こんにちは、ライターの友光だんごです。本日僕がやって来たのは土産店……ではなく、とある方の事務所です。
背後にあるこちら、もう少しフォーカスしますね。
この絵柄、懐かしい気持ちがこみ上げてきませんか? 小さい頃、旅行先の土産店や実家で見た記憶のある人も多いのでは。
こちらは「ファンシー絵みやげ」。80〜90年代、バブル真っ盛りの日本で大流行した子ども向けの雑貨みやげです。
キーホルダーだけでなく、のれんや食器、文房具やカー用品など種類も実にさまざま。修学旅行、社員旅行など団体ツアーも多く、今の何倍も観光地がにぎわっていた時代に日本全国でつくられ、販売されていました。
そして「ファンシー絵みやげ」に魅せられてしまったのが、この方。山下メロさんです。
山のようなファンシー絵みやげにも負けない、ポップな格好!
実はメロさん、「ファンシー絵みやげ」の名付け親。ファンシー絵みやげに魅せられ、会社を辞め、日本全国をまわりながら1千万円以上の私財を投じて収集し、こんな部屋をつくりあげてしまったそうなんです。
しかし名付け親といっても、流行当時からのコレクター、ではないんです。メロさんは次のように語ります。
「私が『ファンシー絵みやげ』の存在を思い出した2010年ごろ、ネットで検索しても、情報がいっさい出てこなかったんです。そしてそもそも、その存在に名前がついていなかった。
気づいているのは自分だけで、私が集めないと、皆が忘れて消えてしまうのでは? そんな恐怖心から、名前を付けて、収集しはじめたんです」
日本中の観光地で大流行したものに、名前がついていなかった? インターネットで検索しても出てこないことなんてあるの……?
自分が保護して残さないと、世の中から消えてなくなってしまう。そんな使命感とともに活動するメロさんに、詳しく話を聞いていきましょう。
話を聞いた人:山下メロ
1981年 広島市生まれ。中高生のころは埼玉県で育つ。平成文化研究家として「平成レトロ」を提唱し、バブル~平成初期の庶民風俗の分析・保存を行う。なかでも1980年代~1990年代に日本中の観光地で売られていた子ども向け雑貨みやげを「ファンシー絵みやげ」と名付けて記録。調査した土産店は5000店を超え、保護した「ファンシー絵みやげ」は21000種におよぶ。著書に『ファンシー絵みやげ大百科 忘れられたバブル時代の観光地みやげ』(イースト・プレス)。
※取材は新型コロナウイルス感染症対策に配慮したうえで行い、撮影の際だけマスクを外しています
ヤンキーが家に来るから、ファンシーグッズを捨てた
「メロさん、昔からファンシーなものが好きだったんですか?」
「子どものころ、サンリオとかが好きでしたね。姉もいたので、お下がりでグッズをもらったり。でも中学生のとき、持ってたファンシーグッズを全部捨てちゃいました」
「もったいない! どうしてですか?」
「ヤンキーが家に来たので」
「え、ファンシー狩り……?」
「違いますよ!(笑) 私の地元は埼玉県の加須市なんですが、当時はまだ暴走族とかツッパリカルチャーが残ってたんです。クラスの大半がヤンキーとか悪いコたちで、私はグレてるわけじゃなかったですけど、夜な夜な一緒に公園で遊んだりしてました」
「ヤンキーが中心の土地だったと。ファンシーとヤンキー、対極の世界観ですね」
「男子どうしでつるむ硬派な不良の価値観では、ファンシーグッズは『軟弱なもの』。友達のヤンキーが家に遊びに来るときに、それを見つけられたりしたら終わりなんです」
「なるほど、地元のコミュニティにい続けるためにファンシーと決別したと。通過儀礼みたいだな……」
「成長とともにファンシーな筆箱とかを使わなくなったのもあるんですけどね」
「でも、そうやって一度捨てたファンシー絵みやげを、どうしてまた集めるようになったんですか?」
「大人になって、2010年ごろにフリーマーケットでキーホルダーを見つけたのがきっかけです。当時『魔法の天使 クリーミィマミ』がアパレルブランドとコラボしたり、80年代カルチャーがリバイバルする機運があって。『この80年代のファンシーなお土産もくるぞ!』と思ったんですよね」
