トポトポトポ…
こんにちは。美味しそうなビールを目前に、そわそわとしているライターのしんたくです。 あ、もう出来上がりますね。
トポポポポポ!!
えっえっ、ちょっと待って。泡めっちゃ溢れてる!
と思うじゃないですか。だけど……
このビール、泡がめちゃくちゃキメ細かいんです。
先ほど大量にこぼしているように見えたのは、ビールを入れるテクニック。名付けて『シャープつぎ』。一度注いだビールから泡を取り除き、再度注ぐことで泡の滑らかさを際立たせ、ビールの味わいを変えるというものなのです。
この広島市・銀山町にあるビールスタンド重富は、入れ方だけで異なる味のビールが楽しめるというお店。『シャープつぎ』の他にも様々なバリエーションがあるのです。その噂は広島市内に住むお酒好きならほとんどが知っているというから驚き。
開店前の17時前にも関わらず、すでにこの長蛇の列
でも、本当に注ぎ方だけでビールの味が変わるの??
そんな質問にお答えしてくれるのは、ビールスタンド重富・店主の重富寛(しげとみ・ゆたか)さん。
この重富さん、単なる酒屋の店主ではなく、
・ビールに関する知見を広げるためのプロジェクト『生ビール大学』の設立
・ビールの歴史にまつわる映画『日本の麦酒歴史(ビールヒストリー)』の作成
・さらにビールの入れ方についての指南動画の作成
などビールに関する知識を様々な人に伝え続けている「ビールの伝道師」なのです。
そんな重富さんに今回は開店前の少しの時間をお借りして、美味しいビールにまつわるお話を伺ってきました。
ビールは注ぎ方で味が全然違う
「お話の前にまずは一杯飲んでいただきましょうか」
「え、いいんですか!」
「ええ。じゃあまずは『一度つぎ』から」
「めちゃくちゃ一気に注ぎましたね」
「はい。このビールサーバーはスイングカランと呼ばれるもので、一般的なビールサーバーの4〜5倍もの流量があるんです」
重富さんが使うビールサーバー(写真手前)は「スイングカラン」と呼ばれ 、昭和8年に使われていた日本オリジナルの規格を復刻したもの。一般的なサーバー(写真奥)が泡立ちを減らすことで味のムラを減らすのに比べて、味の表現の幅を表現できるという
「そんなに違うんですか!」
「その流量を利用して、爽快感を出すのが『一度つぎ』です。喉越しが爽快で、一杯目のビールには最適ですね。腰に手を当てて、風呂上がりの牛乳を飲むようにお召し上がりください」
「では…」
ゴクゴクゴクゴク
「ぷはああああああ。最高すぎる。ガンガンいきたくなりますね」
「ではどんどん行きましょう。次は『三度つぎ』を」
「『二度つぎ』は飛ばして『三度つぎ』なのか……って、これ泡ばっかりじゃないですか」
「失敗ではないので、大丈夫です。これを少し休ませつつ、2回繰り返します。ところで、ビールの泡は何でできていると思いますか?空気中のある成分が含まれているのですが」
「空気の中の成分? 酸素とかですか?」
「酸素だとビールが酸化して味が落ちてしまいますね」
「ええ…なんだろう?」
「答えは炭酸成分である二酸化酸素、そしてホップの苦味と麦芽のタンパク質なんです」
「そういえば、ビールって炭酸でしたね。コーラとかも一気に注ぐと、泡ばっかりになっちゃう。あれ、でもビールって泡消えるの遅いですね」
「はい。一般的な炭酸飲料だと二酸化炭素のみなので、すぐに消えてしまいます。ですが、ビールの泡は二酸化炭素をタンパク質の膜が包み、苦味成分がさらにその上に膜を作る三重構造なので、なかなか消えないんです」
「へえ〜!!」
「つまり泡を立てるというのは、ビールに本来含まれていた炭酸や苦味、タンパク質の成分を泡に閉じ込めるということなのです。ということは残ったビールに残されるのは?」
「それ以外のものですね!」
「はい。甘みが残るわけです。ビールが苦手な人の多くは炭酸や苦味を嫌がるので、こうして泡を大きめに立てることで、飲みやすくなるんです」
「それであえて3回も注ぐんですね」
「はい。だから『2度つぎ』より『3度つぎ』の方が味の違いがわかりやすいと思います。ではできましたので、飲んでみてください」
「うまああああああ。でもほんとだ、めっちゃ甘い。というか完全に別の飲み物じゃないですか。これ中身変えたりしてないですか?」
「同じですよ。うちは基本的にアサヒビールしか出していないのですが、その理由は一般的なビールの中でも一番味の変化が出づらいからです。それでも注ぎ方だけでこんなに味が変わるんだよ、と」
メニューは全部で5種類。青字で書かれている店名は、注ぎ方ごとの重富さんが敬愛する各地の銘店。広島県外の人もこれで美味しいビールが楽しめる…?
