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「普通」じゃなくてもいいのかな? 91歳のスーパーウーマンに悩める23歳が人生相談

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「普通」じゃなくてもいいのかな? 91歳のスーパーウーマンに悩める23歳が人生相談

初めまして、ライターの後藤ななです。

私は今、23歳。大学院に通っています。学生生活も残りあと僅かとなり、将来はフリーランスのライターとして働いていきたいと思っているのですが、不安もあって…

 

いわゆる「普通」とは違う生き方ってすごく不安!

 

ということ。大学時代の同期は、ほとんどが会社員として毎日働いています。そんな中、フリーランスという周りの人とは違った生き方をして、自分は本当に大丈夫なんだろうか…と、モヤモヤとした日々を過ごしていました。

 

そんなとき、ジモコロ編集長からある一人の女性の話を聞きました。その方が、樽川通子(たるかわ・みちこ)さん。

 

1929年(昭和4年)生まれ、現在91歳。長野県の下諏訪(しもすわ)町に住む樽川さん、実はとてもすごい人なんです。

 

・1983年、町の人から大反対されながらも地元の町議会議員に立候補

・54歳で当選後、約16年間にわたり議員として働く

・さらに、長野県内で女性議員を増やす活動を約30年間続ける

・2007年には長野県の女性議員率を日本全国で1位に

・今は、現長野県知事・阿部守一(あべしゅいち)知事の後援会長も務める

 

などなど。

 

長野県の政界では知らない人はいないほどの有名人なんですが、その中でも、私が一番驚いたのが「町の人から大反対されながらも議員に立候補した」というところです。そして、率直にこう思いました。

 

「私だったら、批判されたら辞めたくなる…」ということ。

 

私は、「怒られるより、褒められて伸ばされたい!」と思っている人間なので、これから社会人として直面するであろう「批判」とどう向き合っていけばいいのかも、将来の悩みの一つです。

樽川さんが議員になったのは、まだ女性が政治の世界に進出すること自体めずらかしかった時代。ましてや議員という仕事は、厳しい言葉を投げかけられることも多かったはずです。

 

そんななかで自分の道を歩んできた樽川さんなら、私の将来の悩みを晴らしてくれるアドバイスを頂けるはず。ということで、下諏訪町へお話を聞きに行きました!

 

諏訪地方で、7年に一度行われる「御柱祭」。樹齢150年を超えるモミの大木を人力のみで山から移動させ、諏訪大社の社殿の四隅に「御柱」として建てるお祭り

 

下諏訪のスーパーウーマン、樽川通子

やってきたのは「サロンしもすわ」。樽川さんと地元の方たちが営む喫茶店です。

 

「サロンしもすわ」の窓に貼られていた「メニュー」「足のマッサージ」「『平家物語』勉強会」。あまり見たことのない組み合わせです。

それでは、早速お話を聞いてみましょう!

 

「初めまして、今日はよろしくお願いします」

「はい、よろしく」

「今日はですね、お聞きしたいことがたくさんあるんですが…」

「まず、温かいうちに大根食べい」

 

「わ! ありがとうございます!」

「大根は温かいと美味いんですよ。ハブ茶も、今日ちょうど近所の人からもらったんで飲んでいってよ」

「ハブ茶?! まさかあのヘビの……?」

「ハーブティよ」

「(良かった……)おいしい! 実は私、今回が初めての取材なんです。緊張していたんですが、温かいお茶を飲んでホッとしました」

 

「そうかい? 私はおしゃべりが好きだからさ、たくさん質問してちょうだい」

「ではですね、今日は、樽川さんに私の悩み相談もさせていただきたくて」

「あなた、今は何やってる人?」

「今は学生です」

「良いねえ、若いときは二度となくてすぐ歳取っちゃうよ。私はね、それこそ議員になる前から色んな活動をやってきたの」

 

著書『信濃に生きて』より、当時の樽川さんの写真

 

1980年代に出版された『下諏訪町の女衆ー選挙 その証言』。樽川さんのキャリアは、「会長」「委員長」などが多く並んでいる

 

