スーッ…と気持ちよく金属が吸い込まれていくこの動画、見たことはありますか?
スーッ…。
その名も「マジックメタル」。加工の切れ目がほとんど見えないほど精密に加工されているため、初めてこの動画を見たら「え、どういうこと!?」とびっくりする人が続出です。
まさに0.001mm単位の加工が求められる金属加工の世界を目の当たりにして、ジモコロ編集長の柿次郎が衝撃を受けたのが5年前。この気持ちよさを伝えたくて、gifをつくって記事とともに公開しました。
記事は2015年12月に公開されました
すると、このマジックメタルが、ジモコロの取材後に一気に全国的に知られるようになったんです。なんと、5年間「バズり続けている」!
それだけでも十分すごいですが、「あの国民的アイドルが取材に来た」「ウィリアム王子が手に取った」…!?
え、どういうこと!?
魔法…!?
ガラス越しにこんにちは。ジモコロライターのくいしんです。
マジックメタルをつくっている「武田金型製作所」(以下、武田金型)に話をうかがうために、新潟県燕三条市にやってきました。
マジックメタルをつくっている武田金型製作所の工場
今回知りたいのは、ジモコロの最初の取材から5年を経て、武田金型に何がおきたのか。
答えてくれたのは、武田修美(たけだ・おさみ)さん。武田金型の代表・武田修一さんの長男で、現在は子会社として独立した「株式会社MGNET」の代表取締役を務めています。
武田さんのお話を聞いていると、この5年間はまさに魔法の数々。マジックメタルが有名になったことで、取材に引っ張りだこ、さらに今ではあちこちで講演の場に立つことが増えたといいます。
そんな忙しい合間を縫いながら、小学生の工場見学を案内したり、高校生の小論文の内容を一緒に考えたりしているそうなんです。
その理由は、「ピエロになりたいから」。ピエロ…?
武田さんが子どもたちに時間を割き、マジックメタルを伝え続ける本当の理由。その視線の先に見つめるものは、ものづくりの未来でした。
5年間バズり続けているマジックメタルの奇跡
まずは、ジモコロで一度取材してから今までの5年間を振り返っていただきました。
「5年間で相当いろいろなことがおきたんですね…!」
「ありがたいことですねえ」
「一度のバズではなく、バズり続けているというか」
「そうなんです。バズの連鎖がまったく絶えていないんですよね」
「『バズの連鎖』ってなかなか聞かないですね」
「『めざましTV』『スッキリ』『沸騰ワード10』『世界の果てまでイッテQ!』など、これでもほんの一部なくらい、いろんなテレビ番組がかわるがわる来てくれて。マジックメタルって、すごく視聴率がとれるらしいんですよ」
「へえ〜〜! たしかに映像映えしますもんね」
「うちの社員も『事業を拡大していくと、こういうことにつながるんだ』と思えたみたいで。よかったなと思っています」
当時放送されたテレビの動画を見せてくれる武田さん(※画像を一部加工しています)
「バズり始めて、最初にどんな変化があったんですか?」
「何よりもまず、若者に届いた手応えがありました。地元の高校生や20代の若者たちに絶大なインパクトを与えたみたいで、『ジモコロに載っていたよね!』と言われて」
「それは嬉しいですね!」
「マジックメタルのことも、『あの記事のためにつくったんですか?』って聞かれたんですけど、『前からあったよ?』と(笑)」
「取材の前からマジックメタルは存在していたけれど、知られてなかったんですね」
「でもたしかにジモコロの記事で、自分たちが思っているおもしろさの10倍は伝わるようにしてもらったと思います」
「10倍ですか!」
「それでジモコロの記事を読んだ高校生がインターンとして入ってくれて、マジックメタルを撮り直してツイートしてくれたんです。そしたら次の日にはツイートを見たフジテレビや日本テレビの取材が来て、そこから5年間、ずっと取材が続いている状況です」
「あれ? ということは、本当にバーンと最初に大きくバズらせたのは、ジモコロではない…」
「まあ…(笑)」
「ジモコロの後にバズが生まれたので、編集長の柿次郎さんにも『悔しい』と言われましたね」
「言いそう〜〜!」
「でも、マジックメタルのことを初めて『おもしろい!』と言ってくれたのが、柿次郎さんなんです。あの記事がなかったら高校生のツイートもなかったし、バズの連鎖も生まれていない。だから僕のなかでは、ジモコロがいちばんです」
「柿次郎さんも泣いて喜ぶと思います」
「ジモコロのおかげで、僕たちにとってマジックメタルが本当に『魔法』の金属になりました」
「5年間解けていない『魔法』…!」
マジックメタルが若い従業員を引き寄せ、社員のモチベーションを上げた
続いて、武田さんに工場とショップを案内していただきながらお話を聞いていきましょう。
手元の金属から、「武田金型製作所」の文字が浮き出てくる…!
