はじめまして、ライターの大島一貴(おおしまかずき)と申します。
僕は文学部に通う現役大学生なのですが、うっかり留年して路頭に迷っていたところを拾われ、ジモコロで記事を書かせてもらっています。
さて、文学部なので括りとしてはもちろん「文系」……なのですが、なんとなく「文系って役に立たない」みたいなイメージがありませんか?
「文系って何やってるかよく分からん」「理系は就職してすぐ役に立つけど……」みたいな暗黙の認識があるような気がします。しかも、ネットサーフィンしていると、
国立大学から文系がなくなる? 文科省の揺さぶりに地方大学が浮足立っている
超絶バッドニュースが出てきた~!
え、文系学部を無くそうなんて議論があったの?
もし文系学部が無くなってしまったら、文学部の僕はどうなるんでしょう。
就職面接で「文学部」とか言ったら鼻で笑われる時代が来るの? そもそも大学って何するところ?「学ぶ」って何? 人生って……??
悩みすぎて、思わず東京工業大学(以下、東工大)まで来てしまいました。
「なんで文系の話をしてるのに東工大?」と思う人もいるかもしれませんが……
この方、西田亮介(にしだりょうすけ)先生にお話を伺うためです。
西田先生は「理系学生オンリー」の東工大で社会学を研究しており、本人も文系(総合政策学部)出身。選挙や政治に関する著書も出されています。
ってことは大学時代の「文系の学問」をまさに仕事に役立てている方なのでは……?
つまり「大学時代の勉強、今も役立ってますよ!」とおっしゃってくれれば僕にもかすかな希望が見えてくるわけです。
ちなみに今回、ジモコロ編集部で文学部出身の友光だんごさんにも同行してもらいました。
「だんごさん、大学で勉強してたことってライターの仕事に役立ってます?」
「ものを書く仕事をしてるけど、とくに実感はないなあ……」
「そこは嘘でも『役に立ってる』って言ってくださいよ!」
文理問わず、大学は「役に立たない」?
「本日はよろしくお願いします。僕は現役の文学部生なので、『文系って要らないよね?』と言われることに危機感を抱いているのですが」
「僕はどっちかというと、『要らない』って言われても仕方ないのかなと。文系の学問って、わかりやすく『こんな風に役に立った!』というのが少ないと思うんです。文学部は特に…」
「なるほど。僕はもちろん『必要』だと思ってますよ」
「おお、これは心強い!! では、どんな風に文系学部が必要なのか、お話を聞かせてください。西田先生も文系学部出身ですが、きっと大学時代の勉強が今のお仕事にも役立っているんですよね」
「うーん、まあ直接的には役に立ってないでしょうね」
「ええええ!?」
出鼻をくじかれ、一瞬「無」の境地に
「現在の専門領域である政治や選挙について勉強し始めたのは大学院に行ってからで、学部のときは全然興味なかったですからね。大体、仕事の役に立つ大学なんて基本ありえないわけですよ」
「めちゃ根本からバッサリいかれた……」
「むしろ学部のときは勉強よりサーフィンしてましたね。サーフィンしてなかったら今の僕はなかったと思います」
「どういうことでしょう?」
「分子生物学講読の期末テストの日、サーフィンの先輩に急に呼ばれたんですよね。『今日は波がいいから来いよ~!』って」
「で、行っちゃったんです」
「なんで行っちゃうんですか!」
「1単位くらい取り返せるかなと思ってたんですね。でも取り返せず、そのまま留年しちゃって」
「僕も履修ミスでうっかり留年したので偉そうなこと言えませんが、留年理由としては全然同情できませんね……」
「ただ、留年してなければ大学院にも行ってないので、こうして大学教員をやることもなかったわけですよ。ですから、将来への影響としては勉強よりもそっちですね。7~8割の人にとって『学部で何を学んだか』と『それが進路選択や仕事に役立つか』は関係ないと思いますね」
「なるほど……それは文理問わず、ってことでしょうか?なんとなく『文系と違って、理系の勉強はそのまま仕事の役にも立ってそう』というイメージがあるのですが」
「文理問わずですね。理系って、ザックリ言うと理学と工学に大別できます。その中でただちに『役に立つ』と言えるのは、工学でプログラミングとか金融工学とかやってる一部の場合だけだと思いますよ。研究職はまた別ですけど」
「そういうものなんですね」
