株式会社バーグハンバーグバーグのかんちと申します。
ジェットコースターやバンジージャンプなど、スリルが大好物です。
世の中にはスノーボードやスカイダイビング、ロッククライミングやエアレースなど、いわゆるエクストリームスポーツがたくさんありますよね。
Photo by tataquax - Red Bull AIR RACE 2015 Chiba / CC BY-SA 2.0
レッドブル協賛の大会が日本各地で開かれたり、アクティブな映像が撮れる「Go Pro」がバカ売れしたりなど、エクストリームスポーツのブームはとどまることを知りません。
ところで日本から世界に広まったエクストリームスポーツがあるのをご存知でしょうか?
それが車のタイヤを滑らせて走る
ドリフト走行
です。
車を滑らすようにしてカーブを攻略
このドリフトの聖地と呼ばれる場所が僕の生まれ故郷の福島にあると聞き、今日はやって参りました。
福島県二本松市にある「エビスサーキット」、またの名を「くるまの遊園地」です!
僕も普段から車の運転はしますが、ドリフトは体験したことがないので実際に乗って味わってみたいと思います。
こちらがドリフトを体験できる車「ドリフトタクシー」
体験料は1時間3万円ほどで、最大3人まで乗車可。タイヤ代や燃料代等も料金に含まれます。
運転するのはプロのドリフトドライバーである末永 直登(すえなが なおと)さん。
「よろしくお願いします!」
「はい、シートベルトをしっかり締めてくださいね。いきますよー」
バゥンバゥン!
「あ゛ぁああぁぁあ!!」
「ははははは」
「あぁぁ!うぉおおっち!!」
「はははははははは」
ドリフトってどうやって生まれたの?
「あ゛ぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛(車ってこんな動きするの!?)」
「はははは、どうですか?」
「末永さん!すごいです!ところで、ドリフトって日本発祥と聞いたことあるのですが、どのようにして生まれたのでしょうか?」
「ドリフトという文化は70年代~80年代頃、『走り屋』と呼ばれる若者達が峠に集まって、自分たちの走りを競い合ったのが始まりと言われています。急なカーブをいかに速く曲がれるかを突き詰めた結果、タイヤの後輪を滑らせて走るドリフトが生まれました」
「なんでわざわざ公道を走ってたんですか?」
「みんなサーキット場を借りるお金がなかったんですね。お金をかけずにギャラリーが大勢いる前で『とにかくドリフトをカッコよくキめて目立ちたい』とか、『女の子にモテたい』とか、そういったモチベーションで技術を切磋琢磨させていました」
「事故も起きていたでしょうし、危険運転ですよね……」
「一般車も走る道をスピード出して走るわけですからね。当然、警察の取締はどんどん厳しくなりましたし、そのおかげで今では峠をドリフトするような人は殆どいないはずです」
ギャアァアアァ
「……やっぱり、すみません!全然頭に入ってこないのでもう大丈夫です!!ドリフトの感覚はよく分かりました!!」
「もっと詳しい話は、エビスサーキット代表の熊久保に聞いてみてください」
………。
……………。
今まで味わったことのない車の動きで、それはもうスリル満点でした。
こちらのドリフトタクシーは上でお伝えしたように体験料は1時間3万円ほどで、誰でも乗ることができます。ドリフトのプロが運転する車でスリルを味わいたい方は、是非申し込んでみてはいかがでしょうか!
ドリフトタクシーの詳細・予約はこちらから!
