こんにちは、ライターの友光だんごです。ここは神奈川県の「真鶴(まなづる)」という港町。
小田原と熱海の中間にあり、相模湾にちょこんと突き出た形をしています
仕事に疲れた……どこか眺めのいい場所で癒されたい……とぼやいていたら、神奈川出身の編集者・くいしんさんから「いい景色の町、神奈川にありますよ」と誘われまして。
夏のさかりに、とりあえず高台から町を見下ろしています。
「のどかだ……都会のストレスが溶けていく」
「どうですか、真鶴は?」
「ローカル感があって、落ち着きますね。いい景色……なのかな? 田舎っぽい、日本の原風景って感じではあります」
「『ジブリっぽい』って言う人もいますよ」
港から町を見上げた景色
「あ〜、ちょっとわかるかもしれません。『魔女の宅急便』でキキが飛んでた景色がこんな感じだったような」
「真鶴の特徴って、高いビルがないんですよ。しかも地形に沿って、低い建物が並んでる」
「言われてみれば、たしかに」
「というのも『美しい景観を守る条例』があるらしくて」
「ほうほう」
「バブル期に隣の熱海や湯河原は開発されたけれど、真鶴は町を挙げて開発を食い止めたそうなんです」
「えっ、わざわざ条例をつくって、美しい景観を守った? 町を挙げて?」
「そうなんですよ。日本の他の町って、大きいビルが建ったりチェーン店が並んでたりするところが多いじゃないですか。真鶴は違うんですよ」
「それが『いい景色』……! 俄然、気になってきました。他の町と違って、なんで真鶴は美しい景観を守れたんでしょう?」
「詳しい人がいるので、会いにいきましょう」
※取材は新型コロナウイルス感染症対策に配慮したうえで行ない、撮影の際だけマスクを外しています
マンション建設計画に立ち上がった、町長と3人の町民
はい、ということでやってきたのは『真鶴出版』さん。真鶴の情報を紙やWEBを通じて発信しながら宿も運営している、ちょっと変わった出版社です。
真鶴出版の代表・川口瞬さんにお話を伺います
「よろしくお願いします。川口さんは、もともと真鶴の人だったんですか?」
「いえ、出身は山口県で、2015年に夫婦で移住してきました。僕は出版業を、妻は宿泊業を地方の町でやりたいと思っていて、真鶴出版を立ち上げたんです」
「真鶴のどういう点に惹かれたんでしょう? やはり景色に?」
「景色もですけど、その景色が残っていること自体に惹かれたんですよね」
「残ってること自体、ですか」
「僕は学生のときに都市政策を勉強してたんですが、ヨーロッパでは経済成長よりも社会の成熟が早くて、条例などで景観が守られたんです。いっぽうの日本は、経済だけ先に成長して景観を守れなかった、と思ってたんですよ」
「ほうほう」
「ところが真鶴は、その逆を行ってたんです。経済成長に抗って、景観が守られていた」
「それって珍しいことなんでしょうか?」
「ローカルの事例でいうと、バブルが大きくて。当時は日本各地でリゾート開発が行われて、ホテルやマンションの建設ラッシュが起きたんです。熱海や湯河原が開発されたあと、真鶴にも50棟前後のマンション計画が持ち込まれました」
「50棟! スケールがもうバブルですね」
「当時はすごかったらしいですね。地上げ屋が黒塗りの車で押しかけて来るし、住民はマンション建設反対の運動を起こす。町長は板挟みになって、7日間行方不明になったこともあったそうで(笑)。誘拐とかではなくて、身を隠したんだと思うんですけど」
「ひいい、『マルサの女』の世界だ。土地をめぐって人の欲望が渦巻く時代……」
「その後、マンション建設に反対派と穏健派の候補が争う町長選が行われて、反対派の三木邦之さんが勝ちました。この三木町長が景観を守るために動いていくんです」
「町を守ったカリスマ町長がいたんですね」
「住民の側にもキーパーソンがいて、地元の三人の女性が中心となって反対運動を起こしたそうなんです。まず漁協の男性たちを『マンションができたら海が汚れて魚が取れなくなります』と説得して、漁協が反対派に回ったことで一気に情勢が動いたとか」
「『あそこを落とせば、あとは一気にいける』みたいなのがあったんですかね。カリスマ町長の影に三人の先鋒……完全に『キングダム』の絵柄で想像してます」
「人口7000人くらいの町の話ですけど(笑)。もちろん町にはマンション建設に賛成派の人もいたわけですが、三木町長の当選をきっかけに、開発はストップするんです」
「どうやって建設計画を止めることができたんですか?」
「最初は『水の条例』というのを町長に就任して3ヶ月後につくったんです。一定以上の高い建物には、水を供給しませんと」
「めちゃくちゃ力技だ!(笑)」
「その条例ができて、50棟を建てる計画は白紙になりました。ただし当時、似たような条例をつくって裁判を起こされ、敗訴した自治体があったんです。これはさすがに危うい条例だとなりまして」
「水はさすがに命に関わりますもんね…」
「そこで『美の基準』が生まれたんです」
まちの皆が共有できる「美」の基準とは?
