ジモコロライターの根岸達朗です。
唐突になにかと思われるかもしれませんが、皆さんこれ知ってます?
た た ら 製 鉄。
実はこれ、島根県を中心とした中国地方で営まれてきた伝統的な鉄づくりの技法。まあ、言うなれば、日本の鉄づくりのルーツみたいなものですね。
今回はこのたたら製鉄を取材する目的で、柿次郎編集長と一緒に島根県の奥出雲地方に行ってきたのですが、いやあ、これがなんといいますか、もう……
めちゃくちゃ深かった。
何がそんなにすごかったのかは、これから始まるお話のなかでお伝えしたいと思っているのですが、まずその前に「たたら製鉄とはなんぞや」というところで、簡単にその概要だけ説明させてください。
たたら製鉄は、江戸時代初期にその原型が完成した鉄づくりの技法。かつては日本の鉄の8割以上がこの技法によって生み出されていたそうです。
特に刀剣用、男が大好きな日本刀の鋼として優れた品質を誇っていた「玉鋼(たまはがね)」は、現代の優れた製鉄技術でも再現不可能とされる、たたら製鉄における唯一無二の生産物。
それを生み出す術は「村下(むらげ)」と呼ばれる最高技術者の秘伝だったことから、長らく「謎の製鉄技術」とも呼ばれてきました。例えるなら北斗神拳みたいなもんです。現実にあの製法に辿り着いたのは神がかり的と言っても過言ではありません。
実はあのスタジオジブリの国民的アニメ映画『もののけ姫』の題材にもなっているこの技法。たたら場で女性が足場を踏み込んでいたシーンは、僕自身も記憶に残っています。
あまりにも歴史と文化が深すぎて、僕みたいな輩がこれを伝えていいんだろうか? おこがましいのでは?ってマジで思っていました。ただ、WEB上に分かりやすく「たたら製鉄」の歴史を残す価値は絶対ありますし、それはジモコロにしかできないはず。専門家が書籍にまとめるような情報量を1記事に落としこむ。さらに若い人でも理解できるように…これはジモコロにとっても大きなチャレンジです!
少々長くはなりますが、どうぞお付き合いください。あと、専門用語が難しすぎるので、先に用語集をサラっと読んでおくと理解しやすいかもしれません。
それではいざ、たたらの世界へ!
米とたたらの意外な関係
「ようこそ、奥出雲へ! ここからは私がご案内します!」
土地勘のまったくない僕らをサポートしてくれたのは、奥出雲町役場職員の三成由美(みなり・ゆみ)さん。
奥出雲出身の三成さんは、名古屋でインテリアコーディネーターを務めた後にUターン。現在は地域の女性10人で「おくいずも女子旅つくる!委員会」を立ち上げ、奥出雲の魅力を伝える活動をしています!
「ところで皆さんはどうしてたたらに興味を?」
「身近な素材のルーツを知りたいという結構ぼんやりした好奇心でした。たたらの名前は聞いたことがあるけど、それがどういうものなのかはほとんど知らなかったので」
「僕もそうですね。鉄に興味を持ったのは、以前ジモコロで新潟燕三条の鍛冶技術を取材したのがきっかけで。圧倒的な職人技に感銘を受けただけに、地元の仕事の奥深さを掘り下げるなら、やっぱりルーツもたどるべきだと思ったんですよ!」
「そうなんですねー。たたらの文化もそうですが、奥出雲って歴史が深いのに、まだ全然知られていないんですよ。この土地ならではの魅力を伝えていくのが私の役割ですね。……あ、そろそろ斐伊川(ひいかわ)が見えてきますよ」
「雄大な景色ですねえ。有名な川なんでしょうか?」
「ヤマタノオロチ伝説ってご存知ですか? その舞台になっている川ですね。須戔鳴尊(すさのおのみこと)が、奇稲田姫(くしいなだひめ)を救うためにヤマタノオロチを退治するという」
「詳しくはわからないけど、なんとなく聞いたことある名前ですね」
「そのすさのおのみことが高天原(たかまがはら)を追放されて、最初に出雲にやってきたのがこの斐伊川の上流域です。たたら製鉄の話にもつながるのですが、このあたりは鉄穴流し(かんなながし)が行われていた場所で」
「鉄穴流し?」
「たたらの人たちがやっていた砂鉄を取る方法のことですね。ここで取れた砂鉄が製鉄の原料になっていたんですよ。実は川沿いに広がっている棚田も鉄穴流しでつくられたものなんです」
「山を切り開いて田んぼを?」
