こんにちは、ライターのギャラクシーです。今日は兵庫県の尼崎市に来ております。
尼崎は、工場と商店と、ガラの悪い 気さくなおじさん・おばさんの町。そして何を隠そう、僕が40年住んだ地元でもあります。
今回は、そんな尼崎市の中心部に位置する『三和商店街』周辺を巡りながら、そこらへんを歩いてる人に話を聞いてみようという、ゆるゆる企画をお送りします。
こってりドロドロに煮込まれたおじさん・おばさんの人生模様をお楽しみください。
兵庫県尼崎市とは……
本題に行く前に、尼崎市がどういう町なのか軽く説明しましょう。
尼崎市は兵庫県の南東端に位置し、大阪市と隣接している町です。
市外局番も大阪市と同じ「06」なので、兵庫県なのに大阪の市のひとつと勘違いされたりもします。そして尼崎人自身も、他府県の人に出身地を説明するのが面倒くさい時は「大阪のほうですわ」と言ったりします。
人口は2010年の時点では約45万人。人口密度で言うと兵庫県内で最も高く、日本全国すべての市町村の中でも30位以内に入るそうです。
なぜそんなに人口密度が高いのかというと、単純にムチャクチャ便利だから。
電車なら大阪まで15分以内、神戸まで30分以内でいけます。つまり良いとこ取りできるわけですね。
工場が非常に多く、工業地帯が町全体の36.1%(準工業地帯を含む=尼崎市公式HPより)を占め、かつては阪神工業地帯の中核『工都』と呼ばれました。
弐瓶勉のマンガみたいでかっこいいでしょ。
尼崎出身の有名人
・ダウンタウン:松本人志・浜田雅功(漫才師)
・中島らも(作家)
・矢沢あい(漫画家)
・尼子騒兵衛(漫画家)
・HEATH(X JAPAN)
・マギー(モデル)
など
商店街に潜入! シャッターが下りている……?
ではさっそく商店街に入っていきましょう。
このあたりは「三和本通商店街」「中央商店街」「三和市場」などがクモの巣のように入り組んで存在しており、ややこしいので大体の人が『三和』と一括りにして呼びます。
戦後はバラックが立ち並び、巨大な闇市として栄えたそうです。「三和に行ったらなんでも揃う」「三和に無いモンは無い」と言われていたとか。
ちなみに三和の商店街は『涼宮ハルヒの憂鬱』の聖地でもあります。
こちらの「ワンワン屋」は、SOS団が作中で撮った映画『朝比奈ミクルの冒険』に出てきた「ヤマツチモデルショップ」。
メインの通りはいつも人で混んでるんですが、一本奥に行くとシャッターが下りてるお店が目立ちます。子供の頃はどこまで行っても人で溢れてた記憶があるんだけどなぁ。
※この時点で18時過ぎくらいなので、時間的なものもあるかもしれません
あぁ、でもこういうのも良い絵だな……などと考えながらブラブラしていると、向こうから味わい深いおじさんが歩いてきました。さっそく話を聞いてみましょう!
尼崎のひと:地獄のAさん
この周辺の物件も取り扱うという、不動産屋のAさん
「こんにちは! このあたりを取材してるんですが、お話きかせてもらえないでしょうか」
「取材……? おう、エエけどアレやな、ほんま、うん、エエよ」
注:Aさんは少々飲んでいます
「子供の頃、この商店街によく来てたんですけど……こんなにシャッター閉まってましたっけ?」
「せやなぁ。昔はこの商店街も隅から隅まで栄えとったな。活気があったもんやけど」
「それがどうして……やはり大型スーパーやコンビニの影響で?」
「全部が全部そうちゃうで。単純に、二代目が後を継がんのよ。子供らはみんなサラリーマンとして元気にやっとるから、そない悲しいことちゃうねん。店じゃなくて住居になったっちゅうだけ」
「そういうもんですか。Aさんは子供の頃、この商店街で遊んだりしてたんですか?」
「僕が子供の頃は、このへんはまだ闇市の雰囲気が残ってたなぁ。少ない小遣い握りしめて、よう遊びに来とったわ。ロクなもん食うてなかったから、お好み焼きとか天ぷら食うんが楽しみでな。ホンマごちそうやった」
「今食べれるどんなモンより、あの頃食べた天ぷらがうまかったわ。サツマイモとかスルメ天とか、安いモンばっかりやったけど。あの味は忘れへん」
「いつまでも記憶に残ってる“あの時のあの味”ってありますよね」
「僕はお好み焼きなんかも好きやねんけどな、さっきもそこで知り合いが『食うもんがないねん』って言うてたから、買ってた100円のお好みをおごったったんや」
「へぇ、良いことしましたね。でもこの時代に食べるものがないというのは、どういうお知り合いなんですか?」
「え、何が? 僕、今何の話をしとった? あぁ、そうそう、つまりエエことはしていかなアカンということや」
注:Aさんは少々飲んでいます
「へ? あぁ、まぁそうですね」
「エエことはしていかなアカンのよ。悪いことするやつは、今は儲かって楽しいかもしれんけどな、そういうことしとったら地獄に落ちるんや」
「じ、地獄!? 話が急ですが、言わんとすることはわかります」
「地獄に落ちたらな……」
「地獄に、落ちたら?」
「地獄に落ちたら…………しんどいで……」
「(ゴクリ)」
「血の池でもがいたり、針の山を歩かされたりするんや。ほんま、苦しいで……」
「わ、わかりました。悪いことはしないようにします!」
この状況で聞く『地獄』という言葉の重さ
尼崎のひと:ホルモン焼きのおばちゃん
トップバッターがいきなり天下一品ばりのドロドロスープでしたが、みなさんついてきてくれてますか?
