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コロナ禍の夜、社員寮を抜け出したサラリーマンは「癖品」を集める古物商になった

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コロナ禍の夜、社員寮を抜け出したサラリーマンは「癖品」を集める古物商になった

 

近江鉄道の終点・八日市駅。改札を通った僕らにヒッピー風の男が声をかけてきた。周囲から「くまちゃん」と呼ばれる彼と会うのは、これが2回目だ。

 

約1カ月前、僕は下北沢のとあるマーケットイベントで、この古物商から「人」型のオブジェを1000円で買った。「人型」ではなく、漢字の「人」型。もともと「産婦人外科」の看板だったものを5個バラバラにしたのだという。

 

こんなものを買うなんて、どうかしていると言えばどうかしている。人懐こい笑顔を浮かべたくまちゃんの「これ、ヤバくないですか?」という売り口上(?)に、なぜかやられてしまったのだ。

それ以来、彼のことが気になって仕方がなかった。「延命ランド」という、これまた癖の強い屋号とともにネットで調べてみるが、インタビュー記事らしきものは見当たらない。

まだ世に出ていない彼の物語をかたちにするのは、僕以外にいない。そんな謎の使命感に駆られて、はるばる滋賀・八日市までやってきたのだった。

 

後からわかったことだが、くまちゃんは2年半前まで、小さな機械メーカーで働くサラリーマンだったそれがほんの僅かな期間で、同業者のあいだでも一目置かれるクセツヨ古物商にまで仕上がってしまった。

これは一体どういうことなのだろう。何が彼を変えたのか。何が人を変えるのか。

変なバランスの人

見た目はヒッピーそのもの。扱っている商品も、その売り方もぶっ飛んでいる。けれども接してみると、妙に腰が低くて礼儀正しい。こっちが投げかける雑な質問にも、うんうん唸りながら、いつまでも真剣に考えてくれる。

間違いなくいい奴。でも、なんだか変なバランスの人だな。これが最初の印象だった。

くまちゃんと延命ランドを語るのに外せない人が二人いる。そのうちの一人が、八日市で子育て支援施設が併設したコミュニティカフェ『ETWAS NEUES』を営む「ミカシ」。彼女が初めてくまちゃんと会ったときの印象も、それと似たものだったという。

 

「すごくゴキゲンじゃないですか。当時はまだ短髪の、ツルツルしたサラリーマンやったんだけど。出ている雰囲気はこのままやったから。なんだか変なバランスの人がおるなって

くまちゃんはもともと彦根にある小さな機械メーカーで営業マンをしていた。

特別やりたいことはなかったが、将来のためを思って、ビジネスの端から端までを経験できそうな中小企業を就職先に選んだ。全国出張があることも、旅好きのくまちゃんには魅力に映ったのだそうだ。

香川で生まれ、大阪で学生生活を送ったくまちゃんにとって、滋賀は就職して初めて縁ができた土地だった。

滋賀に来て一番の悩みは、友達が全然できなかったこと。知らない土地だし、10人くらいの小ちゃい会社なので、趣味の合う人なんておらんくて。週末のたびに大阪や京都のクラブに繰り出して、ナンパしまくってました。成功なんてしたことないすけど。

でも、そんな遊び方をしていたら、次第に音楽やお酒そのものが好きになって、徐々に『ちょっと年上の飲み友達』ができ始めた。そうした中で、ミカシとも知り合うことになりました」

サービス残業、午前様が当たり前のハードな職場環境。クラブ通い・バー通いは唯一のストレス発散だった。

ところがコロナ禍になり、そのささやかな楽しみを突如奪われる。オフィス二階の社員寮に住んでいたくまちゃんにとっては、四六時中、会社に幽閉されることを意味した。

「朝から晩まで働いて、限界だったみたい。『休みの日まで会社に居りたない。一回遊びに行っていいですか』って連絡が来て。お忍びで来てん」

「会社の寮なんで、外出できないじゃないですか。しかも寮長やし。おじいちゃんだって一緒に働いてるし」

「それで初めて八日市に来てくれて。場所の魅力もあったんでしょうね。それからはちょろちょろ、お姫さまが城を抜け出すみたいな感じで、こそっと来ては、こそっと帰る。それが続いたんで『やっぱり変なやつやな』と」

