うーん。実に興味深い……。
こんにちは。ライターの恐山(おそれざん)と申します。
難解な哲学書を読んでいるふりをしています。
唐突ながらおたずねします。
みなさんは「哲学」という言葉にどんなイメージを持っていますか?
周囲の人たちに聞いてみたところ、このような反応でした。
・難しいことを言っている学問
・役に立たない学問
・無意味な学問
・名言を考える学問
・本気でやると不幸になって、発狂して孤独に死ぬ
・気むずかしい屁理屈好きの趣味
・ヒゲ
・就職できない
……散々です。
で、「哲学者が考えている哲学的な問題」って、たとえばこんなイメージじゃないですか?
ろうそくの火は消えるとどこに行くのか?
みたいな。
哲学といえばフワッとしてて抽象的な問題を考える学問、というイメージ。「そもそもそんなこと考えてなんの役に立つの?」と思われるのも仕方ない気がします。
さて、「役に立たない」「難しい」「ヒゲ」というイメージを持たれている哲学ですが、実際のところはどうなのでしょうか?
本職の哲学者に話を聞きに行ってきました。
お話を伺ったのは土屋 賢二(つちや けんじ)さんです。ヒゲは生えていませんでした。
土屋賢二さん
1944年生まれ。東京大学を卒業後、現在はお茶の水女子大学哲学名誉教授。定年退職後は神戸に在住。週刊文春でユーモアエッセイ『ツチヤの口車』を長期連載中のエッセイストでもあり、ジャズピアノの演奏者としても知られる。好きな飲み物はコーラ。
今回は哲学者の土屋さんにインタビューして、馴染みのない「哲学」に少しでも迫っていきたいと思います。
土屋先生が哲学者になるまでの話から、なぜ哲学をやるのか? まで伺ってきました。
「ロウソクの火のゆくえ」にもハッキリと答えが出ましたよ!
哲学者の考える「地元」
「今日はよろしくお願いします。哲学的で深遠な話を期待してます!」
「なるべく深遠なことを言えるようにします」
「土屋さんはお茶の水女子大学を定年になって、今は神戸に住んでいるんですよね?」
「はい。岡山県から上京してきて、定年までずっと東京に住んでいたから、神戸に深いゆかりがあるわけではないんですけどね」
「このインタビューが掲載される『ジモコロ』は『地元と仕事』がテーマなのですが、土屋さんが神戸に住んでいる理由はなんでしょうか。哲学者の琴線に触れる何かがあるとか……?」
「出張で神戸に行ったときから、山と海に囲まれた環境が気に入ってたんです。深夜でも町が賑やかで、ケーキ屋まで開いてることにも驚いて『いつか引っ越そう!』と思ってた。でも、結局どこに住んでも同じだよね(笑)」
「えええ……。『どこに住んでも同じ』って、ジモコロ的には一番の禁句ですよ!」
「引っ越してからわかったんだけど、自宅からじゃ山も海もぜんぜん見えないんですよ(笑)。それに夜に出歩くような歳でもなくなっちゃったしね。どうせ半径100メートルしか移動しないなら、どこに住んでも大して変わらない。たとえばもし、寝てる間に地球そっくりの惑星に移動したとしても、きっと気づかないでしょ?」
「たしかにそうですね」
「僕らは『場所』にこだわるけど、自分がどこにいるのかをどうやって認識してるのかって、実は曖昧です。結局は頭のなかに地図があるだけなんじゃないでしょうか。『場所』とは一体なにか……と、こういう話にすると哲学者っぽいでしょ?」
「『ぽい』です。気を遣ってくださってありがとうございます」
東京大学で「疑うこと」を知った青春時代
「土屋さんは2010年までお茶の水女子大学で哲学を教えていた、生粋の哲学者ですよね。哲学には昔から興味があったんでしょうか?」
「いや、若いころは哲学なんてぜんぜん興味なかったですね。でも最近は『中学2年生のころからニーチェ※を読んでいました』なんて学生がいる。尊敬しちゃいますよね」
※ニーチェ…ドイツの哲学者。力強い言葉でいろいろ断言するので、弱い人に人気がある。
「生徒を尊敬してどうするんですか。土屋さんは中学2年生のとき、何に興味があったんですか?」
「うーん……。鉄棒かな」
「ニーチェと鉄棒じゃ大違いですね」
「1962年、東大の文科一類に合格したときは、親に言われるがままに官僚になるつもりでした。『官僚』が何をする仕事かもわかってないのに、漠然と『官僚にさえなれば一生安泰だ』と思ってたんだよね」
「本当はエリート街道を進んでいく予定だったんですね。官僚が何かわかってない人はたぶん官僚になれなかったと思いますけど」
「東大に入学して、今はなき『駒場寮』っていう学内の寮に住んだんだけど、そこで出会ったものが僕の価値観を大きく変えることになりました」
「なるほど、そこで哲学書ですね?」
「マージャンです」
「ダメ学生じゃないですか」
