こんにちは、ライターの友光だんごです。今日は新潟市の「上古町(かみふるまち)商店街」にやって来ました。一緒にいるのは『ドカベン』こと山田太郎。
『ドカベン』作者の水島新司氏が地元出身なのですが、今回の目的は別にあります。それが、「上古町の百年長屋SAN」というお店。
商店街の一角にある2階建てのビルの中には、
喫茶があったり、
かわいいお菓子が並んでいたり、
「新潟食材研究所」なるお店が入っていたり。
平日の昼間から、地元の人もお客さんとしてたくさん訪れているようです。
二階建ての長屋ながら、他にも展示スペースやミーティングルーム、デザイン事務所や編集室なる文字も並んだ複合施設です。とにかく、なんだか楽しそうな場所!
ここは生まれるまでのストーリーも面白くて、とある女性がつくった一枚のフリーペーパーがきっかけなんだそう。
その女性とは、2021年に新潟市へUターンした金澤李花子(かなざわ・りかこ)さん。東京で働いていたものの、地元である新潟・上古町で場所を作りたい!とアクションを起こしたところ、地元のキーマンとの出会いが。
そのキーマンが、上古町を拠点にデザイン活動をしている迫 一成(さこ・かずなり)さん。
商店街で、まちの拠点となるような複合的な施設をやりたい、と同時期に思っていた迫さんと金澤さんが出会い、こうしてSANという場所が生まれ……ここだけ聞くと、めちゃくちゃ運命的!と思ってました。
しかし、じっくり話を聞いてみると、そこには正直すぎる二人の、人間くさいストーリーがありました。
そして、その中には「爆発的に売れたくない」「超近い地元の人と、遠くの人をターゲットにする」「お金も大事だけど、徳も大事」など、ローカルで場所を作り、続けていく上でのヒントがたくさん。それでは、SANのお二人のインタビューをどうぞ。
新潟の街に「踊り場」が必要だ、と思った
「金澤さんは、元々東京で働かれていたんですよね?」
「わたしはこの辺りが地元なんですけど、大学進学とともに上京して、東京に10年住んでました。それで久しぶりに高校生の時に遊んでいた上古町商店街を歩いたら、ワクワク感が薄いなと思ったんですね」
「それは、商店街が寂れてしまっていた?」
「うーん、店舗数は減ってないんです。若い人もいるし、寂れてるって感じではないけど……なんだかノレないな、踊れないな、と感じて」
「踊れない、とは?」
「高校生の時は、この商店街で古着屋や喫茶店を営んだり、ここを遊び場にしていたりする人たちを見て『キラキラした大人たちが踊るように自己表現をする場所だな』と憧れていたんですよね。でも、東京でいろいろなものを見て、経験して帰ってきたら『刺激が薄いな』と。自分がそう思っちゃったのも、すごく悲しくて」
「なるほど。踊る=自己表現があんまり感じられなくなっていたんですね」
「それで商店街に風を通す、循環装置みたいな場所があるといいな、と思ったんです。それが私にとって『踊り場』というキーワードになって。まずはこういう人に来てほしい、というイメージを伝えるためにフリーペーパーをつくったんです」
「前職の友人・ヤマグチナナコさんにコンセプトやイメージを伝えて、イラスト作成や編集をしてもらいながら、一緒に作りました」
「踊り場設計図、と書いてありますね」
「年末に帰省すると、同級生や地元の人と、お酒を飲む機会がありますよね。そういう時に『こういうことをしたい』と言っても、翌朝たぶん忘れてるじゃないですか。それが癪だな、と思ったんです」
「(笑)。飲みの場では盛り上がるけど、そこで終わり……みたいなことは結構ありますね」
「でも、紙にして渡しちゃえば、翌朝起きたときに『あの人、こんなこと言っていたな』って思い出してもらえますよね。説得力もあるし、なにより本気度が伝わるかなと」
「それがフリーペーパーという形になったと」
「とはいえ5年後くらいにできればいいな、と思っていたので、刷ったのは60部くらい。場所ができるまでの過程の記録として、フリーペーパーを繰り返し発行したいなと思ってたんです。まさか第一弾をつくってすぐに実現するとは思わなくて」
「そこで迫さんが登場するわけですね!」
「商店街の偉い人にバレた!」
「迫さんはどこで踊り場のフリーペーパーを見つけたんですか?」