「そこから一気にのめりこんでいった?」
「いや、最初は軽いノリです。フリーマーケットで買ったキーホルダーもたった10円でしたし、価値があるなんて思ってなくて。もう誰かが集めてるだろうと、買って帰ってすぐにネットで検索して、ビックリしたんですよ」
「それはなぜ?」
「まず、検索窓になんと入れたらいいか分からない。この名前はなんなのか。そして、色々なワードで検索を試しても、全然ヒットしなかったんです」
「そこが不思議ですよね。2010年だとブログやSNSも普及してたと思うんですが、誰も触れてなかったんですか?」
「はい。インターネットに情報がほぼなかった。自分も忘れていたし、人々の記憶からも消えているのでは……。それで、すごく怖くなったんです」
「『世にも奇妙な物語』みたい。むかし好きだったものを、みんな忘れて自分だけが思い出した……」
「例えば、古代の文化が消えていくのはなんとなく納得できるじゃないですか。でも、当時で20年前くらいの文化ですよ。このインターネット時代に、アーカイブされてない情報や文化がある。あんなに流行ったものが消えるものなのか、と怖くなりました」
「たしかに、こういうファンシーグッズって見ると思い出すけど、見るまでは忘れているというか」
「そうですね。そうやって思い出されない、話題に上がらない理由は『名前がない』からじゃないかと思って。それで『ファンシー絵みやげ』と名前をつけました」
「名前がわからないものについての会話ほど、難しいものはないですもんね」
「当初は会社に勤めつつ、週末にフリーマーケットや観光地に探しに行くくらいだったんですよ。20年以上前に流行ったものとはいえ、まだギリギリ地方の土産店の隅っこに置いてあったり、倉庫に眠ってたりしていて」
「ほうほう」
「でも、そうやって通っていると、地方の土産店がどんどん閉まっちゃうんです。その廃業スピードに追いつくには時間が足りない!と思って、仕事を辞めました」
「そこまでして!」
「まだ各地に眠っているファンシー絵みやげを、捨てられてしまう前に手元に残さなければと思ったんです」
「『残す使命』に目覚めちゃったんですね……!」
日本全国、とにかく「全部」探す!
ここでメロさんの事務所兼、コレクション保管庫にお邪魔します。
懐かしいものがたくさん並んでる…!
収納ケースにも、コレクションがぎっしり
「物量に圧倒されますけど、やっぱり壁一面のキーホルダーに目がいっちゃいますね」
「ここにあるのは一部です。キーホルダーは都道府県別に分類していて、この列から、北海道、東北、関東、北陸、中部……。総重量は1トンを超えています」
「1トン! しかしこれ、端から見ていくだけで楽しいなあ」
「あ、よく見ると共通のモチーフがあったりしますね。特にキツネが多いような気が」
「はい。そもそもファンシー絵みやげの元祖だと思われる商品が、1979年頃に北海道でつくられたキタキツネのキャラクター商品なんです。そこから他の会社もキタキツネをつくるようになり、さらに本土へも波及しました」
「他の会社もというと、いろんなデザイナーさんがいたってことですか。絵柄がどれも似てますけど、同じ人がつくったのではない?」
「そうなんです。実は、売れている商品を意識して各社が商品をつくっていったため、絵柄が似てしまってるんです。なかには、現代の著作権意識では考えられないくらいに似ているものもあったりしますけど(笑)」
「キツネが売れてるから、うちもキツネのおみやげつくろうぜ!みたいな?」
「そうですね、それで各地でキツネがどんどん生まれて。ホンドギツネは北海道と離島以外の日本のほぼ全域に生息しているので、キツネのファンシー絵みやげも地名だけ変えて全国にあります。でも、キタキツネのように地域性のあるキツネの商品は他にもありますよ。この桃太郎とか」
「桃太郎といえば岡山。あれ、でもこれは愛知県の犬山? そして桃太郎の隣にいるのが……」
桃太郎伝説は、愛知県の犬山市にもある。桃太郎と一緒に歩いているのは、猿でもキジでも犬でもなく、キツネ?
