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ストリートの心×パブリックの視点。二刀流が生んだ、デパ地下スケートパークの奇跡

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ストリートの心×パブリックの視点。二刀流が生んだ、デパ地下スケートパークの奇跡

こんにちは、日向です。
私は今、岩手県花巻市のとある施設に来ています。
何やら怪しげなこの場所は、その出入り口。

 

ガラガラガラっと、シャッターが開いた先に広がっていたのは、なんと……!

 

めちゃめちゃイケてるスケートパークだー!!

 

改めまして日向です。

本日は岩手県・花巻市のスケートボードショップ&パーク(以下、スケートパーク)、Dprtment Skateshop Parkからお届けします。

新競技スケートボードで日本人選手が大活躍した東京五輪から、はや1年半。その影響もあってか全国でスケボーの競技人口が急増しており、各地に次々と専用施設が作られているそうです。

でもDprtmentの本拠地は少し変わっていまして……。

その場所は、長く花巻市民に愛されてきた百貨店・マルカンビルの地下1階。そう、いわゆる「デパ地下」が丸々、スケートパークになっているのです。

 

偶然キレイな虹が映り込みました

だけど不思議なんです。

スケボーはもともとストリートから始まったカルチャー。スケーターたちは時に、公共の場所を占有し、迷惑をかける存在として、疎まれる側面もあるはず。

一方でデパ地下は老若男女、あらゆる人が訪れる公共の場所の最たるもの。ましてや「花巻で育った人であれば必ず何かしらの思い出がある」というマルカンビルの由緒を聞けば、なおさらDprtmentがここにあるのが不思議でしょうがない。そう思いませんか?

もともとスケボーが盛んだったわけでもない花巻で、なぜこのような”奇跡”が起きたのか。そんな疑問を携えて、Dprtment代表の佐々木大地さんに会ってきました。

 

花巻のスケートシーンを先頭で引っ張り、10余年。地元出身、不惑を迎えた現役のスケーターでもある佐々木さんは「ストリートのマインドとパブリックの視点という、二面性を持っているのかもしれない」と自らを評します。

花巻デパ地下スケートパークは、まさに「二刀流」が生んだ奇跡だったのです。

街の中に自分たちの居場所を作りたい

「いやー、めちゃくちゃかっこいいですね、ここ! 自分はスケボーをしてた人間ですけど、そうじゃない人にもきっと伝わるんじゃないかなぁ」

「ありがとう。そこまで喜んでもらえると嬉しいなあ」

「ただ、同時に不思議なんです。デパ地下って公共施設の最たるものじゃないですか。スケーターは街で白い目で見られることもあるので、なぜこんな立派なパークを作れたのかなって」

「白い目で見られるっていうのは、どこでもそうかもね。スケートパークがないなら、街の隙間で滑るしかないんだよね。当時の花巻もご多分に漏れず、肩身が狭くて」

「やっぱそうですよね……」

「色々難しいことがあるのは分かってるんだけど、その一方で自分が好きなスケートボードは、どうしてこんなにも否定されちゃうんだろうって気持ちも、正直あってさ

 

「好きになったものがたまたまスケボーだっただけですもんね」

「そうだね。少し大げさかもしれないけれど、自分の街で好きなことができないってのは、ある意味で自分の存在を否定されてる気がしてキツかったなぁ」

「いくら好きでも、続ける環境すらないのは切ないですね……」

「スケボーの楽しさを教えてくれた先輩たちも、みんなとっくに引退して。気づけば、いい歳して滑り続けているのは自分くらいになってたね。高校を卒業したら東京や仙台みたいな都市に出ていく奴も多いし」

「当時、新しく始めようという若い子は?」

「いるにはいるんだけど、みんな豪雪の冬を越えることができなくて、すぐに辞めていっちゃう。そういう子たちを見るのは辛かったね」

 

「完全にスケボー不毛の地だったんですね」

「だから最初は、好きなスケボーを誰にも咎められずにやりたい、街の中に自分たちの居場所を作りたい、そういう一心だった。それで活動を始めたのが今から12年前」

「12年! このパークはいつできたんですか?」

「だいたい4年前だから……。2018年の12月かな」

「ということは、だいぶ前から話は始まってるんですね」

「うん。活動を初めて以来、10年以上ずっとチャンスをうかがってきた。で、ようやく来たのが、このマルカンビルの利活用の話だったってわけ」

「一度は閉店が決まっていた百貨店が、市民有志の運動で存続することになったんですよね。ニュースで見ました」

「そうそう。最終的には地元企業が運営を引き継ぐんだけど、その代表がたまたま同い年の友達の友達って感じで。地下の食料品売り場フロアの使い道が決まってないって聞いたから、スケートパークを提案して」

