廃墟かと思ったらバリバリ営業していた店、エロDVDに囲まれて酒が飲める店、終いには、タダで酒が飲める店・・・
色んなところで世間で言う奇店、珍店、B級スポット的なお店に関する記事ばかりを書いて来たせいか、最近何かと変なスポット、奇妙なイベントに関する情報が舞い込んでくる様になってきた。
しかし残念ながらその多くは東京、大阪。愛知県に住む僕にはなかなか簡単に参加の出来ないものばかり・・・。悔しい思いでそれらをスルーしている毎日。
そんな中、ついに遭遇した愛知県開催イベントがあり、前のめりで参加を決めたのがコチラのイベント。
「五色園 第9次修復活動!!」
浅野祥雲も五色園も今回初めて聞いた名前だが、なんでも、五色園という公園の古いコンクリート像の修復活動に参加出来るのだそう。調べてみるとこれがなかなか興味深い。
同時に、キーワードとして必ず付いてくるのは「珍スポット」というフレーズ。
正直言うと僕はあまり良いイメージを持たない言葉である。ココは一体どんな場所なのか。
五色園ってどんな場所?
参加することだし、簡単に調べてみた。
愛知県日進市にある五色園は、国内唯一の宗教公園だそう。園内には、浄土真宗の宗祖・親鸞の教えや逸話を視覚的に理解できるよう、コンクリート像作家の浅野祥雲作の像があちこちに並べられているのだが、広大な敷地のあちこちで見られるコンクリート像の不思議な外見から、いつしか東海地区随一の珍スポットとしてそのスジの方々には有名な場所となっているようだ。
浅野祥雲は中部地区を中心に分かっているだけでも800体のコンクリート像を製作・設置しているが、この五色園にはその内の100体以上が置かれているという。
像は人間より微妙に大きい2mサイズ。この絶妙な巨大さが不気味さのひとつの理由とされており、
これらが園内散策中、何の前触れもなく突然現れる様は、確かに「珍スポット」と呼ばれてしまう風景なのかもしれない。
しかし主に昭和10年代に作られたこれらコンクリート像の多くは経年劣化による損傷が激しい。
ここ五色園に限らず、浅野祥雲作品の多くが設置から長い年月を経た今、手を加えないとそのまま朽ち果ててしまいそうな状況にあるという現実がある事を知った。
そして先述の通り一般人がこのコンクリート像の修復作業に参加出来る事を知ったわけであるが、今回僕が参加しようと思ったのは家から何しろ近い事と、勿論純粋に興味があった事に加え、内容を読んだ結果この活動に対してちょっとした疑問があったからである。
修復作業に対する僕の疑問点
名のあるコンクリート作家である。許可を得ているのは当然としても、それを素人が集まって上から色を塗る。それって、いいのだろうか。手直しなどせずに、ありのままで良いのではないか。
これは実際にやらないと解決しない疑問である。
正直書こうかどうか迷ったけども・・・!こういう疑問があったのは紛れもない事実である。
「珍スポット」という言葉、テレビや書籍で取り上げられ、かつてのような一部のマニアだけが楽しむニッチな世界では無くなっている。
特に有名な珍スポットはガイドブックに載せられ、すっかり有名テーマパークのような扱い。
知名度はあがっても、その割には今でもその見た目の面白さのみが取り上げられる傾向は強く、結局ブログやSNS用の被写体としての関心しか示さない人だけが増えたような気がしてならない。
その目的や背景への理解は置いてけぼりのまま、「珍」として笑いの対象にされることだけは全国区となってしまった神社仏閣、公園、遊園地たち。
偏見は多分にあるが、僕が「珍スポット」という言葉にあまり良いイメージを持たないというのはこの辺の事情が背景にあるのだ。
主催者の大竹さんにその辺の話を聞いてみた
こちらが今回の修復作業の主催者である大竹敏之さん。
東海地方の珍スポット・B級スポットに関する多数の著書をはじめとし、講演やテレビ出演などでも活躍される、東海地区に関しては右に出るものはいない名古屋在住のフリーライターだ。
