こんにちは、ライターの友光だんごです。右が僕で、左はジモコロ編集長の柿次郎さん。今日は一緒に、福井県の鯖江(さばえ)に来ています。
ここ鯖江は「メガネの街」として知られ、なんと国産メガネフレームの90%以上をつくっているそう。いま僕がかけているのも、地元メーカーである『谷口眼鏡』さんのサングラス。浮かれたにやけ面ですみません。
今日は朝から地元の方の案内で、メガネの製造現場だったり、
「吹き付け塗装」の現場だったり、
「手漉き和紙」の工房だったり……
いろんなものづくりの現場を見学してました。
「いや〜、おもしろいですね! 鯖江近辺はメガネだけじゃなく漆器や和紙の工房もたくさんあるし、まさにものづくりの街だなあ」
「今日こうやって見て、ローカルに必要なものを再確認した」
「おお、なんでしょう。お金? それとも移住者ですかね?」
「『じゃない人』」
「え??」
「ローカルには『じゃない人』が必要なんじゃない?」
急にこの編集長は何を言い出したんだろう? と思いますね。僕も思いました。
「『じゃない人』ってなんですか?」
「ものづくりの土地である鯖江で、ものづくりに関わらない人。『ものづくりじゃない人』って意味なんだけど。こないだ行った地方をテーマにした展示で紹介されてたんよね」
鯖江を含む日本の三地域の「土地・人・仕事」を紹介したGOOD DESIGN Marunouchi「山水郷のデザイン」展(主催:公益財団法人日本デザイン振興会)。『日本列島回復論』の著者である井上岳一さん(写真左)らがディレクターをつとめた/写真撮影:Huuuu
「日本中をまわって『地方の可能性』を考えてる井上岳一さんって人が、鯖江を面白くしてるのは『じゃない人』の存在だ、と教えてくれて。今日実際に現地を見ててその通りだと思ったんよね」
「まだ全然ピンときてないです」
「つまり『余白』の話なのよ。じゃない人を受け入れるには『余白』が必要。その余白がローカルを面白くする、気がする! 井上さんの言うことは大体間違いないから!」
「(井上さんへの謎の信頼……)」
ということで、今回の記事のテーマは「ローカルに必要な『じゃない人≒余白』」。
そして、その「余白」を生み出す「じゃない人」とは、こちらの方。
彼は森一貴(もり・かずき)くんです。僕たちを1日案内してくれていたのも、この方。
森くんは東大を卒業し、東京の大手コンサル会社で働いたあと、2015年に鯖江へ移住。ものづくりや教育関連のプロジェクトに関わったのち、今年8月から留学のため、フィンランドへ旅立ちました。
「じゃない人」がなぜローカルに必要? 「余白」がなぜ、ローカルを面白くするの? 僕の脳内をパンパンに占めていた疑問たちは、森くんと鯖江の人たちに話を聞くうちに解消されていきました。
それでは、ローカルの「余白」をめぐる取材のはじまりです。
※取材は新型コロナウイルス感染症対策に配慮したうえで行ない、撮影の際だけマスクを外しています
「じゃない人」第1号は、市役所勤務のデザイナー
「森くん、今日はいろいろ案内してくれてありがとうございます」
「わざわざ鯖江まで来てくれたので。もっと見たいところとかあります?」
「実は『じゃない人』について、もっと知りたくて」
「なるほど! じゃあ、新山(にいやま)さんのところで話しましょうか。新山さんは『じゃない人』ってワードの発案者なんです。そして僕より先に、鯖江で『じゃない人』だった人が新山さんで」
「『じゃない人』の創始者が。お願いします!」
ということで、やってきたのは鯖江にあるデザイン事務所「TSUGI」。
こちらがTSUGI代表の新山直広さん。森くんが鯖江に来た頃からお世話になっている方でもあります。
「なになに、今日はなんの取材?」
「『じゃない人』について知りたくて来ました」
「なるほどねー! たしかに僕と森くんは『じゃない人』だったなあ」
「新山さんのほうが、僕より何年も前に鯖江に来てるんです。もともと新山さんは大学生の頃に『河和田アートキャンプ』ってプロジェクトをきっかけに、鯖江に通うようになって」
「河和田アートキャンプ」とは、県内外の学生が鯖江の河和田地区で地場産業や自然を活用したアート制作に取り組み、地区の活性化を図るプロジェクト。2004年の福井豪雨の際に災害復興支援としてはじまったものの、新山さんの参加した2008年には地域振興がテーマになっていた
