こんにちは、ライターの根岸達朗です。
僕は今…東京の空の玄関口「羽田空港」にいます!
実は僕、こう見えて……
地味に興奮しているんですよ。
これまで数多くのインタビュー取材を担当してきましたが、人生の節目に偶然立ち会うことって今までなかったんですよね。今回、ジモコロに相応しい「移住」というテーマかつ、離島に移住するフライト直前の夫婦に取材することになっています!
世の中に移住者インタビューは数あれど、この奇跡的な瞬間を捉えているインタビューってそうないんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょうか。もしかしたら史上初かもしれません。違ったらすみません。
アル中の木こりみたいな顔をしている僕の右隣にいるのが、今回話を聞かせてくれることになった南貴博さん。
柿次郎編集長がゲストスピーカーとしてお呼ばれしていたイベントでたまたま知り合ったんですが…話を聞けば、誰もが知ってるような大手広告代理店に勤めるデザイナーだったんです。
都会の安定した仕事に見切りをつけて、「奥さんと一緒に島根県の離島・海士町に移住する」と聞いた瞬間、編集長がインパラみたいな反射神経で・・・
ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁ!!!!
と、その場で取材を申し込んだわけです。
むちゃくちゃでしょ?
ジモコロの取材に奇跡的なやつが多い理由のひとつです。
ちなみに、島根県の離島・海士町っていうのはこういうところ。
下の記事は、予備知識的に読んでおくとこれからの話が入ってきやすいと思うのでぜひ!
というわけで、個人史的にもジモコロ的にも初の移住直前空港インタビュー。都会の生活になんらかの違和感を覚えてる人にはぜひ読んでもらいたいなーって思ってます。
話を聞いた人:南貴博さん&麻衣さん夫妻
東京生まれ、東京育ちの南夫妻。貴博さんは、名前を聞けば誰もが知ってるような都内の大手広告代理店に勤務していたアートディレクター。奥さんの麻衣さんは化粧品会社で商品企画をしていましたが、このほど一念発起して夫婦ともに会社を退職。海士町への移住を決めました。
役場の課長に紹介された「最高の屋敷」で
「空港インタビューとか芸能人みたいで恥ずかしいけど……まあ、よろしく」
「離島に移住するなんて、僕にとっては芸能人より興味ある存在ですよ! 今日はよろしくお願いします。で、なんでまた海士町に?」
「ずっとデザインをやってきたので、その経験を生かして海士町のPRをしていこうと思ってるんですよ。東京に僕みたいなアートディレクターが何千人いるかわからないけど、離島だったらたった一人のアートディレクターになれるかもしれないでしょ。その方が絶対おもしろそうだなあと」
「いいっすね! でも、すごい大変そう。起業も視野に入れているんですか?」
「そのつもりです。実は海士町で起業するのは、東京で起業するよりもハードルが低いんですよ」
「そうなんですか?」
「うん。だって東京で事務所借りたら初期費用だけですごいお金かかるじゃない。僕は自宅を事務所にするつもりなんだけど、家賃が信じられないくらい安いんですよ。金額は秘密だけどね〜」
「めちゃくちゃ気になる…」
「まあ、とりあえずこの写真を見てよ」
というわけで、南さんが自宅兼事務所にする予定の激安物件をご紹介↓
まず、この厳かな門構え。からの・・・
ずどーんとでっかい母屋。さらに歩みを進めると・・・
こじんまりとしたこんな感じの門があって、その先は・・・
庭。圧倒的な趣。となればもちろん・・・
縁側なんて最高中の最高。しかも、家の目の前は・・・
海〜!!!