それではエビスサーキットの代表の方にお話を伺いたいと思います。
エビスサーキットが出来たキッカケ
エビスサーキット代表取締役社長の熊久保さん。ドリフト界のレジェンドと呼ばれる現役ドライバー。
熊久保 信重(くまくぼ・のぶしげ)
1970年2月10日生まれ 福島県出身
モトクロスレースからモータースポーツに入り、エビスサーキット就職後の24歳にドリフトに目覚める。01年にD1グランプリに初参戦を果たし、以後シリーズに継続参戦。01年にはシリーズチャンピオンに輝いた。
「はじめまして、よろしくお願いします。いやードリフト、凄い体験でした!福島にこんな場所があったとは。ここはいつからやっているのでしょうか?」
「この場所は馬や牛を飼育するウエスタン牧場だったんですけど、祖父が1978年に東北サファリパークを開園して、父が1988年にエビスサーキットをオープンしました」
「僕も東北サファリパークは小さい頃に親と来た記憶があります!でも同じ敷地内にサーキット場があるのは知りませんでしたね」
「ここがサーキット場になる前の話なのですが、ある夜、この敷地の前で暴走族が喧嘩をしていたらしいんですね。そこにうちの父親が割って入って『お前ら、こんなところで喧嘩するんだったら、俺がコース作ってやるからそこで勝負しろ!』と言ったそうです」
「喧嘩の仲裁にしては規模がデカすぎる」
「牧場だったので土地だけは沢山ありましたからね。それで実際に敷地内にバイクのレースコースを作って、さらに当時の月収の5倍の賞金も用意したらしいです」
「今の価値にしたら100万円以上!?暴走族の勝負に賞金かけるって凄いですね」
「それがきっかけで、ここにモトクロスバイクや車のダートコース(未舗装の道路)が出来ました。すると車メーカーのテストコースとしても使われるようになり、1988年にアスファルト舗装の大幅リニューアルをしてサーキット場がオープンしたんです」
「なるほど。でもその頃はまだドリフトを売りにしてはなかったんですね」
「そうですね。私自身、もともとはモトクロスバイク出身でドリフトなんて一切興味無かったんです。サーキット内をドリフト走行する車に対して、路面が痛むし危ないからやめてくれ、と注意していたくらいでした」
「それなのに今はドリフトを……?」
「その注意した車、何度注意しても全然ドリフトやめてくれないんですよ。それで私も少しずつドリフトに興味が出てきまして。たまたま従業員にドリフト経験者がいたので、試しに教わってみたら、すんなり出来たんですね。その時『これを売りにしたら会社の利益になるぞ』と感じ、ドリフトに力を入れるようになりました」
走り屋にチラシを配ってエビスサーキットをPR
「さきほど末永さんが、『走り屋は峠に集まって走りを競っていた』とおっしゃっていましたが、集会の規模ってどのくらいだったんですか?」
「走り屋が全盛期の頃は本当に凄かったんですよ。週末になると峠や埠頭には100台以上の車が集まって、さらに何百人という数のギャラリーがいて、そりゃあ毎週お祭りのようでした」
「公道にそんなに集まるって凄い……。熊久保さんもそこで走っていたんですか?」
「いえいえいえ。私は毎週土曜日に東日本の各地、例えば『日光のいろは坂』や『横浜の南部市場』など、走り屋の名所と呼ばれる峠や埠頭に行っては、『サーキットで走りませんか?』とエビスサーキットのチラシを配りまくっていました」
「そんな地道な営業活動をされていたんですね。すぐ効果出ましたか?」
「最初はなかなか厳しかったですね。そりゃそうですよね。峠でタダで走れるのに、なんでわざわざサーキットに来てお金を払わなきゃならないんだって。だから奴らを説得させるために、自分がドリフトの頂点に立ってやろうと決めたんです」
「峠の走り屋よりも上になるってことですね」
「はい。それで当時のカー雑誌『CARBOY』のドリフトコンテストに出場して優勝し、日本中のトップの走り屋を集めた全国大会でも優勝して日本一になることができました。それで私の名前とともにエビスサーキットの名前が、全国の走り屋達に知れ渡り、ここに一気に人が来るようになったんです」