「プロジェクトの事務局や、地元の産業調査も担当していたので、職人のおっちゃんたちと仲よくなって、ものづくりの面白さも課題も知って。その流れで、鯖江の市役所にデザイナーとして雇われたんですよね」
「森くんは僕の講演をよく横で聞いてるので、内容を完コピできてるんです(笑)。たぶん僕より僕のことを喋るのがうまい」
「このまま2時間話せますよ! ただ市役所にデザイナーとして雇われたといっても、新山さんは建築系の大学生だったんですよね」
「え、デザイン系ではなく。じゃあ、デザインはどこで勉強したんですか?」
「独学ですね。職人のおっちゃんたちと話すうちに、鯖江みたいなものづくりの街では、産業が潤わないと地域活性なんて無理だ! と気づいて。そこで『デザインして終わりじゃなく、流通までやるデザイナーが必要や!』と思ったんですよね」
「へええ。でもそこで、なぜ市役所に?」
「独学デザイナーだから、誰も雇ってくれなかったんです(笑)。でも、市役所の産業振興をおこなう商工政策課って部署が拾ってくれて。ウェブマガジンや観光ガイドブックをデザイナーとしてつくったりしてました。その後、鯖江に大学時代の仲間たちが移住してきたタイミングで独立し、『TSUGI』を立ち上げたんです」
「新山さんは行政時代から一貫して、地域にデザインを入れていくことに取り組んでいるんです」
新山さんは市役所時代から鯖江に「めがねのまちさばえ」というイメージをつけることに尽力し、2017年には市のPRマークも手がけている
「このマーク、街のあちこちで見ました!」
「さらに『つくって終わりじゃなく、流通までやる』ために、自社で商品をつくったり、お店も立ち上げてるんですよ」
TSUGIの事務所に併設されたショップ「SAVA! STORE」。この施設全体を「TOURISTORE」と名づけ、観光案内所やレンタサイクル、漆器工房などの機能もそなえた、福井のものづくり旅の発信地として運営している
「自社ブランドの商品も地元の会社に製造を依頼して、産地にお金が落ちるようにしてます。自分たちのことは『インタウンデザイナー』と呼んでいて」
「インハウスデザイナーの街版ですか」
「そうですね。都会と違って、地方のデザインは流通や売り方とか、根っこの部分から関われる。それが面白くて、産地のデザインをやってる感覚ですね」
「めちゃくちゃ地域に根ざしたデザイナーとして活動してる…!」
「はじめに市役所にデザイナーとして雇われた時点で、新山さんも『じゃない人』なんですよ。行政内部で、既存の行政職じゃない人を雇うわけですから」
「当時の市長がすごいんです。僕を雇うときに『行政とは最大のサービス産業だ。そこにデザインが入ってないこと自体がおかしい!』って言ってくれて」
「伝説の市長ですよね。僕が鯖江に来た『ゆるい移住』も、市長肝いりのプロジェクトでしたもん」
「『ゆるい移住』って一体なんですか?」
「ざっくり言うと、移住してくれたら、住む場所を家賃ゼロで提供します。あとは生活費から何から全部自分でなんとかして! 自由です! って内容で」
「それはゆるい!」
「参加してるのも、いわゆるニートやフリーターの人が中心。森くんもそこに参加してたんよね」
「楽しかったですね〜。みんなで1軒家に住んで、毎日酒盛りをして。みんな僕らがニートなのを知ってるから、ビールや米を差し入れてくれるんです。家賃もゼロだし、みなさんの恵みで生きてました」
「一応、市の事業なわけですよね? それで大丈夫? って気になっちゃいますけど」
「結果として、ゆるい移住で7人来たうちの3人が会社を立ち上げてるんですよ。事業の全体予算も100万円くらいなので、結果としては大成功だと思います」
「結果はゆるくない。なぜ……?」
「ゆるかったからこそ、森くんみたいな人も来たし、その後の展開も生まれてるんじゃないかなあ」
エリートが田舎にやってきた
「森くんとの出会いは衝撃的だったんです。『こんにちは。森一貴です。僕は東京大学卒、大手コンサルティング会社で働いてたエリートです! 雇ってください!』みたいなメールが僕のところに来て」
「送ってましたね……」
「森くん、そんなガツガツしてたんですね」
「驚いたんだけど、『ゆるい移住』の人か、と思って。とりあえず会ったらそんなに変なやつじゃなかったので、デザインは未経験だったけど、とりあえず来てもらったんです」
