みなさんは、2016年に映画化され、大きな話題をよんだ『この世界の片隅に』という作品をご存知でしょうか?
この作品は、戦時中の広島県の呉という街を舞台にしたものなのですが、あらすじはというと……
戦中の広島県の軍都、呉を舞台にした家族ドラマ。主人公、すずは広島市から呉へ嫁ぎ、新しい家族、新しい街、
新しい世界に戸惑う。しかし、一日一日を確かに健気に生きていく…。
当時の呉はあの有名な「戦艦大和」などを保有した、まさしく軍都。
街に住む人の視点で戦争を描くこの作品の中にも、主人公すずの夫・北条周作や、幼馴染・水原哲など海軍にまつわる登場人物が数多く登場します。
そのため、呉市内には「大和ミュージアム」や「海上自衛隊呉資料館」など戦争に関する資料が集められた場所が多いのですが、もう一つあまり知られていないすごい場所があるのです。それがこちら!
めちゃくちゃかっこよくないですか? 実はこれ、明治時代から現存する旧海軍の学校で、今も自衛隊の学校として使われているんです。
この、広島県江田島市にある第1術科学校(旧海軍兵学校)は無料で見学することができます! しかも見学だけではなく、案内や施設の説明までしてもらえるのだとか!
秘密のベールに隠された自衛隊の学校、どんな場所か気になりませんか?
この海軍兵学校、実は世界三大兵学校と呼ばれるほどの超名門校。入学に必要な学力はなんと東大レベルだったというのです!
そのほかにも
- ・戦時中にも関わらず、英語が必修科目
- ・「士官である前に、紳士であれ」というジェントルマン教育
- ・「軍人は質素倹約を旨すべし」を実践し、自分で身支度をしていた(日本海軍育ての立役者とも呼ばれる、山本権兵衛海軍大将も自分の靴下の修繕をしていたのだとか…)
など、体育会系な軍隊のイメージを崩すようなエピソードがいっぱい。
ということでさらなる秘密を探るべく、今回は広報担当の川島さんと共に施設を実際に周りながら、その歴史と海軍の豆知識について、聞いてみました!
海軍の敬礼は実はコンパクトだった?
今回ご案内してくれる広報の川島さん(写真右)とのツーショット
「こんにちは。本日はよろしくお願いします。先ほど川島さん敬礼されてましたけど、右手でするんですね」
「そうですね。敬礼って、実は海上自衛隊とそのほかの自衛隊とでは少し違っていて。陸上・航空自衛隊は脇を張って大きく構えるんですけど、海上自衛隊は脇を少し閉めて小さめにするんです。こんな感じで」
ピッ!
脇の角度は45度程度とのこと
「ほんとだ。少しコンパクトですね。そこには何か理由が?」
「船の中が狭いからです」
「なるほど。シンプルな理由だったんですね」
「はい。ちなみに敬礼に関しては、様々ないわれがあるんですが、我々がしている敬礼はイギリス海軍から伝わったのではないかという説もあります」
「イギリス、ですか」
「はい。帝国海軍は多くをイギリス式から取り入れていました。イギリス海軍はエリザベス女王に対して敬意を示すために敬礼をしていたのですが、彼女が直視することができないくらい眩しい人だという理由で目を覆っていたそうなんです」
「へえ〜。全然知らなかった」
「あくまで一説に過ぎないのですが、そう言われてみるとなんとなく意味が理解できますよね」
海軍兵学校の生徒館は船の長さと一緒?!
「こちらが明治26年に完成した当時の生徒館ですね。今は幹部候補生学校庁舎として使われています」
「おお…レンガ造りでかっこいい」
「ここに使われているレンガは100万個以上と言われています」
「100万! 1個100円でも1000万円近くじゃないですか」
「ちなみに、この建物を設計したのはイギリス人なんですね。だからイギリス産のレンガを使用しているのですが、それが現在の価格に換算すると一個あたり15000円程度です」
「15000円×100万とかもう計算できない」
「まあ全てがイギリス産のレンガではないのですが、それでも高価な建物なんです」
レンガの積まれ方はイギリス積みと呼ばれ、そのほかの積み方に比べ、耐震強度が高く、耐熱レンガということで採用された。高価なものだけあって手触りは非常にツルツル。ちなみにイギリス産以外のレンガは広島県産のレンガが使用されているという
「なるほど!それにしても、めちゃくちゃ横に長いですね」
「はい。それには理由がありまして。この建物は当時の駆逐艦という船の平均の長さと同じなんです。144.8mあります」
「100m走できるじゃないですか。でも船の長さと同じって…?」
「海軍というのは、海上での仕事が主となりますよね。だから陸上にいる間から船での生活に慣れるためにこの長さにしたと言われています。実際に海軍兵学校時代の学生は3〜4年間ここで生活していました」
全長144.8mという巨大な生徒館だが、当時最大の戦艦大和はこの2倍近くの大きさがあるとのこと!