「そうそう(笑)。そういうゆるさや遊び心も魅力なんです」
「キツネの使い勝手のよさがすごい。あの〜、下世話な話で恐縮ですが、これだけ集めるのにお金も相当かかってるのでは?」
「1000万円以上です」
「そんなに!!! それだと定価の数倍になってるものも買っているとか?」
「いや、違います。最近はともかく、もともと私以外に誰も集めてなかったので価値はついてませんでした(笑)。たとえ1個500円くらいでも、観光地に行く交通費や宿泊費がかかるじゃないですか。山奥や離島にも行くので、数万円かけて1個買えただけということも、数万円かけて収穫ゼロということもあります」
「ひいい。じゃあ少しでも無駄がないように、事前にファンシー絵みやげを置いてそうな土産店がある場所に、あたりをつけて……」
「あたりはつけません」
「えっ!?」
「先入観が生まれると、危険なんです」
「ありそうだから行くんじゃなくて、全部行くんです」
「全部……? どういうこと……?」
「たとえば、ある範囲のアリの個体数を数えて調査するとなったとき、たくさんいそうな巣だけを見て終わりにはしないと思うんです。少なそうな巣も見ますし、すでに使われてない巣でも中に住んでるアリがいるかどうかは見ないとわかりません」
「たしかにそうですね」
「私がやっているのも同じことです。先入観から店を選んではダメで、全部行くんです。もっといえば売り場の中でも、思わぬ場所に置いてあることがあります。ここでも先入観は邪魔になりますね」
「そういう意味なんですね」
「だから、とにかく日本全国を探しまくるんです。廃業した土産店でも、家主の方を探して、建物の中を見せていただいたり。『おみやげ』の看板がなくても、大きいガラス戸が並んでいる豆腐屋さんみたいな外観だと、かつて土産店だった可能性が高いので必ず訪問します」
「(メロさんにしか役に立たなそうだけど、面白いコツだな)」
「まあ、そう思って聞くと、ただの豆腐屋さんだったときも多いんですけど(笑)。あとは観光地だと干物屋さんや蕎麦屋さんでも、お土産を売ってることがある。だから『土産物店』だけを探してもダメ。先入観をなくして、とにかく全部行くんです」
「情熱が半端ない」
「買えればいい、じゃないんです。残っているものをなるべく保護するのが目的なので」
土産店に交換用の「鍵」と「のれん」を持っていく
「伊達政宗」は人気のモチーフ。デフォルメされた絵柄なので、特徴があるほうがグッズ化しやすいらしい
「でも、世の中的に『価値がない』とされてたものを集めてたわけですよね。地方の土産店で、お店の人に不思議がられたりしません?」
「不思議がられますので、活動理念を説明する……こともあります。でも、そういうことで心が動かない方もいますから、まずは軽く世間話から入ることもありますよ。とにかく土産店では、ひたすら『交渉』なんです」
「交渉?」
「『ファンシー絵みやげ』が普通に店頭に並んでることはほとんどないので、なんとかして探してもらわないといけないんです。そんな自分の要求を、いかにのんでもらうか。そういう交渉です。」
「店の人もどこを探していいか分からないんじゃないですか?」
「そうですね。そこは、何千軒も土産店を調査した自分の経験から、探すべき場所というものがいくつかあります。ただし、特殊な場所を探してもらうので、入店してすぐに頼んではいけません。『ときメモ』でいう友好度みたいなパラメータを上げておかないと、怒られることもあります」
「探す場所というのは、店の倉庫とか?」
「そうですね、色々とありますよ。ちょっと変わったケースでは、民宿で『鍵を全部見せてくれませんか?』と頼んだこともありました」
「鍵???」
「鍵にファンシー絵みやげのキーホルダーが付いてることがごくまれにあるんです。それを譲っていただけないか、相談するんですね」