「文系ってなんで必要なの?」と聞かれたら
本があふれかえるほど積まれた、西田先生の研究室の本棚
「西田先生は、『文系の学部・学問ってなんで必要なんですか?』と問われたらどうお答えになりますか?」
「法学や政治学に関して言うと……たとえば満員電車って嫌ですよね? あれを解消するとしたら、どうします?」
「うーん……単純にダイヤを組み換えて増やすとか?」
「ですよね。今って、鉄道の需給予測がすぐできるんですよ」
「需給予測?」
「技術的には、『改札を通った人が何人いるから、何分後にホームにこのくらい人が溢れる』っていう予測が可能なんです。でも実際それに合わせて柔軟にダイヤを組み換えることはできない」
「すごい……!『技術的には可能』ってことは、なにか制度上の問題があるんでしょうか?」
「そうなんです。『鉄道事業法』っていう法律で、『時刻表や運賃を変更したときは国土交通省に申請しなきゃいけない』って決まってるんです。だからこの問題を解決しようと思うと、法律を変えないといけない」
「あ!それで法律の知識が必要になってくるんですね」
「はい。そして法律を変えるには、政治学の知識を持った人が必要になってくるんです」
「なんだか壮大な話……」
「今のは極端な例でしたが、たとえば色んな人に関係がある『契約』についても、民法が規定しているので、法学の分野になります。つまり、意外と文系の学問って日常生活に関係があるんですよ」
大学は「あるだけ」で役に立っている
「とはいえ、文系の中でもジャンルによって毛色が違うじゃないですか。法学・経済学なんかは比較的『実学』寄りなのかなと」
「そうですね」
「とすると文学や哲学、歴史学なんかは実生活において『不要じゃね?』と言われても反論できない気がして」
「そのときは直接的な役立ち方というより、間接的な役立ち方を考えましょう。『そもそも大学があったり、大学で何かを学んでる人がいるだけで世の中の役に立ってるじゃないか』と言ってみるといいと思いますよ」
「それはどういう……?」
「ある場所に大学が立地していて、周辺に学生街がある。すると学生が飲食してその地域にお金を落とす。何を学んでいるとか関係なく、これって経済効果がありますよね」
「あ~、経済という観点から見るんですね。盲点でした……!」
「いま僕の研究室に、留学生が10人くらいいます。彼らが海外から来るのは『日本に外貨を落としてくれている』とも捉えられますよね。彼らが将来偉くなったら東工大に援助をしてくれるかもしれないし、日本と他国との関係を良くすることにも繋がるかもしれない」
「なるほど。……あれ、でも今のお話だと大学の文系学問の中身は関係なくて、『そこに存在していることに意義があるんだ』ってなっちゃいませんか?」
「もちろん中身も大事なんですけど、考えても仕方ないところはあると思います。外から評価しづらいし。お互い分野が違えば何やってるか分からないじゃないですか」
「確かに、数値化できるものでもないですしね」
「それに『大学は役に立たない』って言われても、じゃあ日本の一般企業がそんなに役に立ってるのか、といえばそんなことないわけですよ(笑)。部署で考えても総務や経理はその企業の外部に『役立っているのか』といえば、それもよくわかりません」
「先生、結構ぶっこんできますね」
「たとえば、我々は『コンビニ』があればいいわけで、それがセブンイレブンでもファミリーマートでもローソンでもそんなに関係ない。学部もそれと同じです」
「大学の外の人にとっては別に重要ではない、と?」
「そう。その中身をとやかく言うのは、余計なお世話な気もしてます(笑)。しかも研究者とかごく一部の人を除くと、学部というのは個々人のキャリアにはほとんど関係ないわけですよ。だから気にしなくていいと思いますね」
「そういった意味での大学の価値って、見逃されてるかもしれませんね。ネットが普及したりして、分かりやすく即効性のある結果を求められがちな印象があります」
「確かに。その中で、特に文系の学問って『目に見える成果』をパッと出すのが難しい……」
「まあ理系でも、モノ作りとか分かりやすい成果を出すのは一部の人だけですよ。それよりは、『文系って要らないよね?』という論調を引き起こした背景には、もっと別の問題があると思いますね」
そもそもなぜ「文系不要論」なの?
