こんにちは、ライターの淺野です。
僕はいま、東京都台東区の御徒町(おかちまち)と呼ばれるエリアに住んでいます。山手線の駅名にもなっていますが、他に比べると少し知名度は低いかもしれません。
でも、実はとっても住みやすい場所なんです。駅前の人で賑わうアメヤ横丁(アメ横)から少し離れれば、飲食店も程よく並ぶ、落ち着いた住宅街が広がっています。秋葉原や上野にも歩いて行ける距離なので、休日の予定にも困りません。
そして何より…… 「多慶屋(たけや)」があるんです!
紫色の外壁が特徴的な多慶屋は、いわゆる総合ディスカウントストア。
その品揃えは、普段使いの食料品をはじめとして……
お酒の種類もたっぷり。
家電やインテリア、化粧品から文具・メガネに時計まで、およそ10万点にも及ぶ商品を取り揃えており、大抵のものが手に入ります。
金庫まで売ってるし……
キャットフードだけでもこの品揃え。
そして、なんといっても多慶屋の最大の特徴は、その地域密着っぷり!
JR御徒町駅から徒歩数分のエリアに、4棟もの売り場が並んでいます。近隣には専用の駐車場や駐輪場も用意され、現在建設中の新棟ができれば、さらに売り場が増えることに。
まさに「多慶屋ビレッジ」とでも言うべき集合ぶり。さらに、多慶屋での買い物だけでなく、近隣の飲食店やカラオケ店でも割引が受けられる、すごいパワーのメンバーズカードまで発行しているんです。
生活に必要なものがほとんど揃い、カードを使えば街ごとお得に。この辺りに住むなら、多慶屋を使わない選択肢はない!と断言できるほど、地域に密着したお店なんです。
毎日のようにお客さんで賑わう多慶屋。この土地に根ざした歴史や、街に対する取り組みについて、創業者である祖父、父、叔父に次ぐ4代目である竹谷宗二(たけたに・そうじ)代表取締役社長に伺いました。
はじまりは戦後の「道具の店」
「今日はよろしくお願いします! 家で使う日用品はだいたい多慶屋で揃えてますし、店頭で流れる『5のつく日はポイントアップデイ♪』の歌も歌えます!」
「ありがとうございます、耳に残してしまって申し訳ないです(笑)」
「多慶屋は本当にいろいろなものが売られていますよね。僕は知り合いに『ホームセンターが縦積みになったような場所』と紹介しているのですが、あらためて伺うと、多慶屋は何のお店なんでしょうか?」
「一言では説明しづらいのですが、欲しいと言われたものを集める『お客様の買い物代行』を続けている会社です。ディスカウントストアと呼ばれることもありますが、1947年の創業時には、そんな言葉もなかったので」
「創業から70年以上も経つんですね! 多慶屋はどういう経緯で始まったのでしょうか」
「創業者である私の祖父の実家は、富山で呉服商を営んでいたそうです。着物が斜陽産業になってきたため、昭和恐慌のタイミングでこちらに出てきたのですが、新しい商売のために仕入れた材木をすべて持ち逃げされてしまったらしくて」
「ひー! わざわざ富山から来たのに、大変な目に……」
「親戚一同で引っ越してきたから、なんとかお金を稼がないといけない。そこで、呉服商として培った目利きの力で、古物商を始めたそうです。当時は家具を中心として、いろいろな物の需要がありました。青年だった私の祖父も、大八車を引いて出物市場から道具を運び、お店を手伝っていたそうです」
「しばらくして、第二次世界大戦への出兵から帰ってきた祖父は、実家から暖簾分けのような形で自分の店を持ちました。その際『竹谷(タケヤ)』という苗字で似た店があるとわかりづらいので、自分の店の表記を『多慶屋』に、自分の苗字の読みを『タケタニ』にしたそうです」
「店の名前だけでなく、自分の苗字の読み方も変えちゃうんだ。大胆……!」
「いつ撮影したかわかりませんが、この写真ではすでに『道具の店 多慶屋』と書かれていますね。壊れた道具を買い取って、修理なんかもしていたそうです」
「『道具の店』って、今ではなかなか聞かない響きですね」
「戦後の焼け野原で商売を始めた祖父は、何度も『おまけの人生』と言っていました。戦争で生き残ってしまった自分にできることは、商売を通して社会に感謝と貢献をすることだと思っていたようで」
