こんにちは、ライターの夜夜中さりとてです。
僕は趣味で短歌を詠んでいるのですが、みなさんは「短歌」と言われてピンと来ますか?
5・7・5・7・7の音に言葉を当てはめて1首を作る短い詩、短歌。
最近は、以下のような理由から現代短歌に興味を持つ人も増えてきているのだとか。
・日常で使っているような口語(話し言葉)で作ってもいい
・31文字を揃えれば発表できるので、小説などよりも気軽に挑戦できる
・少ない文字数の中で趣向を凝らして自己表現できる
・インターネットやSNSを通じて作品を発表しあえる
書店の文芸書ランキングで歌集(短歌の本)が上位を獲得したり、『情熱大陸』などのテレビ番組で歌人(短歌を詠む人)の特集が組まれるなど、この数年で現代短歌ブームが到来しているとも言われています。
そんな中、名古屋のとあるお店が“短歌の聖地”と呼ばれているんです。
“短歌の聖地”こと『平和園』は、一見すると何の変哲もない中華料理屋さんです。
全国の歌人たちが夜な夜なこのお店を訪れる理由は、とびきり美味しい中華料理……だけではありません。
その理由というのが、平和園の2代目店主にして、歌人の小坂井大輔(こざかい・だいすけ)さん。朗らかで面倒見の良い人柄と、アウトロー感あふれる唯一無二の作風で、多くのファンから愛されています。
平和園に訪れる多くの歌人は、そんな小坂井さんや他の短歌のお客さんとの交流を求めてやってくるんです。
32歳で短歌に出会い、わずか数年後にご自身の歌集を刊行した小坂井さんは、「始めるのが遅い、なんてこと絶対ない。一生懸命やればきっと何かが起きるよ」と語ります。
小坂井さんが短歌に出会い、平和園が“短歌の聖地”になるまでのお話を伺いました!
平和園が“短歌の聖地”になるまで
「小坂井さん、おひさしぶりです!」
「おう!……って、言うほどひさしぶりでもないか」
「そうですね、昨年末に伺った際もすぐに気付いて、『おう!』と声をかけてくださって。短歌のことで来たお客さんはよく覚えてるんですか?」
「それが、最近は覚えが怪しくなってきて(笑)。食べてる姿を厨房から見ながら『なんかそわそわしてるな』『やっぱこの人来たことあるよな……?』って、途中で思い出すこともある」
「最近は特に、全国からたくさんのお客さんがいらっしゃってますもんね」
「3日くらい前にも、札幌から来たっていう人がいて。『どっかのついでですか?』って聞いたら『いや、平和園目当てです』って」
「札幌から名古屋へ、中華を食べに……! お客さんとして通っている側の僕が聞くのも変ですけど、平和園の魅力というか、なぜかまた来たくなる求心力のようなものは一体なんなんでしょうか」
「いやあ、それはむしろ俺が聞きたいよね(笑)。『なんでみんなこんなに来るの!?』って思ってる」
「(笑)。そもそも、こうして短歌の人たちが集まり始めたのはいつ頃からなんですか?」
「いちばん最初は2015年くらいかなあ、名古屋で短歌やってる人が集まる『東桜歌会(ひがしさくらうたかい)』にお誘いいただいて。自己紹介で『平和園という中華屋で働いてます』って言ったら、その歌会の人たちが来てくれるようになったんだよね」
「こんな駅チカに知り合いのお店があったら、打ち上げも『せっかくだし平和園行くか!』ってなりますもんね」
「そこから『あの中華屋には小坂井がいるよ』って口コミが広まって、短歌の人がじわじわ来てくれるようになって。いつだったか、荻原裕幸さん(※1)たちが『平和園は“短歌の聖地”だ』って言い始めて」
※1 荻原裕幸さん……「ニューウェーブ」と呼ばれる、当時としては前衛的な短歌活動を1990年代から標榜し、現代短歌を牽引してきた歌人の一人。「東桜歌会」主宰。
「じゃあ、まずネームバリューのある名古屋の歌人の方々が呼び出して、それが次第に広まったんですね」