「ほんとだ。まさにリーダーって感じの経歴ですね」

「他にもね、地元の新聞に何度も実名で寄稿していたし、婦人会の会長もやってたの。議員になる前から私は、とにかく自分の意見を言ってたんだけど」

「どんなことを言っていたんですか?」

「たとえば、当時の婦人会の会長ってのは地元出身の者がやるっていう風潮がとにかく強かったの。私はね、生まれは群馬県なんですよ。だから、下諏訪が地元じゃなかったもんで反発されたんだけど、私もそれにうんと反発し返した」

「私ならそこで萎縮しちゃいそうです…!今でこそ、地方への移住は歓迎されることも多いと思いますけど、昔はむしろ冷たい空気だったんですね」

「もちろん、地元を大事にすることはいい面もあると思うのよ。そこの文化を大切にしてるってことだから」

「でも、それで新しい可能性を否定してしまうのは違いますよね」

「そうね。だけども、土着の風潮に反発しようなんてのは、男も女も怖くて当時はできなかった。おまけに私は女性だったから、『そんな声高々に意見を主張するなんて何事だ』って新聞への寄稿も騒ぎになって、まず議会で問題になったの

「えっ! 議会にまで?」

「そう。これは後から知ったこと」

「その話を聞くと、『意見ができる』ってそれ自体貴重なことなんだなって思いました。今、SNSとかでつぶやけることも、実は当たり前じゃなかったんですね」

「そうだねえ。ほいで、あるとき議会から5・6人が家にやってきて、『樽川通子ってのはあんたかい?夫の仕事は何よ』って言われたの。当時、私は食堂を営んでたんですよ。で、私は『そういうことを気にするのが間違いなんだ!』って言ったの」

「おお…! なんで私じゃなく、夫の仕事を先に聞くんだ、と」

「そしたら相手もびっくりしちゃって

「まさか言い返してくるとは、と思ったんでしょうね…。でも樽川さんみたいに率先して発言してくれる人がいると、色んな理由で発言できない人にとってありがたいことだなと思います」

「まあ、そういう風にして『樽川通子は、よくものを言う人だ』って知れ渡ったんだと思うよ」

 

ひっつめの髪にモンペをはいて、うす汚れて見えた日本の女たちが、化粧をした。花柄の洋服を着た。一年毎に女たちは美しくなった。平和の時代は女たち輝くことを知った。

さまざまな女たちがさまざまな場所に出て、さまざま活動を始めた。女だって、何でも出来るのだと、心が浮き立った。

平凡な妻となり、平凡な母となった。貧乏世帯のやりくりの中で、「世の中は変だぞ」と気付いたのは、その頃であった。

「疑問」や、「不安」、「怒り」などを新聞に投稿して、自分の書いたものが活字になる喜びを知った。

樽川さんの著書『信濃に生きて』より引用

 

必ずくる批判とどう向き合っていくべきか

「新聞の寄稿で騒ぎになるくらいなら、議員に立候補するなんて大変なことじゃないですか? 昭和の時代って、今よりもっと女性が政治の世界に行くことが珍しかったわけじゃないですか。いわゆる『普通』とは違う生き方だったというか」

「おっしゃる通りです」

「樽川さんは、そういった道を選ぶことは怖くなかったですか?私は今まさに、会社員にならないって選択肢に不安でいっぱいなんですけど…」

「私はね、怖くはなかったよ、ただあなたに一つ助言したいことがあって…」

 

「議員になってよ、あんた」

 

「え?!」

「一つの就職先としてさ、議員を考えてみてよ」

「私にはハードルが高すぎます……」

「いやいや、あなたみたいな若い人が地域を変えてくれたら、うんと良いよ」

「う〜ん、たしかに今の政治って若い人が本当に少ないですよね。でも、私だったら、議員みたいな批判される立場になるのってすごく勇気がいるし、怖いなって思ってしまいます。実際、Twitterの投稿でも頭の片隅には『批判がきたらどうしよう』って不安が…」

「私なんかはさ、何十年も先頭に立ってきたから山ほどの批判をされたよ。でもね、私自身は特にびっくりもしなかったし挫けるってことはなかった

「えっ! どうして……? 百戦錬磨で慣れてしまったとか…?!」

 