「一旗挙げようというよりも、世の中に貢献していくための商売」
「世の中への還元が第一で、自分や親戚がご飯を食べられるだけの利益があれば良い。そのスタイルが結果として値段の安さにつながり、噂が人を呼んで大きくなってきたのだと思います」
ニーズに応えて、品数もスキルも増えていく
「お客様から『あれはないのか』『これはないのか』と聞いて、市場に行って仕入れて……を繰り返すうちに、日本も高度経済成長期に入りました。ニーズの変化に応じて多慶屋でも服や雑貨、絵画などあらゆるものを揃えるようになりました」
「いわゆる『三種の神器』のような家電も、多慶屋で買えるようになったんですね」
「扱う品数が増えるのにあわせて、店舗も大きくしていったのでしょうか」
「はい。多慶屋の店舗が一箇所に集まっているのは、戦略的に集中させているというよりも、ものを置くために必要だったから増やしていった結果なんです。それでも中に入り切らず、店の周りにはみ出してしまうのですが……(笑)」
「店の軒先に商品がズラーっと並ぶのも、多慶屋らしい光景だと感じます」
「『道具の店』として始まった多慶屋ですが、今ではリフォームやオーダーメイドスーツの仕立てまで依頼できます。ああいったサービスの担当者は、専門の資格を持つ方として採用しているのでしょうか?」
「いえ、元はド素人だった、うちの社員やスタッフですね」
「そうなんですか! かなり専門性が高いジャンルもあるので、意外でした」
「もちろん資格の取得なども奨励していますが、うちに入ると、おそらく他店の何倍もお客様の対応をすることになります。並大抵ではない忙しさの中で、生の声をたくさん聞くわけですね」
「どのフロアも人で賑わっていますもんね」
「お客様から得た知識を自分の中でくっつけたり、社員同士で共有したりすることでナレッジが蓄積され、結果として高い専門性を身に付けていくんです」
「私も輸入家具を担当していた時期には、海外の家具は見た目が良くても地震で倒れやすいだとか、日本の小さなドアには入りづらい、といったお客様の声を聞いてきました」
「いくら良さそうに見えても、それがお客さんの生活にフィットするかどうかは、実際の声を聞かないと分からない」
「そういった生の声を問屋さんやメーカーさんに伝えると、彼らも喜んでくれて、お礼に我々の要望に応えてくれたりします。互いにメリットのある関係が築けているので、それがお客様の満足にもつながっていると思います。」
「仕入れも小売も多慶屋が行うからこその強みですね!」
「職人さんやメーカーさんの思いをきちんと伝えるのが我々の職務だと思っていて。目指しているのは、高い専門性に基づく『敷居の低い百貨店』のような接客です」
「たしかに多慶屋の店員さんは、詳しく丁寧に案内してくれますよね……! コロナ前はインバウンドの人気も凄かったですよね」
「売上の2割がインバウンドでした。上野にコリアンタウンがあることから、口コミでアジア圏に広まっていったようです。大使館や領事館の方が来日時に必要なものを買ったり、帰国時のお土産として、家具などをコンテナ1台分買われていくなんてこともありました」
「コ、コンテナ1台分!? なんだかバブリーな感じもしますが、 ひとつのお店で何でも揃うし、スタッフの専門知識も高いからこそ、異国の地でもすべてお任せできたんでしょうね」
メンバーズカードと決済サービスで街に賑わいを
「多慶屋を語る上では、メンバーズカードの存在が欠かせないと思っていて。溜まったポイントは多慶屋の買い物に使えるだけではなくて、他のお店でも優待を受けられます。たとえば……」
・ジョナサン 御徒町店・新御徒町店 1グループ(6名様まで)10%OFF
・みはし パルコヤ上野店 あんみつメニューに白玉2個トッピングサービス
・カラオケ館 上野本店ほか 室料を30%OFF
・たる松(居酒屋) ソフトドリンク1杯サービス
・寿司 魚がし日本一 御徒町店 ランチ特盛握りまたは御徒町にぎり100円引き、ディナー 10%OFF……などなど!
