トットットット…………
グビッ………
う、うま〜〜〜〜〜!!!!
真っ昼間からビールを飲みつつこんにちは、徳谷柿次郎です。本日、僕は愛媛県の「道後(どうご)温泉」に来ています。
日本三古湯の一つといわれ、古くは『万葉集』にも登場する温泉地。いまも日本全国、いや世界から人が集まる場所となっています。
道後温泉のシンボル「道後温泉本館」
歴史も文化も1000年単位でパンパンに詰まりまくった土地なわけですが……僕が今飲んでいるビールから、そんな道後温泉の気概がビンビンに伝わってくるんです。
と言っても、なんのこっちゃわからんですよね。順を追って説明していきます。
道後温泉のあちこちで見かける、その名も「道後ビール」。つくっているのは、地元で120年近く続く老舗酒造の「水口酒造」です。
最初は日本酒づくりからはじまった水口酒造ですが、今やビールに焼酎、ジンまでありとあらゆるお酒を手がけています。
ずらりと並んだ、水口酒造の手がけるお酒
さらに特筆すべき道後ビールの特徴は「地域密着」なこと。
「道後温泉の湯上がりに飲んでほしい」というコンセプトでつくられ、販売店は地元エリアに特化。最近ではクラフトビールのブームにより全国規模のビールイベントも増えていますが、「行くとしたら愛媛や四国の物産展くらい」というストイックさ。
そして現在、水口酒造の6代目をつとめるのが、水口皓介さん。元々は東京でエンジニアとして働き、継ぐ気はまったくなかったそう。
しかし、愛媛と家業のポテンシャルに気づき、2019年の年末に帰郷。酒造りだけでなく、地元に目を向けたまちづくりにも取り組んでいるんです。
僕は初代ジモコロ編集長として日本全国を旅してきたのですが、47都道府県で唯一、愛媛にだけ行けてなかったんです。そして今回、はじめて愛媛を訪れて、土地のポテンシャルに圧倒されました。食も人も全部強い。
そして、その愛媛のポテンシャルを象徴してる!と思うのが、道後ビールであり水口さんだったんです。本当の地産地消ってこういうことでは!?という水口さんのインタビューをお届けします!
家訓は「暖簾を守るな、暖簾を破れ」
道後温泉の中心部にある水口酒造さんで、お話を伺います。
「水口さん、よろしくお願いします! 道後ビールがめちゃくちゃ美味くて感動してるんですが、そもそもは日本酒の蔵としてスタートしてるんですよね」
「明治28年に創業しました。道後温泉本館が3階建ての今の姿になったのが明治27年なので、道後温泉と1歳違いの会社とよく言っています。もともとは商家だったんですが、道後には観光客や湯治客がたくさん来ていたことから酒屋に転身しました」
「地元のニーズから酒屋に!」
「そうですね。こちらがうちで作っているお酒です」
「数がすごい……。そして日本酒以外のお酒がたくさんありますね?」
「いろんな種類がありますが、日本酒に関していうと、基本的には7種類のお酒を、ラベルを変えたり、火入れしたりしなかったり、絞り方を変えたりして出しています。残りが日本酒以外のお酒ですね」
「こっちの瓶は焼酎ですか?」
「そうです。こちらは粕取り焼酎といって、酒粕を使った焼酎ですね。お酒を作ると同時に酒粕がたくさんできるので、それを焼酎に作り変えています。その焼酎をさらにジンに作り変えて、100%捨てることなく使い切っています」
「おもしろい! そんなことができるんですね」
「今みたいにSDGsが話題になる前から、うちは代々そういう酒造りをしているんです。酒粕焼酎の他にも、愛媛県の裸麦を使った麦焼酎、愛媛の酒米『しずくひめ』で作った米焼酎に、松山市のブランド産品の煮干し、そら豆、長茄子を使った焼酎も作っています」
「煮干しを焼酎に。初めて聞きました」
「お出汁みたいな香りがしてなかなかおもしろい味ですよ。他にも、愛媛のレモンを使ったレモンチェッロも作っています。それから、愛媛県のサトウキビを使用したラム酒もあります」
「クラフトラムまで……。愛媛県ってサトウキビの産地だったんですね」
「実は、お隣の高知県がもともとサトウキビの産地だったんです。それが一回、沖縄に行って、沖縄から逆輸入して高知に入ってきて、さらに山を越えて愛媛県にも来たという」
「なるほどなぁ。それにしても、歴史のある酒蔵がどうしてこんなにたくさんの種類のお酒を作っているんですか?」
