ジモコロをお読みのみなさま、はじめまして。北海道遠軽町出身のさのと申します。
中学生のころ、親の目をかいくぐって潜っていたインターネットの世界で、なぜか2ちゃんねるのテキストサイトスレにたどり着いたのが運の尽き、インターネットでたわいもない文章を投げること15年を経て現在に至ります。面白い文章は中3で諦めました。
面白い文章は諦めたものの、大阪やら東京やら岐阜やらと転々とした中で、「北海道で、地元でなんか面白いことしたいなあ」と思いながら生きています。現在は東京と北海道を往復しながら、各地で霞を食って生きています。霞おいしい。3食レトルトカレーで暮らしています。
普段は「BizDev」という肩書きの仕事で、主に東京でスタートアップのプロジェクトマネジメントや事業開発などのお手伝いをしております。そしてそこで稼いだお金と残った時間を北海道につぎこみ、北海道の右上のほうで宿泊施設の運営などをやっています。
北海道清里町で運営している「オホーツクハウスきよさと」
今回はそんなぼくが、「どういう考えとバイブスで霞を頂戴しているのか」「今後はどのように生存していくつもりなのか」「そんな理想で生きていけると思っているのかね?」ということについて、大人に怒られない範囲でいろいろ書いていければと思います。
都会に出てきた僕たちに、田舎への思いがあるのはなぜか
ジモコロをお読みの方々の大多数は、おそらく何かしらのかたちで日々「地元(あるいは地方)のことをなにかやれたらいいな」と思っているのではないかと思います。ぼくもずっとそんなことを考え、でも東京で日々働いて、遊んで、トータルで暮らしていて、結局具体的に踏み切れない時期が長く続いていました。
現実的に考えると、「地方のことをなにかやる」というのは、めちゃめちゃ難しい。一度、東京をはじめとする都会に大学で進学してきて、就職して、暮らして。普通に考えたら、どう考えても都会のほうが、自分のやりたい仕事があるし、便利だし、離れたくない。というか、離れる理由がない。
そりゃそうだ。そもそも田舎から都会に出てきたぼくらは、田舎での暮らしに息苦しさを感じていたからではなかったか。
都会ならどこかに自分の好きなことを共有できる人がいて、田舎にはない仕事で食っていけている。田舎で暮らすことに違和感を持っていない(おそらく、「田舎で暮らしている」という自覚もない)田舎の友人たちは、都会に出る理由もなく、田舎で友達や子どもたちと普通に暮らしているが、自分はそうではない。だから都会にいる。
それでも自分に、田舎に対する思いがあるのはなぜだろう。これはかなり人それぞれだと思う。可能ならいますぐに帰りたい人もいるだろうし、そのうちどこかで帰りたい人も、もう二度と帰りたくないという人もいるだろう。いずれにせよ、まだそれができていないのは、それを積極的にする理由がどこにもないからである。
「田舎でお金を稼ぐ」とは、どういうことか
人間が生活していく上ではある程度のお金が必要である。「田舎で暮らす」というために必要なこととして、「田舎でお金を稼ぐ」ということが必要になるだろう。もちろん東京ほどお金がかからない部分もあるが、東京ではかからないお金がかかる部分もあるし、東京より一般的には給料も低いので、いずれにせよある程度のお金は必要になる。
そもそも「田舎でお金を稼ぐ」ということは、可能なのだろうか? それはどれくらいのハードルなのだろうか?
はるか昔に書いた文章になるが、かつてぼくは「無職の父と、田舎の未来について」というブログを書いた。2012年、当時大学4年生。ぼくの両親はいまも北海道の田舎町に住んでいる。いろいろあって仕事をやめた父が、40代後半で仕事を探したが、「肉体労働で月15万」とか以外がなかなか見つからない。それってそんなもんなんですかね?ということを書いた。
1週間で10数万PV、と当時としてはそれなりにバズり、いろんな反響をもらった。それがこれまでの自分の活動につながってきて、先日タバブックスさんから出版して頂いた本「田舎の未来 〜手探りの7年間とその先について〜」にもつながっている。
田舎でお金を稼ぐのは難しい
結論から言えば、ぼくは「田舎でお金を稼ぐ」というのは、めっちゃしんどいと思っている。
去年の春からフリーランスになり、東京と北海道を往復しながら両方でいろいろと仕事をさせてもらっているが、その中で感じたことが2つある。
1つは、「人と仕事をする大変さは、相手がどこに住んでいようと変わらない」ということ。例えば田舎でも、話が早い人であればどんどん進む。都会でも、相手によって全然話が進まなかったり、めちゃめちゃ苦労したりする。そしてもう1つが、「でも出てくるお金はだいたい都会のほうがでかい」ということ。これももちろん相手によるが、体感的な傾向としてはそのように感じられる。
つまり、「仕事の大変さ」と「もらえる報酬」には相関がない。だとしたら、できるだけ近い感覚で仕事ができる相手と、できるだけ報酬をもらえる仕事をするほうが、先にはつながる。もちろん報酬がすべてではないし、ぼくも未来への投資としての仕事をすることもあるが、綺麗事抜きに考えるとそうだ。
一方で、お金の価値というのは相対的なものである。家賃3万円の地域における10万円の仕事と、家賃10万円の地域における10万円の仕事は、「報酬」という意味においては全く価値が異なる。そうすると田舎でどういうことが起きるかというと、都会では普通に10万円かかる仕事に対して、田舎では「10万円もだしてやってるんだから、わかってんだろうな」という立場の差が発生する傾向がある。ストレートに言うと、田舎のほうがこき使われがちである。
そういった面を踏まえて、誤解を全く恐れずに言えば、「田舎で働くよりも、都会で働くほうがコスパがいい」。ある意味ごく当たり前かもしれないが、そう思っている。おそらく世の中の多くの人もそうだろう。「地元帰っても仕事ないからなあ……」というのは、そういう面の裏返しであるように思う。
田舎でお金を稼ぐのはしんどい。でも田舎のこともやりたい。そういう人はどちらかを諦めるしかないのだろうか? そもそも、その両方をやることは不可能なのだろうか? 中途半端なのだろうか?