「そう。だから、“短歌の聖地”は勝手に生まれたんじゃなくて、作り出されたんだよね」
「そう聞くとなにかの陰謀みたいですね(笑)。呼ばれ始めた頃、小坂井さんはどう思っていたんですか?『え? うち“短歌の聖地”なの?』みたいな」
「そういうのすらなくて、『何、言ってんの?(笑)』ってただただ半笑いでした」
「最初の数年は、今みたいに全国からお客さんがやってくる感じではなかったんですよね?」
「ぜんぜんそんなことはなかったね」
「その移り変わりというか、ある種のムーブメントのようになり始めたきっかけは一体……?」
「たしか2017年に、荻原さんが『誰かが平和園で待つてる』というタイトルの短歌連作を作って、短歌の雑誌『短歌研究』に載せてくれたんだよね。その翌年には『短歌研究』の名古屋特集みたいな号の中で、『平和園の謎に迫る』っていう3〜4ページくらいの漫画にしてもらったの」
「へえー!すごくフィーチャーされてますね」
「そのあと新聞で取り上げられてからは、テレビ、新聞、テレビ、新聞……みたいな」
「最初に新聞の取材が来たのはいつ頃ですか?」
「新聞屋さんがラッピングしてくれたのがそこに貼ってあるよ。どれどれ……2019年か。たしかに、この辺からバーっと知られていった気がするね」
「ほんとだ。『短歌の聖地』『名古屋の中華店に歌人続々』って書いてある」
「じゃあ、2017〜2018年頃に『短歌研究』を通して、まず全国の短歌人口に認知されて。2019年に新聞の取材が来てからは、短歌に詳しくない一般の人にも『平和園ってお店が“短歌の聖地”らしい』と広まっていった、という流れなんですね」
「そんな感じかな!」
「そうして広まっていく中で、小坂井さんの心境にはどういう変化がありましたか?」
「最初は『なんか短歌の人いっぱい来るようになったなー』くらいに思ってたんだけど、だんだん『せっかくお店に来てくれたんだから、なにか僕にできることはないかな』と思うようになってきた」
「それは、何がきっかけだったんでしょうか」
「最初の頃に“短歌の聖地”って聞いて来た人たちは、僕に喋りかけるでもなく、なんとなく店内見回して『“短歌の聖地”感ぜんぜん無くない……?』って言いながら帰っていくことも多かったんだよね」
「ああー、なるほど。もともと普通の中華屋さんだから当たり前と言えば当たり前なんですけど、噂を聞いて訪れた人たちはそうなりますよね」
お客さんが自由に短歌を書き残せる「短歌ノート」。2016年からスタートし、現在は8冊目
「まあ、料理を美味しく食べてもらえたらそれだけでも喜ばしいけど、せっかく来てくれたお客さんに『何もなかったな』って思わせるのは申し訳ない。それでだんだん、それっぽい人には短歌ノートを差し出したり、自分も短歌の話をしよう、という気持ちが芽生えていったかな」
「自分から“短歌の聖地”と言い始めたわけじゃないけれど、ある種の責任感や自負のようなものが生まれてきたんですね」
“なんか違う”人生を変えたくて、読書会を開いた
「1974年の創業から50年近い歴史を持つ平和園には、地元の常連さんもたくさんいらっしゃると思います。この数年で全国から短歌のお客さんが来るようになって、以前から通っていた地元の方々はどういった反応をされてるんでしょうか?」
「どうやら、お客さんから僕に対しての印象が変わったっぽいな、とは思う」
「印象、ですか」
「まあ、なんとなくナメられてたんだろうな〜、と思う(笑)。僕は風貌もあんまり良くないし、30歳くらいまでずっとふらふらしてたから。でも短歌の人が来るようになってからは『大輔、なんかすげえ頑張ってるんだな!』っていろんな人が言ってくれるようになった」
「へえー!小坂井さんに会いたくて全国からお客さんが来るわけですもんね。小坂井さんの短歌の活動を知らない人たちは不思議だったでしょうね」
