第26話
「柳田さんと民話」とは?
ひとり旅を趣味とする男性・柳田久仁夫が、日本各地で地元に伝わる民話を聞き歩く、ユルくておもしろくてためにならない8コママンガです。
第26話
「柳田さんと民話」とは?
ひとり旅を趣味とする男性・柳田久仁夫が、日本各地で地元に伝わる民話を聞き歩く、ユルくておもしろくてためにならない8コママンガです。
こんにちは! ライターのギャラクシーです。北海道に来ています。
後ろは「天に続く道」と呼ばれる知床の観光スポット。インスタ映えしそうでしょ?
※ちなみに道の両脇にはめちゃめちゃ牛フンが積まれていました。
さて、なぜ北海道まで来たのかというと、あるマンガを読んだからです。
それは……
ヤングジャンプで連載中のマンガ、今春からアニメ化もされる作品『ゴールデンカムイ』!
「アイヌの隠し財宝」を巡って、主人公・杉本や、土方歳三、陸軍など、様々な目論見を持つ集団が入り乱れての争奪戦!
……というのが大体のあらすじなんですが、舞台が北海道であり、そして何より、すごく詳細にアイヌ文化に触れているのです。
「アイヌ文化めっちゃカッコエエ~!」
このマンガを読んだ誰もがそう思うはず。
知りたい! アイヌの人々ってどんな文化を持って、どんな生活してたの?
バッサバッサバッサ……
詳しく知りたかったので、釧路にある『阿寒湖アイヌコタン』にやって来ました。
ここはアイヌの民芸品店や、アイヌ料理のお店などが数十店も立ち並ぶ観光スポット。
さっそく詳しい人にお話を聞いてみましょう!
阿寒湖アイヌコタン
北海道釧路市阿寒町阿寒湖温泉4−7−84
話を聞いたのはこの方。
阿寒アイヌ工芸協同組合理事であり、阿寒アイヌ協会副会長の床 州生(とこ しゅうせい)さん。
ちなみにインタビューした場所は、床さんが店長を務める民芸品店『ユーカラ堂』の、店内です。
「今日はよろしくお願いします。『ゴールデンカムイ』という漫画を読んでアイヌ文化に興味を持ちました」
「最近はあのマンガの影響で、アイヌに興味を持ってくれる人が本当に増えました。作者の野田サトル先生は、ここ(阿寒湖アイヌコタン)にも取材に来てくれたんですよ」
「おぉ。実はここへ向かう道すがら、色んな場所で土地の人に話を聞いたら、『ゴールデンカムイの取材が来た』とおっしゃる人が多かったんです。各所でものすごく綿密な取材を行って描かれてるみたいですね」
「素晴らしい作品ですよ。アイヌの僕ですら知らない狩りのやり方が描かれてたりして勉強になっちゃう。『へ~、そうなんだ』って驚いたりするよ」
「本物のアイヌの人から見てもすごい作品だと」
「春からはアニメ化されるんでしょ? アイヌの文化が横方向に広がっていくのは素晴らしいよね。僕の知人が作ったマキリ(小刀)がマンガの中に出て、クレジットされてるのを見た時には、誇らしい気持ちになったし」
マキリ(小刀)
動物を解体する、魚をさばくなど多目的に使用する。男女ともに、いつも腰から緒でさげていた。鞘や柄は、木や骨で作り、文様を彫った
「ではさっそくアイヌの文化についてお話を聞かせてください。アイヌといえば文字を持たず、口伝のみの民族ですよね。アイヌ語の発音も日本語っぽくなくて、不思議な印象を受けます」
「日本語っぽくないかな? 誰もが普通に使ってるシシャモとか、ラッコ、トナカイなんかはアイヌ語ですよ」
「えっ、トナカイってフィンランドの言葉じゃなかったんだ!」
「あと、ファッション誌の『non-no(ノンノ)』も、アイヌ語で花って意味だけど……これは、どうだろう。確認してないからちょっと断定はできないかな」
※後で確認しましたが、アイヌ語からでした!
「我々は知らずにアイヌ語を使っていたのか……。ちなみにアイヌ語で『こんにちは』は何と言うんですか?」
「『イランカラプテ』かな。アイヌには“おはよう”とか“こんばんは”みたいに、時間で挨拶を変える習慣はないんで、どんな時間帯でもイランカラプテだけで大丈夫です」
「昼夜逆転したフリーライターなんかには最適な挨拶ですね。他にも日常会話に使えるアイヌ語があれば、教えてください!」
というわけでいくつか教えてもらいました!
イランカラプテ|こんにちは
イヤイライケレ|ありがとう
ヒオーイオイ|(カジュアルな)ありがとう
ピリカ|良い・美しい(英語のgoodみたいな意味)
ヒンナ|おいしい(いただきます・ごちそうさまという意味でも)
イクアン・ロー|乾杯(アイヌの人はお酒好きが多いらしい)
スイ・ウヌカラン・ロー|さようなら
オソマ|うんこ
シ・タクタク|うんこの塊
「みなさんも、日常会話にさり気なく使用してみてください」
「『うんこの塊』を日常会話で使う機会って、ある?」
「アイヌの人々の日常生活ってどういうものだったんでしょう。なんとなくストイックな人々というイメージがあるんですが、例えば恋愛観とかは? 結婚は自由恋愛だったんでしょうか」
「親が決める場合もあるけど、それがイヤなら拒否する自由はありました。婚約すると、男性は小刀の鞘や柄に装飾を施して、女性への贈り物にします」
「プレゼントにしては、えらく物騒な物を……」
「細かくて美しい装飾を彫れるということは、道具の扱いに長けているということ。生活する能力に優れているアピールでもあったんです」
「あぁ、なるほど! 女性側からはプレゼントしないんですか?」
「女性は、男性の身の丈に合った衣装を作って送ります。手甲や足甲などの場合もありました。アイヌの間では、良い道具や、かっこいい衣装を着ている人ほど、優れた人と言われるんです。生きていくのに、そういった腕が必要だったから」
「質実剛健なのにおしゃれさんだったんですね」
「全体的に、排他的ではなくおおらかな恋愛観だったみたいで、ロシア人との交わりもありました。そのあたりは、ゴールデンカムイでも核心になってくると思……」
「ストーップ! まだ読んでない人がいるかもしれないので、この話ストップ!」
「小刀や服を送り合って、お互い気に入ったら結婚という流れなんですよね? 結婚生活はどういうものだったんでしょうか」
「アイヌは男性と女性の役割がハッキリ分かれてたんです。男は狩りと、儀式に使う道具の作成が役目でした」
「『ゴールデンカムイ』のアシリパさんみたいに、女性で狩りをやる人は異質だったんですね」
「異質どころか、狩りの時は、絶対に女性を連れて行ってはいけなかったですね」
「銃のない昔は、どういう武器を使って狩りをしたんでしょう?」
「武器は毒矢がメインですね。トリカブトの毒を使いました。道東(北海道東部)のトリカブトは特に強力らしくてね、人間に当たるとイチコロですよ(笑)」
「そんな怖いことを笑顔で言わないでください。とにかく男性は狩りをしていたと。では、女性は何をしてたんですか?」
「女性は家事と、酒を作る役目ですね。酒を作れるのは、生理の終わったお婆さん……しかもフチ(尊敬されている年長者)しか作れませんでした」
「な、なぜわざわざお婆さんが? 昔の話だと普通は、処女がブドウを踏んでワインを作るみたいなイメージが一般的というか、イメージ的においしそうという考えになりそうというか……そんな気、しません?」
「…………」
「まぁね……」
「いや(笑)、アイヌではフチ(尊敬されている年長者)が大事にされてたってことでは? “狩りに女性は連れていかない”という話をしましたが、逆に、酒を作っている樽の近くには、男は近寄れなかったそうです。女だけの神聖な行為だったんですね」
「アイヌというと狩猟民族のイメージでしたが、お酒を作るってことは、農耕もやってたってことですか?」
「ヒエ、アワ、キビの農耕をやってたそうです。そういった穀物でだんごなども作られるようになって、それがごちそうだったんです」
「他にはどんなものを食べていたんでしょう」
「クマやシカの肉、山菜などですね。『ゴールデンカムイ』でもよく登場しますが、それらを鍋にしたりして食べていました」
文字だけだと想像しにくいので、取材が終わった後、実際にアイヌ料理を食べてみました。
こちらは阿寒湖アイヌコタンにある『民芸喫茶ポロンノ』。
▼ユック(鹿肉)のオハウ(汁物)とご飯
ごはんには雑穀が入ってます。奥にある赤黒いかたまりはメフンといって、鮭の腎臓だそう。塩辛をさらにエグくしたようなクセのある味ですが、僕はめちゃ好きでした
鹿肉トロットロでおいし~い!! あっさりした塩味の汁、いわゆるすまし汁ですね。あったまるわぁ~……
▼ラタスケップ
かぼちゃを豆やとうもろこしなどと一緒に煮込んで混ぜ合わせたもの。アイヌ料理の香辛料としてよく使われる「シケレベ(木の実の一種)」が入ってて、甘さの中にしびれるスパイシーさがあります。独特の味ですね。
▼ポッチェイモ
発酵させたジャガイモをザルでこして乾燥させ、水で戻して焼いたもの。
もちもちモコモコした食感。素朴な味ですが、バターの塩気が効いてます!
「『ゴールデンカムイ』に限らず、アイヌが登場するマンガって結構ありますよね。『無限の住人』とか。それらに共通するのって、“服装がカッコイイ!”ってことだと思うんです」
「文様が入ってたり、樹皮で作られてるやつね」
「それそれ! かっこいいですよね~! 着心地はどうだったんですか? 樹皮の服ってゴワゴワしそうなんですけど」
「いやいや、すごく柔らかいんですよ。樹の皮を春に採って、温泉につけたりして繊維をほぐし、糸にして織ったものを服にしたわけです。皮のまま着てたわけじゃないです」
「あぁ! 皮のままだと思ってた! 竹かごみたいな着心地なのかと」
「そんなの着てたら、全身擦り傷だらけになるでしょ!」
「北海道は、他の地域と違って“寒さ”というネックがありますよね? 特に昔はダウンジャケットなんか無かったわけで。寒くはなかったんですか?」
「もちろん寒かったでしょうね。なので、鹿や熊など、動物の皮で作った服を防寒着として着ていました。サハリンや千島など、特に寒い地方に住んでいたアイヌは、鳥の羽毛で服を作ったらしいですね」
「ドンキホーテ・ドフラミンゴじゃん」
「魚の皮で作った服もあると聞きました。狩猟をやってた民族なので、動物の皮は手に入りやすかったはずなのに、なぜわざわざ魚の皮を使ったんでしょう」
「魚の皮(鮭など)で服や靴を作ったりしていた理由は、風や水を通さないからですね」
「そうか! 昔はビニールやナイロンがなかったから、防水の素材というのが魚の皮だったんだ!」
「『ゴールデンカムイ』ではイトウの皮で作ってましたね。ちなみに阿寒湖ではイトウを養殖してたんですが、またたく間に食物連鎖の頂点に立ってしまって……一時期『イトウしか釣れない!』という緊急事態になりました」
「幻の魚じゃなかったのかよ……。それにしてもアイヌの衣装って、同時代の日本の服に比べても、レベルが高いように感じます」
「服に関しては文化レベルが高かったと思います。ひとつは、さっきも言ったけど、アイヌは服装や装備がその人の能力を表すとして、とても大事にしていたから」
「ひとつは……ということは、他にも?」
「もうひとつ、アイヌは古くから交易を盛んに行っていたというのがあります。ロシアや、ロシアを通して中国から絹織物なども入ってきた」
「本州では、江戸時代から幕末くらいまでは鎖国でしたね」
「その間もアイヌは普通に中国から輸入した絹とかを扱っていた。蝦夷錦(えぞにしき)といって、本州の侍なんかが欲しがったそうですよ」
▼蝦夷錦
江戸時代、中国からサハリンを経由し、北海道に至る交易路があった。アイヌたちは「蝦夷錦(えぞにしき)」と呼ばれた中国の織物などを手に入れ、それを松前藩が将軍に献上したことで江戸にも広がった
「『ジモコロ』では、地方の民話を聞くことをライフワークにしている男のマンガ『柳田さんと民話』が連載されています。アイヌにも特有の民話はありますか?」
「たくさんあるんだけど、すべて“口伝”だから、正確じゃなかったり、地域によってかなり違いがあったりするんだよね」
「床さんが聞いたバージョンで構いません。一番有名なものは何でしょう? 『桃太郎』みたいな」
「では、『アイヌラックル』の話をお教えしましょうか」
「わ、楽しみ!」
「その昔、多くの山菜がとれる山がありました。アイヌたちは、普段はその時食べる分だけを採っていたんですが、ある時、大量に採ったら来年は採集に出かけなくてもいいんじゃないか?と考えたんですね」
「なんと愚かな……」
「村人たちはみんなで山にでかけ、山菜を根こそぎ採ったんです。当然、山に住む動物は食べるものもなくなって、死んでしまいました。その土地の地下からは、黒い霧が出てきて、何年も作物が育たなくなったそうです」
「黒い霧!?」
「困った人々は、神さまに相談しました。神さまによると、その土地の地下に悪い神……魔王と魔女がやってきているというのです。彼らを退治しなければ、人の国に実りはやってこない」
「人と悪神との戦争……この物語には英雄とか出てくるんですか?」
「出てきますよ~! それがアイヌラックルです。アイヌラックルは神の子ですが、地上で人間とともに育ちました。だからアイヌ語で『人間くさい神』という意味のアイヌラックルと呼ばれていました」
「アイヌラックルという言葉の印象で、なんとなくアライグマみたいな絵を思い浮かべてましたが、カッコイイ青年にイメージを変更しました」
「彼は人々といっしょに魔王征伐に向かい、縦横無尽に空を飛んで戦いました。しかし、魔王と魔女も悪神とはいえ神。やがて、アイヌラックルは追い詰められていきます。いよいよアイヌラックルの最期という、その時……!」
「ど、どうなるの……」
「婚約者である白鳥姫が現れ、宝刀を授けました。その宝刀を抜いただけで魔王の手下はすべて死に、空から一振りすると魔女が倒れました。残る魔王は倒しても倒しても復活してくるんですが、最後には天から雷が宝刀に落ち、カムイ・イメル(稲妻を宿した一撃)で鎮めることができたのです」
「『ダイの大冒険』のギガストラッシュ……!」
「神さまは人々を集め、こう言いました。『魔王は、あなたたちが山の恵みを独り占めしたからやってきたのだ』と。まぁつまり、人間だけではなく、動物たちにも分け与えなさい、というお話ですね」
「なるほど。おもしろかった~! 普通にアニメで見たいですね」
「こういう話を聞いた人は、他の誰かに話す時、もっとおもしろくして話さなければならなかったそうです。だから、地域によって家族によって、色んなバージョンが生まれてしまうんです」
「今日はおもしろい話がたくさん聞けて、すごく楽しい取材でした」
「僕も楽しかったですよ。色んなテレビや新聞、雑誌なんかの取材を受けてきたんだけど、聞かれるのはアイヌの暗い過去や、重々しい民族的主張なんかが多いんです。楽しい話も聞いてほしいなぁ~と思ってたから」
「そう言っていただけるとありがたいです」
「『ジモコロ』のHPを見て、やっと若い人が入り口にしやすいメディアが取材に来てくれるようになったかと、ホッとしています。阿寒湖アイヌコタンでは、アイヌの文化を明るく楽しく伝えていきたいと考えてるんです」
「まず『入り口を作る』ってすごく大事な考えですよね」
「僕らはこれからも、アイヌ文化は楽しいよ、かっこいいんだよ、っていうのを伝えて、お客さんにアイヌのことを知ってほしいと思ってます。アイヌのことをもっと知りたくなったら、またいつでも遊びにきてください」
「ありがとうございます! 是非プライベートで伺います!」
というわけで、今回は『ゴールデンカムイ』を読んだ勢いで、北海道の阿寒湖アイヌコタンまで行ってみました。
謎に包まれたアイヌ民族のこと、少しわかって頂けたのではないでしょうか。これで、春から始まるアニメが100倍楽しくなるかも?
ここを入り口に、もっと文化を知りたい、歴史を知りたいという人が増えたら幸いです。では、スイ・ウヌカラン・ロー(さようなら)!
阿寒湖アイヌコタン
住所|北海道釧路市阿寒町阿寒湖温泉4−7−84
阿寒湖アイヌコタンでは、併設された『阿寒湖アイヌシアター〈イコロ〉』にて、アイヌの民話や踊り、人形劇などを上演しています。
舞台を見せてもらいましたが、川が流れてたり、炎が噴き出したりと、すごい演出!そして衣装が豪華絢爛!
1回30分で料金1080円(小学生は540円)、サクッと見れるので、ぜひお楽しみください
(おわり)
「5G(第5世代移動通信システム)」「ブロックチェーン」「量子コンピューター」——。
日々そんなテクノロジーのトレンドを追いかけながら、ビジネス領域で編集者・ライターとして活動している長谷川リョーと申します。
「東京大学大学院にて学際情報学の修士課程を修了し、新卒でリクルートホールディングスに入社。現在は独立し、編集チームを主宰する」
経歴だけをみると、「エリートだ」なんて言われることも少なくありません。
それでも、もうひとつの人生があったとしたら、パラレルワールドで生きる僕は中卒で大工として働いていたんです。確実に。むしろその世界線で人生を歩んでいる確率の方が、断然高かった。
中学3年生の夏前、ある主婦の女性に出会うまでは..….。
中学校の卒業アルバム。勉強はまったくせず、毎日サッカー部で精を出してました
国語3、数学3、社会3、理科3、英語1。
学校の成績はだいたい平均、むしろ少し苦手。小学校時代は野球部、中学に上がるとサッカー部に所属し、ただただスポーツだけを楽しみに毎日過ごしていたように思います。
それもそのはずで、両親をはじめ、親戚のなかで大学まで進学している人がほとんどいません。父方の家系はお爺ちゃん、お父さん、お兄ちゃんがパティシエ。母方は大工と、みんな手に職のある生き方をしています。
両親は活字をまったく読まない人で、本なんか家には一冊もない。その意味で、決して文化資本には恵まれていませんでした。
これは27歳になった今だからこそ言えることですが、大学から大学院へ進学する過程で気づいたことがありました。
「“人間のスペック”に大差はない」。
そもそも生物種として異なるチーターと比べれば走力の差はあるけど、同じ人間同士では、基本の走力に大きな差はない。それでも違いが生じるのは、環境が異なるから。この一点に尽きると思います。
家庭や学校という、幼少期から青年期までに身を置く小宇宙において、思考や価値観、自己肯定感は徐々に根を張り形成される。当然、小中学生当時の自分がこのような客観視、相対化をできていたはずもなく……。
「俺は勉強ができない。親だって、叔父さんだって、兄弟だってそうなんだから」
そんなふうに自分で決めつけた箱の中に収まることで、自己暗示をかけていました。
とりわけ苦手な科目だったのが「英語」。
中学3年生の夏頃まで、”do”と”does”の違いも分かりませんでした。
英語(というか言語一般)は基礎の基礎の文法をおざなりにすると、そこから続いていく発展的な文法や構文など、1mmも頭に入らないし、入りようもありません。
中学1年生から初めて習う英語に対し、初回から数回の授業をまったく聞いておらず、その後の3年間で苦しむことになったと記憶しています。
聞けば、受験において英語は最重要科目。頭を抱えながら、当時の僕が思った進路が二つ。
①名前を書ければ入れる商業高校に進学する
②お爺さんと叔父さんと同じように中卒で大工になる
結果として、どちらの道も進みませんでした。
ここで今回の主題に戻ります。
前述したように中学校の英語の期末試験はいつもビリから数えた方が早い順位でした。しかし、恩師の主婦の方に英語を教えてもらい始めてから、卒業前の最後の期末試験では学年1位に躍り出ることになりました。
勢いそのままに、なんと僕は順天高校の「英語科」に進学することになります。
その1年後にはアメリカに留学し、フロリダ大学に入ると英検1級、TOEIC990満点を取得。
完全に英語の呪縛から解き放たれたのです。
どうやって僕の人生は急旋回し、今の僕が在るのでしょうか?
いまでも工事現場を通り過ぎるたび、そこで働いていたかもしれない、もう一人の自分の姿を見ることがあります。
人生はひょんなことから、たった一人の恩師との出会いから、いかようにも針路を変えていく。
僕の人生を変えてくれた戸塚はるみ先生は、母親の友人の犬の散歩仲間だった主婦の方です。
英語が最大のネックとなり、進学を諦めかけていた当時。母親が戸塚先生に頼み込み、受験まで残り1年を切って絶体絶命だった僕に英語を教えてくれることに。
出会いから約10年が経つ今から振り返ると、僕は戸塚先生の英語塾の1期生であり、この出会いをきっかけに生まれた戸塚先生の塾は、地元でも評判の英語塾になっていきます。
サッカー部が終わると毎日のように自転車を漕ぎ、先生のお宅へ。
塾とはいってもそれらしい教室があるわけではなく、戸塚先生のご自宅の机で教えてもらうだけ。
僕の人生の分岐点を辿るべく、今回約10年ぶりに先生の元を訪れることに。今年のはじめに塾の最後の生徒を送り出したばかりだという、あの頃となにも変わらない戸塚先生が温かく迎えてくれました。
「リョーくん、おひさしぶり! こうやって再会できてうれしいわ」
「ご無沙汰してます。10年ぶりですかね。先生が僕に英語を教えてくれたことによって人生が大きく変わったので、当時の話を聞きたくなったんです」
「あーそうなの(笑)。英語を教える話をもらったころは受験までの時間も少なかったし、はじめは『無理』ってお断りしたのよね。それでもお母さんがみえて、『なんでも言うことを聞きます』って強くお願いされて」
「そうでしたっけ…。先生に教えてもらえることになったはいいものの、本当に中学1年生で習う初歩の初歩もはじめは分からなかったんです…」
「でも根性はあったわよね。『とりあえずここまで覚えてらっしゃい』というと、次の授業までには必ず覚えてきてた」
「最初はそれこそ本当に気合だけで活用や単語を覚えていったんですが、一通り覚えた頃から、英語そのものが楽しくなっていったんです」
「私、いつも生徒にこう言うの。『英語を勉強だと思ったらつまらないわよ』って。英語ができると、世界がものすごく広がるから。私自身が経験してきたことを生徒に話しながらそう言い続けてきた」
「覚えてます。『英語ができるようになった!』といい気になってた矢先、英語科に入学した僕は、英語がペラペラの帰国子女たちに圧倒されたんです。『このまま勉強だけしてても、絶対にコイツらには敵わない』。そこですぐに先生の言葉を思い出して、留学することにしました」
「それで私がある留学団体を紹介したのよね」
「はい。紹介していただいた団体を通して留学準備を進めつつ、地元のもんじゃ焼き屋でひたすらバイトに明け暮れました。平日は学校終わりの5時間、週末は11時間くらい。わずかな休憩時間で英単語を覚えたりもして。それで無事にアメリカのオハイオ州へ1年間留学することができました」
「それはやっぱり、根性があったから。その先の活躍をみても、私にとってリョーくんは自慢の人なんですよね」
「ありがとうございます。アメリカから帰ってきたらすぐ受験だったので、あまり勉強してなかったんですよ。英語で一点突破できるところしか受けれなくて…それで青山学院大学(青学)の国際政治経済学部に進むことになりました。その報告をしたら、実は先生も青学で」
「そうそう。文学部仏文科」
「そこで、また縁を感じました」
「あれだけ英語が苦手だった僕が、1年弱で学年ビリからトップまで一気に登りつめられたのが今でも不思議なんです。もちろん先生の教え方があってこそなんですけど」
「あの頃は私もまだ若かったから、宿題はたくさん出すし、とにかく厳しかった。あと、新しく来た生徒に対しては、親ではなく本人に必ず意志を確認するんです。『私と約束できないならお断り。よーく自分で考えてから決めてちょうだい』って生徒にいうのよね」
「今から振り返ると僕が1期生になりますが、やっぱりその後の生徒も英語はかなり得意になったんでしょうか?」
「1クラス4人以上は採らないようにしているから、塾の生徒数は多くありません。けど、その数人のなかから、地域にある3つの中学のトップが出ていたんです。高校受験の全国模試も、英語だけなら1位の子が何人かいました」
「全国模試の1位はすごいなあ….」
「とにかく基礎から厳しく教え込みましたから。覚えるだけの不規則動詞なんてタコができるくらいに」
「覚えてます! 部活終わりのフラフラなときでも、いただいた活用の表を何度も繰り返し、頭に叩き込んでた記憶があります。とにかくもうがむしゃらに。どんどん英語が分かるようになるにつれ、僕は初めてあることを悟ったんです。自分は頭が悪いのではなく、ただやってこなかっただけなのだと」
「勉強自体をやったことがなかったのね」
「はい。親戚をはじめ周りに大学まで行った人がいなかったこともあると思いますが、自分は馬鹿で勉強ができないと思い込んでいた。だから英語という一つの教科を集中的に学習することで、『やればできる』という当たり前のことに気づいたんです」
「私が発掘してあげたみたいね…(笑)」
「世の中の仕組みというと大袈裟なのですが、人間にはそれほど個体差がないことを悟ったといいますか。能力に有意な優劣はそれほどなく、単に『やるかやらないか』が道を分けることに気がついたんです」
「私の第一目標はとにかく、生徒に英語を好きになってもらうことだけなの」
「本当に先生のおかげですね。だからうちの母親はいつも僕にこう言うんです。『お前はたまたま戸塚先生に出会えたから今の自分がいるだけ。決して他の人を見下したり、天狗になってはいけない』と」
「そもそも、私はずっと文部科学省に言いたいことがあるんです」
「と、いいますと?」
「英語を学校の教科から外せば、みんな話せるようになるんです。読み書きばかりだから、英語ができるようになっても、話せるようにならない。座学に固執するんじゃなくて、もっと楽しめばいい」
「たしかに、難しい日本語の文法用語を持ち込む必要なんてないですよね」
「そもそもが言葉なので、本来はコミュニケーションをするための道具でしかない。英文学が読みたい人は大学で学べばいい。私は英語学習にそういった考えを持っているんです」
「先生がこれまで生徒に英語を教えてきたなかで、伸びる子の特徴はなにかありますか?」
「それは…ないんですよ。どうやったら身に着くかといえば、語学の場合、繰り返しやるしかない。英語は中学1年生からスタートじゃないですか。これが数学だったら、足し算引き算ができない子に、その先は教えられないんですよ」
「はい、はい」
「英語はひらがなを覚えるのと同じで、中1は初歩の初歩から始まるので、やればできるようになる。他の教科の先生だったら、そうはいかないと思います」
「英語だからこそ、だったと」
「ええ。リョーくんと同じように勉強全般が苦手だったある女の子も、英語だけは学年で1番になったことがあったんです。その子が通ってた学校の先生から電話がかかってきて、『私の子供を教えて下さい』ってその先生に頼まれたこともあります(笑)」
「僕も学校の先生が授業の度に、僕が英語ができるようになっている様子に驚嘆してるのが一つのモチベーションでした」
「うちに来た当初はどうしたものかと思ってましたが、本当によく頑張ってくれた成果ですね。私は宿題に関しては必ず『誰にも聞かないでやって』とお願いしていました。その上でできない部分を理解させるために、うちで教えていましたから」
「『TOEICで満点をとった』と話すと必ず勉強法を尋ねられるのですが、答えはシンプルで。これと決めた参考書一冊がボロボロになるまで、隅から隅まで憶える。そして他の参考書に逃げないことですね。先生に教わっていた当時も『英文法解説』(江川泰一郎著、金子書房)をバイブル的に読み込んでいた記憶があります」
「そうそう、そうね。私も試験のときは、教科書を全部覚えさせるの。それこそが勉強の仕方。全部覚えてるから、試験はとても楽なんです。理科でも社会でも同じ。だって、教科書に1番大事なことが書いてあることがわけですから」
「とても共感します。英検1級も一発で受かったのですが、そのときも単語帳一冊丸暗記しただけです」
「でもそれはリョーくんの記憶力が良いってことですよね」
「いや、あるとき掴んだんですよ」
「読みながら、書きながら、声を出しながら、その瞬間に使えるすべての感覚器官を総動員すると効率よく記憶が定着するコツというか」
「あー、そうですね! それは私もいつも言います。声を出しながら書く」
「その上で、数日後に同じところをまた暗記。3〜4回繰り返すと脳みそに定着してくるので、そのペースを掴めるようになると楽です。なので、英語を身につけるのってとてもシンプルなはずなんですが、意外とみんなやらないですよね」
「『やれること』、それが才能ですね。昔うちにこんな生徒がいました。お父さんが病弱気味で、塾にも行けない。うちだけに通っていて、私の一言一言を全部メモするような子だったんです。NHKのラジオ講座のテキストをとにかく聴き込んで、模擬試験でも満点を取って、日比谷高校(※都立の最難関高校)に入りました」
「厳しい環境でも、ハングリーさでやりきったと。たとえば、この記事を読んだ人はどうやったら“やり始める”ことができますかね?」
「オリンピックなんかを観ていても、はじめに挫折があって、それがバネになってることが多いですよね。リョーくんにしても、勉強ができないコンプレックスみたいなものがあったと思う」
「縁の巡り合わせで戸塚先生に出会うことができた僕はラッキーだったと思いますが…」
「でも今は情報網が溢れているし、勉強したければいくらでもできる環境があると思いますよ。Skype英会話なんてものもあるじゃないですか。『あそこに行ってみたい』、『音楽が好き』とか『映画が好き』とか。きっかけはなんでも興味を持てばやり始められますよ」
「さきほど英語ができるためには、『やるだけ』という話をしました。今やってる編集の仕事でも、下のメンバーに『やればできるから』と仕事を振ったり、接したりしがちなのですが、反省するところもあって……」
「だからね、努力できることはあなたの一つの才能なの。でも世の中はそういう人ばかりでは成り立っていないから、それを理解して人を扱わないとダメ」
「本当にそうですね……」
「どんな人にも絶対にいいところがあるはず。そこを伸ばしてあげないと、人はついてこない。『自分と同じようにできるだろう』とすると、絶対に失敗しちゃうわよ」
「ただ、いいところを見つけるのって難しいですよね」
「子育ても同じなのよ。私が娘にずっと言っていたのは、『他人と競争するのではなく、自分自身と競争しなさい』。他人と競争していると敵ばかりできちゃうけど、自分自身と競争していれば、他人を褒めてあげることができる。これから仕事はどうするつもりなの?」
「メンバーも増えてきたので、まずは組織としての下地を育てていきたいですね。個人としてはブレることなく馬主を目指しています(笑)」
「『馬主になりたい』とはずっと言い続けていますね(笑)。私が英語を教えるのは今年で最後になりましたが、リョーくんはどう?」
「英語塾ですか? 僕がやるとスパルタになるからな〜(笑)」
「すごく需要はあると思いますよ」
「ちょっと考えておきます…(笑)」
「まずは馬主になれるように頑張ってくださいね。楽しみにしています」
「見えるものしか見えないし、聞こえるものしか聞こえない」ーー。
そんな当たり前のことに想いを巡らせる。
すると、自分が身を置く環境、出会う人や読む本というレンズを通してしか世界を見られないことに「窮屈さ」と同時に、「尊さ」を感じる。
「英語ができない」たったそれだけの理由で、鳶職になりかけていた16歳。
戸塚先生に教えを請い、毎日必死で食らいついていた。
サッカー部の練習が終わる。自転車を漕いで先生の家へ。授業の後は、寝落ちするまで単語と活用を覚える。
そんな毎日を過ごすなか、焦燥が希望に変わっていく感触をたしかに覚えた。英語の勉強を通じて、「やればできること」の意味も知った。
あれから10年の時が経つ。
大学院まで進学できたのも、世界中を旅行できたのも、そして今この仕事をできているのも、すべては先生との出会いに帰着すると確信している。
「俺にはできない」そんな思い込みを打破し、あの一年を走り抜けたからこそ、今日のこの文章を書いている自分がいる。
出会いを機会に変えること、今日の自分が明日の自分をつくること。
それを意識して挑み続けることが、「できる」の意味ではないだろうか。
写真:小林 直溥
うふふふ…………
アハハハ…………
こんにちは。僕は今、女子高生とお菓子作りを楽しんでおります。忙しい為、今回はこの辺で失礼します。また次回お会いましょう!!