ローカルで稼がず、田舎で仕事をするために
北海道で活動する友人たちと
そこでぼくは、「ローカルで稼がない」で、田舎で仕事をする方法を実践している。
つまり、都会でお金や時間のコスパよく仕事をして、時間と資金をつくり、それらを田舎にすべて投入して田舎での新しいアクションを起こしている。それを通じて、できるだけ外の人からお金を引っ張ってくる仕組みをつくっている。厳密に言うと「ローカル(の経済圏)で稼がない」ということだ。
ぼくはいま、東京で稼いだお金をすべて充てて、空き家を活用した宿泊施設をつくっている。それはもともとぼくの地元地域である北海道オホーツク海側地域にはなかったもので、根本的に既存の宿泊業と異なるものである。それをつくったからといって地元のホテルの集客が減ることはないし、既存の産業を傷つけたりすることもない。そうやって地元に新しいお金を引っ張る仕組みを作っている。
もはや田舎に循環するお金は非常に限られていて、ごく限られた資金源の取り合いである。最近では様々な方向から様々なかたちで田舎に補助金が投入されているので、うまくやれる人はうまくやっているように見受けられるが、まとまった金額の予算は東京の大企業(またはそのグループ会社)しか、信用やキャパの面で捌ききれないことも多い。そのローカル経済圏のドロ沼の中に入っていくのは非常に難しい。
そうすると、地域の外から、北海道で具体的に言えば、道外から、国外から、できるだけ外側から外貨を稼いでいかないと、ローカルの経済圏に未来はない。
北海道の場合はここ数年、東アジア、東南アジアからの人気が非常に高まっている。もちろん国内でも北海道物産展はいつも人気があるし、北海道に行きたいと言ってくれている人も多いが、それを遥かに上回っているように思う。そして正直、海外からわざわざ北海道に来るような人たちのほうが、北海道を楽しんでくれているように思う。
ぼくとしては、その追い風を生かさない手はない。まだ地元の人はほとんど気づいていないし、気づいていてもアクションを起こしている人は更に限られるので、自分でやる。東京で稼いだお金を全部突っ込んででもやる。
北海道内では最近、ニセコをはじめとする新千歳空港周辺地域の開発が著しい。統合型リゾートを中心に、海外から数千億円規模の投資の話がどんどん出ている。そこには、地元企業の姿はない。
誰もやらないと、田舎が食い物にされるだけなのだ。都会の食い物にされるだけではない。海外からも好きなようにされる。抵抗する手段のない地元は、為す術がない。それが地元で望んだものかそうでないのかはわからないが、外資のリゾートに流れるお金の大部分が、外資に流れていく、ということは確かだろう。
ぼくは、地元にそうなってほしくはないのだ。抵抗する手段がないと、外から好きなようにやられるし、地元にも「経済的合理性」の名のもとにそれを止める手段がなくなる。北海道が海外のお金持ちのための「消費するためのリゾート地」になるのは、少なくともぼくが望む姿ではない。
すでに北海道の東側(「道東」といいます)地域においても、全然地元に縁もゆかりもない本州の会社がどんどん進出して、ただお金を稼ぐことを狙ってビジネスを展開しつつある。すごくもやもやする。でも、それを止める手段は、自分がそれに対抗しうるだけの力を持つしかない。だから、いまできることからやる。
田舎でできることをやる
話が大きくなってしまったが、ぼくが「ローカルで稼がない」のに田舎で仕事をつくる、という取り組みを進めているのはそういう理由からだ。たぶん、フリーランスのように自由度が高くないとなかなか成立しないのだけど、そういうやり方は、一つの手段として、確実にある。
きっとこのやり方をやる人は、関係を持つ田舎の人たちに「いつ帰って来るの?」「こっちには住まないの?」とよく言われるだろう。めちゃめちゃ言われるだろう。ぼくは死ぬほど言われました。そのたびに、何に対してかわからない、ささやかな罪悪感を感じたりしました。
でも、全然気にしなくていいです。自分ができる精一杯のかたち、いちばん自分にとって健康的に暮らしながらやれることができているのであれば。そこでわざわざ「2拠点居住」とか言わなくていいし、「移住しないやつは本気じゃない」なんてポジショントークに負けなくていいです。そういう「関わりかた」だけを変に美化したり、「関わりかた」だけを批判する人がいるから、みんなどんどん田舎に関わりにくくなっていのではないでしょうか。
とにかく、どんなやり方でもいいから、できることをやっていきましょう。そして、どんなやり方でも、できることをやっている人を応援していきましょう。ぼくはこれからもやれるだけやり続けます。一緒にやりましょう。
なにかぼくにできることがあればいつでもご連絡ください。「田舎の未来」出版イベントをちょっとずつ各地でやらせて頂く話が出てきているので、地方にお住まいの方々の近くまで行けることがあるかもしれません。まだ公開していない予定についてもこっそりお話できるかもしれないので、お気軽にTwitter @sanokazuya0306 などでご連絡ください。
田舎の未来 手探りの7年間とその先について (SERIES3/4 4)
イラスト:藤田マサトシ