シュッ…シュッ…シュッ…シュッ…
ウィン…ウィン…ウィン…ウィン…
ウォン…ウォン…ウォン…ウォン…
パサッ……
こんにちは! ライターの根岸達朗です。
今日は、ジモコロのフリーペーパーの印刷をお願いしている「山田写真製版所」(富山県富山市)に来ています。
有名作家の写真集や作品集の製作を数多く手がけるこちらの会社。作り手のこだわりを受け止め、美しい作品を生み出すことで知られる印刷・製本のプロ集団です。
富山といえばYKK? いや、YPPもあります!
会社の玄関に飾られている写真。写真越しに伝わるのか分かりませんが、白黒印刷にも関わらず、蕎麦の立体感や職人の手のシワがくっきりと描かれています。
こちらの動物のイラスト。左右で白黒を反転しているようなんですが、緻密な印刷ってここまでできるんだ…と驚くばかりです。
今回、ジモコロのロゴや紙版を手がけたデザイナー・中屋辰平くん(写真右)と一緒に、素朴な疑問をぶつける予定なんですが…。
「いやーそれにしても、ジモコロのフリーマガジンつくって、紙には紙でしか出せない美しさや味わい、手に取れる喜びがあるなーってすごく感じましたね。今後につなげていくためにも今日はいろいろ勉強したいな」
「そうですね。紙の仕事もするなら、印刷のことは知っておいて損はないと思います!」
「あ、ちなみに僕は印刷のこと全然わかってないから、話についていけなくなったら中屋くんフォローしてね。頼りにしてます」
「キン肉マンで言うところのミート君のポジションですね。わからなくなったらWikipediaで調べるので任せてください!」
「……(こいつ、大丈夫か?)」
「ちなみに今回、山田写真製版所さんのご厚意で『印刷界のレジェンド』に話を聞けることになりました」
「え、そうなの??」
熊倉桂三(くまくら・かつみ)
1947年東京生まれ。日本のグラフィック界をリードする伝説的なプリンティング・ディレクター。亀倉雄策、田中一光、石元泰博など、名だたる巨匠たちと仕事をし、名作の数々を生み出す。現在は印刷の楽しさや魅力を伝える「熊倉セミナー」を各地で開講。次世代のデザイナーと印刷のエキスパートを育てる活動に尽力している。
写真界の巨匠・篠山紀信さんの作品集などを数多く手がけている熊倉桂三さん。プリンティング・ディレクターとして数々の功績を残してきた印刷界のレジェンド!
90年代に絶頂期を迎えていたキムタクや葉月里緒菜さんの写真集も手がけており、話題になっている写真集のクレジットをみたら、熊倉さんの名前が載っている……なんてことも全然ありえます。
ちなみに今回の取材に同行した編集長は、増刷したばかりのフリーペーパーの仕上がりが良すぎて、目を開けたまま絶命しました。以後の写真に映り込む編集長は亡霊か何かの類だと思うので、気にしないでください。
大陸文化を起源とする「印刷」の歴史
「今日は遠いところまでお疲れさまでした。それではこれから皆さんに僕の印刷講義を受けてもらおうと思います」
「ありがとうございます。先生、お手柔らかにお願いします!」
「じゃあいきなりだけど僕から質問。『印刷』って、何でしょう?」
「えっ……いきなり逆質問!? 印刷の『印』は印象の『印』だから……」
「うんうん。『印』のつく言葉にはほかに何がありますか?」
「印鑑の『印』ですかね」
「そう! 印鑑も印刷のひとつ。つまり、印刷というのは、同じものを大量につくることなんです。さすがデザイナー、筋がいいですね」
「いきなりスマートな回答しないでくれる?」
「フォローしてって言ってたくせに」
「じゃあ、印刷の原点でもある印鑑の起源はどこにあるか。答えは中国です。紀元前の話ですね」
「えー紀元前! でも、印鑑を押すとなると紙が必要ですよね。その時代って紙はあったんですか?」
「いや、そのときはまだ木とか動物の皮を紙の代わりに使っていました。その後、中国の蔡倫(さいりん)という人が実用的な製紙法を確立して、そこからシルクロードを通ってヨーロッパに流れていったのが洋紙に、朝鮮半島を経由して日本に流れてきたのが和紙になったんですね」
「へー勉強になるなあ。日本に入ってきたのはいつ頃なんですか?」