現場からは以上です!
(おわり)
すみません。今回の体験が楽しすぎて勝手に終わらせてしまいました。ライターのみくのしんです。
ジモコロではいつも『一日職業体験レポート』を書いてきました。
解体作業とか、冷凍倉庫とか……
そんな僕がなぜ女子高生と楽しくお菓子作りをしているのかと言うと、今回の職業体験が……
そう! 今回は焼き菓子屋さんを一日体験します!
と言う訳で、宮城県は名取市にあるココフラン・イオンモール名取店さんにお邪魔しています。お菓子作るぞ~!
ココフラン・イオンモール名取店
住所|宮城県名取市杜せきのした5丁目3番地の1 イオンモール名取1F
営業時間|9時~21時
今回お世話になる、店長の柴田さんです
「本日はよろしくおねがいします! 今までゴリゴリの肉体労働ばかり体験してきたんで、ファンシーな焼き菓子屋さんの仕事に期待値が高まってます」
「ココフランでの仕事は、力は使わないし、高度な技術も必要ありませんから、誰でも出来ると思います」
「完成形のお菓子を見ると、とても素人が作れそうには見えないんですが……?」
「大丈夫 大丈夫! とりあえず、作業着を支給しますので着替えてください」
支給された制服を着て、前掛けをしてコック帽を被れば……
どじゃぁ~~ん!
見た目だけは完全に焼き菓子の鉄人。このパティシエみたいな格好、一回着てみたかったから嬉しい。
よ~し! やるぞー!
厨房でパートさんたちに挨拶して、いよいよお仕事スタート!
「では、まず人気商品・コロネブーケを作ってもらいましょうか」
「いきなし!?」
「いきなしです! アルバイトの方にも初日で覚えてもらいます」
「就業5分でこれ、絶対無理だろ……」
これが今回作るコロネブーケの生地です。右に見える銀色のトゲみたいな金型に、巻きつけるようにして形を作っていきます
「すでにできあがってるものを焼くんじゃなくて、この段階から作っていくんですね」
「はい。全商品店内で作っています」
「本格的だ! 生地を触ってみてもいいですか? うんうん、もっちりしててかなり冷えてますね。気持ち良い~! 一回デコに乗っけてもいいですか?」
「冷えピタじゃないです。あたたかくすると柔らかくなってしまうので、成形しやすいように冷やしてます」
この1枚の生地から10セットのコロネブーケが作れるそう。定規で目印を付けて等分します
次に生地を優しく持ち上げ、金型の先端からくるくると生地を巻き付けます
「それではお手本として一つ作っていきますね」
「はい! 工程が見えるようにゆっくりお願いs……」
ほいっ! ほいっ! ほいっ! ほいっ!
ほいっ!!
「一瞬! え? マジで何をやってるのか見えなかったんですけど」
「なんかこう……うん! とにかく一回やってみてください」
「そんなレクチャーある?」
「コツとしては、急がずリズムを考えて巻くことかな」
「お菓子を作ったこともない僕には、絶対無理だと思う」
くるくる…
くるくる…
シュルル…
「普通にできちゃった」
「あら上手!」
一発目で上々な出来栄えにご満悦の僕。
「柴田さんの言う通り、リズムを考えながらだと意外に簡単に出来ますね!」
「みくのしんさん、器用なんですね! ただ、一発目から成功するって、記事としては面白さに欠けますが大丈夫ですか?」
「そんなことまで心配しなくていいです」
トレーに生地を並べてオーブンへ。一回軽く焼き色をつけます
ブウゥーン…
オーブンの中で、みるみるうちに焼き色が付いていくのを見るのは、子供の成長を見守る親の気分。おいしくな~れ♪
~4分後~
じゃ、そろそろオーブンから取り出………ぶわぁっ!!
「熱ッッッッ風!!!!!!」
「火傷だけは気をつけてくださいよ!!」
一回目の焼きが入ったコロネブーケの生地
金型を外した生地にグレースという砂糖水を塗ります。テリッテリになっておいしそう!
2度焼きが終われば、遂に仕上げのクリームを入れます!
「内容量が均一になるようにクリームをいれます。ベテランの人でもちょっと難しい作業なので、ゆっくり集中してやってくださいね」
「出来るかなぁ~」
グミュミュミュ~~~
スッ…
「今度もめっちゃ成功した」
「上手! 重さも均一だし、初回でこんなにできる人は珍しいですよ。前職でなにかやってました?」
「いや、しばらく無職です」
「ポテンシャルは高いのにね。社会って難しいよね……でも頑張っていればいつか……」
「気を遣われたら余計に悲しくなるから! 次は何をしたらいいんですか?」
「仕上げにココアパウダーやシュガーを軽く振って、完成です」
「おぉ、その作業は今までの中でも一番簡単そうですね。お任せください」
ドササッ…
あれ?
「…………」
「わわわわわ、もうその顔しないで! ごめんなさい!」
「冗談です(笑)これくらいならやり直しが効くので大丈夫ですよ」
と、言うわけで包装紙に包んで完成!! 美味しそ~~~!
他にもいくつか焼き菓子を作りましたが、基本的にどれも作り方がちゃんと決まっているので、難しい作業ではありません。
しかも集中して作っていたから時間の経過が早い!
「それじゃあちょうど12時ですし、お昼休憩にしましょうか!」
「え!?もうそんな時間?」
「昼休憩は1時間あります。せっかくのショッピングモールなので、昼食のあとは色々見て回ってください」
ランチはショッピングモールのフードコートが充実していて、何を食べていいか迷ってしまうくらい。注文するまでに15分が経過してしまいました
食べ終わったらゲーセンや……
お店を回ることが出来るのも、ショッピングモールの良い所ですね!
「あ、ここに居た。そろそろ休憩終わりなんで行きましょう! 午後から高校生の女子と男子がバイトで来ますよ!」
「JKとDK!??」
午後からは隣にある同系列店のビアードパパさんでシュークリームを作る作業を体験させてもらえる事に
こちらでバイトしているのが、噂の女子高生、この人です!
笑顔がステキな佐藤さん、18歳!
「よよよよろしくお願いします!」
「そんな緊張しないで下さい(笑)」
「27歳のオッサンが女子高生と喋ることなんて普通ないし、犯罪だから」
「喋るだけなら犯罪じゃないでしょ! 佐藤さんもまだ新人なので、今回は3人で一緒にやっていきましょう」
「この機械にクリームが入っているので、ノズルをシューに差し込んで、偏りが無いようにクリームを注入します。最初は難しいけど頑張って下さいね」
「わかりました! でもこれ、どれくらいクリームが入ってるのか外からは見えないんで難しそう」
ヌモモモ……
「わ、入ってる入ってる! どれくらい入れたらいいのコレ!!」
「落ち着いて! ゆっくりやれば大丈夫だから!」
「え、これくらいでいいの? まだ? え、どうなの? どうなのー!?」
スッ…
「お見事! 一発で合格しましたね!」
「わー、上手! 私は最初なかなか出来ませんでしたよ!!」
「僕、焼菓子を作るためにこの世に産まれてきたのかな……」
「ライターなら、1回2回くらいは失敗したほうが絶対良いと思いますけどね」
「ライターやめて焼き菓子職人になります」
クリームを詰めたら、砂糖を振りかけて完成! 注文してからクリームを詰めるので、結構速さが求められます
佐藤さんも未だに失敗してしまうことがあるそう
と、ここで突然シュークリーム30個の注文があり、突発的に忙しくなる厨房内。本来は15時~17時のおやつ時間帯が一番忙しくなるみたいです
「はぁ~、ちょっと忙しかったですね。ココフランでは一日通しの場合、合計70分休憩できます。15時からのピーク前に、軽く休憩を取っていいですよ」
「それではいただきます!」
「じゃあ私も。みくのしんさん、一緒に休憩します?」
「この歳になって、女子高生から休憩に誘われることあるかね……」
「佐藤さんは、どうしてこちら(ビアードパパ)でバイトしようと思ったんですか?」
「私って少しトロい性格で……去年買い物に来た時、店員さんが笑顔で仕事もテキパキやっているのを見て、私もこうなりたい! と思って入りました」
「ちなみにビアードパパ以外でバイトしたことある?」
「ありませんね。ここが初めてです。従業員の方もみんないい人なので、多分辞めないと思います」
「あれ? 店長から台本か何かもらってます? こんなに純粋な女子高生、今どきいるの?」
「将来はお菓子作りの仕事に就きたいとか?」
「どうでしょう。将来のことはまだあまり考えてないんですけど……今は体育の先生になりたいかな」
「へー、どうして!?」
「今通ってる学校の体育の先生がすごく良い人で、あの人みたいになって私も母校に恩返しができたらって思ってます」
「いやこんな純粋な女子高生いないだろって! そういう夢とかを、同年代のバイト仲間と語り合ったりするんだろうなぁ。いいなぁ」
「仲の良い友だちもできたので、喋ったりしますね」
「バイト代はどういうことに使うの?」
「普通に服とかですね。初給料では……」
※参考(たぶんこういうの)
「ノース・フェイスのマウンテンパーカーを買いました!」
「うんうん、そっかそっか。プラダとかディオールとかじゃなく、ノース・フェイスね。お小遣いじゃ手が届かないから、初めてバイトしてね……何だこの温かい気持ち」
「なんか見たことない顔になってますけど、大丈夫ですか?」
「いやホンマ、言うてくれたら、オッチャンがナンボでも買うたるがな、しかし」
「でも、みくのしんさんって無職なんですよね?」
「じゃあ僕に買ってください」
「なんで!?」
純粋さにあてられて、もはや親の気持ちに……
休憩後からは男子高校生、高橋くんと一緒に作業していきます。
いや、ブラザーズ??
下手な兄弟より僕に似ている彼が、高橋くん18歳
「今回は高橋くんがいてくれてホッとした。女性ばっかりっていう環境に緊張しちゃって」
「確かに、男の人が少なくて緊張するっていうのはあるかもしれません」
「さっきも、ロッカー室で女性二人が、雑談しながらヘアゴム外してる所に遭遇して……『ぁひゃっ!』って言いながら扉閉めちゃったもん。肉体労働ばっかりレポートしてきたから、女性の空気に慣れてないのよ」
「精神年齢低すぎません?」
人気メニューのアップルリングを、高橋くんに教わりながら作っていきます
リンゴを生地で巻き、形が崩れないように円の形を作っていきます。難しい……
形を整えたらオーブンに入れて焼きを入れましょう
「焼いてる間に色々聞いてもいいですか? 高橋くんはここで働いて長そうだけど、一番嬉しい時とか楽しい時とかってある?」
「お客さんが笑顔でお菓子を選んでる時とかですかね」
「解答が優等生過ぎる……マジで台本もらってない?」
「台本なんか渡してないですよ!」
「どうしてココフランでバイトしようと思ったんですか? モテたいからですよね? そりゃそうだよなー。ありがとう!」
「いや、勝手に決めないでくださいよ! 僕は元から料理を作るのが好きなんです。一度家でパウンドケーキを作った時に、焼菓子を作るのも楽しいなと思って、ここに入りました」
「女子力高っ」
「こないだはマカロンを作って持ってきてくれましたね」
「女子力高すぎるって!」
と言ってる間にアップルリングが焼き上がりました。美しいぜ…!!
さらにもう一度焼きを入れた完成品がこちら。指で差しているものが少し焦げているのがおわかりでしょうか。そうです、僕が作ったやつです
「アップルリングは包むのも少し難しいですし、中々大変ですね」
「でもこれが一番難しいので、これが出来たら他は全部できます!」
「僕、もうここで働けるじゃん」
「じゃあ高橋くんも小休憩取ってきていいよ!」
「ありがとうございます! みくのしんさんはもう休憩取りました?」
「あ、まだです! 一緒に取りましょう!」
「すげーさり気なく嘘つきますね。まぁ、今は落ち着いているので10分位なら良いですよ!」
「この仕事のこと、本当に好きなの?」
「本当に好きですし楽しいですよ! 趣味がバイトに活かされてるんで、ピッタリの職場です」
「趣味って料理だよね? 将来はやっぱりパティシエとかになりたいの?」
「いえ、料理はあくまで趣味ですね。将来は理学療法士を目指してます」
「え、なんて? りがくりょうほう……? ちょっとスマホで調べるね………えーっと、何なに? うんうん、なるほど……凄っ!」
「それくらい知ってて下さい」
「なんかみんな純粋で良い子ばっかりだなぁ。ちなみに、さっき話を聞いた佐藤さんは、初任給で服を買ったらしいけど、高橋くんは何を買ったの?」
「なんだっけなー……あ!」
「良い砥石です」
「ん……?」
「良い、砥石です」
「バイト代で“良い砥石”を買う18歳、初めて見ました。料理以外に趣味とか無いの?」
「釣りとギターですかね」
「渋っ!定年後のおじさん?」
「こないだ釣ったアジでなめろう作りました」
「やっぱり定年後のおじさんじゃん」
「ハイハイハイ! 二人共、もう休憩終わりですよ! お仕事もそろそろ終わりだから、最後に片付けしましょう!」
「うわ、もうラスト30分だった!」
終業が迫ってきたので、最後はゴミをまとめて、ショッピングモール内のゴミ捨て場に持ってい行きます。結構な量だなー。
分別して、店舗が判別できるシールを貼って……
と、ここで遂に…………
作業終了ーー!!!終わったー!!!!
「お仕事お疲れ様です!本当に上手でしたね!!」
「自他ともに認めるくらい上手かったです。点数を付けるとしたら何点ですか?」
「90点です!」
「高得点!!」
「100点じゃない理由は、女子高生の佐藤さんを見る目に、邪悪なものを感じたからです。他は本当に完璧でした!」
「しこりが残る……」
「それでは今日の給料を支払いますね。お疲れ様です!」
「ウワー!!やったやった!!ちなみにおいくらでしょうか?」
「8800円です!」
「最高だ~~! 職場内も仲良くて、ストレスフリーの職場でした。辞めてく人、少なさそう!」
「そうですね。辞める人はかなり少ないです。実は私も高校の頃に初バイトで入ってから、ずっと働き続けて社員になったんです」
「それって凄すぎない?」
と、言うわけで女性ばかりの楽しい職業体験が終わりました。
最後に一日体験して気づいたことを書いておきます!!
・あっという間に時間がすぎる
集中してお菓子を作るのでいつの間にかにお昼休憩になって気付いたら日が暮れてます
・ショッピングモール最高
お昼にも困らないし、仕事終わりに買い物も出来るから最高! 全国チェーンのお店なので、周辺環境で職場を選んでもいいかもしれません
・職場は女性が9割
もちろん男性も全然オーケー! ただ男が少ないので少しさみしい気持ちになるかも?
・バイト代の使い方は自由
マウンテンパーカーを買おうが、良い砥石を買おうがその人の勝手。いや良い砥石買う?
ココフランさんは全国にチェーン展開しています。同系列のビアードパパ等のお店もあるので、気になった方が居たら是非連絡してみてくださいね!!
ココフラン・イオンモール名取店
住所|宮城県名取市杜せきのした5丁目3番地の1 イオンモール名取1F
営業時間|9時~21時
▼今回職業体験したお店の求人を見る
ーー就業後
帰りに自分が作ったアップルリングを購入しました!
いびつだけど、それが逆に愛おしい……。そして、おいしそう~!
僕はこれから自分で作ったお菓子を食べるのでこの辺で失礼します!!また次の職業体験でお会いしましょう!!
ばいばい!!
(おしまい)
※今回のレポートは、あくまでライターが体験させてもらった現場に限定したものです
あなたは「カレー」と聞いて、どんな料理を思い浮かべますか?
たぶん多くの人が一般的な、ご飯にカレーの添えられた「カレーライス」を思い浮かべるのではないかと思います。
しかし、実際のところカレーは、世界全体から俯瞰すれば欧風カレーとインドカレーのように地域によって大きな違いがあり、カレーうどんにカレーパンをはじめとした日本独自のカルチャーとしても発展しています。
さらに、都内や大阪を中心に多くのオリジナリティ溢れるカレー専門店が増加し、特にスパイスカレーの発展は近年すさまじい勢いを持っています。
もはや「カレー」という言葉が持っているのは、いわゆる家庭にある欧風カレーをベースとした「家カレー」だけでは説明できないものになっているんです。
これほどまでに日本のカレーカルチャーが深まっている理由は何か?
筆者のくいしんは、音楽フェスや野外の食イベントが増えたことをきっかけとした、カレーのストリートカルチャーとしての深化があるのではないかと仮説を立てました。
そこで今回は、10年半3,900日以上も毎日カレーを食べている「毎日カレー生活男」こと南場さんにお話をうかがいました。
なぜ、毎日カレーを食べ始めたのか…。
なぜ、カレーを10年半以上も食べ続けるのか…。
まずは南場さんご自身の10年半の道のりを聞きながら、「カレーは21世紀のストリートカルチャーなのか?」という疑問をぶつけてみます。
毎日カレーを食べる生活を綴ったブログ『365カレー(∞)』は10年以上継続中。カレー業界では知られた存在となり、カレーに関するイベントも多数開催。有名カレー店やシェフとの親交も深い。
「南場さんは10年半以上、毎日カレーを食べているんですよね?」
「そうなんです」
「なぜカレーを毎日食べるのか想像してみたんですけど。嗜好品であるお酒やタバコと同じように、いいスパイスを身体に入れるとキマっちゃって、めちゃくちゃ気持ちいいじゃないですか。そういう快楽性を求めてカレーに手を伸ばすんじゃないか、と思ったんですけど」
「むしろ逆かもしれないですね」
「逆、ですか」
「観念的な話になってしまうのですが、人間の欲望は果てしないです。つまり、スパイスの強さや、一口食べたときの驚きばかりを追い求めていくと、最終的に苦しみが生まれる気がするんです」
「食べたらアガるぜ!がスパイスの本質ではない、ということですね」
「それはそれで楽しいのかもしれないけど、僕自身は違うなって思います。スパイスでハイになる瞬間じゃなくて、その後の薬効を重視すべきなんじゃないか、って考えてます」
「スパイスって、漢方生薬ですもんね」
「そう。だから、カレーって根本的に身体にいいはずなんですよ。胃腸にいいとされているスパイスもあるんです」
「なるほど…。では、なぜ毎日カレーを食べようって思ったんでしょう?」
「あぁ。それはですね…」
「(ゴクリ…)」
「毎日食べるものを選ぶのがめんどくさいじゃないですか。それで」
「えっ」
「ええええっ!!!! 最初のきっかけってそれだけなんですか!?」
「最初に始めたのは2004年なんですけど、当時は食に興味がなくて。何も食べずにいたら夏バテしてしまいました。で、40日連続でカレーを食べて、夏バテを治したんです」
「えっ…。でも、カレーは好きだったんですよね?」
「好きというか…。毎日食べられるかなぁ、って思って」
「好きというわけでもなかった」
「なんなら、スパゲッティのほうが好きでした。上京して、スパゲッティ屋さんで働いていたくらいです」
「2004年の夏に40日間毎日カレーを食べて、次に、2005年の一年間毎日食べたってお聞きしました」
「そうですね。そのあと一年半お休みして、2007年7月1日から再開して、そこから10年半を超えました」
「2005年のときは、なんでまた毎日食べようと思ったんですか?」
「元日にデニーズでたまたまカレーを頼んで、なんとなくですけど、今日から毎日カレー食べてそれをブログにアップしようって思い浮かんじゃって(笑)」
「このときもまだ、そんなにカレー好きには火がついてませんでした」
「カレー大好きというわけでもないのに、一年間毎日カレーを食べていたんですか…」
「これは真剣な気持ちなんですけど、献立を毎日考えていろいろ違うものを食べてるみなさんのほうがすごいと思います」
「(南場さん…それはふつうだと思うのですが…)」
「いつだったかな。数年間、毎日カレーを食べてたら、だんだんカレーに興味が湧いてきて。スパイスの香りのよさに気づいた瞬間に、『カレーっておもしろい!』ってなったんです。ふつうの料理ってこんなに香りがいいんだっけって思って」
「今はカレーが大好きなんですよね?」
「そうですね。そこからはどっぷりハマっていって、いろんなお店に行ったり、カレーのイベントに行くようになりました」
「なるほど…。『今日はカレー食べるの無理だー!』という日ってなかったんですか」
「昼ごはん食べる時間をつくれなくて、夜に飲み会があった日ですね…。23時50分にふと思い出して、立ち食いそば屋さんに駆け込んで食べたことがありました」
「ギリギリですね」
「もうひとつ、2泊3日で韓国に行って、1日目の夜に食べ過ぎてお腹を壊して、2日目は何も食べられない状態だったことがあって」
「ピンチだったんですけど、実はそのとき保険として、ヤマザキのカレーパンを持っていってたんです」
「カレーパンは、セーフなんですね(笑)」
「一応自分の中でのルールは、ペーストになっていたらセーフっていうゆるい決まりでやってます」
「体調を崩したときに『カレー食べるのしんどいな』って思うことはないんですか」
「自作カレーでもオッケーなので、刺激の少ないスパイスで、スパイスおかゆをつくることがありますね」
「あっ、なるほど。カレーおかゆ」
「カレーおかゆだってカレーです。カレーって、多様性の文化なんですよ。『カリー(curry)』には学術的な決まりはなくって、定義できないものなんです。つまり、カレーって、自由。南インドと北インドでも違うし、ネパールカレーもあるし」
「たとえばインドの南と北では何が違うんですか?」
「よく言われるのは、北は、クリームやナッツが使われていて、リッチなカレーが多いんです。小麦粉の文化なので、ナンで食べる。南インドは海が多くて熱いのでシャバシャバなんですよ。稲作文化なので、ライスで食べるっていう」
「へえ!」
「カレーを通して、歴史や風土を学べるんです。カレーには明確な定義がないからこそ、いろんなカルチャーの境界をまたいで発展できる」
「なるほど。カレーにもいろいろ種類があるし、ビリヤニとかもカレーの一種ですもんね」
「食材はもちろん、歴史や風土を含めた土地の文化を、どうやって料理するかなんですよ」
「カレーは多様性の文化ということで言うと…Facebookを見させてもらったんですけど、南場さんはフジロックに行かれてるんですよね?」
「行ってますね」
「ああいうフェスみたいな場所や野外の食イベントでカレーを食べられる機会が増えたことで、カレーはストリートカルチャーになってるんじゃないかと思ったんです」
「ああ、なるほど」
「単にお店で食べるだけのものじゃなくなったというか。ストリートカルチャーって、マイノリティとかそれこそストリートチルドレンによって形づくられた価値観じゃないですか。そういった多様性を許容するカルチャーが、カレーにはあるからなんじゃないかって」
「いわゆる家庭のジャパニーズカレーライスはどうかわからないけど、スパイスカレーは21世紀のストリートカルチャーと言ってもいいかもしれないですね。少なくとも、そうなりつつある」
「ジャパニーズカレーライスというのは、いわゆる欧風カレーをベースにした、じゃがいも、にんじん、玉ねぎが入っているカレーのことですか?」
「そうですね。それは、一種の日本の伝統文化だと思うんですよ。でもそうではない、自己表現としてのカレー、特にスパイスカレーと呼ばれるカレーがここ数年流行していますよね」
「自己表現としてのカレー?」
「カレーって、自己表現になるんですよね」
「といいますと?」
「コーヒーやラーメンもそれに近いけれど、やっぱりカレーのほうが、表現の幅をつくりやすい」
「カレーうどんとかカレーパン、カレーまんとかですか?」
「そういうものも含めて、掛け算のしやすい料理なんでしょうね。カレーカツ丼なんてもう本当に…イノベーションですよ。カレーの多様性は、あらゆる食材をくるむんです」
「なんでも肯定してくれますね、カレーは(笑)。表現としておもしろいカレーというと、やはりスパイスカレーですか?」
「作品性の高いスパイスカレーが増えてるんです。小麦粉を使っていない薬膳カレーの『旧ヤム邸』が下北沢にできて、いよいよスパイスカレーが東京に上陸した、というふうにも言われています。旧ヤム邸もそうなのですが、スパイスカレーってもともと大阪で盛り上がっていたんです」
Namba Shilow(本名K.Y.)さん(@365curry)がシェアした投稿 –
「大阪なんですね」
「そうそう。大阪にある『カシミール』というお店の店主は『EGO-WRAPPIN’(エゴラッピン)』の元メンバーだったりして」
「エゴラッピンの!?」
「大阪のスパイスカレーのお店は、ミュージシャンとかクリエイターが関わっていることが多いんです。そういう部分もストリートカルチャー的と言えるかもしれない。カレーや料理の専門家ではなかった人たちがカレー専門店をやっていることでカルチャーになっていったんでしょうね」
「スパイスカレーの流れで、次にこれが来るんじゃないか、みたいなものってあるんですか?」
「今だったら、中華とカレーの融合。麻婆豆腐とカレーの中間みたいなものも出始めてます。僕自身も自分でカレーをつくってますけど、カレー粉を小さじ2~3杯入れたくらいじゃ、ジャンに負けてカレーが消えちゃうんですよ。ジャンはスパイスより強い」
「ジャンはスパイスより強い(笑)」
Namba Shilow(本名K.Y.)さん(@365curry)がシェアした投稿 –
「『うまいバランスはどこにあるのかな』って考えていたら、実際にそういうものが出てきたので、必然的な流れなんでしょうね。カレーを深掘りしていくと、みんな同じような思考回路になるんだなって感じました」
「そういうカルチャーはやはり南場さんが言ってくれたように、カレーが自由だからこそ成り立っているっていうことなんですね」
「それはあるんでしょうね。インドカレーやジャパニーズカレーライスがハイカルチャーだとしたときに、もっと自由な発想で『カレーってこういうもの』という枠組みを取っ払って、自己表現できる。カレーだからこそ、既存のシステムから逸脱した存在をつくれる」
「おおお。まさにそれってストリートカルチャーですね」
「そうかもしれません(笑)」
「南場さんは、いつまで毎日カレー生活をやるかって、考えることあるんですか?」
「なんだろう。もちろん死んだら終わりだし、あとは入院しちゃうとか」
「入院して食事制限があったら終わる可能性ありますね」
「あとは、誘拐とか」
「誘拐!? この時代、なかなかされないですよ」
「ははは(笑)。止める理由が、ホントそれくらいしか見つからないんですよ」
「ぜひ死ぬまで続けて欲しいです」
「でも僕はカレーに関するうんちくや知識を語りたいわけではなくて。何より、毎日食べていなくたって、いろんな考え方やカルチャーを抜きにしても、カレーってめちゃくちゃ美味しいじゃないですか」
「美味しいです」
「お母さんのつくったカレーも美味しいし、富士そばのカレーも美味しいし、カレーパンも美味しい。だからこそ、その中からどんな多様性を見出すか、自分好みのカルチャーを見つけるか、どうやっておもしろがるかなのかなって考えてます」
最後に少し触れましたが、南場さんが取材中に繰り返し言っていたのは「カレーに関する知識の自慢をしたいわけではない。語ることを目的にしたくはない」ということ。
10年半も毎日カレーを食べていれば、「俺はめちゃくちゃカレーに詳しくて、誰よりもカレーのことを知ってるんだ」と自慢しても、全然おかしくないと思います。
しかし、南場さんはそういった態度を一切見せず、淡々と穏やかにカレーの魅力をたくさん語ってくれました。そういった精神こそ、カレーの持つ自由で多様性を認めるカルチャーそのものなんじゃないかと感じます。
今回はストリートカルチャーという価値観にフィーチャーして取り上げましたが、あるひとつの価値観や考え方にとらわれず、食べる人を驚かせるようなカレーを、今後より深く掘り下げていきたいと感じさせられた時間でした。
写真:小林 直博
こんにちは、ライターの根岸達朗です。
僕がいま手にもっているコレ、なんだかわかります?
