毎日触れるSNSや、それと切っても切れない「炎上」「フェイクニュース」「ポストトゥルース」といったトピック。
今は誰もが「伝える」ことに対して、よりシビアに向き合うことを求められる時代と言えるかもしれません。
今回は「伝える」ことのプロの1人を相手に、よりよく伝えることについてのヒントを探ります。
「消えゆく文化」と呼ばれていた伝統芸能「講談」が今、再び注目を集めています。
今回インタビューしたのがその立役者、講談師(こうだんし)の神田松之丞(かんだ・まつのじょう)さん。
松之丞さんの講談は、まったく予備知識がない人でも楽しめるエンターテインメント性に溢れたもの。
堅苦しいイメージが先行して、世間一般の人に「伝える」ことが難しいと思われていたこのカルチャーにおいて、松之丞さんは新規のお客さんを続々と呼びこんでいます。
毒舌が持ち味のラジオパーソナリティとしても知られていましたが、2017年春放送の『ENGEIグランドスラム』に出演し、さらに大きく知名度を高めました。
続いては!
噂の天才講談師、神田松之丞の登場です!!!#ENGEIグランドスラム#ENGEI pic.twitter.com/aWfRhEuq7y— ENGEIグランドスラムLIVE (@engei_8) April 7, 2018
最近では、「今最もチケットが取れない」というお決まりの枕詞で、さまざまなメディアに取り上げられています。そうした活躍を受けて、雑誌『Pen』では丸ごと一冊松之丞さんだけを特集した増刊号が出版されるほど。
Pen+(ペン・プラス)『完全保存版 1冊まるごと、神田松之丞』 (メディアハウスムック)
「伝える」ことの巧みさで「消えゆく文化」と呼ばれていた講談を再び盛り上げている松之丞さんですが、「消えゆく文化」は何も講談のような伝統芸能だけでなく、我々の生活の中にも自然に存在しているものです。
好きなバンドが解散した。行きつけの喫茶店が潰れた。毎週買っていたコンビニおにぎりが販売終了した。
そういった誰もが経験しうる体験もまた「消えゆく文化」。
好きなものが終わってしまうのは、体の一部をもがれるようにつらい。じわじわと終わりに向かっていく好きなものを前に、あなたは何をしましたか?
周りの人に魅力をうまく「伝える」ことができていたら、もしかしたらまだ終わらずに続いていた?
そんな後悔があるのなら、この人のお話はきっと何かのヒントになるはず。
11月某日、母校・武蔵大学での公演にお邪魔して、終演後にインタビューをおこないました。
話を聞いた人:神田松之丞
東京都豊島区池袋出身。1983年生まれ、2007年に神田松鯉に入門。2017年3月「平成28年度花形演芸大賞」銀賞受賞など、数多くの賞を受賞する人気講談師。2020年2月に真打昇進が決定!
常連も最初は新規。講談再興作戦
「松之丞さんほど、今ファンとして追いかけるのが楽しい人はいないと思います。どんどん活躍の場と規模を広げているので、応援し甲斐があるというか」
「そう言っていただけると本当にありがたいです」
「かくいう僕も、ENGEIグランドスラムでたまたま松之丞さんの講談を見て衝撃を受けたんです」
「おかげさまで今、そういった新規のお客さんが本当に多くなってきているんですよ」
「松之丞さんという1人の講談師の魅力を通して、講談そのもののよさに気づいたという人は多いと思います」
「僕自身が講談のファンですから、僕の思う講談のいいところを伝えられているならうれしいですね」
「どんなところが講談のいいところだと感じてらっしゃいますか?」
「まず、講談というもの自体が純粋に面白いということ。これは大前提ですね。それにネタの数が豊富だし、あとはやっぱり、道具を身につけて座ったときのフォルムがかっこいい」
「確かにかっこいいんですよね! よく落語と講談の違いについて問われますが、一番わかりやすいところでやはりフォルム、見た目や道具でしょうか」
【講談まめ知識】
体の前にあるのが釈台(しゃくだい)。話しながら右手に持った張扇(はりおうぎ)や左手の扇子で釈台を叩き、特有のリズムを作る。
「そうですね。あとは、落語は名もなき庶民が主人公であることが多いのに対し、講談は基本的に歴史上の実在する人物についてのもの、とかいろいろあるんですが、実際聴いていただくのが一番でしょう」
