ジモコロの取材はいつも「自分」を試される。それまで何を考えてここに辿り着いたのか。自然、土地、仕事、家族…歳を重ねるごとに向き合う対象が増えていく。この記事はジモコロ編集長の徳谷柿次郎が、2018年時に取材した内容をベースにしながら2年越しにまとめたものである。なぜ、2年間書けなかったのか? 前半は取材当時に書き出した文章をそのまま残し、後半は俯瞰したインタビュー構成になっているのでその違いも楽しんでもらえたらありがたい。
訪れたのは北海道の道東エリア。
網走刑務所で有名な「網走市」から南へ約47km、女満別空港からも約47.5km、共に車で約50分走らせた土地にあるのが、人口約5,000人が暮らしている「津別町(つべつちょう)」だ。
真冬の厳しい時期は、平均マイナス8℃。自然に恵まれた土地ともいえるが、一年の半分をほぼ冬の気候に縛られる環境は、決して人間が住みやすい土地だとは言えないだろう。
北海道開拓から150年。その以前から営みを続けてきたアイヌ民族の文化も色濃く残る場所でもある。
なぜ人間は、あえて自然が厳しい土地に移り住むのだろうか。
なぜ人間は、自然の摂理から距離を置いてしまうのだろうか。
なぜ人間は、生きていかなければならないのだろうか。
全国の土地を掘り続けてきて6年目に突入。ジモコロ取材で突きつけられた課題が自分の中に集積し、人生のことや死生観など、ついつい顔の皺が深くなってしまうぐらい考える時間が増えていた。
その矢先に出会ったのが今回紹介する「シゲチャンランド」。ただの観光スポットとして捉えるのか。厳しい自然と向き合った唯一無二の美術館と捉えるのか。人によって解釈が大きく変わるこの場所を作ったシゲちゃんこと大西重成さんに人生の疑問をぶつけてきた。
話を聞いた人:大西重成さん(シゲちゃん)
日本のイラストレーター、造形作家。北海道津別町出身。1972年よりイラストレーターとして活躍。1979年にはハービー・ハンコックや坂本龍一のレコードジャケットのデザインを手がける。また、1990年から1995年までモスバーガー小冊子「モスモス」の表紙や本文イラストを担当し、一部は発行数が80万部に達した。その他、『ひらけ!ポンキッキ』のオープニングタイトルなど数多くのデザインを手がけている。
2001年津別町相生に私設美術館、シゲチャンランドを開設、廃材を素材とした作品を展示している。2006年、オホーツクのイメージキャラクター「つくつくオホーツクん」をデザインした。
2018年3月12日 「はじめてのシゲちゃん」
今回訪れた津別町にある芸術家の個人美術館「シゲチャンランド」は、知る人ぞ知るアートスポットとして名を馳せているらしい。なぜ「らしい」かと言えば、2018年3月に何も知らされずにただ案内されたのが知るきっかけだったからだ。
アートに明るくない自分にとって、このスポットを通して得た体験、そして強い言葉は予想だにしない衝撃の連続だった。
なんなんだろう、ここは。一体、誰なんだこのおじさんは……。
彼の名は「大西重成」。通称「シゲちゃん」だ。
鈍く暗い光を宿らせている眼光。スウェットを裏返しにして着こなし、頭には謎の宝石が埋め込まれたニット帽をかぶっている。異彩を放つ出で立ちとは印象が違って、アトリエに踏み入れた時点から朗らかに我々を迎え入れてくれた。むしろ戸惑っている我々の様子に配慮して、優しい言葉を投げかけてくれる。
ただ、目に飛び込んできた彼の作品は別次元のナニかだ。畏敬の念を覚えて、ときに恐怖すら感じるものもあった。
これは「新しいお墓」。遺灰を入れられるスペースも用意されている。
シワシワの果実が鎮座しているオブジェは「キウイのミイラ」。
話を聞いていたソファの後ろには、昭和天皇の写真を曼荼羅で囲むかのような装飾がされていた。
一度目の来訪。ここで我々は気持ちが昂ぶり、斜め上から飛び込んでくる表現の塊に心を奪われていた。そして「とんでもないヤバい人物に出会ってしまった…」という脳の警報を打ち鳴らすのに必死だった。
大変だ。大変だ。北海道の厳しい大地で、ストイックに表現活動を続けている72歳のおじさんを見つけたぞ。知る人ぞ知るなんて関係ない。こんな無防備な状態で出会う人物ではないはずだ。
シゲちゃんは、11月〜4月の冬シーズンはアトリエで制作活動に集中している。長い冬の時間を使って、自分自身の作家性、そして自然とにらめっこをして表現の根っこを掴む。