「そもそも、なぜ『文系不要論』なんてものが出てくる社会になってしまったんでしょう?」
「不況などの背景もありますが、まず多くの人が『文系は要らない』って信じちゃってるわけですよね。問題はザックリ2つあって、1つは、文系の研究者たち自身が『役に立たなくてもいい』っていうスタンスを取ってしまっているところ」
「ああ~。以前、文学部の著名な先生が『文系の学問は社会に出たとき直接役に立つのではなく、人生の岐路に立ったときに役に立つんだ』とおっしゃってて、イマイチ腹落ちできなかったことがありました……」
「そうでしょうね。だから『役に立つ』って言ったほうがいいと思いますよ。だって当事者自身が『役に立たない』って言っちゃうと、『じゃあ要らないんだな』と社会の誤解を増長させるに決まってます」
「それは本当にそうですね!」
「もう1つの問題は、大学の人たちが外の世界に向けて、文系の必要性を語ってこなかったことだと思います」
「それは西田先生のように、たとえば一般向けの本を書くとか、ネットでガンガン発信するとか、メディアに出るとか?」
「そうです。ただ研究者にとっては、どれも基本的に苦痛な作業なわけですよ」
「……なんか取材申し込んじゃってすみません」
「いや、僕はいいんですけど(笑)。『研究して論文や専門書を書く』ことだけに全力を注ぐのが正しい研究者の在り方だ、という方もたくさんおられますから」
「広く発信したがらなかったり?」
「一般向けの雑誌に寄稿したり、取材を受けたりすることは、必ずしも研究者の業績とは見なされないんですよね。ピュアな研究者の方から見ると時間のムダに思えるみたいなんです」
「では、ネットなんかは邪道ってことですよね」
「でも学問の本質って『形式』じゃないと僕は思います。1冊4,000円の専門書に書いたから偉いとか、そういうことではない。新書でもなんでもいいから、純粋な形で議論が行われさえすればそれが本質だと思ってます」
大学は「普通の人」のためにある
「先ほど教養という話が出ましたが、仮に大学に『教養を身に付ける場』としての役割があるとしますよね」
「はい」
「すると、たとえば大学の授業に真面目に出て単位を取る学生と、授業には出てないけどめちゃめちゃ本を読んでる学生がいたときに、『前者のほうが教養があるよね』とは必ずしも言えませんよね」
「まあ、後者のような人もいますからね。堀江貴文さんとか」
「だから人によっては『大学なんてなくても、本読めばいいじゃん』と言われてしまいそうな…」
「堀江さんのように、それで成功する人はいいですよね。結局大学っていうのは、大半の『普通の人』のためにあるわけですよ。シンプルです」
「本を読みまくって起業するとか、著者として大成功するとか、そんな人って少ないんですよ。僕だってそうじゃないし……そういう凡人にとって大学は便利なんです。大学という『安定した評価を得られる場所』を経て次のステージに行ける」
「なるほど……良くも悪くも安定はしてますよね」
「そういう役割が一つ。それと、この社会を生き抜いていく上で、最低限必要な知識を得るというのも大事です。例えば歴史ですね。これから第一線で活躍する人が、日本や世界の歴史をほとんど知らないって恥ずかしいじゃないですか」
「確かに。でも理系だと歴史が必修じゃないところも多いですよね」
「そうそう、必修じゃないことをわざわざ勉強する学生は少数派ですから(笑)。自学自習だと足りない部分をカバーするのも、教養教育の役割の一つかなと思います」
「ネットで好きな情報だけ選び取って摂取できる時代ですもんね」
意義なんて、気にしなくてもいい
