こんにちは。ライターの神田(こうだ)です。
突然ですが、みなさんは自分の見るものが正しく見えている自信はありますか? まずはこちらの画像を見てください。
これ、立体的なケーキが動いているように見えますが、
実はこんなペラペラな紙なんです。
どうでしょう、ぼくは実体がわかっても、どうしても立体的なケーキに見えてしまいます。
中には「こんなもの余裕で見破れたよ!」という賢明な方もいらっしゃるかもしれません。そんなあなたのために視覚テストをご用意しました。
こちらはミュラー・リヤー錯視という有名な錯視です。
どちらの棒が長いでしょうか?
簡単ですね。長さは両方とも同じです。
次はこちら。これはエビングハウス錯視と名づけられています。
真ん中の円はどちらが大きいでしょう。
正解は左です。見たままですね。
「左の方が大きく見えるけど、右のほうが実は大きいかも、いや待てよ…」と疑心暗鬼に陥ってほしくて、僕が自作しました。すいません。
このように私たちのものの見方はとてもあいまいです。なぜ実際のものと見え方が異なるのか。日本女子大学の教授で、知覚心理学の専門家・竹内 龍人さんにお話を伺いました。
竹内 龍人教授
京都大学文学部心理学専攻卒業後、東京大学大学院へ。現在は日本女子大学人間社会学部心理学科教授。専門は知覚心理学。視覚的研究に造詣が深い。コーヒーは苦い方が好き。
ケーキはなぜ動く?
「はじめまして、錯視がわけわかんないのでお話を聞きたくお邪魔しました」
「いえいえ、よろしくお願いします」
「先生の著書を読んで、そこに載っていた『動くケーキ』が不思議すぎるんですが、どうして立体的に見えるんでしょうか」
「脳は立体に関する情報があいまいなとき、『現実世界で起こりうる可能性が高い』解釈をします。現実世界でへこんでいるケーキを見ることはまずないため、へこんでいる部分が出っ張って見えちゃうんです」
(型紙引用:『だまし絵でわかる脳のしくみ』竹内龍人著 誠文堂新光社)
「なるほど… では肝心の『動く』とは?」
「このケーキはへこんでいるので、顔を右から左に動かすとケーキの右側が見えますよね。しかしちゃんと出っ張っている本物のケーキであれば、当然ケーキの左側が見えるはずなんです」
「要するにあり得ない見え方をしてしまうわけですよね。なんだか矛盾している…」
「そうです。こうした矛盾した状況のとき、脳は『真ん中がへこんだケーキはあり得ないのでケーキも一緒に動いているはず、だからケーキの左側が見えるのだ』と解釈します。脳は状況に応じてあり得そうな解釈をするんです。これは「逆遠近錯視」と呼ばれている錯視ですね」
「脳って頭いい…」
Coffer Illusion (Anthony Norcia)
「こちらの画像も同じですね。木の板のように見えますが実は円がいくつも描かれています。四角の間の部分に注目するとわかりやすいかもしれません」
「どうみてもただの四角い板ですが…… あっ! 円が浮かび上がってきた!」
「見えましたか? 実はこれは縞の方向が異なる円が描かれているだけなんですね。脳は陰影がついたパターンをできるだけ立体的に解釈しようとするため、円が見えにくくなっていたんです」
http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/catalog.html
「ではこちらの画像はどうでしょうか?気持ち悪いくらいプルプル揺れるんですが……」
「これはオオウチさんというグラフィックデザイナーが作った錯視画像です。作者の名前を借りて『オオウチ錯視』と呼ばれています。なぜ動くのかという一つの可能性として人間の眼球運動が考えられますね」
「眼球運動?」
「人間の目を動かす筋肉は常にぴくぴく震えていて、たとえ目を動かさなくともたえず眼球を揺らしています。その揺れを脳が画面の動きとして認識してしまう」
「それなら、普段見ている光景も揺れてるはずでは?」
「脳の中には手振れ補正機能のようなものがあって、いつもは目の揺れを勝手に補正してくれるんです。しかしオオウチ錯視のような無機質なパターンではその機能がうまく働かないということですね」
「脳って優秀なんですね!」
今回のタイトル画像も同じ原理。ジモコロが動いて見えません?