「すごい。力を示して、走り屋を憧れさせたんですね!でも走り屋が集まってきたら警察とのトラブルとかも起こりませんでした?」
「いやぁ、もうしょっちゅうでしたよ。今でこそ違法改造車は少ないですけど、走り屋全盛期の頃はバリバリの違法改造車が全国からここに集結するわけですからね。警察がうちの目の前の道路の上り下り両方で検問していたこともありました」
「罠ですね…」
「それで頭きちゃって、検問手前でお客さんの車を車両運搬車に積んで、うちの敷地まで運び込んだこともあります」
「力技!」
頭文字Dの「溝落とし」の原点はエビスサーキットだった
「ドリフトといえば、漫画『頭文字D』の作中で『コップの水をこぼさないように車を運転する』って描写ありますけど、あれって本当にできるんですか?」
「できますよ!流石にタプタプに水を入れたらこぼれちゃいますけど、3分の2くらいだったら余裕です!」
「すごい!藤原とうふ店に就職できるじゃないですか!」
「というか作者のしげの秀一さん、うちに来てネタ作ってたんで」
「えっ!そうなんですか!?」
「エビスサーキットという場所にトヨタ・AE86(ハチロク)でサーキットしている人たちがいるということで、しげのさんがここを訪れたんです」
「ほほう」
「コースを走っている様子を見て、『みんな側溝にタイヤ落として走ってますけど、あれ、わざとやってるですか?』と聞かれて。はい、速く走るためにタイヤを側溝に落としてますって答えました」
「えぇっ!?あの溝落としってフィクションじゃないんですか!?『できるわけないでしょ!』って思って読んでたんですけど……」
「実際やってましたよ(笑)」
「しげのさんも生で見た時は心の中で『どこを走ってんだァ!?』って叫んだんでしょうね」
外国人がドリフトを求めて福島にやってくるワケ
「こちらのエビスサーキットは外国人の方も結構見かけます。海外に向けて何かPRされているんですか?」
「長年かけてドリフトビジネスを海外に輸出したことが大きいでしょうね」
「ドリフトビジネス…ですか?」
「20年ほど前、海外にまだドリフトという文化がなかった頃の話です。私は趣味でよくアメリカ・ラスベガスに旅行に行ってまして、ある時シルク・ドゥ・ソレイユの『O(オー)』という公演を観たんです」
「有名なエンターテイメント・ショーですね」
「その時に、感動のあまり大号泣してしまいました。と同時に『音楽とドリフトをシンクロさせた演目をやりたい!』『このラスベガスでドリフトをやりたい!』と強く思ったんです」
「夢が生まれた瞬間!」
「そこでスポンサーになってくれそうな、車のパーツを手がけるアメリカのとある企業に乗り込んで必死にアピールしました。しかし二度の門前払いを食らって、『イエロー』なんて差別的なこと言われたりしましたね(笑)」
「相手にしてもらえなかったんですね……」
「それでも諦めずに、三度目でようやく社長に会うことができました。持ち込んだVHSで私達のドリフトの映像を見せて『実際にやるから見てくれ!』と直談判したら、OKがもらえました」
「現地の車でドリフトやったんですか?」
「いえ、自分たちの車を日本から船で運び込みました。その会社の広い駐車場を借りて、私含めて3人でドリフト走行を実演したら、それまで慎重だった社長の姿勢が180°変わって『今度大きなイベントあるから、そこでやってみろ!』となったんです」
「ここでも実力で説得したわけですね」
「それからは全米のカーショーでデモ走行をするようになり、日本とアメリカを行ったり来たりしながら公演していました。そして、あのとき夢見たラスベガスの舞台でもドリフトのショーをすることができたんです」
「アメリカで3年ほど公演した後は、ヨーロッパのギリシャに活動の場所を移しました。ここでもドリフトは大ウケでしたが、これまでのようにただ公演するだけではなくドリフトのスクールも始めてみたんです」
「エビスサーキットでやっているスクールを海外展開したんですね」