「学生時代から、船の環境に慣れるためにってことか」
「そうですね。今の学生がここに通うのは4ヶ月〜1年程度です」
「あ、そうか。まだ幹部候補生学校として機能してるんですもんね。どういう人がここに通うんですか?」
「幹部候補生学校では大きく分けて、A、B、Cの3つに分かれています」
「部隊経験のあるベテランの人まで! でもなんでそんなにバリエーションが?」
「海上自衛隊は大きな組織なので、いろんな役割があるわけですね。その中で高級幹部ばかりを育てるのではなく、その補佐や、幹部と一般隊員をつなぐ架け橋となる存在の育成が必要なんです」
「なるほど。幹部にもいろいろあるのかー」
「それでは、建物の中庭部分に行ってみましょうか」
数々の有名ドラマにロケ地に使われる場所
「なにこれかっこいい」
「はい。ここはよく映画やドラマなどのロケ地にも使われています。有名なものだと2009年に放映されたNHKドラマの『坂の上の雲』ですね」
「あの、さかのうえのくもがここで!!(なんだっけ…)」
「はい。司馬遼太郎さんの小説が原作なのですが、NHKが総力をかけて作った作品と言われています。その主人公の秋山真之役の本木雅弘さんがこの道を歩くシーンがあるそうです」
「(…帰ったらみてみよう)」
「その他にも数多くの作品で使われているのですが、クレジットタイトルに載らないこともあるんですね。ただそういう場合でもリピーターの方から、『あのドラマに出たのってここなんですか?』って問い合わせが来たりして」
「へえー。今度探してみます。でも、リピーターがいるんですか? こういう施設って一回来れば、周り切れそうなものだけど」
「実はですね、この見学は日によってプログラムが少し変わるんです」
「そうなんですか!知らなかった……」
「戦時中の資料などを展示している教育参考館という場所があるんですけど、そこは第2・第4火曜日がお休みなんですね。そのためその日は戦艦陸奥の砲塔が少し離れた場所にあるので、そちらの見学に行くんです」
※砲塔:砲台を回転させたり、防護する装置のこと
写真中央左に見えるのが戦艦陸奥に搭載されていた実際の砲塔。隣にあるのが砲術講堂と呼ばれる当時の講堂室だが、現在は使用されていない
「さらに教育参考館には16000点近くの資料を保存しており、その中から約1000点を選んで展示しているのですが、それでも一度の見学だと全ての資料を見切れないんですね。だから何度も訪れるお客様が多いんです」
教育参考館はギリシャ神殿様式の建物。建設された昭和11年当時の金額で50万円(現在の金額に換算すると10億円!)ほどの総工費は全て有志からの寄付だったそう(写真は海上自衛隊第1術科学校HPより)
「すごいな。たしかにそれだけ立派な施設なら2、3時間いられそうですね」
「はい。それでは実際に行ってみましょうか」
日本最高とも呼ばれる兵学校が爆撃されなかった理由
「かっこいい…そしてでかい。でもこれ教育参考館って変わった名前ですね」
「昭和11年の創設当時から、海軍兵学校の職員と学生が先人の偉業を偲び、過去を振り返ることで自己鍛錬と学術を深める目的で作られた場所であるため、このような名前になっています」
昭和11年当時の兵学校全景。旧学生館(西生徒館)が建築中だったとのこと。公式HPより
「現在は海上自衛官の教育に役立てることを目的として、海軍の創設から終戦までの返還をテーマに展示品を配置しています」
「戦時中にそんな建物が……! でもどうしてですか? 兵学校って実務訓練がメインだと思うのですが」
「戦争はどれだけ勝利を収めたとしても、被害は出るわけですね。展示資料の中には、共感を得られるものもあれば、そうでないものもあるわけです。そのような先人の苦心の跡を学ぶことにより、隊員の精神基盤の育成を図るとともに、今後の参考にして欲しいという目的で建てられているんです」
「過去の資料からきちんと学んでいくと」
「はい。そもそもこの海軍兵学校は、かなり教養の教育というものに力を入れており、英語も必修科目だったんです」
「戦時中に軍が英語を…? それはすごい話ですね」