「知人のアートブックなどを取り扱う本屋の店主さんから、本を買った帰り際に『迫さんどうぞ』って渡されたんです。当時は金澤さんと面識もなかったです。でも、フリーペーパーを見てけっこう衝撃を受けました」
「それは、どんな点に?」
「今の時代の感覚を汲んでいるし、文章もイラストもよくて、おもしろかった。それに『前の上古町商店街はよかったけど、今は寂しい』と書かれていたから、商店街で活動する人間として、頑張らなきゃな、とも思いましたね」
「迫さんはずっと上古町商店街に?」
「20年前から作業場やお店を構えて、いまは上古町の組合の理事長もしてます。それで刺激を受けたこともあるし、なによりイメージ図が楽しそうだったんですよね」
「でも、こんなスペース続くわけない、とも思いました(笑)。というのも、僕も10年ほど前に、商店街でフリースペースのはしりみたいなことをしてたんです。変わった事例だと注目もされたんですが、事業化するのは難しかった。だからこそ『踊り場』に対しても、難しいよな、でも死なせたくないな、と」
「絶対あるといい場所だけど、ビジネス的には現実的でない部分もあると感じたわけですね」
「はい。自分はだいぶ大人になって、現実的なことも見えるようになった。だから金澤さんのような夢を描こうとも思わなかったから、ハッとしました」
「その年末、迫さんのInstagramにフリーペーパーの写真がアップされてたんです。その投稿を見て、『迫さんって名前、見たことある。あ、商店街の偉い人だ! バレた!』と思いました(笑)」
この投稿をInstagramで見る
「見つかって欲しくなかったんですか?」
「いずれ商店街で『踊り場』を開きたいと思っていたので、そこの理事長の迫さんは、いずれぶち当たるラスボスみたいなイメージ。あんまりいい印象はなかったんです。どうせ面倒臭い人なんだろうな、って(笑)」
「ひどい話だよね(笑)」
「でもバレたし、今の商店街のことを知りたいし、挨拶に行ったほうがいいなと。それで私から連絡して、会うことになりました」
「あれ、そこで迫さんはインスタにアップしただけだったんですね?」
「ここでやりましょう」「あと、はじめまして」
「こんなフリーペーパーを作った人とは、いつか会って話してみたいなと思いましたよ。でもまあ、縁かな、と」
「縁、ですか」
「『5年後にやる』と言っているくらいだから、たぶん時間がかかるし、そんなにリアリストじゃない可能性も非常に高いと思っていたんですね。言うだけの人っていっぱいいるじゃないですか。とは言っても、元気をもらったから。『ありがとう、こっちも頑張ります』という意味でSNSにアップしました」
「なるほど。ネットの海へ瓶に詰めた手紙を流すみたいな感じだ。それが意外と早く届いた」
「で、迫さんと初めて会ったんですけど、『ちょっと見せたいものがある』と言われて、『貸物件』の看板が貼られた建物の前に連れて来られたんです。そしたら『ここでやりましょう』『あと、はじめまして』と。そこで『この人、どういうつもりなんだろうな』って思ったんです(笑)」
「展開が早い!!!」
「あんまり普段はそういうことをしないんですけどね。でも、フリーペーパーを見て、ちょっと話してみて、この人はやれそうだなと思ったんです。それで、言ったほうがいいな、と」
「『コーヒー奢るから』とも言われました」
「300円だけどね(笑)」
「ただ、わたしは石橋をめちゃくちゃ叩くタイプなんですよ。だから、その場ではっきり返事をしませんでした。一度帰ってから、新潟のいろんな人に『迫さんってどんな人ですか?』と聞いて回ったんです」
「イメージ調査だ。めちゃめちゃ石橋を叩いてますね」
「新潟(地方)って、いい噂はあんまり広まらないけど、悪い噂は尾ひれをつけて広まるような気がしていて。だから、もし迫さんが悪い人だったら色々ボロボロ溢れてくるものもあるだろうなと思いまして」
「その結果は……?」
「悪い噂はまったく出てきませんでした。いい噂もそんなになかったですけど」
「寂しい話だな(笑)」
「後半は言わなくてもいいのに!(笑) でも、それで『渡っても大丈夫な石橋だ』となったわけですね」
「はい。当時まだ28歳だし、やってみてダメならまた東京に帰ればいいかとも思ってました。なんですけど、迫さんからは『こんなにぐいぐい誘ってるけど、ダメならダメでいいんだからね』みたいなことも言われて」
「揺らしますね〜」
「いや、なんか悪いなと思って」