はい。タマネギですね。
実はこのタマネギ、スーパーなどでは買うことができない固定種のタネから育てたものなんです。え……スーパーでは買えない? どゆこと? という人も多いと思うので、簡単にご説明しますね。
固定種というのは、目的の品種(ここではタマネギ)をつくるために、代々同じような形質を示す植物の集団をタネ屋さんが何世代にもわたって掛け合わせたもの。いわゆる伝統野菜と呼ばれるものは、この固定種であることが多いです。
これに似ている言葉として、在来種があります。これはある地域の気候風土や栽培環境に順応した品種のこと。タネ屋さんが固定種をつくる際の掛け合わせのもとになっています。
これらのタネを使うと、育つスピードやサイズはバラバラですが、味が濃くてとても個性的な野菜ができます。さらに、タネを採って毎年再生産することもできます。
固定種の新三浦大根
一方、スーパーなどに出回っている野菜の多くはF1種(Filial 1 hybrid)といいます。
同系品種の掛け合わせである固定種とは異なり、それぞれ違う品種の親同士を掛け合わせてつくる雑種の一代目なので、そのまんま一代雑種とも呼ばれます。
特徴は、かたちや大きさが揃っていること、育ちが早いこと、たくさんの量を収穫できることなどが挙げられます。味は固定種よりも薄く、食べ応えが柔らかです。
では、どうして違う品種を掛け合わせて、そういう野菜ができるのか。それは、遺伝子の形質が出やすい方を「顕性」、出にくい方を「潜性」とする「メンデルの法則」によって、雑種の一代目だけ両親の顕性形質(昔は優勢形質と呼ばれてた)が引き継がれるから。逆に二代目以降は潜性形質が現れます(見た目も味もめちゃくちゃな野菜ができちゃう)。
つまり、F1はもう一度育てるためによいものを選抜してタネを採っていくという、昔ながらの育種ができないのです。そこが今回の記事の大きなポイントのひとつです。
どちらも自然界に存在するタネであることには違いないですし、どちらもあっていいものです。
でも、今世界の農業のスタンダードはF1であり、このままいくとそれだけが世界を完全に掌握して、昔ながらのタネがなくなってしまうのでは? と危惧している人も近頃は増えているんですよね。
たとえば、ジモコロで以前記事になっていた、山形県鶴岡市の「マッドサイエンティスト農家」こと山澤清さん。山澤さんは、日本中から固定種のタネを集めてシードバンク(種の保存)をしていましたし……
世界に目を向ければ、マイクロソフトの創業者であるビルゲイツも、多額の資金を投入して、北極に「世界の終末」に備えた種子貯蔵庫をつくっています。
……なんかみんな危機感抱きまくってるように見えるんですけど、タネを守らないと、僕たちの未来はどういうことになっちゃうんだろう……。
うーん。気になる……気になりすぎる……。
誰か、タネのことを教えてくれ〜〜〜!!!!
はい。というわけで、やってきたのがこちらのお店。
埼玉県飯能市にある種苗(しゅびょう)店「野口のタネ」。家庭菜園向けの在来種・固定種を専門に扱うタネ屋さんです。
こちらの店主・野口勲さんは、伝統野菜消滅の危機を感じ、固定種のインターネット通販や店舗での販売を行いながら、全国各地で講演も行っているタネ業界の有名人。
そんな野口さん、実は異色の経歴の持ち主。それは、よーくお店を見てもらうとわかるんですが………
ほらこの絵。
どこかで見たことありません!?
そう、あの火の鳥です!
野口さんはなんと、日本を代表する漫画家・手塚治虫の名作『火の鳥』の初代編集者だったのです。
野口さんの膨大な手塚治虫コレクション。全著作が揃っているとか
『火の鳥』といえば、生命とは何かを問う超本質的漫画。その編集者が今はタネ屋さんをやっている。そして『タネが危ない』(日本経済新聞出版社)という本まで書いて、タネのピンチを世に訴え続けている……。
これはもう、相当すごいおじさんに違いありません。
生命の歴史を通じて、動物と植物は手を携えて進化してきた。
動物は植物を食べ、植物は動物の助けを借りてタネを生み、移動を委ねて、生存圏を拡大してきた。そして私たち人類の文明も、植物栽培によって生まれた。人類の歴史は植物栽培の歴史であると言っても過言ではない。しかし今、人間と植物の長い協調の歴史が、崩れさろうとしている。人々が何も知らない間に、タネが地球生命の環の中から抜け落ちようとしている。(『タネが危ない』より)
みなさん、準備はいいですか?
タネのヤバすぎる話、始まりますよ。
話を聞いた人:野口勲(のぐち・いさお)
野口のタネ・野口種苗研究所代表。1944年生まれ。全国の在来種・固定種の野菜のタネを取り扱う種苗店を親子3代にわたり、埼玉県飯能市にて経営。伝統野菜消滅の危機を感じ、固定種のインターネット通販を行うとともに、全国各地で講演を行う。著書に『いのちの種を未来に』『タネが危ない』、共著に『固定種野菜の種と育て方』等。家業を継ぐ前には、漫画家・手塚治虫氏の『火の鳥』初代担当編集者をつとめた経歴を持つ。
根岸「野口さん、今日はよろしくお願いします。最近、タネのことが気になるようになりまして、今日はあれこれと野口さんにお話を聞かせていただきたく……」
野口「立ち向かいようがないよ」
根岸「え……?」
野口「立ち向かいようがないの。あなたひとりがタネのことを気にするようになっても、世界の流れは変えられません。これは工業社会すべてに関わる大きな問題ですからね。それに抗ったところで潰されるだけですよ」
根岸「潰されるって……ええと、何の話でしょうか?」
野口「ああ、ごめんなさいね。うちは普通のタネ屋さんじゃないんですよ。いきなりこんなことを言って驚いたでしょう」
根岸「いえ……(驚いたけど)」
野口「これからタネの話をゆっくりと始めていくけれど、まず、前提の話をするとだね、今世界の人口が70億人でしょう。これが100億になるためには、タネを品種改良して、もっともっとたくさん収穫できる野菜や穀物をつくる必要があるわけです」
根岸「ふむふむ」
野口「で、みなさんが普段食べているF1の野菜というのは、そういう流れのど真ん中にあるものなの。それがなければ世界の人口はまかなえないし、経済も成り立たなくなっている、というところまではいいかな?」
根岸「あ、はい。世界の人口をまかなうためにはF1が必要と……」
野口「そう。でも、僕がこの店で売っている固定種のタネというのは、そういう世界のスピード感に合わせたタネではありません。たくさん収穫できるようなものではないし、育ちも遅い。かたちもバラバラ。だけど、味はいいし、なにより多様な個性がある。そういう自然のタネなんです」
根岸「自然のタネ」
野口「うん。そういうタネで家庭菜園をやって、自分で食べるための野菜を育てて、それでタネを採って、そのタネを次の世代に引き継ぐということを僕はやってほしいわけです。それをしていかないと僕たちはどうなるか」
根岸「どうなるんですか……」
「滅亡するでしょうね。あと50年で」
根岸「ええええ!? あと50年で……!?」
野口「うん。それがはっきりするのが、そうだな、2世代……ちょうど今生まれたばかりの子どもたちが大人になる頃かもしれないなあ」
根岸「うーん。でも、世界の人口ってまだ増え続けてますよね。滅亡といってもそうすぐには……」
野口「あのね。今人口が増えてるのって、アフリカ大陸だけなんですよ。もちろんひとことにアフリカといっても、地域によって違うんですが、概ねそうだと思ってくださいね。で、その一方、僕らが暮らしている北半球の文明圏というのは、軒並み人口が減っています」
根岸「そうなんだ……」
野口「なんで減っているのか。それは食いもんがよくないからだと僕は思っているんですよ。自然なものを食えば、ちゃんと人口は増えるはずなんです」
根岸「自然なものを食べる……」
野口「そう。そうすれば、ちゃんと子どもができますからね。でも、今は子どもが生まれない。それはなぜかといえば、ひとつに男性の精子の数が減っているからというのがある」
根岸「ああ。それはなんか聞いたことがあります……実際どのくらい減ってるんですか?」
野口「1940年代には男性の精液1mlのなかに精子が1億5千万いました。それが平均値ですね。でも、現代人の平均値は4000万以下。40%以下になっています。これはアフリカを除く、世界中がそうなっているといわれています」
根岸「えええ。40%以下……! 人類の歴史を考えても、直近80年だけでそこまで減っちゃってるのは……」
野口「まあ、その原因が食べ物であると証明されているわけではないんです。ただ、僕はタネ屋なので、その食べ物のもとになっているタネが気になる。F1ではなくて、固定種・在来種の昔ながらの自然のタネで育てた食べ物を食べていれば、そんなことにはならないんじゃないか、と思うからです」
根岸「うーん。だからといってF1を食べないというわけにもいかないですよね。農家さんもそれを消費者が求めるからつくるんでしょうし、みんながF1を中心に生活しているという現実があるわけで」
野口「そうですね。いくら味がよくても、かたちが悪かったり、育ちがバラバラの野菜だとお金にならないのが今の時代です。決められた箱のサイズに揃えて入れないと市場だって受け付けてくれませんからね。だからみんなF1で規格どおりの野菜を大量につくり、それを大量に売りさばいて何とか生活を維持している」
根岸「大変な時代ですね……」
野口「そう。金にならないことなんて誰もやらない時代なんですよ。そうやって農業も効率化を突き詰めていった。その結果、誰もタネを採らなくなったんですね」
野口さんが見せてくれた『野菜出荷規格ハンドブック』。トマトやキュウリなど、あらゆる野菜の出荷規格が書かれている
野口「でも、本当にそれでいいのかと思うのはね、以前うちのタネで人参を育ててみたいという農家さんがいてね、その人にタネを譲ったんだけど、あんたのところのタネで育てた人参は野ねずみが食うから困るって。F1の人参は同じ畑でつくってもねずみが絶対食わないから助かるって言うんだよね」
根岸「その農家さんにとっては、商品にならないのは前提としてダメであると……」
野口「そういうことだね。つまり、今みなさんが食べている人参というのは、自然の生き物であるねずみが食わない人参ということなんですよ。でもそういう人参が市場には求められているから、農家はそれをつくらざるを得ない」
根岸「うーん……」
野口「で、その市場の客というのは8割が外食産業です。外食産業はとにかく自分たちの仕事に都合がいい野菜を仕入れないといけない。だからそれを市場に要求する。市場はそれを生産している産地に要求する。産地はそれをタネ屋に要求する。その第一の要望が、味のない野菜をつくってくれ、ということです」
根岸「ええ!? 味がなくていいんですか?」
野口「味付けは化学調味料を使って、我々がやるからいいと。なまじ野菜に味があるとレシピが狂うからっていうんだね。で、第二の要求が、雑菌のつかない野菜にしてほしいということ。それでいうと、昔はきゅうりにもイボがたくさんあったけど、今のきゅうりにはないでしょ?」
根岸「ああ、そうですね。ツルツルしてるのが多いかも」
野口「イボがあると突起に雑菌がつくし、除菌にも手間がかかる。だから、いっそ無くしてくれということなんですよ。そうやって野菜のかっこうというのが、企業の理屈によってどんどん変わっていくんです」
根岸「なるほど……。企業は宿命として金を稼がないといけないし、たくさん稼ぐためにはたくさんつくってたくさん売りさばかないといけない。効率化も進めないといけない。そうした要請を満たすためにも今のF1があって、それなしではもう成り立たない世界になっていると……すごい話だ」
野口「と、まあ、まだまだ話したいことはあるんだけど……ひとまずお茶でも入れましょうかね。君はたばこは吸うかい?」
根岸「あ、はい。一応喫煙者です」
野口「そう。僕もたばこを吸うから、喫煙者がくるとホッとするんだよね。自然のものを食べなさいなんて言ってるけど、僕は体に悪いことは何でもやってきてますからね」
根岸「ははは……(どう返せばいいのかな……)」
野口「僕のたばこを一本あげよう」
根岸&野口「(ぷかぷか……)」
根岸「(たばこ吸いながらインタビューするの初めて……)。ところで野口さん。今年4月に種子法が廃止されるという話がありますね」
野口「うん」
根岸「この法律って、戦後の食料自給を支えるために、国が主要農作物であるコメ、麦、大豆の種子生産や普及を管理してきたものですよね。それが廃止されることは、タネ屋としてはどうなんですか?」
野口「そりゃ、タネ屋としては賛成ですよ。だって、これまでコメ、麦、大豆に関しては全部国がやるからお前たちは手を出しちゃいかんと言われてきたんですから。70年もですよ」
根岸「そうか。タネ屋としては、これまでダメだと言われてきたタネも売れるようになる……でも、それが廃止されるということは、外国からもタネが入ってくるということじゃないですか?」
野口「ああ、そりゃあもうたくさん入ってくるでしょう。たとえばアメリカのバイオ企業『モンサント』のタネとかね。モンサント知ってる?」
根岸「以前、WIREDで『完全なオーガニック野菜』というのをモンサントがつくろうとしているという記事を読みました。すごいこと考えるなあと思いましたけど……」
野口「いろんな意見があることを承知の上で言いますけれど、彼らはミトコンドリア異常で子孫をつくれない雄性不稔のF1を世界に広げようとしているわけです。子孫がつくれないということはつまり、タネを採取できないということ。彼らはそうしてタネの技術を独占して大儲けすることを考えているかもしれません」
根岸「独占して大儲けか……」
野口「昔は世界中の農家が自分でタネを採取していました。だから、いち企業がタネを支配するなんてことはできなかったのです。でも、今の農家はF1で効率的に稼がないとやっていけない。タネだって採らずに買った方がいいわけです。だから、モンサントのような企業がどんどん大きくなっていく」
根岸「野口さん的にはあまりそれはよろしくないと考えているわけですね。でも、現実にモンサントのような外国企業のタネはこれからどんどん入ってきます」
野口「はい。だからそんなタネは買わないでほしいと思っています。現代のテクノロジーで生み出されたタネではなくて、昔ながらの方法で引き継がれた固定種・在来種のタネを守ることが、人類にとっては大切なことだと僕は思うからです」
根岸「でも、モンサントのタネはさておき、F1そのものに関しては、高度経済成長を支えてきて、それなりの役目を担ってきたものだと思います」
野口「もちろん。だから僕はF1は否定しないですよ。否定はしないんだけれど、みんなが食べ物は買うもので、タネも買うものだと思っているような状況についてはちゃんと考えないといけないと思っています。それにこれからは今以上に、雄性不稔のF1が増えていくでしょう。それが人体に及ぼす影響も心配していますしね」
根岸「雄性不稔……そのあたり、もう少し詳しく教えてもらえますか?」
野口「わかりました。ここから僕の講演資料をお見せしながら説明をしましょう」
野口「いいですか? これはそもそもの話なのですが、F1というのは雑種で、つまり別々の親の掛け合わせでできているのです。植物というのは雌雄同体だから、放っておくと自家受粉してしまうんですが、それをさせずにF1の交配種をつくるには、除雄(じょゆう)といって雄しべを摘み取る作業が必要なんですね」
根岸「除雄、なるほど」
野口「ただ、この作業がとても手間がかかる。だから、その手間を省くためにも、もともと雄しべがなくて花粉がつくれない雄性不稔の植物を利用できないか、ということが世界では研究されてきました。で、1940年代にアメリカでこの雄性不稔を利用したトウモコロシやタマネギ、ニンジンが開発されました」
根岸「はい」
野口「ただ、この雄性不稔というのは、先ほども言いましたがミトコンドリア異常なんです。ミトコンドリアというのは生命エネルギーの源で、その遺伝子は母親から子どもにだけ伝わります。雄性不稔は男性機能がない、人間でいうところの無精子症のような植物なので、その子どももまた無精子症になるのです」
根岸「ふうむ……野口さんはそのミトコンドリアが異常をきたしている野菜を食べることが、人体に影響を与えていると考えるんですね」
野口「そうです。ここからは私の仮説ですが、ミツバチがそれを教えてくれているような気がしています。というのも、1960年代から20年ごとに大量のミツバチが忽然と姿を消す現象がアメリカで発生しているんですね。死骸が巣のまわりにあるわけでもなく、忽然と、消えるんです」
根岸「20年ごと、ですか。何だか不気味な現象ですね」
野口「そう。この減少が最初に起こった1960年代というのは、雄性不稔のF1タマネギ種子が販売開始された1940年代から約20年後にあたります。そこからなぜか20年おきにこの現象が起きている」
根岸「へええ……」
野口「ミツバチというのは、全米で雄性不稔株の受粉に使われていたと考えられるんですが、私はこれ、雄性不稔の蜜や花粉を餌にして育ったミツバチが無精子症になったんじゃないかと考えています。それによって、巣の未来に絶望したハチたちがアイデンティティを失い、集団で巣を見捨てて飛び去った」
根岸「ほおお……」
野口「これについては、ホームページにも詳しく書いてあるので、よかったら読んでみてください。僕はミツバチに起こったことは、同じ動物である人間にもきっと起こると思っています。そのときに世界中の食料作物がみんな雄性不稔になっていたら、取り返しがつかないことになると思いませんか?」
根岸「……でも、野口さん。今、世界は雄性不稔の研究をさらに進めて、より効率的に作物を生産していこうという流れではないのですか?」
野口「そう。日本も世界もあらゆる育種学の現場は、どうやって雄性不稔を見つけるか、それをどうやって別の植物に取り込むかを一生懸命研究しています。だからこんなことを言っているのは僕だけなんですよ」
根岸「世界で野口さん、ただ一人……!」
野口「でも、もしこれから人口がどんどん減って、子どもが生まれなくなって、それはそういうものを食べているからだと誰かが証明したときに、どこかに自然のタネが残っていないと、もう僕たちは復活することができないでしょう」
根岸「じゃあ、北極にある種子保管庫はひとつの希望に……」
「あれは壮大な無駄に終わると思うなあ」
根岸「ええー!? ビルゲイツがんばってそうでしたよ!?(会ったことないけど)」
野口「一度、代謝を止められた命というのはそう長くは生きられないんですよ。だから僕は今からでも、自分で食べるものは自分でつくるようにして、少しでもタネを採りながら、それを次の世代につなげていこうと言っているんです」
根岸「そうか……」
野口「昔のタネっていうのは、一粒万倍(いちりゅうまんばい)といって、すごい力があったんです。一粒のタネがあれば、1年後には一万粒に増えるし、2年目には一億粒になる。3年目には一兆粒になって、4年目には一京粒になる」
根岸「おお」
野口「そういう無限の命を持っていたのが昔のタネなんです。だから、それがどこかに残っていれば、もう一度文明を元に戻すことができる。人間だってかつての健やかさを取り戻すことができると、僕は信じているんです」
人間が命をつないでいくためには、タネを未来に向かって採り続けなければならないという野口さんの哲学。そして、人間の精子が減少している原因は、雄性不稔のF1野菜にあるという衝撃的な仮説……。みなさんはどのように捉えましたか?
世界の大きな潮流とは異なる野口さんの言葉をにわかには受け入れがたいと感じた人もいるかもしれません。僕も正直、戸惑いを覚えました。
でも、僕がそうして戸惑いを覚えたのは、自分にタネの知識がないからということだけではなくて、タネに関わる多くの人たちが自分なりの「正しさ」なかで、最善を尽くして生きているんだろうなあと感じたことの方にあったかもしれません。
世界の育種学の現場では、それが人類のために有益だと考える、ある種の「正しさ」のなかで日夜研究が進められています。
その一方で、野口さんのように昔ながらのタネを残し、引き継いでいくことに未来があると考える「正しさ」もあるのです。
僕にはどの「正しさ」が真実なのかを問うことはできません。でも、この世界にもし真実といえることがあるのだとしたら、それは自分のなかにしかないということも、みなさんに考えてもらえたらうれしいと思うのです。
野口さんは現在、固定種・在来種のタネの重要性を訴える講演会を全国各地で開いています。タネ屋としての矜持がほとばしる野口さんの話は刺激的で、多くの示唆に富んでいます。みなさんも興味があれば、ぜひ自分なりの「正しさ」を探しに足を運んでみてください。
ではまた!
写真:小林 直博
●「ポテン生活」とは?
ギャグ漫画界の新鋭・木下晋也が描く、の~んびりして、クスッとしてしまう8コママンガ。独特の中毒性から、10巻までの単行本は大きな話題になりました。ジモコロでは、そんな「ポテン生活」から、おもしろかった話を毎月2本、選り抜きでお届けしますよ!
聖子~!!!!
明菜~!!!!
たのきん~!!!!!!!!わたしはマッチ派~!!
どうも、80年代大好きライター、みらいです。
私は今、昭和歌謡曲バーというオアシスに来ています。
町田ヒットパレード
住所:町田市原町田6-18-2 アークビルB1F
電話番号:042-785-5202
営業時間:19:00~翌日4:00
昭和80年代のカルチャーって本当に素敵ですよね!
といっても、私は1993年生まれ。リアル世代ではありません。そんな私がなぜ80年代大好きなのかと言えば―
ハイこれ!
どうですか?
どうなんですか???
私、気合いを入れておしゃれしても、周囲からは「古い」と言われてしまうんです。
でもこれ、古いんですか?
私が「おしゃれだな」「素敵だな」と思うものって、80年代のアイドルみたいに、女の子らしくて、かわいくて、守ってあげたくなる……そういうものなんです。文句あります!?
そんな私にとって、80年代はまさに憧れ!
あぁ、松田聖子さんと同じ時代を生きて、その魅力について同級生と語り合いたかった!
リアルでその時代を生きた人は、どんな青春を送ってたんだろう?
もっと80年代のことを知りたい!
というわけで、昭和歌謡曲バー『町田ヒットパレード』で営業企画部長を務める小原直子さんに話を聞いてみます。
小原さんにとって80年代はまさに青春真っ只中! 憧れのアイドルは松田聖子さんと堀ちえみさんだったそうです。
なお、ジモコロ副編集長のギャラクシーも、80年代ドストライク世代ということで、話に参加してもらいました。中森明菜のファンだったそうです。
「今日はよろしくお願いします! 80年代と言えばアイドル全盛期ですよね。当時のアイドルは今と比べてどう違ったんでしょうか」
「今はアイドルというと、AKBみたいに団体が多いですが、当時はピンの人が多かったですね。一人ひとりが個性的で、歌が上手かったイメージです」
「だってあの頃、よく『松田聖子は歌がヘタ』って言われてたからね」
「えーっ!!あんなに上手いのに!」
「今聴くと僕も上手いと思いますが、あのレベルでヘタって言われる時代だったということなんですかね」
「聖子ちゃんは『ちょっとオンチな方がアイドルとして可愛い』から、あえて下手に歌ってた……という説もありますね」
SEIKO STORY?80’s HITS COLLECTION?
「小原さんは聖子ちゃんが一番好きなアイドルだったんですか?」
「根っからの聖子ちゃんファンです。今も毎年欠かさず武道館のライブに行ってます。ちなみに、よく娘を連れて行ったせいか、今では親子二人でファンになりました(笑)」
「わー、羨ましい! 私も聖子ちゃんが憧れの女性(ひと)です! ルックスも最高なんですが、なんと言ってもまず、歌が良いですよね! 松本隆、細野晴臣、松任谷正隆といった豪華な作詞家・作曲家がついていたというのも、もちろんあるんですけど、あの甘い声と魅力的な歌い方あってこそではないでしょうか。そして、いつだって“皆のアイドル聖子”を演じるプロフェッショナルな生きざまがかっこよくて、私の永遠の憧…………」
※注:読まなくても大丈夫です
「うるせぇ!」
「まあ、語りたい気持ちはわかります(笑)」
「申し訳ありません、我を忘れてしまいました。というわけで小原さんは聖子ちゃんファンだったそうですが、ギャラクシーさんは誰のファンだったんですか?」
「あえて一人挙げるなら、中森明菜ですね。背伸びしたい年頃だったんで、ああいう、ちょっと不良っぽくて色っぽいお姉さんに憧れてました。歌詞も大人びてて、衣装も歌い方もエロかったなぁ……」
「アイドルを邪(よこしま)な気持ちで見るのはやめてください」
「他には、杉浦幸が好きでした」
「あぁ!『ヤヌスの鏡』とか『このこ誰の子?』(どちらも当時流行ったドラマ)とかに出てた人! 彼女が出るドラマは全部ヒットしてましたね」
杉浦幸 30TH ANNIVERSARY コンプリートCD+DVD BOX
「あと、流行に敏感な子はキョンキョン(小泉今日子)が好きでしたよね。店に来るお客さんの中でも一番人気だと思います」
「今でこそショートカットのアイドルは珍しくないですけど、当時はすごく衝撃的だったのでは?」
「クラスですごく話題になりました。あれ、事務所に黙っていきなり髪を切っちゃったらしいですね。そういう、奔放で自分を持ってるところが、女子にもウケてたんです」
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「やばい、永遠に喋っていられる……」
「そういうバーです」
「当時は今と違ってネットなんてなかったわけですよね? 好きなアイドルの情報はどうやって集めてたんですか?」
「明星(現:Myojo)とかの雑誌を買ったり、番組表を調べて出演番組をチェックしたり、ファンクラブに入ったり……」
「ファン側から、かなり能動的に動かないと、情報は入ってこなかったわけですね」
「今って、歌番組のトーク部分も長いし、本人のブログ、SNSなんかで、アイドルの日常生活すら簡単に知ることができますよね。それは、彼女たちを身近に感じることができるという良さもありますけど……」
「うんうん、あの頃はそうじゃなかった。アイドルって別世界の住人でしたよね」
「そう、身近に感じるなんて恐れ多いカリスマだった。だからこそ、想いが強く募ったのかもしれません」
「ブラウン管の中にしか存在しない、生きる伝説だったんですね。私も、80年代アイドルたちの“天上人”感に、惹かれる部分はすごくあります」
「昭和の歌謡曲は、今の若者が聴いても心に響くと思います。あの頃の曲の良さって、言葉にするとどういう部分なんでしょうか」
「メロディや歌詞がシンプルで、覚えやすいっていうのが、まずあると思います。あと、単純に聞き取りやすいですよね」
「確かに! 歌詞カードがなくてもすぐ覚えられる!」
「詞もストレートだから、共感しやすいんですよね。今のアーティストが、昭和の曲をカバーすることもあるじゃないですか。シンプルだからこそ、どの世代にも受け入れやすいのかなって」
「エグザイルの『銀河鉄道999』とかですね。良い曲は世代を超えるんですね……!」
「80年代には憧れを感じているんですが、当時を生きたリアル世代としては、80年代ならではのマイナスの部分があったのではないでしょうか?」
「ありましたよ~! やはり何かにつけ、情報が少なかったというのが大変でした。例えば曲の視聴もできなかったから、レコード屋でジャケットだけを見て買ったりしてね」
「ジャケ買いってやつですね。そう考えると、ネットで当たり前に視聴ができる今の時代は、ジャケ買いとう概念がほとんどないですね」
「あとは、本人の顔がわからないというのもあった。レコード屋の店頭で『杉山清貴&オメガトライブ』の歌を聴いた瞬間、声に一目惚れ(?)しちゃったことがあって―」
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「『どんな人が歌ってるんだろう』ってジャケットを見ても、海の写真がプリントされているだけ……歌っている人の顔が写ってなかったんですよ。今ならネットで検索すれば一発ですけど」
「神秘のヴェールに包まれていたわけですね」
「結局、声の魅力に抗えずレコードを買って、『きっとこういう人が歌ってるんだろうな』って想像しながら過ごしてました。実際にテレビで本人を見て、印象と違ったのでびっくりしましたが」
「それは、良い意味で?」
「…………何がですか?」
「わかりました。ありがとうございます」
「いや、コンサートにも行くくらいファンになっちゃたんですけどね。今でも大好きなミュージシャンです」
「ネットがないと、アイドルや歌手との出会い方もドラマチックですね! 今は情報が多すぎて、偶然の出会いから遠ざかってる気もしますね。情報が少ないって、ひょっとして良いことなのかも?」
「情報量が少ないと、クラス全員が同じ話題を共有できるので、それは良い面だったかもしれません。『昨日のベストテンで聖子ちゃんが1位だったね』とか、『明菜の衣装が可愛かった』とか、誰とでも話せた」
「知らない人とでも共通の話題があるって、すごく羨ましい!」
「確かにね。当時は透明な下敷きの中に、好きなアイドルの写真を挟むのが流行ったから、下敷きを見ればそいつの好きなものは大体わかるんです。気軽に『お前も明菜が好きなん?』って話しかけられたな」
「ありましたね! 私も『明星』とか『平凡』(どちらもアイドル雑誌)から、自分の好きなアイドルを切り取って、下敷きに入れてました」
今は一人ひとりの趣味が細分化されて、話題を共有することって、あまりないですよね。
知らない人同士でも、同じ話題で盛り上がれる……そういう、“世代全体の一体感”って本当に羨ましい……
と、ここで常連さんが来店されたので、お話を聞いてみました!
80年代世代は、本当に共通の話題で盛り上がれるのでしょうか?
左が、『町田ヒットパレード』がオープンした直後から通っているという常連さん
「80年代はちょうど高校生だったな。僕はキョンキョンが好きだった」
「やっぱりキョンキョンは大人気なんですね!」
「高校時代、まだ素人の女子高生だった小泉今日子を、駅で見かけたことがあってね。素人なのに、当時すでに、可愛い子がいる!って有名だったんだよ。その後スター誕生でアイドルとしてデビューして、『やっぱり』って思ったな」
「普通の高校生だった頃のキョンキョン、私も見たかった……!」
「男性アイドルだと、吉川晃司が好きで、髪型を真似してましたよ。肩パット入れて」
「吉川晃司は僕も憧れてました。背が高くてカッコよかったなぁ。当時流行ってた『TO-Y』っていうマンガにも、吉川晃司をモデルしたキャラクターが出てた」
「哀川陽司ね(笑)」
「吉川晃司は、センスも個性的でオリジナリティがありましたね」
「(マジで知らない同士で話が合ってる……)」
「この店に来ると、あの頃の青春時代を思い出すんだよなぁ。この曲を聞きながら、好きな子にラブレターを書いたなーとかさ」
「手紙をハート型とかに折って、『to~さん』とか『Dear~さん』とか書いてね」
「あ、書いてた書いてた! 当時付き合ってたヤンキーの人に書いてた」
「どこの『ホットロード』だよ」
『町田ヒットパレード』のカウンターには、昭和のお菓子がズラリ。これだけでもすでに懐かしさ爆発です
「当時の若者には、どういうファッションが流行っていたんですか?」
「クラス全員が聖子ちゃんカットでした」
「いや、真面目に訊いてるんです」
「嘘みたいだけど本当です。私の卒業アルバム見ます?」
ドサッ
ドーーーン!!
「うわぁっ! ページが聖子で溢れてる! 本当に、全員聖子ちゃんカットだ~!」
「だから言ったじゃないですか。当時は、石を投げれば聖子に当たるって言われてました」
ちなみにこれが当時の小原さん。可愛い!!