「僕らの目的は、愛媛を訪れた人たちが、愛媛のものを食べるときに寄り添うお酒を作ることです。お酒作りはあくまで手段ですね。それに、うちの家訓が、『暖簾を守るな、暖簾を破れ』なんですよ。だから、新しいことにどんどん挑戦していくという意識は常にあるかもしれません」
「おー!『暖簾を守るな、暖簾を破れ』。かっこいい家訓だ!」
道後温泉で湯上りに飲むために作られたビール
「ビールのラベルもめちゃいいデザインだなと思ってて。 最近リブランディングしたんですか?」
「いえ、作り始めた当時から変わっていませんね。1996年からこのままです」
「いまブームになってるクラフトビールと並べても遜色ないデザインだと思います。それを30年近く前から」
「僕らは、自分たちのビールを『地ビール』と呼んでいます。いわゆる今のクラフトビールは、ローカルで作られて販売しているビールというよりは、ポップでおしゃれなイメージが若干先行しているのかなと。なので、『道後ビール』はあくまで『湯上りに飲んでいただく』ことだけをコンセプトにした地ビールなんです」
「湯上りビール! シンプルかつ道後ならではのコンセプトだなぁ」
「お持ち帰り用のビールセットには、必ず道後温泉の素(もと)をセットにして入れています。家でも、必ず一回お風呂へ入ってから飲んでいただきたいんです」
「こだわりがすごい」
「道後のお客さんも『クラフトビール』を求めているわけではないので、広くみんなに愛される味にしています。少し炭酸を強めにしてキレも良くしていて、湯上りに飲むのが一番おいしいんです」
「なるほど。お取り寄せして飲むんじゃなくて、道後温泉に入った後に飲むのが一番うまいぞと」
「僕らは『道後』に特化していて、県外に出ていくことはほぼしないので、愛媛に来ていただいて、道後温泉入って湯上りに飲むのが一番なんです」
「道後というか愛媛は、地元志向が強いんですかね?『愛媛居酒屋』みたいなお店も他県であまり見かけないし。それは経済体力的に出ていけないのか、そもそも出て行く気がないのかな。僕の中では、『外に出ていかない』っていうのがすごくいいなと思ったんです。『鮮度のいいものしか提供したくない』という気概を感じます」
「うちでいえば、ビールのイベントに関して、今のところ道後から出る気はないですね。行くとしたら愛媛や四国の物産展くらいです。ビアフェスなんかも絶対にいかないです」
「道後ビール、ビアフェスで絶対売れそうなのに! 外から道後に人を連れてきたいけれど、自分たちは出て行かないっていう姿勢がいいですね。じゃあ、愛媛の温泉旅館なんかをメインに卸しているんですか?」
「そうですね、道後に来たら絶対にこのビールは置いていると思います。うちのビール瓶は、印刷瓶なんですよ。ほぼ道後で販売をしているので、年間35万本ぐらい出荷しているんですが、そのうち10万本ぐらいは回収して使い回しています」
「そうか、日本酒の瓶と同じシステムだ」
「そうなんです。日本酒の一升瓶なんかもそういった形でずっと回っているので、同様にビール瓶も道後内を回収しているんです。まさしく、『地ビール』の文化にすごく沿ったビールですね」
立地勝負の「湯上がりビール」
「酒蔵として当たり前にやっていたことに、逆に時代のSGDs的な流れが追いついてきている。これだけいろんなお酒を作っていて、実際カテゴリーごとの売り上げの比率ってどうなっているんですか?」
「ビールが半分、日本酒が3割、その他のお酒やサイダーなどの売り上げが2割くらいですね。酒蔵ではありますが、実質ビール会社みたいなものです(笑)」
「会社としてのリスクヘッジ的にも良さそうですね。なにかの原材料が入らなくなったら、別のお酒に切り替えられるし」
「まさにその通りです。ぶっちゃけてしまうと、ビールを作り始めたのは日本酒が売れなかったからなんです。1994年に、日本では日本酒とビールの出荷量が逆転したんですよ」
「日本酒が下火になって、ビール需要がグングン上がっていった時期ですね」
「当時、愛媛の酒蔵のほとんどは、お酒を作ったらタンクごと大手の酒造メーカーに収めていたんです。ただ作るだけでいい状況でした」
「今でいうOEM的な流れが、酒造業界にもあったんですね」