他にも気になった錯視をご紹介
(原案:Pinna, B. & Brelstaff, G. J. (2000) A new visual illusion of relative motion. Vision Research, 40, 2091–2096.)
(引用:『だまし絵練習帖』 p106 竹内龍人著 誠文堂新光社)
ピンナ錯視という現象が起きている。この画像を顔から遠ざけたり近づけたりするとサークルが回転して見えるというもの。物体の動きを捉える神経細胞それぞれが見ている光景は実はとても狭いため、全体の動きは捉えきれず回転して見えてしまうというもの。
(引用:『だまし絵練習帖』 p40 竹内龍人著 誠文堂新光社)
こちらは「隠れた部分を推測する」という脳の特性を利用したもの。何が隠れているかわかりますか?
ちょっとわかりませんよね。では、ここにランダムなパターンを配置すると……?
(引用:『だまし絵練習帖』 p41 竹内龍人著 誠文堂新光社)
「ABCD」というアルファベットが見えてきます。これは脳の神経細胞が、円形のパターンの背後に文字の一部分が隠れていると解釈し、とぎれた部分を無意識につなげているため。
(引用:『脳が驚いて活性化! 毎日だまし絵で脳トレ』 p1 竹内龍人著 扶桑社)
中心へと伸びる線がグニャグニャ歪んでいるように見えますが、実はすべて直線。これはカフェウォール錯視というもので、傾きを判断する脳のメカニズムが、明るい色と暗い色によってかく乱されているためこのように見えます。
(引用:『脳が驚いて活性化! 毎日だまし絵で脳トレ』 p21 竹内龍人著 扶桑社)
中心のランプを見ながらゆっくり顔を近づけると、白いぼやけたパターンが広がって明るくなったように見えます。ぼやけた部分の大きさが変わるのは、脳がその部分をモノとして認識していないため。脳は対象の大きさを正しくとらえようとするが、白い部分にはその機能が働いていません。
(引用:『脳が驚いて活性化! 毎日だまし絵で脳トレ』 p31 竹内龍人著 扶桑社)
中心のろうそくの炎を見ていると、だんだんと周りが揺らめいてきます。これも先ほどの「オオウチ錯視」と同じく眼球運動によって引き起こされる現象。私たちの目は、じっと見つめているときでも実は細かく動いており、脳が目の動きを対象の動きと判断し、パターンが静止していても動いているように判断してしまうのです。
脳は見間違いをしやすい?
「脳は意外と見間違いをしやすくて、たとえば色の錯視なんですが、白いものと黒いものだと、同じ大きさでも白のほうが大きく見えるという現象が起こります」
「服でも白いものの方が太って見えるって言いますよね」
「白と黒といえば、囲碁ってあるじゃないですか。実は正式な囲碁の碁石って白のほうがやや小さく作られているんです」
「碁石ってふたつとも同じ大きさだと思ってました!」
「江戸時代の棋士が使っていた碁石が現存しているんですが、やはり白のほうが小さく作られていたそうですね」
「昔の人は錯視を感覚でわかっていたんだ… すごい…」
(引用:坂道錯視9 http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/saka9.html)
「錯視として作ろうとしたものではなく、偶然不思議な見え方をしてしまうものってありませんか? 例えばこちらの画像、上の岩壁がソフトモヒカンの男性、下がチンパンジーの横顔に見えますよね」
「たしかに見えないことはないですね」
「こうして風景を誰かの横顔と見てしまうのもある意味では錯視と言えるんでしょうか?」
「そうですね。それは錯視と言ってしまってもいいかもしれません。でも1番面白いのは、僕たちは色んなものに顔を見つけてしまう本能的な特性があるということなんですよね」
「人間の本能なんですか!」
「僕たち人間は、顔のような形に異常に敏感なんです。目と鼻というパターンが並んでいたらそれを顔と認めてしまう、そういう仕組みが脳にあるということなんですね。このコンセントだってそうですよね」
「ホントだ! 下膨れで困っているように見える!」
「車のフロントが顔に見えるというのも同じようなことです。これは私が気に入ってるやつなんですけどいったい何に見えますか?」
「人の顔ですよね……? そして、これはイヤホンをしている…?」