「こんなふうに、近隣の25店でサービスを受けられます。僕もよく活用しているのですが、あまり多慶屋と関係のなさそうなお店もあり『なんで割引になるんだろう?』と思いながら使うこともあって(笑)。この取り組みは、どういう理由で始めたのでしょうか?」
「私は昔からこの辺りに暮らしていたので、近所のうまい店などもよく知っていました。よその街から多慶屋に来ていただいたお客様が、最後にそこでラーメンや寿司を食べて帰ったら喜ぶだろうなぁと思っていて」
「行きつけのお店を人に紹介するような感覚ですね」
「街があっての多慶屋でもありますから。ぜひ街ぐるみで盛り上げていきたいと思い、企画部のみんなでいろいろなお店に提携をお願いしに行きました」
「なるほど、その結果『多慶屋経済圏』とでも言うべきネットワークが生まれていったんですね。メンバーズカードの会員は、どれくらいいるんでしょうか?」
「およそ68万人の方に登録していただいています」
「68万人!? 多慶屋がある台東区の人口は20万人くらいなので、御徒町にしかない店としてはとんでもない数なのでは……?」
「実は台東区のお客さまは全体の2割くらいで、非常に広い範囲からお客様がいらっしゃいます。北海道から定期的に買い物に来ていただく方もいますし、会計後に商品を郵送するために住所を聞いたら『伊豆諸島の大島です』と言われて驚いたこともあります」
「全国各地から多慶屋を目指してきた人たちが、メンバーズカードを使って地域でお得に過ごす。ごはんやカラオケで楽しい思い出ができたら、またこの街に来たいという気持ちになるかもしれませんね」
「地域の取り組みで言うと、他にも面白い話があって。馬くん話せる?」
「マーケティングソリューショングループの馬躍原(ま・やくげん)です。先ほどおっしゃっていただいた通り、うちはインバウンドのお客様も多くて」
「爆買いブームの時には、ニュースで多慶屋の映像を目にすることもありました」
「そこで2015年12月に、中国で主流となっていた決済サービスのAlipay(アリペイ)を導入したのですが、これは日本国内で最初の事例だったんです」
「へー! Alipayって今はどこでも見かけますけど、 多慶屋がその先駆けだったとは」
「日本で最初に導入した3社のうちの1社でした。スタートに合わせて大きなイベントを組み、日本の私と中国にいる開発者と、韓国のプロモーション担当者で協力しながら、なんとか3ヶ月で導入までこぎつけました」
「夜中や早朝にやりとりしていたので、『この人たち寝てないな』と思いながら見ていました。契約書を取り交わしたのがイベント1週間前とかで、もうめちゃくちゃだったよね(笑)」
「ただ、Alipayをきっかけにお越しいただいたとしても、多慶屋でしか使えないのではしょうがない。そこから馬を中心として、この街全体で利用できるように、Alipay側の担当者と一緒に近隣の店を回っていったんです」
「多慶屋の社員なのに、Alipayの営業のようなことを!?」
「まずは上野の大型商業店舗に声をかけて、アメ横のお店にも説明して。そうして使えるお店が徐々に増えていきました」
「『君たちどこの回し者なの?』『何をもらっているの?』と言われたりもしましたね(笑)。けれど、来日客にとって便利で魅力的な店が増えれば、街全体がもっと盛り上がり、結果として我々も潤うことになりますから」
「実際に対応店が増えたことで、Alipayはエリア単位でのプロモーションを実施できるようになりました。Alipayの運営会社のCEOが、『日本で成功できたのは多慶屋のおかげ』とセミナーで紹介してくれたこともあるんですよ」
