カラン……ヒタヒタ……。
〜30分後〜
ポタポタポタ……。
(グビッ)
んんんんん!!あっまあああああい!!!
80度以上のお湯でお茶を淹れると、苦味成分のタンニンが多く抽出されてしまう!しかしッ!上質な茶葉を!氷出しにすることで、甘み成分のテアニンのみをじっくりと引き出すことができる〜〜!!なんたる甘み〜〜!!
あっ、すみません。あまりのお茶の美味しさに我を忘れておりました、おかんです。
ちなみにこのお茶は、緑茶の中でも最も苦味が少なく、甘みの強い「碾茶(てんちゃ)」という種類のもの。本当にびっくりするほど甘いんです。
さて、私は奈良にほど近い京都南東部の町、和束町(わづかちょう)にきております。
この和束町は日本でも有数のお茶の産地なのです。
青空と茶畑が織りなす絶景!
そんな和束町で、お茶農家の娘さんが「うちのおいしいお茶をもっと世界に広めたい」と、農家民宿をはじめたとの噂を耳にしました。
農家民宿…? なんとも聞き覚えのない響きだけど、めっちゃ気になる!そしてお茶のことも聞いてみたい!
ということで、私はバカンス…もとい、お茶のアレコレを学ぶべく和束町に向かいました。
「摘む・飲む・食べる・知る」を学びながらお茶の世界に触れる宿
雄大な茶畑が広がる山の合間、お茶農家さんの家屋が連なる集落に、農家民宿「えぬとえぬ」はあります。
「ようこそ〜!」と溌剌とした声で迎えてくれたのは、女将の北紀子(きた のりこ)さん。若干29歳にして、宿を切り盛りしています。
「お世話になります!『農家民宿』が初体験なんですけど、そもそも農家民宿ってどんな形態の宿なんでしょうか?」
「農家民宿というのは、農家の人が住居を宿として提供する形の宿泊施設です。各農家が栽培する作物を食べたり、収穫体験ができるケースが多いですね」
「ほほー、いろんな農家さんのお仕事を間近で学ぶことができるんですね」
「そうですね。うちはお茶農家なので、お茶を使ったさまざまなおもてなしをさせてもらっています。お茶摘み体験や加工場の見学、そこで摘んだ茶葉を使った料理の提供など、我が家のお茶をふんだんに楽しんでもらえるよう心がけています」
「見学や体験じゃなくてお茶の料理まで…? それは楽しみすぎる…」
「はい。1日1組限定なのですが、広い間取りや農家の一日を楽しむことができるんですよ」
「貸切とかめっちゃ贅沢」
宿はもともとは北さんの祖父母が暮らしていた家を改装したもの。お花のしつらえなども紀子さんが手がけているそう。若いのに渋かわいいセンスしてるな〜
お茶の概念が変わる! お茶づくしフルコースに昇天
夕ご飯は、紀子さんお手製のお茶づくしフルコース!
自家製の干し柿をワインに漬けてクリームチーズを挟んだものや、近隣で採れた山菜の天ぷらなど、自然豊かな和束町で採れる食材もたくさん使われています。
なんと茶葉そのものを味わえる料理もあります。茹でたお茶の新芽の酢味噌和えは繊維っぽくなく、噛めばお茶の風味が口いっぱいに広がる……!
この茶葉は夕方、茶畑に出向いて自分で摘んだもの。自分で採った食材を新鮮なうちに調理してもらい、すぐに食べることができるのも農家民宿ならではの魅力!
ほかにも茶葉を使った天ぷら2種に、自家製の抹茶塩を添えたものや……。
碾茶の骨(くき)を自家焙煎し、特製のタレと一緒に一晩ねかせたイチボのローストビーフ。
もち米をつみれ状にし、出汁と抹茶を合わせた餡をかけた椀もの。
ああっ、もう最高!