「今も昔も、学生は制服を改造するものですが、今みたいにスカートを“短くする”子はほとんどいなかったです。むしろ、長くするのが流行ってた」
「“スケ番”と、“ぶりっ子”っていう、正反対のものが同時に流行ってたんだよなぁ」
「ぶりっ子志向の女子は、パステル調のトレーナーをよく着てましたよね。それで、袖をこうしてた」
こう
「してたしてた!」
「してた! アニメの女性キャラクターも全員それしてた!」
「全然分かんない。リアル世代の人には『あるある』なのかな。『町田ヒットパレード』に来ると、こういう話が無限にできるんですね。客層としてはやっぱり40~50代の方が多いんですか?」
「そうですね、世代ど真ん中の方が、懐かしさから店を訪れて、当時の話題で盛り上がったりしてます」
「知らない人同士でも、『俺もこの歌好きだったよー』とか『私もこのレコード持ってたな』とか言ってね」
「私のような小娘が入っていっても怒られません?」
「私も店を始めてから驚いたんですが、若いお客さんもよく来てくださるんです。昭和の曲が好きで歌いに来たり、当時の話を聞きに来たり。みらいさんみたいに、ここに来て『懐かしい』て言ってくれるんです」
「へー! リアル世代じゃないのに『懐かしい』って感じるのは、なんだか不思議ですね」
「私にはその気持ちが分かります。世の中が複雑になりすぎてて、疲れてる若者が多いんですよ! だから、昭和のシンプルで温かい曲を聴くと、安心するんですよね」
「若い人から見ても、今の時代って複雑なんだ? みんなが便利さを使いこなしてるのかと思ってた」
「だって、みなさんは、今の時代の複雑さとかスピードに、何十年もかけて慣れてきたんですよね? でも、今の子は生まれた時からいきなりこの複雑さだったわけで。ついていけない子は、最初からずっとついていけないって状態ですよ」
「めっちゃ理解した」
「今の子も大変なんだ……」
「では、疲れた時にはいつでも居らしてくださいね。会社の先輩や上司を連れてくるのもおすすめですよ!」
「なるほど! 昭和世代の上司を連れてきたら盛り上がるし、気に入られそう! そんな賢い使い方があったなんて!」
「次は客同士として盛り上がりましょう」
「ありがとうございます! まだまだ語り足りないので、絶対また来ます!」
というわけで、今回は大好きな80年代の魅力を探るべく、昭和歌謡バーに来てみましたが、いかがだったでしょうか?
話を伺っているうちに、改めて感じました。あの時代のシンプルさやストレートさ、そして温かさを!
だから私は80年代のことが好きなんだって!
これからも、落ち込んだり悩んだりした時は、80年代歌謡曲を聞いて日々を生きていきます。
この記事を読んで、昭和歌謡曲の魅力が、私と同世代の人にも伝わったら幸いです。その暁には、一緒に昭和歌謡曲バーで歌い明かしましょう!
きっとマブい時間を過ごせるはず!
以上です。ありがとうござました。
(おわり)
町田ヒットパレード
住所:町田市原町田6-18-2 アークビルB1F
電話番号:042-785-5202
営業時間:19:00~翌日4:00
料金:
男性1時間2000円・その後延長1時間1500円|3時間セット4300円
女性1時間1500円・その後延長1時間1000円|3時間セット3300円
『町田ヒットパレード』は、時間内飲み放題で、懐かしの駄菓子も食べ放題。金・土・日は混み合うが、平日ならゆっくり静かに飲めるかもしれないとのこと。懐かしの昭和歌謡を聞いてカラオケを歌って、みんなで盛り上がりましょう!
こんにちは! ライターのよわ美です。
皆さんはこれまでに「師匠」を持ったことはありますか?
学校の先輩や会社の上司はいても、「師匠」がいたという人は少ないと思います。
「働き方改革」「副業推進」が謳われるこの2018年に、師弟関係なんて古臭い……と感じる方も多いはず。
でも最近、あえて「古典的な師弟関係」を求める若者がいるのです。
かくいうわたしがその一人。ライターになりたくてもスキルがなく、書く技術を教えてくれる師匠のような存在が欲しいとずっと思ってきました。
会社員として働きながら、尊敬できる大人になかなか出会えず「成長するために本気で怒ってくれる存在がほしい」と話す同世代の友人もいます。
そんななか、私は幸運にも今年からプロの編集者の下で学ぶことになりました。そう、初めての師匠ができたのです。ですが……
「師匠と弟子って何? どんな関係?」「上司や先輩とはなにが違うの?」
と、わからないことだらけ。
そんな時に出会ったのが『自分を壊す勇気』という一冊の本でした。
こちらの本を書いたのは、落語家の立川志の春(たてかわ・しのはる)さん。
大手商社に勤めるエリートサラリーマンから落語家へ転身された、異色の経歴の持ち主です。
ちなみに志の春さんの師匠は、NHK『ガッテン!』の司会者としても有名な立川志の輔(たてかわ・しのすけ)さん。
落語においては、師匠に弟子入りするしかプロになる方法がありません。そこで志の春さんは安定した会社員という立場を捨て、志の輔さんの元に26歳で弟子入りしたのです!
『自分を壊す勇気』には、落語の師弟関係が次のように描かれています。
“俺を快適にしろ。俺を快適にできなくて、お客さんを快適にできるか”
“徹底的に師匠の身になって考える”
ちょっと待って、師匠と弟子の関係、濃すぎじゃない?
わたし、もしかして大変なことになるのでは…?
本のタイトルの『自分を壊す勇気』も不穏に聞こえてきました……弟子になると壊されちゃうの……?
ということで、いてもたってもいられず「弟子の大先輩」である立川志の春さんに会ってきました。
師弟関係の意味から「自分を壊す」とは何か、そして「現代の若者が本当にやりたいことへと踏み出す方法」まで、色々お伺いします!
1976年、大阪府豊中市生まれ。幼少時代と大学時代の計7年ほどをアメリカで過ごす。アメリカのイェール大学を卒業後、三井物産に3年半勤務。偶然見た立川志の輔の落語に衝撃を受け、弟子入りを決意。2002年、三井物産を退社し、立川志の輔に入門。古典落語と新作落語の両方を演じる他、カルチャーとしてではく、純粋なエンターテインメントの1ジャンルとして「英語落語」の活動も行う。
「さっそくですが、師弟関係について教えてください。師匠と弟子という関係があまり理解できていないので……」
「そうですね。僕が実際に経験した落語界での話になりますが……一言でいうと、弟子にとっての師匠は唯一無二の絶対的な存在です」
「会社でいう上司と部下の関係ではなく?」
「うーん、僕にもサラリーマンの経験がありますが、少し違うかもしれません」
「と、いいますと?」
「プロの落語家になるための唯一の方法は、プロの真打(※)の師匠に弟子入りをすることだけなんです。上司は部署異動で変わることもありますが、師弟関係の場合には、指導いただく相手はずっと同じひとり。師匠が社長であり人事責任者でもあります」
※真打……落語界の身分のひとつであり、前座→二ツ目→真打の順に昇進する。落語の高座で主任(トリ)を勤めることができる、実力のある噺家のことを指し、落語家の敬称である「師匠」と呼ばれるようになる。
「じゃあ、もしその一人の師匠にクビになったら……?」
「もうプロの落語家になることはできません」
「ええ!? 全ての判断権が師匠の手にあるんですか! 常に失敗できない緊迫感がありますね……」
「僕は、弟子入りしてしばらくは失敗して『向いてないからやめちまえ!』と怒られてばかりでしたけどね(笑)。『自分が本当にやりたいことかどうか慎重に見極める』ことと、『誰を師匠とする』のかがものすごく重要になります」
「この人を師匠にと決めたら、どんな風にして弟子入りをするのでしょうか?」
「弟子入りの方法に、特にマニュアルやルールはないです。ちょっと前だと直に行ってお願いしたり手紙を書くのが主流でしたけど、今だったらSNSやメールなど連絡するツールも増えていますね。それで相性が合えば『弟子入り』できます」
「大事なのは、自らしっかり想いを伝えるということなんですね」
「弟子入り前~その後の修行期間で、師弟関係において何より大切なのは、弟子が常に『能動的な姿勢』でいることです。弟子志願の瞬間から、マニュアルがない実践型の学びがスタートしますので」
「……でも師匠ってお忙しいですよね。弟子を取ることで師匠にも少しくらいメリットがあったりするのでしょうか?」
「いえ、弟子を取っても師匠は一文の得にもなりません。赤の他人を育てて、結果的に商売敵を1人増やすことになります。だから師匠は弟子を取らなくてもいいんです」
「割に合わないのに、なぜ弟子をとるのでしょうか……?」
「師匠たちも、誰かの弟子として修行をして今があるからだと思います。前の世代から受けた恩を返すためや業界の未来のことを考えて、次の世代の育成を引き受けてくれているんです」
師弟関係とは…
・弟子にとっての師匠は唯一無二の絶対的な存在
・弟子入りする前に「自分が本当にやりたいことかどうか慎重に見極める」ことと、「誰を師匠とする」かが重要!
・師弟関係の学びに「マニュアル」は存在しない。だから弟子は能動的に学ぶことが大切!
会社とは違い、自分に関する全ての判断権を師匠ひとりが持っていることにはなんともいえない緊張感を感じます。
ただ、その緊張感こそが、自ら学び続ける弟子の姿勢をつくりだすのかもしれません。
それにしても、そんな厳しい世界に飛び込んで得られる学びやメリットってなんなのでしょうか?
「落語家になりたくて師匠に弟子入りする方は、以前より減ってるんでしょうか?」
「おそらく増えてます。今って、落語家の総数としては過去最大っていわれてるんですよ」
「過去最大! なんだか意外です」
「考え方によると思いますが、この『師弟関係』って古いように見えて、実は新しい関係性と言えると思うんですよね」
「??? どういうことでしょうか?」
「学校や会社では、教えてくれる人がはじめからいますよね」
「そうですね……学校には先生がいて、会社には上司や先輩がいました」
「そんなふうにはじめから整えられた受け身の環境とは異なり、自分から『弟子になりたい』と伝えて、はじめてスタートできるのが師弟関係なんです」
「!」
「師弟関係では、自分が選んでついていきたい人と結ぶ濃い関係から学びを得ることで、やりたいことを叶えていけます。そういう意味では、関係づくりの過程を含め、現代においては新しい関係なのかなと」
「確かに今は、ネットを通じて色々な情報やノウハウを知る機会は圧倒的に増えているはず。一定レベルの技術なら、それらしく学ぶことも可能ですよね。そこをあえて弟子入りするというのは師匠との関係性を求めるからなのか」
「実際、落語業界でもネットで師匠の動画を見てそのまま弟子を志願する方がいます」
「動画から弟子入りですか!? なんだかすごく今っぽい……」
「生でしか得られない感動や学びはもちろんあるんですけどね。でもそれだけ、弟子入りの方法も多様化しているのかなと思います」
「師弟関係=古典的な関係と決め付けていました。実際は次世代へ文化を伝えていくため、時代に適応していく柔軟性があるんですね……」
「話が変わりますが、志の春さんって素敵な名前ですよね。春って、四季の中でも、明るくて何かがはじまる予感のする季節なのかなと思います。名付け親は志の輔さんですか?」
「そうです。弟子入りして1年3ヶ月が経ったころ、27歳の大晦日にいただきました」
「由来もその時に聞かれましたか?」
「いや、実は師匠から直接聞いたことはなくて。でもテレビでアナウンサーの方に聞かれて答えてらっしゃるのは見たことがあります」
「うわー! それはドキドキしますね。で、どんな由来だったんですか?」
「えーその時は……」
「忘れたって…言ってましたね……」
「つらい。ワクワクしてたのに」
「僕もテレビの前でガクーンでしたよ。まあ、でも名前の由来はなんとなくが多いみたいですよ。師匠は『どんどん志の春になっていくから不思議だよな』と言っていましたね」
「そもそも師弟関係を築くにあたり、名前をいただくことには何か意味合いがあるのでしょうか?」
「名前をいただくということは『今までの自分をすべて捨てる』ということ。僕がアメリカ育ちで商社勤務だとか、過去の小さな成功体験全てが、名前をいただいた日から何の価値も持たなくなりました。『そんなもん捨てちまえ』と」
「ひええ……過去を全て捨てる……!」
「みんな、自分のことを好きですから。できることならば否定したくありませんよね」
「できることなら……」
「僕も元々『自分はこのままでいいんだ、他人に言われて何かを変える必要なんてないんだ』っていう根拠のない自己評価の高さがあって。自力で自分を変えることは不可能に近かったので、それをドリルのように壊してくれる存在が必要だったと思います」
「ひとつ、そもそもなことをお聞きしたいのですが」
「どうぞ」
「自分を壊すってどういうことなんでしょうか? 『壊す』って正直怖く思いますし、自分の過去や特性を肯定して活かすことは前向きで良いことのような気もするのですが」
「そうですね、例えば弟子入りする理由ってどんなものがあると思います?」
「弟子入りする理由は……プロとしての技術を身につけたいから」
「うんうん。プロとして必要な技術って、例えば?」
「ええと例えばライターだったら、より物事を他者へわかりやすく伝える力。落語家さんだったら、お客さんの頭の中に、ストーリーを描かせる力とか……?」
「それに必要なものは何なんでしょうねぇ」
「どちらも他人へなにかしらを伝えることが必要だから……あ、もしかして……」
「はい」
「プロとして必要なのは、客観性?」
「そうです。自分の今までのアイデンティティ全てを壊すかわりに、他人の価値観をトレースする。究極的な言い方をすれば『自分の中に師匠を入れる』ことで、プロとして必要な客観性が身につく。そうやって、『客観性を養うこと』が『自分を壊すこと』だと思います」
「なるほど……! 修行中に自分以外のもうひとつの価値観の軸を身につけて、新しい自分になっていくと」
「本にも書きましたが、どれだけ壊しても自分というものは絶対になくなりません」
「そうなんですか?」
「それくらい自分は強いんです。最初は自分を否定するのは怖いことかもしれませんが、」
「とりあえず1回くらいは壊しても大丈夫です」
「なるほど……! 経験されてる方の言葉は心強いです……!」
「それから現代の若者が技術を学ぶ際に、弟子入りする大きなメリットはもうひとつあると思っています」
「聞きたいです!」
「SNSで『バズる』という言葉がありますよね」
「はい! 『いいね』の数が多い記事は、それだけよく読まれた人気記事だと感じますね」
「そこなんです」
「???」
「よく読まれる記事と良い記事は、常にイコールではないですよね?」
「!」
「僕の時代にはSNSもそんなに流行していませんでしたが、今の若者は知らない他者からの評価を受けやすい社会に生きています」
「確かに『いいね』やリツイートなんて昔はなかったですもんね」
「そんな時代に、弟子になる大きなメリットのひとつは評価を受ける対象が師匠ひとりに定まること。それによって、マスの評価に踊らされず、本質的な技術や基礎力を身につけることに集中できると思うんです」
「マスの評価ですか」
「はい。技術がないにも関わらず大きな評価を受けたりすると、そこから曖昧な基準に振り回されてしまうかもしれません」
「マス=不特定多数なので、何がウケるかわからないですもんね……目に見えない『バズ』に振り回されることに」
「それに対して、どれだけお客さんに褒められたって、SNSで拡散されたって、師匠に駄目だって言われたらそっちの方が大きいのが師弟制度なんですよ。師匠は『絶対的な存在』なんです」
「なるほど。確かに何が正解かよく分からない時代だからこそ、絶対的な基準がひとつあることは大きな武器になるんですね」
「そう考えると、若者みんながそれぞれに師匠を持った方がいいんでしょうか……?」
「正直、タイプによると思います。師匠という存在に縛られるのがデメリットだと感じる人もいると思いますし。結局、大切なのは自分がどうなりたいか、そのために何が必要かを考えて行動することです」
「落語の場合は師匠に弟子入りするのが絶対にして唯一の道ですが、他の職業を目指す場合、師匠を持つのはあくまで『選択肢の中のひとつ』ですもんね」
「そうですね」
「でも、やっぱり絶対的な判断基準が欲しい! と師匠を求める場合……身近な環境で師匠を見つけることって難しいんでしょうか。会社で運よく師匠みたいな人に出会えたら幸せだと思うのですが」
「そうですね、僕はだれでも師匠になりうるとも思うんですよ」
「と、言いますと……?」
「例えば僕は大学時代にラグビーをやっていたんですが、後輩にものすごくタックルがうまいやつがいたんです。パスは普通だし走るのも速くないけど、タックルに関してはもう圧倒的に抜きん出ていて……」
「おお」
「その後輩に『タックルを俺に教えてくれ』って弟子入りできてたら、もっといい選手になれただろうに、当時の僕にはその頭が全くなかったんです」
「なるほど、師匠を見つけられるかどうかは不要なプライドを捨てて、とにかく教わろうとする姿勢にかかっていると」
「はい。あとは日々の中でそういう存在に出会っていきたいなら、やっぱり行動力ですかね」
「日々の行動!」
「落語家やライターを目指して弟子入りする以外でも、人生の師のような尊敬できる大人に出会いたい若者は多いのかなと。であればとにかく外へ出かけて、“きっかけ”に出会っていくようにすればいいんだと思います」
「大切なのは、たくさんの機会に触れたり経験を積もうと動くことなんですね」
「はい。それは何かを頑張りたくてモヤモヤしているけれど、そもそも『本当にやりたいことが何か分からない』人が、答えに出会う突破口にもなると思います」
「やりたいことに出会う時も、それを叶える時にも、必要なのは直感と情報収集、そして行動の繰り返しなんですね。……あと最後にひとつだけ、お伺いしてもいいですか?」
「どうぞ!」
「志の春さんにとって、師匠ってどんな存在ですか?」
「難しい質問ですね。一言でいうと……一番近くにいるのに、ある意味一番遠い存在です」
「!? 近いのに遠い……?」
「例えばファンの方や他の師匠についているお弟子さんには、師匠はすごくお話してますし、にこやかに接するんですよね」
「はい。いつもTVでもにこにこと優しそうです」
「対して僕は、日々同じ空気を吸ってはいるけれど、客席から師匠を見ることもないし、自分の落語の感想を師匠に聞くなんてことも絶対ない」
「そうなんですか!? せっかく近くにいるのに直すべき点について、詳しく教えてもらえないのでしょうか……?」
「そうですね。合理的に考えたら遠回りで非効率なように思うかもしれませんが、師匠はそうやって姿勢や背中で弟子に考えさせてるんです。マニュアルは思考停止になりかねません」
「そういえば弟子入りする方法にも、マニュアルやルールはないということでした」
「そのような教育法が、技術だけでない『魂』のようなものの継承にまで繋がるのかなと……濃い師弟関係で学ぶ日々は、AIやロボットには決して踏み込むことのできない、生身の人間にしか味わえない世界なのではないかと僕は感じています」
「弟子の後輩として、とても勉強になりました! 弟子修行、頑張りたいと思います。本日はありがとうございましたー!」
現状から一歩踏み出したいとモヤモヤしている若者の背中を押してくれる『自分を壊す勇気』。読みすすめていくごとに「自分が本当にやりたいことはなにか」と、自分の本心にとことん向き合わされます。
幸いなことに今は、行動さえすれば、選択肢がたくさんある時代。
だからこそ、自分の本当にやりたいことを見つけたら、マスの評価に踊らされず、他人の顔色や雑音に振り回されることなく、後悔しない行動をしたい。
そんなことを、「自分を壊す勇気」と今回のインタビューを通して改めて考えました。
ということで、『自分を壊す勇気』は「本当にやりたいこと」への葛藤を抱えながらもがいている若者全員におすすめしたい1冊です。
興味が湧いた方は、ぜひ読んでみてくださいね。以上、よわ美がお届けしました~!
こんにちは。ライターの菊地です。
先日、ふと立ち寄った雑貨屋さんで見かけたんですが、みなさんこういったものをご存知でしょうか。
これです。「苔(こけ)テラリウム」と言うんだそう。
苔と石と砂を使って、ガラス容器の中に風景を閉じ込める、アートな園芸スタイルとのことなんですが……え? これ苔なの!? 本当に? 道路の端っことか、歩道橋の階段の裏に生えてる、アレ?
そう言われてじっくり見てみれば、確かにそこら中に生えてる『苔』。一体どういう植物なの? いや、そもそもあれは植物なのか?
テラリウムには、いろんな種類の苔が使われてるけど、他にはどんな種類があるの?
気になったので茨城県にあるミュージアムパーク 茨城県自然博物館にやってきました。
なんでもここに、めちゃくちゃ苔に詳しい学芸員がいるらしいんです。
さあ、さっそく奥深い苔の世界をのぞいてみましょう!
ミュージアムパーク 茨城県自然博物館
住所|茨城県坂東市大崎700
入館料|大人 430円〜、高校・大学生 210円〜、子ども 50円〜
営業時間|9:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日|要確認
※ちなみのこの博物館、恐竜のロボットや動物の剥製など色んなものが展示されていて超クオリティ高かったです。
右にいるのが、めちゃくちゃ苔に詳しい学芸員、鵜沢 美穂子(うざわ・みほこ)さん。
苔の本に寄稿したり、苔の企画展を行ったりと多岐にわたり活動する、苔のスペシャリストです。
「今日はよろしくお願いします。『苔テラリウム』を見て以来、歩いてる時でもつい苔を探してしまいます。苔ってそこら中に生えてません?」
「苔は、海と砂漠以外なら、どんな環境にも存在すると言われてますね。もちろん、たくさんの種類がありますから限られた場所でしか生きていけない苔もいますけど」
「海と砂漠以外どこでも……じゃあ南極でも?なんつって」
「南極に生息してる種類もいますね」
「いるんかい!冗談で言ったのに。えーっと、じゃあ火星には?」
「漫画『テラフォーマーズ』でそんな話がありましたね。作品内では火星をテラフォーミングするときに苔(とゴキブリ)が使われていました」
「テラフォーマーズ好きなんですか?」
「苔が出てくる漫画はチェックしてます」
「(どんな理由だよ)でもテラフォーマーズは、あくまで漫画の話では?」
「いえ、様々な条件をクリアすることが前提ですが、火星でも繁殖できる可能性はあります」
「どんだけ強い生き物なんだ……。繁殖って、苔は花が咲いたり種を残したりするんですか?」
「苔は胞子で増えるので、花を咲かせることはありませんね。ちなみにオスとメスで増える有性生殖と、自分のクローンを作って増える無性生殖、どちらでも繁殖できる種類がいます」
「……はい?」
「つまりオスとメスが出会わなくても、子孫を残すことが可能なんです」
「え、なぜ……?」
「理由を聞かれると難しいのですが、動物のように自由に移動できない上に、とても小さな苔が、過酷な環境下で異性と出会うのは至難の技ですよね?」
「まあ、たしかに」
「そのため、運良くメスに巡り合ったら有性生殖を、出会えなければ無性生殖でクローンを増やしていく、という選択にたどり着いたんでしょうね」
「性別の壁って、そんな簡単に乗り越えていいの?」
「他に苔の特徴ってあります?」
「そうですね、乾燥した場合は休眠して耐えられることとか、傷ついても再生するとか、土が要らない種類が多いとか……」
「ちょ、ちょっと待ってください。驚きの生態をサラッと流さないで……! まず、傷ついても再生するというのは?」
「驚異的な再生力をもっているので、傷ついても自力で再生して復活するんです」
「体を再生できるなんて、ドラゴンボールのセルじゃん。いやむしろ、セルは核が傷ついたら再生できないから、苔の方が強い」
「あと、土を必要としない種類が多いって言ってましたよね? そういえば、天空の城ラピュタに登場するロボット兵にも、苔が生えてました。金属の上でも生きられるんですか?」
「ラピュタのロボットにどんな金属が使われているのかはわかりませんが、条件さえ整えば繁殖は可能です」
「いつか人類が滅んだら、地上は苔だらけになっちゃうかも……」
博物館の敷地内に苔庭(苔を育てている場所)があるそうなので、ここからは歩きながら話を聞いていきます。
「ここに生えているのは、ヒナノハイゴケです。鮮やかなオレンジ色を纏うことから、別名クチベニゴケとも呼ばれています。ちょっとルーペで拡大してみましょう」
「本当だ! 先の方のオレンジ色が、口紅を塗っているみたいですね。こうして見ると苔って可愛いかも」
「そうでしょう? しかもこの苔……」
「何かすごい能力が?」
「私の“推し苔”なんです!」
「知らんがな」
「自然博物館の敷地内だけでも、100種類を超える苔が確認されています」
「そんなに!? パッと見だと違いが全然わからない。じゃあ通勤中だけでも、何百種類の苔とすれ違っている可能性があるのか……」
「そうなんですよ。街中ですれ違った苔が記録されるアプリがあったら最高なんですけどね」
「鵜沢さんが出会いたい苔ってあるんですか?」
「ここには生えてませんが、ヒカリゴケなんかは美しくて好きですね」
提供してもらった黄色く光るヒカリゴケの写真。近年は環境の変化により、準絶滅危惧種に指定されている。
「ヒカリゴケ? え、光るの!? 苔が???」
「光るといっても、自ら発光している訳ではないんです。夜にヘッドライトを当てると光ってるように見える道路標識みたいな感じ。反射してるんです」
「色んな種類がいるんだなー。苔の世界、奥が深い!」
「興味を持ってくれたようで嬉しいです。ではここでちょっとしたクイズをお出ししましょう。苔ってどうして小さいんだと思います?」
「いきなりクイズ出してきた。うーん……可愛いから?」
「残念! 答えは『湿度の高い場所が好きだから』でした。地面からは、土に含まれた水分が少しずつ蒸発しています。つまり低い場所のほうがが湿度が高いわけです」
「なるほど。体が小さい方が地面に近くなるから、効率よく湿度を確保できると」
「その通りです。ではさらにもう一問。地面から離れても湿度が高いような場所では、苔はどうなるでしょう?」
「え、さっきの理屈でいうと……大きくなる?」
「正解です! 」
「まじか!」
鵜沢さんが実際にマレーシアで撮影したドウソニア
「これは、湿度の高い地域にのみ生息しているドウソニアという苔です。世界で最も背が高い苔で、60cmを超えることもあります」
「でかっ! それもう木じゃん! そんなにでかい苔がいるんだ」
「面白い苔はまだまだありますよ。例えば、動物の糞や死骸の上にのみ生育するマルダイゴケという苔もいます」
どことなく、禍々しさを感じるマルダイゴケ。海外の寒い地域や高山にしか生息していないため、苔研究家でもあまり見ることができない。
「胞子が成熟すると糞(ふん)のような匂いを出して、ハエをおびき寄せるんですよ。寄ってきたハエに胞子を付着させて、糞や死骸の間を運ばせます。その性質から、『糞ゴケ』と呼ばれることもあります」
「すごい不名誉なアダ名だなぁ……」
「みんな一生懸命、生き方を工夫して生存競争を生き延びようとしてるんですよね。どうですか? 苔、めちゃめちゃおもしろくないですか?」
「めっちゃめちゃ興味深いです。僕はテラリウムで苔に興味を持ったんですが、今日一日ですごく好きになってしまいました。自分でもテラリウムを作ってみようかなぁ」
「良いですね。じゃあ、せっかくなので、この苔庭でテラリウムに適した苔を採集してみましょう!」
※博物館内では普段、動植物の採集は禁止されています。この日は特別に許可をもらって採集しました
これはヒメタチゴケという種類の苔。細長く伸びている先っちょに、胞子の入った袋がついています。
同じように見えますが、こちらはコツボゴケという種類。
「こういった種類の苔をテラリウムに入れると、立体感が出るので、良いアクセントになると思いますよ! さあ、この道具で採ってください」
「これは、もんじゃ焼きのヘラ……?」
「もんじゃのヘラ、すごく使いやすいんですよ!」
というわけで、僕も採集にチャレンジ。苔テラリウムでも人気だというハイゴケの採集に成功!
続いて、葉が毛のようにフサフサしているナガヒツジゴケもGET!! 自分で採ると、愛おしく思えてくるから不思議。
ちなみに、苔の上を踏んで歩いていいのか聞いてみたところ、『同じところばかり踏まなければ大丈夫』とのこと。
それよりも、こんな感じで土から剥がれて裏返ってしまうと、光合成ができないし乾燥して枯れてしまうのでよくないんだそう。
見つけたら、元通りにひっくり返して軽く踏みつけると、地面にそのまま定着しやすいらしいです。
「よーし、これでテラリウムが作れるぞー! 作り方は知らないけど!」
「それでしたら、鎌倉に苔テラリウムを作っている苔専門店があるので、ご紹介しますよ」
※苔を採集する時は、そこが採集可能な場所かどうかを確認しましょう。特に自然度の高い山などでは避けたほうがいいです。採りすぎてしまうと生態系に影響が出るからです
こちらが、鵜沢さんにご紹介いただいた苔専門店、その名も『苔むすび』。
オーナーの園田純寛(そのだ・すみひろ)さんに、苔テラリウムの作り方を教えてもらいましょう。
苔むすび
生きた苔を使ったインテリアや苔テラリウムの製作や販売、ワークショップなどを行う苔の専門店。
住所|神奈川県鎌倉市由比ヶ浜2丁目4番地22
営業時間|11:00 – 16:30
定休日|要確認
園田さんの作った苔テラリウム。
こういう作品もあります。すごい!
苔テラリウムに必要な材料一覧
用意するものはこんな感じ。
・苔
・土(園芸用の土でも可)
・お好みで石
・ハサミ
・ピンセット
・霧吹き
※瓶やピンセット、ハサミ、霧吹きは100円ショップのものでもOK(ピンセットは先が曲がってるタイプのものが使いやすいです)
苔テラリウムに適している品種ということで、園田さんが選んでくれたのがこの3種類。左からタマゴケ、ヒノキゴケ、ホソバオキナゴケ。
湿度の高い場所を好む苔の方が、瓶のような密封された環境には向いているそう。
「では僕が実際にお手本を作りながら教えていきますね。まずは瓶の3分の1くらいまで土を入れます。土の表面は平らにするんじゃなくて、勾配をつけてあげると立体感が生まれてオシャレに見えます」
「わ、本当だ! 勾配をつけた途端、断然それっぽくなった!」
「次に、石を配置していきます。大きいものから順に位置を決めると収まりが良くなりますよ」
「どんな石でも良いんですか?」
「基本的にはお好みで大丈夫ですが、海が近い場所で採ってきた素材は、アルカリ性に寄っていることが多いので避けた方がいいかもしれません。あと、人の敷地からは採集しないでくださいね」
「材料に関しては、専門店で買っちゃうのが早いかもしれませんね」
「続いてピンセットで苔を植えていくわけですが……この時、ピンセットの先端が苔より前に出ているようにしてください。苔のほうが先に出ていると、土に負けて曲がってしまい上手く刺さりません」
「それさえわかれば、あとは自分の好きな場所に苔を配置して大丈夫です」
「何を意識して配置すればオシャレに見えますか?」
「うーん。人それぞれのセンスとしか言いようがないんですけど……強いて言うなら、背の高い苔は後ろの方に配置した方が収まりが良いかな」
「皆さんこんな感じで、好きな動物のフィギュアを入れたりもしますね。苔テラリウムには正解があるわけじゃないんで、楽しんでやることが一番です」
「できました」
「早っ! 20分もかかってないですね」
「僕は慣れているので、このくらいの時間で作れますが、初心者の方は1時間くらいかかるかもしれません」
「完成した苔テラリウムは、どういうところに置いたらいいんですか?」
「直射日光には当てないほうがいいですね。かといって暗い場所もよくないので、“なるべく明るい室内”に置いてください。置き場所と管理がよければ2年程度はキレイな状態を保つことができます」
※この時作って頂いた作品は、後日 苔むすびさんにて『ジモコロ』という名前で販売されました。
「よ~し! 苔テラリウムの作り方、大体コツが掴めました! 僕もオフィスに帰ったら、早速作ってみようと思います!」
「はい、頑張ってくださいね!」
~その日の夕方、オフィスにて~
というわけで、博物館の苔庭で採取した苔を使って、園田さんに教わったとおりに土の
勾配や配置を工夫して、自分でも苔テラリウムを作ってみました。
所要時間は1時間くらい。やってみるとわかりますけど、ほんのちょっとしたバランスにもこだわってしまうので、まったく退屈しません。
めちゃくちゃ楽しい。
そして完成したのがこちら!
