こんにちは、非常勤ライターのひにしあいと申します。
私は山梨県の忍野村に来ています。
場所はざっくり言えば富士山の麓。世界文化遺産にも選ばれた「忍野八海」が観光スポットとして有名で、多くの外国人旅行客が訪れています。で、なぜ両親の住む忍野村を訪れたかというと…
自分の父親について知らないことが多すぎる!
そうなんです。私自身、父がこれまでどんな人生を歩んできたのか、どんな仕事をしているのかなんとなくしかわからないまま三十路を超えてしまいました。世の娘さんも「お父さんは割と謎な存在のまま」ではないでしょうか? 全身のホクロの数まで知っているタイプの娘さんだったらすみません。
今回ジモコロで企画を考えるにあたり、私の父の謎さはかなり度を越えているのではないか?と思い至ったんです。その理由がこちら。
・・・って挙げ始めたら、なんなのこの父親!
そもそも、なんで技術者でCTOだったのに忍野村の観光案内所にいるのか意味不明すぎます。「割と謎な存在」なんてレベルじゃありません。そこからものすごく気になってしょうがなかったので、謎を解き明かすべく実の父にインタビューを申し込みました。娘視点で父の謎と仕事を解き明かしてこようと思います!
父の仕事を取材したら観光業の課題が見えてきた
こちらが実の父である日西修。忍野村観光案内所のガイドとして活動しています。元々、技術畑だった父が観光業でちゃんと仕事ができているのか? 娘のお節介かもしれませんが、心配なので忍野村観光案内所に押しかけたんですが…。
「おう、よく来たな」
「まさかお父さんの職場に来る日がくるなんて、思ってもみなかったよ」
といっても、実の父に直接聞いても客観性に欠けるので、忍野村観光案内所の上司である黒澤さんに話を聞いてみました! キレイな女性!
「はじめまして。忍野村観光協会の黒澤です」
「いつも父がお世話になっています。いきなり本題に入りますけど、東京では観光業と全く関わりのない、コンピューター商社勤務であった父がこちらでお役に立てているのでしょうか?」
「いやいや、お父さんは今やこの観光案内所になくてはならない存在なんですよ」
「ええ、そうなんですか?」
「山梨県忍野村は忍野八海という観光地スポットに、多くの外国人が訪れています。東京から大阪へ向かう途中、富士山周辺の観光地を訪れるのが人気らしくて。その多くがアジア圏内なんですけど、日西さん(父)は4カ国語を話せることもあってコミュニケーションの要となっています」
「娘の私からしたら多言語話せるのが謎なんですよね…」
「ただ話せるだけじゃなく、主体的に課題解決をしてくれるんです。たとえば、観光地にある外国人向けの看板。英語や中国語表記のモノが世の中増えているじゃないですか? 実はあれ、間違っていることも珍しくないんです。日西さん(父)は間違いを見つけては表記を正しく直すよう働きかけたり、観光パンフレットの見直しを考えてくれたり、もうすごいんですよ!」
「最近だと、富士山駅から忍野八海へ行くバスルートの停留所かな」
「あれ、『忍野入口』『忍野八海入口』『忍野八海』ってややこしいね。日本人でも間違うレベル」
「そうそう。忍野八海に行くには青枠の『忍野八海』『忍野八海入口』で降りれば目の前なんだけど、赤枠の『忍野入口』で間違えて降りてしまう外国人が多いんだよ。しかも、間違えてたら忍野八海まで辿り着くのに歩いて40分もかかってしまう。先日もタイの観光客が40分歩いていてね。こりゃいかんなと」
「そうなんです。最近は大型バスで来られる方だけでなく個人旅行で訪れる方も増えています。何とかしたい問題なんですが、なかなかバス停名って変更できないらしくて。それでも日西さん(父)は絶対諦めないんですよね」
「最初から『どうせ私が伝えても変わらないだろう』と諦めて何も言わないという事は絶対にしない。自分の言いたいことは言うし、レポートにもまとめて富士急行さん(ここら辺一帯の観光バスや電車を運行している地元企業)にも連絡してるよ」
「具体的にはどんな提案を富士急行さんにしてるの?」
「バス停に番号を付けてほしいという要望を出していて。東京の地下鉄駅もM-3など『路線を表すアルファベット+番号』が振られるでしょう。韓国は番号案内が進んでいて、同じようにすれば言語の壁を超えて伝わるんじゃないかなと」
「うん、たしかにあるね。数字なら間違いも少なさそう。って、お父さんそんなことまでやってんの!? 業務の範疇超えてない?」
「日西さんは、これまでのお仕事でもいろいろなものを見てきているから、いろんな問題に気づけるし、周りの人をうまく動かせるのかなーと。いつも尊敬の眼差しで見ています」
地域の問題を解決するヒント
ここからは実際に父の仕事ぶりを観察するために、後をついていきたいと思います。
忍野八海!富士山が近くてクッキリ!超風情あるー!