「TSUGIはデザイン事務所ですよね。デザイナーじゃなくてよかったんですか?」
「森くんが来た当時、ちょうど『RENEW(リニュー)』ってプロジェクトの1回目を準備してたんです。とにかく人手が足りてなくて」
福井県中央部の丹南エリア(鯖江市・越前市・越前町)で年1回開催される、ものづくりを“見て・知って・体験する”体感型マーケット「RENEW」。期間中は約80の工房や事業所が一斉開放され、来場者数は約3万人
「僕が初代の事務局だったんですが、全然人手が足りてなくて。森くんにも看板づくりとかをお願いしてたんですが、あとから聞いたら『なんで東大卒のエリートなのに看板つくらないといけないんだ』と思ってたらしい(笑)」
「ちょっとだけですよ、ちょっとだけ!」
「笑。前職のコンサル会社では、もっと頭を使う仕事をバリバリしてたわけですもんね」
「そうそう。それまで得意だったエクセルやパワポのスキルが、この街では何の意味も持たない。自分のやれることがない、って当時は思ったらしい」
「『じゃない人』って聞いたとき、そこが一番気になったんです。職人やデザイナーじゃないと、ものづくりの街で能力を発揮できないわけじゃないですか。どうやって、そこから『森くんが必要だ!』となったのかなと」
「森くんは、めんどくさいことを全部やってくれたんですよね。看板づくりみたいな泥臭い作業もそうだし、僕たちの話を聞いて書類に落とし込んだり、行政の人とコミュニケーションをとったりする事務的な能力もすごく高い。それでだんだん、評価を得て」
「おおっ」
「次に会議の議事録をとったり、事務局の連絡ツールでSlackを導入したり、いろんなことを整理してくれた。するとだんだん、『森くんがいると円滑にプロジェクトが進むぞ?』とみんな気づいてくるわけです」
「ついに森くんの真価が発揮されてきた!」
「だから森くんは、プロジェクトマネジメントの価値を鯖江に伝えてくれたんです(笑)。実際、有能な人間だったし、ほんとは『ゆるい移住』で半年だけ鯖江に住んで、そのあとは教育関係の会社に行くことも決まってたんやんな? でも、結局そこには行かず」
「次の進路を蹴って、鯖江に残ったんですね」
「『ゆるい移住』のメンバーはニートやフリーターが多いから、そこに感化されたのかな? とも思ってる(笑)」
「行く予定だった会社へ断りの電話をかけた後に、『ゆるい移住』の仲間たちが『こっちの世界へようこそ!』と言ってくれたのを覚えてます」
「当時はほぼニートだったかもしれないけど(笑)、よく言えば、フリーランス的な世界への仲間入りだよね。鯖江は元々、フリーランスの街なんです」
「メガネも漆器も分業制だから、個人事業主レベルの小さい会社がたくさんあるんですよね。メガネ関連の会社だけで530くらいある。自分でやるって働き方が元々強い土地だったので、僕もそれに影響を受けて、自分の『理想の教育』があるなら、自分でやればいいんだって気づいたんです」
「そもそも『ゆるい移住』が『じゃない人』を引き寄せる力になっていて。『よくわからないけど、なんか面白そう』とやって来た人が、次第に自分で何かはじめていくという」
「なるほど。森くんみたいに最初から役割が決まってるわけではないけれど、後からどんどん価値が発揮される存在が『じゃない人』なんでしょうか?」
「うーん、別に価値が発揮されなくてもいいんじゃないかな」
「え?」
「森ハウスには、まさにそんな存在が集まってる気がします。ちょっと行ってみましょうか」
ローカルには“じゃない人”が必要だ
こちらが森くんが運営するシェアハウス(通称:森ハウス)。縁側でギターを弾く森くん、さまになるなあ
「ここは名前のとおり、森くんが家主のシェアハウスです。ここ以外にもう2軒あって、10数人くらい住んでるのかな。みんな森くんがさらってきたんやんな?」
「さらってきたというか(笑)。あんまりルールを設けてなくて、気軽に誘ってるだけです」
「森くんがあちこちで声かけてるみたいで、いつも気づいたら人が増えてるんです。ここの住人からTSUGIで働くようになった人も何人もいるし、人材バンクみたいになってる」
「そんなことってあるんですね? 森くんがスカウトしている?」
「スカウトも違うかなあ。適当です」
「適当なのに、人材バンクみたいになることあります?」