「そうです。なので、当時はうちで作ったお酒の90%を大手の酒造メーカーに納めて、残りの10%を道後で販売する仕組みだったんです。どんどん作れば、それだけ買ってもらえるので、マーケティングをしなくてよかったんです」
「ただお酒を作るだけでよかった時代があったんですね」
「大手メーカーさんも蔵は持っていたんですが、うちのような蔵からお酒を買い集めていたので、フル稼働はしていなかったんですよね。でも、1995年に阪神淡路震災が起きたことによって、大手メーカーさんの蔵が壊れたことをきっかけに、『今後は自社でお酒を作るから、もうお酒は買い取れない』と言われてしまって」
「急にハシゴを外された!」
「それでも、3年間の猶予は与えてもらえたんです。ちょっとずつ買い取る量を減らしていくから、その間に身の振り方を考えなさいと。ちょうどそのタイミングで、1994年にビールの最低製造量の規制緩和があったタイミングだったので、『湯上がりビールだったら勝てる!』と立地勝負に出たわけです」
「でも、日本酒とビールってある意味ライバルじゃないですか? 日本酒業界からの反発はなかったんですか?」
「酒業界の仲間からは『なんてことをやってるんだ!』と相当言われたみたいですよ。ただ、道後の方は逆にすごく応援してくださって、『道後ビール』という名前を名乗っていいと言ってくださったんです」
「なるほどなぁ。生存戦略というか、生き残るためにやったことが今につながっているんですね」
「松山には今、うちを含めて5つのブルワリーがあるんですが、今度うちの敷地に全ブルワリーを集めてビアフェスをするんです。そうして文化を育てていって、いずれは松山をクラフトビールの聖地にしたいねと話しています」
「おー! 気候も良くて、水も良くて、松山にはビールに必要なものが揃ってる感じがしますね」
「ビールを作る上で、愛媛には柑橘があるのがすごい強みなんです。柑橘って、基本ビールに絶対合うんですよ。愛媛は柑橘の種類が日本で一番多い県で、40種類以上の柑橘がありますから」
「それを全部使い分ければ40種類の柑橘のビールが作れるし、ミックスすればさらに味は広がるわけですよね」
「もっといったら、ライムやレモン、柚子もありますし、柑橘に限らず、ぶどうやりんごも作っています」
「愛媛にはとんでもないバリエーションのビールを作れる余地がある……!」
超安定志向のエンジニアから酒蔵の6代目に
「水口さんご自身のことも気になります。酒蔵を継ぐ前は何をされていたんですか?」
「僕は進学を機に上京して、システムエンジニアをしていました。リニアに関する仕事をしていたんです。当時の僕は超安定志向で、家業の自営業は不安定だと思っていたので、リニアの仕事なら僕が定年になるくらいまでは仕事があるだろうなと」
「いずれ酒蔵を継ぐ気はあったんですか?」
「いえ、実は全くありませんでした。僕の父は、祖父が倒れたことをきっかけに医学部を辞めて家業を継いだ経緯があって。逆に自分は『継いでほしい』という話をされたことがなくて、自由にさせてもらっていたんです」
「各地で家業を継いだ若手の話を聞いていると、無理強いされていなかった人ほど戻ってきている率が高い気がしますね。道後に戻ろうと思ったきっかけはなんだったんですか?」
「僕は旅行が好きで、海外によく行っていたんです。行く先々で『実家の酒蔵がビールを作っている』という話をすると、みんなすごく食いついてくれて。でも、僕は体質的にお酒が飲めなかったのでお酒のことをなにも知らなかったんですよ」
「自由に外に出たことで、家業の魅力に気づいたんだ」
「そうなんです。それでお酒のことを調べてみるうちに、あれ、うちって結構すごいんだなって気づいて。エンジニアとして働くのが、社会の歯車みたいに感じている部分もあったので、コロナの少し前、2019年の年末に道後に帰ってきました」
「僕は今回、はじめて愛媛に来て、この土地のポテンシャルってすごいなとビシバシ感じていて。食のオリジナル性もあるし、いい気候風土もある。地産のものをブランド化する流れもすごいですよね。一度外の世界を見て戻ってきた上で、水口さんから見た愛媛のすごさってどこですか?」
「住んでみないと分からないと思うんですが、人の優しさやつながりはやっぱりすごいなと思います。松山って、わりとよそ者には排他的なんですが、一度入ってしまえばめちゃくちゃ住みやすいんです」
