よく自動車教習所で見る、交通安全のルールを教えるビデオ。テキストだけではつかみにくい内容でも、わかりやすく理解できる。
しかしあのビデオ、いったいどうやって作っているのか︎ いろんな疑問が湧く。
・そもそもどんな人たちが作っているの?
・台本は誰が作るの?
・どうやって撮影するの?
・警察から協力を受けているの?
・出演者さんは、いったい何者なの?
・なんで「あの車追い越してよ」って、彼女が彼氏をあおるシーンがあるの?
あらゆる映像作品の中でもっともその正体が知られず、作るところさえ想像しづらいもののひとつだ。ならば、取材して真相を知りたい。
そこで、映像制作会社の株式会社キノックス代表取締役・熊田英明さんにお話を伺った。
教習映像が生まれたのは1970年代
辰井「そもそも、自動車教習用の映像が最初に作られたのは、いつごろですか?」
熊田「1970年代の後半くらいとされていて、おそらく一番最初に制作した会社は教習映画センターじゃないかな」
辰井「そんな会社があったんですね」
熊田「その後、うちの販売元であるテクニカAVもできたんだけど、当時は数社しか作っていなかったね」
自動車学校用の教材などを制作するテクニカAVから発注を請け、キノックスが教習ビデオを制作する
キノックスでは映画やテレビ番組から販促用の動画まで、さまざまなジャンルの映像を制作している
辰井「キノックスさんではこれまでに、どれくらいの教習映像を作ってきたんですか?」
熊田「少なくとも100本以上は作っているかな」
辰井「カタログを読むと、DVD1本で6万円とか9万円とか。結構なお値段ですね」
熊田「でも、たしかフィルムの時代は18万円だったよ」
辰井「これでも、だいぶ安くなったんですか。一般向けにたくさん売れるわけじゃないから、適正価格なんでしょうね。ちなみにブルーレイもありますか?」
熊田「ブルーレイは汎用性が悪いので少ないな。今はDVDよりも、PCやタブレット向けにデータでの販売がメインだね。これからはオンラインでの教習も始まるみたいだよ」
新しいビデオを作るきっかけは「法律改正」
辰井「どんなチーム体制で、どんな順序を経てビデオを作るんですか?」
熊田「まず、道路交通法が改正されるときには必ず新作か改訂版をつくることになるね。新しい法律に則した内容の映像を用意しなければならないから」
辰井「交通法が改正されるたびに、新しい映像づくりがスタートするんですね」
熊田「あとは古い映像だとリアリティがなくて説得力に欠けるから、古いものから順にリニューアルしている。だいたい毎年、決まった時期にテクニカさんから『今年度は教習課程○番と○番についてのビデオを作りましょう』と発注がくるよ」
辰井「たしかに教習所で新しい映像が流れると、うれしかったですね」
熊田「そこから制作会社でいろんな会議をして、まずはシナリオライターが台本を作る」
辰井「ええ、シナリオライターさんまでいるんですか?」
熊田「うん、たとえばふだんは映画やドラマの物語を書く人や、テレビの放送作家をしている人がシナリオライターを担当しています」
辰井「意外だ、ちゃんと話づくりのプロに依頼するんですね」
熊田「でも、やっぱりそこは教育用映像だからね。初心者ドライバーが理解しやすいような説明の仕方や工夫を盛り込むために、監修のテクニカさんと何度も打ち合わせを重ねて台本を完成させるんだ。テクニカさんもこだわりが強いから、5~6稿まで書き直すこともある。これが大変だよ、なかなか撮影に入れない(笑)」
辰井「シナリオライターのうめき声が聞こえますね(笑)。制作魂のぶつかり合いだ」
熊田「あとは監督がいて、現場で撮影さん、製作部や助監督さんがいる。1チームで4~5人かな」
辰井「気やすく考えていましたが、しっかりと映像作品を作る体制なんですね」
熊田「もちろん! 教習ビデオといっても、ひとつの映像作品だからね。いっさい手は抜きません」
辰井「撮影を担当するのはどんな方ですか?」
熊田「キノックスでは本職が映画監督の人が撮影することが多いね。他社ではCM畑の人も多いと聞きます。私が前にいた会社では、元日活の映画の監督とカメラマンが、教習用の映画を作っていてね」
辰井「日活、かつての大映画会社ですよね。というか『教習用の映画』とは?」
熊田「昔の教習所では、16mm映写機から映画で上映していたの。ビデオに変わってきたのが20年位前だね」
辰井「ビデオになったのは、だいぶ最近なのか!」
カメラはドライバーの顔の真後ろに置く?