気を取り直して、再び商店街をブラブラしていきましょう。尼崎は庶民の街なので、安くてうまいもんがたくさん! 例えば―
こちらはさつま揚げの有名店、『尼崎枡千』。ムッチムチの魚のすり身を揚げたもので、素材の味はしっかりするのに、サッパリ淡白な味わいなんです。そのまま食べてもおいしいので、食べ歩きのお供にどうぞ。
ちなみに関西ではさつま揚げのことを天ぷらって言います。
そしてもうひとつ。尼崎に来たらぜひ食べてほしいのが、ホルモン焼き!
みなさんは、「ホルモン焼き」と聞いてどういう形状を想像しました?
大抵の人が、七輪の上でモツを焼いたものや、焼き鳥のように串を刺して焼いたものを想像したと思います。しかし、尼崎人と一部の大阪人にとっては、違うんです。
ホルモン焼き|100g160円
こういうのです。
茹でたホルモンを、ニンニクの効いたスープと共に鉄板の上でドロドロになるまで焼いた(というより煮込んだ)料理、これが「ホルモン焼き」です。
七味をぶっかけて食べれば、ごはんにめちゃめちゃ合います。お酒が好きな人ならおつまみにもピッタリ。
そんなホルモン焼きを作ってくれるのが、三和商店街の南端に店を構える「栄屋商店」さん。三代目のおかみさんに話を聞きました。
「こちらのお店は、どれくらいやってるんですか?」
「店自体は60年以上やね。戦後すぐの、闇市の頃からやってるんでね。あたしの代だけでも40年くらい」
「え? 40年もやってるって、そんな歳に見えませんね。若い頃はさぞかしきれいだったんでしょうね」
「今もきれいやろ~? さっき来て急に『写真撮っていいですか?』って言うから何もしてへんけど、10分前に言うてくれたら、エエ服 着て写ったのに」
「す、すいません。それにしてもこれ、おいしいですねぇ。こういう『ホルモン焼き』、東京で売ってないんですよ!」
「あぁ、らしいねぇ。こっちやとナンボでもこういうホルモンの店があるんやけどね」
「東京に引っ越すまで、まさか尼崎と大阪の一部でしか食べられてないとは知りませんでした」
「もともとは沖縄の料理らしいで。知らんけど」
「ただ、知り合いの沖縄人は『見たことがない』って言ってました。尼崎や大阪の一部……沖縄からの移住が多かった地区に伝わってる料理みたいなので、沖縄の人が、関西で考案した料理なのかなぁ」
完全に大物女優の貫禄を持つおかみさん
「東京の知り合いに『鉄板のホルモン焼き食べたい!』って言われて、よく送ってるわ。こんなおいしいもんが食べられへんって、かわいそうやね」
「向こうだと七輪で焼いたりするタイプが主流ですね」
「モツは七輪で焼くと苦くなるんよ。まぁ、それは好みやけどな。焼き鳥なんかも、ちょっと焦げ目があって苦味があるのが好きな人もおるやろ?」
「僕はこのホルモン焼きがソウルフードなんで、困ってるんですよ。栄屋さん、通販やってくださいよ」
「通販もええけど、たまにはこっちに帰ってきて食べーや。東京のしゃれた町もええけど、尼崎も、そない悪くないやろ?」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないですか! じゃあ今度は10分前に電話してから来ます!」
「ほな、化粧してドレス着て待ってるわ」
尼崎のおばちゃんって基本的にめちゃめちゃ人懐っこい
ちょっと休憩:かんなみ新地について
商店街の西の端には、大衆演劇の芝居小屋があります。
ここから少し西に歩くと、尼崎とは切っても切れない関係、かんなみ新地が広がっています。大阪の飛田新地のような風俗街です。
ごく普通の住宅地に突然、開け放ったドアからピンクの灯りが洩れる民家が50mくらい密集しています。
中には客を呼び込むおばさんと、きれいなお姉さんがいてこちらに色っぽい視線をなげかけてくるわけです。
ちなみに昼間に行くと看板すら出てないので、たんなる民家です。
かんなみ新地は戦後にできた、いわゆる「青線」のひとつ。