長い冬を終えて、北海道民の気持ちに高揚感が生まれる5月上旬から10月にかけて「シゲチャンランド」を開園。自らが園長として入場チケットをもぎり、長い作家人生のなかで積み上げてきた作品を楽しんでもらうサイクルで暮らしている。
正直、ジモコロ編集長として取材のギアがググっと入ったことを覚えている。本能で記事にすべきだと思った。ただ違和感があった。
厳しい冬を乗り越えて、春の芽吹きとともに開園する私設ミュージアム「シゲチャンランド」を体感しないのはダメだろう。
すぐに決めた。必ずもう一度シゲちゃんに会いに行こう、と。
この旅の最後は、網走湖でワカサギ釣りで締めた。
2018年8月25日 「シゲちゃんと再会」
あれから5ヶ月後。
思いのほか早いタイミングで北海道・道東エリアに行く用事ができた。一瞬の躊躇いもなく旅の行程に「シゲチャンランド」をねじ込んだのは言うまでもないだろう。
シゲちゃんはいた。本当にもぎりをしていた。
72歳(当時)が背負うレボリューションは圧倒的に強い。
ここで改めて説明しよう。シゲちゃんはアーティストだ。ディズニーランドみたいなノリで過去自分が作ってきた作品を大自然の中に展示する私設ミュージアムが「シゲチャンランド」である。この写真ひとつで「なんかすっげーぞ」感が伝わると思う。
チケットをもぎってくれたシゲちゃんが、そのままランド内を案内してくれた。
鹿の角を活用したすんげー椅子が置いてある。
座ってみた。思いのほか座り心地はいい。
廃材を利用したようなすんげーベンチもある。
値札を見たら1,575,000円の文字が。これ、売ってるんだ!
ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」みたいな超すんげー椅子も気になる…。
こちらは5,250,000円!宝くじ当てないと買えないよ!
シゲちゃん、そもそも買われないようにしてない!?
場所を変えて、「腕」の展示スペースへ。なんなの「腕」って。自分の胴体に2本くっついていて、身近な存在なのに改めて「腕」って言われると怖い。
「……いやぁ、すんげーですね」
自然の中にある、自然に生まれた素材を使ったアート表現。捨てられたモノや廃材を活用したアップサイクル。シゲちゃんが長い作家活動の中で着想を得た作品群の存在感はとんでもない。圧倒される。今まで感じたことのない生命力が作品に宿っている。この記事の写真からなにか感じ取ってほしいし、心が動いたら現地に見に行くしかないと思う。
圧倒され続けておかしくなりそうだったので、一呼吸して落ち着くために記念写真を撮ってみた。なんだよ、ここ。剥き出しの野生が感性を喰い殺しに来てる。あまりにも、あまりにもかっこいいよ!シゲちゃん!!
2018年8月25日 「シゲちゃんと対話」
「シゲちゃんって何者なんだろう…が真っ先に浮かぶ質問なんですけど、昔は東京で活動していたんですよね?」
「そうだね。50歳までは東京で広告関係のデザインやイラストをやっていて。ハービー・ハンコックや坂本龍一のジャケットをデザインしたり、モスバーガーの冊子やポスターのビジュアルを手掛けたり、テレビ番組『ひらけ!ポンキッキ』のロゴを作ったりとか」
1980年代にシゲちゃんが手掛けた作品(シゲちゃんの公式HPより)
「ポンキッキ!小学生のときにめっちゃ見てました。ずっと東京でクリエイティブな活動をしていて、2001年に地元である津別町に戻ってきたんですね。いまでいうUターン的な」
「当時50歳の節目を迎えかけていてね。40歳くらいからじわじわと次の節目が見えて、50歳以降で何をするんだ?っていう。残りの時間を考えるわけよ。そもそも小さい頃から何を残せるか考えてきた。ずーっと、考えてきた」
「僕も40代が見えてきて、それまでに何を積み上げていくべきか考えることは多々ありますね。シゲちゃんが考えに考えて行き着いた先が、シゲチャンランドであると?」
「うん。やっぱり自分の城が欲しくなるじゃない。自分の作品を展示して、誰にも文句言われないような場所を持つ。気づいたらここを構えて20年目だよね」
「50歳から20年間も現役で表現し続けてるんですね…。初めて友だちに連れられてやって来たときは、予備知識ゼロの衝撃でぶっ倒れそうになりました」
牧場跡地の8000坪をコツコツと4年かけてシゲちゃん自らが改修した
「捨てられたゴミや廃材を活用した作品だと聞いたんですが、どうやって作っているんですか?」
