まだ暑い夏の盛り、宮崎のとある球場。
照りつける日差しの下、僕は観客席へと向かっていました。と、その時。隣にいた男性が突然話しかけてきたのです。
「土はいいなあ!」
「???」
「やっぱり球場は土のグラウンドがいいよ。兄ちゃんもそう思うだろ?」
面食らう僕をよそに、止まらぬ男性。
「なんだあ、ぼんやりして。野球を見に来たんじゃないの? 高校野球の宮崎県予選」
「あ、はい」
「俺も23年間土をならしてたけどな、やっぱり球場に来ると胸が熱くなるなあ。野球はいいよ。長嶋さんを思い出すよな」
「(23年間…長嶋さん…?)あの、おじさんは何者なんですか?」
「俺か? 俺はグラウンドキーパーおじさんだよ!」
「(だから何者なんだろう……)」
この時はまだ、単なる野球好きのおじさんと思っていたのです。「23年間土をならしてた」という言葉が気になり、そのまま話を聞いてみることにしました。
毎日女の子とLINEしてるから元気なんだ
「兄ちゃんはどこから来たんだ?」
「東京からです。近くを通っていたら立派な球場が見えたので」
「だろう? この球場は毎年、巨人軍がキャンプで来るんだよ。キャンプの時期は大勢の人でここも埋まるんだから!」
「キャンプ地なんですね」
「おお、いい当たりだ!あのバッターはいいねえ、重心がしっかりしてるから球が伸びるね。しかし暑いな。ちょっとそこのファミレスでも行くかい」
「(いきなりだな)え、僕はちょっと…」
「いいからいいから、長嶋さんと撮った写真見せてやるからさ、来なって!」
「いやー涼しいなあ、今年の夏は暑すぎだよ。なあ?」
「元気ですねえお父さん」
「当たり前だよ、球場で知り合った姉ちゃんたちと毎日LINEしてるんだから!」
「!!本当だ、しかもスタンプまで使いこなしてる。お父さん、おいくつですか?」
「今年で72歳だな。私の年はどうでもいいのよ。この写真を見てよ」
「え、LINEのお相手ですか! 可愛い…!! 電話帳もすごいですね、一人だけじゃなく何人も女の子の名前が……どこで知り合ったんですか??」
「だから球場だよ。巨人ファンでキャンプを見に来てた子が声かけてくれたの」
「さっきから巨人ってよく言いますけど、お父さんは巨人の関係者なんですか?」
「だから言ってるでしょう。私は巨人キャンプの裏方を23年間してて、ずっとグラウンドキーパーをやっていたの。歴代の監督は皆んな知ってるよ。長嶋さんをはじめね」
「長嶋さんって長嶋茂雄さんですか! 大スターじゃないですか」
「そうだよ、長嶋さんはすごい人なんだから」
「お父さん、今更ですがお名前を伺ってもいいですか?」
「ん? 関屋征雄だよ」
72歳で女の子と毎日LINEとは羨まし…いやいや、プレイボーイっぷりはひとまずさておき、気になるのは「23年間、巨人キャンプの裏方」の方です。
いきなり声をかけてきた人が、まさかそんな経歴だとは。数々のスターたちを間近で見てきた関屋さんの話にグンと興味が湧いてきました。
グラウンドキーパーとは?
「いま調べたんですが、巨人の宮崎キャンプって60年近い歴史があるんですね」
「そうだよ、最初は巨人だけだったけど、今は5球団(※二軍キャンプは除く)が来てるね」
「巨人、ソフトバンク、オリックス、広島、西武……5球団合わせて58万人もキャンプの観客が来てる(※2017年、宮崎観光協会・日南市調べ)! 巨人だけで11万人。一大産業ですね」
「昔はもっと大勢来てたんだから」
「お父さんはそんなキャンプの裏方をやっていたと…ところで、グラウンドキーパーというのは何をする人なんでしょう」
「球場の土の部分を整備する仕事だな。選手のケガを防ぐために重要なんだよ。なんたって選手には1億円とかのお金がかかってるだろ? 大事な選手がケガなんかしないように、グラウンドをちゃんと平らに整備しておくことは大事なわけ」
「それをキャンプ期間中は毎日やってたんですか?」
「そうだよ、1ヶ月、毎日ね」
「その間お仕事はされてたんですか?」
「電気関係の会社で働いてたね。会社の仕事は夜勤だったから昼間にキャンプの手伝いをしてた。キャンプ期間中は3〜4時間しか寝られなかったな」
「なあに人間、寝なくても大丈夫なんだ。それに憧れの巨人の選手たちのために働けるんだから。こんなに楽しいことはないよ」
「グラウンドキーパーをしていて、他に大変だったことってありますか」
「雨上がりが困るんだ。キャンプの期間は決まってるから、球団としては1日でも多くグラウンドを使いたいでしょう。だから雨が止んだら、すぐ使える状態に整備しなきゃいけないの」
「雨が降れば、土のグラウンドは水浸しですよね。そこで腕の見せ所だと」
「そう。ただね、晴れ続きでも大変だよ。今度は水を撒かなきゃいけない。乾いてるとボールが跳ねすぎちゃう」
「ちょうど良い土の状態があるんですね」
「だけど今はドームが多いから、グラウンドの土の状態なんてあまり考えなくてよくなってる。ただなあ、野球はやっぱり外だと思うけどなあ」
「だから最初に『土はいいなあ』と…!やっと理解しました」
“ミスター”長嶋茂雄伝説
「それで兄ちゃん、この写真を見なきゃ始まらないでしょう」
「長嶋さんだ!右が関屋さんですね。あっ、真ん中は原監督!さっきまでの話は本当だったんですね…」