ミカシはそのころ、八日市の商店街にある『Honmachi93』という施設で週末スナックをやっていた。そこでくまちゃんは、もう一人のキーマンである「ヨウジ」とも知り合う。

 

革作家であり、バーテンダー。築100年のヴォーリズ建築・Honmachi93を運営する管理人でもある。古い建物をまるっと借りて、小商いをしたい若者に又貸しすることをやっていた。


Honmachi93の外観。日本の近代建築に大きな影響を与えた、ウィリアム・メレル・ヴォーリズが手掛けた

「もともと歯医者さんとして使われていた建物なんですけど、ミカシの店がここにあったんで、遊びに来たら『この辺で物件の管理をしてる者です』と。彼のおかげで、僕みたいなのが商売を始めることのハードルがすごく低くなっているんです

「運営と言っても『空いているのでどうですか?』という取次だけで。八日市はローカルのいい街。でもサブカル的な要素は全然なかった。京都・左京区にあるような、そういう場所を作ろうと思って始めたのがここです」

「僕が入ってくるまで、8年くらいこの場所を維持していたんですよ」

「ミカシやくまちゃんみたいな人が集まってくれるようになって、ようやく思い描いた姿に近づいてきた感じです。八日市を盛り上げたい? いやいや、単純に自分が面白いと思う街にしたいだけ。自分の手の届く範囲でやって、それが波及したらいいなと」

 

西洋と日本建築様式を取り入れた、アンティーク調の内装

ヨウジとくまちゃんは同年代。お酒や音楽の趣味も合い、すぐに仲良くなった。週末の夜になるたび、寮を抜け出して八日市に通い、朝まで飲んだら、帰って布団に潜り込む。そんな生活をしばらく続けていたら、Honmachi93にひと部屋、空きが出た。

「あんた、なんかせえへんか」

ミカシとヨウジにしてみれば、楽しい飲みの席で交わした、軽いノリの誘い話。しかし、いつもゴキゲンに酔い、踊り狂っていたくまちゃんは、急に真顔になってこう答えたのだった。

「その話、真剣に考えさせてもらえますか」

ダサい本の山

オープン当時のくまちゃん

この時点でまだ、くまちゃんはただのサラリーマンだ。キツい仕事に嫌気が差していたのは事実だが、独立する考えも、起業のアイデアもなかった。

雑貨には何の関心もなかった。この道に足を踏み入れたのは偶然に近い。

近くにアンティークショップがあった。主に骨董品を売る店だが、仕入れの際にはまるっと買い取るから、ゴミ同然の雑貨が大量に出る。それらが段ボール箱にごっそりと入れられ、二束三文の値段で売られていた。

そのことを知る誰かが言ったのだ。あそこで100円で仕入れたものを、200円で売れば商売になるのでは――。

「本業の人からすれば失礼な、適当すぎる思いつき。でも僕自身、ゲストハウスやクラブ、バー……、そういう場所に世界を広げてもらったから。いつか自分も同じように、でもそれらとは違う形で『人の集まる場所』を作りたかったんです。

そんな時ふと、変なものばかり置いていたら、変な人が面白がって集まってくるかもって思ってしまったんですよ」

こうして延命ランドは誕生した。

ヨウジが声をかけたもう一人と、最初は二人体制でスタート。それぞれの得意を活かし、くまちゃんは雑貨を、もう一人はレコードと古本を置いた。ちなみに、『延命ランド』という屋号はくまちゃんの考案ではない。

八日市にはかつて『延命新地』と呼ばれる花街があったんです。今も『延命湯』という銭湯があるように、『延命』はこの辺りのエリアを指す名前。そういう地名が入ってた方がいいよねと、古本担当と話していて。くまちゃん本人は仕事で、その場にはいなかったんですけどね」

 

延命ランド名付け親のミカシとくまちゃん

「ものの命を延ばす」という意味ありきかと思いきや、実際は地名ありきで、意味は後付けだった。だが、結果的にくまちゃんのキャラクターにも、店の怪しさにもマッチする最高の屋号になった。今日の延命ランドを築くのに、このネーミングが寄与したところは小さくないように思える。

とはいえ、最初は自己満足の域を出なかった。平日はサラリーマンとして忙しく働いているから、仕入れは週末の午前中。昼に店を開け、近場のリサイクルショップを回って買い集めたものをそのまま並べた。

