厚木市に位置する。ここなら余裕で日帰り可能、しかも地味すぎて(失礼)殆ど情報もないし、平日なら人もいないだろう、そんな期待を込めてこの七沢温泉郷をひとり訪れてみることにした。
七沢温泉郷までの道のり
七沢温泉郷へ行くには本厚木駅からのバスが良いらしい。新宿からは敢えて小田急の特急ロマンスカーを使って旅の気分を出す。目的の本厚木駅までは通常の運賃プラスたった570円である。
新宿からは40分ほどで本厚木駅に到着。ちょっと検索をしているうちに着いてしまったが、ロマンスカーと、平日休みという特別感、それに個人的に殆ど馴染みの無い駅なので既に旅気分が自分の中で盛り上がりだしていた。
本厚木駅から徒歩数分のところにあるバスターミナルに向かう。ここに書いてあるように七沢方面へのバスも出ている。通常地元の人なら七沢温泉へは車で行く人が殆どなのかもしれないが、ここも敢えて鉄道とバスを使うことで旅の感じが出るのではないだろうか。自分はただ単に車を持っていないだけだが。
バスターミナルも立派で便利。イオンが隣接していて買い物にも便利かもしれない。
七沢温泉郷方面へのバス停を見つける。平均して1時間に2本前後の運行で、かなり便利なほうではないかと思う。地方では平気で1日数便しか出ていないバスなどザラにある。
バスの車内は途中でハイキングを楽しむであろう集団が降り、後は自分ひとりとなった。地方のバスやローカル線の列車で自分ひとりで乗っていると、自分ひとりのために働いてもらって申し訳なくなる気持ちと、空気を運ぶよりは客がいたほうが良いじゃ無いかという気持ちが複雑に絡み合う。運転手さんはどっち寄りの気持ちだろうか。
バスは終点の「七沢」で下車。ここまでは40分弱かかった。降りたのは勿論自分ひとりである。
温泉へ
まず目的の「かぶと湯温泉 山水楼」に向かう。この温泉は厳密には七沢温泉とは別の源泉らしいので別の名乗りになっているが、近いので併せて入ろうと思ったのだった。
宿へのアプローチ。山道をとぼとぼと歩く。平日ということを差し引いてもここまで来ると野鳥の声しか聞こえない。勘違いしそうにもなるが、ここは立派に神奈川県厚木市である。
山水楼の湯は源泉掛け流しということでとても期待している。適温に加温はされているとのことだが、それでもやはりなるべく手を加えないお湯に入りたいというのが温泉好きの人情だ。
鄙びた雰囲気で、人の気配が全然ない。うーん良い雰囲気じゃないか……と思ったら、
本 日 休 業
思わずズコーっと倒れてしまった(そして倒れたことを表現するためにセルフタイマーで撮影をした)。休みなら人の気配がないのは当たり前である。そして後からよーく見たらホームページにも定休日に該当することがわかった。完全にこちらのミスであった。しかしここは絶対リベンジしたい……。
バス停に戻ると、先ほどのバスがそのまま停まっていたので再乗車。「七沢」のひとつ手前のバス停「広沢寺温泉入口」で下車し、そこから徒歩で七沢温泉の温泉街に向かう。温泉街と言っても旅館が何軒かあるだけで、饅頭屋や射的屋などがあるわけではない。きわめて地味であるがそれが良い。
こんな道を歩いていると、なんでここまでひとりできたのだろう、とふと思い直す。仕事や子育て、家庭、ときどき全て捨てたくなるときがある。正直、煩わしいと思うときもある。平日はソコソコに仕事をこなし、休日にはひとりで気ままに旅行に出て見たいものを見て行きたいところに行く、そんな自由な生活に戻りたい、という感情もまた事実として自分の中に湧き出てくる。そこに罪悪感を感じる必要があるのかは人それぞれだが、残念ながら本当にそう思うときがたまにはやっぱりあるので、自分はそういう理想的な良き家庭人・社会人のようにはなれない人間なのだと思うしかなかった。
七沢温泉郷に点在するいくつかの旅館から、まずはこちらの「元湯 玉川館」で日帰り入浴をすることにした。
館内は和モダンといった雰囲気で、移築した古民家らしいのだが清潔感もあるしおしゃれだ。
風呂に向かう風景も良い。新宿からたったの1時間半ほど……「1時間半で日常からここに辿り着いた」ということが不思議な感覚になる。
お湯も想像していたよりも全然良かった。ヌルヌルしていて油断すると思いっきり転びそうだ。七沢温泉は強いアルカリ性だそうで、いわゆる美肌の湯というやつだが要は肌が溶かされているわけだ。玉川館は施設がキレイなので古びた建物が苦手な人にも良いと思う。
玉川館を出た後はハシゴ湯をしようとホカホカになった体を冷やすため敢えての薄着のまま外を歩く。車の音すらしないシンとした山道の冷たい空気が心地よい。