「散々言っておいて、『自分の人生もあるからね』なんて言うんです。そんなこと言われたらやりますよ! って(笑)」
「さっきから駆け引きがすごいですね」
「僕は勝手に、二人が運命的に出会って、意気投合して始まったイメージを持ってたんです。でも、お互いにいい意味で探り合って、考え抜いた結果だったんだなと」
「私はすごくリサーチするんですけど、迫さんは基本、探らないですよね。こねくり回したり、探り合いがない。言い訳もまったくしない。直球でこれやりたい、あれやりたい、と言ってくれて、話が早かったです」
「言うことだけ言って、早く進めるってスタイルですね。違うなら違うし、いいならやろう。もう条件は揃っているし。金澤さんも、来てくれないかもしれないけど、基本的に来てくれる前提で進めてましたね」
「なんだかすごく人間同士な感じですね。なるほどなあ」
フリーペーパーのイラストを担当したヤマグチさんが制作した「踊り場」のグッズはSANで販売されている
爆発的に売れたくない/真ん中の人はターゲットじゃない
「迫さん視点で言うと、このSANの物件で元々何かやろうと思ってたんでしょうか?」
「そうですね。この場所では『Foodelic』というカフェバーが20年以上営業していて、カルチャーの拠点になってたんです。でも、2020年に閉店してしまった。この近くで店をやってることもあるし、ここが空くと寂しいな、変な店は入ってほしくないな、と思ってたんですね」
「気になる物件だったと」
「ちょうど新事業だったり、移転を考えているお店の相談にも乗ってたんです。そういうお店が集まれば、ひとつの場所はつくれるなと思ってました。それに、地元の中学生や小学生と話していると、街に子どもが楽しめる場所が少ないという話も聞いていたので」
「まさにSANみたいな場所が必要だ、となったんですね」
「とはいえ僕はデザインの本業もあるから、新たな場の運営までは難しい。だから、自分の気持ちを持って運営をしてくれる、主体的な人が欲しいなと思ったんです」
「そこでフリーペーパーをきっかけに、金澤さんとの出会いがあったと」
「本当にたまたまでしたね。オープンまでもギリギリだったなあ。前日まで机とか椅子をつくってたし、文化祭前夜みたいな空気で」
「迫さんも一緒に徹夜してましたね。だんだんエネルギーが切れてきて、オープン前々日の深夜1時にファミレスでステーキを食べたのを覚えてます。よくオープンできたなと……」
「(二人とも遠い目になってる)」
「SANが始まって1年経ちましたけど、どうですか?」
「思い描いてた『こうなったらいいな』が大体できてると思いますね。地元の人たちが集まるいい場所になってきているなと。そういえば、金澤さんがすごく落ち込んでたことがあったよね」
「ああ……今年のお花見の時期、初めてお店がすごく混んじゃって。お客さんと会話する余裕もなく、店を回すことに精一杯。それがとてもショックだったんです」
「お店が混んだことがですか?」
「一日中、お客さんの誰とも喋れない。スタッフ全員がただただ疲れて、これじゃ絶対続かないし、こんなお店をやりたかったわけじゃない、と思ったんです。だったら席数を減らしても、ちゃんと目の前の人とお喋りする余裕が持てる営業スタイルにしなきゃ、とその時思いました」
「よく考えていて偉いよねえ」
「売上アップ!やった! じゃないんですね」
「爆発的に売れたくないんですよね。私たちの目の前にいる人を、ちゃんと大切にできる余裕は持っておきたいなと思います。もちろん売上も大事ですよ。でも、SANにとって大事なものをおろそかにしちゃいけないなと」
「僕たちは、お金がないと困るけど、お金に振り回されたいわけじゃないというか。難しいところですね」
「そこでいうと、SANの大事なものって何なんでしょう?」
「地元の方が毎日居心地がいいと思える空間がちゃんとあった上で、定期的に盛り上げて楽しいって思ってもらえるのが理想形ですね」
「僕は、まちの中のいい場所が続いていくことが重要かなと思っていますね。一つひとつのイベントが盛り上がるのも大事だけど、『なんかいいね』と思える場所があって、いろいろな人が来ているのが重要かな」
「なるほど。お二人とも地元の人にとっていい場所である、を大事にされてるんですね」