「お店の人にびっくりされません?」
「されますね(笑)。でも不審がるというより『そんなに欲しいの?』と。お店の人にとっては、売れ残ったけど捨てるのももったいないから使ってる程度のものなので。ちゃんと、代わりに付けるキーホルダーも持っていきますし」
「え?」
「代わりに付けるキーホルダーも持っていきます」
「代わりに付ける……?」
「だって、キーホルダーがなくなるとお店の方も困るじゃないですか。代わりまで用意してると、『そんなに欲しいの?』から『そこまでして欲しいの?』にランクアップします。なので、なるべく代わりを持ち歩くようになりました」
「準備がよすぎて怖いと思っちゃったんですけど、やってることはめちゃくちゃ良心的ですね」
「キーホルダーに『金庫の鍵』とか文字が書いてあったら、ちゃんと新しいキーホルダーにも書いて渡しますよ。あと、店内の従業員入口とかに、ファンシー絵みやげの『のれん』がかかっているときも多いんです」
「まさか、それも代わりののれんを……」
「はい、持ち歩いてます。OKだったら交換してもらいます」
実際に、とある土産店の従業員入口にかかっていた『ファンシー絵みやげ』ののれん
「もちろんお店の方に迷惑をかけないよう、つけ替えも私がやります。脚立に乗るのも慣れてしまっているので」
「メロさんが『店に突然現れて、備品を新品にして帰っていく妖精』に見えてきました。あと来る前にインスタを見て気になってたんですけど、メロさん、かなり筋肉ありますよね」
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「観光地で駆け回るために鍛えているとか?」
「筋トレとかはしてないんですよね。キーホルダーって、金属なので重いんです。それをいっぱい抱えて観光地を走り回ってたら、気づいたら筋肉もついちゃってました」
「そんなことあります?(笑)」
「土産店は閉店時間も早いですし、節約するために1日にできるだけ何軒もまわりたい。途中で発送する時間とかもないから、いっつもすごい荷物になっちゃうんですよね。ファンシー筋肉です」
メロさんの僧帽筋、ガッチリしてました
バブル時代がもっと注目されてほしい
「ファンシー絵みやげはかわいいですし、今の時代に復活したらいいですね」
「いや、絶対復活しないと思います」
「絶対しない……?」
「ファンシー絵みやげが流行した背景には、バブルという時代があったんですね。景気がよかったからこそ、こんなにもたくさんの種類の土産品が、大ロットでつくられた。だからこんなに贅沢な造りの商品が安価で流通できていたんです。復活させるには、バブルという時代ごと復活させないと無理だと思います」
「なるほど……」
「あと復活しても、実際に使うのはなかなか難しいと思いますよ」
「え、どうしてですか?」
「だってだんごさん、これカバンにつけられます?」
「これはちょっと、恥ずかしいですね……」
「キーホルダー、湯のみ、モップ、バスマット……。ファンシー絵みやげはどれも実用品なので、観光地で気持ちが盛り上がっている時は買っちゃうんです。でも日常に戻った瞬間、恥ずかしくて使えないものも多い」
「お土産ってそういうものも多いかも。こういう少しエッチなやつとか」
「宴会の席だけで楽しんで、家には持ち帰れないようなものもあったりします」
「昭和の香りを感じるな〜」
「もっとめちゃくちゃなものもありますよ。例えば未成年が中心のはずの『白虎隊』がタバコを吸ってたり、差別的な言葉が使われてたり」
「ほんとだ。これとか今はアウトですね。ちょっと映せない……」
「ファンシー絵みやげは『出せば売れるからなんでもいい』ってノリで世に出しているケースが多いんですね」
