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誰も価値を感じていない「山」を整備したら、仕事と観光客が増えて稼げた話

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誰も価値を感じていない「山」を整備したら、仕事と観光客が増えて稼げた話

こんにちは、ライターの友光だんごです。ヒゲ面二人のむさくるしい絵面で恐縮ですが、右のヒゲが僕です。

 

ここは西伊豆。海を見下ろす山の上に来ています。

 

伊豆半島の先のほうです

 

なぜ西伊豆に来たのかというと……

もう一人のヒゲの人、松本潤一郎さんに会いに来ました。

というのも、彼は「山をまわす」仕事をしているというんです。何だそれ…?

 

「巨人が山を持って回してる図が浮かんだんですが…?」

「そうじゃなくて。ざっくり言うと、山の手入れをしたら、新しい仕事が生まれて、観光客も増えたって感じです」

「え、すごそう。詳しく聞かせてください」

「それは……で…………」

「(風が強くて聞き取れない……)」

「すみません、もう1回い……」

 

ビュオオオオオッッッッッッ

 

「ひー、山頂がインタビューに向いてないことがわかったので、続きは下でお願いします」

「賛成です」

 

少し先回りをしておくと、松本さんのやっているのは「森林整備を起点にした地域活性化」

都会の資本を使うのではなく、行政や町の人を巻き込みながら、無駄なく地元の資源を活用する循環がそこには生まれています。

その循環とはどんなものなのか? では、詳しく聞いていきましょう。

 

誰も使ってない山を「まわす」と仕事が生まれた

「ちょっとまだ『山をまわす』の意味がわからないので、松本さんの仕事のことを順に聞いていきますね。まず、山の手入れ?」

「そうそう、森林整備。今歩いてる道も整備したんですけど、ここはもともと『古道』で」

「こどう?」

江戸時代まで使われてたけど、人が通らなくなった道ですね。整備する前はこんな感じ」

 

「これが道? あ、でもよく見たら、真ん中になんとなく凹みがありますね。木や草で埋もれちゃってるのか」

「そう、ここはもともと炭を運ぶ道で。でも、昭和30年くらいからガスで煮炊きするようになって、炭を使わなくなると誰も通らなくなったんです。主な交通手段が車に変わって、大きな道路もできたのもあるし」

「人が通らなくなると、道が消える…。でも一言で整備といっても、こんな大きい木をどかしてくのは大変ですよね」

「大変でしたねー。最初は一人で始めて『10年くらいかかるんじゃないか?』と思った(笑)。そしたら新聞とかで取り上げてもらえて、仲間が増えて、ちょっとずつ道を開いていったんです」

 

森林整備の様子を映した動画

 

「で、道が整備できたら、切った木が残るでしょう。それを薪にして売り始めたんです。個人向けと、町にある鰹節工場に燃料用として」

古道の整備から、薪を売る仕事が生まれたと」

「そうそう。で、そもそも古道を整備したのは、マウンテンバイクで走れるじゃんって思いついたからなんです」

 

山道をマウンテンバイクで走るアクティビティは海外ではメジャーなんですけど、日本では走れるコースがあんまりない。でも、古道を見た時、ここをマウンテンバイクで走ったら最高じゃんって思ったんです」

「整備の目的があったんですね」

「そう、それで古道をマウンテンバイクで走るツアーの仕事も始めました」

 

体一つで山を駆け抜ける「YAMABUSHI TRAIL TOUR」の様子

 

「古道はめちゃくちゃ長いから、整備できたのはごく一部。だから平日は残りの古道整備、週末はマウンテンバイクのツアーって感じで、仕事が常にある状態を作ったんです」

「あー、『山をまわす』意味がだんだんわかってきた気がします。山の手入れをしながら、新たな仕事が生まれてる。循環してるわけですね」

「そうですね。しかも、その山は使い道がなかったから、誰も使ってなかった

「その山が仕事とお金を生むことになった…!」

「まあでも、最初から全部考えてたわけじゃないですよ。一つ一つ繋がっていって、『俺、山をまわしてるんじゃないか?』って気づいたのは最近なので」

 

