はじめに
こんにちは、ジモコロ編集長の徳谷柿次郎です。
聞くまでもないと思いますが、みんな「ポケモンGO」をやっていますでしょうか。まぁ、夢中ですよね。平成以降の歴史でこんなにも「乗っからないと損だ。恥をかく…!」と思わせるほどのムーブメントも珍しいでしょう。それも男女差、世代差を超えた社会現象。僕が務めるバーグハンバーグバーグも例外ではありません。
【お知らせ】ポケモンGO配信のため、本日の業務は終了させていただきます pic.twitter.com/x7L49ldEZE
— 株式会社バーグハンバーグバーグ (@BHB_official) 2016年7月22日
新宿御苑や代々木公園、世田谷公園など、都心部のスポットに大勢のユーザーが集まっている様子ですが、僕が住んでいる台東区の「三ノ輪駅」周辺はなかなか寒々しい状態になっていてですね。ほら、東京23区内で唯一の「民泊禁止!」を掲げる台東区じゃないですか。NOポケモンの看板でも掲げてんじゃないの?って疑いたくなります。
まぁ、理由は分かるんです。なにせ、友人知人や取引先に「三ノ輪に住んでます」と言ったところで「ん?どこですか?」と、ピンと来る人の確率の低さときたら…。そんなときは「上野の右上あたりです」「浅草の左上あたりです」と説明するんですが、知名度の低い土地であることは間違いありません。
日比谷線で言えば「上野駅」→「入谷駅」→「三ノ輪駅」だよ!
三ノ輪の知名度が低いばっかりに自宅周辺でポケモンGOを満足に楽しめない。一方で、奥浅草とも言われた歴史ある三ノ輪周辺の土地がめちゃめちゃ面白いという自負がある。この二つの要素を掛けあわせて、ひとつ強い欲求が生まれました。
ポケモンGOの視点を無理やり交えながら、三ノ輪の魅力を紹介したい!
三ノ輪に引っ越して丸二年。フィールドワークとして、図書館でこの土地の歴史を調べたり、民俗学の書籍を読みこんだり、老舗蕎麦屋の老夫婦に話を聞いたり、BARでお客さんに話かけたりなどなど、とにかく足を使って取材してきた情報を下地にしています。タモリ倶楽部的な感覚で読み進めてみてください。間違ってたらすみません。
歴史が深すぎておもしろい「吉原遊郭」
by Gryffindor
まずは三ノ輪を語る上で欠かせないのが、吉原遊郭の存在です。映画『吉原炎上』『さくらん』の舞台となった吉原遊郭は当初、日本橋人形町周辺にあって「元吉原」と言われています。この手の歴史に興味がなければ、知る機会もないでしょう。1657年に起きた「明暦の大火」で全焼。現在の奥浅草エリア・日本堤という土地に移されました。
僕が現在住んでいるのが、まさにこの周辺なんです。周辺というかモロですね。住む前は「治安が悪いんじゃないのか」「エッチな雰囲気がものすごく漂っているんじゃないのか」「給料を全部注ぎ込んでしまったらどうしよう」などと、覚悟を決めていたんですが実際に住んでみたら全然でした。いわゆる都市部の歓楽街と違って、街に溶け込んでるんですよね。
ポケモンGOで見てみるとこのあたり。ポケスポットにもなっている「吉原公園」は当時、大見世の中でも最高クラスだった「大文字楼」がありました。いやー、歴史がありますね。
ちなみにこの空間でポケモンGOをやっている人は皆無。異常におじさんが多いぐらいです。
吉原公園の目の前にあるのが、こちらも大見世だった「角海老」。外観は豪華ですが、少し裏側を覗くと古い建物であることが分かります。というのも、吉原エリアは現代の建築法でアウトな部分が多く、一度壊すと再建築が難しいのだとか。当時の歴史についてはこのページが詳しいので興味のある人はどうぞ。
この土地に住んでいて「ん?」ってなる違和感は、スモークフィルムの張られた送迎用自動車がやけに多いなとか、ビルの屋上に貯水タンクが異常に目立つとか。ならではの事情を察することはあります。
そんな吉原遊郭の歴史で印象的なのがこちら。
赤い線で囲んでいるのが吉原遊郭のエリアです。一見して土地の形がおかしいことに気づきませんか?
実はこの土地に移転する際、「北枕は縁起が悪いから、真北を避けて全部屋を斜めに作ろう」となったそうです。そんな理由で土地の形状を変えるっておかしくない? 現代では考えられなくないですか?