「はい。世界的には鉱物を採集したあとの土地は荒廃することが多いのですが、たたらの人たちは切り崩した山のあとに棚田をつくったのでこのあたりの農業が発展しました。仁多米ってご存知ですか?」
「仁多米! 僕こないだ東京で島根のイベントに参加したんですけど、島根で食べた仁多米が人生最高の味だったっていう人に出会ったんですよ。東の魚沼、西の仁多米って言われてるとかで」
「それがこの棚田で」
「はい。良質な砂鉄が取れる土地なので、土に含まれる栄養分にも特徴があり、それがお米の味に影響を与えているそうです。寒暖の差が大きいのも、奥出雲が米づくりに適している理由のひとつなんですよ」
「なるほど。たたら製鉄とこの土地の暮らしって一体的に捉える必要がありそうな」
「はい、たたら無くしてこの土地の歴史は語れないと思います。あとやっぱりこの土地を掘り下げるのであれば、知っておいてもらいたいのは、鉄師(てっし)の存在でしょうね」
「鉄師?」
「たたら製鉄を営むためには、膨大な量の木炭と砂鉄が必要だったのですが、その材料を調達する場所として広大な森林を保有し、管理していたのが鉄師です。鉄師は、江戸時代に松江藩から指定業者としてお墨付きをもらっていたんです」
「へええ、地元の名士みたいな存在というか」
「なかでも田部家(たなべけ)、櫻井家(さくらいけ)、絲原家(いとはらけ)は鉄師御三家と呼ばれた名家です。たたら製鉄の工場は高殿(たかどの)と言うのですが、有力な鉄師はその高殿を中心に小さな村のようなコミュニティをつくっていました。たたらを通じて、地域に雇用を生み出し、地元経済にも影響を与えていたんですね」
「鉄師、気になってきました。ちなみにその高殿っていうのは今どこかに残っていたりするんですか?」
「吉田町の菅谷たたらにありますよ。ご案内しましょうか?」
「はい! そもそもどうやって鉄を作っていたのか、基本的なことがほとんどわかってないのでありがたいです」
「詳しいことはきっと菅谷たたらの施設長さんが教えてくれると思います。あ……でもその前にですね」
「?」
「吉田町内にある鉄の歴史博物館で門外不出のビデオを見てきてください。すごーく貴重な映像なので一見の価値ありですよ!」
「門外不出のビデオ……すごそうだな」
ベールを脱いだたたら師の秘伝技術
「というわけで、やってきました吉田町!」
「どうやらここは松江藩の有力鉄師だった田部家の力で栄えたところみたいですね」
「石畳の街並みとかすごい風情ある〜」
「あ、鉄の歴史博物館って書いてあるからここかな……ていうか、これ何?」
「鉧(ケラ)だそうです。たたら製鉄で作られた鉄の塊」
「へ? これが?」
「とりあえず、中に入ってビデオを見ましょうか。昔のたたら師たちを探し出して、当時の仕事を復元した貴重なドキュメンタリー映像とのことなので!」
門外不出のビデオが始まりました。
これより、イラスト(マキゾウさん作)でお届けします。
まず、たたら師たちの仕事は、炉の下に深さ4メートルの複雑な地下構造をつくるところから始まります。
この作業で何よりも大事なのは、地下構造の内部を極限まで乾燥させること。基礎ができた上でさらに薪をくべ、それを昼夜燃やし続けて湿気を取り除いていきます。
湿気が残っていると水蒸気爆発を起こす可能性があるので、この作業は絶対に必要なものでした。
そして、焼き尽くされて色が変わった地面の上に、送風装置を備えた炉をつくります。ここまで約2ヶ月。一度つくった地下構造は半永久的なものだったそうです。
粘土でつくった炉に砂鉄と木炭をくべていきます。さらに炉内に送り込む風の量を調整しながら、火を絶やさずに灯し続けること三日三晩(これを「一代(ひとよ)」と呼びます)。
マニュアル的なものはなく、作業は村下(むらげ)と呼ばれる工場長の経験と勘だけを頼りに進められました。また、村下の仕事は秘伝で、ほかの人が手を出すのはご法度でした。
三日三晩の作業で、ケラは約2〜4トンの大きさに成長します。そして村下が頃合いを判断し、ついにケラを取り出す作業へ…。
この際、1000度以上もあるケラだけを取り出すことは物理的に不可能なので、炉ごと完全に破壊します。鼻も唇も焼けただれてしまうほどの灼熱が村下たちを襲うそうです。
燃えたぎるケラを高殿の外に引きずり出し、鉄池(かないけ)と呼ばれる池に落とすと……
ゴゴゴゴゴゴゴゴォォ………
ブシュウウゥゥゥゥゥ………!!!!