「ね。びっくりしたと思うよ」
「そういえば、そもそも小坂井さんはどういった経緯で短歌を始めたんですか?」
「さっきも言ったけど、僕は30歳くらいまでほんとに何もしてなくて。競馬とパチンコばっかり」
「ふむふむ」
お店に立ち始めたのだって、『従業員が辞めるからちょっと手伝ってくれる?』って両親に言われて、仕方なくだったんだよね。もともと『自分が店を継ぐぞ』みたいな思いは一切なくて」
「うーん、なるほど」
「そうやって30歳まで何もせず、自堕落な生活を送ってたんだけど、ふと『あれ、なんか違うな』と思って」
「違う?」
「俺の思い描いてた人生ってこうじゃなかったな、って。それで急に『なにかしなきゃ!』と思った」
「自分から、一歩踏み出そうとしたんですね」
「とりあえず、本を読もうと思った。言葉や人と話すことは昔から好きだったんだけど、そういえばちゃんと本を読んだことってぜんぜん無かったから。でも、まず何から読んだらいいのかわかんなくて。それで、読書会を開いたんだよね、突然(笑)」
「読書会!!なるほど、本好きの人におすすめを教えてもらったんですね」
「そうそう。僕の仕事が夜中の4時くらいに終わるから、毎週水曜日の朝7時に、名古屋駅のカフェでやり始めたの。ぽつぽつと参加してくれる人が増えてきて、毎週10人くらいいた頃もあったかな」
「すごい、活発な会ですね」
「そのまま何年か続けてたら、2013年くらいから歌集を持ってくる人が現れ始めたんだよね。僕は短歌なんてぜんぜん知らなくて、百人一首のイメージしかなかったから、今はこんなのもあるんだーって」
「うんうん」
「ある日、その読書会に来ていた戸田響子さん(※2)という方が『短歌を投稿したら雑誌に載ったんですよ』って見せてくれて。そこに載ってる歌がどれも面白かったし、これなら俺もできるじゃん!って思った」
※2 戸田響子さん……歌人。小坂井さんと同じ新鋭短歌シリーズ(書肆侃侃房)から、2019年に歌集『煮汁』を刊行。
「おおー!ついに短歌を作るきっかけが」
「それで雑誌に投稿し始めたら、翌月か翌々月くらいにすぐ載ったんだよね。もう、そうなったら有頂天じゃん。なんか載った!俺すごい!みたいな」
「これは続けるしかない、と」
「そうそう。『神様が俺に短歌をやれと言ってる』くらいに思ってたな(笑)」
短歌に出会うまでの30年も無駄じゃなかった
「小坂井さんの歌集『平和園に帰ろうよ』の刊行は2019年ですから、作歌を始めてからわずか6年で、全国の書店に歌集が並んだわけですよね。かなり順調と言いますか」
「自分で言うのもなんだけど、とんとん拍子だったね。ありがたいことに、雑誌からの依頼もいただけるようになって」
「小坂井さんは、短歌のどういうところが好きですか? ここが面白いとか、どうして続けられるとか」
「言われてみれば何が面白いんだろうね!? なんで続けてるんだろうなあ(笑)。もう、今となっては勝手に続いてるって感じもするけどね。朝起きたら歯を磨くのと一緒」
「もはや、生活の一部のような」
「そうそう。あとはやっぱり、依頼をいただけてるのも続けられる理由のひとつかな」
「依頼とは関係なく、普段から短歌を作ってメモしたりすることはありますか?」
「昔はよくしてたけど、最近はあんまりしなくなったかもね。オンオフのスイッチがはっきりしてきたのかも」
「プロに近づいてきた、ってことなんですかね」
「どうなのかなあ、むしろ昔のほうが良かった気もするけどね。常にスイッチオンで生活していれば、あれも短歌になる!これも!っていろんなことに気付ける。そのスイッチを、いつの間にか切ったのかな」
「その代わり、作る必要があるときはガッと作れるようにもなった」
「そうそう。やっぱり、ずっとスイッチオンでいると疲れちゃうからね」