「ね、最高でしょ?」
「南さん?」
「……ん、なに?」
「最高ですね」
「……そ、そうでしょ。 でも、始めは新参者がこんなとこにいきなり住んでいいのかなーとは思いましたよ」
「島の不動産屋が紹介してくれたんですか?」
「いや、海士町には不動産屋がないんです。そのかわり、役場の課長さんたちが新しく入ってくる人たちのために物件をストックしていて」
「へええ、課長さんが…! じゃあ、基本的に家を借りたいときは役場を通す形になるんですね」
「うん、僕たちが島のPRをしていきたいって言ったら、課長さんが『そういう人にはこういう家だ!』って紹介してくれたんだよね」
「すげー。じゃあ、奥さんも自宅で一緒にお仕事される予定なんですか?」
「私は観光協会に所属して、春夏秋冬で働く現場を変えるマルチワーカーという働き方をします。マルチワーカーっていうのは、観光協会が推奨している島の新しい働き方で」
「あ、以前海士町の記事でお話を聞かせてもらった観光協会の太田さんがその働き方をしていました。繁忙期ごとに、島の産業の現場をローテーションしながら働くんですよね」
「そうですね。実は私、まだ3回しか海士町に行ったことがないんです。だからいろんな人といろんな仕事をしながら、もっと島のことを学びたいなーと思っていて」
「ええ! 3回で移住を決めちゃったんですか!?」
「僕も4回しか行ったことないよ。でも、移住して起業までしようとしているけど(笑)」
「2人とも思い切りがいい! それって、飛び込んでもいけそうだなと思える人のつながりや住環境があったからですか?」
「うん、なんとなくね。それでいえば、直会(なおらい)が島のコミュニティに溶け込むいいきっかけになったなと」
「なおらいって初めて聞いたなあ。なんですか?」
「お祭りなどのイベントごとのあとにやる飲み会のことで、まあ、打ち上げみたいなものかな。みんなこの直会で酒を飲むために何かするみたいなところがあるんですけど、そこの交流がおもしろいんですよー。僕たちは旅行者だけど呼んでもらって、そこで一気に人のつながりができたので」
「飲みにケーション的な?」
「うん、基本的には飲み会なんだけど、外の人と中の人をつなげるマッチングみたいなものでもあるんだよね。そこで島の人たちに受け入れてもらえたら、大体OKみたいな」
「それめちゃくちゃ重要な飲み会じゃないですか」
「島の人はそんなに深く考えてないかもだけど、僕はこれ、島の面接だと思うんですよ。実際ここから移住後の仕事にもつながってますしね。合格できてよかったなーと(笑)」
「狭い島だと、良くも悪くも人間関係は濃くなりますよね。相性を確かめるのは、外の人にとっても中の人にとっても大事なことかもしれない」
移住への入口になったリアルドラクエ体験
「移住のきっかけになった出来事ってあったんですか?」
「なんだろうなー。やっぱり、初めて行ったときの体験が大きかったかな。なんかドラクエみたいでさ」
「ドラクエ?」
「海士町には夫が先に一人で行ってたんですよ、夏休みを使って。なんかそのときの体験がよかったみたいで、私もそこからだんだん巻き込まれていったような(笑)」
「あはは、そうかもね。実は海士町に初めて行ったのは去年の8月で、そのときは友達の家に3週間くらい泊まってたんだよ。でも、友達は仕事をしているし、僕はぽつんと毎日ヒマしてた。だから自転車を借りて、島の中をぐるぐる回ったりしてたんだけど」
「わーいいなあ。離島で過ごす夏休み!」
「うん。でね、ヒマだから散策しながら、観光協会に立ち寄ったり、島の人に何気なく声をかけるでしょ。そうすると、『神社でおもしろそうなことやってるから行ってみたら?』とか、『学習センターにおもしろい人が来てるよ〜!』とか、みんなが親切にいろんな情報を教えてくれるわけ」
「ふむふむ」
「どんなもんかなーと思って、自転車漕いで教えられたところにいく。すると、そこにインターンで島に来てる若い子だとか、大学教授だとか、いろんな人がいるんだよね。僕が東京の代理店でデザイナーをしているというと、それで話が盛り上がって、島の人が集まる交流会に呼んでもらったりしてさ」
「へええ、それは楽しそうです」
「海士町って、不思議と人間関係が数珠つなぎで広がっていくんですよ。これまでは旅行に行っても、地元の人とつながることがなかったらそれが新鮮で」
「ドラクエ的に言えば、村人との会話からイベントが発生するみたいな」
「そうそう、そんな感じ」
「旅先に知り合いができると、その土地に一気に親近感が湧いてきますよね。海士町がまちづくりで有名な島だっていうのはご存知で?」
「いや、ぜんぜん。友達がいるから遊びに行っただけ。初めは島の読み方もわからなかったから。ただ、そのときはそろそろ会社をやめて、独立したいと考えていたタイミングではあったよね。海士町で何かやろうなんてことは、1ミリも考えてなかったけど」