すさまじい音。
たたら師たちの目に涙があふれます。
そして、最後の決め台詞がこれ。
「水が……燃える」
「これ以上ない表現」
「そのくらい熱いってことね……」
そして、冷やしたケラを砕きに砕いて、取り出したのがこちら。
玉鋼(品質不明)
「なんかすごいもの見ちゃったな……」
「これはもう菅谷たたらで現物見させてもらうしかないですね! 菅谷たたらの集落には今もたたらに携わった人たちの子孫が住んでるみたいです」
最高技術者「村下」と地域の王「田部家」
「すいません。ここにたたらの高殿があると聞いたんですが」
「目の前にある建物がそうですよ。これは1751年から1921年までの170年間、たたらの火を灯し続けた建物です。こけら葺きの屋根がすごく趣があるでしょう。全国で唯一現存する高殿です」
「おお、これが……」
「朝日光男(あさひ・みつお)と申します。この地区で生まれ育って、今は菅谷たたらの施設長をしております。ご案内しますので、ぜひなかも見ていってください」
「高い天井ですね」
「炉から炎が1〜2メートルも立ち上りますので、その熱が風にのって天井の穴から抜けるように設計されています」
「これが炉……?」
「奥行2.73m、横幅1.36m、高さ1.15mあります。ぱっと見、小さいと思われるかもしれませんが、炉の下には深さ4メートルの地下構造がありますので、全体で見るとかなり大掛かりな装置でしょう」
「そうだった、地下構造があるんだ。さっきビデオで見ました」
「炉を大きくすればもっとたくさん鉄が取れたのでは?という声も聞かれるのですが、大きくするにはそれだけの資源が必要になります。三日三晩の作業ということを考えても、このくらいのサイズがちょうどよかったようですね」
「炉の横に管みたいなのがたくさん刺さってます」
「炉に風を送り込むための木呂(きろ)です。この木呂を差し込むためには、まず炉の外側からういざしという細長い棒を差し込んで、左右に20箇所のホドと呼ばれる小さな穴を開けます。それからういざしよりも太いためしざし、さらに太いひさしの順で差し込み、木呂を通すことができるくらいにまで、だんだん穴を大きくしていくのです」
「これをぶすっと」
「はい。工場長である村下は、ホド穴から中の様子をのぞき、その日の気温や湿度なども気にかけながら、穴の位置を変えたり、角度を調整したりして、炉内の温度調節を行いました。炉のなかを見てください。穴がいくつも空いているでしょう」
「ほんとだ。結構細かく穴が空いてます」
「穴の開け方は熟練の技で、村下の秘伝とされていました」
「じゃあこっちの穴は? 炉の一番下に空いてますけど」
「ケラの生成の過程で生まれる不純物ノロを出す穴ですね。ノロは製品に加工することができないカスのようなものですが、炉内の温度を高める役割があり、その出方をコントロールするのも村下の仕事でした。さらに村下には、30分おきに炉内に砂鉄と木炭をくべる仕事もありました」
「めちゃくちゃ忙しいですね。風を送り込むのも村下の仕事?」
「いえ、指示を出すのは村下ですが、風を起こすのは番子(ばんこ)という職人の仕事です。大昔は自然風を利用していたのですが、江戸時代に天秤ふいごという装置が発明されて、これが劇的に効率を上げました。これがすごい装置でしてねえ」
「この装置、『もののけ姫』にも登場していたような」
「はい。これを番子がひたすら踏んで風を送りました。菅谷たたらでは番子は6人いて、1時間ごとに交代しながら三日三晩の連続作業をしたといいます。『かわりばんこ』の語源とされていますね」
「えーそうなんだ!」
「効率化が図られたとはいえ、この作業は番子たちにとって相当な重労働だったようです。そこで今度は天秤ふいごの代わりに、水車の力を利用することになります。1906年以降ですね」
「ん、水場がどこかにありましたっけ?」
「実は高殿の近くに川が流れています。そこに水車を置いて風を起こし、その風を高殿の内部に地下から取り込むような構造を築きました」
「へえ、そんなこともできたんだ」
「水車はさまざまな場面で利用していました。たとえば大胴場というところでは、ギロチンのような装置で4トン近いケラ(鉄の塊)を叩き割っていましたが、これも水車の力によるものです」
「これも番子のように専門の人が?」