地図を俯瞰したときに、この土地だけ斜めを向いているのはそのためで、このあたりをウロウロしているとどの方角を向いているのか分からなくなります。不思議のダンジョンかよっていう。
明日から使える吉原マメ知識集
こちらが吉原唯一の入り口だった「吉原大門」。風情もなにも残っちゃいませんが、歴史に想いを馳せるとタモリ倶楽部的な楽しみがあります。
連れて行かれる遊女が「もう二度と戻れない…」、そんな複雑な気持ちを抱えて眺めていたのが「見返り柳」だと言われています。無理やり残した感があって、隅に追いやられています。
吉原大門に入ると「ラーメンランド」という単語二つを掛け合わせた名店があります。で、右が斜めに入っているじゃないですか。実はこれ、鷹狩中の江戸将軍に遊郭の中を見せないために用意した道。「五十間道」と言われています。あ、ピジョンGET。
さらに、諸説ある話を一つ。
なぜ、吉原遊郭の移転先としてこの土地が選ばれたのか。日本堤という地名から分かるように、このあたりはズラーっと堤防になっており、古くは湿地帯だったそうです。つまり、地面がぬかるんで地盤が弱い。住むのに適していない。
当時の江戸幕府が考えたのか定かではありませんが、「日本堤周辺の土地開発を進めないとッスね」「じゃあ、吉原遊郭目当ての人を集めたらいいんじゃね? 人がたくさん通れば地面固まるんじゃね?」という目的で選ばれた説。VHSがベータに勝ったのと同じように、PS2がDVDの普及を底上げしたのと同じように、男性の性的欲求というのは世の中を動かすパワーがあるんですね…。
この話は鶯谷で320年以上続いている豆腐料理屋「笹乃雪」の10代目に聞いたので、信憑性が高いんじゃないかと思います。そんな理由で移転させて、実際に土地が発展してるのおもしろすぎ!
「あしたのジョー」の舞台、山谷の歴史が面白い
ボクシング漫画の金字塔『あしたのジョー』。矢吹丈や丹下段平、力石徹など、魅力的なキャラクターを生んだ作品で、若い人でも名前ぐらい聞いたことあるでしょう。昭和の高度経済成長期を支えたドヤ街「山谷」こそ、『あしたのジョー』の舞台(泪橋の下に丹下拳闘クラブがある)であり、三ノ輪、南千住の色濃い文化を築いた場所なんです。
矢吹ジョー像は、近場のポケスポットであり、ヤドラン擁するジムリーダーも君臨しています。
レベル5の僕は太刀打ちできません。奥に見える「満す美寿司」は見た目アレですが、渥美清も通った名店。最近食べに行ったらめちゃめちゃ美味かったです。食べログには絶対載らないタイプの寿司屋。
山谷の中心地「いろは商店街」では、所縁ある『あしたのジョー』を町おこしのアイコンとして活用。商店街のあちこちにポスターが張られていて、一部のお店ではTシャツやグローブパンなんかも売られています。昭和の雰囲気が強く残っていて僕は大好きです。
「いろは商店街」で唯一かっこいいのが、ポケスポットにもなっているウォールアート。なぜ、ここに描かれているのか?
ぜんぜん分からないので誰か解明してくれよな! あ、コラッタGETだぜ!!
泪橋の由来と小塚原刑場
さて矢吹ジョーと丹下団平の出会いの場になった「泪橋(なみだばし)」の由来はなんなのか?
地元の人に話を聞けばすぐに分かった事実なんですが、このあたりに江戸時代から明治初期にかけて「小塚原刑場」という処刑場があり、磔火焙り獄門の刑に処された人の首が運ばれていたとか。残された家族が、その近くの橋で涙を流していたから「泪橋」と呼ばれ始めたそうです。こんなに悲しい地名の由来ってありますか。
現在、小塚原刑場の存在はありません。跡地に「延命寺」というお寺が建てられていますが、もちろんここはポケスポットです。中に入ると「小塚原の首切地蔵」がお出迎え。こちらもポケスポットなのでモンスターボールを補給しましょう。
実は、この土地の因果を感じさせる話もあってですね…。
平成10年、常磐新線(つくばエクスプレス)「南千住駅」建設にあたっての調査で地面を掘り起こしたら、大量の人骨が出てきたそうです。資料によるとその数は頭蓋骨だけで260点以上、四肢骨は1700点以上。前述の湿地帯という地盤の影響で保存状態がよかったとされています。もうディープすぎてごめんなさい!って感じですね。
さらに!