「ネットといえばTwitterとかインスタとか、SNSの流行がものすごいじゃないですか。最近では『大学生のうち50%以上は1日の読書時間0分』という調査結果もありますし、ネットの普及が『本離れ』に関係してますよね?」
「それは一因として確実にありますね」
「僕は文学部なので、もっと近代文学の魅力とかを広めたいんですが……でもそれって、別に押し付けるものでもないんですよね。だから『文学部は何をすべきか?』というのは考えちゃいます。『社会に出たあとで、文学部の出であることをどう活かすか?』みたいな……」
「あんまり考えなくてもいいんじゃないですか」
「やっぱりそうですかね」
「結局『その人が魅力的かどうか』に尽きますよね。僕は大学教員という仕事なので、『大学は大事なんだ』という理屈をこういった取材でもひねり出してるだけです(笑)」
「じゃあ、『文系学部の存在意義はなんですか?』と聞かれたら……」
「『なんで役に立たないと思うんですか?』と逆に聞き返しましょう」
「それいいですね!」
「さっきの『大学があるだけで経済を回せてる』って話に連なりますけど、大学も民間企業と同程度には役に立ってるし、同程度に役に立たないとも言えるんです。大学にばっかり税金が使われてると思われがちですけど、実は民間にも税制優遇や実証制度、特定の雇用形態の促進、不景気対策などのさまざまな形で税金は使われているし……」
東工大では昔から教養教育に力を入れており、2016年からはリベラルアーツ教育も開始した
「なるほど。最後にお尋ねしたいのが、『勉強する意味って何なんだろう?』ってことなんです。家で文学の勉強をしてると、外への価値、生んでないなって思っちゃって…」
「それは分からないですよ。何かになるかもしれないし、ならないかもしれない。一つ言えるのは、大島さんが成功すればいいんですよ」
「成功する?」
「そうすれば『ほら文学で良かったじゃん、これだけやれたじゃん』って言えるでしょ?なんでも結果論なんですよね。僕は大学受験に失敗してるんですけど、もし第一志望に受かってたら大学の教員になってないかもしれないし。だから分かんないですよ」
「なるほど。僕が今すぐに意味を説明できなくていいんですね」
「そうです。とりあえず大島さんが何かで成功することにフォーカスすればいんじゃないですか?」
「なんだか勇気が出てきました……! Twitterを拝見してると忙しそうにされてるので、本日は貴重なお時間をありがとうございました」
「Twitterでヒマそうにしてると、また『文系要らないじゃん』って言われちゃいますからね。忙しいフリしてるんです(笑)」
おわりに
というわけで、西田先生への取材が終わりました。最後のほう、人生相談みたいになってるけど。
「文学部はどうなるのか」「文学部出身としてどう生きていけばいいのか」……これらはおそらく答えのない問いです。というより、「大きすぎる問い」と呼ぶほうが正確でしょうか。
文学部でも大学でも、「役に立つの?」とか「意味はあるの?」なんてことを突き詰めていけば、結局「わからない」んだと思います。
今回その「わからない問い」に挑戦してみた結果、願ってもいなかった多くのヒントを西田先生に教わることができました。
大きな視点でものを考えておられる西田先生の言葉は論理的で、飄々としていて、なのにとても力強い。
僕は文学部です。だからって、その価値を叫ぶ必要なんて今はまだない。
でも僕は文学が好きです。だから、その面白さを広く伝えたい。
それなら変に肩肘張って叫ぶんじゃなく、好きなものを「好きだ」とつぶやき続けること。世の中の潮流なんて、実はあまり関係ないのかもしれない。「要らない」って言われても、気にしなくていいのかもしれない。
そんな風に、ちょっと気が楽になりました。