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【伝説】日本にクラフトビールを持ってきたレジェンドの苦くてウマい発泡的人生

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【伝説】日本にクラフトビールを持ってきたレジェンドの苦くてウマい発泡的人生

 

こんにちは、日向コイケです。
今回は札幌のとあるビアバーに来ています。

 

札幌といえば、味噌ラーメン、海鮮丼、スープカレー……とおいしいものがたくさんありますが、忘れてはいけないのがビール

実は札幌は、日本人の手によって初めて本格的なビール醸造が行われた場所で、いわば日本のビール発祥地なのです。

近年は小規模な醸造所でつくられる個性的なビール、いわゆる「クラフトビール」が盛り上がりをみせていますが、実はここ札幌に、日本にクラフトビール文化を伝えたレジェンドがいることをご存知でしょうか。

 

それがこの方、

フレッド・カフマンさんです!

 

フレッドさんは、日本に初めてアメリカのクラフトビールを紹介した、いわばクラフトビールのパイオニア。1994年に地ビールブームが起こる前から、世界中の先進的なビールを輸入し日本全国に販売しています。

 

彼が経営するビアバー『BEER INN 麦酒停(ビアインむぎしゅてい)』は、日本に現存する最古のビアバーのひとつ。お店の壁面には300種を超える世界のビールがずらりと並んでいます。

 

今回はそんな彼に、日本でお店を開くまでの経緯や、日本のビール文化の盛り上がりについて聞いてみました。

※こちらの記事は2020年10月に取材したものです。写真については、撮影中のみマスクを外しています。

日本最古のビアバーが生まれるまで

「今日はよろしくお願いします! あの、ここまで来てなんですが、取材は日本語でも大丈夫でしょうか?」

「あー全然OK。こう見えて、もう40年以上年札幌に住んでるからね。でも私、話のトレインがレールから外れるってよく言われるから、もしそうなってたら教えてね。アハハハハハ!!!」

 

「(見た目通りの豪快さだ)早速ですが、フレッドさんは日本にクラフトビールをもってきたパイオニアだって聞きました。それって本当ですか?」

「そうよ。私が初めて、日本にアメリカのクラフトビールを仕入れた。それが1992年。日本は1994年に酒税法が改定するまで、小規模なビールづくりが禁止されていたから、実質『日本にクラフトビールをもってきた』ってことになるね」

「めっちゃすごい。ちなみに改めて確認したいのですが、クラフトビールってどういったものを指すんでしょうか?」

「簡単に言うと、『少量生産でこだわりのある職人のビール』って感じかな。よい材料とよい技術を組み合わせて最高のものをつくる。いわば工芸品みたいなものだね」

「だから『クラフトビール』って呼ぶんですね。フレッドさんはどういった経緯でこのお店を開いたんですか?」

「私が日本に初めて来たのは1971年。当時アメリカはベトナム戦争の真っ只中だけど、私は戦争に反対していて、徴兵制を避けるために高校を中退してアジアを旅行していたの」

 

日本に訪れたころのフレッドさん(本人提供)

「このころからすごい貫禄ですね」

「日本はその旅行中に訪れた一つでね。あまりお金もなかったから、最初は1週間くらいで十分かなと思ってたんだ」

「じゃあ最初から日本に特別な思い入れがあったわけではなかったと」

「そう。でも東京でホームステイ先としてお世話をしてくれた人が『お金がないならうちでバイトしない?』って誘ってくれて。せっかくなら日本にもっと長くいたかったし、新小岩の段ボール工場で日当1,000円で働くことになったの」

「日当1,000円!? 激安じゃないですか」

「いや、1971年の日当1,000円は悪くはない。ただね、日本には梅雨があるでしょ。私はロス生まれだから蒸し暑いのが苦手。しんどいなーと思ってたら、人づてに札幌は涼しいよって聞いたんだ。地図を見たら札幌-東京間はロスとサンフランシスコくらいでしょ。ヒッチハイクで行くのにちょうどいい距離だった