「飲み物の素材のイメージが強い茶葉も、ここまでレパートリー豊かな食材になるとは……。さいこう。うましゅぎ。しあわせ……」
紀子さんの点てた抹茶を合わせたビールを口に含んだが最後、ドカドカドカ〜ッと押し寄せる新体験の旨味に、語彙力がゼロになりました。
贅沢なご飯でお腹を満たした後は、茶葉を入浴剤にした「お茶風呂」を堪能でき、風呂上がりには軒先から美しい星を眺められます。サイコー過ぎる。
脱・没個性! お茶のキャラを味わってもらうための取り組み
宿ではいろんなタイミングで「一服しましょ」とお茶がふるまわれます
「最初に飲ませていただいた碾茶、もうびっくりするくらい甘くてビックリしました……!! 上質な出汁を飲んでるみたい」
「碾茶は、茶葉を日光に当てずに育て、さらにその葉を揉んだりせずに乾燥させるので、苦味が少なく甘いんです。そんなお茶の1番甘いエキスだけを飲んでもらうために、氷でじっくり抽出するのをオススメしてます」
「氷出しというお茶の淹れ方も初体験でした」
宿では、一家で育てているさまざまな種類のお茶を楽しむことができます。冒頭にいただいた碾茶や、ベーシックな味わいの煎茶、甘香ばしい薫りが濃いほうじ茶など……
「皆さんが知らないお茶の味わい方を紹介するのも私の大切な役割。お客さんの多くは、この氷出し碾茶を飲んでびっくりされるんですよ」
「この味を知らずに30年近く生きてきてしまった己を悔やみたいわマジで……。そもそも、どうして紀子さんは農家民宿をはじめたんでしょうか」
「その理由のひとつには、東の静岡茶と双璧をなすブランド茶『宇治茶』の存在があります」
「ああ、宇治茶! ペットボトル飲料の『伊右衛門』も宇治茶を扱うお茶屋さんとサントリーのコラボによって生まれた商品だし、街ではあちこちで『宇治抹茶使用』を掲げるお店がありますし」
「でも宇治茶の茶葉の大部分は、宇治市でつくられているのではないんですよ。京都府下でもっとも宇治茶用の茶葉を生産してるのは、この和束町なんです」
「ええ!? そうなんですか? そもそも全国的に知られる『宇治茶』ってどういう定義なんでしょうか」
「地理歴史や文化などの背景を基準に、京都を中心に奈良・滋賀・三重の4府県産の茶葉を使い、京都府内業者が府内で仕上加工したものである、と『宇治茶』には明確な定義づけがあります」
「たしかに言われてみると、人気の京漬物『千枚漬』も原材料の聖護院かぶは京都市の隣・亀岡市が主な産地だと聞きますね。最終加工地がブランド名になるというのはよくある話なのかも」
「そうなんです。和束町のお茶も、多くはお茶問屋さんを通じて『宇治茶』として販売されるので、そんなにネームバリューがなかった」
「『宇治茶』として十把一絡げにまとめられちゃうと」
「でも『宇治茶』と一言でまとめても、お茶ってすごく個性豊かなものなんです。畑の立地、品種、肥料の種類、農薬の使用不使用……で味がいろいろ変わってくる」
「それをブワーッと集めて
グワーッと加工して
ドカーンと「宇治茶」とまとめられるほど、
和束のお茶は没個性じゃないぞ、と」
「勢いすごい」
「2000年代から少しずつ『和束茶』自体を味わってもらうため、『和束茶』としてのブランド形成が町全体で取り組まれてきました。お茶の一大産地に生きる人間として農家民宿は私ができることのひとつなんです」
宿で提供されるお茶は、栽培から加工まで紀子さんたち家族が全て手がける。100%和束町産であり100%北家が加工する、お茶の個性がイキイキと残るもの
14の畑に16種の茶葉!女将の父は町随一の茶マニアだった
宿の周辺に広がる紀子さん家族の茶畑も案内してもらいました。複数の山の斜面に、じつに20の畑を所有しています。
「めちゃくちゃ坂がキツイ……!」
「これが和束町の茶畑の特徴ですね。朝晩の寒暖差が大きく、急峻な山の間にあるから、斜面によって日照時間に違いが出てきます。和束町ではその違いを利用して複数種の茶葉を植えている農家さんも多いんですよ」
画像手前が煎茶の畑。奥に黒いビニールが被さった一角は「かぶせ茶」と呼ばれる栽培法で植えられている。日光を遮ることで、渋みが少なくなるんだとか
「紀子さんの家は、だいたい何種類くらい育てているんですか?」
「いまは……24種類ですね!」
「多ッ!!えっ、それが普通……?」