「ほう!その反応は?」

「その時は色々な案が並行して進んでて、そのうちの一つとして検討してもらうことができたんだ」

「おお、すごい。スケートパークって、基本的にはスケーターだけのものだから、もっと誰でも使える場所に、と考えそうなのに」

 

「そこから1年掛けて案を絞った結果、最終的にスケートパークが残った。決定的だったのは地下フロアにエアコン設備がなかったこと。でも自分たちからしたら、スケボーができるなら、ちょっとの暑さや寒さはまったく問題じゃなかった

「なるほど、お互いのメリットが合致したわけだ。とはいえ、それだけの理由ですんなり決まるわけないよなぁ。きっとその前の10年間に秘密が……」

「そのころの話をするなら、ちょうどいい場所があるよ。ちょっと移動しようか」

「震災後の今だからこそ!」市長に直談判

「ここは?」

「花巻に最初にできたスケートパーク。もともとは近くの運動公園の駐車場の一部だったんだけど……」

あー!大地くん!何してるのー!

「おお、ソウスケ!今ちょっと取材受けてんだわ」

 

「よい……」

「今はこうして子供も遊びに来れる場所になったけど、当時はここ一帯、街灯が少なくて、ほとんど誰にも使われてなかったんだよね。それでここをスケートパークとして活用できないか、市役所に働きかけることから始めたんだ」

「働きかけるって、どんな風に?」

「公的な手続きをするのにはちゃんとした団体である必要があるから、まずは協会を作って。『花巻市スケートボード協会』名義で、1500人の署名を集めて役所に持っていった」

「1500人!当時から花巻はスケーターが多かったんですか?」

「いや、俺が知ってる限りで数十人かなぁ」

「え、一体どうやって集めたんですか?」

「俺は高校を卒業した後、地元に残って就職したんだよね。車の整備から飛び込み営業まで、本当にいろんな仕事を転々として。一方でバンド、DJ、クラブのイベンターなんかもやってたから、そのつながりをフル活用して」

 

「それまでの経歴が活きたんですね」

「でも、そこからが簡単じゃなかったね。話が進みそうになったまさにそのタイミングで、東日本大震災が起きて。『それどころではない』ってことですべてが白紙になってしまったんだ」

「うーん、震災なら仕方ない……のかな」

「俺はそうは思わなかった。むしろ、こんな時『だからこそ』じゃないかと食い下がった。市長に直談判するために手紙まで書いて」

「すごい行動力!」

「そうしたら、当時の市長が話を理解してくれて、懇談会を開いてくれることになったんだ。その場でも『みんなが下を向いている今こそ、若者が自分たちの街を誇りに思えるようなものが必要じゃないですか?』と訴えてさ。最終的にはそれが実ったかたちだね」

「情熱が伝わったんですね。素朴な疑問なんですけど、そのパワーってどこから来てたんですか?」

「さっきも言ったけど、スケボーがしたいのに環境が整ってないから諦めざるを得ない子たちをいっぱい見てきて。地元の後輩や子供たちに、そう思わせたくないって気持ちはあったよね」

「ふむふむ」

「あとはシンプルに『スケボーが好き』ってことかな。昔花巻で、スケートビデオの上映会を開いたら、50人くらい集まってめちゃくちゃ盛り上がったんだよ。みんな熱くなれるものを求めているんだなって確信したね」

「なるほど。そうして作られたのが、この屋外パーク」

「全国の有名なパークと比べれば、ごくごく小さなものだけど、見ての通り、親子連れから、いかにもなスケーターまで、幅広い人たちが使ってくれてる。春になったらみんな『やっと外で滑れる』とか言ってさ」

 

「あんなに小さな子がトリックを決めて。普通だったら接点のなさそうな金髪の兄ちゃんとハイタッチしてる。めっちゃいいですね」

「数年前までの花巻では考えられなかった光景だよね」

公道封鎖のダウンヒルはこうして実現した

「取材にあたって色々調べてたんですけど、スケーターたちが一斉に商店街の坂を下る映像もすごかったですね。僕、感動しちゃいました」

「当時はあのビデオを見て結構な人が連絡くれたね。海外からもたくさん反響があったりして」

 

「何より驚いたのは、これを市のお墨付きでやってること。動画にも映ってますけど、警察も協力してる。あの会場って公道ですよね?」

「うん、普段は車もバンバン通る道」

「なぜこんなことが実現できたんですか?」

「それにはちょっとした秘密があってね。まず公道の封鎖でいうと、毎年花巻では、『花巻まつり』っていうお祭りが開催されて、あたり一帯が歩行者天国になるんだ。関係各所がそのノウハウを持ってるから、公道封鎖のハードルがよそほど高くなかったってわけ」