「さすがアメリカ出身、距離感のスケールがでかい」

「無事たどり着いたら、さらにラッキーなことに札幌は翌年に『冬季オリンピック』の開催を控えてたんだよね。世界中から人が集まるってことで、私は英会話の先生として引っ張りだこ。高校も卒業していないのに『先生、先生』って呼ばれて。あー、幸せだった(笑)」

 

「1972年というとちょうど高度経済成長期と重なってるし、景気もかなりよかったんじゃないですか?」

「そりゃあもうすごかったよ。でも当時は体力が有り余っていたし、もっとお金を稼ごうと思って、並行してビールバーでも働き始めたんだ。当時はビール樽が木だからめっちゃ重いんだけど、私は若くてマッチョだった。樽をたくさん運んで、感謝されてたよ」

「そこが日本でのビールとの出会いだったと。そこからずっと日本に?」

「いや、結局ベトナム戦争が集結するまで3年くらいはアジアをフラフラしてた。帰国後はキャビンアテンダンドになりたくて、ロスの大学に進学したんだ。大学4年のときに交換留学で早稲田大学の国際学部にきて、卒業と同時に日本に残ったの」

「フレッドさん早稲田生だったんですね!なんで卒業後も日本に残ろうと思ったんですか?」

「別に最初から残ろうと思って留学しにきたわけじゃないんだよ。あと一年いたらもっと日本語がうまくなるんじゃないか、の繰り返しで気づいたら40年」

「なるほど。早稲田を卒業したら、すぐに札幌に向かったんでしょうか?」

「東京はやっぱり蒸し暑くて……。一年くらいで札幌に戻って、この場所の斜め向かいにあったジャズ喫茶で働くことにしたんだけど、オーナーにめっちゃ気に入られてね」

「行く先々で大活躍だったんですね」

「最初この場所はそのオーナーがジャズクラブを開く予定だったんだけど、色々あって白紙になっちゃって。その代替案として『この場所でフレッドのお店をやってみない?』って誘われたの。それで『麦酒停』が始まったんだよね。それが1980年」

 

『BEER INN 麦酒停』は1980年にオープンした

「ここってジャズクラブになる予定だったんだ。というか急展開すぎますね!でもなんでビアバーを開くことに?」

「当時の私は日本語が下手だし、料理はできない、カクテルも振れない。何をやるにも難しかった。でも、さすがに栓抜きはできた。それで、ビアバーにしたの」

「え、そんな理由で! 開店当初からクラフトビールを扱ってたんですか?」

「いや、最初はバドワイザーとかハイネケンとか、メジャーなものばかり。でも私は旅が好きだったから、世界中を旅行してはビールを買ってきて、お客さんに紹介したんだ。それがコレクションのはじまりだね」

 

「そうして気づけば300種類を超えていたと。改めて尋常じゃない数ですね」

「私は負けず嫌いだから、どんな店にも数では負けないと決めてたの。でもビアバーのオーナーなら、知識もないとダサいでしょ? それで世界中のビール工場やビアバーを巡りながら勉強しているうちに、どんどんビールにハマっていったんだ」

札幌でビールが盛り上がったのは『地元経済』のため

「そもそもなんですけど、ビールって元をたどれば外国発祥のお酒ですよね。どういう経緯で日本の大衆的な飲み物になったんでしょうか?」

「札幌のビール文化は、『クソ苦い飲み物を札幌の経済のために我慢して飲みましょう』っていうのが始まりだと思うよ」

「クソ苦い飲み物を我慢して飲む……?」

「サッポロビールってあるでしょ。あの会社は明治政府がつくった『開拓使麦酒醸造所』が元になってて、札幌の未来を担う大企業として一生懸命ビールをつくってたの。でも、当時の日本人にとってビールは『苦い』というイメージが強かった