「SANの事業計画書を書いているとき、発見したことがあって。SANにとって『真ん中の人』はターゲットじゃないなと思って。ターゲットって言葉はあんまり好きじゃないんですけど、あえて言うなら」
「もう少し詳しく聞きたいです」
「僕はこのエリアを『住めば都』と思ってるんです。住みやすいし、どこか行こうと思えば電車ですぐ行ける。でも、一方で駐車場がないとか、空き店舗があるとか、商業地として活気がない、みたいに行政とかから思われてる一面もある」
「実際に住んでいる人の感覚と乖離がある?」
「そうですね。だからこそ街をよりよい場所にして、住むならここがいい、ここから離れたくない、という風な気持ちを強化していきたい。それは、2〜3キロ圏内のごく近い距離に住む人たちに対してですね」
「それと、ここは遠くから来た人にも満足度が高いと思うんですよね。旅をした感じが出るし、そういう人にとっては駐車場が1日1000円でも高くない。でも、新潟市内くらいに住んでて、駐車場がないとか、大型ショッピングモールと比べて『大していいものがない』とか感じる人はターゲットから外そうと思ってるんです」
「2~3km圏内の近場の人と、県外くらい遠方の人の間にいる、中くらいに離れている人が『真ん中の人』ってことですね。あまり聞いたことのなかった表現なので、面白いです」
「超近い人と、遠い人来てね!って気持ちでやる。ローカルで生き残るために、意外といい方法だと思ってますよ。コロナもあって、地元のお客さんだけでも、お土産だけでも難しくなってますから」
「地元メディアにもいろいろ出させていただいてますけど、同じくらい、東京をはじめ県外のメディアにも情報発信ができていて。遠方に住んでる人が気になって、マップにピンを指してくれる場所に少しずつなれてるのかなと思ってます」
「『真ん中の人』はあえて外す。参考になる土地は多そうですね」
トマトでデザインのお礼をいただく
「金澤さんはいまも編集の仕事をしているんですか?」
「フリーランスの編集者として活動してます。SANの案内図にも『上古町編集室』と書いてあるんですけど、編集の機能が街にあるといいなと思ってて。迫さんからお仕事をいただいたり、私が迫さんにデザインをお願いすることもあったり。お互いに編集とデザインの仕事でも絡みがありますね」
「でも、編集の仕事が忙しくなると、お店の仕事ができなくなるしね。悩みが尽きない。やりたいことが多くてね」
「尽きないですね」
「もっと編集者がいたらいいのに、と思うことはありますか?」
「思います。募集したいと思うときもありますけど、『自分が東京で外貨を稼いで、SANで好き放題に踊る』のが、今の私なりに出した答えですね。東京の仕事が大半で、SANでは本当にいいなと思う企画や運営を思いっきりするスタイルです」
「僕たちは外貨を稼げないから(笑)」
「迫さんは新潟がフィールドですもんね」
「僕は県外の仕事もたまやりますけど、大きい仕事ばかり来るようになるとつまらないな、と思ってますね。なんとなく、消費されている感じの仕事ってあるじゃないですか」
「自分じゃなくてもいいな、みたいな……」
「それよりは周りの人に喜んでもらって、デザインやイラストって楽しいなとか、まちが変わるんだなとか体感してもらうほうがやりがいがある。価値や経験、お礼をもらって、『ありがとう』『いてよかった』と言われる仕事の積み重ねのほうがいい。でも、お金も欲しいけどな、と(笑)」
1階の「喫茶UKIHOSHI」で販売する「浮き星」。あられに砂糖を纏わせたお菓子で、元々は「ゆか里」という名前で親しまれていた。新潟で唯一ゆか里を製造する菓子店「明治屋ゆか里店」とhickory03travelersがタッグを組み、「浮き星」という名前でリブランディングを行った
hickory03travelersがデザインを手がけた商品の一部
「迫さんって、デザインをトマトと交換することがあるんですよ」
「えっ、どういうことですか?」
「業績が悪くて悩んでる農家さんがいたら、本当ならデザインにお金をかけるという選択肢があっていいと思うんです。農機具にお金をかけるように、デザインも当然のように選択肢にあってほしい」
「デザインをよくすることで商品が売れるようになる、という業績アップの選択肢もありますね」
「だから遠慮なく相談して商品が売れるようになってほしいので、お金の代わりに、自慢のトマトをいただいてデザイン代の代わりにしませんか?と提案しました」