「なんて言うか、森ハウスは『余白』って感じがする。特に目的のない人でも受け入れる。住人にニートやフリーターも多いしね。たとえば、この森ハウスのヒエラルキーがすごく面白いんです。森くんが一番下」
「家主なのに!?」
「なぜかというと、一番忙しいから。森ハウスでは暇なほど偉いんです。通称『本D(ホンディ)』って子はニートなんだけど、ヒエラルキーのトップで」
彼が本Dさん。本名は本田雄大。
「なんで暇な人が偉いんでしょう?」
「『ちょっと手伝ってほしい!』みたいなときに、暇だとすぐ動けるでしょ?」
「え、そんな理由ですか? 助かるとは思いますけど、それって家事とかイベントの手伝いとかのレベルでは…?」
「鯖江に来たときの森くんも、同じだと思うんですよね。デザイナーでも職人でもなかったから、RENEWに巻き込めた」
「……たしかに。もし森くんが最初からデザイナーで、TSUGIのデザイン業務をお願いできてたら、看板づくりは頼んでないかも」
「ローカルって都会に比べて圧倒的に人手が少ないから、人材の価値が高い。でも、その『人材』って、具体的な職業じゃなかったりするんです。『いろんなことをお願いできる人』が重宝される」
「都会にはだいたいのプロが揃ってますけど、ローカルはそうじゃないですからね」
「だから森ハウスは人材バンクで、暇な人が偉いと」
「さっき、森くんがプロジェクトマネジメントの価値を鯖江に伝えたと言ったけど、功績は他にもあると思ってて。鯖江のものづくりメーカーで、職人さんだけじゃなく、SNS担当の人を雇うような動きが起きてるんです」
「横文字の職業への抵抗を森くんが取り払った……?」
「それもあるけど、今までになかった職業の人を雇うとき、いきなりフルタイムは難しかったりするじゃないですか」
「まあ、そのぶん人件費もかかりますし。職人さんに比べていきなりフルで雇うハードルはありますよね。だからこそ導入しづらそうな」
「会社としては、週3日くらいから導入したい。そこの枠に、暇な人ならピッタリはまるじゃないですか。フリーターで、週3日くらいなら働きたいな、みたいな」
「それがまさか、森ハウスの住人から!」
「そうなんです(笑)。森ハウスにいる若者なら、SNSやネットに強い子も多いし。森くんがどこまで狙ってやってるかが謎なんですけど」
「無計画」を計画する
「聞けば聞くほど、森くんが謎ですね。エリート街道を捨ててゆるっと鯖江に移住したのも、鯖江でゆるいけど確実に需要のある人材バンクをつくってるのも。ひょっとして全部、計算してる?」
「そんなことないです(笑)。何も考えてないというか、『無計画な状態』が面白いと思って行動してるのかなあ」
「無計画な状態???」
「『こう動いたら、こうなる』って計画して、その通りになっても、面白くないと思ってるんです。予測できないことが起きてほしい。だから鯖江に人を誘うときも、『この人が来たらこうなるだろう』とかは思ってないです」
「何が起きるかわからない=無計画な状態ってことですね」
「そうそう! その状態になるような枠組みは、意識してつくってるかもしれない。うちのシェアハウスがそうですね。みんなが自由に楽しくやってて、結果、何か新しいことが起きるような場所」
森ハウスの隣には、森くんが運営する小さな書店もある
「そういえば、森くんは『こうあるべき』ってことを避けるよね。プロマネはこうあるべき、とか。でも一方で、プロマネってめちゃくちゃ整理して、計画する役割。それと無計画な状態でいたい、はめちゃくちゃ矛盾してない?」
「全然やってることは違うけど、僕の中では両立してますよ! みんなが自由にやってほしいだけなんです。みんなが楽しく、どんどんよくわからなくなってほしい。そのための枠組みを全力で計画している、ってことなのかもしれないです」
「よくわからない状態が理想」
「そういえば『ゆるい移住』でも、森くんたち移住者を迎え入れた当時の市長の第一声が『鯖江を実験台として使ってください!』だったなあ」
「そうそう、あれはアツかったですね。だから僕たちも自由にやったし。鯖江にこんな長くいる気はなかったですもん」
「それが結果、RENEWの事務局長までやって、森ハウスを立ち上げて」
「最初からガチガチに枠組みを決めるんじゃなくて、自由にやれる余白を残しておく。すると森くんみたいな『じゃない人』も入り込めるし、そこから新しい何かも生まれるってことなんですかね」