「めちゃくちゃ感謝されている……!」
「日本のPayPayが始まったときにも、事業部の方から我々にお声がけいただき、地元商店向けに説明の場を設けるなど協力させていただきました」
「おぉ、多慶屋が街のハブになっているんですね! メンバーズカードで人の流れを生んだり、電子決済の導入で街全体にお金を動かしたり。多慶屋がしっかり街に根付いているのは、自分達のお店以外まで考えたアクションがあったからなんですね」
客も社員も幸せに。街への貢献は今後も続く
「2022年の4月には、Uber Eatsでも多慶屋の商品が頼めるようになりました。メンバーズカードはLINEで登録できますし、こうした新しい取り組みにも積極的ですよね」
「ある社員が副業申請をしてきて、趣味と実益を兼ねてUber Eatsの配達員を始めたんです。サービスを体験するうちに、うちの店でもできるんじゃないか? と思ったようで、彼を中心に取り組んでくれました」
「副業での経験が生かされたんですね! そういった社員さんの意見やアイデアは、日頃から募っているのでしょうか?」
「先代、先々代社長の時代はかなりのトップダウンでしたが、私は現場の意見・意思を大切にしたいと思っていますし、なにより時代も変わってきている。だから現場の意見や提案はできるだけ受け入れるようにしています」
竹谷社長の就任時、企業理念やビジョンもリニューアルした
「『社会に対する感謝と貢献』という根幹の理念は変わりませんが、お客様や取引先だけでなく、多慶屋で働く社員も一緒に喜べる会社にしていきたいんです」
「社員たちは日頃から、自分で考えてチャレンジできる環境を与えられている。Uber Eatsの導入も、そうしたチャレンジのひとつですね」
「自分のアイデアで売り場やサービスが変わったら嬉しいだろうし、働きがいもグンと上がるだろうなぁ」
「2022年11月には、新棟のオープンも予定されていますよね」
「増築を繰り返した結果、不慣れな方には分かりにくい売り場になってしまったので、食料品や雑貨品などの最寄品を新棟に集める予定です。ご高齢のお客様も多いので、ショッピングカートやシルバーカーが使いやすいよう段差などもなくし、より便利な売り場にしたいと考えています」
「今以上に買い物しやすくなれば、足繁く通う人も増えそうですね! 地域に根ざした多慶屋の新たな象徴になるかもしれません」
「創業から間もない頃の多慶屋は、アメ横の人たちから『目の上のたんこぶ』と思われていたそうですが、最近ではだいぶ仲間として受け入れられてきたと感じます。『一緒に街を発展させていく』という認識も揃ってきたと感じていますし、引き続き我々としても力を入れていきたいです」
「多慶屋は地域に支えられるとともに、地域を支えてもいて。店を横断した視点や仕組みづくりが、活気ある街を作っていくのだと感じました。新しい売り場やサービスも楽しみながら、今後も多慶屋を使っていきたいと思います!」
おわりに
紫色の巨大なビルという、一度見たら忘れられないインパクトの多慶屋。毎日多くの買い物客で賑わい、近所に暮らしている筆者も、そばを通るたびに元気をもらっています。
でも、その賑わいは当たり前のものではありませんでした。お客さんのリクエストに答え続けて研鑽したり、街を丸ごと盛り上げるための仕組みを作ったり。
自分たちのことだけを考えるのではない、広い視点と継続したアクションが、店と地域に活気をもたらしていました。こういうお店が地元にあることが、なんだか誇りに思えた取材でした。