陽気な『シャイニング』みたいな絵面でこんにちは。ライターの友光だんごです。僕は今日、岩手県の「遠野(とおの)」に来ています。
この藁でできた家は、遠野の姥捨山(うばすてやま)とも言われる「デンデラ野(の)」にあるもの。かつて遠野で60歳を超えた老人は自ら家を出てデンデラ野に行き、こんな家を建てて集まって暮らしたそう。このエピソードも、『遠野物語』のなかのひとつ。
そう、遠野では、さまざまな民話が『遠野物語』という形で残されているんです。
カッパや座敷童子、山男に迷家(まよいが)…………。
『遠野物語』は日本の「民俗学」と呼ばれるジャンルを生んだ本であり、著者の柳田國男は「日本民俗学の父」とも呼ばれています。
水木しげるや京極夏彦など、有名作家たちによって『遠野物語』はたびたび作品化されており、何かの形で目に触れたことのある人も多いのでは。
山に囲まれた遠野。雲に囲まれ、鬱蒼とした森からは何か出てきそう。この暗がりのなかに、かつてはカッパや座敷童子が潜んでいたんでしょうね。
………いや、とはいえファンタジーでは?
そう思った人もいるでしょう。でも、そんな人にこそ、今回の記事を読んでほしいんです。
なぜ、遠野でさまざまな民話が生まれたのか。その背景には、富への妬みや家制度ゆえのしがらみと悲哀、人のたくましさなど、「業(ごう)」としか呼べないものが渦巻いていました。
それゆえに、単なる怪談やファンタジーではない、現代に生きる我々とも繋がっている話なんです。
柳田國男は、こう言い残しています。
「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」
平地人とは、都会に住む人のこと。『遠野物語』が記された時代からすれば、現代に生きるわれわれはほぼ全員が「平地人」みたいなものです。『遠野物語』はなぜ、平地人を戦慄させるのか?
さあ、前置きはこれくらいにして、『遠野物語』の世界へと入っていきましょう。
カッパの正体はなんだったのか
まずやって来たのは「カッパ淵(ぶち)」。遠野には、かつてカッパが出たとされる「カッパ淵」が14ヶ所ほどあり、そのうちのひとつです。
ちょっと雰囲気はあるけれど、とはいえ普通の川ではあるな……。
と、ぼんやり川の流れを眺めていたら、後ろから何やら声が聞こえてきました。
「小烏瀬川(こがらせがわ)の姥子淵(おばこふち)の辺に、新屋の家という家あり……」
「???」
「ある日淵へ馬を冷しに行き、馬曳の子は外へ遊びに行きし間に、河童出でてその馬を引き込まんとし……」
「いきなり何ですか?」
「『遠野物語』の58話目です」
「いや、そうじゃなくて。どなたですか?」
「地元で『遠野物語』を研究している、富川岳(とみかわ・がく)といいます。カッパのことを知りたそうな顔をしていたので」
「カッパのことは考えてましたけど」
「僕は『遠野物語』を伝える活動をしていて、カッパ淵のようなスポットを案内するツアーもしてるんです。『遠野物語』、面白いですよ」
「はあ…」
「たとえば、カッパってなんだと思いますか?」
「えーっと、妖怪ですかね? 現代風に言うとUMAとか」
「なるほどなるほど。一説では、カッパは『水に流した赤子』だとも言われています」
「え、赤子って、赤ちゃん? 水に流した???」
「遠野って、冬はマイナス10~20度くらいになって、すごく寒い土地なんです。昔は飢饉で人口の1/6が餓死したり、生き延びるのが大変な土地で。だから次の世代に命を繋いでいくために、優先順位をつけなければならない。するとやむをえず育てられなかった赤子を水に流すこともあって」
「それがカッパに……?」
「カッパは水の神でもあるんです。『次に生まれてくる時は、人間じゃなくて水の神として生まれてこいよ』と泣く泣く流され、命を落とした赤子が、いつしかカッパという伝承になった……。こんな風に、『遠野物語』には『死の匂い』がするんです」
「死の匂い……」
「数ページに1回は人が死にますし、親殺しや、一家全員が死んでしまう話も出てくる。それには遠野の厳しい環境で、『死』が人々にとって非常に近い存在だったことが大きいんじゃないかと思っています」
「ちょ、ちょっと思ってた感じと違うかもしれません。もっとファンタジックなものを考えてたので。じゃあ座敷童子は?」
「それも、ゆかりのスポットがあるので案内しましょうか」
ファイル2:孫左衛門一家殺人事件
「車で少し移動してきましたが、ここは……」
「ただの原っぱでは?」
「ここに、かつて座敷童子がいた家があったとされてるんです。この柵で囲まれてるところがそうですね」