「そうですね。あ、最後に谷口さんの話も聞いていってほしいな。僕や森くんみたいな『じゃない人』を受け入れてくれた人って意味では、谷口さんが大きい存在だったので」
森くんがいなくても大丈夫、にならないといけない
ということで、最後にやってきたのは「谷口眼鏡」さん。代表の谷口康彦さんに話を聞きます
谷口眼鏡さんは、2018年にもジモコロで取材しています
「今日は『じゃない人』の取材ということで、新山さんと森くんにいろいろ話を聞いてまして」
「なるほどね。新山くんも森くんも、相当無理もして、RENEWという場を育ててくれましたね」
「ちょっと補足すると、まず2015年に、谷口さんがこの河和田地区の区長会長になったんです。ものづくりがさかんな地域だったので、『地場産業を盛り上げて、村おこしをしよう!』とはじまったのがRENEWで」
「新山くんや森くんみたいな『じゃない人』が産地に関わってくれたおかげで、今のいい流れが生まれたんだと思いますね」
「RENEWがはじまって6年経ちますけど、新たにファクトリーショップやギャラリーが20以上オープンしてるんです」
「まさに『じゃない人』が街を変えている……!」
「最近、新山くんと次のRENEWについてよく話してるんです。森くんもフィンランドへ留学しちゃいますから」
「RENEWを支えた貴重な人材がいなくなっちゃうの、大変じゃないですか?」
「スーパーマンがいなくなっても大丈夫な街にならないと、と思ってますよ。これから、鯖江の第二期がはじまるんだなと」
「第二期、ですか」
「RENEWをはじめる前の鯖江は、すごく受け身だったんです。国や自治体から大きな予算と青写真が降ってきてその通りに何かをつくる、ということばかりで疲弊してました」
「受動的に上から言われたものをつくるばかりで、自分たちで何かをつくっている実感がなかった…?」
「そうですね。でも、RENEWを通じて『自分たちでつくる』ことの価値を再発見した。だから、それぞれの産業の若手にも『自分たちの街や産業は自分たちの力でつくっていくんだ』、という意思が根付いてほしいと思っています。RENEWは、彼らの背中を支える存在でいいんじゃないかなと」
「みんなに『自分たちでつくる』意思があれば、僕たちみたいな創設期の人間がいなくなっても、きっと街は大丈夫なんですよね」
「鯖江には、ありがたいことに若い人が『なにか面白そうだな』と来てくれることが増えた。そこで移住してくれる人もいる。もちろん10年、20年と住んでくれたら嬉しいけれど、彼ら、彼女らが数年で出て行っても、それはそれでいいんじゃないかと思っていて」
「『ずっといてくれ』とは思わない?」
「鯖江にいる間に、いい街だな、面白いな、と思ってくれればいいんですよ。そのあとで次の街へと飛んでいっても、ちゃんと『鯖江はいい街だったな』と思ってくれていれば、いつか新しい実を生んでくれるんじゃないかな、と」
「僕もフィンランドへ留学しますけど、鯖江との縁がいきなり切れるわけじゃないですし。鯖江のプロダクトをフィンランドに持って行ったらどうなるだろう? とか考えてますね」
「街への愛情みたいなものを抱えた人が増えていけば、そこから新しい何かが生まれるかもしれない」
「そうだね。そうやって広がっていくことが、スーパーマンがいなくなった後どうするか、の答えのひとつかもしれないなあ」
おわりに
TSUGIの事務所が入ったビルの屋上で。上司と部下というより、兄弟のような、同志のような、不思議な空気感のふたりでした
この記事が出るころ、森くんは鯖江にはいません。
鯖江の皆さんは、森くんの旅立ちを惜しみつつも、晴れやかに見送っているようでした。そのけして執着しない態度は、「余白」の裏返しのようにも思えます。
来る人を拒まず、去る人を追わない。街にいる間は全力で面白いことを一緒にやろう。そんな態度が、街の「余白」を生むのではないでしょうか。そして「余白」は「じゃない人」を呼び、地域に新しい価値が生まれる土壌となるのでは?
ローカルには「じゃない人」が必要。言い換えれば、ローカルには「余白」があったほうが面白い。森くんは、そんなことを気づかせてくれました。
☆森くんの案内で『越前和紙』を取材した記事もどうぞ↓
編集:くいしん
撮影:小林直博