移動中にガンガン中国語で観光客に話しかける父。中国人観光客も言葉が通じると思った途端に、表情が崩れて和やかに話しかけていました。
父が実際に修正案を出した看板がこちら。忍野八海はトレビの泉と勘違いした外国人が硬貨を投入するノリがあるらしく、注意喚起を促しています。
地元の新聞では「違法さい銭に困惑」という見出しで取り上げられているほど。
それにしても、池の透明度がスゴい!
「昔、テレビ局のカメラマンがこの池に潜って行方不明になって残念ながら3日後に発見されたことがあるんだ。かなり深いんだろうなあと思うよ」
「なんだよそれ!むちゃくちゃこわいわ!」
「ちょっと腹が減ったからメシでも食おうか」
「急だなもう!」
「お父さんが今の仕事で必要とされてるのはわかったけど…なんで今でもそんなに頑張れるの? 地方の問題ってお父さん世代の人が適応できてないから歯車が噛み合ってないイメージがあるんだけど」
「口で言うのは誰でもできるからね。ひらめいたことは自らが率先して形にしてるだけだよ」
「それって地方の問題や観光事業だけでなく、すべての仕事につながることだね。たしかに昔っからお父さんフットワークだけは軽かったなぁ。ほかに仕事をする上で気をつけてることってある?」
「自分自身が強く問題意識を持っていても、1度伝えたことを2度は言わないこと」
「どうして?」
「距離のある人を動かすためには焦ってはだめなんだよ。向こうだって忙しいんだから。半年後でも1年後でいいから、進言したことの半分でもやってくれたらいいな…という気持ちが大事。しっかり伝えた上で、気長に構えることも必要だと思う」
「熱意があるからって押せ押せではうまくいかないのか…。そういうマネジメント論ってやっぱり過去の職歴で得たものなの? なんで4カ国語話せるの? 聞けば聞くほどわかんないんだけど?」
「昔の話を聞かれると思って、ほら」
「こ、これは…! まさかの父親の職務経歴書! これで長年の謎が解けるってこと?」
「そうそう。まず経歴だけど… エンジニアから海外のPCメーカーに転職して技術部長、営業部長になった後、雇われだけど代表取締役になって、最後に居たグループ会社ではCTO(最高技術責任者)をやっていたんだ」
「この経歴を見たらベテラン経営者っぽいマネジメント論も納得だわ」
「次になんで英語を話せるようになったかというと…30歳の時に会社を辞めて、退職金を使ってアメリカに語学留学したんだ。その後、日本で輸出入に関わる仕事に就いたから、40年近く英語はずっと使って仕事してきたんだよ」
「中国語はどういう経緯だったの?」
「海外メーカーの日本支社立ち上げをすることになって、台湾が本社だったから、現地でのコミュニケーションもできるだけ中国語でやろうと、もう本当に必要に迫られて覚えたんだよ」
「そりゃ、大変そうだ。大人になってからの勉強って大変なのにすげえなあ。韓国語はどうして覚えたの?」
「お母さんが韓流ドラマが好きで見まくってただろ。あれで先にお母さんが韓国語喋れるようになって、一緒に韓国旅行とか行くうちにお父さんも覚えた」
「お母さんが韓流ドラマ見過ぎて、それに付き合わされたお父さんも韓国語理解したんだ…。普通その流れだけで喋れるようにはならないと思うけど、お父さんってめちゃめちゃ勉強熱心じゃない?」
「うーん、そんなことないよ。ただ『なんでだろう?』と思ったことは必ず調べるようにしてるだけ。好奇心が動いたら満たさないと気が済まないのかもな」
「そこは元々エンジニアだった影響なのかな。お父さんって理系の脳みそだけど、好奇心は文字の成り立ちから土地の歴史まで、すごく幅広いよね」