「知りさえすれば魅力に溢れたカルチャーだとわかるものの、未だ『消えゆく文化』なんて言われることもありますよね。その理由はどこにあるんでしょう?」
「そうですね、今は少しずつ変わりつつありますが、僕が客席から聴いていた当時、講談界が非常に内向きに思えたんです。講談師もお客さんも今より少なく、閉鎖的な印象でした」
「新規のお客さんが入りづらい状況なわけですね」
「もちろん、若かったあの頃の僕個人の抱いた印象ですけどね」
「松之丞さんは大学を出たら演芸の道に進むつもりで、学生時代にひたすら寄席へ通っていたんですよね。その頃から閉鎖的だと感じていた?」
「そうですね。閉鎖的だっていうのもそうだし、講談のいいところと悪いところが素人目にも如実にわかりました」
「いいところは先ほど伺いましたが、大学時代に気になった講談の悪いところというのは? 閉鎖的だというのがまずありますよね」
「とにかく演出があんまりよくない。あとごく一部のよくない常連がやたらと威張ってる。もちろんそうでない常連さんのほうがずっと多いんですが、よくない人のほうが声が大きかったりして。だから新規のお客さんに向けていいアプローチができてなくて、閉鎖的になるわけです」
「なるほど、悪循環ですね」
「もちろん優しく声をかけてくださる常連さんもいらっしゃるので、どちらの声も気になって、昔は勝手に振り回されてましたね(笑)」
「よくない演出というのは、具体的にはどういったものですか?」
「僕が学生の頃に聴いていた講談師さんたちは、基本的に常連さんに向けてやってたように感じます。新規のお客さんのために説明を加えたり噛み砕いたりというのをあまりしないような。あくまで当時の僕個人の印象ですが」
「新規のお客さんは入っていきづらいですね……」
「どうにも不親切に思えてしまって。せっかくの講談という宝をもっと広げてほしいなと。もちろんそうした努力をされていたかたもいらっしゃると理解はしているんですが、それでも『僕の世代には向けられていないのかな』と寂しい思いもあって」
「それに対して先ほどの松之丞さんの講談では、本題に入る前に『中盤から愉快な場面が出てきますよ』『次は激しいアクションをお楽しみいただけるお話です』とガイドを添えてくださったので、初心者の僕でもまったく置いていかれることなく楽しめました」
「ああいうのは野暮の極みではあるんですが、今日講談を初めて聴くかたも多くいらっしゃるようだったので、意識してやりました。もちろん常連さんは大事ですが、常連さんも最初は新規なので」
「ああ……それは本当にその通りですね」
「古株の常連さんが求めているのは、僕の師匠の神田松鯉(かんだ・しょうり)をはじめとする大ベテランの皆さんが読んでいるような”これぞ講談!”というもの。でも、最初からそういったものに辿り着けるかというと難しい」
「ベテランさんたちの講談はもちろん素晴らしいけれど、それだけでは立ち行かない。そこで呼び屋というか、スポークスマン的な立ち回りを請け負ってらっしゃるのかなと」
「そんな大層なものではないんですが、聴かせ屋だけだと業界は回らないので。僕はそれとは違う、新規のお客さんにも楽しんでいただけるようなもの、という点に強く注力してきました」
「今多くの人が松之丞さんに惹かれている理由がまさにそれですね」
「というのは、何より僕自身が客席から聴いてた学生時代に『そういう講談師と出会いたい』と思っていたんです」
【講談まめ知識】
神田松鯉:松之丞さんの師匠、三代目神田松鯉。1970年入門、未だ現役の大ベテラン。他にも松之丞さんは同門の神田愛山(かんだ・あいざん/二代目)先生からも読み物(=ネタ)を習っていて、その独特なキャラクターはよく松之丞さんから枕で言及される。
「そういう、エンタメに振り切っている、という言い方で合っているかわからないですが、松之丞さんにはエンターテイナー然とした姿勢を感じます」
「講談ってどうしてもこう、堅くやるのが一般的なんですけれど、別に堅くやること自体が講談の本質なわけではないので、お客さんに喜んでいただくのが最重要、というのが僕のスタンスですね」
「その姿勢を貫くのって相当な覚悟がいりますよね。やはり、否定的な意見をぶつけてこられたり」