「ということは他のビールだともっと味の違いが…」
「はい。どんなに美味しいビールを作ろうとも、注ぎ手の手心次第で味が変わってしまうというわけです。言うならば、注ぎ手は料理人のようなものです」
「なるほど。食材と料理人の関係みたいな」
「今はクラフトビールなど様々な美味しいビールが生まれていますよね。ただ一方で、ビールの売り上げ自体はどんどんと減っている。その理由は注ぐことを疎かにして美味しい生ビールがどんどんと減っているからだと思うんです」
美味しくないビールの理由はとってもシンプル
「美味しいビールが増えたのに、生ビールが美味しくなくなった…? どういうことかよくわからないんですけど」
「はい。今のビールサーバーは泡立ちを少なくする仕様になっているので、味のムラを減らすことができる。そのため注ぎ手の技量の差によらず、かなり均一な味を出すことができるんです」
「えっ、じゃあビール自体は美味しくなっているのでは?」
「はい。そして誰にでも扱えるようになったので、どこに行っても飲むことができるようになりました。でもそのことによって、一つ大きな問題が発生しました」
「問題ですか…なんだろう?」
「ビールサーバーの手入れが雑になったんです」
「雑になったってどういうことですか?」
「30年くらい前までだと、生ビールを飲めるお店が少なかったんですよ。ほとんどのお店ではビールといえば瓶ビール。今と違ってビールサーバーを置いているお店が少なかったんですよ」
昔のビールサーバーはビアホールなど限られた場所にしかなかった。いわく「泡切り3年注ぎ8年」というほど、ビールつぎは職人技だったのとか
「知らなかった…たしかに古いお店だといまだに瓶ビールだなあ」
「つまり当時の生ビールは貴重な看板商品だったわけです。だからみんなが毎日のようにビールサーバーを洗って、きちんと手入れをしていた」
「毎日! でも洗う洗わないくらいで、そんなに味変わるんですか?」
「もちろんです。基本は樽1日1本空けなきゃダメなんですよ。だって瓶ビール1本を空けて、三日かけて飲みますか?」
「飲まないです。だって三日経ったら、絶対美味しくないじゃないですか」
「ですよね。そしてお店によっては、ビールサーバーを洗っていないこともあるんです。そんなビール飲みたくないでしょう?」
「たしかにそれはちょっといやかも…」
「でも美味しい生ビールを入れるのに必要なことって、難しいことではないんです。きちんとグラスとサーバーを洗うこと、あとは丁寧に入れようという心持ち。今のサーバーは初心者でも簡単に入れられるように作られているから、技術以前の問題なんです」
一杯目のビールはファーストキス?
