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自分の心の問題を解決したくて読んだ3冊の本

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自己啓発書はアルコールのように人を興奮させるだけだ。そう思った私は、人間心理について書かれた本を読み始めた。それで自分の問題が解決するんじゃないかと期待したのだった。結論から言うと、これらの読書は知的な面白さはあるが、自分の問題を解決する手助けにはならなかった。なので、書名をざっと並べるだけにしておく。

 

プロパガンダ―広告・政治宣伝のからくりを見抜く

影響力の武器[第二版]―なぜ、人は動かされるのか

投資の行動心理学

人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)

奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究 (ハヤカワ文庫NF)

 

『プロパガンダ』は、マスメディアが人間心理をどのように操ろうとするかについて。『影響力の武器』は、セールスのような場において、消費者の心理をいかに引っかけようとするかについて。どちらも様々な事例とともに紹介されている。

『投資の行動心理学』は、株式投資において人間の心理が陥りやすい間違いについて書かれている。『人間この信じやすきもの』や『奇妙な論理』では、人間が疑似科学やデマを信じこんでしまう心理が書かれている。

 

一般論の罠

このあたりの本はどれも面白かったんだが、「面白い」がちょっと強すぎた。面白いというのはどこか他人事だからであり、「知的なもの」として処理してしまえる弱みがある。「人間ってそうらしいよ」というふうに一般論として語れるならば、まだ弱い。語りかたに「自分」との距離があるからだ。

そういう意味で、上記の本はどれも、徹底的に自分に引きつけて読むという特殊なことをしないかぎり、「話のネタ」になってしまうと思う。一般論というのは現在の自分を保存・維持するためにあって、人は傷つきたくないとき、自分を変えたくないときに、一般論によって身を守る。そうすれば一時的に「自分」を無関係にしてしまえるからだ。

では、一般論にならないように、自分の問題を解決するために使えた本は何かというと、私の場合、以下の三冊が役に立った。

 

いやな気分よ、さようなら

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

  • 作者:夏苅郁子,小池梨花,野村総一郎,David D. Burns,佐藤美奈子,林建郎,デビッド・D.バーンズ,山岡功一
  • 出版社/メーカー:星和書店
  • 発売日: 2004/04/27
  • メディア:単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 36人 クリック: 321回
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かなり分厚い本だが、私がこの本から学んだのは「自動思考」という考え方に尽きる。連載第二回の後半で「血液が勝手に流れるのと同じように、思考も勝手に流れている」という話をちょろっと書いたが、そのことに気づくきっかけになったのがこの本だった。「考えすぎて苦しむタイプ」の人には、この本を読むことを強くすすめる。

人が思考によって苦しむ時、じつは自分で苦しみを増幅させている。「自動思考」の意味が実感されると、その苦しみの「出来レース」ぶりに笑いそうになるほどだ。最初のネガティブな思考は、何らかの刺激に反応して、フッと生まれる。それはどうすることもできない。しかし、思考の苦しみは、そうして生まれてきた思考に無自覚に飛びついてしまうことから起きる。

ネガティブな思考はパターン化されており、もはや「自分」とは無関係に起きている。だが、その思考に即座に同一化してしまうから、「自分が考えている」という思い込みが生まれる。実際のところ、人は勝手に展開するネガティブな思考に「巻き込まれている」のである。

この事実に気づいたとき、「自分が考えている」という状態から、「思考が勝手に展開しているのを自分が見ている」という状態に意識が切り替わる。「見る」というのは距離があるということで、「距離」が生まれることで、はじめてネガティブな思考の軌道も見える。すると、そこには飛躍があり、歪曲があると気づく。アホらしいものになり、そこで苦しみは消える。それは、他人の悩み事を聞かされたときに、「そりゃ考えすぎだよ」と笑ってしまう状態に似ている。

 

毒になる親

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

 