「城下町特有の、最初の入りづらさはあるのかもしれないですね」
「それに、松山はコンパクトシティなので何でも市内にありますし、空港もあるので、2時間あれば東京にも行けます。正直、毎日東京で満員電車に揺られるのがしんどかったこともあって、愛媛って実はすごく暮らしやすかったんだなぁと」
今につながる、百年先を見越したまちづくり
「ここ道後は、松山市の中ではどういう位置付けなんですか?」
「松山の人からすると、道後はちょっとした非日常の空間ですね。外から人が来たら、かならず道後温泉に連れて来ると思います」
「そもそも、道後温泉の本館はどういった理由で作られたんですか? 町のシンボルを作るぞっていうチャレンジ精神のある人がいたってことでしょうか」
「道後温泉をあれだけブランニングして作りあげたのは、当時の町長の伊佐庭如矢という方です。彼は、観光の目玉を作らないと、地元の経済が立ち行かなくなるからと町民からお金を集めて、借金をして、あれだけ大きな温泉を作ったんです」
「それが100年以上たった今でも愛媛の観光の主力になっているわけですよね」
「お金を集めるためにどうしたかというと、当時は誰もが家にお風呂がある時代ではなかったので、町民向けに、永久に道後温泉に入浴できる利用券を発行したんです」
「おぉ、温泉のサブスクだ!」
「いまだにその券を使って入浴している人もいるんですよ。ただ、ほとんどの地元民にとっては『お客さんがきたら連れて行くところ』になってしまって、一回も温泉に入ったことがない人もいるんです」
「地元の人ほど行かない、観光名所あるある……!」
「個人的には、それでは『おらが町の温泉』ではなくなってしまうので、このままではよくないなぁと思っています。僕は道後温泉街づくり協議会の役員をしているんですが、今年から『道後2050ビジョン策定特別委員会』の実行委員長をするので、観光客だけに頼らない道後の街づくりをしていきたいです」
観光特化の商売から、地元の人を繋げる流れを
「観光客以外の人の流れを道後で作るために、水口さんが行なっている取り組みはなにかあるんですか?」
「まさしく今お話しているこの場所が、人を呼ぶための試みの一つです。酒蔵を改装してイベントスペースを作り、毎週末イベントやマルシェを行なっています」
「どういうイベントをしているんですか?」
「地元で活動しているクラフト作家さんや、伝統工芸の職人さんを呼んで、展示やワークショップ、ポップアップストアを開催しています。その際に、地元のキッチンカーを呼んで賑わいが生まれるようにしていますね。普段会えない人や、地元の生産者と直接集う場所を作りたいんです」
「それは、観光客向けというより地元の人向けということですか?」
「そうです。僕らは今まで観光客に特化した商売をしていたので、今度は地元の人と人を繋いで輪を作って、そこから道後発のプロダクトが生まれる流れを作っていけたらいいなと思っています」
「これだけ土地としてのポテンシャルが高い愛媛ですが、水口さん的に足りないものってありますか? 例えば、こういう人がいたらいいなとか、スキル的なところなのか」
「若い人と、新しいことを始めようとする人ですね。それは地元出身の人じゃなくても構いません。僕らの商売としても、お酒があれば人が集うし、物も集う。逆に言ったら、人が集まるところにはお酒があるわけなので、まずは人がわいわい集う流れを道後で作りたいですね」
「道後に若い人はあんまりいないんですか?」
「実は、ここから徒歩五分のところに愛媛大学と松山大学があるんですよ。道後は観光地のイメージが強いですが、意外と学生街でもあるんです。ただ、地元の人も学生も、遊びに行くのは松山市内なんですよね。でも、ここが道後で面白い人と出会える入り口になれば、地元や住んでいる町をもっと愛してもらえるはず」
「水口さんは、道後のこの先10年、20年先を見越して種まきを始めているんですね」
「人が集まって出会うきっかけが、僕らの取り組みであればうれしいですね。人が集まるところなら、僕らのお酒は寄り添える。観光客だけじゃない、人が集まる流れができて、そこから新しいプロダクトや企画が生まれていって、それが続いていけば、道後の未来はまだまだ明るいなぁと思います」
構成:風音
撮影:藤原慶