「気付いたら本格的に仕事をやめるっていう話になってたよね。行くたびにどんどん熱が上がっていって」
「うん。ここからいろいろ本を読んだりとか、ローカルイベントに足を運んでみたりとか、海士町のことを勉強し始めたんだよね。だから、島の先進性を知ったのは完全に後付けで」
「ドラクエ体験からのハマりっぷりがすごい。それは海士町だったからなのか、ほかの地域で同じ体験をしてもそうなったのか」
「わからないですねー。でも、初めてローカルに触れたのが、海士町だったのはラッキーだったと思うんですよ」
都会以上におもしろい仕事ができそうな島で
「移住ってやっぱり勢いみたいなところもあるんでしょうね。僕はなかなか行動に移せないタイプで…」
「んー移住っていうと少し大変そうだけど、単純に気に入ったところに引っ越して、そこで普通に、仕事をすることだと思うんですよ。僕はたまたまデザイナーだからそれがしやすかっただけで」
「なるほどー」
「それに僕の場合は、大きな会社でそれなりの給料をもらっていたけど、このままずっと会社のために身を捧げていいのかなって思ったのも大きかったですね。自分の人生なので、会社員を続けることよりも、自分なりに小さな船でも漕ぎ出した方が、まあ、大変かもしんないけど、いいんじゃないのって」
「スキルを活かして、東京で独立する選択肢は?」
「ありましたね。人脈もあるし、貯金も少しはあったので、やるなら東京かなと。でも、そんなことを頭の片隅に置きながら海士町で夏休みを過ごしたら、どんどん人はつながっていくし、島の人たちも一緒に何かやりましょうと言ってくれる。この島だったら、東京以上におもしろい仕事ができそうだなと思ったんですよ」
「私もそんな感じですね。夫が2回目に海士町に行くときから一緒に行っているんですけど、いろんな人を紹介してもらって、ここならやりがいのある仕事ができそうだなと。みんなすごくいい人たちなんですよね」
「ある意味、海士町って企業みたいな島でしょう。民間も行政もみんながそれぞれに経営的な視点を持って、自分たちの職場であり、住まいであり、ふるさとでもある島をよくするための方策を考えている」
「今ある資源を生かして、自立していこうという強い意志があるそうですね。補助金に頼らず、自分たちのことは自分たちでやるぞっていう」
「そうなんですよ。この熱量はすごいし、僕も島に滞在して、それだけの熱を込める価値がある島だと思ったんです。で、自分はたまたまデザインができる。だったらこれを生かさない手はないなと」
「ローカルの課題解決にデザインが求められている時代ですよね。やれることもたくさんありそうです」
「東京に住んでて『海士町いいとこだよー』なんていっても、説得力がないじゃない。だから実際に住んでみようと。海士町のことを自分の芯から捉えて、その魅力を発信していきたいんですよ」
「いいっすね、僕もそろそろ移住を……」
「……あ、飛行機の時間が。16:55の出雲行きなので。すいませんっ!」
「おお、もうそんな時間に……!じゃあ、ゲートまで見送らせてください!」
・・・
「島暮らし、楽しんでー!」
「ありがとう! いってきます!」
取材を終えて
南さんは今後、観光協会や行政と連携しながら、後鳥羽上皇が祀られている隠岐神社を改修するビックプロジェクトにも関わっていくそう。デザインだけでなく、マーケティングやプランニングなど、代理店時代に培った経験をフルに生かした活躍が期待されているそうです。
良くも悪くもたくさんの人がいる都会では、個人という存在が埋もれてしまうのも事実。自分の力を必要としてくれる地域のために、自分を生かして仕事ができるのだとしたら、これほど幸せなことはないですよね。
働き方が多様化する今の時代。南さんのように、都会で培った「できること」を生かして、地方で活躍していく人もこれからどんどん増えていきそうです。
柿次郎編集長と巡った島根の特集はこれにていったんおしまい。たたら製鉄を取材したのが2月なので、すっかり季節が変わってしまいましたが、長らくお付き合いいただきありがとうございました。
これからもジモコロ的に気になる土地にはどんどん足を運んでいきたいので、ローカルのみなさん、今後ともよろしくお願いします!
南さん、お元気でー!
※2015年 移住地希望者ランキング 第3位「島根県」って知ってた?
ライター:根岸達朗
1981年、東京生まれのローカルライター。1児の父。多摩ニュータウンの端っこで子育てしながら、移住に想いを馳せてます。Mail:negishi.tatsuro@gmail.com/Twitter ID:@onceagain74/Facebook:根岸達朗