「どことなく先住民の顔に見えませんか? しかもイヤホンはiPhone買ったときについてくるやつですね」
「うわ!! すごい!! この山自体は先住民族に似せようと作ったわけではない…?」
「神がわざわざこの形に作ったという考えには納得できないですね」
「なんと……!」
「人間は顔から敏感に感情を読みとろうとします。対象が自分に対して好意を持っているのか、敵意なのか、どういう状況なのかということを基本的にぼくたちは顔で判断する」
「対象はモノなのに無意識にゴキゲンうかがいの行動を取ってしまっていたんですね。やっぱりその方が生きていくうえで有利なんでしょうか」
「まず有利でしょうね。他人の顔色を読み取れないと共同体の輪からはみ出してしまいかねません。先ほどの横顔に見えてしまうのもしかり、こういうのは人間の特徴として言えるでしょうね」
are these legs shiny and oily or are they legs with white paint on them pic.twitter.com/7Z8e8F1JCZ
— kayden stephenson ⚡️ (@kingkayden) 2016年10月26日
「こちらは錯視として作ろうとしたのかはわかりませんが、Twitterで話題になった画像です。足がオイルでテカテカ光っているように見えませんか? でも実際は足に白い絵の具を塗っているだけなんです」
「これも錯視でしょうね。絵の具が光の鏡面反射のように見えてテカりになっていると」
「どうして光沢ってとらえてしまうんだろう…」
「脳の判断としては、何かが塗ってあるという解釈より、光が反射していると解釈したほうが妥当かもしれないということかな」
「?? 妥当??」
「光沢というのは日常のいたるところにあるじゃないですか。逆に、足が白く汚れていることって普段あまりないわけです。だから確率としては光沢として見るほうがむしろ自然なんですね」
「なるほど! これのおもしろいところは1度気づくともう見えなくなってしまうという点だと思うんです。細部に気づいてしまうとそちらに固定されてしまうというか」
「固定されてしまうというよりかは真実がわかるんですね。『これはただこういう風に塗ってあるだけなんだな』という理解です。一旦真実を知ると、今度は白い絵の具が塗ってあることが“自然”になっちゃうわけです」
錯視の研究について
「錯視の見え方って、その人が育った環境によっても変わったりするんでしょうか? 田舎で育った人と、都会で育った人では見え方が違うとか」
「違うか違わないかはかなり議論がありましたね。昔は環境によって異なるという話も出ていましたが、今では否定されていますね。ただ環境によって変わるというのは間違いないと思います。選択的育成っていうんですけど」
「選択的育成…?」
「子猫をこのような縦じましか見えない環境で育てると、横じまを見ても知覚しにくくなってしまうんですね」
「それは目が慣れてしまうからということですか?」
「そうではなく脳の神経細胞が縦じまに適応してしまっているので横じまに応答しなくなってしまうんです」
「目ではなく脳なんだ!」
「育った環境はもちろん関係しているんですが、ここまで極端でないと影響は出ないと思います。だから田舎で育ったからといって景色の見え方に違いはないでしょう。発育環境が何か影響を及ぼすことはあるでしょうけどね」
「もし自分に子どもが生まれたとして、子どもが見るものすべてを縦じまで揃えたら……『ウォーリーを探せ!』を読んでも、横じまの服を着ているウォーリーを見つけられないんですね」
「お子さんがかわいそうなのでやめてください」
「やめます。ただ目で見えているだけと思っていた錯視が脳自体の研究と直結しているというのは非常に興味深かったです」
「脳の動きをとらえるために錯視というのは非常にちょうどいい。物理的に同じものが実際は違って見えてしまうということは脳の中で何かが起こっているということですからね」
「頭の中で変換されているということでしょうか」
「そうそう。その変換が何かっていうことが脳の中で何が行われているのかということにつながるわけです。錯視の研究もぼくにとっては、ほとんど脳の研究とイコールなんですよね」
「錯視と脳は密接に結びついているんだ…!」
「人間の脳には1000億以上もの神経細胞があるわけですが、特に大脳皮質の3割くらいが視覚に関連したものなんです。これってけっこうすごいことで、それほどまでのリソースをかけていったい何をやっているんだということはたくさんあるんですよ」