「と言っても、小坂井さんは日常の細かなことをよく観察してるイメージがあります」
「些細なことに着目して面白がるのが、昔から好きなんだよね。たとえばプールで、めちゃくちゃ横に逸れながら泳ぐ子供がいると『このまま横断しちゃうんじゃないか』って目が離せなくなったり(笑)。『この人まばたき速いな』とか、『お店のお客さん、みんなずっと口動かしてて面白いな』とか」
「世界や景色に対して、ちょっと面白い捉え方をしてますよね。普通なら素通りしてしまうような場面でも立ち止まって、あえて細かな出来事にまで目を向けることで、世界の解像度を上げるような」
「意外と、みんなも気付かないうちにそういう見方や考え方をしてるけど、些細なことだからすぐに忘れるんじゃないかな。僕は、それを人より長いこと面白がっていられるってだけで」
「なるほどなるほど。小坂井さんは、そういう些細な気付きをどこかにストックしてるんですか?」
「というか、自分の中に勝手に溜まってて。短歌に出会った時も、『今まで溜まりに溜まった小さな気付きを、やっと放出できる!』ってうれしかったんだよね。特に短歌では、大したことない出来事のほうが面白い歌になりやすいし」
「きっと小坂井さんには、短歌に出会う前から潜在的な素養があったんですね」
「そうそう。僕の中では、短歌の醍醐味ってそういうところかもね。日々の気付きが立派な作品になるわけだから。それが楽しいのかも」
「ちょっとおもしろい着眼点や、なんてことない思い出で、読者を楽しませることができるんですね。特に小坂井さんの短歌は『アウトローっぽい』と形容されるような、意外とこれまで短歌と交わることのなかった世界観の歌も多くて」
「平和園のある駅西商店街も、昔はあんまり治安が良くなかったから、そういう体験もいっぱいストックしてたかな。小学生の頃に公園で野球やってたら、ニッカポッカ履いたヤンキーが『おい!バット貸せ!』って」
「ええ!」
「その辺の花壇とかをグワー! ってめちゃくちゃにして、ボコボコになった金属バットを『ほい』って返されて(苦笑)。このエピソードはちょっと強すぎて短歌にしても面白くないけど、自分の歌にはけっこうそういう体験から来てるものも多いかも」
一発ずつだったビンタが私から二発になって 進む左へ
値札見るまでは運命かもとさえ思ったセーターさっと手放す
喜んでほしくて食べた泥だんごなのに子供らみんな泣き出す
家族の誰かが「自首 減刑」で検索をしていたパソコンまだ温かい
目に映るすべての景色が詩なんだよわかるか、なぁ、火ぃ貸してくれるか
/小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』(書肆侃侃房)
「そういう歌には、やっぱり育ってきた環境も出てると思う。だから、短歌に出会ったことで『30年間無駄に生きたと思ってきたけど、無駄じゃなかったんだな』って初めて思えた」
「めちゃくちゃいい話ですね……」
「短歌に限らず『始めるのが遅かった』『もっと若いうちからやってれば』って言う人いっぱいいるじゃん。でも、それは絶対ないと思う。その分、今までいろんなことやってきたんだからいいじゃん」
「その人にしか詠めない短歌って、きっとありますよね」
「うん。もっと早い時期から短歌やってたら経験してなかっただろうな、ってことも多いし。人それぞれのタイミングなんだと思う」
一生懸命やれば、何かが動くよ
「小坂井さんはとても多趣味なイメージがありますが、短歌以外の何かをやっていた時期もあるんですか?」
「興味あることに対してはいろいろやってみたけど、どれも短歌ほどはハマらなかったかな。20歳くらいの時なんかは、まわりにラップやってる友達が何人かいて。俺もHIPHOPは好きだったけど、当時はそこまで本気になれなかった」