辰井「撮影で苦労することはありますか?」
熊田「たくさんある。特にロケーションと天気だな。やっぱり晴れの方が明るくて映えるし、交通状況が見えやすいから、基本的に雨の日は現場を休みにせざるを得ないんだ」
辰井「たしかに、ビデオに雨の日ってあまりなかった気がします」
熊田「だけど逆に雨の日を狙うこともあるし、霧や大雪の画が必要なときもある。気象条件がそろうまで撮影日や時間を調整するのは大変だね」
辰井「自然を相手にしながら演者やスタッフの方を集める大変さを想像すると、ゾッとします……」
熊田「免許をとったら雨の日でも雪の日でも、夜にも運転することがあるだろうけど、教習所に通っている間に全ての天候条件で練習するのは難しい。だから、そのための疑似体験も教習ビデオに必要な役割と言えるね」
上からのアングルは、かなりの高さから撮る
辰井「ちなみにどんなところで撮影するんですか?」
熊田「車の通りが少ない郊外が多いね」
辰井「警察が協力して、交通規制をしてくれるんですか?」
熊田「そんなわけがないよ。道路使用許可を地元の警察に申請して、安全確保の方法なども説明した上で撮影するんだ」
辰井「正攻法だ。警察の全面協力を受けているのかと思っていました」
熊田「そんなものないよ。だから撮影は新宿や渋谷みたいな都会じゃ絶対にできない。あとは道路上を映像で映すから、ペイントがきれいな道路がいいね。ほかにも安全地帯のある路面電車の停留所とか環状交差点とかを求めて、他県まで出張撮影することもあるんだ」
最近では、ドローンを用いた撮影も
辰井「場所選びから地道なんですね。ちなみに、車にカメラはどう据え付けるんですか?」
熊田「視聴者がドライバーの目線を擬似体験できるように、ドライバーの頭の後ろに三脚で固定したカメラを構える。それはずっと変えていないね」
辰井「!? 頭の後ろにあると、頭がカメラのジャマになりそうですが……」
このように固定したビデオカメラを、頭の後ろに置くことでドライバー目線の映像を作る
熊田「首は横によけた体勢で、ずっと運転するの」
辰井「……! すっごく大変ですね」
熊田「撮影時のドライバーは社員がやるんだけど、みんな慣れているから。ちなみに他社は、みんなドライバー横の下のほうにカメラを置いて撮っているね。頭の後ろから撮るのはうちのこだわりです」
フロントガラス越しの映像は、ボンネット上にカメラを取り付けて撮影する
熊田「あとカメラの視野角は28度くらいで、距離感ともにほぼ人間の見ている視野と同じにして、見やすい車のスピード感を目指すんだ」
辰井「『人間目線』を徹底して意識されていますね」
熊田「教習生はこれから先、運転者になるわけだからね。ビデオでも主観で見せることによって当事者意識をもってもらって、『自分の目で見て安全を確保する』ことを訓練して欲しいんだ」
辰井「ちなみに、事故で通行人が轢かれるシーンがよくありますが、どう撮っているんですか?」
熊田「それはスタントチームがやってくれる。轢くほうと轢かれるほう、両方にスタントの人を用意して、うまく轢かれたように見せるためにはどうしたらいいって考えながらやってもらうんだ」
辰井「絶妙のタイミングで、あたかもぶつかってるように見えました」
熊田「うん。あとは必ずしも『自動車事故=ぶつかる』じゃないから。実際の事故も、急ブレーキをかけたら車が横転するとか、色んなパターンがあるから、そこも意識して映像を作ります」
“あるある”シーンを入れる意味
辰井「自動車教習ビデオっていうと、よく『あるある』が語られます。たとえば、ボールを追って飛び出す子どものシーンって多いですよね?」
熊田「あるよね。子供は遊びに集中してしまって、道路に出たことを忘れてしまいがち。そんなことがホントに多いんだよっていうことを、ビデオでドライバー側に疑似体験してもらうの」
辰井「あと、カップルが運転していて、彼女が『あの車追い抜いてよ』って言って彼氏が無理に追い越そうとして、対向車と正面衝突するシーンがいつも出てきますよね……!」
悪魔のささやき
熊田「あざとい見せ方だけどね(笑)。でも彼女が煽ったとしても、追い越すことを決めたのはドライバー自身でしょ? 無理な追い越しはこうなっちゃうよって理解してくれたらいいんじゃない」
辰井「『ムキになって無理して事故になる』、ダメな例として超わかりやすいですね」
熊田「『こう撮りなさい』と決まっているわけじゃなくて、映像としてどう表現すればいいかを毎回考えるんだけど、結果的にこの見せ方になる」
辰井「ある種、究極のシーンなのか!」
熊田「やっぱり無理な追い越しは、どうしてもあるんだって。だから、それを少しでも印象付けるんだ」
辰井「それだけ追い越しの事故が多いんですね」