「ちょこちょこ出てきてた『美の基準』、気になってました。これも条例なんですか?」
「正式には『真鶴町まちづくり条例』という名前で、これが通称『美の条例』と呼ばれています。そのなかに『美の基準』があるんですね」
「『美の条例』は、真鶴の町で建物を建てたり、土地を造成する際のルールや手続きを定めることで、無闇やたらな開発を防ぐようなものになっています。弁護士、まちづくりプランナー、建築家という3人の有識者を招いてつくられた条例なんですね」
「おお、今度こそ本当に3人の軍師が!」
「たしかに、まさしく軍師ですね(笑)」
条例がつくられるまでが書かれた本
「条例は『一定以上の高さは建てられない』みたいな数字的なルールで。いっぽうの『美の基準』は、数字だけじゃない、心を入れるものだと言われています」
「心を入れる……?」
「もう少し文学的というか。元々あった真鶴の美しさを8つの基準に分類し、69の項目にまとめたものなんです」
美の基準は「場所、格付け、尺度、調和、材料、装飾と芸術、コミュニティ、眺め」と8つの基準に分かれている
1.場所
建築は場所を尊重し、風景を支配しないようにしなければならない2.格づけ
建築は私たちの場所を再現し、私たちの町を表現するものである3.尺度
すべてのものの基準は人間である。建築はまず、人間の大きさと調和した比率をもち、次に周囲の建物を尊重しなければならない4.調和
建築は青い海と輝く緑の自然に調和し、かつ町全体と調和しなければならない。5.材料
建築は町の材料を生かして作らなければならない。6.装飾と芸術
建築には装飾が必要であり、私たちは町に独自の装飾を作り出す。芸術は人の心を豊かにする。建築は芸術と一体化しなければならない。7.コミュニティ
建築は人々のコミュニティを守り育てるためにある。人々は建築に参加するべきであり、コミュニティを守り育てる権利と義務を有する。8.眺め
建築は人々の眺めの中にあり、美しい眺めを育てるためにあらゆる努力をしなければならない。
69ある各項目では、写真とイラストを使ってさまざまな「真鶴の美しさ」についての説明が
「たしかに読んでみると、ルールというより『真鶴のここが美しいよね。だから大事にしよう』ってことが書いてあるような」
「ああ、そのニュアンスが近いですね。美の基準のなかで、例えば僕が好きなのは『静かな背戸(せと)』なんですけど」
「背戸?」
「車が通れないような裏路地のことですね。裏戸のことを『背戸』と呼んでたらしくて、背戸をつなぐ道ということで『背戸道』なんです」
「うちの宿では、宿泊者の方を1〜2時間ほど『町歩き』と称して町を歩いて案内するんです。そのときも必ず背戸道は通ります」
「へえ〜。そういえばこの真鶴出版に入ってくるまでの道も背戸道だったなあ。あ、これも面白いですね。『実のなる木』」
「『実のなる木を見てうれしくない人はいない』って書いてある。たしかに!(笑)」
「だいぶ文学的ですよね。『コミュニティ』って基準があるのもすごいと思うんです」
「コミュニティ」のページには、井戸端会議に興じる女性たちの写真が
「世帯を混合させるような建築、お年寄りが散歩できる空間の確保、生涯学習……。書いてあるのが、最近のまちづくり文脈で言われてるようなことばかり!」
「1993年につくられたものですからね」
「先見の明がある! ……というより、いまの都市から成長とともに失われたものなのかもなあ。そもそも『美』って主観的なものなのに、基準なんてつくれるの? とも思ってたんです」
「でも、これって真鶴の魅力やよさを言語化したものじゃないですか。言語化されてるからこそ、『これを守ろう!』となれるんじゃないかなと」
「そうですね。実際、『美の基準』が好きで移住した人も結構います。『美の基準』があることで、好きな人が寄ってくるし、移住者が引き継ぐことができる。これがすごく大きいと思うんですよね」
「新しい建物をつくるときも、『真鶴らしさ』を再現できると」
「普通の家を建てる場合は『美の基準』用のチェックシート』があって、そこから6個以上は満たす必要があるんです。僕なんかは好きすぎて、あまりに縛られすぎてしまったので、途中から『意識するのやめよう!』となったんですけど(笑)」
「基準の運用は町が主体になってるんですか?」
「役場のまちづくり課です。美の基準ができて数年は運用に苦労したそうなんですが、20年前に移住して来た卜部(うらべ)さんという方の存在が大きくて。卜部さんのおかげで、現在の町に基準が浸透している部分はあると思いますね」
「基準ができたあと、ちゃんと運用されているから今でも町に根付いているんですね」
真鶴の「いい景色」とは、元々あったもの
背戸道も案内してもらいました
「川口さんが真鶴以外で『ここ、いい景色が残ってるなあ』って土地はありますか?」