特に浅野祥雲の研究をライフワークとされており、ここで説明するより書著「コンクリート魂 浅野祥雲大全」に収められた祥雲作品758体を見ればその情熱が垣間見えるはず。
という訳で作業の合間に今回の修復作業について、またこうした「珍スポット」を取り巻く状況についてお話を伺ってみた。
「浅野祥雲作品の修復作業、はじめたきっかけって何でしょうか?」
「元々は見た目が変だな、面白いなという興味の対象でした。ネタとして集めていたのが正直なところです。ただ、コンクリート像を沢山見ていくうちにボロボロになっている物が沢山あることを知り、また設置されている公園やお寺が少ない予算で細々と補修していることを知りました」
「あ、最初はそういうアプローチだったんだ。でもその興味が深まるうちに違う視点で見られるようになってきたと。」
作業は寺院関係者および、祥雲氏のご親族の日比野塗装店の監督指導の下行われる。
生前の祥雲氏の創作活動を間近で見られた方々の指導があり「素人が勝手に」という状況ではない。
「ここまで続けてこられるまでに苦労したことは何ですか?」
「最初は関係する方々に相手にされなくて結構苦労しましたね・・。元々は祥雲氏のご親族(お孫さん)である日比野塗装店さん(今回も監修・指導)が『おじいさんのコンクリート像を修復したい』とおっしゃっているのを聞いて『人を集めるので補修作業もお手伝いしたい』という話を持ちかけたのが始まりです」
「いきなり何だキミは、って感じですよね。向こうからしたら素人ですし本気度を伝えるのは苦労しますよね」
「何とか本気度を分かってもらうに人を集めようとしました。活動に興味を示してくれた美大の先生のアドバイスもあって活動を周知させるためのトークイベントを行ったのですが、そのイベントに『違和感を感じて』という理由でその後一切関わって頂けなくなりました。作業の中心になってくれることを期待した美大の生徒さんも誰一人現場には来てくれず・・・。」
「人を集めるにはまずその活動を人に知ってもらう事が大事で、それにはイベントなどで周知することは大切だと思いますけどね。」
「修復作業はやらないと像の老朽化は進みますので、色んなイベントやインターネットの告知を通じて、結果的には元々こういうものに関心を持っていたB級スポットマニアの方々や地元の方々が集まっていただけるようになりました。そこから今のようなオープン参加形式でずっと続けています。」
「まさに今回聞きたかった事ですが、これって外野から見ると素人の作業ですよね。そこへの批判はありませんでしたか?」
「作業内容について批判的な意見があるのは承知しております。修復作業のイベント化に対する批判であったり、そもそも『素人が作業していいのか』とか『元の姿のままで残したらいいじゃないか』というものが多いです」
「実はここへ来るまで僕もそう思っておりました。でも実際にはプロの方や祥雲さんゆかりの方のお墨付き、また実際にその監督下でやるし、プロとボランティアの作業内容もある程度区別されておりましたね。」
五色園は2009年から修復活動開始。毎年2回程度の活動を続けており、現在に至る。
「考えなくても分かることですが『元の姿のままで残せ』というのは『そのまま無くなっていくのを黙って眺めてろ』というのと同じです。『素人の作業』という批判だって言わんとすることは分かりますが、誰もやらないから仕方ない。来てくれるなら勿論お願いしたいです。でも現実は興味を持って集まってくれて、ボランティアしてくれるのはこういうスポットに興味を持つ一般の人だけなんですよね」
「やれる人で、やれることをするしかない訳ですね」
参加者はボランティアとして作業するだけでなく500円のカンパを支払う。そうした中から、活動費用の一部を捻出するのが実情。今回3名の作業者を出してくれた日比野塗装店の方も勿論無償の作業なのだ。
祥雲作品の評価の低さもこうした作業への不理解に繋がっているかもしれない。
作業の合間に大竹さんによる園内のガイドツアーの時間が設けられる。正しく理解するとこの作業への見方、取り組み方が変わるはずだ。