バァーーン!
動物のフィギュアを入れようかなとも思ったんですが、せっかくだから自分が好きなアニメのフィギュアを封入してみました。
僕の好きなレイジュたんが、森の中で天使のように遊んでいるみたい!素敵!
……と自分では思ってたのに、会社の同僚にはすこぶる評判が悪かったです。
園田さんに「苔テラリウムに正解はない」って言われたハズなんですけど、これ……ありですよね?
自分では超気に入ってるんで、大事にしたいと思います!
いかがでしたか?普段は何気なく道端で見かける程度の苔。しかし調べてみると、そこにはめちゃくちゃ奥深い世界が広がっていました。
さらに苔テラリウムは、作っていて楽しいし眺めていれば癒される、ストレス社会に生きる僕たちにピッタリの趣味! みなさんもこれを機に、苔の世界に足を踏み入れてみてはいかがでしょうか。
それでは今日はこの辺で! 失礼いたしますー!
(おわり)
第26話
「柳田さんと民話」とは?
ひとり旅を趣味とする男性・柳田久仁夫が、日本各地で地元に伝わる民話を聞き歩く、ユルくておもしろくてためにならない8コママンガです。
こんにちは! ライターのギャラクシーです。北海道に来ています。
後ろは「天に続く道」と呼ばれる知床の観光スポット。インスタ映えしそうでしょ?
※ちなみに道の両脇にはめちゃめちゃ牛フンが積まれていました。
さて、なぜ北海道まで来たのかというと、あるマンガを読んだからです。
それは……
ヤングジャンプで連載中のマンガ、今春からアニメ化もされる作品『ゴールデンカムイ』!
「アイヌの隠し財宝」を巡って、主人公・杉本や、土方歳三、陸軍など、様々な目論見を持つ集団が入り乱れての争奪戦!
……というのが大体のあらすじなんですが、舞台が北海道であり、そして何より、すごく詳細にアイヌ文化に触れているのです。
「アイヌ文化めっちゃカッコエエ~!」
このマンガを読んだ誰もがそう思うはず。
知りたい! アイヌの人々ってどんな文化を持って、どんな生活してたの?
バッサバッサバッサ……
詳しく知りたかったので、釧路にある『阿寒湖アイヌコタン』にやって来ました。
ここはアイヌの民芸品店や、アイヌ料理のお店などが数十店も立ち並ぶ観光スポット。
さっそく詳しい人にお話を聞いてみましょう!
阿寒湖アイヌコタン
北海道釧路市阿寒町阿寒湖温泉4−7−84
話を聞いたのはこの方。
阿寒アイヌ工芸協同組合理事であり、阿寒アイヌ協会副会長の床 州生(とこ しゅうせい)さん。
ちなみにインタビューした場所は、床さんが店長を務める民芸品店『ユーカラ堂』の、店内です。
「今日はよろしくお願いします。『ゴールデンカムイ』という漫画を読んでアイヌ文化に興味を持ちました」
「最近はあのマンガの影響で、アイヌに興味を持ってくれる人が本当に増えました。作者の野田サトル先生は、ここ(阿寒湖アイヌコタン)にも取材に来てくれたんですよ」
「おぉ。実はここへ向かう道すがら、色んな場所で土地の人に話を聞いたら、『ゴールデンカムイの取材が来た』とおっしゃる人が多かったんです。各所でものすごく綿密な取材を行って描かれてるみたいですね」
「素晴らしい作品ですよ。アイヌの僕ですら知らない狩りのやり方が描かれてたりして勉強になっちゃう。『へ~、そうなんだ』って驚いたりするよ」
「本物のアイヌの人から見てもすごい作品だと」
「春からはアニメ化されるんでしょ? アイヌの文化が横方向に広がっていくのは素晴らしいよね。僕の知人が作ったマキリ(小刀)がマンガの中に出て、クレジットされてるのを見た時には、誇らしい気持ちになったし」
マキリ(小刀)
動物を解体する、魚をさばくなど多目的に使用する。男女ともに、いつも腰から緒でさげていた。鞘や柄は、木や骨で作り、文様を彫った
「ではさっそくアイヌの文化についてお話を聞かせてください。アイヌといえば文字を持たず、口伝のみの民族ですよね。アイヌ語の発音も日本語っぽくなくて、不思議な印象を受けます」
「日本語っぽくないかな? 誰もが普通に使ってるシシャモとか、ラッコ、トナカイなんかはアイヌ語ですよ」
「えっ、トナカイってフィンランドの言葉じゃなかったんだ!」
「あと、ファッション誌の『non-no(ノンノ)』も、アイヌ語で花って意味だけど……これは、どうだろう。確認してないからちょっと断定はできないかな」
※後で確認しましたが、アイヌ語からでした!
「我々は知らずにアイヌ語を使っていたのか……。ちなみにアイヌ語で『こんにちは』は何と言うんですか?」
「『イランカラプテ』かな。アイヌには“おはよう”とか“こんばんは”みたいに、時間で挨拶を変える習慣はないんで、どんな時間帯でもイランカラプテだけで大丈夫です」
「昼夜逆転したフリーライターなんかには最適な挨拶ですね。他にも日常会話に使えるアイヌ語があれば、教えてください!」
というわけでいくつか教えてもらいました!
イランカラプテ|こんにちは
イヤイライケレ|ありがとう
ヒオーイオイ|(カジュアルな)ありがとう
ピリカ|良い・美しい(英語のgoodみたいな意味)
ヒンナ|おいしい(いただきます・ごちそうさまという意味でも)
イクアン・ロー|乾杯(アイヌの人はお酒好きが多いらしい)
スイ・ウヌカラン・ロー|さようなら
オソマ|うんこ
シ・タクタク|うんこの塊
「みなさんも、日常会話にさり気なく使用してみてください」
「『うんこの塊』を日常会話で使う機会って、ある?」
「アイヌの人々の日常生活ってどういうものだったんでしょう。なんとなくストイックな人々というイメージがあるんですが、例えば恋愛観とかは? 結婚は自由恋愛だったんでしょうか」
「親が決める場合もあるけど、それがイヤなら拒否する自由はありました。婚約すると、男性は小刀の鞘や柄に装飾を施して、女性への贈り物にします」
「プレゼントにしては、えらく物騒な物を……」
「細かくて美しい装飾を彫れるということは、道具の扱いに長けているということ。生活する能力に優れているアピールでもあったんです」
「あぁ、なるほど! 女性側からはプレゼントしないんですか?」
「女性は、男性の身の丈に合った衣装を作って送ります。手甲や足甲などの場合もありました。アイヌの間では、良い道具や、かっこいい衣装を着ている人ほど、優れた人と言われるんです。生きていくのに、そういった腕が必要だったから」
「質実剛健なのにおしゃれさんだったんですね」
「全体的に、排他的ではなくおおらかな恋愛観だったみたいで、ロシア人との交わりもありました。そのあたりは、ゴールデンカムイでも核心になってくると思……」
「ストーップ! まだ読んでない人がいるかもしれないので、この話ストップ!」
「小刀や服を送り合って、お互い気に入ったら結婚という流れなんですよね? 結婚生活はどういうものだったんでしょうか」
「アイヌは男性と女性の役割がハッキリ分かれてたんです。男は狩りと、儀式に使う道具の作成が役目でした」
「『ゴールデンカムイ』のアシリパさんみたいに、女性で狩りをやる人は異質だったんですね」
「異質どころか、狩りの時は、絶対に女性を連れて行ってはいけなかったですね」
「銃のない昔は、どういう武器を使って狩りをしたんでしょう?」
「武器は毒矢がメインですね。トリカブトの毒を使いました。道東(北海道東部)のトリカブトは特に強力らしくてね、人間に当たるとイチコロですよ(笑)」
「そんな怖いことを笑顔で言わないでください。とにかく男性は狩りをしていたと。では、女性は何をしてたんですか?」
「女性は家事と、酒を作る役目ですね。酒を作れるのは、生理の終わったお婆さん……しかもフチ(尊敬されている年長者)しか作れませんでした」
「な、なぜわざわざお婆さんが? 昔の話だと普通は、処女がブドウを踏んでワインを作るみたいなイメージが一般的というか、イメージ的においしそうという考えになりそうというか……そんな気、しません?」
「…………」
「まぁね……」
「いや(笑)、アイヌではフチ(尊敬されている年長者)が大事にされてたってことでは? “狩りに女性は連れていかない”という話をしましたが、逆に、酒を作っている樽の近くには、男は近寄れなかったそうです。女だけの神聖な行為だったんですね」
「アイヌというと狩猟民族のイメージでしたが、お酒を作るってことは、農耕もやってたってことですか?」
「ヒエ、アワ、キビの農耕をやってたそうです。そういった穀物でだんごなども作られるようになって、それがごちそうだったんです」
「他にはどんなものを食べていたんでしょう」
「クマやシカの肉、山菜などですね。『ゴールデンカムイ』でもよく登場しますが、それらを鍋にしたりして食べていました」
文字だけだと想像しにくいので、取材が終わった後、実際にアイヌ料理を食べてみました。
こちらは阿寒湖アイヌコタンにある『民芸喫茶ポロンノ』。
▼ユック(鹿肉)のオハウ(汁物)とご飯
ごはんには雑穀が入ってます。奥にある赤黒いかたまりはメフンといって、鮭の腎臓だそう。塩辛をさらにエグくしたようなクセのある味ですが、僕はめちゃ好きでした
鹿肉トロットロでおいし~い!! あっさりした塩味の汁、いわゆるすまし汁ですね。あったまるわぁ~……
▼ラタスケップ
かぼちゃを豆やとうもろこしなどと一緒に煮込んで混ぜ合わせたもの。アイヌ料理の香辛料としてよく使われる「シケレベ(木の実の一種)」が入ってて、甘さの中にしびれるスパイシーさがあります。独特の味ですね。
▼ポッチェイモ
発酵させたジャガイモをザルでこして乾燥させ、水で戻して焼いたもの。
もちもちモコモコした食感。素朴な味ですが、バターの塩気が効いてます!
「『ゴールデンカムイ』に限らず、アイヌが登場するマンガって結構ありますよね。『無限の住人』とか。それらに共通するのって、“服装がカッコイイ!”ってことだと思うんです」
「文様が入ってたり、樹皮で作られてるやつね」
「それそれ! かっこいいですよね~! 着心地はどうだったんですか? 樹皮の服ってゴワゴワしそうなんですけど」
「いやいや、すごく柔らかいんですよ。樹の皮を春に採って、温泉につけたりして繊維をほぐし、糸にして織ったものを服にしたわけです。皮のまま着てたわけじゃないです」
「あぁ! 皮のままだと思ってた! 竹かごみたいな着心地なのかと」
「そんなの着てたら、全身擦り傷だらけになるでしょ!」
「北海道は、他の地域と違って“寒さ”というネックがありますよね? 特に昔はダウンジャケットなんか無かったわけで。寒くはなかったんですか?」
「もちろん寒かったでしょうね。なので、鹿や熊など、動物の皮で作った服を防寒着として着ていました。サハリンや千島など、特に寒い地方に住んでいたアイヌは、鳥の羽毛で服を作ったらしいですね」
「ドンキホーテ・ドフラミンゴじゃん」
「魚の皮で作った服もあると聞きました。狩猟をやってた民族なので、動物の皮は手に入りやすかったはずなのに、なぜわざわざ魚の皮を使ったんでしょう」
「魚の皮(鮭など)で服や靴を作ったりしていた理由は、風や水を通さないからですね」
「そうか! 昔はビニールやナイロンがなかったから、防水の素材というのが魚の皮だったんだ!」
「『ゴールデンカムイ』ではイトウの皮で作ってましたね。ちなみに阿寒湖ではイトウを養殖してたんですが、またたく間に食物連鎖の頂点に立ってしまって……一時期『イトウしか釣れない!』という緊急事態になりました」
「幻の魚じゃなかったのかよ……。それにしてもアイヌの衣装って、同時代の日本の服に比べても、レベルが高いように感じます」
「服に関しては文化レベルが高かったと思います。ひとつは、さっきも言ったけど、アイヌは服装や装備がその人の能力を表すとして、とても大事にしていたから」
「ひとつは……ということは、他にも?」
「もうひとつ、アイヌは古くから交易を盛んに行っていたというのがあります。ロシアや、ロシアを通して中国から絹織物なども入ってきた」
「本州では、江戸時代から幕末くらいまでは鎖国でしたね」
「その間もアイヌは普通に中国から輸入した絹とかを扱っていた。蝦夷錦(えぞにしき)といって、本州の侍なんかが欲しがったそうですよ」
▼蝦夷錦
江戸時代、中国からサハリンを経由し、北海道に至る交易路があった。アイヌたちは「蝦夷錦(えぞにしき)」と呼ばれた中国の織物などを手に入れ、それを松前藩が将軍に献上したことで江戸にも広がった
「『ジモコロ』では、地方の民話を聞くことをライフワークにしている男のマンガ『柳田さんと民話』が連載されています。アイヌにも特有の民話はありますか?」
「たくさんあるんだけど、すべて“口伝”だから、正確じゃなかったり、地域によってかなり違いがあったりするんだよね」
「床さんが聞いたバージョンで構いません。一番有名なものは何でしょう? 『桃太郎』みたいな」
「では、『アイヌラックル』の話をお教えしましょうか」
「わ、楽しみ!」
「その昔、多くの山菜がとれる山がありました。アイヌたちは、普段はその時食べる分だけを採っていたんですが、ある時、大量に採ったら来年は採集に出かけなくてもいいんじゃないか?と考えたんですね」
「なんと愚かな……」
「村人たちはみんなで山にでかけ、山菜を根こそぎ採ったんです。当然、山に住む動物は食べるものもなくなって、死んでしまいました。その土地の地下からは、黒い霧が出てきて、何年も作物が育たなくなったそうです」
「黒い霧!?」
「困った人々は、神さまに相談しました。神さまによると、その土地の地下に悪い神……魔王と魔女がやってきているというのです。彼らを退治しなければ、人の国に実りはやってこない」
「人と悪神との戦争……この物語には英雄とか出てくるんですか?」
「出てきますよ~! それがアイヌラックルです。アイヌラックルは神の子ですが、地上で人間とともに育ちました。だからアイヌ語で『人間くさい神』という意味のアイヌラックルと呼ばれていました」
「アイヌラックルという言葉の印象で、なんとなくアライグマみたいな絵を思い浮かべてましたが、カッコイイ青年にイメージを変更しました」
「彼は人々といっしょに魔王征伐に向かい、縦横無尽に空を飛んで戦いました。しかし、魔王と魔女も悪神とはいえ神。やがて、アイヌラックルは追い詰められていきます。いよいよアイヌラックルの最期という、その時……!」
「ど、どうなるの……」
「婚約者である白鳥姫が現れ、宝刀を授けました。その宝刀を抜いただけで魔王の手下はすべて死に、空から一振りすると魔女が倒れました。残る魔王は倒しても倒しても復活してくるんですが、最後には天から雷が宝刀に落ち、カムイ・イメル(稲妻を宿した一撃)で鎮めることができたのです」
「『ダイの大冒険』のギガストラッシュ……!」
「神さまは人々を集め、こう言いました。『魔王は、あなたたちが山の恵みを独り占めしたからやってきたのだ』と。まぁつまり、人間だけではなく、動物たちにも分け与えなさい、というお話ですね」
「なるほど。おもしろかった~! 普通にアニメで見たいですね」
「こういう話を聞いた人は、他の誰かに話す時、もっとおもしろくして話さなければならなかったそうです。だから、地域によって家族によって、色んなバージョンが生まれてしまうんです」
「今日はおもしろい話がたくさん聞けて、すごく楽しい取材でした」
「僕も楽しかったですよ。色んなテレビや新聞、雑誌なんかの取材を受けてきたんだけど、聞かれるのはアイヌの暗い過去や、重々しい民族的主張なんかが多いんです。楽しい話も聞いてほしいなぁ~と思ってたから」
「そう言っていただけるとありがたいです」
「『ジモコロ』のHPを見て、やっと若い人が入り口にしやすいメディアが取材に来てくれるようになったかと、ホッとしています。阿寒湖アイヌコタンでは、アイヌの文化を明るく楽しく伝えていきたいと考えてるんです」
「まず『入り口を作る』ってすごく大事な考えですよね」
「僕らはこれからも、アイヌ文化は楽しいよ、かっこいいんだよ、っていうのを伝えて、お客さんにアイヌのことを知ってほしいと思ってます。アイヌのことをもっと知りたくなったら、またいつでも遊びにきてください」
「ありがとうございます! 是非プライベートで伺います!」
というわけで、今回は『ゴールデンカムイ』を読んだ勢いで、北海道の阿寒湖アイヌコタンまで行ってみました。
謎に包まれたアイヌ民族のこと、少しわかって頂けたのではないでしょうか。これで、春から始まるアニメが100倍楽しくなるかも?
ここを入り口に、もっと文化を知りたい、歴史を知りたいという人が増えたら幸いです。では、スイ・ウヌカラン・ロー(さようなら)!
阿寒湖アイヌコタン
住所|北海道釧路市阿寒町阿寒湖温泉4−7−84
阿寒湖アイヌコタンでは、併設された『阿寒湖アイヌシアター〈イコロ〉』にて、アイヌの民話や踊り、人形劇などを上演しています。
舞台を見せてもらいましたが、川が流れてたり、炎が噴き出したりと、すごい演出!そして衣装が豪華絢爛!
1回30分で料金1080円(小学生は540円)、サクッと見れるので、ぜひお楽しみください
(おわり)
「5G(第5世代移動通信システム)」「ブロックチェーン」「量子コンピューター」——。
日々そんなテクノロジーのトレンドを追いかけながら、ビジネス領域で編集者・ライターとして活動している長谷川リョーと申します。
「東京大学大学院にて学際情報学の修士課程を修了し、新卒でリクルートホールディングスに入社。現在は独立し、編集チームを主宰する」
経歴だけをみると、「エリートだ」なんて言われることも少なくありません。
それでも、もうひとつの人生があったとしたら、パラレルワールドで生きる僕は中卒で大工として働いていたんです。確実に。むしろその世界線で人生を歩んでいる確率の方が、断然高かった。
中学3年生の夏前、ある主婦の女性に出会うまでは..….。
中学校の卒業アルバム。勉強はまったくせず、毎日サッカー部で精を出してました
国語3、数学3、社会3、理科3、英語1。
学校の成績はだいたい平均、むしろ少し苦手。小学校時代は野球部、中学に上がるとサッカー部に所属し、ただただスポーツだけを楽しみに毎日過ごしていたように思います。
それもそのはずで、両親をはじめ、親戚のなかで大学まで進学している人がほとんどいません。父方の家系はお爺ちゃん、お父さん、お兄ちゃんがパティシエ。母方は大工と、みんな手に職のある生き方をしています。
両親は活字をまったく読まない人で、本なんか家には一冊もない。その意味で、決して文化資本には恵まれていませんでした。
これは27歳になった今だからこそ言えることですが、大学から大学院へ進学する過程で気づいたことがありました。
「“人間のスペック”に大差はない」。
そもそも生物種として異なるチーターと比べれば走力の差はあるけど、同じ人間同士では、基本の走力に大きな差はない。それでも違いが生じるのは、環境が異なるから。この一点に尽きると思います。
家庭や学校という、幼少期から青年期までに身を置く小宇宙において、思考や価値観、自己肯定感は徐々に根を張り形成される。当然、小中学生当時の自分がこのような客観視、相対化をできていたはずもなく……。
「俺は勉強ができない。親だって、叔父さんだって、兄弟だってそうなんだから」
そんなふうに自分で決めつけた箱の中に収まることで、自己暗示をかけていました。
とりわけ苦手な科目だったのが「英語」。
中学3年生の夏頃まで、”do”と”does”の違いも分かりませんでした。
英語(というか言語一般)は基礎の基礎の文法をおざなりにすると、そこから続いていく発展的な文法や構文など、1mmも頭に入らないし、入りようもありません。
中学1年生から初めて習う英語に対し、初回から数回の授業をまったく聞いておらず、その後の3年間で苦しむことになったと記憶しています。
聞けば、受験において英語は最重要科目。頭を抱えながら、当時の僕が思った進路が二つ。
①名前を書ければ入れる商業高校に進学する
②お爺さんと叔父さんと同じように中卒で大工になる
結果として、どちらの道も進みませんでした。
ここで今回の主題に戻ります。
前述したように中学校の英語の期末試験はいつもビリから数えた方が早い順位でした。しかし、恩師の主婦の方に英語を教えてもらい始めてから、卒業前の最後の期末試験では学年1位に躍り出ることになりました。
勢いそのままに、なんと僕は順天高校の「英語科」に進学することになります。
その1年後にはアメリカに留学し、フロリダ大学に入ると英検1級、TOEIC990満点を取得。
完全に英語の呪縛から解き放たれたのです。
どうやって僕の人生は急旋回し、今の僕が在るのでしょうか?
いまでも工事現場を通り過ぎるたび、そこで働いていたかもしれない、もう一人の自分の姿を見ることがあります。
人生はひょんなことから、たった一人の恩師との出会いから、いかようにも針路を変えていく。
僕の人生を変えてくれた戸塚はるみ先生は、母親の友人の犬の散歩仲間だった主婦の方です。
英語が最大のネックとなり、進学を諦めかけていた当時。母親が戸塚先生に頼み込み、受験まで残り1年を切って絶体絶命だった僕に英語を教えてくれることに。
出会いから約10年が経つ今から振り返ると、僕は戸塚先生の英語塾の1期生であり、この出会いをきっかけに生まれた戸塚先生の塾は、地元でも評判の英語塾になっていきます。
サッカー部が終わると毎日のように自転車を漕ぎ、先生のお宅へ。
塾とはいってもそれらしい教室があるわけではなく、戸塚先生のご自宅の机で教えてもらうだけ。
僕の人生の分岐点を辿るべく、今回約10年ぶりに先生の元を訪れることに。今年のはじめに塾の最後の生徒を送り出したばかりだという、あの頃となにも変わらない戸塚先生が温かく迎えてくれました。
「リョーくん、おひさしぶり! こうやって再会できてうれしいわ」
「ご無沙汰してます。10年ぶりですかね。先生が僕に英語を教えてくれたことによって人生が大きく変わったので、当時の話を聞きたくなったんです」
「あーそうなの(笑)。英語を教える話をもらったころは受験までの時間も少なかったし、はじめは『無理』ってお断りしたのよね。それでもお母さんがみえて、『なんでも言うことを聞きます』って強くお願いされて」
「そうでしたっけ…。先生に教えてもらえることになったはいいものの、本当に中学1年生で習う初歩の初歩もはじめは分からなかったんです…」
「でも根性はあったわよね。『とりあえずここまで覚えてらっしゃい』というと、次の授業までには必ず覚えてきてた」
「最初はそれこそ本当に気合だけで活用や単語を覚えていったんですが、一通り覚えた頃から、英語そのものが楽しくなっていったんです」
「私、いつも生徒にこう言うの。『英語を勉強だと思ったらつまらないわよ』って。英語ができると、世界がものすごく広がるから。私自身が経験してきたことを生徒に話しながらそう言い続けてきた」
「覚えてます。『英語ができるようになった!』といい気になってた矢先、英語科に入学した僕は、英語がペラペラの帰国子女たちに圧倒されたんです。『このまま勉強だけしてても、絶対にコイツらには敵わない』。そこですぐに先生の言葉を思い出して、留学することにしました」
「それで私がある留学団体を紹介したのよね」
「はい。紹介していただいた団体を通して留学準備を進めつつ、地元のもんじゃ焼き屋でひたすらバイトに明け暮れました。平日は学校終わりの5時間、週末は11時間くらい。わずかな休憩時間で英単語を覚えたりもして。それで無事にアメリカのオハイオ州へ1年間留学することができました」
「それはやっぱり、根性があったから。その先の活躍をみても、私にとってリョーくんは自慢の人なんですよね」
「ありがとうございます。アメリカから帰ってきたらすぐ受験だったので、あまり勉強してなかったんですよ。英語で一点突破できるところしか受けれなくて…それで青山学院大学(青学)の国際政治経済学部に進むことになりました。その報告をしたら、実は先生も青学で」
「そうそう。文学部仏文科」
「そこで、また縁を感じました」
「あれだけ英語が苦手だった僕が、1年弱で学年ビリからトップまで一気に登りつめられたのが今でも不思議なんです。もちろん先生の教え方があってこそなんですけど」
「あの頃は私もまだ若かったから、宿題はたくさん出すし、とにかく厳しかった。あと、新しく来た生徒に対しては、親ではなく本人に必ず意志を確認するんです。『私と約束できないならお断り。よーく自分で考えてから決めてちょうだい』って生徒にいうのよね」
「今から振り返ると僕が1期生になりますが、やっぱりその後の生徒も英語はかなり得意になったんでしょうか?」
「1クラス4人以上は採らないようにしているから、塾の生徒数は多くありません。けど、その数人のなかから、地域にある3つの中学のトップが出ていたんです。高校受験の全国模試も、英語だけなら1位の子が何人かいました」
「全国模試の1位はすごいなあ….」
「とにかく基礎から厳しく教え込みましたから。覚えるだけの不規則動詞なんてタコができるくらいに」
「覚えてます! 部活終わりのフラフラなときでも、いただいた活用の表を何度も繰り返し、頭に叩き込んでた記憶があります。とにかくもうがむしゃらに。どんどん英語が分かるようになるにつれ、僕は初めてあることを悟ったんです。自分は頭が悪いのではなく、ただやってこなかっただけなのだと」
「勉強自体をやったことがなかったのね」
「はい。親戚をはじめ周りに大学まで行った人がいなかったこともあると思いますが、自分は馬鹿で勉強ができないと思い込んでいた。だから英語という一つの教科を集中的に学習することで、『やればできる』という当たり前のことに気づいたんです」
「私が発掘してあげたみたいね…(笑)」
「世の中の仕組みというと大袈裟なのですが、人間にはそれほど個体差がないことを悟ったといいますか。能力に有意な優劣はそれほどなく、単に『やるかやらないか』が道を分けることに気がついたんです」
「私の第一目標はとにかく、生徒に英語を好きになってもらうことだけなの」
「本当に先生のおかげですね。だからうちの母親はいつも僕にこう言うんです。『お前はたまたま戸塚先生に出会えたから今の自分がいるだけ。決して他の人を見下したり、天狗になってはいけない』と」
「そもそも、私はずっと文部科学省に言いたいことがあるんです」
「と、いいますと?」
「英語を学校の教科から外せば、みんな話せるようになるんです。読み書きばかりだから、英語ができるようになっても、話せるようにならない。座学に固執するんじゃなくて、もっと楽しめばいい」
「たしかに、難しい日本語の文法用語を持ち込む必要なんてないですよね」
「そもそもが言葉なので、本来はコミュニケーションをするための道具でしかない。英文学が読みたい人は大学で学べばいい。私は英語学習にそういった考えを持っているんです」
「先生がこれまで生徒に英語を教えてきたなかで、伸びる子の特徴はなにかありますか?」
「それは…ないんですよ。どうやったら身に着くかといえば、語学の場合、繰り返しやるしかない。英語は中学1年生からスタートじゃないですか。これが数学だったら、足し算引き算ができない子に、その先は教えられないんですよ」
「はい、はい」
「英語はひらがなを覚えるのと同じで、中1は初歩の初歩から始まるので、やればできるようになる。他の教科の先生だったら、そうはいかないと思います」
「英語だからこそ、だったと」
「ええ。リョーくんと同じように勉強全般が苦手だったある女の子も、英語だけは学年で1番になったことがあったんです。その子が通ってた学校の先生から電話がかかってきて、『私の子供を教えて下さい』ってその先生に頼まれたこともあります(笑)」
「僕も学校の先生が授業の度に、僕が英語ができるようになっている様子に驚嘆してるのが一つのモチベーションでした」
「うちに来た当初はどうしたものかと思ってましたが、本当によく頑張ってくれた成果ですね。私は宿題に関しては必ず『誰にも聞かないでやって』とお願いしていました。その上でできない部分を理解させるために、うちで教えていましたから」
「『TOEICで満点をとった』と話すと必ず勉強法を尋ねられるのですが、答えはシンプルで。これと決めた参考書一冊がボロボロになるまで、隅から隅まで憶える。そして他の参考書に逃げないことですね。先生に教わっていた当時も『英文法解説』(江川泰一郎著、金子書房)をバイブル的に読み込んでいた記憶があります」
「そうそう、そうね。私も試験のときは、教科書を全部覚えさせるの。それこそが勉強の仕方。全部覚えてるから、試験はとても楽なんです。理科でも社会でも同じ。だって、教科書に1番大事なことが書いてあることがわけですから」
「とても共感します。英検1級も一発で受かったのですが、そのときも単語帳一冊丸暗記しただけです」
「でもそれはリョーくんの記憶力が良いってことですよね」
「いや、あるとき掴んだんですよ」
「読みながら、書きながら、声を出しながら、その瞬間に使えるすべての感覚器官を総動員すると効率よく記憶が定着するコツというか」
「あー、そうですね! それは私もいつも言います。声を出しながら書く」
「その上で、数日後に同じところをまた暗記。3〜4回繰り返すと脳みそに定着してくるので、そのペースを掴めるようになると楽です。なので、英語を身につけるのってとてもシンプルなはずなんですが、意外とみんなやらないですよね」
「『やれること』、それが才能ですね。昔うちにこんな生徒がいました。お父さんが病弱気味で、塾にも行けない。うちだけに通っていて、私の一言一言を全部メモするような子だったんです。NHKのラジオ講座のテキストをとにかく聴き込んで、模擬試験でも満点を取って、日比谷高校(※都立の最難関高校)に入りました」
「厳しい環境でも、ハングリーさでやりきったと。たとえば、この記事を読んだ人はどうやったら“やり始める”ことができますかね?」
「オリンピックなんかを観ていても、はじめに挫折があって、それがバネになってることが多いですよね。リョーくんにしても、勉強ができないコンプレックスみたいなものがあったと思う」
「縁の巡り合わせで戸塚先生に出会うことができた僕はラッキーだったと思いますが…」
「でも今は情報網が溢れているし、勉強したければいくらでもできる環境があると思いますよ。Skype英会話なんてものもあるじゃないですか。『あそこに行ってみたい』、『音楽が好き』とか『映画が好き』とか。きっかけはなんでも興味を持てばやり始められますよ」
「さきほど英語ができるためには、『やるだけ』という話をしました。今やってる編集の仕事でも、下のメンバーに『やればできるから』と仕事を振ったり、接したりしがちなのですが、反省するところもあって……」
「だからね、努力できることはあなたの一つの才能なの。でも世の中はそういう人ばかりでは成り立っていないから、それを理解して人を扱わないとダメ」
「本当にそうですね……」
「どんな人にも絶対にいいところがあるはず。そこを伸ばしてあげないと、人はついてこない。『自分と同じようにできるだろう』とすると、絶対に失敗しちゃうわよ」
「ただ、いいところを見つけるのって難しいですよね」
「子育ても同じなのよ。私が娘にずっと言っていたのは、『他人と競争するのではなく、自分自身と競争しなさい』。他人と競争していると敵ばかりできちゃうけど、自分自身と競争していれば、他人を褒めてあげることができる。これから仕事はどうするつもりなの?」
「メンバーも増えてきたので、まずは組織としての下地を育てていきたいですね。個人としてはブレることなく馬主を目指しています(笑)」
「『馬主になりたい』とはずっと言い続けていますね(笑)。私が英語を教えるのは今年で最後になりましたが、リョーくんはどう?」
「英語塾ですか? 僕がやるとスパルタになるからな〜(笑)」
「すごく需要はあると思いますよ」
「ちょっと考えておきます…(笑)」
「まずは馬主になれるように頑張ってくださいね。楽しみにしています」
「見えるものしか見えないし、聞こえるものしか聞こえない」ーー。
そんな当たり前のことに想いを巡らせる。
すると、自分が身を置く環境、出会う人や読む本というレンズを通してしか世界を見られないことに「窮屈さ」と同時に、「尊さ」を感じる。
「英語ができない」たったそれだけの理由で、鳶職になりかけていた16歳。
戸塚先生に教えを請い、毎日必死で食らいついていた。
サッカー部の練習が終わる。自転車を漕いで先生の家へ。授業の後は、寝落ちするまで単語と活用を覚える。
そんな毎日を過ごすなか、焦燥が希望に変わっていく感触をたしかに覚えた。英語の勉強を通じて、「やればできること」の意味も知った。
あれから10年の時が経つ。
大学院まで進学できたのも、世界中を旅行できたのも、そして今この仕事をできているのも、すべては先生との出会いに帰着すると確信している。
「俺にはできない」そんな思い込みを打破し、あの一年を走り抜けたからこそ、今日のこの文章を書いている自分がいる。
出会いを機会に変えること、今日の自分が明日の自分をつくること。
それを意識して挑み続けることが、「できる」の意味ではないだろうか。
写真:小林 直溥
うふふふ…………
アハハハ…………
こんにちは。僕は今、女子高生とお菓子作りを楽しんでおります。忙しい為、今回はこの辺で失礼します。また次回お会いましょう!!