「素材は身の回りのいらないモノを見つけたり、山を歩いて拾ってきたり。そもそも表現としてはぜんぶ自分の中にあるものなんだよ。怖いものもあれば、ちょっとセクシーなやつがあったりさ。これ全部おれの中で持ってるものよ。自分の中にあるモノを正直に出して浄化させてる感じかな。自分の意思は二の次だね」
「ほおお。自分の意思を入れず、このアウトプットに繋がってるんですね」
「そうそう。目の前に素材があって、お答えを待つっていうか。結局、自然のモノをもらってるわけじゃない。なのに自分がかっこつけたり、いい思いをするのは嫌なんだよね。だから自分の抜けた歯を入れてるオブジェもあるよ」
「歯!」
「なんかお返ししないとずるい感じになっちゃうじゃない(笑)。だから歯医者行っても抜いた歯は全部もらっちゃうんだよね。そしたらすごいハマっちゃってさ」
「自分の歯が、スパーンって(笑)」
「こういうのは嬉しいよね。あと、動物の骨を機械で切るのが嫌だから、手で切ってたのよ。南無三ってまっすぐ切れるように集中したんだけど、手がサッと切れて血がドバドバ流れてさ」
「まさか…」
「ああ、良かったって(笑)。これでお返しできたって気持ちなのよね。だからあらゆる素材に出会ったらありがとうって気持ちを持てる。ゴミを生むのではなくて、ゴミをあるべき形に返してあげるっていうか」
「自然への返礼だ。現代人って自然界から贈与を受けている実感が薄れすぎてますもんね」
「アップサイクルの根っこだね。あらゆるものを拾い続けていくと『これは弱いな』『まだ使えないな』とかわかってくるのよ。カビが生えやすいとか中がスカスカとか木の質も次第にわかってくるのがおもしろい。それこそさっきも鹿の爪を拾ったんだよね」
「ラッキーって感じですか?」
「かっこいい!と思って大喜びだよね(笑)」
「モンスターハンターの素材拾いみたいでいいなぁ。それでまた自然への感謝の気持ちが芽生えて、作品に仕上げることで”返す”ことになるんですね」
「うんうん。でも、たまに扱いきれない素材もあるんだよね。素材としての力強さを感じすぎてしまってさ。その骨にどう向き合っていいのかわからなくなって。いつも目に届く範囲に置いてたんだけど、気づいたら7年ぐらい経ってたのよ」
「時間軸がすごい」
「ある日、作業してるときに硬い南部煎餅を食べていてさ。ああでもない、こうでもないと、煎餅をパリパリしながら骨を触っていたら、口に入っちゃったんだよね。歯と歯の間に骨が『カチッ』ってなった瞬間に全部見えたのよ」
「うわああ。鹿の骨と自身の骨が重なり合った瞬間に?」
「お答えが出たね(笑)」
「最高…! なんでもかんでも早く作るのが正義な時代の中で、7年の時間をかけて自然と作れるようになった話ちょっと感動しちゃいますね」
「若い時はすぐ形にしないといけないって思うけど、待つ勇気も必要だよね。手をつけない勇気っていうかさ」
「その考えは救われます」
「大きな話になっちゃうけど、地球と惑星が何年後に巡り合うとかさ。すごいサイクルのなかで生きてるわけじゃない。出会えるものもあれば、出会えないこともある。魯山人も『自分の身体の中に、その日のことも、会えないことも、わからなかったら置いておきなさい』みたいなことを言ってて、でも気にはしてるから必ず答えは出てくるからね」
「アートに限らず、自分をしっかり捉えて自己表現するのって意外と難しいじゃないですか。シゲちゃんは若いときにどんな時間の過ごし方をしてきたんですか?」
「24歳のときにたった20万円の軍資金でニューヨークに渡ったんだよね。それこそ当時は横尾忠則さんや黒田征太郎さんとかに憧れていて。彼らが影響を受けたポップカルチャーをそのまま真似ても意味がないから、ニューヨークで実生活をして学ぼうと。でも、完全に自信をなくしたんだよね」
「え、それは意外ですね」
「70年代のニューヨークは世界中からとんでもないやつらが集まっていた。ここでは言えないようないろんな出来事があってドン底の状態だったんだけど、自分の根源的な生命にまで思いを馳せて、どうにか浮上することができたんだよ」
「きっかけはなんだったんですか?」
「当時、スーパーリアリズムって表現が流行っていて。要は写真の模写だよね。自分なりのスタイルを考えて、40日間とにかく毎日毎日描き続けた。これを描きあげないと日本には戻れない。それぐらい自分を追い込んで、完成したときにそれまでの憂鬱な気持ちを抑圧することができた。これは大きなきっかけだったね」
「挫折からの這い上がりが、ニューヨークで生まれたんですね。そこまで追い込めば、自分自身の捉え方が変わりそうです」