「人間は視覚に多くを依存しているんですね」
「人は、見たものを機械みたいに正確に測定してるわけじゃなくて、それまでの記憶などと照らし合わせて判断しているんです。じゃあその仕組みって何だろう? わかっていないことは多々あって、感覚の研究はそれを明らかにするということですね」
「なるほど、脳で変換されたものがある意味正しい見方なんですね。今日はありがとうございました!」
先生のお話を聴いて、人は対象をただ受け身で理解するのではなく、能動的に読み取って認識しようとしているということがわかりました。
ただし、その優れたシステムも完璧ではなく、優れているからこそ判断ミスも起こり得る……。それが錯視ということなんでしょうね。
錯視を自作してみた
最後に、僕自身も錯視を作ってみました。
「高ウナー」という文字列に特に意味はありません。これは、文字列傾斜作詞と言って文字がだんだん傾いているように見える錯視です。なぜこう見えるのかというと、ひとつは文字の平行線の部分が段々になっているのが要因だといわれ、もうひとつは脳の機能によるものだと言われています。脳が対象を認知するとき、文字の傾きや、形などそれらの複合的な要素から判断をするため、文字が傾いて見えるのだそう。
この画像の鼻のあたりを15秒ほどずっと見つめてください。そうすると何もない白い空間に私の顔が一瞬浮かんで消えます。僕の顔が脳裏に焼き付きましたか?
これは錯視ではありませんが、脳の顔の認識を垣間見ることができます。自分の顔の左半分、右半分でそれぞれ顔を作ってみます。
こちらは顔の左半分だけを合わせ鏡のようにして作った画像です。なぜかふくよかになり、やさしい表情になりました。
顔の左側の筋肉は、感情の処理に優れている右脳がコントロールしています。そのため、顔の左半分のほうが表情豊かに見えるわけですね。
こちらは顔の右半分で作った画像です。先ほどの画像と比べ、たまに部活に来る知らないOBのような威圧感があります。左半分のものとは打って変わって、顔の右半分だけだとどこか冷たい印象を受けます。
そしてこちらが大トリ。さっき教えてもらったリバースパースペクティブのコツを応用して、動く自分を作ってみようと思います!
理論的にはへこんでいる部分が出っ張って見えるようになればいいので、飛び出させたい部分を谷折り、へこませたい部分を山折りにします。
そうすると…?
できました。
なかなかうまくいったのではないでしょうか。ちょっとした工作として、自分で作ってみると楽しいのでおすすめですよ!
コツは、本来ならふくらんで見える部分(頬やおでこなど)を、逆に谷折りにすることです。
ただし僕には工作のスキルが備わっておらず、「立体神田6号」を作るまでに多数の屍を生み出してしまいました。机に転がった自分の生首を見るのはあまりいい気持ちはしないのでみなさんは気を付けて!
だまし絵練習帖―脳の仕組みを活かせば描ける 基本の錯視図形からリバースペクティブまで
このような錯視図形の作り方についてはこちらの本が詳しいです。錯視のメカニズムや作り方の解説が載っているため自分で錯視図形を作り出すことができます。
今回取材させていただいた、竹内龍人さんの近著「脳が驚いて活性化! 毎日[だまし絵]で脳トレ」は 扶桑社より発売中です!
<画像引用>
『だまし絵でわかる脳の仕組み』 竹内龍人著 誠文堂新光社
『だまし絵練習帖 ~基本の錯視図形からリバースパースペクティブまで~』 竹内龍人著 誠文堂新光社
『脳が驚いて活性化! 毎日だまし絵で脳トレ』 竹内龍人著 扶桑社
北岡明佳の錯視のページ 坂道錯視9 http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/saka9.html
北岡明佳の錯視のページ 錯視カタログ http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/catalog.html
書いた人・神田匠
1995年山口県周南市に生まれる。立命館大学産業社会学部に在学中。現在は株式会社バーグハンバーグバーグでインターンをしている。名字の読み方は「かんだ」ではなく「こうだ」。Twitter:@gogonocoda 個人ブログ:たくちゃんのわくわくブログ