こんにちは。静岡出身ジモコロライターの田中嘉人です。
今日は静岡が……いや日本が世界に誇る楽器メーカー「ヤマハ」の本社(静岡県浜松市)にやってきました。
理由は、とある一本の映像を観てしまったからです。
その映像というのがこちら。
南米コロンビア・メデジン市のスラム街に暮らす子どもたちが半年間かけて楽器の演奏技術を習得し、サッカースタジアムという憧れの舞台で国歌を演奏するまでを描いた正真正銘のドキュメンタリー。
この映像の舞台となったメデジンは、コロンビア第2の都市。しかし、1980年〜1990年代は麻薬王と呼ばれた男の活動拠点で、治安は決していいものではありませんでした。
麻薬王の死後、その治安は改善され、生活インフラも整備。今日では世界で最も革新的な都市のひとつとして挙げられてはいるものの……
郊外に広がるスラム街と都市部には、まだまだ貧富の差があるのが実情です。
そしてこのドキュメンタリーの主人公は、メデジンの外れにあるスラム街に暮らす26人の子どもたち。
非行と隣り合わせのスラムに住む子どもたちが楽器と出会い、半年後にサッカースタジアムで演奏できるようになるまで成長するストーリーです。
なんといっても、無事に演奏を終えた子どもたちの笑顔は胸を打つものがあるんですよ……!
そしてこの「I’m a HERO Program」を仕掛けたのが、なんとヤマハだというんです! マジ!?
というわけで、今回はヤマハを突撃取材して「I’m a HERO Program」のウラ側を探ってみたいと思います。
ヤマハ、実はいろいろやってます! 「I’m a HERO Program」誕生秘話
ヤマハの本社に入ると、2018年7月にオープンしたばかりの企業ミュージアム「INNOVATION ROAD(イノベーションロード)」が。
こちらを案内してもらった様子は後述するとして、まずは「I’m a HERO Program」について聞いていきましょう!
お話をうかがったのは、ヤマハ株式会社ブランド戦略本部の嘉根林太郎(かね・りんたろう)さん。
「I’m a HERO Program」の総合プロデューサー的なポジションを務めた方で、音楽歴はチェロ、ギター、DJなど。作曲もできる。かっこよすぎでは… ?
「今日はよろしくお願いします。映像を拝見して、特に子どもたちが選手と手をつないでスタジアムへ入場するシーンはすごくカッコよくて……感動しちゃいました」
「ははっ、ありがとうございます。確かにあのシーンはグッときますよね」
「でも、なぜヤマハがこういった活動をすることに? このプログラムを通じて楽器をコロンビアに大量に輸出してボロ儲けしようとしてます??」
「え?」
(デリカシーないな……)
「図星ですね」
「いやいや、違います。きっかけはいたってシンプルで。ヤマハが社会貢献事業を手がけていることはご存知ですか?」
「え? あ、そうなんですか?? いや……そういえばどこかでそんな噂を聞いたような……すみません、知りません」
「ですよね(笑)? せっかくいろいろな活動を展開しているのに、世の中には全く伝わっていない……この状況をどうにかしたくて企画しました」
(ホントかな……)
「全然信じていない」
「まぁ、確かに音楽や楽器の分野で何かできる企業はヤマハを含めて限られていますもんね」
「そうなんです。海外向けの活動だと、たとえば『AMIGO Project(アミーゴプロジェクト)』ですね。実は、中南米の方々が自分たちで楽器をメンテナンスできるようにワークショップを開催するなど、楽器を修理する技術者の育成には力を注いでいるんです」
「へぇ〜知らなかった」
「でしょ? 社会貢献性の高い取り組みの実績はあるのに、ちゃんと周知ができていない……そのためにも発信力も高めていくことが必要だと考えました」
「確かに、ヤマハといえば技術力や製品力はハイレベルだけど、情報発信が得意なイメージはないかも」
「だから、社会貢献性だけではなく、ちゃんと世の中へ発信できるものを……と、ヤマハだけではなく東京のクリエイティブプロダクション・AID-DCCさんと一緒に考えて誕生したのが『I’m a HERO Program』という企画でした」