・赤線=当時(1946年~1957年の間)、許可を取って営業した地域
・青線=当時、許可を取らずに始めた地域
全国には、江戸時代の遊郭が起源の風俗街なんかもありますが、ここは、そういった歴史的価値とか由緒ある建築様式といったカッコよさとは無関係。
戦後のバラックから生まれ、工場の町特有の雑さと、淡々とした作業的思想があって、良くも悪くも「ほんと尼崎だなぁ」と思います。
お店の目の前の駐車場でカニカマを食う猫。飼われてるのかな?
尼崎のひと:怪獣で町おこしする男性
当てもなく歩いていると、最初にAさんに話を聞いた三和市場に戻ってきてしまいました。
こちらはAさんに話を聞いたのとは反対側の入り口。
ひと気もないし、通り抜けて別の場所に行こう……と思っていると―
明かりが漏れている店舗が。中では男性が一人で何か仕事をしている模様。チラリと見える店内には怪獣や宇宙刑事のフィギュアが並んでいます。なんじゃこりゃ?
気になり過ぎたので、ご迷惑とは思いつつも声をかけてみました。
※この記事は、ガチで何の下調べもアポ取りもせず進めています
応じてくれたのは、森谷寿さんという男性。
「こんにちは~、今このあたりの取材をしてるんですが……」
「ん? 取材の人? いいですよ、入ってください」
やけに取材慣れしている森谷さん。とある理由で最近よく取材されるそう
「ここは一体どういう場所なんですか? 怪獣やら映画のポスターやらが溢れ返ってますけど」
「ここは『とらのあな』って言うて、市場の休憩所なんです。で、怪獣とか映画のポスターは、趣味というのもあるけど……実は怪獣で町おこしをしとるんですよ」
「へ? どういうことですか? “怪獣”と“町おこし”の2つがどうしても繋がらないんですが」
「僕はこの市場で肉屋をやってるんですけど、なんとか活気が戻ってほしいと思って、数年前から『怪獣市場』っていうイベントを開いてるんです。特撮にゆかりのある監督や役者さんを招いたりしてね」
「はぁ~なるほど、それで怪獣を。確かにこのへん、ほとんどの店がシャッターを閉めてましたね」
「以前はここの市場も全店営業してたんですよ。でも阪神大震災のあと、『ちょうど役目を終えたんかもしれへん』ってね、店を閉める人が多かったんです」
「あぁ! 子供の頃はもっとお店が開いてるイメージだったのに、おかしいなぁと思ってたんですが、そうか、震災の後にシャッター街になったわけですか」
※阪神大震災は1995年。三和も被害を受けた。僕は20歳くらいでした
「昔はこの市場も54軒の店があったんやけどね、今は12軒です」
向かいには森谷さんのお店、肉屋の「マルサ商店」が
「どういう経緯で町おこしのために怪獣のイベントをやることになったんですか?」
「せっかく空きスペースがあるんやから、趣味をイベントにしよかと思ったんです。それが非常に好調で、話題になったんですね」
「特撮好きはめちゃめちゃ濃いファンが多いですからね……」
「そしたら、ちょっとずつ『じゃあ私は怪獣ショップやります』『僕はライブハウス作ります』っていう人が出てきてね。2年で6軒、店舗が入りました」
「考えもしなかった方法で、町おこしが成功している……?」
「イベントには、あらゆるツテを辿って大村崑さん(ガメラシリーズに出演している)とか、森次晃嗣さん(モロボシ・ダン)、小牧リサさん(モモレンジャー)なんかにも来て頂いてます」
「めちゃめちゃ大物だ! 熱意あればこそですね~」
「イベントそのものは、正直、儲けなんてあらへんのです。プラマイゼロになったらエエほう。でも、イベントのためにお客さんが来てくれたら、ちょっとでも三和にお金を落としてくれるでしょ」
「町おこしの鑑(かがみ)みたいな考え方だ」
「おもしろがって西川伸司さんが何回か遊びに来てくれましてね」
「西川さんって、ゴジラvsビオランテとか、多くの特撮で怪獣のデザインなんかを手がけてるデザイナーであり、漫画家の方ですよね」
