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「目の付けどころがシャープ」な歴史はシャーペンとラジオから始まった|企業の民俗学

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「目の付けどころがシャープ」な歴史はシャーペンとラジオから始まった|企業の民俗学

“液晶カラーテレビ”で一躍世界中に名を馳せた「シャープ株式会社」。もともと東京の下町で創業したこの家電メーカーは、関東大震災をきっかけにして移転し、いまでも大阪を本拠地にしています。

 

多くの世界初や日本初を実現し、創業者の金言「他社がまねするような商品をつくれ」、キャッチコピー「目の付けどころがシャープでしょ」など、未来をみすえた創意工夫はどのような企業風土から生まれたのでしょう。

奈良県天理市にある「シャープミュージアム」を訪ねて、意外な“発明品”の歴史をたどりたいと思います。

 

奈良県天理市の「シャープミュージアム」へ

〈通っていた小学校の隣りに、みんなが「早川電機」と呼んでいる会社があった。大通りを挟んだ向こう側に工場があり、社会科見学に出かけた。小学生でも歩いてすぐのところだったけれど、なにかの製品の流れ作業のようなものを見た記憶がある。

「早川電機」は「シャープ」と名前を変えて、私が東京にいるうちに「液晶テレビ」を代名詞に“世界のシャープ”になった。30年ぶりに地元の大阪に帰ってきたら、小学校の隣りの本社は移転していた……。〉

 

上は、筆者のささやかな思い出話で、今回紹介する「シャープ株式会社」は、そんな個人的に思い入れのある企業なのです。

シャープの本社は現在、大阪府堺市にありますが、「シャープミュージアム」は奈良県天理市の郊外、「シャープ総合開発センター」内に設けられています。

 

奈良県天理市にあるシャープミュージアム

 

「歴史館」では歴史的な史料から日本の電化製品の歩みを。「技術館」では太陽光発電、健康・環境技術、LED照明、ネイチャーテクノロジー、液晶技術など、シャープが取り組み続ける技術を知ることができます。

 

シャープの歴史は、創業者・早川徳次の生涯と重なります。早川の数々の“発明”はまさに先見の明と創意に満ちたものでした。

 

「早川式繰出鉛筆」=シャープの完成

シャープの創業者早川徳次は、1893年11月3日に東京で生まれました。母が仕事で多忙な上、病弱でもあったため、生後1年と11ヶ月で出野家に預けられ、やがて養子になります。8歳を前に東京本所の錺屋(かざりや ※金属細工・金属加工業)に奉公に入り、ここで金属加工の技術の基礎を学びました。

徳次が発明したベルトのバックル「徳尾錠」

 

年季が明けて自分で商売を始めるようになったころ、ふと目にした映画から着想し、穴がいらないベルトのバックル「徳尾錠」を発明します。この斬新なバックルに大量の注文が入り、1912年(大正元年)には金属加工業を創業することになります。

 

さらに徳次は生き別れとなっていた兄姉と再会を果たし、早川姓に復籍。兄が持ち込んだ繰出鉛筆の部品を作る仕事をきっかけに、さまざまな工夫を重ねて、金属製の丈夫で美しい「早川式繰出鉛筆」を完成させます。

 

早川式繰出鉛筆(シャープペンシル)各種

 

「早川式繰出鉛筆」は当初、まったく売れませんでした。しかし第一次世界大戦による品薄と優れた品質から、「早川式繰出鉛筆」は欧米で引手あまたとなり、やがて日本国内の問屋からの注文も増えていったのです。

 

さらに「早川式繰出鉛筆」は極細芯にしてヒット商品となり、「エバー・レディ・シャープ・ペンシル」と名称を改めます。これが、のちの社名「シャープ」の由来となったのです。

 

関東大震災で工場燃失。そして大阪へ

シャープペンシルの製造風景

 

シャープペンシルで徳次の事業は急成長し、工場は増え、従業員も200名を越えるほどになりました。そんなある日、関東大震災が東京を襲います。

徳次は工場と、大切な二人の子供を亡くし、妻も大やけどで他界。さらに取引先から特約契約金を含む借金の返済を迫られることとなります。

 

徳次は兄と立ち上げた「早川兄弟(はやかわけいてい)商会」を解散し、事業を取引先に譲渡。シャープペンシルの技術指導を行うため譲渡先の大阪の会社に行くことにします。そして指導を終え、事業譲渡先を円満退社すると、徳次は大阪での再起を図ることになりました。

 

田園地帯が広がるだけの土地(大阪府東成郡田辺町。現・大阪市阿倍野区長池町)を借り受け、震災から1年後の1924年9月1日。徳次は「早川金属工業研究所」の看板を掲げたのでした。ここが2016年まで本社があった場所で、私が通った小学校の隣りなのです。

 

ラジオ、テレビ、電子レンジ、電卓……次々と生まれた“シャープ”な発明品

新事業の開拓をめざしていた徳次が目を付けたのが、「ラジオ」でした。

たまたま心斎橋にある遠縁の時計店を訪ねると、ちょうどアメリカから鉱石ラジオの第1便のうち、2台が届いていました。1925年に日本でもラジオ放送が開始されるという新聞記事を覚えていた徳次は、1台を買い求めます。そして所員たちとそれを分解し、ラジオの構造を研究し始めました。

 

金属加工の技術はあっても、電気のことは皆目わからない素人ばかりでしたが、部品の分析を重ね、ようやく同じものを作れるようになります。こうして大阪でラジオ放送が開始される2ヶ月前に、国産第1号の「鉱石ラジオ」の組み立てに成功。生産・販売を開始すると、飛ぶように売れていきました。

 

国産第1号の鉱石ラジオ

 