「あとは、友達が急に『ボクシングのプロになりたい』って言うから、『俺もやりたい!』って一緒にボクシングジム行って。そいつは後々ほんとにプロになったんだけど、自分は『やっぱり殴られるのイヤだ』と思ってすぐ辞めて(笑)」
「でも、そのあとで出会った短歌は今まで続いているわけですね。偶然、そのタイミングで小坂井さんと短歌が交わって」
「そう、タイミングだよね。たまたま何かが揃う時期っていつか来るんだと思う。もちろん、そのためには自分から動くことも必要だと思うけど」
「小坂井さんで言えば、自分から動いて読書会を開催したわけですね」
「うん。やっぱり自分から動くといろんな出会いがあるよね。だって読書会やり始めたら、巡り巡ってブルーハーブのBOSSさん(※3)が店に来るんだから!」
※3 ILL-BOSSTINO……北海道札幌市のヒップホップグループ「THA BLUE HERB」のメンバー。メッセージ性の強いリリックが特徴的で、多くのファンを惹きつけている。
サイン入りポスターと、小坂井さんとBOSSさんのツーショット
「BOSSさんも、“短歌の聖地”の噂を聞いて来たんですか?」
「BOSSさんに関しては違う経緯があってね。僕が歌集出す2年前くらいのある日、通ってるジムにTHA BLUE HERBのポスターが貼ってあって。なんで? ってジムの会長に聞いたら『このイラスト描いてる鷲尾友公さん(※4)がうちに通ってるんだよ』って」
※4 鷲尾友公さん……名古屋のアーティスト。THA BLUE HERBやPUFFYなど、さまざまなミュージシャンのアートワークを手がける。
「おお!」
「すげー!と思って。僕が短歌やってることは会長も知ってたから、『歌集出すときは絶対この人に表紙お願いしよう』なんて話してたら、たまたまその人がジムに入ってきたの!」
「えー!!めちゃくちゃ偶然ですね」
「『僕、THA BLUE HERBが大好きで、今ちょうどあなたの話をしてたんです。2年後くらいに本が出る予定なので、イラスト描いてください!』ってその場でお願いした」
「いいよ、って言われたんですか?」
「言われた。多分、半信半疑だったと思うけど(笑)。それから仲良くなって、『今度BOSSさんが来たら店に連れてくよ』なんて言ってくれてたんだけど、しばらくしたらほんとに来てくれて」
「すごすぎる……」
鷲尾さんが装画を手がけた、小坂井さんの歌集『平和園に帰ろうよ』(書肆侃侃房)
「THA BLUE HERBは自分たちで1軒1軒ポスター配りに来るんだけど、それからは毎回うちにも来てくれるようになってね。BOSSさんは、平和園に来るたび短歌を作ってくれるんだよ」
「ええ!BOSSさんが短歌を……!?」
「ご飯食べながら作って、『見てよ見てよ』って(笑)。今度は短歌ノートにも書いてもらおうかな」
「たまたま読んだ人びっくりするでしょうね(笑)。でも、もし30歳で読書会を始めてなかったら、短歌を始めて歌集を出版することも、BOSSさんがお店に来ることもなかったと思うと、自分から動くことの大切さをより一層実感しますね」
「やっぱり、一生懸命やれば何かが動くよ。いつからでも遅くない、きっと何かが起きると思う」
「穏やかで芯のある小坂井さんとこうして言葉を交わすことで、平和園にやってくる歌人たちも励まされているのかもしれませんね。小坂井さん、今日はありがとうございました!」
おわりに
“短歌の聖地”・平和園に、何度でもまた帰ってきたくなる理由。
「普段はなかなかできない短歌の話ができる」というのはもちろんですが、小坂井さんの人柄と、美味しい中華の味が忘れられないのだと、一ファンとしてあらためて感じました。
みなさんも名古屋に訪れた際は、ぜひ平和園に立ち寄ってみてください!
厨房から「いらっしゃい!」と、気さくな声が聞こえてくるはずです。
撮影:fujico
編集:くいしん