「ですね。お会いした時に、しばらく前から考えてた『三和市場のキャラクターとして怪獣を作ってみたい』ということを伝えたんですよ」
「全国にゆるキャラとかご当地ヒーローがいますけど、それの怪獣版というわけですね」
「そしたら、『それ、おもしろいね』って言うて、すぐにデザインを描いて送ってくれたんです」
「ホエー!? 実現に一歩近づいた!」
「そのデザイン画をもとに原型を発注して、まずはフィギュアを作りました。さらに、設定をラノベ作家の馬場卓也さんが考えてくれたりしてね。それが『三和市場怪獣 ガサキングα』です」
「そのフィギュアは、作っただけじゃなくて、販売したんですか?」
「5400円で販売しました。もうちょっと安くしたかったんですけど、町おこしのための資金にするわけやから、あえてちゃんと儲けが出る価格設定にしたんです」
「儲かりました?」
「ありがたいことに。それを資金にして、やっと着ぐるみを作る目処が付きました」
「フィギュアで満足しないで、着ぐるみまで作る気なのか……」
「ガサキングの映画を撮りたくてね。実はこないだちょっと撮ったんです。残念ながら着ぐるみは間に合わんかったんですけど、市場を逃げ惑うエキストラとして、200人くらい集まってくれてね。嬉しかったなぁ……」
2分ちょっとではありますが、こちらが「大怪獣ガサキングα 三和市場に現わる」。
なんと、ウルトラマンXなどの監督・田口清隆さんが撮ってくれたそう! すごい!
「着ぐるみも、やっと形になってきてね。もうちょっとで完成やねんけど、見に来ます? 今、家にあるけど」
「え! 見たい見たい! ぜひ見せてください!!」
というわけで、製作途中のガサキングαが置いてあるという、森谷さんの自宅にお邪魔させてもらいました!
三和市場を恐怖のどん底に叩き落す大怪獣、ガサキングαとは一体……!
ゴゴゴゴゴ……
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
バァァ~ン!!
デケェェ~~!
目の前で見るとかなりのド迫力!
※取材時には胸や爪なんかがまだ未完成でしたが、現在はもう完成しているそうです!
そして、おわかりでしょうか……
ツノと耳に、3ワ(さんわ)の文字が……! 名前の「(あま)ガサキング」といい、尼崎人はダジャレを言わないと死んでしまう呪いにかかっているのでしょうか。
「熱意だけでここまでのものが形になるって、本当にすごい! ガサキングαによって、今まさに市場が再生しようとしてる!」
「再生させてんのか、息の根止めてんのかはわからんけどね(笑)」
「でも何もしないよりは絶対マシだと思います。今日はおもしろい話を聞かせてもらった上に自宅にまで入れて頂いて、ありがとうございました!」
「はい、ありがとうございました。これでちょっとでも三和に人が来てくれたらエエんやけどね~!」
森谷さんは、12月24日に「とらのあな」でヤシオリ酒場というイベントを行うそうです。シン・ゴジラに出てきた作戦名ですが、もともとはスサノオがヤマタノオロチを酔わして倒した、あのお酒のこと。太古から作られているヤシオリ酒を呑む酒場です。
また、1月21日には、ガサキングαのデザインを担当した西川さんと、設定を考えてくれた馬場さんを招いて『ガサキング酒場』というイベントを行うそうですよ!
まとめ
尼崎は僕の故郷ですが、子供の頃や 思春期の頃は、この町が大嫌いでした。
都会的なエレガントさとは正反対だし、おしゃれな服屋さんより町工場のほうが数が多いし、ガラが悪いし。
でも、東京に来てから、尼崎ってすごく良い町だったんだなと気づきました。周りがみんな工員や商人だから、誰も気取らない。
ガラの悪い人も、真面目な人も、気難しい人も、話しかければみんな人懐っこい。
三和市場の怪獣を使った町おこし、ぜひ成功してほしいですね。そしていつか、子供の頃のように人でいっぱいの三和を歩きたいものです。
(おわり)