 

花巻まつりの様子。街中をたくさんの神輿や山車が通る(提供 花巻市)

「へぇ、面白い! お祭りのオペレーションが活きたんだ」

「あとはなにより、地元の有力者とか行政の担当者とか、要所に理解のある人がいたことは大きかった。公のイベントで子供たちにスケボー教室を開催したり、地域のための活動を続けて得た信頼もあったと思う」

「なるほど。ちょっと意地悪な質問なんですけど、スケーターってどこか『反抗すること=かっこよさ』っていう価値観もあるじゃないですか。ルールに則って滑ることに反発はなかったんですか?」

「うーん、そりゃ一部はあるよね。でも若いころはみんなそうなんじゃないかな。自分もかつてはそうだったし。とはいえ、自分たちのやりたいことをやるなら、同時にパブリックの視点も忘れてはいけないと思ってて」

「パブリックの視点?」

スケートを通じて、俺らは地域に何を返すのかって話。そういう視点がないと、誰も応援はしてくれないから。『スケーターのためにスケートパークを』というのはスケーターの意見だけど、次のステージにも目を向けるならちょっと足りないと思う」

「そっか。そう考えると、一般市民の目に留まるこうしたストリートでのイベントは、理解を広める絶好の機会と言えるわけですね」

「そう。その意味では、マルカンビルも同じで。マルカンビルの6階には食堂があるんだけど、花巻民なら誰もが一度は利用してて、初めてオムライスを食べたとか、ソフトクリームを買ってもらったとか、何かしらの思い出のある場所。そこにパークを出せるのはチャンスだと思ったんだ」

 

マルカンビル大食堂名物の「10段ソフトクリーム」(提供 上町家守舎)

「自然とみんなの目に触れられるわけだから。でも、僕には佐々木さんがそういうパブリックの視点を持てていること自体が不思議なんですよね。もともとストリート育ちであるはずなのに、どうして?」

「うーん、なんでだろう……。やっぱりそれまでの人生で学んできたことが生きているってことなんじゃないかな」

「というと?」

「いちスケーターであればスケートのことだけ考えてればいいけれど、パークを運営するとなったら椅子の位置とか照明の加減とか、そういうことの一つひとつで客入りや居心地の良さが変わる。俺がそこに気が回るのはイベンターとしての経験があったからだと思う」

 

「ああ、Dprtmentがかっこよく見えるのはそういうわけか。ストリート的な格好良さもあるけれど、どこかオープンな風通しのよさもある」

大きいことをやるためには多くの人を巻き込まないといけない、そのためには自分のことだけ考えてちゃダメっていうのも、過去の経験から学んできたことの一つだね」

「これまでの経験がつながっているんですねえ」

「でも、繰り返すけどストリートのマインドを忘れたわけではないよ。カルチャーとしてのかっこよさを捨てたら、それこそコアなスケーターには見放されてしまうだろうね。そこのバランスは難しいよね」

「地元には何もない」なんて思ったことがない

「各地で取材をしていると『地元には何もない』と言って出ていく若者が多いと感じるんです。佐々木さんは、なぜ地元に残って、自分で居場所を作るという選択をとったんですか? 外へ出ていこうとは思わなかった?」

「地元には何もない、か……。俺はそう思ったことは一度もないねえ

「えっ、一度も。それは意外」

「これはよその地域のプレーヤーと話してて共感した話なんだけど、『地元に何もない』って言ってる人たちは、そもそも地元で遊んでないんじゃないかな。ちゃんと遊んでいて、いろんな人と話していたら、何もないなんて思わないはずなんだよ」

 

「俺がスケボーを始めたのは、13歳の花巻まつりの夜で。その日は年に一度、遅くまで外出が許される日。ショッピングモールの一角に集まっている先輩たちの輪の中に、買ったばかりのおもちゃみたいな板を持って、勇気を持って飛び込んだんだ。教えてくれませんか?って」

「そういう若い子は先輩からしたら可愛く思えるでしょうね」

「そこからはレゲエにダンス、ヒップホップ、パンクと、ストリートカルチャーの英才教育だよ。ものすごい量のカルチャーを一気に浴びて、世界が一気に広がった。だからスケボーは俺にとって、自由、そしてカルチャーへの入り口なんだ。それをずっと追い続けたいと思ってここまできた」

「なるほど。かつての佐々木さんのように街に居場所がないと感じている人が、自分で居場所を作る、自分で地元を面白くするのに大切なことはなんだと思いますか?」

「うーん……。ありがちな話だけど、みんなで団結して同じ目標に向かっていくこと。そのための辛い経験は共にすること、その上で成功体験を共有すること、かな。一人でできることは限られてる。俺らにとっては撮影や上映会、各地を回ってのローカルイベントがそれにあたったと思う」