続いてシャープは、ラジオが普及し始めたばかりの1931年、テレビの研究に着手。1951年には、業界に先駆けてテレビの試作に成功しました。そして1952年に国産第1号テレビを発売、翌年には量産を開始したのです。

 

シャープミュージアムに展示された、国産第1号の白黒テレビ

 

また1962年には日本の家電企業で初めて電子レンジを発売(当初は業務用)。1966年には世界初のターンテーブル方式の電子レンジを開発します。

 

1964年には、世界で初めてオールトランジスタダイオードによる電子式卓上計算機を開発。他社との電卓戦争のなかで、表示部品としての液晶技術の開発を始めていくことになり、これが液晶テレビの開発に結びついていくのです。

 

世界初・オールトランジスタダイオードによる電子式卓上計算機

 

シャープの「電卓」は、2005年に電気・電子技術やその関連分野における歴史的偉業とされる「IEEE マイルストーン」に認定されました。

 

このほか、2000年〜2006年まで生産量が世界1位となった太陽電池事業も「IEEE マイルストーン」に認定。2013年に独自の空気浄化技術「プラズマクラスター」が搭載された商品は世界累計販売7000万台を達成し、「最新年間(2015年)で最も売れた空気清浄機ブランド」としてギネス世界記録®に認定されました。

 

企業としての大きな岐路「千里から天理へ」

シャープ“第2の創業の地”の現在

 

1970年に、「シャープ株式会社」に社名を変更。早川徳次社長は会長に就任し、佐伯旭専務が社長になります。

 

この年、シャープは奈良県天理市に「総合開発センター」を竣工しました。同じ年に、日本万国博覧会(大阪万博 EXPO’70)が開催されることになっており、大阪に本社を持つ企業として、万博への出展が検討されていました。

 

万博誘致には関西経済界をあげた取り組みが行われ、シャープもその一翼を担っていました。しかし、この半導体工場の土地買収費用が約15億円、万博への出展費用も約15億円。シャープは、そのどちらかを選択しなくてはならなくなったのです。

 

シャープの役員の意見も割れました。「関西の経済界のためにも出展すべきだ」「半導体の工場に投資するのはリスクが大きい」という万博推進派に対して、「半年間のパビリオンに15億円を投資する意味があるのか」「半導体工場を建設することで総合エレトクロニクスメーカーに発展するきっかけになる」と主張する総合開発センター推進派に二分されたといいます。

 

最終的に、シャープは吹田市の「千里」丘陵で開催される大阪万博に出展しないことを決め、「天理」に建設される総合開発センターへの投資を決定。これが、のちに「千里から天理へ」と呼ばれる大きな転機となったのです。

 

シャープミュージアムも敷地内にある「総合開発センター」

 

もともと東大寺が所有していた22万㎡の敷地に、半導体工場のほか、中央研究所、人材開発センターなどを設置。この総合開発センターは、現在のシャープの主要事業となっている液晶事業や太陽電池事業の成長を支えてきたのでした。

 

液晶の開発から“世界のシャープ”へ

1973年には、液晶を表示装置に使ったCMOS化電卓(世界初)を開発。この経験が「液晶のシャープ」と呼ばれる現在につながっていきます。

 

1985年には3型液晶カラーテレビの試作、1988年には14型TFTカラー液晶の試作に成功。「国内で販売するテレビを、2005年までに液晶に置き換える」と宣言した2年後の2000年、「20世紀に置いてゆくもの、21世紀に持ってゆくもの」という液晶テレビ広告キャンペーンをはります。

 

そして2001年1月1日より液晶カラーテレビ「AQUOS」第1号機を発売しました。業界最高輝度450cd/㎡の高画質と、世界的なインダストリアルデザイナー・喜多俊之によるインテリア性あふれる外観を備えたモデルでした。

 

液晶カラーテレビ「AQUOS」第1号機

 

2004年、亀山工場が稼動を開始。「亀山モデル」は液晶カラーテレビの代名詞となり、2014年には「テレビ用14インチTFT液晶ディスプレイ」が「IEEEマイルストーン」に認定。だれもが認める“世界のシャープ”となったのです。

 

大阪府堺市のシャープ本社

 

その後の2016年4月、台湾に本拠を置く鴻海精密工業が3分の2弱の株式を取得することが決定。7月には、長年本社を置き続けた大阪市阿倍野区から工場がある堺市堺区へ本社を移転することとなります。

8Kチューナーを搭載した8K液晶テレビ AQUOS 8K <8T-C80AX1>

 

しかし、シャープの歩みは衰えず、二足歩行が可能な世界初のモバイル型ロボット電話「ロボホン」、AIoTクラウドサービスに対応し、調理家電と連携したプラズマクラスター冷蔵庫など業界初の製品を発売。

新4K8K衛星放送に対応した世界初の「8Kチューナー」、8Kチューナー内蔵8K液晶テレビ「AQUOS 8K」、AIoT対応液晶テレビ「AQUOS 4K」などを次々と商品化しています。

 

つねに時代の先を行き、他社から真似られる“シャープ”な商品を作り続けてきたシャープの今後に目を離すことができません。

 

■シャープミュージアム
〒632-8567 奈良県天理市櫟本町2613-1 シャープ総合開発センター内
TEL:0743-65-0011/開館時間:9:30~16:30(最終入館は16:00)
一般公開日:月曜日、水曜日、金曜日/休館日:土曜日、日曜日、祝日およびシャープ(株)休業日
(なお火・木曜日および毎月末日は一般非公開。ただし20名以上の団体はミュージアムへ個別に相談)
☆公式HPはこちら

 

【企業の民俗学 連載一覧】

 

イラスト=てぶくろ星人(Twitter


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