「仮におまえが外国で言葉が通じないシチュエーションで、現地の人に『こんにちは』って声をかけられたらうれしいだろ?」
「うん、素直に嬉しいとおもう」
「異国で一言でも言葉が通じると相手も嬉しいし、笑顔を引き出せる。そのために言葉を覚えるのって自然なことじゃないか。だから、挨拶だけでも多くの言葉を覚えたいと思っているよ」
「な、なんだよ…。お父さんすごいな…」
お父さんが実はすごかったダイジェスト
●ビル・ゲイツと久米宏の関連性
「なにこの写真」
「DOS/VというPCが昔はあってね、それをうちの会社が台湾のメーカーでは初めて日本市場で売り出した時に取材を沢山受けたんだ。そのブースにビル・ゲイツが来た時に写真を撮ったこともある。その関連でニュースステーションに少し出演して久米宏と共演したこともあったな」
「DOS/V!ビル・ゲイツ! 久米宏! いちいち出てくるワードがすごいね。そういえば、私自身Win95の時点で自分のPCを買い与えてもらって、私のインターネット大好き人生が始まったんだった。テレホーダイの波の中、中2でサイト作ったり、中3でオフ会に参加していたわけだから、なんだかんだお父さんの影響を受けているんだなあ…」
●歴史的資料を発見する
「これは江戸時代の忍野八海の案内図なんだ。これは木版画でね。近くのお寺に版木があるのに、当時刷られたものが無いのはおかしいと思って、調べに調べた結果、北口本宮浅間神社という大きな神社に所蔵されていることが発見されてね」
「へー!」
木版画のレプリカも父が自作
「専門家の方にも再発見だと言われてな、許可を取って引き延ばした物をここに飾らせてもらっているんだ。いいだろ?」
「もう歴史的偉業じゃん…」
「これに書かれている文字の解読もしたくて、古文書の講座にも通っているんだよ」
「古文書!お父さんは何でも昔からよく色々な事を調べていたもんなー。って、全然意味わからないけど、お父さんエピソードがいちいち謎にすごいわ!もうおなかいっぱいだわ!近所の山の歴史とか一緒に調べた記憶あるもん」
取材を終えて
朝から父の仕事に同行して、気づけば日が暮れ始めていました。あっという間!
なぜか、おもむろに拝み始める父。いろいろ話を聞いたけど、根っこの部分で何を考えているのは分からないままです。
とはいえ、父が携わっている仕事は「誰かのためになること」ばかりで。観光案内所で父が対応した人から直筆のお礼の絵手紙が届くこともあるそうです。
親の仕事の内容や仕事観について、深く聞く機会なんてそうそうないと思います。私自分も就職をして10年以上経ったからこそ共感できる部分や素直に尊敬できる部分もあり、とてもいい機会になりました。
「職務経歴書」とまではいかなくても、親に会う機会にはこれまでやってきた仕事の詳細や仕事への向き合い方などを話題に出してみてはいかがでしょうか。なにか今の自分のヒントになる思いもよらない良い言葉が聞けるかもしれません。
私は好奇心を積み重ね続けて常にチャレンジをしている父の働き方に少なからず刺激をうけました。
娘にあまり自慢せずとも、会社のため、家族のため、そして現在では地元のために
老いてなお、好奇心を大事にして勉強熱心な姿は娘として誇らしい気持ちです!
ライター:ひにしあい
本業はSEOの非常勤ライター。好きな本は路線図、好きな音楽はビジュアル系。特技はカラオケ芸。嫌いなものは犬好きを装う女。スクールカーストは常に2軍。女ならではのあるあるを試し続ける人。トゥギャッチやコネタ –Exciteで活動中。個人サイト「hinishi.com」。Twitter ID→@sunwest1