「聖徳太子の時代だから、7世紀頃ですね。そこから改良をしながら、湿度の高い風土にあった丈夫な紙をつくっていく。これが和紙の原点です」
「なるほど。外国から入ってきたものを、自国流にブラッシュアップしていくのは日本人の十八番って感じがしますね」
「和紙文化が発展するきっかけをつくったのは、聖徳太子の功績のひとつといってもいいでしょうね。日本に大昔の古文書が結構残っているのは、丈夫な和紙があったからだとも考えられます」
「でも和紙って今は高級な紙というイメージで、一般的に使うものじゃないですよね。なんで使われなくちゃったんでしょう?」
「明治時代に洋紙が入ってきて、手仕事でつくる和紙は生産効率が悪いということで、どんどん衰退してしまったのがひとつの理由ですね。機械化の波にのまれたと言ってもいいでしょう」
「そういえば、ドイツから印刷技術が入ってきたのもその頃ですよね。日本の印刷は明治時代が大きな転換点だったと言ってもいいと思います」
「中屋くんの詳しさすごいな。じゃあそれ以前の印刷ってどういう感じでやってたんですかね。日本ならではの方法ってなかったんですか?」
「江戸時代までは基本的にはほとんどが模写です。印刷的といえば、凸版印刷のやり方そのままでつくる『浮世絵』がありますが、あれは枚数が少ないのでどちらかといえば作品の部類に入るでしょうね。印刷というのは、同じものを大量につくることですから」
「要素」の掛け合わせで無限に広がる「印刷」の奥深さ
「では次の質問に移りましょう。印刷には5大要素があるんですが、なんでしょう? これがないと印刷はできません」
「え、5大要素? うーんと……」
「インク、紙、マシン、元原稿……」
「ちょ…待って! わかった! お金! お金です」
「あっはっは。まあそれも大事だけど、最後のひとつは『版』ですね」
「………」
「印刷は『版』をつくってそこにインクをつけて、紙などに転写するんですよ。だからどういう『版』にするかで、仕上がりも全然違ってきます」
「じゃあ、版は大きく分けて何種類あると思いますか?」
「『凸版』『凹版』『平版』『孔版』の4種類です」
「!?!??」
「正解」
「……完全に劣等生の気分」
「現代の印刷物のほとんどはこのいずれかの版を使っています。すべてに特徴があるからできれば覚えておきましょう」
凸版(とっぱん)印刷・・・インクのつく面がほかの部分よりも出張った版をつかって、紙などに押し付ける形で印刷する技術。力強い印象が出る。「活版印刷」とも呼ばれる。
凹版(おうはん)印刷・・・版を削り込んでできた溝の部分にインクを入れて紙などに転写する印刷技術。写真や美術印刷に向いているとされる。別名「グラビア印刷」。
平版(へいはん)印刷・・・「オフセット印刷」と呼ばれる、現在もっとも主流の印刷技術。版のインクを一度ゴムブランケットという中間転写体に転写したのち、紙に印刷する。精度の高い画線を短時間で大量に印刷できるのが特徴。
孔版(こうはん)印刷・・・版に大小の孔(あな)をあけて、そこにインクを通して印刷する方法。昔は版にシルクを使ったことから「シルクスクリーン」とも呼ばれる。曲面などにも印刷できるのが特徴。
「一言に印刷とは言ってもいろいろあるんですねえ」
「そうですね。印刷はこれらの技術を先の要素とどう組み合わせるかなんですよね。無限の組み合わせがあると言ってもいいでしょう」
「確かに。紙ひとつとっても、ものすごい種類ありますもんね」
「はい。ファンシー系とかマット系とか、とにかく膨大な種類があります。しかも印刷する素材が布だったり、フィルムだったり、ガラスだったりということもあるんです。インクだって既存の色にないものは『特色』という形で特別に調合するんですよ」
「すごいなあ。じゃあ、印刷のプロはそういう組み合わせの引き出しをたくさん持っていないといけないわけですね」
「そうですね。だから、奥深いですよ。でもこうした引き出しを持っていた方がいいのは、デザイナーや作家も同じなんですよね。印刷のことをある程度知っておかないと、本当に作りたいものって作れないですから」