「武田さんがいちばん『魔法』だと感じる変化は、どこにあるんですか?」
「求人に応募してくる方に、若い世代が一気に増えたことですね。特に何をしたわけでもないんですけど、5年間で20代〜30代の社員が9名増えました。この世代が、全社員の半数以上を占めています」
「そんなに増えたんですね! その背景にあるのはもしかして…?」
「もちろん、マジックメタルです(笑)。あれで武田金型の名前を知ってくれるみたいで。入社する人はみんなマジックメタルを知っています」
「へえ〜〜!」
魔法っぷりを聞いて、思わず遠い目に
「金型屋って、自分たちのつくる商品がそのまま一般のお客さんの手元に届くわけじゃない。だから、一般的に見て『わかりやすい仕事』ではないんですよね。やりがいも見つけにくいんですよ」
「自分がつくったものがどこで売られているのか、わからないから」
「それでもマジックメタルが出たことで、若い人たちが武田金型を見つけてくれるようになって。しかも最初からモチベーションが高い人ばかりですね」
「どんな理由で応募してくれる人が多いんですか?」
「『この工場にいると、自分らしく働けそう』と思って応募してくれる方が多いです。金型職人を目指して武田金型を見つけたというよりも、マジックメタルやMGNETの発信を見て、ここで挑戦したいと思ってくれるみたいです」
「『何をやりたいか』よりも『どんな会社で働きたいか』なんですね」
「たとえば、僕の発信を見て武田金型に入社してくれた社員がいるんですよ。優秀な大学を出て、就職先として大手メーカーも視野に入れられるなか、武田金型を知って『ものづくりに当事者として関わるなら、ここで働きたい』と」
「つくり手として、ものづくりに近いところにいたかったんだ」
「でも実は、そのとき求人をしていなくて、僕の父が『今はうち、採用していないから』と伝えたんですよ。それでも何度も工場に来てくれて。結局、彼が3ヶ月粘った結果、採用になりました」
「すごい熱意!」
「マジックメタルが直接的に大きな売り上げを生み出すことよりも、巡り巡ってそうした貴重な人材が来るきっかけになっていることのほうが重要だな、と思っています」
「モチベーションの高い若手が増えると、工場の雰囲気も変わりそうですね」
「そうですね。若い人がどんどん入ってきたことで、社内の雰囲気も変わったように思います」
「どう変わったんでしょう?」
2020年の「燕三条 工場の祭典」では、1ヶ月にわたりさまざまな工場からの動画配信が行われた
「たとえば2013年に始まった『燕三条 工場の祭典』という燕三条の工場を見学できるイベントがあって。土日開催なので、当初は社員を半分に分けて希望制で土日のどちらかに出勤してもらっていたんですよ。でもだんだん、休み希望が出なくなって」
「社員のみなさんが出勤したいと思うようになった?」
「ええ。あとは休みを取って、わざわざお客さんとして工場の祭典を見に来てくれる社員もいました。僕が見学の案内をしていたら『あれ!?』って。私服の社員が見学していたのでびっくりしましたね(笑)」
「いつも働いている場所を、なんでわざわざお休みの日に見学したかったんでしょうね?」
「『自分が普段働いているところを、外のお客さんは何がおもしろいと思うのか知りたい』『お客さんと一緒に社長の話を聞いたり、仲間が働いている様子を客観的に見たりする機会がなかなかないから』と」
「ここでもすごい熱意だ…」
「マジックメタルの名前が知られて武田金型を外の人に見てもらえるようになったことで、社員の仕事との向き合い方も変わってきたと思います」
「会社の代名詞となる製品が広まると、社員さんにとって誇りになり、愛社精神も高まるってことですね」
銀座蔦屋書店と共同開発した「マジックメタルキューブ」
かつて「恥ずかしくて世に出せないもの」だったマジックメタルを通じて伝えたいこと
武田金型製作所での、普段の工場の様子