「そのころだと日本で『お酒』といったら日本酒ですもんね」

「そう。でも地元の名士たちが札幌の企業を応援するために、『みんなでビールを飲もう!』っていう会を結成したんだ。ちなみにそれは『サッポロビール会』っていう名前で今でも残ってるよ」

 

「へー! じゃあ日本人は、ビールを我慢しながら飲んでいくうちに好きになったと」

「そうだね。日本にビール文化が定着したのは、もちろん企業の努力もあったと思うけど、札幌に関しては地元愛が大きな支えになっていたんだよ」

「いい話だなぁ」

ビールの魅力を知らない人に「提案」するのが楽しい

「それにしてもこのお店、本当にたくさんの種類がありますね……。あれこのビール、ラベルにフレッドさんが描いてある。オリジナルビールも作ってるんですか?」

 

「そう、これは私がプロデュースしてる『蝦夷麦酒(えぞビール)』の商品。1992年にオレゴン州の『ROGUE(ローグ)』という老舗ブリュワリーと合同で立ち上げたんだ。2019年からはローグの職人が独立して設立した『カルデラ』とつくっているよ」

「へー!『なまらにがいビール』に『ひぐま濃いビール』……どれも名前がユニークですね。でもこれだけたくさんのビールを扱ってるのに、どうして自分でつくろうと?」

「最初は『北海道のクラフトビールをつくりたい』と思ったのがきっかけかな。当時、アメリカにも信頼できる醸造所があったから、うまく北海道らしさを組み合わせてそのよさを伝えたかったんだ」

「アメリカと北海道をバックボーンにもつフレッドさんならではのビールですね。おもしろいなぁ」

「自分のつくったビールを飲んでもらうのと、海外の珍しいビールを紹介するのは別の喜びがあるよね。あ、それでいうと日本人はよく『とりあえず生』って言うけど、私からしたらあれはNOT GOOD

 

「え、『とりあえず生』のなにがだめなんですか?」

レストランに入って、『とりあえず食べ物』って言わないでしょ? それと一緒で、職人が一生懸命つくってるんだから敬意を払わなきゃ。あと『発泡酒』っていう言葉も私はNOT LIKEだね」

「それはまたどうして?」

あれは酒税を区別するための言葉だから。『発泡酒』に『安物』とか『偽物』のイメージを持ってる人多いけど、実際そうでもないんだよ。海外では伝統的なビールなのに、日本に輸入すると『発泡酒』と書かれてしまうこともある」

「海外には『発泡酒』という言葉がないんですか?」

「ないない。それこそ昔はビールに酒税自体なかったんだよ。それが変わってしまったきっかけは日露戦争。ようは戦争をするお金を集めるためだった。日本には平和憲法ができたんだから、その段階で酒税はなくすべきだったと思う」

「戦争のための仕組みが、ずっと残っちゃってるんだ」

「そうよ、ビールにはなんも罪はないのに。でもこの間、消費税が10%になったでしょ? それに合わせてアルコール10%の『YAKEZAKE BEER(ヤケザケビール)』っていうビールをつくったんだよ、おもしろいでしょ。アハハハハ!」

「そんなノリでビールがつくられているんですね」

日本の他の場所じゃダメ、札幌じゃなきゃダメ

「フレッドさんは東京に進出しようとかは思わないんですか?」

「いやね、みんなそう言うんだよ。「東京にこのお店を出せばもっと儲かるぞ」って。そのたびに私は『フランチャイズなら、安く分けますよ』って返してる」

「なるほど、やってくれと」

「そう。応援はするし、交通費をもらえれば月に2回は見に行くけど、札幌が好きだから他の場所には住みたくないね。札幌じゃなきゃダメ」

「札幌の何がそんなにいいんですか?」

札幌はね、大都会のいい条件も、田舎のいい条件も全部ある。東京は街ごとに特徴があるけど、それぞれの良さを味わうのに移動しなくちゃいけないからめんどくさい。すすきのなら全部揃う。人口も天気もちょうどいいし、空気も綺麗だから、東京から帰ってきたら、深呼吸しちゃう」