「東大駒場寮は1部屋6人の、ぼろぼろの刑務所みたいなところなんだけど、本当に24時間、誰かが卓を囲んでるんですよ。寝ていても頭の上でずっとジャラジャラ鳴っている。でも誰もそれを気にしない、おおらかな空間でした。毎日、マージャンに疲れたら寝て、起きたらマージャンして……の繰り返し。当然、講義なんか出るヒマないですよ」
「親は、信じて東大に送り出した息子がそんなことになってるとは夢にも思わなかったでしょうね」
「食事すらロクにとらないから栄養状態も悪くて、みんな痩せてたなあ。そもそも、学食の壁に張り出されてる『本日メニューの栄養素』の円グラフが全部基準値を下回ってるという……」
「すごい時代だ」
「でも、そのときはじめて自由ってものを知りましたね。ほら、親っていろいろと子どもに指図するでしょう? 『勉強しろ』『風呂入れ』とか。だから反動で、駒場寮時代は『2週間、禁風呂する』なんてストイックな目標を立てたりして、楽しかったですね」
「そういうのはストイックとは言いません」
「あと、パチンコにもハマってました。あれは本当にお金と時間を浪費しますよ! いつかパチンコ屋で見た隣の席のおじさんは『なんで俺はこんなことを。この金で子どもに何か買ってやれたのに』って嘆きながら、ハンドルからは手を放さない(笑)。まあ、僕も同じ穴のムジナなんですけど」
「あれ、この記事って『多重債務者にインタビュー』でしたっけ?」
「寮生活時代はそうやってどんどん堕落していったんだけれど、極めつけはドストエフスキーの小説※を読んだことです。彼の小説には饒舌で型破りで魅力的なキャラクターがたくさん出てくるんです。それに既存の価値観を完全に破壊されてしまった。『本当に官僚になるのが一番いい生き方なんだろうか?』と疑わしく思えてきたんです。官僚の道を捨てて哲学に行ったきっかけは、今思うとそこからですね」
※ドストエフスキー…ロシアの小説家。登場人物の多くが、怒りながらよくしゃべる。
「子どもを官僚にしたい親は、ドストエフスキーを読ませないようにしたほうがいいですね」
「存在と時間」の謎に取り憑かれる
「あの、そもそも『哲学』ってなんなのでしょうか」
「たとえば小さな子どもが『なぜ空は青いの?』と質問します。そこで『光の拡散によって青い波長だけが見えて……』というような説明をしても、子どもは納得しないでしょう。子どもにとっては、そんな法則が成り立っている事実も空が青いのと同じくらい不思議だからです」
「さらに法則が成り立っている理由を説明しても納得しないでしょうね。たぶん『なぜ?』『なぜ?』が無限に続く……」
「つまり、すべての事実が明らかになったとしても残る謎があるんです。これが哲学的な問題に共通する性質だと思います」
「なるほど……。それを解き明かすのが哲学なんですね。大学時代に哲学を知った直接的なきっかけはなんですか?」
「ある日、なんとなく受けた講義で先生が面白いことを言ってたんです。『ハイデガー※というすごい人が『存在と時間』という『存在とは何か?』を突き詰めた本を書いていて、何百ページもあり、しかも未完である』と。それを聞いて『存在』と『時間』という言葉の組み合わせの不思議さ、深遠さに打ちのめされちゃった。これを理解しないまま死んでいくのは絶対に損だぞと思ったんです。
※ハイデガー…ドイツの哲学者。『存在と時間』の新訳版は未完なのに全8巻もある。
「実は以前、私も『存在と時間』という言葉が気になって読んでみたことがあるんですが……」
存在を開示しながら理解することが、現存在に適合したかたちでそもそも可能となるのは、どのようにしてなのだろうか。……根源的時間から、存在の意味へとつうじるひとつのみちすじがあるのだろうか。時間そのものが、存在の地平としてあらわになるのであろうか。
「何を言ってるのか、本当にさっぱり何一つわかりませんでした!」
「そう。僕もさっぱりわからなかった(笑)。普通、どんなに難しい本でもやろうとしていることのだいたいの方向性はわかりますよね。たとえば『宇宙の端っこはどうなってる?』って疑問を解くのはとても難しいけど、少なくとも調べたいことの意味はわかる。でも、この哲学書が出す疑問は『存在とは何なのか?』なんだよね。何がどうなったら『存在がわかった』ことになるのか、まずそこからわからない。難しさのレベルが違うんです。そんな種類の問題があるなんて思いもしなかったから、若い僕は衝撃を受けた」
「結局、私は『存在と時間』を読むのを断念してしまいました」
「僕も最初は1ページどころか1行たりとも理解できませんでした。でも『こんなに深遠で面白そうなことをわからないまま生きていくのは絶対にいやだ』と思って、必死に勉強して読み解きました。そして2年生のとき父親の反対を押しきって、哲学科に転科したんです。将来をどうしようとかは全然考えてなかったなあ」
「深遠なことが気になるわりに、自分の人生の決め方は軽薄ですね。哲学科に転科して、ハイデガーはわかるようになりましたか?」