「和束町の中でも一番多いと思います。農家民宿をはじめたもうひとつの理由なんですけど、うちのお父さんがお茶マニアなんですよねえ。家業を仕方なく継ぐんじゃなくて、好きでお茶農家をしてるんです」
「だからそれだけのお茶を育ててるんですか」
「複数の茶葉を育てるのにはちゃんと意味があります。いま、世界的な人気もあって、世の中で一番栽培されているお茶は抹茶用の茶葉。抹茶ブームの到来で、お茶農家の多くは抹茶用の茶葉に植え替えをおこないました。ただ、そのブームが去ってしまったらどうなると思います……?」
「ニーズのない茶葉を抱えてお茶農家さんが途方にくれる……??」
「そうなんです。それに、お茶の木っていうのは植えてすぐに生産可能な茶葉が採れるわけじゃない。ブームが去ったら次のブームの茶葉、と簡単に移れません」
「なるほど…」
「なにより植え替えによってそれまで育てていた茶葉の栽培ノウハウが失われてしまうリスクがあるんです。生産加工を全て家族で担うからこそできることですが、おそらく、和束町でもっとも多くの種類を育てているんじゃないでしょうか」
「和束町で一番…! でもそんなにたくさんあると、めっちゃ大変なんじゃないですか?」
「そうですね…。でも、ある日、友達が『あなたの家のお茶で、価値観が変わった。お茶ってこんなにおいしかったんだ』と言ってくれたんですよ」
「それはうれしい…」
「家族が誇りをもって栽培するお茶が、誰かの世界を変えることができる。和束町のお茶、ひいては我が家がつくるお茶の味で、もっと人々にアプローチできたらうれしいですね」
「娘の愛、めっちゃ感じるいい話!お父さんもある意味超人ですね。おじさんメディアでもあるジモコロ的には、ぜひ改めてお話を聞きたい……」
「ただお茶マニアが過ぎて、お茶に関わるいろんなことを試したがるんですよね。静岡みたいな平地栽培に向いてる収穫機を買ったり。あれ結構したなあ…」
「お、おいくらくらい…?」
「ごひゃくまん……」
「……お茶愛強すぎる」
自分の手で淹れるお茶が 日常を豊かに変えてくれる
早朝、宿の近くに広がる茶畑を散歩してきました。起伏の激しい和束の茶畑は、少しずつ太陽の光が差し込みます。
夜明けまもなくから、2時間ほどのタイムラプス。
この地で生まれ育ち、この地で採れるもの誇りに育て、商品をつくり、経済として循環させる。そして、またこの地で生まれ育つものの糧を生み出していくことの誇り……。
新しい1日が人々の暮らしに降り注いでいく瞬間を眺めていたら、なにか大きな「循環」の一片を垣間見るような感覚に。
「今の時代、手淹れのお茶が全てではないと思うんですよ」と、散歩後、朝ごはんの茶粥をよそいながら紀子さんは話してくれました。
「抹茶ブームだとはいえ、自分で抹茶を点てる人なんてごく僅かだし、日常的に使う『煎茶』も生産高は全国規模で減ってます。私も出先でペットボトルのお茶を買うこともあるし」
「たしかに、いま世間で一番身近なお茶ってペットボトル茶だもんなあ。便利になった反面、即時的な水分補給のツールになってしまった感がありますよね」
「即時的なものばかりだと息が詰まってくるじゃないですか。お茶って、水分補給だけじゃなく、ほっと一息ついたり、誰かと語らうための潤滑剤だったりする役割もあると思うんです」
「たしかに……」
「自分で、あるいは人の手で淹れるお茶は、日常生活に寄り添いながら、その日常生活を豊かにしてくれるもの。手淹れのお茶が全てではないけれど、手淹れのお茶にしか人々に与えられないものがある。その体験と新しい可能性を、全てのお客さまに知ってもらえればなと思いますね」
「手前味噌だけど、やっぱりうちのお茶って美味しいんだよね……」と紀子さん
「本当はもっとたくさんの人に、気軽に茶葉を使って欲しいんですよ。慣れたらそんなに手間のかかるものじゃないし。『お茶ってこんなにおいしかったのか!』という体験を提供することで、人のライフスタイルを少しイイものにするお手伝いができたらいいですね」
世界観が変わるようなお茶との出会いを、あくまで毎日の生活と地続きに提供する。
家業への誇りやお茶への愛をもって農家民宿に取り組む紀子さんが淹れる一杯は、今日も誰かの心を幸せにしているのです。
完全に余談ですが、早朝、バッギャアアアアン!と2階の窓ガラスに何かがぶつかる爆音で飛び起き、庭に出たら野鳥が気絶して落ちてきました。そんなことある?
(しばらくしたら回復して飛んでいきました)