ドンジャラのパイを10個100円とかで買ってきて、それを『箸置き』と称して1個100円で売る。そんな感じでした。だからもう、成り立ってなかったですよね。でも、店を始めてしばらくしたタイミングで、本業の方がいよいよキツくなってきて。たしか上司に怒られている途中だったと思う。勢いに任せて『もう辞めます!』と啖呵を切ってしまったんです。

もちろん社長には引き止められましたけど、戻る気にはならなかった。このまま寮にいたんじゃ、なかなか踏ん切りが付かないと思い、年末年始の休みにシェアハウスへ引っ越して。そのまま夜逃げするように辞めました」

 

残ったのは、遊び半分でやっていた大赤字の延命ランドだけ。これで食えるなんて1ミリだって思えない。怪しい副業でもアフィリエイトでもなんでもやって、どうにかして生き延びるほかないと一時は思ったが、最終的には延命ランド1本でいくと腹を括った。

いろいろと手を出したのでは、どれも中途半端になる気がした。「月手取り15万円」という金額目標を設定し、1年以内にクリアできなければスッパリと辞めるつもりで再スタートを切った。

「でも、そっからがすごかった。必死に考え抜いて、古物についてもめっちゃ調べて。あと、死ぬほどダサい本を読んではったね

「『インスタグラム活用マニュアル』とかね。普通に知ってることなのに」

「『そんなもんいらん、Webで見るので十分やろ』って言うのに。真面目な顔して『僕はこれで行くんです!』って」

「『潜在顧客が』とか『在庫管理が』とか言ってましたね。でも、こっちはサラリーマン辞めるわけだし、必死やから(笑)」

そうかと思いきや、一方で体当たりな一面もあるのがこの男。雑貨、古物に関係すると思えたところには、片っ端から飛び込んだ。

登録料2000円を払って競りに参加しておきながら、丸一日費やして1000円しか買わないという無駄なこともあった。商品はどこから仕入れているのか。どういうところに出店すれば売れるのか。とにかく人を捕まえては、古物について聞いて回った。

「2、3日寝てない、食べてないということもざらだった。死ぬんちゃうかと思うくらいにガリガリになってはって。会うたびに食べ物を与えてましたね

延命するより、される側だったこのころのくまちゃん。しかし、そうやって足掻き、もがき続ける中から、自分なりの「売り筋」を見つけていく。

伝播する「ヤバさ」

延命ランドの商品を保管する倉庫

怒涛の創業からほどなくして、古物の魅力に引き込まれている自分に気がついた。

「僕の人生に一つだけ一貫していること、それは『まだ知らない何かとの出会いを求めてきたこと』だと思うんです。旅がそうだし、音楽もそう。DJのミックスを聞いて『こんな音楽があるのか!』と思うとテンションが上がる。そういう出会いに喜びがありました。

で、古物の競りに参加し出したあたりから、気づいちゃったんですよ。ここには自分の知らないヤバい出会いがいっぱいあるって

 

「これヤバいでしょ!」と言いながら、おもむろに差し出してきた「金のなる木」

それを突き詰めていった先にあるのが、はてしない古物マニアの世界。当時のくまちゃんは、あくまでその入り口に立ったにすぎないのだが。それでもビジュアル的なヤバさ、刺激的な出会いに満ちているように映った。

最初は単純に、自分がヤバい、面白いと思う古物を衝動のままに買い漁って、二束三文の値段で売っていただけ。だが、しばらく続けるうちに、これこそが自分の「売り筋」なのではないかと思うようになった。

「すでに市場があるもの、相場が決まっているものでは、商売にはなりにくい。安く仕入れるには大量に購入する必要があるから、自分のような素人では勝負にならないんです。

一方で、僕がヤバいと思うものばかりを売っている人は、自分の知る限り誰もいなかったから。勝負するなら、ここしかないと思ったんです」

「市場がない」とは、競争がない反面、売れる保証がないということでもある。特に、人脈も知識も乏しい初期は、当てが外れることも多かった。蚤の市やマルシェに出店しても、売上より出店料の方が高いこともざら。それでも、とにかく人の目に触れる機会を増やそうと、出店のチャンスには迷わず食いついた。