「まずね、何かをやれば必ず、必ず! 批判は来るの」

 

「必ず……」

どんなに一生懸命やったってね。いくら良いことを言っても、そうなの

「みんな出る杭を打ちたくなるんですかね……」

「だからね、もう一部の批判は仕方がない。だけども、そういった批判と向き合っていくためには何かしらの武器が必要だと思うよ

「というと?」

「何かを言ったりやったりするには、まず自分なりの知識が必要。私もまだ勉強中だし、分からないこともいっぱいあるんだけど、本は常に読んでる」

「なるほど〜。発信する側として、気をつけなきゃいけないことだなとも思います」

「最近はね、諏訪の歴史が書かれた本を読んだのよ。そしたら、『あ〜〜ここに何十年も住んでるのに知らないこともいっぱいあるんだなあ、良い言葉を残す人がいるんだなあ』って思って」

「あ!私、最近モチベーションが上がる言葉をノートに書いたりしてます!」

「あら。そうなの。あなたもね、これから『書く』っていう道に進んだら、叩かれたりおそらく色んなことを言われると思う。でも、やっぱり、言葉なり身につけた知識ってのは厳しい言葉に立ち向かっていくための支えになる。それにさ、『編集では他の誰にも負けないんだ』って堂々と言えるぐらいの武器を持ったときは、それはもうあなたの強さじゃん

「おおお…心強いですね。自信になっていくというか」

「そうよ、だから頑張りなさい」

「はい!」

 

「サロンしもすわ」には本もたくさんありました。これは、その一部

 

恩返しとして始めた「サロンしもすわ」

「サロンしもすわ」の入り口に書かれた言葉

 

「話は変わるんですが、ここ『サロンしもすわ』のことも聞きたくて…」

「あ、ちょっと待って人が来た。ありがとう〜、そこに置いて行ってくれや(食べ物を持ってきたお客さんに向かって)」

 

取材中、何人もの人が樽川さんに会いに来ていました。これは、柿を持ってきてくれたとき

 

「ご近所の方ですか?」

「うん、お客さん」

「近所の人が食べ物をお裾分けに来てくれるのって、なんか実家を思い出します。そもそも『サロンしもすわ』は、どんなきっかけで始めたんですか?」

ここはね、恩返しとして始めた

「恩返し?」

「元々ね、私のことを議員に推薦したのは町の女性たちだったの。私はそれまで、女性が議員になることはもちろん応援したいと思っていたんだけど、まさか『自分が行こう』なんてのは全く思ってなかった」

「へ〜〜!樽川さんを発掘したのは、周りの女性たちだったんですね!」

 

「そう。でね、その当時、町の女性たちがうんと政治参加に関心があって。私も、さっき言ったように新聞とか婦人会の会長でまあ有名になっていたから、女性たちが『議員に推薦するなら樽川さんだ』ってなったの

「なるほどなるほど」

 

地元・諏訪のケーブルテレビ「エルシーブイ」で、過去に樽川さんのドキュメンタリー『ウーマンパワー』(1983年4月25日放送)も制作された/写真提供(上の2点):エルシーブイ株式会社

 

「ほんで、選挙の時もうんと町の女性たちにお世話になった。そこで、私はお礼がしたいなって思ったの。でもさ、すぐ近くの人にはお礼を言うことができても、選挙の時に応援してくれたその他大勢の人にはすぐ言えないじゃない」

「新聞とかを見て陰ながら応援していた、って人も絶対いますもんね」

「だからね、もうあと何年生きられるか分からないけど、下諏訪の女性たちにたくさんお世話になったから、こうしてサロンでも開いて、みんなでお茶でもできれば良いな〜なんて思ったのがきっかけ」

 

左:『下諏訪町の女衆ー三度目の選挙と新風会の足あと』 右:『下諏訪町の女衆ー選挙 その証言』。樽川さんと町の女性たちによる選挙の記録が書かれている(どちらも1980年代のもの)

 