「わかります。僕も学生時代に印刷のことを勉強しといてよかったと思ってます。でもそのときに学んだことって、現場に出てはじめて血肉になっていったんですよね。やっぱり実践で得られる学びは大きかったなと」
「具体的には印刷所とのやり取りとかそういうときに活かせるものなのかな?」
「それはありますね。特に印刷物の仕事ってデザイナー1人ではできないじゃないですか。印刷会社にどれだけいいバトンタッチができるか。そのための知識を持っておくって大事なんです」
「そうですね。紙のデザインをするなら、印刷の知識は必要ですね。ちゃんとした知識を持っていれば、予算をかけなくてもすばらしいものをつくることができますから」
最後に頼りになるのは「人間の目」と「感性」
「次は色の話をしましょう。RGBって知っていますか?」
「昔、ゲーム機にRGBケーブルっていうのがあったような」
「RGBというのは『光の三原色』ですね。R=レッド、G=グリーン、B=ブルーバイオレットのこと。普段、私たちが見ている世界の色です。テレビやパソコンのモニターもRGBで表現されています。でも、印刷の世界は違います」
「え、違う?」
「印刷は『光の三原色』と仕組みが違うので、RGBを『色分解』してCMYKにする必要がありますね」
「色分解!? ちょっと頭の処理能力が追いつかなくなる可能性あるけど、落ち着いて、ゆっくりいこう」
「………(スラムダンクの仙道みたいなこと言いだしたな)」
「じゃあわかりやすいところで、たとえば次の写真。見比べてどう思いますか?」
「左のお刺身の方が色鮮やかでおいしそうです」
「左は対象物に合わせた『色分解』を考え抜いて印刷をしたもの。右は『ジャパンカラー』という既成のフォーマットを使って、単純に色を置き換えて印刷したものです」
「ほ、ほう……」
「『色分解』の仕方でこんなにも違いが出るんですね。RGBをCMYKに置き換えるのは、ソフトのボタンひとつでできることなんだけど、そんな単純な話じゃないっていう」
「ええと……RGBはわかったけど、CMYKっていうのは?」
「CMYKは『色の三原則』のこと。C=シアン、M=マゼンタ、Y=イエロー、K=ブラックを意味していて、別名『プロセスカラー』と言われています」
※プロセスカラーとは?
プロセスカラーとは、印刷物において、基本となる4色のインキの組み合わせによって色を表現すること、またそのようにして表現された色のことである。 4色は、「CMYK」と略して表現される。プロセスカラー - Wikipedia
「ああ!『色分解』っていうのは、画面上の色RGBを印刷用の色CMYKに置き換えることなんですね。でもそれには技があると! わかってきたぞ!」
「……根岸さんに笑顔が戻った」
「この色分解は印刷屋によってそれぞれのやり方があって、技術なんです。僕も『熊倉カーブ』と名付けた独自の変換スタイルを持っていて、それを使いわけながら印刷物に合わせて色を置き換えています」
「『色分解』は門外不出。秘伝のタレみたいなものですね」
「その例え、わかりやすいね。食材によってそのタレにもいろいろあるわけか」
「紙の印刷物っていうのは、その手触りも含めて、五感でその良さを味わうもの。だから、そういうものをつくるにはやっぱり『人間の目』と『感性』が必要なんです。これはテクノロジーが進化しても、機械やAIには絶対に真似できない仕事だと思っています」
100%の仕事ができるまで
「いやーそれにしても、たくさんの作品集がありますね。このあたりはみんな山田写真製版さんで手がけたものなんですよね?」
「そうですね。ただ僕の仕事はちょっと特殊なのも多くてですね。たとえばこれとか」
「ん、これは? 同じモチーフの写真が2枚並んでいますけど」
「それぞれを見比べてどう思いますか?」
「左の方が全体に黒の濃さが際立って見えます」
「そうですね。左の写真は右の写真の状態から墨を何度も重ねて、より深い『黒』を出そうとしたものです。現代の写真印刷の最高技術と言われる『プラチナ・プリント』に、あえて従来の技術で対抗するというもので、結果的に『プラチナ・プリント』に間違えられるくらいのものになりましたね」