「誰になんと言われようと貫いてきました。で、僕がこんな呼び屋芸を貫いてこられたのは、やっぱり師匠のおかげなんですよ。自由にやらせてくださりつつも、致命的なところでしくじらないよう目を光らせて、いい塩梅で泳がしてくれたんですね」
置いてく美学、あるいは「わかりやすさ」との付き合い方
「今回の公演では、アクションあり、笑いあり、歴史ロマンありの3本立てでした。このラインナップはどのように決めたんでしょうか?」
「例えば今日はご年配のお客さんが多かったですが、ご年配だからといって堅い話を受け入れやすいかというと違うんです。今日はほとんどの方が講談に初めて触れるようだったので、わかりやすいもののほうがいいだろうと」
「年齢とリテラシーは関係ないですよね」
「迫力で楽しませられるアクションものや、笑いどころのはっきりしたもの、知名度のある歴史上の出来事を扱ったもの、という組み合わせを選びました」
【講談まめ知識】
今日の読み物は、以下の3本立て。
1.「雷電(らいでん)の初土俵」……最強と謳われた力士・谷風の下に弟子入りしてきたスーパールーキー・雷電。強すぎて誰も相手にならない彼のデビュー戦を描いたアクション傑作
2.「鼓ヶ滝(つつみがたき)」……ある旅の歌人の不思議な体験を描いたお話。進むにつれて展開が読めてくるのになぜか笑ってしまう仕掛けもありつつ、示唆にも富んだ物語
3.「扇の的(おうぎのまと)」……日本史や古典の授業でもおなじみの源平合戦。平家に挑発された源義経が弓の名手・那須与一にある無茶ぶりをするところから始まる伝説の逸話
「わかりやすいものの後ろに、堅いけど面白いものが待ってる。いきなり後ろにある堅いものを引っ張り出してもわかりにくいので」
「どんなジャンルでも本当にそうですね」
「僕は講談に『共感の芸』という側面があると思ってるんです。でも、いきなり何の予備知識もない人に堅い話を始めても、共感してもらいづらいですから」
「まず共感の下地をちゃんと整えないといけない」
「例えば『赤穂義士伝』であれば、赤穂義士たちの心情って現代の日本人にも通ずるものがあるんですよ。演者を通して、300年以上前の侍とお客さんが一体となるというか」
「なるほど、共感というのはそういうことですね! その共感を抱いてもらうためにも、わかりやすく順を追って見せていくと」
「僕は自分のことを、入口に立って世間の皆さんにわかりやすいものをプレゼンする役だと考えてるんですよ。入口に人を集めて、僕の先にいる神田松鯉や愛山先生のもとに誘導していく」
「それって、とても難しい割り切りなんじゃないでしょうか?」
「いえいえ、自分はそういうポジションだというだけですね。ネタ選びと一緒で、客観的に見てそのとき一番適した自分の役割を把握する、というだけのこと。名人でも何でもない僕が名人ぶって堅苦しくやるのはおかしな話です。……ただ同時に、わかりやすさって非常に危険なものだと思ってますよ」
「なるほど。わかりやすいものって、得てして生半可なものと捉えられてしまいがちな気がします」
「伝統芸能においては特にかもしれません。僕は『置いてく美学』ってのがあると思ってて」
「置いてく。あえてわかりやすくしすぎずに……といった感じでしょうか?」
「そうですね。例えば100伝えられたうちの80わかって、残りの20がわからない、というぐらいなら、『なんとかついていこう』って思えるギリギリのバランスだと思うんです。後で家へ帰って調べようってね」
「そうですね、『わからない』の許容範囲は20%くらい」
「こういう演芸だと、そのくらい『置いてく』と具合がいいのかもしれません。ところが、私が学生の頃に聴いた中には、20話あるシリーズものを予告なしで急に3話目から始めて急に5話目くらいで終わっちゃったものもあって」
「それだと、ついていけるギリギリのラインの20%を超えてしまうわけですね」
「僕の感覚ですが、こうなると100のうち30はわかんなかった」
「何の話をしてるのかもピンとこないレベルになってしまう。どんなに面白くても、面白いと思えるところまでついていけない」
「『わかる』と『わからない』の比率がちょっと悪すぎるんですね。『置いてく』にしても、どのくらいの比率で置いてくかってのを見極めないといけません」