現場からは以上です!
(おわり)
すみません。今回の体験が楽しすぎて勝手に終わらせてしまいました。ライターのみくのしんです。
ジモコロではいつも『一日職業体験レポート』を書いてきました。
解体作業とか、冷凍倉庫とか……
そんな僕がなぜ女子高生と楽しくお菓子作りをしているのかと言うと、今回の職業体験が……
そう! 今回は焼き菓子屋さんを一日体験します!
と言う訳で、宮城県は名取市にあるココフラン・イオンモール名取店さんにお邪魔しています。お菓子作るぞ~!
ココフラン・イオンモール名取店
住所|宮城県名取市杜せきのした5丁目3番地の1 イオンモール名取1F
営業時間|9時~21時
今回お世話になる、店長の柴田さんです
「本日はよろしくおねがいします! 今までゴリゴリの肉体労働ばかり体験してきたんで、ファンシーな焼き菓子屋さんの仕事に期待値が高まってます」
「ココフランでの仕事は、力は使わないし、高度な技術も必要ありませんから、誰でも出来ると思います」
「完成形のお菓子を見ると、とても素人が作れそうには見えないんですが……?」
「大丈夫 大丈夫! とりあえず、作業着を支給しますので着替えてください」
支給された制服を着て、前掛けをしてコック帽を被れば……
どじゃぁ~~ん!
見た目だけは完全に焼き菓子の鉄人。このパティシエみたいな格好、一回着てみたかったから嬉しい。
よ~し! やるぞー!
厨房でパートさんたちに挨拶して、いよいよお仕事スタート!
「では、まず人気商品・コロネブーケを作ってもらいましょうか」
「いきなし!?」
「いきなしです! アルバイトの方にも初日で覚えてもらいます」
「就業5分でこれ、絶対無理だろ……」
これが今回作るコロネブーケの生地です。右に見える銀色のトゲみたいな金型に、巻きつけるようにして形を作っていきます
「すでにできあがってるものを焼くんじゃなくて、この段階から作っていくんですね」
「はい。全商品店内で作っています」
「本格的だ! 生地を触ってみてもいいですか? うんうん、もっちりしててかなり冷えてますね。気持ち良い~! 一回デコに乗っけてもいいですか?」
「冷えピタじゃないです。あたたかくすると柔らかくなってしまうので、成形しやすいように冷やしてます」
この1枚の生地から10セットのコロネブーケが作れるそう。定規で目印を付けて等分します
次に生地を優しく持ち上げ、金型の先端からくるくると生地を巻き付けます
「それではお手本として一つ作っていきますね」
「はい! 工程が見えるようにゆっくりお願いs……」
ほいっ! ほいっ! ほいっ! ほいっ!
ほいっ!!
「一瞬! え? マジで何をやってるのか見えなかったんですけど」
「なんかこう……うん! とにかく一回やってみてください」
「そんなレクチャーある?」
「コツとしては、急がずリズムを考えて巻くことかな」
「お菓子を作ったこともない僕には、絶対無理だと思う」
くるくる…
くるくる…
シュルル…
「普通にできちゃった」
「あら上手!」
一発目で上々な出来栄えにご満悦の僕。
「柴田さんの言う通り、リズムを考えながらだと意外に簡単に出来ますね!」
「みくのしんさん、器用なんですね! ただ、一発目から成功するって、記事としては面白さに欠けますが大丈夫ですか?」
「そんなことまで心配しなくていいです」
トレーに生地を並べてオーブンへ。一回軽く焼き色をつけます
ブウゥーン…
オーブンの中で、みるみるうちに焼き色が付いていくのを見るのは、子供の成長を見守る親の気分。おいしくな~れ♪
~4分後~
じゃ、そろそろオーブンから取り出………ぶわぁっ!!
「熱ッッッッ風!!!!!!」
「火傷だけは気をつけてくださいよ!!」
一回目の焼きが入ったコロネブーケの生地
金型を外した生地にグレースという砂糖水を塗ります。テリッテリになっておいしそう!
2度焼きが終われば、遂に仕上げのクリームを入れます!
「内容量が均一になるようにクリームをいれます。ベテランの人でもちょっと難しい作業なので、ゆっくり集中してやってくださいね」
「出来るかなぁ~」
グミュミュミュ~~~
スッ…
「今度もめっちゃ成功した」
「上手! 重さも均一だし、初回でこんなにできる人は珍しいですよ。前職でなにかやってました?」
「いや、しばらく無職です」
「ポテンシャルは高いのにね。社会って難しいよね……でも頑張っていればいつか……」
「気を遣われたら余計に悲しくなるから! 次は何をしたらいいんですか?」
「仕上げにココアパウダーやシュガーを軽く振って、完成です」
「おぉ、その作業は今までの中でも一番簡単そうですね。お任せください」
ドササッ…
あれ?
「…………」
「わわわわわ、もうその顔しないで! ごめんなさい!」
「冗談です(笑)これくらいならやり直しが効くので大丈夫ですよ」
と、言うわけで包装紙に包んで完成!! 美味しそ~~~!
他にもいくつか焼き菓子を作りましたが、基本的にどれも作り方がちゃんと決まっているので、難しい作業ではありません。
しかも集中して作っていたから時間の経過が早い!
「それじゃあちょうど12時ですし、お昼休憩にしましょうか!」
「え!?もうそんな時間?」
「昼休憩は1時間あります。せっかくのショッピングモールなので、昼食のあとは色々見て回ってください」
ランチはショッピングモールのフードコートが充実していて、何を食べていいか迷ってしまうくらい。注文するまでに15分が経過してしまいました
食べ終わったらゲーセンや……
お店を回ることが出来るのも、ショッピングモールの良い所ですね!
「あ、ここに居た。そろそろ休憩終わりなんで行きましょう! 午後から高校生の女子と男子がバイトで来ますよ!」
「JKとDK!??」
午後からは隣にある同系列店のビアードパパさんでシュークリームを作る作業を体験させてもらえる事に
こちらでバイトしているのが、噂の女子高生、この人です!
笑顔がステキな佐藤さん、18歳!
「よよよよろしくお願いします!」
「そんな緊張しないで下さい(笑)」
「27歳のオッサンが女子高生と喋ることなんて普通ないし、犯罪だから」
「喋るだけなら犯罪じゃないでしょ! 佐藤さんもまだ新人なので、今回は3人で一緒にやっていきましょう」
「この機械にクリームが入っているので、ノズルをシューに差し込んで、偏りが無いようにクリームを注入します。最初は難しいけど頑張って下さいね」
「わかりました! でもこれ、どれくらいクリームが入ってるのか外からは見えないんで難しそう」
ヌモモモ……
「わ、入ってる入ってる! どれくらい入れたらいいのコレ!!」
「落ち着いて! ゆっくりやれば大丈夫だから!」
「え、これくらいでいいの? まだ? え、どうなの? どうなのー!?」
スッ…
「お見事! 一発で合格しましたね!」
「わー、上手! 私は最初なかなか出来ませんでしたよ!!」
「僕、焼菓子を作るためにこの世に産まれてきたのかな……」
「ライターなら、1回2回くらいは失敗したほうが絶対良いと思いますけどね」
「ライターやめて焼き菓子職人になります」
クリームを詰めたら、砂糖を振りかけて完成! 注文してからクリームを詰めるので、結構速さが求められます
佐藤さんも未だに失敗してしまうことがあるそう
と、ここで突然シュークリーム30個の注文があり、突発的に忙しくなる厨房内。本来は15時~17時のおやつ時間帯が一番忙しくなるみたいです
「はぁ~、ちょっと忙しかったですね。ココフランでは一日通しの場合、合計70分休憩できます。15時からのピーク前に、軽く休憩を取っていいですよ」
「それではいただきます!」
「じゃあ私も。みくのしんさん、一緒に休憩します?」
「この歳になって、女子高生から休憩に誘われることあるかね……」
「佐藤さんは、どうしてこちら(ビアードパパ)でバイトしようと思ったんですか?」
「私って少しトロい性格で……去年買い物に来た時、店員さんが笑顔で仕事もテキパキやっているのを見て、私もこうなりたい! と思って入りました」
「ちなみにビアードパパ以外でバイトしたことある?」
「ありませんね。ここが初めてです。従業員の方もみんないい人なので、多分辞めないと思います」
「あれ? 店長から台本か何かもらってます? こんなに純粋な女子高生、今どきいるの?」
「将来はお菓子作りの仕事に就きたいとか?」
「どうでしょう。将来のことはまだあまり考えてないんですけど……今は体育の先生になりたいかな」
「へー、どうして!?」
「今通ってる学校の体育の先生がすごく良い人で、あの人みたいになって私も母校に恩返しができたらって思ってます」
「いやこんな純粋な女子高生いないだろって! そういう夢とかを、同年代のバイト仲間と語り合ったりするんだろうなぁ。いいなぁ」
「仲の良い友だちもできたので、喋ったりしますね」
「バイト代はどういうことに使うの?」
「普通に服とかですね。初給料では……」
※参考(たぶんこういうの)
「ノース・フェイスのマウンテンパーカーを買いました!」
「うんうん、そっかそっか。プラダとかディオールとかじゃなく、ノース・フェイスね。お小遣いじゃ手が届かないから、初めてバイトしてね……何だこの温かい気持ち」
「なんか見たことない顔になってますけど、大丈夫ですか?」
「いやホンマ、言うてくれたら、オッチャンがナンボでも買うたるがな、しかし」
「でも、みくのしんさんって無職なんですよね?」
「じゃあ僕に買ってください」
「なんで!?」
純粋さにあてられて、もはや親の気持ちに……
休憩後からは男子高校生、高橋くんと一緒に作業していきます。
いや、ブラザーズ??
下手な兄弟より僕に似ている彼が、高橋くん18歳
「今回は高橋くんがいてくれてホッとした。女性ばっかりっていう環境に緊張しちゃって」
「確かに、男の人が少なくて緊張するっていうのはあるかもしれません」
「さっきも、ロッカー室で女性二人が、雑談しながらヘアゴム外してる所に遭遇して……『ぁひゃっ!』って言いながら扉閉めちゃったもん。肉体労働ばっかりレポートしてきたから、女性の空気に慣れてないのよ」
「精神年齢低すぎません?」
人気メニューのアップルリングを、高橋くんに教わりながら作っていきます
リンゴを生地で巻き、形が崩れないように円の形を作っていきます。難しい……
形を整えたらオーブンに入れて焼きを入れましょう
「焼いてる間に色々聞いてもいいですか? 高橋くんはここで働いて長そうだけど、一番嬉しい時とか楽しい時とかってある?」
「お客さんが笑顔でお菓子を選んでる時とかですかね」
「解答が優等生過ぎる……マジで台本もらってない?」
「台本なんか渡してないですよ!」
「どうしてココフランでバイトしようと思ったんですか? モテたいからですよね? そりゃそうだよなー。ありがとう!」
「いや、勝手に決めないでくださいよ! 僕は元から料理を作るのが好きなんです。一度家でパウンドケーキを作った時に、焼菓子を作るのも楽しいなと思って、ここに入りました」
「女子力高っ」
「こないだはマカロンを作って持ってきてくれましたね」
「女子力高すぎるって!」
と言ってる間にアップルリングが焼き上がりました。美しいぜ…!!
さらにもう一度焼きを入れた完成品がこちら。指で差しているものが少し焦げているのがおわかりでしょうか。そうです、僕が作ったやつです
「アップルリングは包むのも少し難しいですし、中々大変ですね」
「でもこれが一番難しいので、これが出来たら他は全部できます!」
「僕、もうここで働けるじゃん」
「じゃあ高橋くんも小休憩取ってきていいよ!」
「ありがとうございます! みくのしんさんはもう休憩取りました?」
「あ、まだです! 一緒に取りましょう!」
「すげーさり気なく嘘つきますね。まぁ、今は落ち着いているので10分位なら良いですよ!」
「この仕事のこと、本当に好きなの?」
「本当に好きですし楽しいですよ! 趣味がバイトに活かされてるんで、ピッタリの職場です」
「趣味って料理だよね? 将来はやっぱりパティシエとかになりたいの?」
「いえ、料理はあくまで趣味ですね。将来は理学療法士を目指してます」
「え、なんて? りがくりょうほう……? ちょっとスマホで調べるね………えーっと、何なに? うんうん、なるほど……凄っ!」
「それくらい知ってて下さい」
「なんかみんな純粋で良い子ばっかりだなぁ。ちなみに、さっき話を聞いた佐藤さんは、初任給で服を買ったらしいけど、高橋くんは何を買ったの?」
「なんだっけなー……あ!」
「良い砥石です」
「ん……?」
「良い、砥石です」
「バイト代で“良い砥石”を買う18歳、初めて見ました。料理以外に趣味とか無いの?」
「釣りとギターですかね」
「渋っ!定年後のおじさん?」
「こないだ釣ったアジでなめろう作りました」
「やっぱり定年後のおじさんじゃん」
「ハイハイハイ! 二人共、もう休憩終わりですよ! お仕事もそろそろ終わりだから、最後に片付けしましょう!」
「うわ、もうラスト30分だった!」
終業が迫ってきたので、最後はゴミをまとめて、ショッピングモール内のゴミ捨て場に持ってい行きます。結構な量だなー。
分別して、店舗が判別できるシールを貼って……
と、ここで遂に…………
作業終了ーー!!!終わったー!!!!
「お仕事お疲れ様です!本当に上手でしたね!!」
「自他ともに認めるくらい上手かったです。点数を付けるとしたら何点ですか?」
「90点です!」
「高得点!!」
「100点じゃない理由は、女子高生の佐藤さんを見る目に、邪悪なものを感じたからです。他は本当に完璧でした!」
「しこりが残る……」
「それでは今日の給料を支払いますね。お疲れ様です!」
「ウワー!!やったやった!!ちなみにおいくらでしょうか?」
「8800円です!」
「最高だ~~! 職場内も仲良くて、ストレスフリーの職場でした。辞めてく人、少なさそう!」
「そうですね。辞める人はかなり少ないです。実は私も高校の頃に初バイトで入ってから、ずっと働き続けて社員になったんです」
「それって凄すぎない?」
と、言うわけで女性ばかりの楽しい職業体験が終わりました。
最後に一日体験して気づいたことを書いておきます!!
・あっという間に時間がすぎる
集中してお菓子を作るのでいつの間にかにお昼休憩になって気付いたら日が暮れてます
・ショッピングモール最高
お昼にも困らないし、仕事終わりに買い物も出来るから最高! 全国チェーンのお店なので、周辺環境で職場を選んでもいいかもしれません
・職場は女性が9割
もちろん男性も全然オーケー! ただ男が少ないので少しさみしい気持ちになるかも?
・バイト代の使い方は自由
マウンテンパーカーを買おうが、良い砥石を買おうがその人の勝手。いや良い砥石買う?
ココフランさんは全国にチェーン展開しています。同系列のビアードパパ等のお店もあるので、気になった方が居たら是非連絡してみてくださいね!!
ココフラン・イオンモール名取店
住所|宮城県名取市杜せきのした5丁目3番地の1 イオンモール名取1F
営業時間|9時~21時
▼今回職業体験したお店の求人を見る
ーー就業後
帰りに自分が作ったアップルリングを購入しました!
いびつだけど、それが逆に愛おしい……。そして、おいしそう~!
僕はこれから自分で作ったお菓子を食べるのでこの辺で失礼します!!また次の職業体験でお会いしましょう!!
ばいばい!!
(おしまい)
※今回のレポートは、あくまでライターが体験させてもらった現場に限定したものです
あなたは「カレー」と聞いて、どんな料理を思い浮かべますか?
たぶん多くの人が一般的な、ご飯にカレーの添えられた「カレーライス」を思い浮かべるのではないかと思います。
しかし、実際のところカレーは、世界全体から俯瞰すれば欧風カレーとインドカレーのように地域によって大きな違いがあり、カレーうどんにカレーパンをはじめとした日本独自のカルチャーとしても発展しています。
さらに、都内や大阪を中心に多くのオリジナリティ溢れるカレー専門店が増加し、特にスパイスカレーの発展は近年すさまじい勢いを持っています。
もはや「カレー」という言葉が持っているのは、いわゆる家庭にある欧風カレーをベースとした「家カレー」だけでは説明できないものになっているんです。
これほどまでに日本のカレーカルチャーが深まっている理由は何か?
筆者のくいしんは、音楽フェスや野外の食イベントが増えたことをきっかけとした、カレーのストリートカルチャーとしての深化があるのではないかと仮説を立てました。
そこで今回は、10年半3,900日以上も毎日カレーを食べている「毎日カレー生活男」こと南場さんにお話をうかがいました。
なぜ、毎日カレーを食べ始めたのか…。
なぜ、カレーを10年半以上も食べ続けるのか…。
まずは南場さんご自身の10年半の道のりを聞きながら、「カレーは21世紀のストリートカルチャーなのか?」という疑問をぶつけてみます。
毎日カレーを食べる生活を綴ったブログ『365カレー(∞)』は10年以上継続中。カレー業界では知られた存在となり、カレーに関するイベントも多数開催。有名カレー店やシェフとの親交も深い。
「南場さんは10年半以上、毎日カレーを食べているんですよね?」
「そうなんです」
「なぜカレーを毎日食べるのか想像してみたんですけど。嗜好品であるお酒やタバコと同じように、いいスパイスを身体に入れるとキマっちゃって、めちゃくちゃ気持ちいいじゃないですか。そういう快楽性を求めてカレーに手を伸ばすんじゃないか、と思ったんですけど」
「むしろ逆かもしれないですね」
「逆、ですか」
「観念的な話になってしまうのですが、人間の欲望は果てしないです。つまり、スパイスの強さや、一口食べたときの驚きばかりを追い求めていくと、最終的に苦しみが生まれる気がするんです」
「食べたらアガるぜ!がスパイスの本質ではない、ということですね」
「それはそれで楽しいのかもしれないけど、僕自身は違うなって思います。スパイスでハイになる瞬間じゃなくて、その後の薬効を重視すべきなんじゃないか、って考えてます」
「スパイスって、漢方生薬ですもんね」
「そう。だから、カレーって根本的に身体にいいはずなんですよ。胃腸にいいとされているスパイスもあるんです」
「なるほど…。では、なぜ毎日カレーを食べようって思ったんでしょう?」
「あぁ。それはですね…」
「(ゴクリ…)」
「毎日食べるものを選ぶのがめんどくさいじゃないですか。それで」
「えっ」
「ええええっ!!!! 最初のきっかけってそれだけなんですか!?」
「最初に始めたのは2004年なんですけど、当時は食に興味がなくて。何も食べずにいたら夏バテしてしまいました。で、40日連続でカレーを食べて、夏バテを治したんです」
「えっ…。でも、カレーは好きだったんですよね?」
「好きというか…。毎日食べられるかなぁ、って思って」
「好きというわけでもなかった」
「なんなら、スパゲッティのほうが好きでした。上京して、スパゲッティ屋さんで働いていたくらいです」
「2004年の夏に40日間毎日カレーを食べて、次に、2005年の一年間毎日食べたってお聞きしました」
「そうですね。そのあと一年半お休みして、2007年7月1日から再開して、そこから10年半を超えました」
「2005年のときは、なんでまた毎日食べようと思ったんですか?」
「元日にデニーズでたまたまカレーを頼んで、なんとなくですけど、今日から毎日カレー食べてそれをブログにアップしようって思い浮かんじゃって(笑)」
「このときもまだ、そんなにカレー好きには火がついてませんでした」
「カレー大好きというわけでもないのに、一年間毎日カレーを食べていたんですか…」
「これは真剣な気持ちなんですけど、献立を毎日考えていろいろ違うものを食べてるみなさんのほうがすごいと思います」
「(南場さん…それはふつうだと思うのですが…)」
「いつだったかな。数年間、毎日カレーを食べてたら、だんだんカレーに興味が湧いてきて。スパイスの香りのよさに気づいた瞬間に、『カレーっておもしろい!』ってなったんです。ふつうの料理ってこんなに香りがいいんだっけって思って」
「今はカレーが大好きなんですよね?」
「そうですね。そこからはどっぷりハマっていって、いろんなお店に行ったり、カレーのイベントに行くようになりました」
「なるほど…。『今日はカレー食べるの無理だー!』という日ってなかったんですか」
「昼ごはん食べる時間をつくれなくて、夜に飲み会があった日ですね…。23時50分にふと思い出して、立ち食いそば屋さんに駆け込んで食べたことがありました」
「ギリギリですね」
「もうひとつ、2泊3日で韓国に行って、1日目の夜に食べ過ぎてお腹を壊して、2日目は何も食べられない状態だったことがあって」
「ピンチだったんですけど、実はそのとき保険として、ヤマザキのカレーパンを持っていってたんです」
「カレーパンは、セーフなんですね(笑)」
「一応自分の中でのルールは、ペーストになっていたらセーフっていうゆるい決まりでやってます」
「体調を崩したときに『カレー食べるのしんどいな』って思うことはないんですか」
「自作カレーでもオッケーなので、刺激の少ないスパイスで、スパイスおかゆをつくることがありますね」
「あっ、なるほど。カレーおかゆ」
「カレーおかゆだってカレーです。カレーって、多様性の文化なんですよ。『カリー(curry)』には学術的な決まりはなくって、定義できないものなんです。つまり、カレーって、自由。南インドと北インドでも違うし、ネパールカレーもあるし」
「たとえばインドの南と北では何が違うんですか?」
「よく言われるのは、北は、クリームやナッツが使われていて、リッチなカレーが多いんです。小麦粉の文化なので、ナンで食べる。南インドは海が多くて熱いのでシャバシャバなんですよ。稲作文化なので、ライスで食べるっていう」
「へえ!」
「カレーを通して、歴史や風土を学べるんです。カレーには明確な定義がないからこそ、いろんなカルチャーの境界をまたいで発展できる」
「なるほど。カレーにもいろいろ種類があるし、ビリヤニとかもカレーの一種ですもんね」
「食材はもちろん、歴史や風土を含めた土地の文化を、どうやって料理するかなんですよ」
「カレーは多様性の文化ということで言うと…Facebookを見させてもらったんですけど、南場さんはフジロックに行かれてるんですよね?」
「行ってますね」
「ああいうフェスみたいな場所や野外の食イベントでカレーを食べられる機会が増えたことで、カレーはストリートカルチャーになってるんじゃないかと思ったんです」
「ああ、なるほど」
「単にお店で食べるだけのものじゃなくなったというか。ストリートカルチャーって、マイノリティとかそれこそストリートチルドレンによって形づくられた価値観じゃないですか。そういった多様性を許容するカルチャーが、カレーにはあるからなんじゃないかって」
「いわゆる家庭のジャパニーズカレーライスはどうかわからないけど、スパイスカレーは21世紀のストリートカルチャーと言ってもいいかもしれないですね。少なくとも、そうなりつつある」
「ジャパニーズカレーライスというのは、いわゆる欧風カレーをベースにした、じゃがいも、にんじん、玉ねぎが入っているカレーのことですか?」
「そうですね。それは、一種の日本の伝統文化だと思うんですよ。でもそうではない、自己表現としてのカレー、特にスパイスカレーと呼ばれるカレーがここ数年流行していますよね」
「自己表現としてのカレー?」
「カレーって、自己表現になるんですよね」
「といいますと?」
「コーヒーやラーメンもそれに近いけれど、やっぱりカレーのほうが、表現の幅をつくりやすい」
「カレーうどんとかカレーパン、カレーまんとかですか?」
「そういうものも含めて、掛け算のしやすい料理なんでしょうね。カレーカツ丼なんてもう本当に…イノベーションですよ。カレーの多様性は、あらゆる食材をくるむんです」
「なんでも肯定してくれますね、カレーは(笑)。表現としておもしろいカレーというと、やはりスパイスカレーですか?」
「作品性の高いスパイスカレーが増えてるんです。小麦粉を使っていない薬膳カレーの『旧ヤム邸』が下北沢にできて、いよいよスパイスカレーが東京に上陸した、というふうにも言われています。旧ヤム邸もそうなのですが、スパイスカレーってもともと大阪で盛り上がっていたんです」
Namba Shilow(本名K.Y.)さん(@365curry)がシェアした投稿 –
「大阪なんですね」
「そうそう。大阪にある『カシミール』というお店の店主は『EGO-WRAPPIN’(エゴラッピン)』の元メンバーだったりして」
「エゴラッピンの!?」
「大阪のスパイスカレーのお店は、ミュージシャンとかクリエイターが関わっていることが多いんです。そういう部分もストリートカルチャー的と言えるかもしれない。カレーや料理の専門家ではなかった人たちがカレー専門店をやっていることでカルチャーになっていったんでしょうね」
「スパイスカレーの流れで、次にこれが来るんじゃないか、みたいなものってあるんですか?」
「今だったら、中華とカレーの融合。麻婆豆腐とカレーの中間みたいなものも出始めてます。僕自身も自分でカレーをつくってますけど、カレー粉を小さじ2~3杯入れたくらいじゃ、ジャンに負けてカレーが消えちゃうんですよ。ジャンはスパイスより強い」
「ジャンはスパイスより強い(笑)」
Namba Shilow(本名K.Y.)さん(@365curry)がシェアした投稿 –
「『うまいバランスはどこにあるのかな』って考えていたら、実際にそういうものが出てきたので、必然的な流れなんでしょうね。カレーを深掘りしていくと、みんな同じような思考回路になるんだなって感じました」
「そういうカルチャーはやはり南場さんが言ってくれたように、カレーが自由だからこそ成り立っているっていうことなんですね」
「それはあるんでしょうね。インドカレーやジャパニーズカレーライスがハイカルチャーだとしたときに、もっと自由な発想で『カレーってこういうもの』という枠組みを取っ払って、自己表現できる。カレーだからこそ、既存のシステムから逸脱した存在をつくれる」
「おおお。まさにそれってストリートカルチャーですね」
「そうかもしれません(笑)」
「南場さんは、いつまで毎日カレー生活をやるかって、考えることあるんですか?」
「なんだろう。もちろん死んだら終わりだし、あとは入院しちゃうとか」
「入院して食事制限があったら終わる可能性ありますね」
「あとは、誘拐とか」
「誘拐!? この時代、なかなかされないですよ」
「ははは(笑)。止める理由が、ホントそれくらいしか見つからないんですよ」
「ぜひ死ぬまで続けて欲しいです」
「でも僕はカレーに関するうんちくや知識を語りたいわけではなくて。何より、毎日食べていなくたって、いろんな考え方やカルチャーを抜きにしても、カレーってめちゃくちゃ美味しいじゃないですか」
「美味しいです」
「お母さんのつくったカレーも美味しいし、富士そばのカレーも美味しいし、カレーパンも美味しい。だからこそ、その中からどんな多様性を見出すか、自分好みのカルチャーを見つけるか、どうやっておもしろがるかなのかなって考えてます」
最後に少し触れましたが、南場さんが取材中に繰り返し言っていたのは「カレーに関する知識の自慢をしたいわけではない。語ることを目的にしたくはない」ということ。
10年半も毎日カレーを食べていれば、「俺はめちゃくちゃカレーに詳しくて、誰よりもカレーのことを知ってるんだ」と自慢しても、全然おかしくないと思います。
しかし、南場さんはそういった態度を一切見せず、淡々と穏やかにカレーの魅力をたくさん語ってくれました。そういった精神こそ、カレーの持つ自由で多様性を認めるカルチャーそのものなんじゃないかと感じます。
今回はストリートカルチャーという価値観にフィーチャーして取り上げましたが、あるひとつの価値観や考え方にとらわれず、食べる人を驚かせるようなカレーを、今後より深く掘り下げていきたいと感じさせられた時間でした。
写真:小林 直博
こんにちは、ライターの根岸達朗です。
僕がいま手にもっているコレ、なんだかわかります?