「はい、大鍛冶と呼ばれる人たちがこの仕事をしていました。大胴場で叩き割ったケラはその後、中胴場、小胴場と呼ばれるところに運び込んで、今度は小鍛冶と呼ばれる人たちがそれをさらに小さくしていきます。玉鋼を取り出す工程のひとつですね」
「なるほど、役割分担がはっきりしていたんだ。村下はそうした人たちの頂点に立つ存在だったと」
「そうですね。秘密の技術を知っている工場長みたいな存在ですね。しかも、村下は世襲制だったんですよ。ですから、ほかの人たちは基本的に自分の持ち場以外の仕事はわからなかったわけで」
「徹底的……」
「たたらの火は消えていた時代ではありますが、私も若いころは炭焼きという仕事をしていましてね」
「炭焼き?」
「山から切り出した木を焼いて炭にする仕事ですね。当時この場所は田部家の炭倉庫になっていて、それを家庭向けに出荷していました。たたらの人たちが昔からやっていた伝統的な仕事のひとつです」
「へー」
「当時はまだたたらが操業していた時代を知る人もいましてね、学問をしてはいけない、お金持ちになってはいけないなどと言われたものです。古来から受け継がれてきた技術が漏れることを恐れたんでしょうね」
「火が消えてもなお……」
「私が10代の頃ですからもう、50年近く前になります。だからあるとき突然、当時の田部家の方針でその仕事をしなくてもいいと言われたときは本当にびっくりしました。だって、私は一生炭焼きをして生きていくもんだと思っていましたから。菅谷たたらの長い歴史がここで終わるのかと思ったら、涙が出ましたね」
高殿の前には、菅谷たたらの歴史を見続けてきたカツラの木が立っている。カツラの木は、たたら製鉄の神様である金屋子(かなやこ)の神が、白鷺にのって降臨した木であるとされ、かつてはどのたたら場にもあった。人間に鉄のつくり方を教えたのもこの神様だったと伝えられている。
「そうなんですね…。田部家っていうのはやっぱりこの仕事に携わる人たちにとって、特別な存在だったんですか?」
「田部長右衛門(たなべちょうえもん)さんといえば、私らにとってはもう雲の上の人ですよ。昔はまともに話をすることなんてできませんでした」
「長右衛門さん?」
「田部家の当主が代々名乗ってきた名前です。田部家は日本一の山林王と呼ばれるほど、たくさんの山林を所有していて、室町時代にたたらを始めたと伝えられています」
「へぇぇ……今もその血は続いてるんですか?」
「そうですね、現在の当主は25代目です」
「今ちょっと調べたんですが、田部家って中国地方にケンタッキーフライドチキンを広めたり、地方紙の山陰中央新報を経営したり、なんかすごい一族みたいですね。長右衛門さん、いつか会ってみたいな」
「だんだんスケールのでかさが見えてきた気がします。地元の人の声をもっと聞いてみたいのですが」
「それでしたら私の同級生で、今は吉田町振興協議会の会長をしている錦織靖雄(にしこおり・やすお)さんを訪ねるといいですよ。地元の人ならではの視点で話を聞かせてくれるはずです」
「おお、ありがとうございます!」
観光地としての「菅谷たたら」と地元住民の想い
「錦織さんのお宅は菅谷たたらから少し離れたところにありますけど、このあたりの人もたたらとは関係が深かったんですか?」
「私らの住んでるあたりは地下(じげ)といって、工業の主体である菅谷たたらを取り囲んで、農業をしているようなところなんですよ。だげん、なんちゅうかな、それを分けて考えるというよりは、みんなが助け合って生きてきたわけで」
「助け合って」
「そう、たたらの人たちが地下(じげ)の農業を手伝うこともあったし、地下(じげ)の人は飼っていた馬や牛を出して、港まで彼らがつくった鉄を運んでいた。朝日君がやっていた炭焼きもたたらだけの仕事じゃなくて、このあたりの農家ではみんな自分とこの山で小さくやっていたよ」
「へええ」
「ただ、最高の技術者集団でもあるたたらの仕事っていうのは、このあたりの人たちにとって、良くも悪くも特別なものでね。助け合って生きてきたとはいっても、すべてがうまくいっていたわけではなかったんです」
「トラブルもあったと」