「当然、英語は敵性言語だったので、大きな批判がありましたが、当時の井上成美校長が『世界を相手にする海軍士官には英語教育が必要だ』という信念を貫き通したんですね。また当時、海軍兵学校は日露戦争の戦果などから、世界三大兵学校と呼ばれていたんですよ」
※世界三大兵学校:日本の江田島にある海軍兵学校は、イギリスのダートマス海軍兵学校、アメリカのアナポリス海軍兵学校と並んで、世界有数の教育機関と称されていたそう
「世界三代兵学校ってすごすぎる。でもそんな施設ならすぐに相手軍から狙われてしまいそうですけど」
「はい。実際に多くの戦艦が停泊していた呉は大空襲の被害にあい、絶大な被害を受けました。しかし、この海軍兵学校に関しては空襲禁止区域になっていたんです」
「え、どうしてですか? 近くにあるからまとめて攻撃したくなりそうですけど」
「まだ海軍としての歴史が浅い日本海軍が、当時、世界最強と謳われたバルチック艦隊を日露戦争で破ったのは、世界的に見ても不思議な出来事でした。異例ゆえに、軍艦の質より、軍人の質が注目された。だからこそ相手軍からすると、この海軍兵学校の存在が気になった、と」
「なるほど。海軍兵学校の教育を取り入れようとしたわけですね」
「そうなんです。しかし、戦況が悪化している中で空襲被害がなかった海軍兵学校は、連合軍の狙いが教育参考館に貯蔵されている資料ではないかと分析しました」
「目論見に気づいた…?」
「はい。そこで教育参考館に貯蔵されている約4万点の資料から、終戦時に貴重な資料を約1万点を選出し、広島県の厳島(いつくしま)神社と愛媛県の大山祇(おおやまづみ)神社に奉納しました」
「あれ、残りのものは?」
「残りの約3万点は、学校が解散となり帰省する生徒が、郷土の先輩の遺品を持ち帰りました。それでも残った資料については、『先人の威徳を踏みにじられるのはしのびない』との思いから焼却処分されました」
「先人たちの思いを大切にされたんですね」
「進駐軍の占拠から開放された後は、奉納していた約1万点の資料が戻されましたし、さらにご遺族などの方から6千点近くの資料が寄付され、現在は約1万6千点が貯蔵されているんですよ」
教育参考館内には、「坂の上の雲」の主人公である秋山兄弟の見事な墨跡なども収められている。左が秋山好古の書「自学自活」、右が秋山真之の書「鯉の滝登り」。公式HPより
「半分近くが戻ってきたんですね!」
「はい。そして何よりも海軍の歴史を感じる建造物が無傷でもあり、現在も海上自衛隊が使用する学校施設として現存していることの価値の高さを知っていただくためにも、こうして見学会を行なっているんです」
「なるほどなあ。確かに広島に明治時代の建物が残っている印象はなかったです」
「終戦後、進駐軍に占拠された際には映画館や売店などに改造された時期もあったんですよ」
「えっ、そうだったんですか?」
「はい。式典などに使用されていた大講堂は旭日旗などが降ろされて、プロテスタントの教会として、約10年間使用されていました」
式典などに使われる大講堂は1917年に建設されたもの。プロテスタントの教会として使用されていた際には、十字架やマリア像が掲げられていたという
「旧海軍の基地に教会ってすごいなあ。でもそうした経緯を通して、今のこの場所があると」
「はい。京都などもそうですが、占領軍の中にも文化的な価値のあるものは残しておこうという意向があったようですね」
オペレーションオリーブから見る自衛隊の役割
「それにしても川島さん、めちゃくちゃ詳しいんですね。やっぱりみなさんこれくらい知識が豊富なんですか?」
「いえ、正直広報の人間と歴史に興味がある隊員でないと、ここまで詳しくは知らないと思います。やはり自衛隊の主な仕事は国民の財産と人命を守ることですので」
「なるほど。確かに最近、災害が多い中で活躍の機会も増えていますよね。この辺りでいうなら、昨年の広島の豪雨災害など」
「西日本豪雨災害の時で言いますと、『オペレーションオリーブ』と銘打って、第1術科学校および、幹部候補生学校の職員および学生延べ2243名(うち学生1687名)が災害派遣に従事しました」
「えっ、学生もですか!」
「はい。学生が主体となって、土砂の撤去作業や、給水配達支援を行ったんです」
「豪雨なのに、給水支援…?」