はい。タマネギですね。
実はこのタマネギ、スーパーなどでは買うことができない固定種のタネから育てたものなんです。え……スーパーでは買えない? どゆこと? という人も多いと思うので、簡単にご説明しますね。
固定種というのは、目的の品種(ここではタマネギ)をつくるために、代々同じような形質を示す植物の集団をタネ屋さんが何世代にもわたって掛け合わせたもの。いわゆる伝統野菜と呼ばれるものは、この固定種であることが多いです。
これに似ている言葉として、在来種があります。これはある地域の気候風土や栽培環境に順応した品種のこと。タネ屋さんが固定種をつくる際の掛け合わせのもとになっています。
これらのタネを使うと、育つスピードやサイズはバラバラですが、味が濃くてとても個性的な野菜ができます。さらに、タネを採って毎年再生産することもできます。
固定種の新三浦大根
一方、スーパーなどに出回っている野菜の多くはF1種(Filial 1 hybrid)といいます。
同系品種の掛け合わせである固定種とは異なり、それぞれ違う品種の親同士を掛け合わせてつくる雑種の一代目なので、そのまんま一代雑種とも呼ばれます。
特徴は、かたちや大きさが揃っていること、育ちが早いこと、たくさんの量を収穫できることなどが挙げられます。味は固定種よりも薄く、食べ応えが柔らかです。
では、どうして違う品種を掛け合わせて、そういう野菜ができるのか。それは、遺伝子の形質が出やすい方を「顕性」、出にくい方を「潜性」とする「メンデルの法則」によって、雑種の一代目だけ両親の顕性形質(昔は優勢形質と呼ばれてた)が引き継がれるから。逆に二代目以降は潜性形質が現れます(見た目も味もめちゃくちゃな野菜ができちゃう)。
つまり、F1はもう一度育てるためによいものを選抜してタネを採っていくという、昔ながらの育種ができないのです。そこが今回の記事の大きなポイントのひとつです。
どちらも自然界に存在するタネであることには違いないですし、どちらもあっていいものです。
でも、今世界の農業のスタンダードはF1であり、このままいくとそれだけが世界を完全に掌握して、昔ながらのタネがなくなってしまうのでは? と危惧している人も近頃は増えているんですよね。
たとえば、ジモコロで以前記事になっていた、山形県鶴岡市の「マッドサイエンティスト農家」こと山澤清さん。山澤さんは、日本中から固定種のタネを集めてシードバンク(種の保存)をしていましたし……
世界に目を向ければ、マイクロソフトの創業者であるビルゲイツも、多額の資金を投入して、北極に「世界の終末」に備えた種子貯蔵庫をつくっています。
……なんかみんな危機感抱きまくってるように見えるんですけど、タネを守らないと、僕たちの未来はどういうことになっちゃうんだろう……。
うーん。気になる……気になりすぎる……。
誰か、タネのことを教えてくれ〜〜〜!!!!
はい。というわけで、やってきたのがこちらのお店。
埼玉県飯能市にある種苗(しゅびょう)店「野口のタネ」。家庭菜園向けの在来種・固定種を専門に扱うタネ屋さんです。
こちらの店主・野口勲さんは、伝統野菜消滅の危機を感じ、固定種のインターネット通販や店舗での販売を行いながら、全国各地で講演も行っているタネ業界の有名人。
そんな野口さん、実は異色の経歴の持ち主。それは、よーくお店を見てもらうとわかるんですが………
ほらこの絵。
どこかで見たことありません!?
そう、あの火の鳥です!
野口さんはなんと、日本を代表する漫画家・手塚治虫の名作『火の鳥』の初代編集者だったのです。
野口さんの膨大な手塚治虫コレクション。全著作が揃っているとか
『火の鳥』といえば、生命とは何かを問う超本質的漫画。その編集者が今はタネ屋さんをやっている。そして『タネが危ない』(日本経済新聞出版社)という本まで書いて、タネのピンチを世に訴え続けている……。
これはもう、相当すごいおじさんに違いありません。
生命の歴史を通じて、動物と植物は手を携えて進化してきた。
動物は植物を食べ、植物は動物の助けを借りてタネを生み、移動を委ねて、生存圏を拡大してきた。そして私たち人類の文明も、植物栽培によって生まれた。人類の歴史は植物栽培の歴史であると言っても過言ではない。しかし今、人間と植物の長い協調の歴史が、崩れさろうとしている。人々が何も知らない間に、タネが地球生命の環の中から抜け落ちようとしている。(『タネが危ない』より)
みなさん、準備はいいですか?
タネのヤバすぎる話、始まりますよ。
話を聞いた人:野口勲(のぐち・いさお)
野口のタネ・野口種苗研究所代表。1944年生まれ。全国の在来種・固定種の野菜のタネを取り扱う種苗店を親子3代にわたり、埼玉県飯能市にて経営。伝統野菜消滅の危機を感じ、固定種のインターネット通販を行うとともに、全国各地で講演を行う。著書に『いのちの種を未来に』『タネが危ない』、共著に『固定種野菜の種と育て方』等。家業を継ぐ前には、漫画家・手塚治虫氏の『火の鳥』初代担当編集者をつとめた経歴を持つ。
根岸「野口さん、今日はよろしくお願いします。最近、タネのことが気になるようになりまして、今日はあれこれと野口さんにお話を聞かせていただきたく……」
野口「立ち向かいようがないよ」
根岸「え……?」
野口「立ち向かいようがないの。あなたひとりがタネのことを気にするようになっても、世界の流れは変えられません。これは工業社会すべてに関わる大きな問題ですからね。それに抗ったところで潰されるだけですよ」
根岸「潰されるって……ええと、何の話でしょうか?」
野口「ああ、ごめんなさいね。うちは普通のタネ屋さんじゃないんですよ。いきなりこんなことを言って驚いたでしょう」
根岸「いえ……(驚いたけど)」
野口「これからタネの話をゆっくりと始めていくけれど、まず、前提の話をするとだね、今世界の人口が70億人でしょう。これが100億になるためには、タネを品種改良して、もっともっとたくさん収穫できる野菜や穀物をつくる必要があるわけです」
根岸「ふむふむ」
野口「で、みなさんが普段食べているF1の野菜というのは、そういう流れのど真ん中にあるものなの。それがなければ世界の人口はまかなえないし、経済も成り立たなくなっている、というところまではいいかな?」
根岸「あ、はい。世界の人口をまかなうためにはF1が必要と……」
野口「そう。でも、僕がこの店で売っている固定種のタネというのは、そういう世界のスピード感に合わせたタネではありません。たくさん収穫できるようなものではないし、育ちも遅い。かたちもバラバラ。だけど、味はいいし、なにより多様な個性がある。そういう自然のタネなんです」
根岸「自然のタネ」
野口「うん。そういうタネで家庭菜園をやって、自分で食べるための野菜を育てて、それでタネを採って、そのタネを次の世代に引き継ぐということを僕はやってほしいわけです。それをしていかないと僕たちはどうなるか」
根岸「どうなるんですか……」
「滅亡するでしょうね。あと50年で」
根岸「ええええ!? あと50年で……!?」
野口「うん。それがはっきりするのが、そうだな、2世代……ちょうど今生まれたばかりの子どもたちが大人になる頃かもしれないなあ」
根岸「うーん。でも、世界の人口ってまだ増え続けてますよね。滅亡といってもそうすぐには……」
野口「あのね。今人口が増えてるのって、アフリカ大陸だけなんですよ。もちろんひとことにアフリカといっても、地域によって違うんですが、概ねそうだと思ってくださいね。で、その一方、僕らが暮らしている北半球の文明圏というのは、軒並み人口が減っています」
根岸「そうなんだ……」
野口「なんで減っているのか。それは食いもんがよくないからだと僕は思っているんですよ。自然なものを食えば、ちゃんと人口は増えるはずなんです」
根岸「自然なものを食べる……」
野口「そう。そうすれば、ちゃんと子どもができますからね。でも、今は子どもが生まれない。それはなぜかといえば、ひとつに男性の精子の数が減っているからというのがある」
根岸「ああ。それはなんか聞いたことがあります……実際どのくらい減ってるんですか?」
野口「1940年代には男性の精液1mlのなかに精子が1億5千万いました。それが平均値ですね。でも、現代人の平均値は4000万以下。40%以下になっています。これはアフリカを除く、世界中がそうなっているといわれています」
根岸「えええ。40%以下……! 人類の歴史を考えても、直近80年だけでそこまで減っちゃってるのは……」
野口「まあ、その原因が食べ物であると証明されているわけではないんです。ただ、僕はタネ屋なので、その食べ物のもとになっているタネが気になる。F1ではなくて、固定種・在来種の昔ながらの自然のタネで育てた食べ物を食べていれば、そんなことにはならないんじゃないか、と思うからです」
根岸「うーん。だからといってF1を食べないというわけにもいかないですよね。農家さんもそれを消費者が求めるからつくるんでしょうし、みんながF1を中心に生活しているという現実があるわけで」
野口「そうですね。いくら味がよくても、かたちが悪かったり、育ちがバラバラの野菜だとお金にならないのが今の時代です。決められた箱のサイズに揃えて入れないと市場だって受け付けてくれませんからね。だからみんなF1で規格どおりの野菜を大量につくり、それを大量に売りさばいて何とか生活を維持している」
根岸「大変な時代ですね……」
野口「そう。金にならないことなんて誰もやらない時代なんですよ。そうやって農業も効率化を突き詰めていった。その結果、誰もタネを採らなくなったんですね」
野口さんが見せてくれた『野菜出荷規格ハンドブック』。トマトやキュウリなど、あらゆる野菜の出荷規格が書かれている
野口「でも、本当にそれでいいのかと思うのはね、以前うちのタネで人参を育ててみたいという農家さんがいてね、その人にタネを譲ったんだけど、あんたのところのタネで育てた人参は野ねずみが食うから困るって。F1の人参は同じ畑でつくってもねずみが絶対食わないから助かるって言うんだよね」
根岸「その農家さんにとっては、商品にならないのは前提としてダメであると……」
野口「そういうことだね。つまり、今みなさんが食べている人参というのは、自然の生き物であるねずみが食わない人参ということなんですよ。でもそういう人参が市場には求められているから、農家はそれをつくらざるを得ない」
根岸「うーん……」
野口「で、その市場の客というのは8割が外食産業です。外食産業はとにかく自分たちの仕事に都合がいい野菜を仕入れないといけない。だからそれを市場に要求する。市場はそれを生産している産地に要求する。産地はそれをタネ屋に要求する。その第一の要望が、味のない野菜をつくってくれ、ということです」
根岸「ええ!? 味がなくていいんですか?」
野口「味付けは化学調味料を使って、我々がやるからいいと。なまじ野菜に味があるとレシピが狂うからっていうんだね。で、第二の要求が、雑菌のつかない野菜にしてほしいということ。それでいうと、昔はきゅうりにもイボがたくさんあったけど、今のきゅうりにはないでしょ?」
根岸「ああ、そうですね。ツルツルしてるのが多いかも」
野口「イボがあると突起に雑菌がつくし、除菌にも手間がかかる。だから、いっそ無くしてくれということなんですよ。そうやって野菜のかっこうというのが、企業の理屈によってどんどん変わっていくんです」
根岸「なるほど……。企業は宿命として金を稼がないといけないし、たくさん稼ぐためにはたくさんつくってたくさん売りさばかないといけない。効率化も進めないといけない。そうした要請を満たすためにも今のF1があって、それなしではもう成り立たない世界になっていると……すごい話だ」
野口「と、まあ、まだまだ話したいことはあるんだけど……ひとまずお茶でも入れましょうかね。君はたばこは吸うかい?」
根岸「あ、はい。一応喫煙者です」
野口「そう。僕もたばこを吸うから、喫煙者がくるとホッとするんだよね。自然のものを食べなさいなんて言ってるけど、僕は体に悪いことは何でもやってきてますからね」
根岸「ははは……(どう返せばいいのかな……)」
野口「僕のたばこを一本あげよう」
根岸&野口「(ぷかぷか……)」
根岸「(たばこ吸いながらインタビューするの初めて……)。ところで野口さん。今年4月に種子法が廃止されるという話がありますね」
野口「うん」
根岸「この法律って、戦後の食料自給を支えるために、国が主要農作物であるコメ、麦、大豆の種子生産や普及を管理してきたものですよね。それが廃止されることは、タネ屋としてはどうなんですか?」
野口「そりゃ、タネ屋としては賛成ですよ。だって、これまでコメ、麦、大豆に関しては全部国がやるからお前たちは手を出しちゃいかんと言われてきたんですから。70年もですよ」
根岸「そうか。タネ屋としては、これまでダメだと言われてきたタネも売れるようになる……でも、それが廃止されるということは、外国からもタネが入ってくるということじゃないですか?」
野口「ああ、そりゃあもうたくさん入ってくるでしょう。たとえばアメリカのバイオ企業『モンサント』のタネとかね。モンサント知ってる?」
根岸「以前、WIREDで『完全なオーガニック野菜』というのをモンサントがつくろうとしているという記事を読みました。すごいこと考えるなあと思いましたけど……」
野口「いろんな意見があることを承知の上で言いますけれど、彼らはミトコンドリア異常で子孫をつくれない雄性不稔のF1を世界に広げようとしているわけです。子孫がつくれないということはつまり、タネを採取できないということ。彼らはそうしてタネの技術を独占して大儲けすることを考えているかもしれません」
根岸「独占して大儲けか……」
野口「昔は世界中の農家が自分でタネを採取していました。だから、いち企業がタネを支配するなんてことはできなかったのです。でも、今の農家はF1で効率的に稼がないとやっていけない。タネだって採らずに買った方がいいわけです。だから、モンサントのような企業がどんどん大きくなっていく」
根岸「野口さん的にはあまりそれはよろしくないと考えているわけですね。でも、現実にモンサントのような外国企業のタネはこれからどんどん入ってきます」
野口「はい。だからそんなタネは買わないでほしいと思っています。現代のテクノロジーで生み出されたタネではなくて、昔ながらの方法で引き継がれた固定種・在来種のタネを守ることが、人類にとっては大切なことだと僕は思うからです」
根岸「でも、モンサントのタネはさておき、F1そのものに関しては、高度経済成長を支えてきて、それなりの役目を担ってきたものだと思います」
野口「もちろん。だから僕はF1は否定しないですよ。否定はしないんだけれど、みんなが食べ物は買うもので、タネも買うものだと思っているような状況についてはちゃんと考えないといけないと思っています。それにこれからは今以上に、雄性不稔のF1が増えていくでしょう。それが人体に及ぼす影響も心配していますしね」
根岸「雄性不稔……そのあたり、もう少し詳しく教えてもらえますか?」
野口「わかりました。ここから僕の講演資料をお見せしながら説明をしましょう」
野口「いいですか? これはそもそもの話なのですが、F1というのは雑種で、つまり別々の親の掛け合わせでできているのです。植物というのは雌雄同体だから、放っておくと自家受粉してしまうんですが、それをさせずにF1の交配種をつくるには、除雄(じょゆう)といって雄しべを摘み取る作業が必要なんですね」
根岸「除雄、なるほど」
野口「ただ、この作業がとても手間がかかる。だから、その手間を省くためにも、もともと雄しべがなくて花粉がつくれない雄性不稔の植物を利用できないか、ということが世界では研究されてきました。で、1940年代にアメリカでこの雄性不稔を利用したトウモコロシやタマネギ、ニンジンが開発されました」
根岸「はい」
野口「ただ、この雄性不稔というのは、先ほども言いましたがミトコンドリア異常なんです。ミトコンドリアというのは生命エネルギーの源で、その遺伝子は母親から子どもにだけ伝わります。雄性不稔は男性機能がない、人間でいうところの無精子症のような植物なので、その子どももまた無精子症になるのです」
根岸「ふうむ……野口さんはそのミトコンドリアが異常をきたしている野菜を食べることが、人体に影響を与えていると考えるんですね」
野口「そうです。ここからは私の仮説ですが、ミツバチがそれを教えてくれているような気がしています。というのも、1960年代から20年ごとに大量のミツバチが忽然と姿を消す現象がアメリカで発生しているんですね。死骸が巣のまわりにあるわけでもなく、忽然と、消えるんです」
根岸「20年ごと、ですか。何だか不気味な現象ですね」
野口「そう。この減少が最初に起こった1960年代というのは、雄性不稔のF1タマネギ種子が販売開始された1940年代から約20年後にあたります。そこからなぜか20年おきにこの現象が起きている」
根岸「へええ……」
野口「ミツバチというのは、全米で雄性不稔株の受粉に使われていたと考えられるんですが、私はこれ、雄性不稔の蜜や花粉を餌にして育ったミツバチが無精子症になったんじゃないかと考えています。それによって、巣の未来に絶望したハチたちがアイデンティティを失い、集団で巣を見捨てて飛び去った」
根岸「ほおお……」
野口「これについては、ホームページにも詳しく書いてあるので、よかったら読んでみてください。僕はミツバチに起こったことは、同じ動物である人間にもきっと起こると思っています。そのときに世界中の食料作物がみんな雄性不稔になっていたら、取り返しがつかないことになると思いませんか?」
根岸「……でも、野口さん。今、世界は雄性不稔の研究をさらに進めて、より効率的に作物を生産していこうという流れではないのですか?」
野口「そう。日本も世界もあらゆる育種学の現場は、どうやって雄性不稔を見つけるか、それをどうやって別の植物に取り込むかを一生懸命研究しています。だからこんなことを言っているのは僕だけなんですよ」
根岸「世界で野口さん、ただ一人……!」
野口「でも、もしこれから人口がどんどん減って、子どもが生まれなくなって、それはそういうものを食べているからだと誰かが証明したときに、どこかに自然のタネが残っていないと、もう僕たちは復活することができないでしょう」
根岸「じゃあ、北極にある種子保管庫はひとつの希望に……」
「あれは壮大な無駄に終わると思うなあ」
根岸「ええー!? ビルゲイツがんばってそうでしたよ!?(会ったことないけど)」
野口「一度、代謝を止められた命というのはそう長くは生きられないんですよ。だから僕は今からでも、自分で食べるものは自分でつくるようにして、少しでもタネを採りながら、それを次の世代につなげていこうと言っているんです」
根岸「そうか……」
野口「昔のタネっていうのは、一粒万倍(いちりゅうまんばい)といって、すごい力があったんです。一粒のタネがあれば、1年後には一万粒に増えるし、2年目には一億粒になる。3年目には一兆粒になって、4年目には一京粒になる」
根岸「おお」
野口「そういう無限の命を持っていたのが昔のタネなんです。だから、それがどこかに残っていれば、もう一度文明を元に戻すことができる。人間だってかつての健やかさを取り戻すことができると、僕は信じているんです」
人間が命をつないでいくためには、タネを未来に向かって採り続けなければならないという野口さんの哲学。そして、人間の精子が減少している原因は、雄性不稔のF1野菜にあるという衝撃的な仮説……。みなさんはどのように捉えましたか?
世界の大きな潮流とは異なる野口さんの言葉をにわかには受け入れがたいと感じた人もいるかもしれません。僕も正直、戸惑いを覚えました。
でも、僕がそうして戸惑いを覚えたのは、自分にタネの知識がないからということだけではなくて、タネに関わる多くの人たちが自分なりの「正しさ」なかで、最善を尽くして生きているんだろうなあと感じたことの方にあったかもしれません。
世界の育種学の現場では、それが人類のために有益だと考える、ある種の「正しさ」のなかで日夜研究が進められています。
その一方で、野口さんのように昔ながらのタネを残し、引き継いでいくことに未来があると考える「正しさ」もあるのです。
僕にはどの「正しさ」が真実なのかを問うことはできません。でも、この世界にもし真実といえることがあるのだとしたら、それは自分のなかにしかないということも、みなさんに考えてもらえたらうれしいと思うのです。
野口さんは現在、固定種・在来種のタネの重要性を訴える講演会を全国各地で開いています。タネ屋としての矜持がほとばしる野口さんの話は刺激的で、多くの示唆に富んでいます。みなさんも興味があれば、ぜひ自分なりの「正しさ」を探しに足を運んでみてください。
ではまた!
写真:小林 直博
●「ポテン生活」とは?
ギャグ漫画界の新鋭・木下晋也が描く、の~んびりして、クスッとしてしまう8コママンガ。独特の中毒性から、10巻までの単行本は大きな話題になりました。ジモコロでは、そんな「ポテン生活」から、おもしろかった話を毎月2本、選り抜きでお届けしますよ!
聖子~!!!!
明菜~!!!!
たのきん~!!!!!!!!わたしはマッチ派~!!
どうも、80年代大好きライター、みらいです。
私は今、昭和歌謡曲バーというオアシスに来ています。
町田ヒットパレード
住所:町田市原町田6-18-2 アークビルB1F
電話番号:042-785-5202
営業時間:19:00~翌日4:00
昭和80年代のカルチャーって本当に素敵ですよね!
といっても、私は1993年生まれ。リアル世代ではありません。そんな私がなぜ80年代大好きなのかと言えば―
ハイこれ!
どうですか?
どうなんですか???
私、気合いを入れておしゃれしても、周囲からは「古い」と言われてしまうんです。
でもこれ、古いんですか?
私が「おしゃれだな」「素敵だな」と思うものって、80年代のアイドルみたいに、女の子らしくて、かわいくて、守ってあげたくなる……そういうものなんです。文句あります!?
そんな私にとって、80年代はまさに憧れ!
あぁ、松田聖子さんと同じ時代を生きて、その魅力について同級生と語り合いたかった!
リアルでその時代を生きた人は、どんな青春を送ってたんだろう?
もっと80年代のことを知りたい!
というわけで、昭和歌謡曲バー『町田ヒットパレード』で営業企画部長を務める小原直子さんに話を聞いてみます。
小原さんにとって80年代はまさに青春真っ只中! 憧れのアイドルは松田聖子さんと堀ちえみさんだったそうです。
なお、ジモコロ副編集長のギャラクシーも、80年代ドストライク世代ということで、話に参加してもらいました。中森明菜のファンだったそうです。
「今日はよろしくお願いします! 80年代と言えばアイドル全盛期ですよね。当時のアイドルは今と比べてどう違ったんでしょうか」
「今はアイドルというと、AKBみたいに団体が多いですが、当時はピンの人が多かったですね。一人ひとりが個性的で、歌が上手かったイメージです」
「だってあの頃、よく『松田聖子は歌がヘタ』って言われてたからね」
「えーっ!!あんなに上手いのに!」
「今聴くと僕も上手いと思いますが、あのレベルでヘタって言われる時代だったということなんですかね」
「聖子ちゃんは『ちょっとオンチな方がアイドルとして可愛い』から、あえて下手に歌ってた……という説もありますね」
SEIKO STORY?80’s HITS COLLECTION?
「小原さんは聖子ちゃんが一番好きなアイドルだったんですか?」
「根っからの聖子ちゃんファンです。今も毎年欠かさず武道館のライブに行ってます。ちなみに、よく娘を連れて行ったせいか、今では親子二人でファンになりました(笑)」
「わー、羨ましい! 私も聖子ちゃんが憧れの女性(ひと)です! ルックスも最高なんですが、なんと言ってもまず、歌が良いですよね! 松本隆、細野晴臣、松任谷正隆といった豪華な作詞家・作曲家がついていたというのも、もちろんあるんですけど、あの甘い声と魅力的な歌い方あってこそではないでしょうか。そして、いつだって“皆のアイドル聖子”を演じるプロフェッショナルな生きざまがかっこよくて、私の永遠の憧…………」
※注:読まなくても大丈夫です
「うるせぇ!」
「まあ、語りたい気持ちはわかります(笑)」
「申し訳ありません、我を忘れてしまいました。というわけで小原さんは聖子ちゃんファンだったそうですが、ギャラクシーさんは誰のファンだったんですか?」
「あえて一人挙げるなら、中森明菜ですね。背伸びしたい年頃だったんで、ああいう、ちょっと不良っぽくて色っぽいお姉さんに憧れてました。歌詞も大人びてて、衣装も歌い方もエロかったなぁ……」
「アイドルを邪(よこしま)な気持ちで見るのはやめてください」
「他には、杉浦幸が好きでした」
「あぁ!『ヤヌスの鏡』とか『このこ誰の子?』(どちらも当時流行ったドラマ)とかに出てた人! 彼女が出るドラマは全部ヒットしてましたね」
杉浦幸 30TH ANNIVERSARY コンプリートCD+DVD BOX
「あと、流行に敏感な子はキョンキョン(小泉今日子)が好きでしたよね。店に来るお客さんの中でも一番人気だと思います」
「今でこそショートカットのアイドルは珍しくないですけど、当時はすごく衝撃的だったのでは?」
「クラスですごく話題になりました。あれ、事務所に黙っていきなり髪を切っちゃったらしいですね。そういう、奔放で自分を持ってるところが、女子にもウケてたんです」
コイズミクロニクル?コンプリートシングルベスト1982-2017?
「やばい、永遠に喋っていられる……」
「そういうバーです」
「当時は今と違ってネットなんてなかったわけですよね? 好きなアイドルの情報はどうやって集めてたんですか?」
「明星(現:Myojo)とかの雑誌を買ったり、番組表を調べて出演番組をチェックしたり、ファンクラブに入ったり……」
「ファン側から、かなり能動的に動かないと、情報は入ってこなかったわけですね」
「今って、歌番組のトーク部分も長いし、本人のブログ、SNSなんかで、アイドルの日常生活すら簡単に知ることができますよね。それは、彼女たちを身近に感じることができるという良さもありますけど……」
「うんうん、あの頃はそうじゃなかった。アイドルって別世界の住人でしたよね」
「そう、身近に感じるなんて恐れ多いカリスマだった。だからこそ、想いが強く募ったのかもしれません」
「ブラウン管の中にしか存在しない、生きる伝説だったんですね。私も、80年代アイドルたちの“天上人”感に、惹かれる部分はすごくあります」
「昭和の歌謡曲は、今の若者が聴いても心に響くと思います。あの頃の曲の良さって、言葉にするとどういう部分なんでしょうか」
「メロディや歌詞がシンプルで、覚えやすいっていうのが、まずあると思います。あと、単純に聞き取りやすいですよね」
「確かに! 歌詞カードがなくてもすぐ覚えられる!」
「詞もストレートだから、共感しやすいんですよね。今のアーティストが、昭和の曲をカバーすることもあるじゃないですか。シンプルだからこそ、どの世代にも受け入れやすいのかなって」
「エグザイルの『銀河鉄道999』とかですね。良い曲は世代を超えるんですね……!」
「80年代には憧れを感じているんですが、当時を生きたリアル世代としては、80年代ならではのマイナスの部分があったのではないでしょうか?」
「ありましたよ~! やはり何かにつけ、情報が少なかったというのが大変でした。例えば曲の視聴もできなかったから、レコード屋でジャケットだけを見て買ったりしてね」
「ジャケ買いってやつですね。そう考えると、ネットで当たり前に視聴ができる今の時代は、ジャケ買いとう概念がほとんどないですね」
「あとは、本人の顔がわからないというのもあった。レコード屋の店頭で『杉山清貴&オメガトライブ』の歌を聴いた瞬間、声に一目惚れ(?)しちゃったことがあって―」
杉山清貴&オメガトライブ 35TH ANNIVERSARY オール・シングルス+カマサミ・コング DJスペシャル&モア
「『どんな人が歌ってるんだろう』ってジャケットを見ても、海の写真がプリントされているだけ……歌っている人の顔が写ってなかったんですよ。今ならネットで検索すれば一発ですけど」
「神秘のヴェールに包まれていたわけですね」
「結局、声の魅力に抗えずレコードを買って、『きっとこういう人が歌ってるんだろうな』って想像しながら過ごしてました。実際にテレビで本人を見て、印象と違ったのでびっくりしましたが」
「それは、良い意味で?」
「…………何がですか?」
「わかりました。ありがとうございます」
「いや、コンサートにも行くくらいファンになっちゃたんですけどね。今でも大好きなミュージシャンです」
「ネットがないと、アイドルや歌手との出会い方もドラマチックですね! 今は情報が多すぎて、偶然の出会いから遠ざかってる気もしますね。情報が少ないって、ひょっとして良いことなのかも?」
「情報量が少ないと、クラス全員が同じ話題を共有できるので、それは良い面だったかもしれません。『昨日のベストテンで聖子ちゃんが1位だったね』とか、『明菜の衣装が可愛かった』とか、誰とでも話せた」
「知らない人とでも共通の話題があるって、すごく羨ましい!」
「確かにね。当時は透明な下敷きの中に、好きなアイドルの写真を挟むのが流行ったから、下敷きを見ればそいつの好きなものは大体わかるんです。気軽に『お前も明菜が好きなん?』って話しかけられたな」
「ありましたね! 私も『明星』とか『平凡』(どちらもアイドル雑誌)から、自分の好きなアイドルを切り取って、下敷きに入れてました」
今は一人ひとりの趣味が細分化されて、話題を共有することって、あまりないですよね。
知らない人同士でも、同じ話題で盛り上がれる……そういう、“世代全体の一体感”って本当に羨ましい……
と、ここで常連さんが来店されたので、お話を聞いてみました!
80年代世代は、本当に共通の話題で盛り上がれるのでしょうか?
左が、『町田ヒットパレード』がオープンした直後から通っているという常連さん
「80年代はちょうど高校生だったな。僕はキョンキョンが好きだった」
「やっぱりキョンキョンは大人気なんですね!」
「高校時代、まだ素人の女子高生だった小泉今日子を、駅で見かけたことがあってね。素人なのに、当時すでに、可愛い子がいる!って有名だったんだよ。その後スター誕生でアイドルとしてデビューして、『やっぱり』って思ったな」
「普通の高校生だった頃のキョンキョン、私も見たかった……!」
「男性アイドルだと、吉川晃司が好きで、髪型を真似してましたよ。肩パット入れて」
「吉川晃司は僕も憧れてました。背が高くてカッコよかったなぁ。当時流行ってた『TO-Y』っていうマンガにも、吉川晃司をモデルしたキャラクターが出てた」
「哀川陽司ね(笑)」
「吉川晃司は、センスも個性的でオリジナリティがありましたね」
「(マジで知らない同士で話が合ってる……)」
「この店に来ると、あの頃の青春時代を思い出すんだよなぁ。この曲を聞きながら、好きな子にラブレターを書いたなーとかさ」
「手紙をハート型とかに折って、『to~さん』とか『Dear~さん』とか書いてね」
「あ、書いてた書いてた! 当時付き合ってたヤンキーの人に書いてた」
「どこの『ホットロード』だよ」
『町田ヒットパレード』のカウンターには、昭和のお菓子がズラリ。これだけでもすでに懐かしさ爆発です
「当時の若者には、どういうファッションが流行っていたんですか?」
「クラス全員が聖子ちゃんカットでした」
「いや、真面目に訊いてるんです」
「嘘みたいだけど本当です。私の卒業アルバム見ます?」
ドサッ
ドーーーン!!