「北海道は自然も豊かですもんね」

「そう、ウィンタースポーツも盛んだよ。ちなみに北海道で一番最初にスノーボードに乗ったのは誰だと思う?」

「え、突然! 誰だろう、クラーク博士とか?」

「おしい。答えは『私』

 

「えーー!それはさすがに疑っちゃうな」

「実はスノーボードってアメリカが発祥なんだよ。これは絶対流行ると思って、日本の大手スポーツメーカーにプレゼンしたんだけど、『日本人はスキーはするけど、そういうのは絶対流行らない』と言われて。今思えば惜しかったな」

「クラフトビールのパイオニアに留まらず、スノーボードのパイオニアにもなるかもしれなかったんですね。さっきから話のスケールがでかいなぁ」

熱中できるものを見つけるには「やりたかったらやる」

「いやーおもしろかった。最後にちょっと個人的な質問いいですか? 実は僕今日がちょうど誕生日で、28歳になったんですよ」

「おお、おめでとう! 私がこのお店を始めたのも、28歳くらいだったなぁ」

「フレッドさんは40年以上ずっとビール業を続けてきたわけですが、人生をかけてずっと熱中できるものを見つけるには、どうすればいいと思いますか?」

「うーん……」

 

「やりたいと思ったことはすぐにやる、かな」

「やりたいと思ったことはすぐにやる……」

「そう。もちろんなにかを始めることはハードだよ。私がこのお店を立ち上げた時も、同業者の間で『あんな外国人のお店、1年も続かない』って噂されたこともあった」

「40年前はフレッドさんのように、海外から日本に来てお店を始める人も少なかったですもんね……」

「そうそう。お店にベンチがあるでしょ? あれはお店を創業したときに大工につくってもらったんだけど」

 

「うわー、すごい使い込まれてる!」

「お店ができて5年目くらいの時にその大工が遊びに来たんだよね。昔話で盛り上がってたら、いきなり『あのベンチ、このお店がこんなに続くと思ってなくて、少し手を抜いた。申し訳なかった』って謝られたの」

「すごいカミングアウトだ。その話を聞いてどう思ったんですか?」

「今じゃ笑い話だけど、当時はそりゃ悔しかったよ。お客さんが一人も来ない日もあったし、取引で人に騙されたこともあった。でも私は負けず嫌いだからね。やりたいことをやり続けてここまできた」

「40年間を振り返って、後悔することとかあります?」

「当時はあったけど、今は全然ないよ。ビールに出会えてよかったね。一流大を卒業して給料の高い会社に入社できたとしても、クソ面白くない人生をおくるんじゃ意味がない。私はおもしろくて好きなことができてるから幸せ」

 

「70歳になると、身体がキツいって仕事をリタイアする人もいるけど、私はどこも悪くないよ。ビールをめちゃめちゃ飲んでるのに、肝臓も大丈夫だし、痛風にもなってない。あまりにも元気だから、若い人にも驚かれるんだ」

「すごい」

「何がいいたいかと言うと、私は熱中できるものを『見つけた』んじゃなくて『見つけられた』。『looking』じゃなくて『it found me』って感じなんだよね」

「ビールを見つけたのではなくて、逆にビールに自分を見つけてもらったと」

「そう。私はビール文化のパイオニアとか言われるけど、たまたま続けていたら、巡り合っただけ。だから君もなにかを夢中でやっていたら、きっと見つけてもらえるさ。やりたかったらやったらいいんだよ」

「なるほど……。なんかフレッドさんの人生ってビールみたいですね。誕生日にこのお店に来れてよかったです。またビール飲みに来ますね」

「Yeah。いつでもウェルカムだよ」

 

 

構成:佐々木ののか
写真:小林直博


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