「反面、わかりやすすぎてせっかくの味がなくなってしまうこともありますよね」
「僕は『わかりやすい』ほうにかなり比重をおいている講談師なので、基本的には目の前にいる人を誰も置いてかないように、都度都度振り返ってちゃんとついてきてるか確認して……ということをやってます。ただし、ときにはあえて置いてくときもありますよ」
「『置いてく』ことでより面白くなるのであれば、置いてくこともあると」
「はい。極端になりすぎないようにという感じですね。例えば、客席が明らかに10代の人たちばかりなのに、『赤穂義士(あこうぎし)とは何か』という説明をせずに赤穂義士伝をやるなんてのはおかしい、という」
弟子という「伝えられる側」でもある自分
「松之丞さんは、伝える立場でありながら、1人の弟子という『伝えられる立場』でもあると思います。『伝えられ方』というか、先生とのコミュニケーションの上ではどんなことを気にかけてこられましたか?」
「先ほど少し触れましたが、自分がこういう芸風を貫いてこられたのは、とにもかくにも師匠が泳がしてきてくださったおかげ。なので、報いるためにしっかり誤解がないよう努める」
「誤解される余地を減らす、といった感じですね」
「変な言い回しですが、『泳がしておいてやろう』という優しい気持ちでいていただけるように、こちらも最善を尽くす、というか。そんな感じです」
「素敵な言葉だ……例えばどういったことを?」
「誤解が生まれやすい活動をするときは、必ず師匠へ丁寧にプレゼンする、といった感じでしょうか。こういった芸風をやる上で、『講談に敬意を持ってやらせていただいてるんですよ』というのがちゃんと伝わるように、都度丁寧に」
「そうすることで、『松之丞がやっているあれ、心配しなくても大丈夫だな』と信頼していただくわけですね」
「ただね、そもそも思ってないことは伝わりません。敬意のない奴から敬意が伝わってくることはないですから、そこは大前提です」
「具体的には……例えば、親子会でやる読み物の選び方なんかはそうかもしれません。もう親子会のときくらいしか師匠に本番の喋りを聴いてもらえる機会がないので、そこでの印象が師匠にとっての僕の芸のすべてになってしまうんですよ」
【講談まめ知識】
親子会:師匠と弟子が揃って公演をやること。
「親子会であまり突飛な芸ばかりやると、『こいつ大丈夫か』という印象になってしまうわけですね」
「そうなんです。で、師匠は『連続物』という、何十話もあるシリーズものの読み物を非常に大事にされています。連続物こそが講談の真髄だと。というのもあって、親子会では僕も連続物をよく読むんです」
「なるほど!」
「僕ももちろん連続物を大事に思ってますから、ちゃんと師匠と同じ気持ちでいますよ、呼び屋芸ばかりやっているわけじゃないんですよ、というのを示して安心していただくというか」
「そういえば、お正月の独演会でも、長い連続物を5日間ぶっ通しで読まれてましたよね」
「そうなんです。それくらい連続物というのはとてもとても大事なものなんですよ」
「行動で示してるわけですね。そもそも世代が離れているぶん、どうしても誤解が生まれやすいですもんね。師匠と弟子だと、親子以上に歳が離れることもあるでしょうし」
「あとはやっぱり、僕は神田松鯉って人が大好きなんですよ。神田松鯉の講談が好きで講談の世界に入って、神田松鯉のおかげでこうしてやりたいことを貫けている。その気持ちは伝わってると思いますね」
「いい関係性……」
「もちろん僕も徐々に師匠のようなクラシックな芸風にシフトしていかないとと思ってますし、実際徐々にやりはじめているところです。なんというか、ゆくゆくはしみじみと『ああ、講談っていいねえ』と感じていただけるようなものをやらなくちゃと」
「お、ということは、今やっているような講談は今しか見られないんですか?」
「今の芸風は若いうちにやっとくもんだと思ってますから。それに……あえてこんな言い方をしますが(笑)、この講談って世界は、ジジイが第一線で機能してる業界なんですよ」
「ジジイが第一線で機能してる業界」
「芸歴は伊達じゃないんです! どんな業界でも、年齢からくる衰えが垣間見えちゃうときってどうしてもあると思うんです。でも講談師なら、芸歴を積めば積むほど磨かれる圧倒的な技術でお客さんを沸かせてしまう。そういう痛快さがありますね」