熊田「子どもの飛び出しも、無理な追い越しも、本当に多い。実際に多く起こっているからこその”あるある”シーンだね。教本がビデオの構成での基本だから、もちろん追い越しの話は教本にも書いてあるけど。ビデオは視聴覚教材だからこそ、目と耳に訴えかけて印象付けることで啓蒙することができるんだ」
辰井「どう教本をより良くビジュアル化するかが、教習ビデオのポイントなんですね」
熊田「そうそう。どの作品も視聴者に対する『問いかけ』や『考えさせる間』をつくって、一方的にならないような工夫はしているよ」
辰井「突然『あなたならどうする?』って聞かれると、当事者意識が芽生えますもんね」
熊田「ただ、警察の協力も得なきゃならないところもある。たとえば免許証の交付や、更新のための検査をするシーンの撮影。それをする試験場は警察が管理しているから、そこは撮らなきゃなんない。でもその許可をもらうのも大変で、人脈を辿ってお願いして、ある場所で撮らせてくれている」
辰井「そんな綱渡りで撮ってらっしゃるんですね……」
「どう表現するか」にこだわる俳優たち
辰井「俳優さんも、日ごろから目をつけてらっしゃるんですか?」
熊田「教習ビデオのオーディションをやります。その中では『追い抜け、じゃあ行っちゃえ』みたいな小芝居もするよ。あとは監督さんも元々だいたい映画人だから、俳優さんのつながりで連れてくるね。最近だとツーリングの撮影をしたから、バイク雑誌の連載持ってる女優さんとかにも出演してもらったよ」
女優の望月ミキさん
女優の桜井つぐみさん
辰井「ちなみに怪演で話題になった片山享さんもそうですか?」
熊田「うん。監督と話し合いながら、もう楽しんでやっていたね」
その突拍子もない(?)演技から、ネット上で話題をさらった片山享さん
自動車教習ビデオ史上に残る、片山享さんの演技。しかも1人6役。YouTube動画も50万再生を突破した
熊田「こんなふざけていいのかなとか、心配はしたけど」
辰井「確かに、あれは賭けみたいな演技ですからね」
「自己中心的な傾向のある人」を熱演する片山さん
熊田「こういう『そんなのアリ?』って表現でも、人の性格をうまく表してるねっていう評価もあるので。教本からはみ出さずに、どう表現するかがカギだよね。最近だと少しだけセリフに方言を混ぜるような試みもしているよ」
辰井「俳優さんも、『こう演技したい』と提案をするんですか?」
熊田「うん、自分のやりたい方法、言いたいフレーズ、同じ意味でも言い換えたい言葉を模索するためのコミュニケーションは大切だから」
辰井「もっと機械的に作ってるのかなと思ったら、しっかり最良の映像表現を追求するんですね」
熊田「僕らは、機械的に作るのがいやなんだ」
外車が多い明快な理由
辰井「あと、ビデオに出るのは外国の車が多い気が?」
熊田「外車のほうがモデルチェンジが少ないからね。なるべく古い車種に見えないよう考えているんだ」
辰井「なるほど。ちなみにどんな車が使われますか?」
熊田「アウディ、ジャガー、BMWなんかを使ってきて、今ボルボに落ち着いてる。ベンツだけは使ってないね」
辰井「なぜですか?」
熊田「若い子にベンツは似合わないから」
辰井「納得の理由です(笑)」
いまどきの教習ビデオは、スマホやインスタも登場
熊田「いま『経路設計』についての新作映像を撮って、2021年春に発売予定なんだ」
辰井「見てみるとスマホも出てきますし、新鮮な試みが多いですね」
熊田「いまどき道を調べるのにスマホやカーナビを使わないと違和感があるよね。そうした違和感があると映像に没入できない。リアルなことや身近なことを題材にした方がわかりやすいし、説得力があるでしょ」
辰井「たしかに、紙の地図は最近なかなか使わないです」
熊田「教習ビデオの視聴者層は若い子たちがメインだからね。じゃ、このドライブのお話そのものを、芝居の中でもインスタにあげちゃおうよと」
辰井「劇中に出てくる女の子が上げた投稿が、実際にインスタグラムにも載っていますよね。ビデオと現実を連動した仕掛けを教習ビデオでやるのは驚きです」
熊田「いろいろ考えているでしょう?(笑)」
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学科教習用映像2-16に出演の「山崎友梨」役のインスタグラムアカウント
辰井「最後に。教習映像を作っているときに、大事にしていることはなんですか?」
熊田「今まで教習ビデオと聞くと『眠くなる』とか言われてきたけど(笑)、やっぱり運転免許証を取る時の教材映像だから、面白おかしくばっかりはできない。命にかかわることだから。交通安全のため、押さえるところは押さえなきゃ」
辰井「勉強ですからね。そんな制約が多い中でより良い表現を模索して作っていて、ありがたみが増します」
熊田「とにかく初歩の初歩の交通ルールを明確に理解してほしいだけ。教習指導員の話や教本とあわせて、イメージしづらいことや分かりづらいことを、少しでもわかってもらえればありがたいよ」