「何言ってるのよ。この写真なんだけどね、長嶋さんの方から握手を求めてきてるじゃない。それがあの人のすごいところなんだよ。長嶋さんはね、お世話になった人に自ら握手をしに来てくれるの」
「長嶋さんほどの有名人になれば、普通はファンから握手をお願いしますよね」
「そうだよ。私のことも覚えてくれててね、毎年ありがとう、と来てくれるんだ。そんな人にならなきゃいけないよ、兄ちゃんも」
「ほれ、こっちはサインも入れてくれてるのよ」
「これはもしや、左手で?」
「そう、左手で書いてくれたそうだよ。利き手の右が不自由になってしまったから、相当リハビリを努力されたんだろうね」
「長嶋さんは器が大きかったね。人の悪いことを決して言わない。例えば監督だったら、普通はコーチや選手に対して厳しいことを言うでしょう。でも長嶋さんは『あいつを辞めさせろ』なんて言う人じゃなかった」
「コーチや選手を信頼していたんですね」
「選手が女の子と色々あって、週刊誌に叩かれるようなことがあるでしょう。そんなときもね、長嶋さんは選手に『そんなに可愛かったか?』って言うくらい」
「選手と女の子、何組も思い浮かびますね…奥さんいるのに、とか…」
「バレるのはよくないよね。うまくやればいいのに。プロ野球選手っていうのはスターなんだから、元気なくらいでいいのよ」
「長年プロ野球選手を見てきたお父さんが言うと妙な説得力がありますね。長嶋さんが監督の頃は、キャンプのお客さんもすごかったですか?」
「球場内に見物客が3万人いたら、球場の外にもう3万人見に来てたんだから。当時、長嶋さんを探そうと思ったら人の動きを見ればよかったの。人がワーッと動いてる方向に長嶋さんがいたから」
「それはすごい!」
「長嶋さんは時代が生んだスターだね。子供が好きなものは『巨人・大鵬・卵焼き』って言葉があったくらいだから」
野球の実力もさることながら、長嶋さんの人格も日本中の人々を惹きつけた理由なのではないでしょうか。目を輝かせながら当時のエピソードを語る関屋さんの様子が、なによりそれを裏付けているように思います。
さて、ここで僕は関屋さんに聞いてみたいことがありました。
それは以前に比べて下火になってきたように思える、野球人気について。今の状況は、長年野球に身を捧げてきた関屋さんの目にどんな風に映っているのでしょうか?
スポーツは浮き沈みがあるもの
「僕が子供の頃って、巨人軍は松井や清原、高橋由伸、上原…と錚々たるメンバーのスター集団って感じだったんです」
「2000年くらいかな。あの頃が一番選手層が厚かったな」
「当時と比べて、今のプロ野球人気を正直どう思いますか?」
「スポーツは浮き沈みがあるもんだからなあ。人気がある時っていうのは、スターがいるからなんだよ。みんなスターを見に来るんだ。でも、今は長嶋さんみたいな人はいないからね。そんなもんなんだよ」
「メジャーにも行く選手も増えましたね。スターがどんどん海外へ行ってしまって…」
「あれは良くないねえ。やっぱり近くで見られなくなっちゃうから」
「宮崎でもね、少年野球をやる子供がとっても多い時期があったんだ。でも今は全盛期の半分くらいじゃないかな。子供の数も減ったしね。野球をする子供が減ってるけど、それは時代の流れでいいんじゃないかな」
「昔より娯楽の対象も増えたわけですからね」
「もう野球人口がドカンと伸びることはないだろうけど、野球の魅力が減るわけではないからね」
人生一度きりなんだから、好きなことをしたほうがいい
「やっぱり野球は好きですか?」
「野球はいいよ。野球の話をしたら朝までいくからね。『あの時あの選手がいて…』みたいに終わらないんだ。あとはチームでやるじゃない。仲間は大事だよ」
「関屋さん、長嶋さんの話をしてる時とっても楽しそうでしたよ。そうだ、もし生まれ変わったら、選手と裏方とどっちをやりたいですか」
「……やっぱり選手かねえ。目立ったほうがいいよ。金稼いで、モテたいねえ。週刊誌に撮られるくらいボインちゃん狙ったほうがいい。人生一度きりなんだから、叩かれても目立った方がいいよ」
「今の時代に響く言葉…!! 楽しんだもの勝ちってことですね。今もグラウンドキーパーは続けているんですか?」
「さすがに年だからね、数年前に引退した。キャンプ前後の手伝いだけはしとるよ」
「でも、まだまだお元気ですよね。女の子とLINEもしてるし」
「遊んでないと老けちまうよ。やっぱりファンとしては、長嶋さんより先に死にたくないからね」
裏方として球界のスターたちを見続けてきた関屋さん。そのパワフルさは、まるでスターたちのエネルギーが乗り移ったようでした。
「遊びがないと、老けちまう」の言葉は、彼の口から出ると、うんと説得力をもって響きます。こうして若者と話すこともまた、関屋さんの「遊び」なのでしょう。
再び球場へ行くと言って去った関屋さんは、どことなく肌ツヤが良くなっているように見えました。
おわりに
関屋さんと別れてすぐ、1通のLINEが届きました。
早い…そして、なんてマメさ。こんなむさ苦しい男にまですぐお礼を…!
グラウンドキーパーおじさんが若い女子と仲良くなれる秘訣はこれなのかと感じた瞬間でした。
書いた人:友光だんご
編集者/ライター。1989年岡山生まれ。Huuuu所属。犬とビールを見ると駆けだす。Facebook:友光だんご / Twitter:@inutekina / 個人ブログ:友光だんご日記 / Mail: dango(a)huuuu.jp