「なるほど~いいですねえ!」
「記事をお読みの方も、講談の世界に飛び込んできてくださったら皆さん『お年寄りっていいなあ』って思っていただけるって確信してます。そういうところを多くの人にぜひ感じていただきたいんですよ」
マニアがジャンルを潰す。でも、僕もマニア
「松之丞さんはラジオパーソナリティとしても活躍されているし、発信することについての感度は高いと思うんですが、今では一般の人もSNSで日々意見や情報を発信しています。人前に出る仕事でなくても『伝えること』の力量を問われる時代と言えるかもしれません」
「Twitterは僕も見てますよ。使い方としては、告知以外はとにかく明るいことしかツイートしない、リプライが来ても返さない、厄介な人がいてもブロックしないでミュートで済ます、とか、そんな感じです」
「かなり細かく運用ルールを決めてるんですね!」
「特に明るいことしか言わないってのは大事で、案外、人って笑顔の奴に銃を向けられないんですよね。だから僕のツイートは顔文字が多いんですが」
今日はいっぱい仕事したなぁ。
色々な人に感謝です。
٩(๑❛ᴗ❛๑)۶— 神田松之丞 (@kanda_bou) December 14, 2018
「めちゃめちゃ戦略的だ。ちなみにエゴサーチはしますか?」
「します。それが今、非常にいい流れが来てるなという感じなんですよ。というのは、僕のことを熱心に好いてくださっていた人が何人か、松之丞アンチになってきたんです」
「それ、『いい流れ』ですか……?」
「松之丞アンチになった代わりに、他の講談師を褒めるようになってきたんですね。これって、松之丞を入口にして講談に入ってきた人が、松之丞の先にいた講談師たちを知ったってことですから」
「松之丞さん個人としては困った事態なのでは?」
「いえいえ、予想できることなので。僕もそうですが、わかりやすいものから入った人って、しばらくするとわかりやすいものを否定しはじめるものでしょう」
「身に覚えがありまくる」
「エゴサーチしてるのは、単に自分がどう言われてるかってより、『松之丞に関してツイートしてるこの人がどういうふうに変化してくのか』ってのを見てるんです。その過程で彼らが別の講談師を好きになって、僕のことを強烈にディスりだすこともまああるわけで」
【HIP HOPまめ知識】
ディスる:disrespect(ディスリスペクト)に由来。罵倒する・否定するといったニュアンスで使われる俗語。記憶に新しいところでは、アメリカの有名ラッパー、エミネムと同若手ラッパーのマシンガン・ケリーによるディスりあいが大きな話題を呼んだ。また、ディスの応酬による揉め事をビーフと呼ぶ。
「そういうとき、『ああ、第2段階入ったな』と思うんです。講談にどっぷりハマってくれたんだと。で、そろそろ『にわかの客ばっか増えやがって』とか言いはじめるのかなと思っていると、ある日本当にツイートしていたりする」
「この話、耳が痛い人多いでしょうね……。松之丞さんのエゴサーチって、神田松之丞個人のエゴでのサーチじゃないですよね。もっと大きく見ているというか、講談全体を主語に、広く捉えている」
「いやいや、そんな偉そうなもんではないんです。自分なりに講談界のことを考えて、講談ってものの捉えられ方を常に把握していないと、自分がどういう立場で喋ればいいのかってポジションがわかんなくなりますから」
「なるほど。冒頭でおっしゃっていたような、ごく一部のよくないマニアによって閉鎖的な空気が生まれている面はまだあるんでしょうか」
「新日本プロレスのオーナーが言ってましたが……」
「急にプロレスからの引用」
「『マニアがジャンルを潰す』ってのはやっぱりあると思うんですよ。でも、僕もマニア。なので、一部のよくないマニアたちの気持ちはわかる。……それはもう、痛いほどわかる」
【プロレスまめ知識】
「マニアがジャンルを潰す」:新日本プロレスの元オーナー、木谷高明氏の言葉。低迷期にあったプロレスを再ブーム化させた立役者の1人と言われている木谷氏の姿は、松之丞さんとも重なる部分があるかもしれない。ちなみに木谷氏は松之丞さんと同じ武蔵大学経済学部卒。