「この江田島市を含む県内各地で土砂災害等による被害が発生するとともに、江田島市では全域で断水となったんですよ」
2018年に起きた広島での豪雨災害は過去最大規模のものとなった
「江田島市内に設置された給水所への飲料水の輸送や、給水所での水の配給作業の支援を行いました。また、高齢者宅への配達支援なども行ったわけです」
「目立つ大きな支援以外にもやり方がいろいろあるんですね」
「そうですね。人命救助以外にも給水支援や入浴支援など様々なやり方があります。そのどれが欠けてもいけないと思います」
「たしかにどれも生活に必要なものだもんなあ」
「自衛隊が活躍するのは、災害等の不測事態が起きているときだと思います。だからこそ、私たち自衛官は常日頃から鍛錬を行なっていますし、適時適切にただひたすらに行動するだけだと思います」
「すごくストイックですね…」
「訓練や現場などの苦しいことはありますけど、やっぱり誰かの役に立つのはうれしいですよ」
「苦しいことを乗り越えるためのカギはそこにあったのか」
「はい。苦しいことしか見えなくなると、しんどくなってしまいます。苦しいことと嬉しいことを、うまく心の中で整理することが大事かもしれません」
「勉強になります」
「ちなみに、艦艇(かんてい)勤務で長期出航してしまうと携帯電話などの電波が入らないので、情報社会から分断されてしまいます。だから私が長期出航していたら、この記事が公開されても読めるかはわかりません」
「えええ! それは絶対にしんどいですけど、頑張って読んでくださいよ」
「もし覚えていたら、もちろん読みますよ」
「(これは絶対読まないやつだ…)」
おわりに
「今日はありがとうございました。わざわざお見送りまで…」
「こちらこそ。最後に一つだけお教えしておくと、実はこの門って裏門なんですよ」
「えっ、じゃあ正門はどこに」
「海の方に桟橋が見えませんか?」
「あれを表桟橋というんです。だからこちらはいわゆる裏門なんです。戦時中は海軍、現在は海上自衛隊として『海』を勤務地のベースとしているため、『海に面するところ』が表なんですよ」
「あ、なるほど。海がやっぱり大事なのか」
「はい。海上自衛隊となった現在でも、幹部候補生学校の卒業生は表桟橋から巣立っていきます。次回は、ぜひ修学して表桟橋から出てくださいね」
「(入学も卒業も絶対無理でしょ……)」
なぜか陸空式の敬礼をしている
というわけで、今回は旧海軍と海上自衛隊にまつわるお話を聞かせていただいたわけですが、旧来の軍隊のイメージを覆されるものが多く、個人的にもとても驚かされました。
通常の博物館見学などでは、専門的な知識を持つ人に案内してもらえる機会はあまりないのですが、ツアー形式で様々な疑問に答えていただけるため、幅広い角度から楽しむことができるのではないでしょうか。
ちなみにこの江田島に開校した当時は、立派な生徒館に対して教官側の庁舎は小さな木造の建物だったのだとか。
限られた予算の中で、最大限に教育に力を入れていたってかっこいい。こんな裏話を聞くのも楽しいですよ!『この世界の片隅に』をさらに楽しむことができるはず。
江田島旧海軍兵学校へのアクセスはこちら!
通常のフェリーと車両搬送を使う場合は到着港が違うので注意!詳しい情報は海上自衛隊第一術科学校公式HPにて!ちなみに高速艇は現在ファーストビーチと呼ばれているが、旧名称は江能汽船と呼ばれていたらしい
広島市内からかなり離れた場所にありますが、「広電」と呼ばれる路面電車やフェリーなど広島ならではの観光を味わえるはず。
広電に乗るついでに、ジモコロで紹介したビールスタンド重富(広電銀山町駅から徒歩5分)や、ドットコミュのソーセージスタンド(広電観音町駅から徒歩1分)、オタフクソースの運営するお好み焼き体験スタジオOKOSTA(JR広島駅ekie 1F)などに行ってジモコロ的広島ツアーを楽しんでみるのも一興です。
そして『この世界の片隅に』の新バージョン『『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』』は2019年の12月に公開予定。この記事を読んで、広島観光を楽しんだあとに映画を観ると、また一味違う楽しみ方ができるかもしれませんよ。
それではまた!
写真:小林直博