「例えば、たたらに必要な砂鉄をとる鉄穴流し(かんなながし)ですね。山を削って砂鉄をとる。結果地形を変えるわけだからいい面ばかりではなくて、川下に大量に流れる土砂で灌漑(かんがい)に影響が出たり、昔は農民とのトラブルも絶えなかった。それで鉄穴流しは秋から春にかけての農閑期だけの仕事になったわけで」
「そうだったのか」
「たたらが重要文化財に指定されて観光客が訪れるようになった今だって、それに伴う新たな問題というのは生まれているんです」
「新たな問題?」
「菅谷たたらの集落を見たと思うけど、あそこはまだたたらの歴史を受け継いだ人たちが住んでいる。歴史的に重要な地区だから観光客が来るのは仕方ないことだけど、自分の家のなかをじろじろ覗き込まれたり、好奇の目にさらされたらやっぱり誰だって気分が悪いでしょう?」
菅谷たたら山内(さんない)と呼ばれる地区。たたら製鉄の技術者たちの日常生活がここで営まれていた。最盛期は40世帯、約170人が住み、この他にもたたらの技術者集団が60人ほど生活をしていたという。
文化財に指定されている山内の三軒長屋。ここに村下や番頭など、菅谷たたらのなかで力を持っていた人たちが生活していた。一戸建てではなく長屋であったのは、人に甲乙をつけない田部家の方針だったという。
「自分たちの生活は見世物じゃないんだし、プライバシーを荒らすなら『観光客なんて来なくてもいい』という声も実際に聞かれている。皆さんのようにたたらに興味を持ってこの土地に足を運んでくれるのは結構なこと。でも、ここに暮らす人たちへの配慮だけは忘れないでほしいんですよ」
「そうですね…。後世に伝えていくべき文化である一方で、観光化による弊害も生まれていると。僕らも情報発信の担い手として考えていかなければいけないことはたくさんありそうです。突然押し掛けたにもかかわらず、貴重なお話を聞かせてくださって本当にありがとうございました!」
まとめ
たたら製鉄とともに歴史を積み重ねてきた奥出雲という土地、秘密主義を貫いてきた村下の技術、地域の経済を支える鉄師たちの影響力、そして観光地化による課題まで……。
すべてを一体的に捉えたときに見えてくる「地元の仕事」には、ローカルへの回帰が進む今の時代の仕事のあり方を考えるヒントが隠されているように思いました。
「畏敬の念を抱きながら書かせてもらったんですが、これを読んでたたら製鉄に興味を持ってくれる人が増えたら嬉しいですね」
「日本の製鉄文化のルーツですからね。ここから戦国時代や新選組といった歴史好きにはたまらない世界に突入し、日本の高度経済成長を驚くほど飛躍させたビジネスにもつながっていくわけじゃないですか」
「日本の火縄銃の数が世界一なのも、鉄の知識と技術が圧倒的に優れていたわけで。それはたたら製鉄の影響かもしれない」
「ジモコロの鉄シリーズ…今後も歴史を紐解いていきましょう!」
ちなみにウェブ上で読める山陰中央新報の連載「鉄のまほろば」(全48回!)は、たたら製鉄の全体像を知る上でとても参考になるので、興味があれば読んでみてください。
あと、EXILEのHIROプロデュースの映画「たたら侍」の公開も2017年に控えています。EXILE×たたら製鉄ってすごい。ブームがくるかもしれません。
冬の島根をめぐる旅は、まだまだ続きます。
●絲原記念館
住所:島根県仁多郡奥出雲町大谷856
電話:0854-52-0151
Mail:ito-memo@okuizumo.ne.jp
開場時間:午前9時~午後5時(入場は午後4時まで)
●鉄の歴史博物館
住所:島根県雲南市吉田町吉田2533番地
電話:0854-74-0043
開場時間:午前9時~午後5時(入場は午後4時まで)
http://www.tetsunorekishimura.or.jp/history.html
●菅谷たたら山内
住所:島根県雲南市吉田町吉田4210番地2
電話:0854-74-0350
開場時間:午前9時~午後5時(入場は午後4時まで)
http://www.tetsunorekishimura.or.jp/sugatani.html
ライター:根岸達朗
1981年、東京都生まれのローカルライター。都会と田舎の多拠点生活を目指して活動中。家では息子に「うんちばかもの」と呼ばれている。
Mail:negishi.tatsuro@gmail.com/Twitter ID:@onceagain74/Facebook:根岸達朗