「全然わからなかったですね。それどころか、ガッカリしちゃった。ハイデガーに詳しい先生の話を聴いても、ハイデガーの言葉をハイデガーの言葉で言い換えてるだけで、本当に知りたい謎の答えはわからないままなんだよね」
哲学者になった理由は「仕方なく」
「結局、自分でハイデガーの問題意識を理解するまでに10年かかりました」
「10年!?」
「10年経ってわかったのは『今までの成果はぜんぜんムダだった』ってこと。僕がずっとやってたことは完全に見当ハズレだったんですよ。理由はあとで説明しますね」
「えええええ……!」
「ハイデガーに没頭しているうちに、身の振り方を考えないといけない歳になっていました。大学院まで進んでしまうと、官僚はもちろん、普通の就職先もないわけです。哲学の教師くらいしか道はないんですが、僕は当時流行していた学生運動に面白半分で参加して、校舎に立てこもったりしていた。先生に歯向かったあげく『じゃあ、先生になります』なんて言えないじゃないですか(笑)」
「『哲学者になるまでの話』というよりは『官僚になれなくなるまでの話』を聞いている気分です」
「仕方なく、いろんな商売に手を出しました。たとえば『競売にかけられた不動産を買って、すぐ転売すればボロ儲けなんじゃないか?』と思って裁判所に通いつめたり」
「不動産を買うお金なんかあったんですか?」
「ないですよ。競り落としてからお金を払うまでに一週間くらい猶予があるから、その間に買い手を見つければいいや、と思ってた」
「めちゃくちゃだ」
「結局、そんな商売はすでにヤクザみたいな人が手を付けていて、僕がつけ入るスキなんてなかった(笑)。いよいよどうしようもないなと思っていたら、大学の先生にバッタリ会って『キミの卒論、なかなか面白かったから博士号取れば?』と言われました。『もう潰しがきかないし』ということで博士号を取って、先生になって……」
「今に至るわけですね。おそろしいほどに行き当たりばったりですね」
哲学の問題に答えはない。でも、すべて解決できる。
「話を戻しますが、10年間も勉強したハイデガーの研究成果が『見当ハズレ』だったんですよね」
「うん。その根拠はいろいろあるんだけれど、一番大きな理由は『この問題に答えは出せない』とわかったこと。問題に答えが出せないんだから、問題の研究も無意味に決まってますよね」
「え? それって『敗北宣言』ですか? 哲学の問題なんか、どうせ解決できないっていう……」
「いいえ」
「すべての哲学的問題は解決できますよ」
「すごい、言い切った……。でも、哲学の問題に答えは出せないんですよね? 矛盾してるじゃないですか」
「うん。だからね、哲学の問題は『そもそも問題がまちがっている』ということなんです」
「問題そのものが?」
「たとえば『ろうそくの火が消えたとき、その火はどこへ行くのか?』という哲学的な問題があります」
「おお、哲学っぽくてかっこいい問題ですね!」
「でも、答えはないんです。それどころか、問題ですらないんです。なぜなら『言葉のルールに違反している』から。だって、火は消えたらどこか別の場所に行くわけじゃなくて、消滅するものでしょう? だから『消えたらどこに行く』って質問自体、意味がないんですよ。これはヴィトゲンシュタイン※という哲学者も似たようなことを言っているんですが」
※ヴィトゲンシュタイン…オーストリアの哲学者。『論理哲学論考』を書いたあと「哲学の問題は全部とけた」と思って数年間哲学をやめた。
「す、すごく常識的! 哲学者なのに!」
「僕は『なんのために生きるのか』『心とは何か』『自由とは何か』みたいな哲学的な問題は、全て『問題がまちがっている』という形で解決することができると考えています。もちろん、それをきっちり指摘するためにたくさん言葉を使って論証しないといけないし、ハイデガーの『存在とは何か』なんて問題になると、プロセスはかなり複雑になりますけどね」
「だから、答えがあると思ってハイデガーを研究した10年は『見当ハズレ』だったんですね……」
「そう気付いてからはヴィトゲンシュタインを中心に研究することになるんだけど、これがハイデガーとは別の意味で難しい。言葉はとてもシンプルなのに、それを言う『意図』が読めない、不思議な文章なんです」
「ヴィトゲンシュタインは前置きもなしにいきなり問題を解き始めるんですね。で、読みながら自分なりに『こうすれば解けるだろう』と思っていると、先回りして反論されてしまう。『だったらこうしたら…』と思っても、さらに先回りして反論される。そのうえ、こっちが想像もしていない斬新なアイデアまで出してきて、それにも自分で反論してしまう。彼の思考の鮮やかさに魅了されました」
「武道の達人みたいですね……!」
「その面白さがわかったのは三十代後半でしたけどね」
哲学は役に立たない?