「わーこれ、めちゃくちゃすごいですよ。墨を何度も乗せるなんて、やろうと思ってもできることじゃないです。たとえば、新人の作家さんの作品集制作でこの仕様を提案したら『お金がものすごいことになりますけど』って笑って却下されると思います」
「へえ。こういうのって、巨匠レベルじゃないとできない印刷なんですか?」
「コストもかかりますので、まあそうですね。しかもこれ、実は印刷の常識じゃ考えられないことしてるんですよ。普通、インクの濃さって1〜100%まであるとして、CMYKの総量が340%以上の濃さは事故が起きるからやってはいけないとされているんですね」
「印刷機の負荷もすごそうですよね……」
「はい。でもこれ、何%だと思います?」
「400%です」
「圧倒的ラスボス感。戸愚呂弟よりすごい」
「こういう印刷は普通デザイナーがお願いしても、無茶な話なのでお断りされます」
「うちは高級印刷を謳っている以上、中途半端なものは作らないというポリシーがあるんですよ。お客さんに感動してもらうためにはどうすればいいかということを常に考えているので、ときには常識から外れたことでもやるんです」
「熊倉さんの仕事への情熱、すごいですね。これはやっぱり優れた作り手たちと仕事をしてきた経験から生まれたものですか?」
「そうですね。僕はありがたいことに、大先生と呼ばれるような人たちとずっと一緒に仕事をさせてもらってきました。当然ながら彼らに中途半端なものは通用しません。何かあれば徹底的に追及されます。それに応えないといけないという仕事をしてきたから、自分自身に妥協がないんですね」
「自分自身に妥協がない……沁みる言葉です」
「それに、巨匠たちと仕事をして『本当にいいもの』を知ることができたのもよかったですね。料理もそうだけど、おいしいものを食べないと味の違いってわからないじゃないですか。印刷も一緒なんですよ」
「確かにおいしいものを知ると後戻りできない感じありますよね。カウンターで食べる寿司知ったら、中途半端な回転寿司に満足できなくなるのと同じで」
「そういうものですよね。でも、僕は今でも100%納得した仕事ってできてないんですよ。みんなはすばらしいと言ってくれても、自分のなかで満足していない部分がひとつやふたつ必ずあるんです。だから、心の底から『100%の仕事ができた』ときが、僕がこの仕事を引退するときですね」
「仕事への向き合い方も含めて、とても勉強になりました。今日はありがとうございました!」
まとめ
文字が読めればなんでもいい、写真が写っていればなんでもいいという感覚では、決して到達することはできない細やかな「美」の世界。
「1%の違い」と向き合う印刷の世界で妥協なき仕事を突き詰めてきた熊倉さんの話からは、仕事とは本来どうあるべきかという、根っこの部分の心構えをあらためて問われたような気がしました。
良くも悪くもクリエイティブらしきものがあふれる今の時代。本当に価値のあるものを残していくためには何をすべきか、すべての作り手がきちんと考えなければいけないときが来ているのかもしれませんね。遅ればせながら紙の世界に触れた者として、学びの多い取材だったことをここに記します。
それではまた!
●取材協力:YPP株式会社 山田写真製版所
●取材協力: 中屋 辰平 / Shinpei Nakaya
Graphic Designer / Art Director。1988年東京都足立区生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業後、ハンサム株式会社(デザイン事務所)を経て独立。紙やWEBなど媒体問わずビジュアル制作の企画・デザインに携わる。 http://shinpui.jp/
●写真撮影:小林 直博
編集者兼フォトグラファー。1991年生まれ。ばあちゃん子。生まれ育った長野県飯山市を拠点に、奥信濃らしい生き方を目指し活動中。http://www.fp-tsurutokame.com/
書いた人:根岸達朗
東京生まれ東京育ちのローカルライター。ニュータウンの端っこで子育てしながら、毎日ぬかみそをひっくり返してます。メール:negishi.tatsuro@gmail.com、Twitter ID:@onceagain74/Facebook:根岸達朗