幼稚園を中退⁈ 管理されるのが嫌で、17歳から海外放浪

「もともと松本さんは伊豆の方なんですか? 古道も小さい頃から知ってたとか」

「いや、生まれは愛知ですけど、その後はずっと横浜育ち。伊豆には縁もゆかりもなかったです」

「それがなぜ伊豆に?」

「まず俺、幼稚園中退なんです

「え? 幼稚園って中退できるんですか!?」

「幼稚園の頃、毎日犬の散歩をしてたんですよね。幼稚園はその散歩コースの途中にあったから、通園ルートも俺にとって『いつもの道』で」

「通い慣れた道ってことですね」

「そうそう。で、ある日、幼稚園へ行く途中にカブトムシを拾って。かっけえと思って、持ったまま幼稚園行ったんです。でも、幼稚園が終わるまで1日持ったままなわけにいかないですよね。だから、カブトムシを元いた山に返そうと思って門から出ようとしたら、先生に止められて」

「まあ……勝手に出てこうとしたらダメですよね、幼稚園児が」

「そこで俺は思ったんですよ」

 

「『なにそのルール、おかしくね? 』って」

 

「(そんな幼稚園児はいやだ……)いや、一人で外に出たら危ないとかあるじゃないですか」

「いっつもひとりで通ってる道なのに、なんで今はだめ…?と。その時に、管理されることに疑問を持ったんですよね

「色々あるんですけど、とりあえず自我の目覚め早すぎません? 僕その頃『管理されることへの疑問』なんて絶対抱かなかったですよ」

「なんででしょうね」

「それで中退しちゃったと」

「そうですね。その後小学校には行ったけど、やっぱり管理されながら学ばされるのが嫌で。それで、中学2年から行かなくなっちゃいました」

「幼稚園が窮屈だと、日本の学校も合わなさそうですもんねえ」

 

「通信制高校に通いながら、16歳の時にオートバイで日本をぐるぐる回ったんです。その後、海外に行きました。最初はネパール。それからヒマラヤやカラコルム、アンデスみたいな辺境、その後は南米に長くいたなあ

「海外を回ってる時、どんなことが面白かったですか?」

「そうだなあ…俺、道が好きなんですよね

「道…?」

「特に土の道。なんか、どこかに繋がってるわけじゃないですか。その先に何かがある。舗装されてない道を『トレイル』って言うんですけど、車も電車も通ってないネパールのトレイルを何日も歩いて旅する。そういうのが好きで」

「へえ〜、でも土の道が好きって、古道再生にも繋がりますよね。ちなみに今、どれくらい古道を整備したんですか?」

「うーん、どれくらいだろう」

 

「ここから見える山3つ分くらい」

 

「え、そんなに? 領主じゃないですか」

「いや、所有してるわけじゃないですから。町や区に話をして許可を取った上で活動してます。『西伊豆古道再生プロジェクト』って団体を立ち上げて企画書を持ってプレゼンして回りましたよ」

「へえー! 活動資金はどうしたんですか?」

「最初はポケットマネーですね。でも、1年経ったくらいから里山整備のための交付金が下りて、そこからちゃんと人を雇えるようになりました。その頃には3コース分くらい整備できてたから、ツアー事業も始めましたね」

 

「そっか、うまく行政のお金も活用して。そして薪を売ったお金も収益に……と。よくできてますね」

「林業としてみると、他の土地はもっと大きな重機とか使って大規模にやっていて。でもうちはそもそも重機も入れないような山で、人がチェーンソー担いで木を切ってるわけです。どちらかというと『マイクロな林業』って感じかなあ」

「なるほど、小さな林業。日本って海外に比べて国土が狭いわけじゃないですか。だからマイクロな林業の可能性もありそうです」

「それはそうかも。うちの場合、今ならツアーとかをやらずに薪の事業に集中しても、それはそれで食えると思いますし。でも、いろんな仕事が混じってたほうが面白いと思うんですよね

「一つだと飽きちゃう、みたいな?」

「そう、そもそもマウンテンバイクが好きで始めたわけでもないし。道が好きなだけなので」

 

伊豆の町は南米と似ている?

「日本の中でも西伊豆がよかった理由ってあるんですか?」

「決め手は電車が通ってないのと、山と海が近くて、人が多くないことでした」

「正直、東京からのアクセスは良くはないと思うんですが、そこが逆によかったんですね」

「静かな場所がよかったんです。あと、山と海が近いのは、マウンテンバイクで走る時にすごく気持ちいい。山道を走ってて目の前に海がバーンと出てくる土地は、世界的に見ても少なくて。だから海外からわざわざ来る人も多いですよ」

「へえ〜!」

「だから、いろんな魅力はあるんですよ」

 

「でもまあ田舎っちゃ田舎なので、やっぱり一つの仕事だけで生きるのは厳しい面はある。だから俺も最初、平日に森林整備、休日にツアーガイドって常に仕事がある状態を作ったわけですし。けど、田舎って昔からそうじゃないですか?」