「でも実は、バズる前まで、武田金型の社長を務めている父や工場長に、マジックメタルは『恥ずかしくて出せない物だ』と言われていたんですよ」
「どういうことですか?」
「マジックメタルって、金型屋であれば誰でもできるものなんです。詳しく言うと、精度を上げるのは難しいけれど、つくること自体はどこの工場でも可能というか」
「ほうほう」
「だからジモコロの記事に取り上げてもらう前、2009年くらいに僕が動画に撮ってSNSにアップしたら『胸を張って出せる物じゃない』と父に怒られました。僕は『いやいや、これすごくない?』と思って、その後もこっそりアップしてたんですけど」
「武田さんは、ジモコロに取り上げられる前からマジックメタルのことをおもしろいと思っていたんですね」
「海外の展示会にも出していたし、いろいろな人に見せていました。だからジモコロに取材してもらった2015年までに、マジックメタルを伝えようと奮闘してきた日々があって、その後の5年でようやく伝わった実感があります。柿次郎さんが見つけてくれて『やっぱりおもしろいですよね!』と」
「積み重ねてきたものがあったから、これだけ広く伝わったんだなあ」
「ジモコロの記事が出てから『伝え方より、伝わり方』なんだと強く実感しました。最近は外で講演させていただく機会が増えたんですけど、プレゼンのなかで絶対にマジックメタルの話をするようにしていて。やっぱりジモコロのgif、すごくウケがいいんですよ』
逆再生バージョン
「子どもに話すときも経営者向けに話すときも、マジックメタルを知っている人がだいたい3分の1くらいいますね」
「お茶の間に広がってる…!」
「最近、高校生と話していて『どこでマジックメタルを知ったの?』と聞いたら『TikTok!』って。僕たちは投稿していないので、もはやひとつのエンターテインメントになったのかもしれませんね」
「まさに『伝わり方』なんですね」
「でも、僕がマジックメタルを伝えるいちばんの理由は『武田金型がすごいでしょ』と言いたいんじゃないんです」
「と、いうと…?」
「『日本の金型技術、すごいんだよ』と伝えたいんです。繰り返しになっちゃいますけど、マジックメタルはどこの金型屋でもつくれるんですよ。ああいうものこそ、日本のものづくりを伝えるために世に出るべきだと信じています」
2014年にオープンした、MGNETの運営するセレクトショップ「FACTORY FRONT」。5年前は燕三条の商品だけを取り扱っていたが、今では全国各地の商品を取り扱うように。新型コロナの影響が出る前は海外からの観光客も多く訪れ、燕三条の観光スポットになっている
ものづくりの楽しい瞬間を伝えるために、ピエロになる
名刺入れ「mgnシリーズ」は、「FOR」と名前を変更。以前は25種類あった色を黒1色に絞り、黒の素材を選べるスタイルに
「武田さんが『伝わる』ことに注力するその先には、どんな未来を描いているんでしょうか」
「子どもたちに、日本のものづくりを『おもしろい』『楽しいな』と思ってもらえることです。そのために、子どもたちにものづくりのことを知りたいと思ってもらえる環境を、必死でつくっています」
「環境づくりでは、たとえばどんなことを?」
「7〜8年前から、講演やプロジェクトを通じて街の子どもたちに関わることに注力し始めました。工場に来てくれる子どもたちの案内もしています」
「本当だ、感想が飾ってありますね」
「子どもたちの感想を見ていると、『そこに感動してくれるんだ』と僕たちも発見があって、うれしいです。マジックメタルが世に出るまでは、子どもたちがうちの工場に見学に来るなんてあり得なかったですから。その変化が嬉しくて、優先的に自分の時間を割いています」
「子どもたちへ伝えることを特に重視しているように映りますが、なにか理由があるんですか?」
「全国各地に講演で行かせていただくと、どこに行っても『うちはものづくりの街だから』と言われるんです。だからもう、『日本総ものづくりの街』だと思うですよね」