……昔、仕事で付き合いのあった人に言われた、「サボりたいとか、なんかダルいとか、今日は乗らないなとか、そういう気分には素直になったほうが良い。それは体で言う咳が出るとか鼻水が出るとか、そういうのと同じようなもので精神の不調のサインだったりするから」というような言葉がずっと忘れられない。その人は精神をやられてしばらく仕事を休んだ経験がある上でそう教えてくれたのだった。もちろん人にもよるとは思うが、自分の場合は多分日常から逃げたいと思う気持ちにウソをついてはいけないのだと思っているし、そうやってサラリーマン生活を10年以上なんとか継続してきた。そしてその逃げ場という意味で、この七沢温泉は近い割にとてもとても遠くに来た気分にさせてくれている。
先ほどの玉川館のすぐ先にあった「中屋旅館」で2件目の日帰り入浴をすることにした。年季の入った建物が素敵だ。
受付で日帰り入浴料を支払いお風呂に案内してもらう。平日の昼下がり、滞在客はゼロの様子だった。
内湯をいただく。実家にあるのと同じ、星がきらめくような模様が入ったガラスに思わずニヤリとする。
内湯は脱衣所から一段下がったような場所にある。豆タイルやジオラマのように作られた日本庭園風な雰囲気も良い。ここもアルカリ性のいわゆるヌルヌル系なので、肌が溶かされている感覚が心地よい。
風呂から出て、廊下のきしむ音を少なくするよう配慮しながら歩く。こうしてさほど遠くない厚木の温泉にいながら、東北や九州に1日かけて行ったときのような心境になっている自分が不思議になる。ひとりで温泉を堪能している時間の尊さ、それと同時に、煩わしいと思っていたものがもう一度必要だとも思えてくる。この揺り戻しを繰り返しつつ現状をこなしていくことがもしかしたら自分の精神衛生上は一番良いのかもしれない。
七沢温泉くらい近場で、それでいて鄙びた温泉はかえって貴重かもしれない。温泉に関する雑誌やサイトでもあまり見かけない。温泉マニア的に刺さる部分が少ないというのも正直言ってあるのかもしれない。でも決して悪くないし、少なくとも自分はとても気に入った。
中屋旅館は芸能人が訪れた例も多いようだった。撮影か何かだろうか。この建物は遠くの温泉地のそれと同様の鄙びた雰囲気が素晴らしい。
宿泊すれば露天風呂も楽しめるようだ。近すぎる温泉宿に泊まるという贅沢もしてみたいとは思うものの、実際のところなかなかハードルが高い。自分がここに泊まることはあるだろうか、そんな名残惜しさを感じつつ、日常に帰ることにした。
日常に帰る
七沢温泉郷からバス停に戻る道すがら、公園とも駐車場ともつかぬ空間があり、その向こうに動物の檻があるのを見つけた。
近づいてみるとなんとイノシシであった。種類はよくわからないが比較的元気で、こちらに気付き寄ってきたりする。ただ、ペットのようにも思えないしまして動物園のようにも思えない雰囲気が気になった。
と、敷地の一角にこのようなものを見つけた。なるほど……。
イノシシのことをなんとなく忘れようとしながらバス停まで歩いて戻った。帰りのバスでは遠足の帰りと思われる幼稚園児が大量に乗ってきて、大人ひとり分の席に1.5人座る勢いで詰め詰めとなり一気に賑やかになった。よその子供たちを見るたびに、もし自分の子供がこのくらいの年齢に成長したらどんな感じなのだろうな、と思考してしまう。他の友達に対して「おい!ちゃんと座れよ!」と大人ぶって仕切っている子のリュックがこちらの腕にガツガツとぶつかってきていて、仕切る割に全くこちらには気が回ってない感じもまた微笑ましい。
本厚木のバスターミナルに戻ってきた。遅い昼食としてバスターミナル目の前にある中華料理店「相楽」に入る。"さがら"ではなく"そうらく"と読むらしい。個人的には、もうこの建物の「ラーメン」の極太レタリングだけで旨そうに見えてしまう。
店内は数名の先客。同じように遅い昼食を取るサラリーマンや近所の人がいた。テレビでは昼のワイドショーの時間。ごくごく普通の平日の午後。カレンダー通りの勤務体系の自分にとっては、特別で貴重な時間に感じるひとときだ。
ラーメンとチャーハンのセットを注文した。見た目どおりの裏切られない、安定した味であった。コテコテしたラーメンが苦手になって、こういうラーメンが好きになったのはいつからだったろうか、などと思い出してみようともするが、いつも答えが出る前に完食して、結論を忘れてしまうのだった。
本厚木駅からは普通列車で新宿まで帰り、新宿に着いたのは16時頃。十分な余裕を持って保育園のお迎え時間に間に合った。
保育園の入り口でダッシュでこちらに寄ってくる自分の子供に向け、日常に帰ったぞという意味も一緒に込めて、ただいま、と言った。
(おわり)
ライター:赤祖父
三流情報サイト「ハイエナズクラブ」の執筆や編集をしたり「全国ノスタルジー探訪」というブログを書いたりもしているインターネット大好きおじさんです。鉄道や写真も好きです。スマホの電波が入らない場所に行くと急に弱気になります。
Twitterアカウント→@akasofa