「やっぱり自分を誤魔化すことはできないよね。自分の中にあるものを引き出して、自分で使ってあげないと誰が見てくれるの?って話じゃない。自分を好きになるのは、自分しかいないからこそ、自分を大切にしないといけないのよ」
「ああ。現代はSNSのおかげで現実の自分と虚構の自分が分かれていて、それで悩んでいる子が多い印象があって。シゲちゃんみたいに自分を軸にした状態で、あらゆるものを咀嚼して肥やしにする循環は大事ですね」
「人間ってひとつの器じゃない? 形や容量に合わせて入れるものを決めた方がいい。その上で社会や世間から受けた情報に対してどう受け止めて咀嚼するか。自分の強度を高めないと人に優しくできないし、おれは弱い者同士でくっつくのはあまり好きじゃないんだよね。人としっかり繋がり続けるためには、自分をしっかり鍛えて、自分の足で立たないといけないと思う」
「それは自然から学ぶことでもありますね。植物も生きるために根を張るし、野生の動物も肉体と感性を研ぎ澄ましているし。その感覚ってどんどん希薄になっていますよね」
「感覚的には2000年前後あたりから加速した気がするね」
「バブルが終わった後の日本って、ゲームや音楽、映画、漫画含めてカルチャーの強度と情報量が爆発的に高まったかもしれませんね。完全にその時代に思春期を過ごしてきたので。自然とは距離を置いて、経済優位の世界が強くなっていたというか。それが平成って時代だったのかなぁ…」
「うーん、良い悪いはちょっと言えないけど、日本人が生命保険に頼ることになった影響はあるかもね。あれは人間をすごく弱くしてるなって思う。大自然に囲まれた津別町に住んでいるかもしれないけど、野生動物を見てたら獲物が取れないと死んじゃうし、あいつらには病院や医療なんて概念はないからさ。野生が持っている生命のサイクルを頭に入れて生きたいよね」
「なるほど。シゲちゃんは生命保険に入ってないんですか?」
「何十年も入ってなかったよ。生涯働き続けたいし、ずっと現役で居たいと思って来たからね。いまは年齢も年齢だからカミさんがいろいろやってくれてるみたいだな。よくわかってないけど(笑)」
「命の責任みたいなものをお金に預けていくってことですもんね。生き物の不安を掬い取るようなよくできた仕組みだなぁ」
「そもそも、東京からこっちに戻ってきてシゲチャンランドを始めるときも保険ナシなんだよね。税理士さんには東京に事務所を置いて、リスクを分散しながらやりなさいって言われたんだけど、もう一方を残すと本気になれないなって」
「50歳のシゲちゃん攻めまくりだ…」
「ずっと逃げ場を作れないようにしてやってきたからね。追い込んで、追い込んで。自分の描く理想に近づくというか」
「さっきの自分の強度を高めるための方法論ですね。やり続けるための装置というか」
「最初の仕事は公務員で、郵便局に三ヶ月務めてたから今じゃ真逆の世界だよね」
「いやぁ、シゲちゃんの50年間をギュッとしたような生き方の軌跡を聞けて嬉しかったです。自分を可愛がって、強度を高めていくの大事だな…」
2020年10月1日「2年越しのまとめ」
取材をしてから2年の月日が流れた。
当時、自分自身の生活がぐちゃぐちゃになっていて、心が揺れ続けていたように思う。だからこそシゲちゃんに惹かれて、「生きる」をテーマに話を聞いてみた。
奇しくもインタビュー中に出てきた「魯山人も『自分の身体の中に、その日のことも、会えないことも、わからなかったら置いておきなさい』みたいなことを言ってて、でも気にはしてるから必ず答えは出てくるからね」の言葉通りになったのである。
ずっと書き切ることができなかった。定期的に思い出して、気にはかけていた。心の余裕や忙しさを理由に手をつけられなかったのではなく、シゲちゃんの言葉に打ちのめされた自分は咀嚼に時間がかかり、ゆっくりとゆっくりと消化していたのかもしれない。
そして今日、中秋の満月のこの夜。ふと思い立って手を付けはじめたら一晩で書ききることができた。この記事はレポートであり、インタビューであり、個人的な記録でもある。
2年の月日を待ったのは結果良かった気がしている。大きな社会変化があった2020年。シゲちゃんが捉える「自分」と「野生」の言葉は、たまたま読んだ人たちの本能に訴えかけるはずだから。自分の足元がグラついたら、シゲチャンランドへ。シゲちゃんは今も自分の足で立ち、動物の骨や廃材を拾い集めて誰かを待っている。
※2020年11月、「再会」追記予定
撮影:小林直博