「確かに。実はほとんどの街で、何かしらの秀でたものづくりの技術があるんですよね」
「でも、子どもたちがものづくりに関わりたいと思えているか、関わらないにしても語り継いでいこうと思っているかというと、正直ちょっと疑問です」
「うーん、そうですね…。ものづくりが、子どもたちにとって『自分ごと』にまでなっていないというか」
「あとは、『押し付け』だからじゃないかなって。『知りなさい』と言うより、子ども自身が『知りたい』と思えることのほうが重要だと思うんです。だから大人が「すごいよ、これおもしろいよ」と教えてあげるよりも、『それおもしろい!』『楽しいな』と思ってもらえるものを見せていかなきゃいけない」
「全国で取材をするようになって気づいたんですけど、僕らくらいの世代って親に家業を『継がなくていい』と言われている人がめちゃくちゃ多いですね」
「仕事が大変なのは分かるし、嘘をついてはダメですよね。それでも、楽しい部分を届けていなさすぎると思うんです。『仕事は苦労するものだ』みたいな美学がありますけど、それだけを見せても『自分もやってみたい』とは思わないじゃないですか」
「本当にそうですね…」
「ずっと大変なわけじゃなくて、楽しい瞬間はいっぱいある。そういう瞬間こそ伝えていかなきゃいけないなと思っています」
「じゃあ武田さんは、日本のものづくりのおもしろさを伝える仕事をしているんですね」
武田さんが工場を案内した生徒たちからのメッセージ
「以前新潟のローカル番組で、ロンブーの田村淳さんが取材に来てくれたことがあって。休憩中もずっと僕に話しかけてくれていたんですけど、そのときに淳さんが『何回聞いても謎なんだけどさ、武田さんは、本当は何をしたいの?』って」
「すごい質問だ(笑)」
「『だって名刺入れみたいな自社の商品づくりも、言ってみれば手段でしかないでしょう?』と。そのとおりなんですよね(笑)」
「なんて答えたんですか?」
「子どもたちにものづくりを知ってほしいと思っていても、汗水垂らしてものづくりをしている様子だけ見せたら、尊いとは思うけれど、自分がつくりたいとは思わないでしょう、と」
「まさに…!」
「子どもたちが本当に憧れるのって、淳さんがこうやって来てくれて『すごいね』と言ってくれたり、社員の方が工場で働いていることを心から楽しいと感じられたりすることだと思うんですよ。だから『自分のことをピエロだと思っています』とお話しました」
「じゃあ武田さんは、ものづくり界のピエロを目指しているんですね」
「そうですね。そしたら淳さんが、『同じ仕事じゃん』と」
「うわ〜〜! 泣きそう!」
「そう言って握手してくれたのが嬉しかったですね」
「いやあ、マジックメタルが一過性ではなく、伝わるべくして伝わり続けている理由がわかるなあ。5年間バズり続けているのも納得です」
「5年という時間って、おもしろいですよね。未だに『金型屋になりたい』と言う子どもは出てきていないので、これからはそう言ってもらえる状態をつくりたいです。5年後、ぜひまた取材しに来てください」
「また来ます!!!!」
おわりに
武田さんが語ってくれたのは一貫して、「子どもたちにものづくりのおもしろさ、楽しさを伝えたい」ということ。マジックメタルが巻き起こした魔法から生まれてきたいろんなことも、すべてはそのために活かされていました。
本文中でも触れましたが、日本各地で取材をしていると、子どもに家業を継がせなくてもよいと伝えて育ててきた親は本当に多いように感じます。
親たちは子を想い、そうやって言いますが、このままでは日本の多くのものづくり文化が失われていくこともたしか。どこかで意識を変えたほうがよいんだと思います。
「そういえば、親が、親戚が、あの人が、地元でものづくりをやってたんだった。ちょっと様子をうかがってみようかな? 手伝ってみようかな?」、はたまた「燕三条に足を運んでみようかな」…、そんな風に思ってもらえたらうれしいです。
取材・編集:くいしん
構成:菊池百合子
撮影:小林直博