「きっと、お客さんも樽川さんがいるから会いに来てるんですよね」

「私にとっても誰かが来てくれるのは励みで、生活のリズムになってるのよ」

「生活のリズム?」

「私は元々、朝早く起きられない人なんだけど、やっぱりこの歳にもなるとね、『あ〜〜起きたくないなあ』って億劫になる時があるの。だけども、誰かが来るって分かっていれば起きてこられるでしょ?気合になってるのよ」

「『サロンしもすわ』は、樽川さんの元気の源なんですね」

いやでもね、90歳はもう人間の限界よ

「(樽川さんの表情に影が……)」

 

もうバトンタッチの時

「樽川さんのエネルギッシュさに圧倒されてたので、弱音が飛び出して、少しホッとしちゃいました」

「いや、人間は機械と一緒よ

「あ〜、駆使すればするほどやっぱり歪みが蓄積されていくというか…」

私はずっと、お声がかかったら断らないってことを信条にしてきたんですよ。だけど、も〜〜う…やっぱり歳を取るってのは大きいねえ。動けなくなっちゃう」

「それは、樽川さんがずっとひたすらに運動してきたからこそでもありますよね」

「私は、政治っていう意思決定の場に女性、つまり色んな人がいれば世の中が良くなると思って何十年も女性議員を増やす活動をしてきた。そして、一度は長野県の女性議員の数を日本で一番にもした。それでも、それでもね、私にはできなかったこともあるの

「なんでしょう…?」

「やっぱりね、政治への関心度がずっと低いの。この日本はね」

「う〜〜ん。たしかに私の周りもそうですね…政治って生活と密接に繋がっていて本来はもっとフランクに話し合って良いものだと思うのに、あんまり友人とも話さないです」

 

「そうでしょ?私はね、議員時代に『小学校のときから政治に関心を持ちましょう』ってことも言ってきた。『サロンしもすわ』ではずっと政治学習会もやってたんです。でも、若いあなたが言うように現実はそうなのよ」

「もう若い世代にバトンタッチの時ということですね」

「そうなのよ、あななたちが頑張らなきゃ」

 

「不言実行」で進め

「現実を痛感した上で、今の若い人たちに伝えたいことはありますか?」

「やっぱり政治に対して自主的になってほしい。ただ見てるだけ、行動しなかったら何も変わらないよ。そして議員になってくれや」

「やはり議員!!!」

「そうよ、政治の世界に飛び込んでいってほしい」

「樽川さんは、今の世の中で働き方が多様になっていることはどう思いますか?今の若い人たちには、議員以外の道もたくさん用意されている気がしてて」

「私はね、それはうんと良いことだと思うよ」

「おお〜」

「なに、今はオンラインでやってるって言うじゃない。ああいうのは良いことだよね」

「働き方の幅が広がりますよね」

 

「私はね、議員も就職口の一つとして考えてほしいと思ってる。そして、議員の働き方も変えればもっと良い。例えば、商売をしながら議員ができたりとか、昼間は会社に勤めて議員は夜にやるとか。そういう変革って行動しなきゃ起こらないでしょ?

「働き方のように、『自分が生きやすい生き方』を手に入れるためには、何事も行動しないと変わらないと」

「そう。他の人と違うことをしたって、結局は自分で困難も乗り越えて人生を作っていくんだよ。私はね、昔っからすぐ行動してきた人間だからさ、そこはあなたに助言したい」

 

「サロンしもすわ」に貼られていた「不言実行」(あれこれ言わず、まず行動せよ)

 

「たしかに、この『不言実行』からビシバシ伝わってきます」

「そうでしょ」

「私もその姿勢、見習いたいです。まずは知識をつける、武器をつけることから精進します!」

「頑張りい、期待してるで」

 

 

下諏訪のスーパーウーマンに話を聞いて

私の質問に、真摯に答えて下さった樽川さん。

樽川さんは「90歳はもう限界よ」と言っていましたが、今もまだ読書をし、勉強を続けている姿からは、今できることをただ粛々とやっているんだなと感じました。

 

世間の「普通」とは違った生き方をすること、そこで直面する批判。

 

選択した先に困難はあると思うけれど、自分なりの知識と武器を身につける、そして自分が生きたいと思う生き方を行動し掴んでいく。不安だけではなく、前向きになることができた取材でした。

 

樽川さん、本当にありがとうございました!


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