「なるほど。じゃあ重富さんはそのことを伝えるために、お店を開いたんですか?」
「はい。入れ方によって、こんなに味が変わるということを伝えたかったということもあります。でももうひとつ理由があるんです」
「ほう。それはなんですか?」
「それは……」
「美味しくない生ビールのせいで、飲み会におけるコミュニケーションが失われつつあるからです!」
「え、あ、はい。急に迫力がすごいですね。でもどういうことでしょう?」
「飲み会に行った時に、まずはじめに飲むものってなんですか?」
「まあ、ビールですね」
「そうですよね。飲み会で一番最初に口にするものって、いわばコミュニケーションのはじめの一歩なわけです。恋愛で言ったらファーストキスですよ。初めての時に口内のケアもしないで、不潔な口でキスしようとする人と恋愛したいと思いますか?」
「それは…思わないですね」
「その恋愛を実らせるためには、貢ぎ物が必要なわけです。ファーストキスは雑だったけど、ヴィトンのバックをあげるとか、車がベンツに乗ってるとか。今の飲食店はそれと同じことをしているわけです。一杯無料券や10%割引券とかで人を釣ると」
「無料券、割引券…うわ僕もめっちゃ釣られてるな…」
「さらに言うなら、飲み会の時間は限られているわけです。最初の一杯の印象が悪かったら、どんなに料理でリカバーしたとしても盛り上がるのは飲み会の終盤。昔は二次会・三次会が普通でしたけど、今は大抵が一次会で終わりですから、もったいないですよね」
「たしかに『もっと話したかったのに…』ってこと結構あるなあ」
「だから私は『0次会』のためにこの店を立ち上げたんです。いわばウォーミングアップのためのお店として」
「『0次会』?」
「一次会の席で最高のパフォーマンスを出してもらうためのお店。いわば前座です。うちで気持ちよくなってもらって、本番は次の店から。だから営業時間も短いし、飲めるビールも2杯まで。おつまみも出しません」
店舗の前の看板には、店のルールが細かく書かれている
「へえ〜。面白いですね」
「2月だけアサヒビール以外の銘柄のビールを出すのも同じ理由です」
※2月はキリンラガー、サッポロ黒ラベル、サントリーモルツを各10日ずつ出すそうです。
「2月に何かがあるってことですか?」
「飲食業界では2月と8月は『ニッパチ』と呼ばれていて、お客さんが店に来づらい時期なんです。8月は旅行などで単純に人が街にいないのが理由なのでどうしようもないんですけど、2月は寒かったり、イベントがなかったりで、街に人が出づらい季節だと」
「たしかに新年会とかないと、寒い時期に外出るのは面倒くさい」
「そこで、うちがいつもとは違うビールを出すと、飲みに出てくる理由ができるわけです。コミュニケーションを取る機会も増えるし、街にもお金が落ちる、と」
「なるほど。この店はあくまで『飲みニケーション』を活発化させるためのお店だと」
「はい。その通りです」
ビールには心のバリアを下げる力がある
「でも、最近『飲みニケーション』って結構嫌がられている印象ですよね」
「私は『飲みニケーション』が上手くいかないのって、お酒の力を過信しすぎてるからだと思うんです」
「過信? でもお酒があるからできるコミュニケーションってことなんじゃないですか?」
「誤解されがちなんですけど、お酒の力ってリラックスさせやすくするだけで、普段以上にコミュニケーションを活発にするわけじゃないんですよ。心のバリアを解くためにはお酒や料理が美味しいことも大切だと思うんです」
「ほう…味も大切だと」
「はい。おいしいものを飲み食いすれば、みんな笑顔になるわけで、その分心のバリアが下がって、打ち解けやすくなる。笑顔になれば、目が広がって、顎が上がるから視野も広がるし、会話も上向きになると思うんですよ」
「たしかに美味しいもの飲み食いすると、自然と笑顔になるな…」
ビールスタンド重富の壁には様々な人からの寄せ書きがある。偶然店で仲良くなった二人が、そのまま次のお店に行くことも少なくないそう
「いろんな本で社会人のコミュニケーション論が語られていますけど、私はコミュニケーション能力って、相手を喜ばせたり、リラックスさせて、相手の心のバリアを下げることができる力だと思うんです」
「喜ばせたり、リラックスさせる力…ですか」
「はい。たとえば、上司が部下と飲みに行きたい時は、その人の好きな料理を食べられる飲み屋を5件くらい探して誘ってみる。『お前この店好きだと思うんだけど、今度時間作って行かないか』と。もししんたくさんが部下だったら、付いていきますよね?」
「いきますいきます。それめっちゃうれしいですね」
「もちろん押し付けがましくやったらもちろんダメですよ。でも、もしそれが好みの味じゃなかったとしても、心が打ち解けてコミュニケーションがとれるはず」