「僕もバブルを知らない世代なんですけど、ファンシー絵みやげを見てると当時のイケイケな空気感が伝わってきますね」
「そういう世相や当時の文化がわかる、民俗学的資料としても非常に価値が高いと思ってるんです」
「そこにちゃんと名前を付けて、光を当てていくのは大事ですね」
「ファンシー絵みやげのいいところは、たいていの人が現物を見ると『ああ、覚えてる!』となるところ。つまり、めちゃくちゃメジャーなんです。そんなにメジャーな文化が、消えてなくなっていいはずありませんから」
大英博物館に所蔵されるのがゴール
「いま、メロさん的にファンシー絵みやげは何割くらい集まったんですか?」
「最初は2000〜5000種類で終わりが来ると思っていたんです。コレクションってなんでもそうですけど、終わりに近づくとダブりが増えてくるじゃないですか。でも、ファンシー絵みやげは今もあんまりダブりが発生しなくて」
「ということは、1万種類は超えている……?」
「私のコレクションは約2万種類あるんですけど、全部でおよそ数10万種類くらいあるんじゃないかと思っています」
「数10万種類! じゃあこれだけ集めて、まだ1割にも満たない可能性もあるんですね」
「目標として決めているのは、ファンシー絵みやげが大英博物館に所蔵されることとしています」
「大英博物館! めちゃめちゃ壮大に聞こえますけど、日本のある時代を映す貴重な文化ですもんね」
「まあ、収集自体はもう十分だとは思います(笑)。これだけ集めて、本も出しましたし、中古相場も上がってきています」
「メロさんがメディアに出られることも増えてますし、確実にファンシー絵みやげの価値を上げてますよね」
「だから、次のフェーズに入ってますね。実はファンシー絵みやげの『本当にいいもの』って、土産店じゃなくて人の家にあるんですよ」
「人の家に?」
「今でもお店にあるものって、言ってしまえば人気がない売れ残りなんです。私が苦労して現地で買っているもののなかには、『人気がない』『錆びてる』『定価』という、三重苦の場合があります(笑)。デザインが洗練されてたり、書かれた言葉が面白かったりするヒット商品は、当時買った人の家に眠ってるんです」
「なるほど。店と違って、それを集めるのはさらにハードル高そうな」
「一軒ずつ、インターホンを押して回るわけにもいかないですから。私が発信してファンシー絵みやげの価値に気づく人が増えていくことで、結果的に保護が進むと考えています」
「メロさんの発信が、文化を『残していく』ことに繋がっていくんですね」
「ファンシー絵みやげ以外にも、保護したり発信したりしたいものはたくさんあります。CD保護マットとか、携帯電話の光るアンテナとか。原宿文化も大切なので、タレントグッズを集めたり、詳しい人に取材したりしています」
「そういえば『平成レトロ』の研究もプロフィールに入ってますもんね」
「ファンシー絵みやげは民俗学的資料になりうるし、数も多い。全部がこれだけ奥深いわけじゃないんですけど、深さだけが価値じゃないですから。忘れかけられてるいろんなものに、光を当てていきたいですね」
「メロさんは文化の『のこしびと』なんですね」
「そうかもしれませんね。そうそう、私も体はひとつなので、『何かのマニアになりたいけど何したらいいかわからない』って人に、私の興味のあるものを変わりにやって欲しいんですよね」
「たとえばどんなものが?」
「地方のクリーニング店って外観にこだわりがある店が多くて奥深いんですよ。写真を撮りためてはいるんですけど、ちょっと回りきれなくて。誰かやってくれないですかね? 責任はとれませんが(笑)」
☆山下メロさんによる「地方のお土産店」をテーマにした連載も、ジモコロでスタート予定! ご期待ください。
構成:荒田もも
撮影:萩原楽太郎