「地方にはいっぱいあると思いますよ。都市圏から離れれば離れるほど、いい景色も残りやすいかなと。真鶴は東京から1時間半圏内ですが、それくらいの距離で残せているのが稀有なんじゃないかなと」
「都市から近いほど、経済の影響も強くなりますもんね。ちなみに『美の条例』があるのは日本で真鶴だけなんでしょうか?」
「似たような条例は、川越にもあります。町単位ではなく、『一番街』という商店街単位のものなんですけど」
「時の鐘」という鐘の高さを超えないよう、条例で建物の高さが定められている
「あ、蔵づくりが残っているところですね。行ったことあります!」
「川越の一番街と真鶴の条例は、どちらも『パターンランゲージ』という考え方を元にしているんです。この考え方は、1970年代に、建築家のクリストファー・アレグザンダーが住民参加のまちづくりのために提唱したもので」
町や建物に繰り返し現れる関係性を「パターン」と呼び、それを「ランゲージ(言語)」として共有。単に建築家がつくるだけでなく、実際に住む住民たちが町のデザインに関わることを目指している
「アレグザンダーさんの日本代理人を務めたのが、『美の基準』に関わった弁護士の五十嵐先生なんですよね。先生曰く、パターンランゲージを実際に条例にして成功した町は、世界でも真鶴だけだと」
「なるほど! 真鶴は先進的な考えを海外から取り入れて実際に落とし込む、実験都市でもあったわけですね」
「そうともいえるかもしれません」
「ちなみに真鶴って、町の人口は減少してるんですか?」
「全体で見たら減っています。お店も減っていて」
「人口減は仕方ないけれど、お店が減るのは悲しい。最近も、お気に入りの肉屋が閉店してしまった」と語る川口さん
「ただ、社会増減(※住民の転入数と転出数の差)でいうと、ここ2年連続で増加になったんですよ。数人〜数十人プラスのレベルなんですけど」
「へえー! 移住者が増えてるんですか?」
「そうですね。真鶴出版経由でも、6年で50人以上移住してきていますし。あまり積極的に呼び込んでるわけではなくて、来た方のなかで『合いそうだな』と思ったら勧めてます」
「真鶴が合う人って、何か共通点がありますか?」
「高級品とかよりも、知る人ぞ知る、みたいなものが好きな人とか」
「あ〜、なるほど。けして派手な町ではないですもんね。そこに魅力を感じる人、と。同じ神奈川の逗子はコロナ以後、特に移住者が増えてるそうなんですが、真鶴はどうですか?」
「データがどうかまではわからないですけど、体感的には移住したい人が増えてるんじゃないかな。賃貸物件も全然出なくて、出てもすぐ埋まっちゃいますし。コロナが本当に収まったら、一気に増えるんじゃないかと思ってます」
「美しい景色が人を呼び、人口も少しずつ増えている。そもそも自分の町を好きになれるって大事ですよね」
「まあ、真鶴に住んでいる全員が『美の基準』を理解してて、『真鶴の景色、いいよね!』って感じでもないと思うんですけど」
「人口7000人前後とはいえ、そりゃそうですよね。いろんな人がいますから」
「景色のよさに気づいた人が、美の基準を知り、好きになって……みたいな流れはあるはずで。その『いい景色』も、元々、真鶴にあったものばかりです。そういう魅力に気づける人が、少しずつ増えているのかもしれません」
「あんまり気づかれてないだけで、『いい景色』って、実は日本のあちこちに残ってるのかもなあ……」
「あ、そうだ。美の基準のモデルハウスが真鶴にあるので、ぜひ見に行ってください。『コミュニティ真鶴』といって、『美の基準』に関わった建築家の池上先生が一年間、実際に真鶴に住んで設計したんです」
「行ってみます!」
おわりに
取材が終わり、背戸道をたどってコミュニティ真鶴を目指します。歩きながらふと目を上げると、実のなる木が。
「実のなる木」じたいは、他の町でも探せば見つかります。美の基準に挙げられたひとつ一つは、けして珍しくはありません。
けれど、それらを「この町の魅力なのだ」と言語化し、町の皆で共有しながら残しているのが、真鶴のおもしろさだなあと感じます。
「コミュニティ真鶴」の中庭に着きました
つまり、美の基準って「新しく何かを生んだ」わけではなくて。元々あったものに対して「これ、いいよね!」と価値づけて、皆で共有した。そもそもが美しくて、それを保ってきただけなんです。
この視点って、意外と見落としがちではないでしょうか。灯台下暗しと言うように、「うちの地元、何もないから」と私たちはつい思ってしまいます。ただし、「いい景色」はすでにあるのかもしれない……そう考えると、身の回りの風景も変わって見えるのでは?
そして、見落としていた「いい景色」に気づいたとしたら。その景色を残すためのヒントは、真鶴の物語に詰まっているのではないでしょうか。
編集:くいしん
撮影:藤原 慶