「ほー、心遣いが相手の心を開くということですね」
「はい。そして、さらに円滑に進めるのが一杯目の美味しい生ビール、というわけですね。福沢諭吉はビールのことを『其味至って苦けれど、胸隔を開く為に妙なり』と称したそうです」
「難しい言葉が出てきた…。どういう意味ですか?」
「ビールはとても苦いけれど、心を開く作用があるという意味です。彼は一言でビールの5000年の歴史を言い切ったんですね」
「5000年前からあるんですか? 紀元前じゃないですか」
「メソポタミアの時代から、人と人とのコミュニケーションをうまく円滑に進めてきたのがビールなんです。エジプト時代には、労働者は仕事終わりに配給されるビールが飲みたいから、毎日喜んで皆さんピラミッドを作りに出かけたとも言われています」
ビール文化の普及に努める重富さんが娘さんと共同で制作した映画『日本の麦酒歴史(ビールヒストリー)』は日本人の麦酒の原点を探す旅をしながら、制作したものだという
「人類はビールとともに歩んできたと」
「はい。そんな人類が、常にビールのおつまみにしてきたものがあります」
「え、なんですか?ポテチとか枝豆とかしか思いつかない」
「自分自身です。要するに今日1日分のストレス。仕事のストレスがあればあるほど、ビールが美味しくなるわけです。横暴な上司や生意気な部下、腹たちますよね? でもその分、仕事終わりのビールが美味しくなる。だからビールが美味しくなるために上司も部下も存在してくれているわけですよ」
「なるほど。そう考えると、少し大切にしたくなりますね」
「これを私は『ビールポイント』って呼んでます。いらっとしたら、1ポイント。溜め込んだ分だけ、週末のビールが美味しくなる、と。もちろん溜め込みすぎはダメですけどね。心の病になってしまうので」
「ビールポイントってめっちゃいいなあ。そう考えるとほんとビール様々だな」
「はい。でも、勘違いしちゃいけないのが、人生の主役はビールじゃなくてあなたなんですよ」
「ん? ん? どういうことですか? なんか急に哲学的な話に」
「CMで商品が大々的に取りざたされたり、テレビ番組で話題のクラフトビールが大々的に取り上げられたりしてますよね。でもね、ビールはあくまで『あなたの人生を彩る脇役』に過ぎないんです。ビールを飲むことが重要なのではなくて、あなたが楽しくなることが大切」
「美味しいビールを飲んで楽しくなれってことであってます?」
「はい。それでいいんです。あなたたちが主役。ビールもビール以外のあらゆるものも脇役です。私たちは助演男優賞なんかもいらない。エキストラでいいんです」
「ビールはエキストラ」
「はい。ビールはあらゆる人たちのコミュニケーションの間に立って、サポートしてきたもの。いわば人生の触媒に過ぎません。私が注いでいるビールも、私自身もそう。だからあなたの人生がより豊かになれば、それが一番なんです」
「おお! じゃあ豊かにするためにもう1杯いただいてもいいですか!」
「ダメです。うちは2杯までなので。あとは外のお店で楽しんできてください」
(やっぱりルールはしっかりしてるんだな……)
おわりに
というわけで、『ビールの伝道師』重富さんのお話はいかがだったでしょうか?
「仕事帰りの缶ビールは最高だぜ」程度の認識だった僕にとっては、ビールの歴史の長さや入れ方の技術など、知らないことの連続で終始驚きっぱなしでした。ビールはマジで奥が深い。
重富さんがビアバーとして掲げるキャッチフレーズは「同樽飲友(どうたるいんゆう)」というもの。
これは「同じ釜の飯を食う」という言葉と同じように、仲間と同じ1つの樽のビールをみんなで乾杯をする。そして、その美味しさを分かち合うことでより仲良くなれるはずという意味を込めて、生み出した言葉なのだそうです。
アルハラという言葉があるように、お酒に対する印象が悪くなっている世の中ですが、そもそも飲み会で大切なのは美味しいものを一緒に飲み食いして、ともに笑顔になって、より仲良くなること。それを思い出せば、より飲み会も楽しめるようになる……はず。
でも実はこれって、飲み会以外のところでも大事なことなのかもしれませんね。
ちなみに、重富さんはビールを家で飲む人用に動画も作っているんです。家飲み派の方はこちらもどうぞご覧ください。ビール注ぎの極意が詰まってます。
缶よりも、瓶ビール。そしてグラスに注いだ方が味の広がりが楽しめるんだって!シェア用の動画としてもぜひ。
僕はこの動画でも見ながら、これから一人でビールを飲もうと思います。
皆さんも美味しいビールを誰かと飲んで、一緒に笑顔になって、より仲を深めてくださいね。ではでは。
撮影:小林直博