「五色園がこうなったのはある意味日本のレジャー史を体現しています。温泉旅行などが本格的になるもっと昔、庶民にとってのレジャーというものは、信仰の対象を巡るものが殆どだったのです。今でも奈良の大仏や有名な神社仏閣にはその名残がありますね」
「五色園が出来たときにはそれなりに時代のニーズがあったのですね。庶民が温泉旅行を楽しみだす前のレジャーか。」
需要という面からは置き去りにされたかもしれないがそれでも立ち続けるコンクリート像たち。
今では見る影もないが、この広大な敷地からここ五色園がかつての庶民のレジャー需要を満たす一大アミューズメントパークだった事を想像すると、現在の扱いが何だか切ない。
そのスポットがその場所で果たして来た役割や、歴史的、文化的な背景などに興味を持たず、テーマパークの様に消費されていくだけであれば、それはとても残念なことではないだろうか。
(プッ・・・この大仏、頭が青いジャン・・。ウケる)
「残念ながらここは『青いパンチパーマの大仏』としてよくネタにされているんですが、実際の史料に基づけば青い髪の毛は何ら間違いではないのです。五色園に限らず、ちょっと変わったものをおもしろ可笑しく紹介する人の大半は見た目の面白さだけを取り上げて、歴史的、文化的な背景にはあまり関心を示さない人が大半です」
「ウケてる場合じゃなかった」
繰り返すが、五色園の目的は「親鸞の教えを視覚的に説明する」ことだ。
人より妙に大きなサイズ感、やけに大げさな各像の表情も、結局は見てすぐ分かることを目的としているこの園と像の目的を知れば納得。
「こちらは強盗、殺人と極悪の限りを尽くした盗賊の耳四郎が、たまたま法然さんの教えを盗み聞きして改心する場面です」
「(グッ、盗み聞きするから耳四郎・・、名前が安直だ・・・!)なるほど、ふむふむ!」
「この像、少し斜めになっている事が五色園の一つの象徴的なものだと考えています。推測ですが、このお堂、来た人が中に入って近くで見ることを前提にしているようになっているように見えませんか。ここで必要とされているのは沢山の人に見てもらうこと、親鸞の教えをとにかく分かり易く伝えることなんです」
「あくまで見て感じることが大事なのであって、やはり補修して、残していくということの大切さが良く分かりました。」
実際の補修作業はこんな感じ
実際に修復作業をやってきたので紹介してみたい!
まずお伝えしておきたいのだがこの現場、とにかく蚊のアプローチがすごい。
ドリンクバーにやって来た中学生でももっと理性を保っていうというのに・・。
悪霊退散!とばかりに、全身に虫除けスプレーを浴びせ防御するも
お経を書き忘れた顔面は見事に刺されるいわゆる耳なし芳一現象。ジジイの血に群がるとは、蚊も必死。
とにかく蚊が多いよ!
作業者は自由にやってきて自由に帰ってよい為、開始予定時間の朝9時、それなりに人が集まったところで朝礼がスタート。
ここで作業前の諸注意や作業内容について、主催者の方から説明がある。
さすがに2009年から続くこの修復作業、毎回参加の常連さんもいるようで、久しぶりに集った人々の和気あいあいとした感じが伝わって来て新入りでもウェルカムな雰囲気。
作業は至ってシンプルである。
塗装屋さんが古い塗装部分を削り落とした上から、これまた塗装屋さんの指示通りの場所を、指示されたペンキで塗っていくのみ。
冒頭書いたとおり、像には必ずストーリーがあり、この像群について要約すると「親鸞、生意気だからヤっちゃおうぜ」という内容なのだそう。すいませんよく覚えてないです・・・
最初はそういうストーリーも肌に感じながら心を込めて作業をという心づもりであったが、蚊の多さに辟易してそれどころではない。
僕が受け持ったのはコチラの山伏ボス。迫力がある。
ついに作業開始とくれば、胸も高まる。ドキドキする!
てことで記念すべき一筆目・・・!
のはずが!
記念すべき最初の一筆目どころかまさかのファーストドリップ・・・!