「え、だとするとめちゃくちゃ豪邸では? 小学校の校庭くらいありません?」
「山口孫左衛門(まござえもん)という、超のつく豪農だったそうなので。20人くらい使用人を雇っていたので相当な規模ですね。ただし、娘一人を残して孫左衛門も家族も使用人も、全員死んでしまうんですが」
「出た、『死』……」
「ということで、読みます。第18話」
「(それは絶対やるんだ)」
「ざっくり要約すると、村人がある時、橋で2人の娘とすれ違うんです。見ない顔なのでどこから来たか尋ねると『孫左衛門の家から来た。これから別の家に行く』と。そしてその数日後、孫左衛門家の20数人がきのこの毒にあたって死んでしまった……というお話ですね」
「コナンか金田一少年の事件簿かって感じの話ですね」
「怖いですよね、一家が全滅って」
「カッパのときも、実際の子殺しのエピソードが背景にあったじゃないですか。ということは、座敷童子もそうなんでしょうか? 一家毒殺事件があったとか?」
「いい勘してますね。実は、孫左衛門は村で浮いていた可能性があって」
「きな臭くなってきた」
「元々、この集落には山の上にお薬師様が祀られていたんです。でも、孫左衛門はわざわざ京都の稲荷神社まで行って、稲荷様を連れてきて山の反対側に稲荷堂を建ててしまった。すると当然、村の人は『何を勝手にやってるんだ』となりますよね」
「宗教戦争じゃないですか」
「そうなんです。しかも、お稲荷様は商売の神様で」
「豪農がもっと儲けたくて新しい神様を祀り、それに反感を覚える村人。これは……事件の匂い……! きのこも、もしかしたら別の毒物だったのかも?」
「なんて妄想が膨らみますよね。どうですか、『遠野物語』がだんだん面白くなってきたのでは?」
「完全になってます」
実はカッパとザシキワラシは同じ存在?
「そうなると、座敷童子がなんのメタファーなのか気になります。恨みを買った金持ち一家の殺人事件があったとして、そこから去った座敷童子ってなんなんだろうと」
「実は、カッパと座敷童子は一緒なんじゃないか、と考える人もいるんです」
「一緒というと、子ども? まあ、座敷『童子』っていうくらいですし。でも、お金持ちなら子どもを育てきれずに川に流すなんてしないのでは」
「裕福な家では、家の中に囲いますよね。どちらも子どもだけど、囲われると座敷童子になるんじゃないか、という話なんです」
「豪農のようなお金持ちの場合は、家柄のよい家同士で婚姻関係を結びますよね。するとだんだん血が濃くなっていって、障害を持つ子どもが生まれやすくなる。かつては今と違って、障害のある子どもを家から出さず、隠して育てるようなケースも多かった」
「もしかして、そうして隠して育てられた子どもが、座敷童子……?」
「……」
「つまり、座敷童子がいるから家が裕福になるのではなく、裕福だから表に出せない、座敷童子的な子どもが生まれざるを得なかった?」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
しんどくなってきたので、一旦心を落ち着けます
「すみません、人の業(ごう)について考えちゃいました」
「業を感じますね。実際、世界史上でも近親婚を繰り返し、次第に短命になっていったスペインのハプスブルク家のような例もありますし」
「でも、なんでこういう話を『民話』って形で語り継いでたんでしょうね?」
「ひとつは、狭い集落で人付き合いをしていくなかでの『緩衝材』的な機能があったのではないかと。直接的な個人名を出して話せない時に、カッパや座敷童子のような不思議な存在による物語に仕立てたほうが、話しやすかったと思うんですよね」
「なるほど。ゴシップ的に語るだけじゃなく、教訓を伝える目的もあるでしょうし」
「厳しい環境で生きるなかで起きる辛い出来事を『しょうがねえんだ』と受け入れるためでもあったでしょうね。元々は口頭伝承なので、語る側の意図がどんどん入りながら、時代を経ることで物語になっていったんじゃないかなと」
「もしかすると、今の僕たちが『最近こんなヤバいことがあって〜』とTwitterでつぶやくのと近いんですかね。一人で抱えきれない、誰かに言いたい、って感情で」
「そうかもしれませんね。昔は今よりも閉鎖的な社会だったから、変換して語っていた。それが口伝えで広まり、やがて『遠野物語』としてまとめられたと」
「ツイートがTogetterにまとめられて人気になり、書籍化するみたいな」
「そうですね(笑)。背景には、今の私たちと同じ人間の暮らしや感情、人生の物語がある。だからこそ、『遠野物語』の裏側を推測していくプロセスが面白いんですよ」
「『遠野物語』を書いた柳田國男のことも気になってきました」