こちらは三ノ輪の代表的なお寺「浄閑寺(じょうかんじ)」。何が有名かって言うと、身寄りのない遊女や息倒れた遺体が放り込まれたことから「投げ込み寺」という俗称で呼ばれていました。ほかにも都内には豊島区「西方寺」、新宿区「太宗寺」「成覚寺」、品川区「海蔵寺」など、遊郭や刑場と縁ある土地に存在するようです。
江戸城を中心に作られた東京の歴史。江戸城から鬼門の方角に「小塚原刑場」を作ったという諸説もあり、奥浅草のディープさはそういった背景が根っこにあるのかもしれません。
お口直しに大自然に向かって手を振る後輩(ARuFa)の姿をお楽しみください。
三ノ輪周辺は食通をうならせる名店が多い!
さて、気を取り直してグルメ情報! これは僕の持論なんですが、遊郭の周辺は食文化が発展する説があります。例えば、吉原周辺は馬肉文化が盛ん。創業120年の馬肉の桜鍋屋「中江」は地元の名店です。
なぜ、馬肉がこの土地に根付いたのか?
馬に乗って吉原遊郭に遊びに来た人が、「遊びすぎて金がない。よっしゃ、馬売ろう!」とその場で馬を売るノリがあったそうです。売った馬を捌いて馬肉として提供する。実に理に叶った商売です。この話も鶯谷で320年以上続いている豆腐料理屋「笹乃雪」の10代目に聞いた話なので信憑性高いんじゃないでしょうか。なんにせよ、おもしろすぎ!
そんなこんなで昔ながらの食文化が脈々と受け継がれており、みんな大好き食べログのレビュー高評価のお店が多いのも特徴です。ここでは個人的にオススメのお店をザザッと並べたいと思います。語ると長くなるので詳細は割愛しますね。
●ごま油で揚げる天丼が絶品「土手の伊勢屋」
●創業110年! 吉原発祥の桜なべ「中江」
●うなぎの名店「尾花」
●お餅×日本茶のあわせ技「月光」
●コスパ最強と名高いしゃぶしゃぶ屋「かがやき」
●2015ミシュランビブグルマン受賞のラーメン屋「トイボックス」
●何を食っても安くて美味い! 予約必須な居酒屋「丸千葉」
●クリントン元大統領も絶賛したコーヒーの名店「バッハ」
などなど、枚挙に暇がないほど個性的なお店が多い。遠方からわざわざ車で訪れる人も多い『バッハ』は、コーヒー好きには絶対行って欲しいです。コーヒーだけでなく、自家製のデザートとパンが絶品!
飲み屋好きには『丸千葉』、ラーメン通には『トイボックス』でしょうか。どちらも土日は混雑が予想されるので気をつけてください。歴史のあるお店でいえば『土手の伊勢屋』、馬肉の桜鍋『中江』、鰻の名店『尾花』あたりは鉄板です。どこも人気店なので、スッと入りたいなら予約&平日に行った方がいいかもしれません。
まとめ
圧倒的な情報量でお届けした奥浅草の歴史、いかがだったでしょうか。諸説ある話ですし、専門で研究している人からしたら「間違ってる!」「甘い!」なんて意見もあるかと思います。そうだったらすみません。
途中からポケモンGOとの関係性が薄くなってきましたが、ベースとなっているingressのスポット情報は「あれ、こんなところが?」という歴史的な情報を示唆していることが多々あります。歴史好きのユーザーが頑張ってくれているんでしょうね。
彼らに敬意を示すためにも、タモリ倶楽部的な「散歩」×「歴史」の観点でポケモンGOを楽しんでみてください。意外と都内の町中は、歴史の足跡を立て看板で残しているものです。分からないなりに読んでみてメモをする。そのメモが溜まったら町の図書館で調べてみる。
そんな流れで知的好奇心を満たしていくと、いつもと同じ町の景色が変わって見えるからおすすめ!
気が向いたら「奥浅草」に遊びに来てください。
ではまた!
(写真:吉原ゴウ)
※地元のおばちゃんに教えてもらった反転すると読める極秘マメ知識
美空ひばりとEXILEのHIROは三ノ輪・南千住出身なのに、プロフィールは横浜出身になっている。信じるも信じないもあなた次第です。
書いた人:徳谷 柿次郎
ジモコロ編集長。大阪出身の33歳。バーグハンバーグバーグではメディア事業部長という役職でお茶汲みをしている。趣味は「日本語ラップ」「漫画」「プロレス」「コーヒー」「登山」など。顎関節症、胃弱、痔持ちと食のシルクロードが地獄に陥っている。 Twitter:@kakijiro / Facebook:kakijiro916