「こいつは多分インドの農夫で、子供は三人いて……」。そんな妄想ストーリーをでっち上げて売る独特のスタイルも含めて、くまちゃんの売り筋が確立していったのには、「持たざる者」の苦肉の策としての側面があった。

 

中日ドラゴンズのマスコットキャラクター、シャオロンとパオロンの貯金箱

ターニングポイントは、その中でやってきた。愛知県で行われた『P.T.A Bazaar』というイベントに出店したときのこと。いつになく売れ行きが良く、小さな成功体験と言っていい成果が出た。

最初に延命ランドのヤバさに気づいたのは、同じイベントに出店していた出店者たちだった。

「そのイベント自体、一癖も二癖もある出店者ばかり集っていたんです。でも、そんな出店者のあいだで『ヤバいものだけを置いてるヤバい店がある』という評判が広がったみたいで……。カルチャー関係の人との相性がいいと分かって、他の同業者が出ないようなイベントにも積極的に参加するようになりました」

そこから、数珠つなぎに出店先を紹介してもらえることが増えた。どういう場所に、どういう商品を持っていけば売れやすいのかも徐々に見えてくるから、まったく当てが外れるということも減っていった。

 

誰が作ったのかよく分からない謎の恐竜

ゆっくりと伝播していく延命ランドの「ヤバさ」は、仕入れに関する状況も変えていった。競り会場の奥でアルバイトをしていても、それっぽい商品が出品されると、「延命くん!」と声がかかるようになった。

ヤバい店・延命ランドの名は、今では同業者以外にも知られるようになっている。

行商がなぜ店を持つのか

延命ランドのNEW店舗

くまちゃんはこの春、創業から2年半を過ごしたHonmachi93を出て、八日市市内に新しい店を構える。新しい入居先もヨウジが見つけてくれた。普通に考えたら借り手のいなそうな古いビルだが、これまでの店舗よりだいぶ広い。

「本当は店なんていらないんですよ。そもそも行商スタイルでやっているし、店を開けたところで、そんなに利益が見込めるわけでもない。同業の人からは『店なんか持つな。儲からんから』ってめっちゃ言われます。それでも店を作るのは、もう一度原点に立ち返るため。人が集まる場所を作りたい。それだけの理由です

自分の世界を広げてくれた、まだ見ぬ何かとの出会い。その多くは人との出会いだった。商売がなんとか軌道に乗ってきた今、やはりそういう出会いが起こるような場所を作ることに挑戦したい。それには、人が2、3人来たら身動きの取れない、前の店では狭すぎた。

出会いが世界を広げる感覚は、古物の仕事を始めた今もリアルタイムで感じている。

「この仕事を始めるまで、僕自身、食器になんてこだわったことがなかったんです。グラスも丼も、百均で買ってきたもので済ませていた。でも、最近は使うものにこだわるようになったし、友達の家へ行っても、料理が盛られた皿を見て『やばっ! こいつ、だいぶ遊んでるやん』と気づくようになった。それがすごく楽しくて」

 

くまちゃんの話に再三再四出てくる「ヤバい」という言葉。その意味をあえて言語化するなら、まだ見たこともないものと出会った驚き、そして、そのことによって世界が広がることへの興奮といったところだろうか。

そういう驚きと興奮を誰かと共有するのが、くまちゃんが延命ランドを通してやっていることなのだろう。

「自分にできるのは、ヤバいものを集めてきて、その魅力がなるべく人に伝わるように工夫すること。その意味では、僕のやることはこれからも変わらないと思う。でも、僕自身が変われば、僕がヤバいと思うものも変わるはずで。今後は、もっと違う文脈のヤバさを提供することになるかもしれない。それがどんなものになるかは、まだわからないですけど」

今の商売がうまくいっているのは、たまたま時代のニーズと合致しているから。でもそれがずっと続くわけではないと、冷静に先を見据えてもいる。

頭脳派なのか、感覚派なのか。戦略派なのか、行動派なのかわからない。やっぱり変なバランス感覚を持った人だな、と思う。

 

見える世界を広げてくれるのは、結局人との出会い以外にないというのが、自分の人生で学んだこと。それ以外の方法を知らないんです。だから、人が集まる場所を一番欲してるのは、ほかの誰でもない、僕なんやと思います」

 

執筆:鈴木陸夫 
撮影:木村 華子


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