「うわぁっ! ページが聖子で溢れてる! 本当に、全員聖子ちゃんカットだ~!」
「だから言ったじゃないですか。当時は、石を投げれば聖子に当たるって言われてました」
ちなみにこれが当時の小原さん。可愛い!!
「今も昔も、学生は制服を改造するものですが、今みたいにスカートを“短くする”子はほとんどいなかったです。むしろ、長くするのが流行ってた」
「“スケ番”と、“ぶりっ子”っていう、正反対のものが同時に流行ってたんだよなぁ」
「ぶりっ子志向の女子は、パステル調のトレーナーをよく着てましたよね。それで、袖をこうしてた」
こう
「してたしてた!」
「してた! アニメの女性キャラクターも全員それしてた!」
「全然分かんない。リアル世代の人には『あるある』なのかな。『町田ヒットパレード』に来ると、こういう話が無限にできるんですね。客層としてはやっぱり40~50代の方が多いんですか?」
「そうですね、世代ど真ん中の方が、懐かしさから店を訪れて、当時の話題で盛り上がったりしてます」
「知らない人同士でも、『俺もこの歌好きだったよー』とか『私もこのレコード持ってたな』とか言ってね」
「私のような小娘が入っていっても怒られません?」
「私も店を始めてから驚いたんですが、若いお客さんもよく来てくださるんです。昭和の曲が好きで歌いに来たり、当時の話を聞きに来たり。みらいさんみたいに、ここに来て『懐かしい』て言ってくれるんです」
「へー! リアル世代じゃないのに『懐かしい』って感じるのは、なんだか不思議ですね」
「私にはその気持ちが分かります。世の中が複雑になりすぎてて、疲れてる若者が多いんですよ! だから、昭和のシンプルで温かい曲を聴くと、安心するんですよね」
「若い人から見ても、今の時代って複雑なんだ? みんなが便利さを使いこなしてるのかと思ってた」
「だって、みなさんは、今の時代の複雑さとかスピードに、何十年もかけて慣れてきたんですよね? でも、今の子は生まれた時からいきなりこの複雑さだったわけで。ついていけない子は、最初からずっとついていけないって状態ですよ」
「めっちゃ理解した」
「今の子も大変なんだ……」
「では、疲れた時にはいつでも居らしてくださいね。会社の先輩や上司を連れてくるのもおすすめですよ!」
「なるほど! 昭和世代の上司を連れてきたら盛り上がるし、気に入られそう! そんな賢い使い方があったなんて!」
「次は客同士として盛り上がりましょう」
「ありがとうございます! まだまだ語り足りないので、絶対また来ます!」
というわけで、今回は大好きな80年代の魅力を探るべく、昭和歌謡バーに来てみましたが、いかがだったでしょうか?
話を伺っているうちに、改めて感じました。あの時代のシンプルさやストレートさ、そして温かさを!
だから私は80年代のことが好きなんだって!
これからも、落ち込んだり悩んだりした時は、80年代歌謡曲を聞いて日々を生きていきます。
この記事を読んで、昭和歌謡曲の魅力が、私と同世代の人にも伝わったら幸いです。その暁には、一緒に昭和歌謡曲バーで歌い明かしましょう!
きっとマブい時間を過ごせるはず!
以上です。ありがとうござました。
(おわり)
町田ヒットパレード
住所:町田市原町田6-18-2 アークビルB1F
電話番号:042-785-5202
営業時間:19:00~翌日4:00
料金:
男性1時間2000円・その後延長1時間1500円|3時間セット4300円
女性1時間1500円・その後延長1時間1000円|3時間セット3300円
『町田ヒットパレード』は、時間内飲み放題で、懐かしの駄菓子も食べ放題。金・土・日は混み合うが、平日ならゆっくり静かに飲めるかもしれないとのこと。懐かしの昭和歌謡を聞いてカラオケを歌って、みんなで盛り上がりましょう!
こんにちは! ライターのよわ美です。
皆さんはこれまでに「師匠」を持ったことはありますか?
学校の先輩や会社の上司はいても、「師匠」がいたという人は少ないと思います。
「働き方改革」「副業推進」が謳われるこの2018年に、師弟関係なんて古臭い……と感じる方も多いはず。
でも最近、あえて「古典的な師弟関係」を求める若者がいるのです。
かくいうわたしがその一人。ライターになりたくてもスキルがなく、書く技術を教えてくれる師匠のような存在が欲しいとずっと思ってきました。
会社員として働きながら、尊敬できる大人になかなか出会えず「成長するために本気で怒ってくれる存在がほしい」と話す同世代の友人もいます。
そんななか、私は幸運にも今年からプロの編集者の下で学ぶことになりました。そう、初めての師匠ができたのです。ですが……
「師匠と弟子って何? どんな関係?」「上司や先輩とはなにが違うの?」
と、わからないことだらけ。
そんな時に出会ったのが『自分を壊す勇気』という一冊の本でした。
こちらの本を書いたのは、落語家の立川志の春(たてかわ・しのはる)さん。
大手商社に勤めるエリートサラリーマンから落語家へ転身された、異色の経歴の持ち主です。
ちなみに志の春さんの師匠は、NHK『ガッテン!』の司会者としても有名な立川志の輔(たてかわ・しのすけ)さん。
落語においては、師匠に弟子入りするしかプロになる方法がありません。そこで志の春さんは安定した会社員という立場を捨て、志の輔さんの元に26歳で弟子入りしたのです!
『自分を壊す勇気』には、落語の師弟関係が次のように描かれています。
“俺を快適にしろ。俺を快適にできなくて、お客さんを快適にできるか”
“徹底的に師匠の身になって考える”
ちょっと待って、師匠と弟子の関係、濃すぎじゃない?
わたし、もしかして大変なことになるのでは…?
本のタイトルの『自分を壊す勇気』も不穏に聞こえてきました……弟子になると壊されちゃうの……?
ということで、いてもたってもいられず「弟子の大先輩」である立川志の春さんに会ってきました。
師弟関係の意味から「自分を壊す」とは何か、そして「現代の若者が本当にやりたいことへと踏み出す方法」まで、色々お伺いします!
1976年、大阪府豊中市生まれ。幼少時代と大学時代の計7年ほどをアメリカで過ごす。アメリカのイェール大学を卒業後、三井物産に3年半勤務。偶然見た立川志の輔の落語に衝撃を受け、弟子入りを決意。2002年、三井物産を退社し、立川志の輔に入門。古典落語と新作落語の両方を演じる他、カルチャーとしてではく、純粋なエンターテインメントの1ジャンルとして「英語落語」の活動も行う。
「さっそくですが、師弟関係について教えてください。師匠と弟子という関係があまり理解できていないので……」
「そうですね。僕が実際に経験した落語界での話になりますが……一言でいうと、弟子にとっての師匠は唯一無二の絶対的な存在です」
「会社でいう上司と部下の関係ではなく?」
「うーん、僕にもサラリーマンの経験がありますが、少し違うかもしれません」
「と、いいますと?」
「プロの落語家になるための唯一の方法は、プロの真打(※)の師匠に弟子入りをすることだけなんです。上司は部署異動で変わることもありますが、師弟関係の場合には、指導いただく相手はずっと同じひとり。師匠が社長であり人事責任者でもあります」
※真打……落語界の身分のひとつであり、前座→二ツ目→真打の順に昇進する。落語の高座で主任(トリ)を勤めることができる、実力のある噺家のことを指し、落語家の敬称である「師匠」と呼ばれるようになる。
「じゃあ、もしその一人の師匠にクビになったら……?」
「もうプロの落語家になることはできません」
「ええ!? 全ての判断権が師匠の手にあるんですか! 常に失敗できない緊迫感がありますね……」
「僕は、弟子入りしてしばらくは失敗して『向いてないからやめちまえ!』と怒られてばかりでしたけどね(笑)。『自分が本当にやりたいことかどうか慎重に見極める』ことと、『誰を師匠とする』のかがものすごく重要になります」
「この人を師匠にと決めたら、どんな風にして弟子入りをするのでしょうか?」
「弟子入りの方法に、特にマニュアルやルールはないです。ちょっと前だと直に行ってお願いしたり手紙を書くのが主流でしたけど、今だったらSNSやメールなど連絡するツールも増えていますね。それで相性が合えば『弟子入り』できます」
「大事なのは、自らしっかり想いを伝えるということなんですね」
「弟子入り前~その後の修行期間で、師弟関係において何より大切なのは、弟子が常に『能動的な姿勢』でいることです。弟子志願の瞬間から、マニュアルがない実践型の学びがスタートしますので」
「……でも師匠ってお忙しいですよね。弟子を取ることで師匠にも少しくらいメリットがあったりするのでしょうか?」
「いえ、弟子を取っても師匠は一文の得にもなりません。赤の他人を育てて、結果的に商売敵を1人増やすことになります。だから師匠は弟子を取らなくてもいいんです」
「割に合わないのに、なぜ弟子をとるのでしょうか……?」
「師匠たちも、誰かの弟子として修行をして今があるからだと思います。前の世代から受けた恩を返すためや業界の未来のことを考えて、次の世代の育成を引き受けてくれているんです」
師弟関係とは…
・弟子にとっての師匠は唯一無二の絶対的な存在
・弟子入りする前に「自分が本当にやりたいことかどうか慎重に見極める」ことと、「誰を師匠とする」かが重要!
・師弟関係の学びに「マニュアル」は存在しない。だから弟子は能動的に学ぶことが大切!
会社とは違い、自分に関する全ての判断権を師匠ひとりが持っていることにはなんともいえない緊張感を感じます。
ただ、その緊張感こそが、自ら学び続ける弟子の姿勢をつくりだすのかもしれません。
それにしても、そんな厳しい世界に飛び込んで得られる学びやメリットってなんなのでしょうか?
「落語家になりたくて師匠に弟子入りする方は、以前より減ってるんでしょうか?」
「おそらく増えてます。今って、落語家の総数としては過去最大っていわれてるんですよ」
「過去最大! なんだか意外です」
「考え方によると思いますが、この『師弟関係』って古いように見えて、実は新しい関係性と言えると思うんですよね」
「??? どういうことでしょうか?」
「学校や会社では、教えてくれる人がはじめからいますよね」
「そうですね……学校には先生がいて、会社には上司や先輩がいました」
「そんなふうにはじめから整えられた受け身の環境とは異なり、自分から『弟子になりたい』と伝えて、はじめてスタートできるのが師弟関係なんです」
「!」
「師弟関係では、自分が選んでついていきたい人と結ぶ濃い関係から学びを得ることで、やりたいことを叶えていけます。そういう意味では、関係づくりの過程を含め、現代においては新しい関係なのかなと」
「確かに今は、ネットを通じて色々な情報やノウハウを知る機会は圧倒的に増えているはず。一定レベルの技術なら、それらしく学ぶことも可能ですよね。そこをあえて弟子入りするというのは師匠との関係性を求めるからなのか」
「実際、落語業界でもネットで師匠の動画を見てそのまま弟子を志願する方がいます」
「動画から弟子入りですか!? なんだかすごく今っぽい……」
「生でしか得られない感動や学びはもちろんあるんですけどね。でもそれだけ、弟子入りの方法も多様化しているのかなと思います」
「師弟関係=古典的な関係と決め付けていました。実際は次世代へ文化を伝えていくため、時代に適応していく柔軟性があるんですね……」
「話が変わりますが、志の春さんって素敵な名前ですよね。春って、四季の中でも、明るくて何かがはじまる予感のする季節なのかなと思います。名付け親は志の輔さんですか?」
「そうです。弟子入りして1年3ヶ月が経ったころ、27歳の大晦日にいただきました」
「由来もその時に聞かれましたか?」
「いや、実は師匠から直接聞いたことはなくて。でもテレビでアナウンサーの方に聞かれて答えてらっしゃるのは見たことがあります」
「うわー! それはドキドキしますね。で、どんな由来だったんですか?」
「えーその時は……」
「忘れたって…言ってましたね……」
「つらい。ワクワクしてたのに」
「僕もテレビの前でガクーンでしたよ。まあ、でも名前の由来はなんとなくが多いみたいですよ。師匠は『どんどん志の春になっていくから不思議だよな』と言っていましたね」
「そもそも師弟関係を築くにあたり、名前をいただくことには何か意味合いがあるのでしょうか?」
「名前をいただくということは『今までの自分をすべて捨てる』ということ。僕がアメリカ育ちで商社勤務だとか、過去の小さな成功体験全てが、名前をいただいた日から何の価値も持たなくなりました。『そんなもん捨てちまえ』と」
「ひええ……過去を全て捨てる……!」
「みんな、自分のことを好きですから。できることならば否定したくありませんよね」
「できることなら……」
「僕も元々『自分はこのままでいいんだ、他人に言われて何かを変える必要なんてないんだ』っていう根拠のない自己評価の高さがあって。自力で自分を変えることは不可能に近かったので、それをドリルのように壊してくれる存在が必要だったと思います」
「ひとつ、そもそもなことをお聞きしたいのですが」
「どうぞ」
「自分を壊すってどういうことなんでしょうか? 『壊す』って正直怖く思いますし、自分の過去や特性を肯定して活かすことは前向きで良いことのような気もするのですが」
「そうですね、例えば弟子入りする理由ってどんなものがあると思います?」
「弟子入りする理由は……プロとしての技術を身につけたいから」
「うんうん。プロとして必要な技術って、例えば?」
「ええと例えばライターだったら、より物事を他者へわかりやすく伝える力。落語家さんだったら、お客さんの頭の中に、ストーリーを描かせる力とか……?」
「それに必要なものは何なんでしょうねぇ」
「どちらも他人へなにかしらを伝えることが必要だから……あ、もしかして……」
「はい」
「プロとして必要なのは、客観性?」
「そうです。自分の今までのアイデンティティ全てを壊すかわりに、他人の価値観をトレースする。究極的な言い方をすれば『自分の中に師匠を入れる』ことで、プロとして必要な客観性が身につく。そうやって、『客観性を養うこと』が『自分を壊すこと』だと思います」
「なるほど……! 修行中に自分以外のもうひとつの価値観の軸を身につけて、新しい自分になっていくと」
「本にも書きましたが、どれだけ壊しても自分というものは絶対になくなりません」
「そうなんですか?」
「それくらい自分は強いんです。最初は自分を否定するのは怖いことかもしれませんが、」
「とりあえず1回くらいは壊しても大丈夫です」
「なるほど……! 経験されてる方の言葉は心強いです……!」
「それから現代の若者が技術を学ぶ際に、弟子入りする大きなメリットはもうひとつあると思っています」
「聞きたいです!」
「SNSで『バズる』という言葉がありますよね」
「はい! 『いいね』の数が多い記事は、それだけよく読まれた人気記事だと感じますね」
「そこなんです」
「???」
「よく読まれる記事と良い記事は、常にイコールではないですよね?」
「!」
「僕の時代にはSNSもそんなに流行していませんでしたが、今の若者は知らない他者からの評価を受けやすい社会に生きています」
「確かに『いいね』やリツイートなんて昔はなかったですもんね」
「そんな時代に、弟子になる大きなメリットのひとつは評価を受ける対象が師匠ひとりに定まること。それによって、マスの評価に踊らされず、本質的な技術や基礎力を身につけることに集中できると思うんです」
「マスの評価ですか」
「はい。技術がないにも関わらず大きな評価を受けたりすると、そこから曖昧な基準に振り回されてしまうかもしれません」
「マス=不特定多数なので、何がウケるかわからないですもんね……目に見えない『バズ』に振り回されることに」
「それに対して、どれだけお客さんに褒められたって、SNSで拡散されたって、師匠に駄目だって言われたらそっちの方が大きいのが師弟制度なんですよ。師匠は『絶対的な存在』なんです」
「なるほど。確かに何が正解かよく分からない時代だからこそ、絶対的な基準がひとつあることは大きな武器になるんですね」
「そう考えると、若者みんながそれぞれに師匠を持った方がいいんでしょうか……?」
「正直、タイプによると思います。師匠という存在に縛られるのがデメリットだと感じる人もいると思いますし。結局、大切なのは自分がどうなりたいか、そのために何が必要かを考えて行動することです」
「落語の場合は師匠に弟子入りするのが絶対にして唯一の道ですが、他の職業を目指す場合、師匠を持つのはあくまで『選択肢の中のひとつ』ですもんね」
「そうですね」
「でも、やっぱり絶対的な判断基準が欲しい! と師匠を求める場合……身近な環境で師匠を見つけることって難しいんでしょうか。会社で運よく師匠みたいな人に出会えたら幸せだと思うのですが」
「そうですね、僕はだれでも師匠になりうるとも思うんですよ」
「と、言いますと……?」
「例えば僕は大学時代にラグビーをやっていたんですが、後輩にものすごくタックルがうまいやつがいたんです。パスは普通だし走るのも速くないけど、タックルに関してはもう圧倒的に抜きん出ていて……」
「おお」
「その後輩に『タックルを俺に教えてくれ』って弟子入りできてたら、もっといい選手になれただろうに、当時の僕にはその頭が全くなかったんです」
「なるほど、師匠を見つけられるかどうかは不要なプライドを捨てて、とにかく教わろうとする姿勢にかかっていると」
「はい。あとは日々の中でそういう存在に出会っていきたいなら、やっぱり行動力ですかね」
「日々の行動!」
「落語家やライターを目指して弟子入りする以外でも、人生の師のような尊敬できる大人に出会いたい若者は多いのかなと。であればとにかく外へ出かけて、“きっかけ”に出会っていくようにすればいいんだと思います」
「大切なのは、たくさんの機会に触れたり経験を積もうと動くことなんですね」
「はい。それは何かを頑張りたくてモヤモヤしているけれど、そもそも『本当にやりたいことが何か分からない』人が、答えに出会う突破口にもなると思います」
「やりたいことに出会う時も、それを叶える時にも、必要なのは直感と情報収集、そして行動の繰り返しなんですね。……あと最後にひとつだけ、お伺いしてもいいですか?」
「どうぞ!」
「志の春さんにとって、師匠ってどんな存在ですか?」
「難しい質問ですね。一言でいうと……一番近くにいるのに、ある意味一番遠い存在です」
「!? 近いのに遠い……?」
「例えばファンの方や他の師匠についているお弟子さんには、師匠はすごくお話してますし、にこやかに接するんですよね」
「はい。いつもTVでもにこにこと優しそうです」
「対して僕は、日々同じ空気を吸ってはいるけれど、客席から師匠を見ることもないし、自分の落語の感想を師匠に聞くなんてことも絶対ない」
「そうなんですか!? せっかく近くにいるのに直すべき点について、詳しく教えてもらえないのでしょうか……?」
「そうですね。合理的に考えたら遠回りで非効率なように思うかもしれませんが、師匠はそうやって姿勢や背中で弟子に考えさせてるんです。マニュアルは思考停止になりかねません」
「そういえば弟子入りする方法にも、マニュアルやルールはないということでした」
「そのような教育法が、技術だけでない『魂』のようなものの継承にまで繋がるのかなと……濃い師弟関係で学ぶ日々は、AIやロボットには決して踏み込むことのできない、生身の人間にしか味わえない世界なのではないかと僕は感じています」
「弟子の後輩として、とても勉強になりました! 弟子修行、頑張りたいと思います。本日はありがとうございましたー!」
現状から一歩踏み出したいとモヤモヤしている若者の背中を押してくれる『自分を壊す勇気』。読みすすめていくごとに「自分が本当にやりたいことはなにか」と、自分の本心にとことん向き合わされます。
幸いなことに今は、行動さえすれば、選択肢がたくさんある時代。
だからこそ、自分の本当にやりたいことを見つけたら、マスの評価に踊らされず、他人の顔色や雑音に振り回されることなく、後悔しない行動をしたい。
そんなことを、「自分を壊す勇気」と今回のインタビューを通して改めて考えました。
ということで、『自分を壊す勇気』は「本当にやりたいこと」への葛藤を抱えながらもがいている若者全員におすすめしたい1冊です。
興味が湧いた方は、ぜひ読んでみてくださいね。以上、よわ美がお届けしました~!
こんにちは。ライターの斎藤充博です。今日来ているのは秋葉原のレトロゲームショップ「スーパーポテト」。
ここ、ただの中古ゲームショップではありません。ビルの3階から5階までがスーパーポテトになっていて……。
3階から4階までレトロゲームが売られまくっています。ずらっと並んだソフトは壮観!
ファミコンの実機も大量にあります。持ってみたら「これ中に何も入ってないんじゃないの」ってくらいスッカスカに軽い。たしかにファミコンって軽かったよなあ……。
スーパーファミコンもたっぷりある。これを買ってもらうのに当時どれだけ苦労したか……!
ロックマンのトートバッグなんてのもある。ほしい。
「ロックマン3」発売時のポスターが展示されています。貴重な資料ですよね……。
5階は駄菓子屋とゲームセンターになっていて、
ストⅡ(ストリートファイターⅡ)ができたり、
(余談ですが僕はダルシムを使います。だってあんなにリーチの長いキャラ現実にいたら最強に決まってるじゃないですか)
ブタメンを食べたりできる。ノスタルジーの大博覧会のような場所なのです。やばい。これ何時間でもいられるな……。
「もうすべてが懐かしいな……。泣けるわ……」
「はあ……。ファミコンとかスーパーファミコンは僕にはぜんぜんわかんないすね……」
アシスタントに来てくれた編集の友光だんご君。いまいちテンションが上がりきっていない様子です。
「これなんですか?」
「ディスクシステム知らないの? ゲームをフロッピーに書き込むことができる。スーパーにゲームの書き込み機が置いてあって……」
「ああ……。知識として知ってはいますね」
「ディスクシステムの『スーパーマリオ2』がものすごいむずかしくてさ。ステージの難易度もキツいんだけれども、マリオとルイージで性能が違ってて、ルイージの動きが異常。ダッシュした後にぜんぜん止まれないの。初心者のスノーボードみたいな。あれのせいでルイージがいまだに好きになれないんだよな……」
「はあ」
ものすごい早口になってしまいました。だんご君理解してないだろうな、ルイージへの不信感。
「ヤベ~~~!!! RFスイッチだ!!!」
「なんですか?」
「ファミコンとテレビのアナログアンテナをつなぐ機械。誰が使うんだよ!!! こんなの!!!」
「喜んでいるのか怒っているのかどっちかにしてほしいです……」
「『ドラゴンボールZ強襲!サイヤ人』これものすごくやった」
「キャラゲーですね」
「昔のドラゴンボールのゲームって、独特なカード式RPG。移動にも戦闘にもカードを使う方式で、かなりストレスがたまったな……。なんであんなシステムだったんだろう。それでもドラゴンボールのストーリーを原作に忠実になぞっているものだから、やらざるを得ないのね。ずっと後にスーファミで格闘ゲームの『ドラゴンボールスーパー武道伝』っていうのが出たんだけれども、あのときはものすごく感動したな……。悟空を自由に動かせるんだって……」
「悪口の上に説明が長い」
「あっPS one(※2000年に発売されたPlayStationの小型機)だ! ファミコンは全然わからないんですが、僕はこのあたりからが世代ですね」
「僕は逆にプレステ(PlayStation)くらいまでが世代かな。最近ニンテンドースイッチを買ったのを機に、またゲームをやりだしてるけれども……」
「プレステの名作『ポポロクロイス物語Ⅱ』! 知りませんか? ドット絵のグラフィックとホンワカした世界観が最高なんですよ!!!」
「やったことないな……」
「プレステで一番やったのは『テーマパーク』だな~。遊園地を経営するゲーム。園内のフライドポテト屋さんの塩味を強くすると、来場者の喉が渇いてジュースがたくさん売れるっていう……。でもジュースが売れすぎると、トイレが混み合って、クレームが来る……。フライドポテトの塩味をどうするかが、キモのゲーム」
「それが遊園地経営なんですか……?」
「そういわれると違うかもしれない」
なんでだろう。当時長い時間を掛けてやっていたやっていたゲームなのに、うまく説明できません。本当に面白かったんだけどなあ……。
レトロゲームには値段も高い物から、安い物までかなりの差があります。なんでこんなに差があるのか。店長の北林さんに話を聞いてみました。
「中古ゲームの値段ってどういう風に決まるんでしょうか?」
「基本的には需要と供給のバランスですね。例えば『高橋名人の冒険島Ⅳ』はファミコン最後のソフトなので、製造された数が少ない。それは値段が上がるんです」
「逆にドラクエとかファイナルファンタジーなどは数が多いですからね。どうしても安くなります」
「一般的な物の値段の決まり方と同じですね。ただ、ゲームって本質は『データ』じゃないですか。ドラクエやファイナルファンタジーの値段は、現行ハードで遊べる復刻版が出ているのも関係がありますか?」
「それはそんなに関係ないですね。スーパーファミコンミニが最近出ましたが、その中の収録タイトルが値下がりするようなことはないです」
「ゲームの『データ』ではなくて単純に『モノ』としての価値ってことなのか……」
「そうだと思います」
「ちなみに、スーパーポテトさんで一番高いゲームってどれですか?」
「一番って言われるとむずかしいですが、『キン肉マン』や『オバケのQ太郎ワンワンパニック』のゴールデンカートリッジですかね」
「ずばりおいくら?」
「これは展示してあるだけの非売品なんです。価値がありすぎて値段を付けられません。でも値段を付けるとしたら×××万円くらいかなあ……」
「×××万円!」
「あ、でも数字は記事には書かないでください。書かれてしまうと『その値段で売ってくれ』という問い合わせがたくさん来てしまうんで……」
「なるほど……」
「ほかに珍しい物だと藤田まことさんの直筆サインが入った『必殺仕事人』があります。これも売れません」
「これは貴重だ……!」
「『キャット忍伝てやんでえ』が4,480円。けっこう高いですよね。小学生の頃に2,000円くらいで買った記憶あります」
「これはここ10年で爆上がりしていますね。たしか10年前は1,600円くらいで売っていたと思います」
「爆上がりとかあるんですね!」
「ありますね。これに関しては明確な要因はないんですが、この値段で買う人がいますからね」
「好きなゲームが値上りしてるの、なんかうれしいな……」
「『魂斗羅(コントラ)』なんかもここ10年で値段が上がりましたね。海外のお客さんに人気があるんですよ」
「47,000円!」
「北米版のファミコンは日本のファミコンと互換性がないんです。だから、買ってもプレイできないはず。それでも売れますね」
「他にも海外で人気のゲームってありますか?」
「『ファイナルファンタジー』や『クロノトリガー』ですかね。ここらへんはバンバン売れていきます。買っていく人みんなが日本語を読めるとは思えないので、完全にファングッズとして買っているんだと思います。ちなみに同じようなRPGで言うと『ドラクエ』は全く人気がありません。『桃太郎伝説』も売れませんね」
「『桃太郎伝説』を買っていく外国人がいたらマニアックすぎますよ……」
「そういえば店内に外国人のお客さん多くないですか? 観光客向けのガイドブックに載っているんでしょうか?」
「ガイドブックに載っているという話は聞いたことがないです。ただ、うちは日本よりも海外で有名ですね。みんな調べて来るんです。それだけ日本のゲームが人気があるってことだと思いますよ」
「ちなみに、北林さんが個人的に好きなゲームってありますか?」
「『アイギーナの予言』ってゲームが好きなんですよ。意味不明なゲームなんですが」
「意味不明? クソゲーってことですか?」
「クソゲーなのかどうかすらさえ、よくわからないです。とにかくプレイヤーが主体的に動かないといけなくて。ノーヒントの場所で『3回ジャンプすると次のステージに進める』みたいなのがあるんです」
「(それはクソゲーじゃないのか……?)」
「小学生のときに持っていて、むずかしくてクリアできなくて。それでつい何年か前にクリアしたんです。攻略サイトを見ながらやりました。普通にやっていたら1000年かかってもムリですよね。はっきりいってつまんないゲームですよ。でも好きです」
「(つまんないって言い切った)」
「『アイギーナの予言』うちで安く買えるんで、ぜひ買ってやってみてください。ホントひどいゲームですから!」
「好きなゲーム」を語ってもらおうとしたのに、悪口しか出てきません。でもそれってよくわかる。僕も好きなレトロゲームを語るときにはやっぱり悪口みたいになっちゃいます。
レトロゲームって古い友達みたいなものかもしれません。お互い悪口を言い合いながら絆を深めてゆく関係性のような。
「ちなみに北林さんって最近のゲームはやりますか?」
「ぜんぜんやらないですね。なぜかやる気にならなくて。スマホのゲームもほとんどしません」
「生粋のレトロゲーム好きですね……」
「あ、でもこの間初めて『ダークソウル』をやったんです。あれは本当にメチャクチャおもしろいですね。ビックリしますよね!」
レトロゲームは『好き』で、最新ゲームは『おもしろい』。僕もそうです。最近スーパーファミコンミニを買ったんですが、結局ニンテンドースイッチでばっかり遊んでいるんだよな~。
「スーパーポテトさんで売ってほしいゲームってありますか? せっかくだから記事で呼びかけてみたらいかがでしょう?」
「何が欲しいっていうのはないです。むしろ全部欲しいです。たとえば、汚れてしまってゴミ同然に扱われているスーパーファミコンでも、ウチは2時間かけてきれいにします」
「2時間! だから店頭に並んでいるスーパーファミコンあんなにピカピカだったのか……」
「ソフトだって一つ一つ、きちんとタイトルを見て値付けをします。単純に古いから買い取れないってことはありません。そこはレトロゲーム専門店としてキチンとやっていきます」
「さすがだ……」
「東京の秋葉原という場所ですからね。世界中からお客さんが来てくれます。どんなゲームだって商品になりますし、売る自信がありますよ!」
「頼もしい!」
昔やったことのあるゲームを見つけるたびに、思い出がいちいちよみがえってくる。ゲームって時間を費やしますよね。あのころの時間がそのままカートリッジに封印されているような。
「モノ」としてのゲームが残っているって、すごくステキなことなんだなって思います。
さて、取材は終わりましたが、僕はもうちょっとここで遊んでから帰ります! 憎いルイージをひさしぶりに体験してみるか……。
取材協力:スーパーポテト