「はい。さらにスクールで上達した生徒らが腕を試す場所として、ドリフトの大会も開催しました。ただ私達は大会を主催したわけではなく、現地の人たちに『大会を開催するノウハウ』や『ドリフトで稼ぐためのビジネスモデル』を教えたんです」
「何故ですか?」
「そうすれば私達がいなくても継続して大会を開催できますし、ドリフトの文化がその国に根付くだろうと思ってましたから。これらをパッケージにしてギリシャ以外にも南アフリカや中東、ロシア、中国など、これまで世界30カ国に展開しました」
「それが『ドリフトビジネスの輸出』なんですね!思ってた以上にスケールが大きい話でビックリしました」
「そういった活動を続けているうちに、いつの間にかエビスサーキットが国内外から『ドリフトの聖地』と呼ばれるようになって、海外で教えた生徒達がおさらいをしに来たり、ドリフトを学びたいという人達が集まったりしたんです」
「聖地巡礼!」
「ちなみに『ワイルド・スピードX3 - TOKYO DRIFT』という映画があって、そのカースタントを私と末永で担当しましたが、それもこういった海外との繋がりで生まれたものだと思います」
「観ました!『主人公の外国人、めちゃくちゃドリフト上達してる!』と思って見てたんですが、あれ熊久保さんだったんですね。あれは今思い返せば、吹き替えで観るべきでしたねぇ……あ、いえこっちの話です、すみません。ところで、ここに来られる外国人の方は、どのくらい滞在しているんですか?」
「ほとんどの方が1週間~1ヶ月ほどいます。ここでドリフト用の車を買ってメンテナンスして、思う存分走りを楽しんでお金が無くなったら帰っていく、みなさんそんな過ごし方をされています」
「その間の宿泊は周辺のホテルとか旅館でしょうし、福島県のインバウンド消費にも繋がっているんですね」
「昔は『ドリフト=暴走行為』という悪いイメージしかありませんでしたが、時代が変わって今では観光資源として県がバックアップしてくれるようになりました。外国人向けにエビスサーキットのプロモーションビデオも作ってもらいましたしね」
「すごい。ちゃんとしっかり作ってある映像だ!」
「海外の方にはこれまで通りドリフトに興味を持ってもらいながら、車離れが進んでいると言われる日本の若い子にもぜひ体験してもらいたいですね」
「ジェットコースターやバンジージャンプのようなスリルにはもう飽きたな……という皆さん!ドリフトタクシーで未体験のスリルを味わってみてはいかがでしょうか!エビスサーキットならドリフトを習得もできますよ!」
福島をエクストリームスポーツ特区にしたい
最後に熊久保さんは、福島をエクストリームスポーツの特区にしたいと仰っていました。その理由として、まず世界に誇れるドリフトの聖地がここにあること。
また最近話題のレッドブル・エアレース、そのワールドチャンピオンシップで優勝した室屋義秀さんの本拠地も福島で、「ふくしまスカイパーク」という農道空港でトレーニングを積んでいるそうです。
さらに僕の生まれ故郷でもある南相馬市の北泉海岸は、震災前までサーフィンの世界大会や全日本選手権が開催されていた”いい波”のスポットとして知られていて、最近になってまた大会が開かれるようになりました。
日本で4番目に大きい湖を持つ猪苗代湖はジェットスキーが盛んですし、猪苗代町はフリースタイルスキーやスノーボードの大会も数多く開催されています。
最近では福島市に、スケートパークやボルダリング、スラックラインが出来るチャンネルスクエアという屋内で楽しめるエクストリームスポーツ施設がオープンしました。
このように福島にはあらゆるエクストリームスポーツの環境が揃っているので、「それならエクストリームスポーツ特区にして福島を盛り上げよう!」と熊久保さんらが県に提案して、議会でも話し合われているそうです。
最後に思ってもいなかった復興のアプローチのお話が聞けてとてもワクワクしました。
今後も国内外から、非日常を求めて福島に沢山の人が訪れることを願います!
それではごきげんよう、さようなら。
ギャアァアアァァァ
ライター:かんち
株式会社バーグハンバーグバーグ所属。
胸板が厚いので隙間に挟まって動けなくなることもしばしば。
Twitter:@zmukkuri