「ペンキの配合が!ペンキの配合が!」などと見苦しい言い訳をするも「3度塗りぐらいするので大雑把で大丈夫ですよ」と常連の方から温かいアドバイスで平静を取り戻す33歳ボランティア男性。
根が単純なので、下地塗りは初参加の素人でも出来るほどの易しい内容なのだと分かると余計なプレッシャーもなく俄然ノリノリになるというもの。
だけども素人作業にも限界はあり、やり続けるうち生え際を完全に見失った僕の手により、ヒゲは無くなるわ、眉毛は消えるは、終いには必要以上にソリが深くなったりもし・・・
それでも何とかこの日最初の持ち場、山伏のボスの下地塗りは完了。たったこれだけだが達成感がある!やった!
別の現場でも着々と進む作業。皆真剣、休む暇はない。
それでもこの日補修を行うのは五色園の100体に上るコンクリート像の内の数十体のみ。数年にわたり、何回にも分けて地道に補修を重ねて行くのだ。
古い塗装を剥がしたり、劣化した箇所を補修するのは専門業者の方々が行う一方、
簡単な作業なら小さな子供でも自由に参加出来る。
家族で参加する人々も多く、現場は終始楽しげなムードで進んでいく。
お坊さんも笑顔である。
素人が作業をするとはいえ、クオリティは不問という訳ではない。
こちらは僕の知人が過去に別の場所での修復作業に参加した際、あまりの酷さに「これはなんですか」とNGを食らった例・・。
確かにこれはヒドい。きびだんごにヤバい薬混ぜてそうでとても不安である。
終始和気あいあいとしたムードで進む修復作業だが、そんな中でも貢献度を競いたくなるのがデキる男というもの。仕事もプライベートにもとかく競争がつきまとう現代社会の弊害である。
という訳で進んで過酷な現場を選んだ訳であるが、ここでいう過酷さのバロメーターは蚊の多さである。
この日最も難易度の高いスポットにあるコンクリート像の塗りなおしは完成したが、何というか真っ白すね・・。
雑木林の奥で俄然存在感が増してしまった。
塗装屋さん、遠くからしばし眺めて曰く
「めちゃくちゃ白いな。不気味だわ。」
白だとアレだからということで・・・
「アンタのシャツのこの色にすっか?」
という訳で僕の同行者のシャツの色がそのままこの像の色として採用されてしまった。
「・・・・」
この像はこれで完成となった。
※この像は長年気づかれずに放置してあったらしく元の色が分からないのだそう。例外だとご理解ください。
ちなみにコチラが最終日を終えて完成した先ほどの山伏のボス。きれいになった!
古い塗装の剥離、補修、下地塗り、重ね塗り、仕上げ。全3日掛けて修復作業は終了。
1時間だけ参加した人、3日続けて参加した人、その取り組み方は様々だが、参加すればきっと愛着が沸くに違いない。
作業に参加してみて分かったこと
元々の僕のような外野の人間からの「素人の作業」や「作業のイベント化」に対する批判は確かにあるのだ。
しかし数年続くこの修復作業に積極的に手を貸す人は今のところその「素人」だけというのが紛れもない事実。
毎年、遠方から自費でやってきては作業をして帰ってゆくこの修復作業の常連の方々、誰も見向きもしないものにコンクリート像に目を向け、その維持にあたる方々を、何もしない人が外野から苦言を呈すなどおかしな話なのだ。
浅野祥雲作品がここまで組織的な修復作業に取り組むことが出来たのは元々は珍スポットとしての知名度の高さが背景にあった事を思えば、対象物に興味を持つきっかけとしてはガイドブックであろうと何であろうと「まず知られる」事は大いに結構なことではないかと思えてきた。
逆に言うと無名であるが故に放置され、消えていくものもあるのだろう。
次回、浅野祥雲作品の修復作業が企画された際には皆さんも参加されてみてはどうだろうか。
それ以外でも、地域に同じような文化財に触れることの出来るボランティアの募集があれば行ってみることをお勧めしたい。
縁もゆかりもなかった五色園のコンクリート像たち、今では妙に愛おしく感じるものだ。
相変わらず珍スポットという言葉には抵抗はある頑なな僕であるが、やってみないと分からないことはまだまだ多そうだ。
完
書いた人:zukkini
四流情報サイト「ハイエナズクラブ」で会長を名乗っています。長所、特技、趣味等は一切無く、ただ性格はとても明るいです。ブログ「ぼくののうみそ・x・」、twitterアカウント→@bokunonoumiso