「農家の方が冬はわらじを作って売ったりしてたわけですもんね。一つの会社に勤めて、同じ仕事を1年中ってのは都会的といえるのかも」

「うん、なので田舎が都会の価値観を一回経験しちゃったから、面倒なことになってる気がします」

「都会の価値観を経験」

 

「伊豆も、昭和の時代は観光事業でめちゃくちゃ儲かってたんですよね。東京から沢山人が来て。でも、バブルが弾けたあとは観光客が減って、宿もほとんど閉まっちゃって」

「同じようなローカルの町は多そうですね。バブルまでの日本がある種、特殊だった気はします」

「そういう意味では、西伊豆は南米に似てる気がします。ある時期によそから人が入植してきて、もともと土地に根付いてた文化や価値観、アイデンティティが無くなって……。だから、いまの南米の政治はさまよってると思うんですよ」

「隣の芝生が一回見えると、ずっと青く見えちゃうってことですかね」

「西伊豆は電車が通ってなくてアクセスも良くないし、半島だから、どちらかというと閉じた土地なんですよね。でも閉じてるがゆえの文化や人の強さはあると思います」

 

「例えば俺の奥さんは西伊豆の人なんですけど、そのじいちゃんの最期がすごくて。車椅子で海に飛び込んで、そのまま」

「え、それはご自分で…?」

「はい。交通事故の影響で20年くらい車椅子生活だったんですけど、年老いてこれ以上周りに迷惑かけたくないと」

「…潔さを感じますね。武士の切腹みたいな」

「じいちゃんはもともと漁師だったんです。自分で縄を作って、その縄で車椅子に自分を縛って海に飛び込んだから、切腹みたいなものですよね。それが5年前の話」

「壮絶だし、めちゃくちゃ最近の話だった……時空の歪みを感じます」

「ここまでじゃないけど、地元のじいちゃんばあちゃんはみんな個性が強いし、自然も強い。俺はそこに惹かれるんです」

 

宿もつくって、さらに山を、西伊豆をまわす

西伊豆の町にある、松本さんおすすめの足湯に浸かっています

 

「松本さん、去年新しい事業も始めたんですよね」

「ツアーで人が集まるようになってから、地元の宿がこの10年で半分に減ってるのに気づいたんです。せっかく人が来ても泊まれる場所がない。じゃあ自分たちで作ろうとなって、去年ホステルを立ち上げました」

 

松本さんが新たに始めたホステル「LODGE MONDO -聞土‐(ロッジモンド)」

 

「壁が特徴的ですね。木がたくさん貼ってある?」

「ペンションだった建物を、山で切った木を使って自分たちでリノベーションしたんです。海の近くだけどロッジ(=山小屋)を名前につけて、個室は全部コンセプトを変えてあります」

 

「宿をやるのって人手もいると思うんですけど、新たに人を入れて?」

「いや、まずはやれる範囲でと思って、ツアーや森林整備と同じスタッフで。宿のサイトは地元の情報を発信するメディア的にもしてるんですけど、その書き手も俺やスタッフがメインですね」

「なるほど、そこもマイクロというか。でも、さらに『まわる』ようになったわけですね。宿があって、発信された情報を見た人が来てツアーに参加する…」

「ぶっちゃけて言うと、ツアーにちょっと飽きたのもあります(笑)」

「今って、使われてない山は日本中にたくさんあると思うんです。そういうところを再生させてほしい、みたいな話も来るんじゃないですか」

「ありますね。でも、今はまず、自分たちの足元をしっかり固めようと思ってます。ホステルをちゃんと回して、西伊豆で土台を作るのが今の目標かな。今度は泊まりに来てください」

「そうします!今日はありがとうございました」

 

おわりに

「山をまわす」松本さんの話を聞いて、昔はもっと色んな「まわす」があったんだろうな、と思いました。小さな仕事をいくつもして、それで十分な稼ぎを得る。

 

社会の形はガラッと変わりましたが、近頃の「副業解禁」のようなニュースを見るに、もしかすると「まわす」価値も見直され始めているのかもしれません。

「いろんな仕事が混じってたほうが面白い」という松本さんの言葉に、色んなことが集約されている気がします。

 

……僕は何をまわそうかなあ、と考え始めたんですが、足湯に浸かってたら気分がよくなってきました。

 

今日はビールでも飲んで帰ろうと思います。またどこかでー!

 

写真:小林直博


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