「目標までの道のりを、酸いも甘いも含めて共有することが大事だと」

「それこそ、Dprtmentを作る過程もそうだった。今みたいに綺麗な路面を作るにはまず、フロア一面に貼ってあったクッションマットを剥がす作業が必要だったんだけど、最初は数人で始めたんだよ」

「えっ? あの広さを数人で?」

「でも、SNSでその様子を発信していたら、手伝います!って子が増えていって。みんな仕事があるから、毎晩18時ごろから深夜まで。ようやく剥がし終わったら、今度はやすりがけ。本当に大変だったけど、この先にどんなことが起こるんだろうって、みんなワクワクしてたと思う」

 

改装中の様子(提供 佐々木さん)

「誰にやらされてるわけでもない、まさに自分たちの居場所を作ってるわけですもんね」

「やっとの思いで完成した後も、3年間はボランティアで運営してたの。『この場所は俺たちで守ろう』って、シャッターの開け閉めからレジ打ちまで、みんなで一つひとつ覚えて、ね」

「へー、ボランティアだったんですね!」

「その積み重ねもあって、ようやく最近運営が軌道に乗って。自分も仕事を辞めてここに専念できているし、スタッフを一人雇えるまでになったんだよ」

「パークとショップの売上だけで。それはすごいなあ」

「まだまだこれからだけどね!でもそういうノリで続けてたら、海外ブランドとの取引とか、旅先でのスケーターとの出会いとか、すごい体験が次々と訪れた。だから立ち上げから見てる人には、焼き付いたんじゃないかな。こうすれば面白くできるんだ、ローカルは自分たちで面白くできるんだって

「スケボーを通じて、若い人にいろんな大切なことを伝えてるんですねえ」

夢の花巻「マルセイユ化」計画!?

「この先にやりたいことを挙げるとすると?」

「まずは店の運営をこれまで以上に安定させて、もっとスケートやその他の活動をする時間を作りたいかな。公の場でカルチャーが詰まったイベントを開催したり」

「やはり大事なのはパブリックの視点」

「あとはなんだかんだ言って、ストリートスケートあってこそのスケボーという面もあるから、少しづつその橋渡しがしたいかな」

「公式競技でもストリートとパークで種目が分かれてますよね。前者は街の風景を再現してたりして。それを実際の街でやるのには、パークとはまた違った難しさがありそうだけど……」

「そうだね、超えなきゃいけないハードルはたくさんある。だけど世界には、スケボーで付いた傷をカルチャーやアートとして受け止められている国もあってさ。例えばフランスのマルセイユは、市民ホールとか駅の一部をスケボーもOKなエリアとして開放してたりする」

「すごい!花巻にもそういう場所ができたら、スケボーきっかけで花巻を訪れる関係人口が増えたりするかもしれませんね。」

「そうなったら最高だね。俺らの活動が本当の意味で街のためになる」

「花巻には世界的に有名な『宮沢賢治』という存在もいるから、『賢治×スケボー』でうまくつなげられたら、外国からもスケーターが殺到したりして」

 

宮沢賢治の出身地である花巻。市内にゆかりの観光スポットがたくさんある

「夢は広がるね。実際ここ10年でだいぶ街の理解も深まってるのは実感してて。とはいえ、スケボー先進国でもダメなところはダメ。どう折り合いをつけるかが重要なんだと思う。それを模索していきたいね」

「最近はスケボーの競技人口も増えてるって言うし、これから花巻のスケートシーンがどう変化していくのか楽しみです。今度来る時はスケボー持ってこよっと」

「うん、いつでも遊び来てよ!」

終わりに

 

取材を終えてDprtmentに戻ると、営業開始とともにたくさんの若者が集まり、そのあまりの熱気に、とても驚きました。きっとこの先、この場所を起点に、また新たなカルチャーが生まれていくんだろうなぁ。

 

「スケートを通じて、俺らは地域に何を返すのか」

そう語った佐々木さんの眼差しは、期待と希望に満ちているように見えました。

コアなカルチャーやマインドは大事。だけど、同時にパブリックの視点を持たないと、活動の輪は広がらず、結果として自分たちのやりたいこともできない。今回伺ったのは、きっとスケボーに限らない話だと思います。

 

花巻のデパ地下スケートパークから、新たなスケートスターが誕生する日が、今からとても待ち遠しいです。

 

☆Dprtmentの情報はこちらから

HP
https://dprtment.stores.jp/
instagram
https://www.instagram.com/dprtmentsp/

 

☆画像ギャラリーもあります!

 

構成:鈴木陸夫
写真:本永創太


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