「物々交換!」
「すると向こうも頼みやすくなるじゃないですか。実際に『次はこうしたいんだ』と言ってくれるようになりまして。それで結果が出れば最高だし、デザインが変わった商品を見れば次のお仕事もくるし、トマトは美味しいし」
「言うは易しだけど、実際にやられてるのがすごいです」
「お金をもらってないとリラックスして、いいものが作れたりもしますよ。お金と交換だと見積もり、納品、請求書を出してさよなら。でも僕たちは、種まきと水やりを継続していくやり方のほうが好きなのかもしれませんね。どこで回収するんだって気はするけど、徳を積み続けています」
「徳は大事です」
「お金より徳のほうが手に入れづらいから、そっちのほうが楽しいかな」
「金澤さんがSANでやっているイベントも、そういう徳というか、いろんな人との繋がりを駆使して企画している感じがしますね」
「意識してるわけじゃなく、そうなっちゃうんですよね。近所を歩いてたらスリランカの方に声をかけられて、その人のカレーを食べたら美味しくて。じゃあ今度出店してください、って声を掛けたりとか」
「ただなんとなくやると公民館みたいになっちゃう気もしますけど、そこでちゃんと選んでますよね。それは編集だなと」
「金澤さんには『もっとSANをこうしたい』という構想はあるんですか?」
「大体やったんじゃない?」
「いや、そんなことないですよ! 全然新潟に関係ない、新潟初上陸みたいな人をもっと呼んで、展示やイベントをしたいんですよね。商店街に風を通すようなことを、わたしだからできることをもっとやりたいとは思っています」
「SANができたことで、これから何年か先にまた面白いことがあるんじゃないかなと思ってます。SANに来てくれた中高生が大人になって何かやりに来るとか。この街もだいぶ若い人たちを県外に放流してしまったから、金澤さんみたいにいつか帰ってくるといいよね」
「東京の大学に入った学生が、帰省のタイミングでSANに来て『いいですね』と言ってくれたりするんです。まちをテーマに卒論を書きたい子が来たり、進路や移住の相談をしに来たり。相談窓口みたいになってるので、日中にここでPCに向き合う編集仕事はできないんだと最近気がつきました(笑)」
「迫さんは長年、新潟の街に関わってきて『やりきったな』みたいな感覚はないですか?」
「二周目に突入したなと思ってます。SANをきっかけに、もう一回楽しいスタートを切った感じですね」
「いいですね、二周目!」
「今まではやりたいことがあったら一人で立ち上げて、自分主体でやって、次に繋げなきゃな、と思っても繋げる人がいなかったんです。だから、金澤さんに出会えただけで、すごく価値があります。バトンを継げる人がいなくて途切れたり、おじさんの街になって終わったりすることも多いと思うので」
「一度はいい感じになっても、次の世代にバトンを繋いでいけるかはまた別の話ですね」
「そうそう。だから僕は二周目に入れたと思ってますけど、あと3年くらいで金澤さんがいなくなっているかもしれないし……」
「ありえます。飽き性ですから!」
「(笑)」
「この街は楽しめる場所だから、もっと人に来てほしい、と常に思ってますね。実際、自分たちが面白いと思うことをやっていたら自然と人が集まって、空き店舗も埋まってきたわけなので」
「自分たちが面白いと思うことをやっていれば、人が集まる」
「でも、その新陳代謝って、一世代だと20年も続かない。年齢を重ねて忙しくなると、手をつけられないことも多くなるから。でも金澤さんが来てSANができたことで、新しい風が吹いたと思います」
「まちに面白い場所をつくることは、まちをどう面白がるかだと思っていて。これからも自分の感覚へ正直に、いろいろとやっていきたいと思います」
おわりに
取材で印象的だったのは、金澤さんと迫さんの正直で対等な関係性。なんでも言い合い、向き合ってきたからこそ、この風通しのよいSANという場所ができたんだろうな、と思いました。
それは二人とも、自分の「楽しい」「面白い」という感覚に嘘をついていないことでもあるはず。自分の感覚に正直に、街と人に向かい合っていく。そこには綺麗で素敵なドラマには収まりきらない人間くささも、葛藤もあるけれど、だからこそ面白い場所が生まれ、続いていくのではないでしょうか。
構成:荒田もも
撮影:飯山福子