「よく『哲学は役に立たない』みたいなことを言う人がいますよね」
「いますね。僕の読者が『ツチヤって哲学者がいるんだよ』ってお母さんに教えたらしいんですけど、返ってきた言葉が『誰でもそういう時期はあるわよね』だったらしくて(笑)」
「土屋さんはもう50年以上『そういう時期』……。失礼ですが、話を聞いているかぎり、哲学が役に立つようには感じないです」
「たしかに哲学は日常的には役に立ちません。でも、日常を成り立たせているものに疑いの目を向けることができるのが哲学です」
「『哲学は役に立たない』と言う人がイメージする哲学は『難しい言葉で深遠そうなことを言っているだけ』という感じだと思います。土屋さんがやっている『哲学』は、むしろ逆に見えますね。深遠そうな言葉に疑いを向けている」
「はい。哲学は何でもかんでも、『存在』でさえも疑いますが、それはわかっていないことをわかったような気にならないためには大切なことなんです」
「みんながなんとなく信じていることってたくさんありますね。そういうときに暗黙の前提を疑う人がいないと、おかしな方向に行っちゃう気がします。疑ってはいけないものがある世界は窮屈そう」
「そう思うと、曖昧な言葉をむやみに使ってるのは哲学者より普通の人たちのほうなんじゃないかという気がしてきました」
誤解を解くには「対話」が必要
「『哲学なんてひとりで勝手にやってればいいじゃないか』という人もいますよね。大学のような場所で哲学を学んだり教えたりすることに意味はあるのでしょうか?」
「哲学の祖と言われている古代ギリシアのソクラテス※は、通りがかりの人に話しかけて哲学的な議論をしていました。互いに意見が一致するところから話をスタートして、ちょっとずつ相手の間違いをあぶり出していくんですね。プラトン※は学校を作ったし、アリストテレス※も先生です。僕も、哲学をやるなら対話できる環境が必要だと思います。他人は思わぬ角度から反論してきますから」
※ソクラテス…一番有名な哲学者。レスリングも得意で、けっこうガッチリしていたらしい。
※プラトン…ソクラテスの弟子。ソクラテスを主人公にした本をたくさん書いた。
※アリストテレス…プラトンが開いた学校の元生徒。アレキサンダー大王の家庭教師もしていた。
「そのために大学は役に立つ、と。土屋さんも生徒に反論されるんですか?」
「もちろんです。反論されると『こんな考え方があったか』と気づけるので嬉しいですね。あのソクラテスですら、論証の過程でけっこうインチキをしていて、いまだに批判されています」
「それにしても、そのへんの人を捕まえて言い負かすって、ソクラテスはイヤな人ですよね」
「結果的に民衆の恨みを買って死刑になっちゃうほどですからね(笑)」
「そんな哲学を学ぶと、人は変わりますか?」
「変わりますよ。哲学科の1年生に、流行の新書を読ませて感想文を書かせると『とても参考になりました』みたいなことばかり書くんです。それが4年生くらいになると『この本は言葉の定義が曖昧でぜんぜん話にならない』『前の章と言っていることが矛盾している』と、冷静に批判できるようになっている。だから、哲学をやるとイヤな人になるかもしれない(笑)」
「いい子を育てたかったら子どもを哲学科には入れないほうがいいですね……。お聞きしたいのですが、土屋さんは哲学に飽きることはないのでしょうか?」
「まったくないですね。いまでも面白い問題を思いつくと解くのが楽しいです。」
「すごい!」
その後も話がはずみ、なんと計3時間半もお付き合いいただきました。
土屋さんは世間的な哲学者のイメージとは逆に明るく朗らかな方でしたが、哲学的な謎に対する思いは本物だと感じます。
哲学的な思考は、一定の枠組みにとらわれた考え方から自由になる手段として役に立ちます。でもなにより、土屋さんは謎が気になって仕方がなくて、そして謎を解くのが楽しくて哲学をやっているのではないでしょうか。そんな情念の前に「役に立つかどうか」なんて些細なことなのではないか、取材を終えてそんなことを思いました。
土屋賢二さんの自伝的エッセイ『哲学者にならない方法』は、東京書籍より好評発売中です!
ライター:ダ・ヴィンチ・恐山
株式会社バーグハンバーグバーグ所属。作家名義は品田遊。
延長コードの購入や自動改札機の利用など、多方面で活躍中。
ブログ→品田遊ブログ
Twitterアカウント→@d_v_osorezan