これは「親との関係から自分の問題を問いなおす」という本なんだが、私はもうすこし抽象化して、「濃密な人間関係が生み出す毒を、いかに中和するか」について書いていると読んだ。つまり、「毒になる親」だけでなく、「毒になる教師」や「毒になる親友」や「毒になる恋人」というふうに勝手に展開させていった。

特定の誰かと深く付き合うことは、問答無用で素晴らしいことのように思われがちなんだが、実際は多量の毒を含む。深い関係は必ず「こじれる」んだが、そこが見えにくいし、認めにくい。それは単なる「嫌いな相手」よりも、ずっとややこしく、根が深い。

この本を読んだことがきっかけで、私は親、教師、友人、恋人などの「記憶」を書き出してみた。その作業の過程で、自分の頭の中に、断片的な「言葉」や「表情」が残っていることに気がついた。親に言われた言葉や、友人の見せた表情が、強い感情とともに残っているのだ。「頭の中にほったらかされて腐臭を放っている記憶」と言ってもいい。それは「個々の記憶を、当時の不快な感情とともに、しっかりと細部まで思い出す」ことで排出された。

 

自分の小さな「箱」から脱出する方法

自分の小さな「箱」から脱出する方法

自分の小さな「箱」から脱出する方法

  • 作者:アービンジャーインスティチュート,金森重樹,冨永星
  • 出版社/メーカー:大和書房
  • 発売日: 2006/10/19
  • メディア:単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 156人 クリック: 3,495回
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この本は、読書の習慣が生まれてすぐの頃に読んで、「どうも他の自己啓発書とは感じがちがうぞ」と思った。他の本は、やたらと「元気出せよ!」「明るく行こうぜ!」と背中を叩いてくる感じだったんだが、この本は「人が苦しむ仕組み」を見抜こうとしていると感じた。

今の私の言葉だと、この本で「箱」と呼ばれているのは、「自我」のことである。日常のある状況において、人は小さな箱に入ってしまう。それはつまり、ある状況において人は「自我に囚われてしまう」ということである。

おそらく、現代の人々は「自我はずっとある」と思っている。しかし、そうではない。「自我」というのは、ある状況において「グワッと強まる」ものなのである。人間関係の場に身を置いていると、自我を堅い殻のようなものだと思いがちなんだが、むしろそれは霧に近い。その霧が、ある状況で、グッと凝縮して「殻」のように感じられるのだ。

この数年、私ははじめて「人付き合いの極端に減った状態」を体験したが、そこでは自然と「自分」が薄れていった。その状態でたまに人と会うと、グワッと凝縮する「自分」を体感することができて面白かった。たとえば、「自分の名前」を呼ばれるだけでも、自分という霧がすこし硬ばるのを感じる。「ほめられる、けなされる」と一気に凝縮して、ほとんど殻のようになる。するともう、「自分」というものが確固として存在しているように錯覚してしまう。

 

仮構された自我

「自己啓発書を読みはじめた時、自分は何を求めていたのか?」と考えてみれば、それは、「揺るぎない自己」を作ることだったと今は言える。さまざまなものに影響されてすぐにグラグラになる「弱い自分」に、ひとつの筋を通したいということだ。それは「もっと強くなれば傷つかなくて済むはず」という発想で、これが極端になると、「自我の要塞」とでも呼ぶべきものを完成させることが目標になる。

だが、自我は霧のようなものであり、仮構されたものにすぎないと気づいたとき、「自我の要塞」などは妄想だと分かる。むしろ、そのように時には霧となり、殻となる自我をただ見守ることが肝要だった。同時に、自動的に流れていく思考や、ふっと頭をよぎる記憶を見守るようになる。そのとき、「じゃあ、そういった諸々を見守っている、『このこれ』は何なんだ?」という問いが生じる。

私の現在の関心はそこにある。

 

<過去のコラムはこちらから!>
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ライター:上田啓太

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京都在住のライター。1984年生まれ。
居候生活をつづったブログ『真顔日記』も人気。
Twitterアカウント→@ueda_keita


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