人は汗だくで苦悩できるのか?
今回はこの問いかけで始めてみます。
苦悩する前にまずは身体を動かしてみればいいのでは? 汗だくになってみればいいのでは? それでも「悩み」が生き残れるか試してみればいいのでは?
そんな提案をしたいと思います。
ただ、こういう導入だと、チンパンジーみたいな人間がタンクトップ一枚で書いてそうに見えるんで、最初に私のことを軽く説明させてください。
趣味は文字の読み書きと音楽を聴くこと。外出の大半はコンビニとスーパー。あとは気晴らしに近所のカフェに行くくらい。アウトドアやスポーツの趣味は一切なし。そもそもこの連載のタイトルが「京都ひきこもり大演説」。
ということで、身体をぜんぜん動かさない人間が、最低限の運動でも心の安定に役立つんだと気づいた話です。
全体の要約をしておくと、
・室内で悩んでいる人間は「身体」の存在を忘れている
・悩みは「アタマの問題」だから「当然アタマで解決するべきだ」と考える
・しかし実際はたんなる運動不足だったり、日光を浴びていないだけのことがある
・運動によって「身体」の存在感を強めて、「モヤモヤした悩み」と「解決すべき問題」を切り分けるといい
このへんを実体験をもとに書いてみようと思います。ちなみに現在の私はこれを「悩みの耐久テスト」と名づけてます。運動することで「悩みの強度」を確かめるわけです。この耐久テストを生き延びた悩みだけが「悩むに値する」というわけですね。
具体的にやってること
具体的に何をしているか。
40分程度のウォーキングです。距離でいうと4kmくらい。色々と試すうちにこの距離に落ち着きました。コースは完全に固定してます。ポイントは「汗をかく」だけの長さに距離を設計することです。私の場合、季節にもよりますが、最初の10分ほどで「うっすら汗をかく」状態になる。そして最後のほうでは汗だくになってます。
ちなみにジョギングじゃなくウォーキングなのはダルいから……というのもありますが、気分が落ち込んでるときのジョギングは、インドア人間にはハードルが高いからですね。「ひとまず歩いてみるか」ならいけるが、「ひとまず走るか」にはなかなかいけない。
まあ、このへんは私個人の体力に大きく依存した話なんで、みなさん自分用にカスタマイズしてください。
一時期は毎日きまった時間にやってましたが最近はそうでもなくなってます。理想は毎日ですが、ちゃんとはしてない。すこし忙しくなると平気でサボっている。さらに私は勤め先もありませんので、生活は乱れるだけ乱れる。
三日ほど夜型・運動不足が続くと「どうでもいい悩み」が増えはじめたと気づくので、そこでウォーキングして調整するって感じになってます。「どうでもいい悩み」は雑草みたいなもんなんですね。だからあんまり自分と結びつけないほうがいいです。「ああ、生えてきた。抜いとこう」と考えたほうがいいです。
「どうでもいい悩み」は汗だくになると消えている
「悩み」と「問題」は分けて考えるべきである。
そういう話はけっこう色んなところで読みます。「悩み」は具体性のないものです。そして「問題」は具体性があります。だからこそ「解決方法」を考えられるというわけです。これは本当にそのとおりなんですが、「身体」という視点もいれないと、ただの正論になっちゃう気がするんですね。
ウォーキングをするようになって気づいたんですが、汗だくの状態だと笑顔に「なってしまう」んですよ。声も大きく「なってしまう」んですよ。これはほとんど「強制」なんだと分かったのが面白かったです。「楽しくなれる」なんてカワイイもんじゃなく「楽しくなってしまう」んです。
これは人の悩みを聞くときにも応用できます。「とりあえず歩きながら話そうか」ということです。「うまいもんでも食べながら」もちょっと似てますね。
悩みを聞くときに二人でジッとしてるのは良くないわけです。言葉のレベルでは相手の話を聞きつつ、別の方法で相手の肉体の状態にも働きかけていく。