「もちろん、99%の常連さんたちはただただありがたい存在です。小さな業界なので、常連の皆さんにずっと支えていただいてきた」
「だからこそ、ほんの一部のよくないマニアによっていやな思いをする人がないようにしたいですよね」
「そういう人たちに対して、同じマニアだからこそ、『でも、講談は別にあなたたちのものではないよね』という思いがあるんですよ。もっと『わかりやすい』言い方をするなら、結局、イケてない人生を送ってきた奴らが……」
「(ものすごいディスが来るぞ……)」
「結局、イケてない人生を送ってきた奴らが小さい世界ででかい顔したいだけなんですよ。これは講談に限らず、あらゆるジャンルについて言えますよね」
「耳が痛い」
「だから僕は定期的に、『あなたたちの好きなそれは、あなたたちのつまらない自己顕示欲を満たす道具ではないのだよ』というのをはっきりと言うようにしてますね」
「耳とれそう。でも、演者側がそれを伝えるのはとても意義深いことですよね」
「ただね、最近では常連さんより新規のお客さんのほうが圧倒的に増えてきたんです。なので必然的に、よくないマニアも随分目立たなくなって」
「おお! そうなんですね」
「なので比率としては今、非常に健全というか、よくないマニアがそんなに威張れない状況になってきてますよ。まあ、Twitterでよくないマニアが新規のお客さんにウザ絡みするといった細かな気持ち悪いことは、たまに起こってますが」
「気を抜くとすぐエグいディスが来る」
「まあ、そういうのも泳がしておいていいかなと最近は思ってるんですよ。……ああ、喋ってて気づきましたけど、もしかしたら僕は今そういう人たちに対してあんまり興味ないかもです」
「お、そうなんですか」
「前座の頃なんかはやっぱりそういう人たちと戦ってたと思うんですが、今はよりよい常連さんや、新しい講談ファンを増やしたいってことに注力してますね」
「もう彼らのことが気にかからないフェイズに入ったという感じですかね」
「そういう人たちも結局、講談を好きな気持ちがこじれてしまっているだけなんだと思うんですよ」
「ああ……そうですね、本当にいろんな業界に対して同じことが言えると思います」
「それこそよくメディアに出る僕なんかがちゃんと『講談おもしろいですよ』と発信し続けていれば、
「いいですね、この先の未来を見てるわけですね」
「……あの、最後にちょっと、話ずれるかもしれないんですけど。何年かおきに、『◯年後にディズニーランドに新しいアトラクションがオープン!』って話題になるじゃないですか」
「ちょっと前にもありましたよね、そういえば」
「おれ、ああいうの好きなんですよ」
「(笑) なかなか意外ですね」
「なんかいいでしょ、わくわくするじゃないですか。新しい医療技術や新薬のニュースなんかもそうですね。見かけるとなんとも言えずうれしいんですよ。世界の発展を感じるというか」
「そうですね、未来には期待したいし」
「規模は違いますけど、講談でもそういうわくわくすることを達成したいと思ってます」
「わくわくすること?」
「何か講談全体にとってうれしいことですね。講談専用の寄席を作るとか、現状2つに分裂してる東京の講談協会を統一するとか。そういうことが実現すれば、アンチの人たちも喜んでくれると思いますし」
「その感覚、素敵ですね。さっきあんなにディスっていたのに、そういう人たちが喜んでくれたら、松之丞さんもうれしいんですね」
「うん、そうですね。そうなんだと思います。そういう人たちのこともおれ、やっぱ喜ばしたいですから」
まとめ
講談を通して新規のお客さんに、常連さんに、師匠に、一部のよくないマニアに、「伝えること」を続けてきた松之丞さん。その姿を通して、自分の日々の暮らしを振り返る。
あのバンドも、喫茶店も、おにぎりも、きっと戻ってこないけど、今好きなものは守っていける。
お気に入りのプレイリストの中に、しばらくリリースのないバンドはありませんか? 行きつけのお店で、お客さんが少なくなってきた気がするところは? 入荷量が減ったおにぎりは?
そんな消えていってしまうかもしれない好きなものについて、よりよく「伝えること」で、現状を幸福な方向へ変えていけるかもしれません。
取材協力:武蔵大学
撮影:藤原慶(公式HP)