「問題」は言語レベルで考えるべきだが、「悩み」は肉体レベルで対処するべきだと言うと分かりやすいかもしれません。肉体の状態を整えた時に、それでも残るのが「問題」なんだと言ってもいいです。ここの切り分けを覚えたことで、私はものすごくラクになりました。
三島由紀夫と太宰治
このへんで作家の文章を引用します。
三島由紀夫は『小説家の休暇』(新潮文庫)で太宰治にふれて書いてます。
太宰のもっていた性格的欠陥は、少くともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった。
これは笑ってしまうんですが、たしかにそうなんですね。私は作家としては太宰のほうが好きなんですが、この文章は否定できない。
作家というのは普通の人間に比べると考えこみやすいタイプが多いと思うんですね。だから「たんなる運動不足」や「たんなる夜型生活のせい」なのに、「観念的な悩み」や「アタマで考えてアタマで解決すべき悩み」だと思い込みがちなんです。
インドア人間というのは、たいてい言語能力が発達してます。肉体の運動神経のかわりに、日々、言語やイメージの反射神経を鍛えてるようなもんだからですね。少しの刺激からグワーッとさまざまに思考を展開させるくせがある。
これ自体はたんなる特徴です。うまく使えば「想像力豊か」とか「よくもまあ変なことを考えるもんだ」と言われる。
しかしマイナス方向に振れた場合、誰かのささいな一言から被害妄想を20000字くらい考えてしまうわけです。100字に満たない言葉を勝手に数万字にふくらましてしまう。私も一人のインドア人間としてこの副作用に長いこと苦しめられてきました。
最近になって、じつはマイナスに振れるかどうかは「身体の状態」に大きく依存していると気づいたわけです。
脳を鍛えるには運動しかない
もうちょい学術的な本では、『脳を鍛えるには運動しかない!』をおすすめします。
脳を鍛えるには運動しかない!―最新科学でわかった脳細胞の増やし方
- 作者:ジョン J.レイティ,エリックヘイガーマン,John J. Ratey,Eric Hagerman,野中香方子
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邦訳タイトルは煽り気味ですが、内容は硬めです。ウォーキングをはじめてすぐの頃に読んでました。自分の実感がバシバシと言語化されてて面白かったです。
この記事では「悩み」に焦点をあててますが、じつは「発想」や「創造性」も運動と関わってるようなんですね。
「頭のパフォーマンス」だと思ってたものが、かなり「体の状態」に依存している。「頭がボンヤリする」の正体が「体の状態が悪い」だということも多いわけです。そのへんのことも、この本を読んで納得しました。
まとめと注意と余談
ということで、運動による悩みの耐久テストをおすすめします。
ちなみに、運動すれば悩みがすべて消えるということではないです。そこまでいくと筋肉万能主義になる。私個人としてはそこまでいけないです。あくまでも「汗をかくほど運動して、悩みが生き残れるかテストしてみる」ということです。
汗だくになった後も悩んでいられるか?
反復横飛びしながらも悩んでいられるか?
シャトルランのあとでも悩みを維持できるか?
このへんはもう何でもいいです。「肉体」にいったん引き戻すということです。
余談ですが、個人的には哲学と運動の関係も気になるんですね。散歩しながら哲学はできると思うんですが、反復横飛びしながら哲学はできるのか? 「ゆっくり歩く」ことと思索の相性は良いですが、「高速で左右に動きながらだとどうなのか?」という。
「思索」というのも実は肉体の一機能なんじゃないかと思ってるんですが、まあ、この話はそのうち。
とりあえず、私は文化系の極みみたいな人間なんで、「汗だくで苦悩するのは難しい」という発見がものすごく役立ちました。
文化系だと自負してる人も、そうでない人も、ぜひ試してみてください。
それではまた次回。
ライター:上田啓太
京都在住のライター。1984年生まれ。
居候生活をつづったブログ『真顔日記』も人気。
Twitterアカウント→@ueda_keita