楽器を持つ子は銃を持たない
「I’m a HERO Program」の舞台となったコロンビアのメデジン市。街全体がすり鉢状の盆地になっていて、谷側は市街地だが、山側にはスラムが広がっている
「もともと中南米と接点があるということでしたが、数ある国のなかでもなぜコロンビアだったんですか? しかも、メデジンってコロンビア第2の都市とは言われていますが、ぶっちゃけ治安もよくないのでは……?」
「それは1990年代の話ですね。今日ではメデジンは世界で最も革新的な街のひとつとして挙げられているほどですから」
「え? そうなんですか??」
「でも、正直“治安の悪い街”のイメージはまだぬぐい切れていないと思います。メデジン市内も中心街から外れれば、そこにはスラムが広がっていますからね」
プログラムに参加する子どもたちが暮らすエリアの一部
「わぁ……確かにひとりで出歩くにはキケンな香りが……」
「それこそが私たちがメデジンを選んだ理由のひとつです。かつてメデジンは『サッカー選手になるか、非行に走るか』と言われるほど、将来の選択肢の少ない街でした」
「究極の2択すぎる……」
「そう、数年で市街地は大きく進化を遂げたけど、スラムの子どもたちの選択肢はまだまだ少ないままなんです」
「それは何が原因なんですか?」
「あくまでも主観ですが、長年にわたって立ちはだかってきた市街地や他国との差別、貧困、格差といった“見えない壁”が、彼らの心に『自分たちに何かができるはずがない』という気持ちを植えつけてしまったんだと思います」
「社会課題によって、子どもたちが自ら将来の選択肢を狭めてしまっているのか……なんだか悲しいなぁ……」
「でも、『楽器を演奏するという人生の選択肢もあるんだ』という気づきを与えられれば、きっと彼らの世界は広がるはず。そのきっかけをつくりたいと思って、メデジンを選びました」
「なるほど……いや、すごく素敵な話なんですが、いくら世界のYamahaとはいえ単身乗り込んでいって街全体を巻き込むなんて相当ハードルが高いと思うんですが……」
「おっしゃる通りです。ですから、現地の人たちに賛同してもらえて、かつ音楽教育のインフラが整っていたこともメデジンを選んだ理由のひとつです」
「音楽教育のインフラって?」
「ヤマハの現地販売代理店が、コロンビア国内で音楽教育カリキュラムを積極的に実施していたんです。これによって、プログラムを通じて、『楽器をもっと勉強したい』という気持ちが芽生えた子どもたちを受け入れられる」
「さすが、世界のYamaha……つまり、『I’m a HERO Program』へ参加して音楽への想いに火がついた子どもが継続的に学んでいける土壌が整っていた、と」
「打ち上げ花火的な一過性のものには絶対にしたくなかったので。そして何よりその音楽教育カリキュラムには『楽器を持つ子は銃を持たない』という現地代理店会長の理念がベースにあるので、僕らの想いにも共感してもらえると思いました」
「楽器を持つ子は銃を持たない……すごい言葉だ……」
誰にも言えない、W杯コロンビア戦の緊迫感
楽器といえば、今回のプログラムで子どもたちが演奏していた笛のようなサックスのようなこちらはヤマハオリジナルの管楽器『Venova(ヴェノーヴァ)』。リコーダーのような指遣いで本格的な演奏が楽しめて、壊れにくくメンテナンスしやすいという特徴がある
「実際にプログラムがスタート。子どもたちはどうやって集めたんですか?」
「すでに音楽教育カリキュラムに参加している子どもたちの他に、スラムで暮らす子どもたちとご家族に声をかけました。みんな、ものすごい好意的で」
「へぇ、ちょっと意外ですね。勝手なイメージですが、スラムの人たちがそういった取り組みに耳を傾ける印象がなかったので……」
「それでいうと、やっぱりみなさん音楽が大好きなんですよ。町中どこもかしこも爆音でヒップホップが流れているくらいですから(笑)」
「それだけ街に音楽が根付いているってことなんですね」
「彼らにとって音楽はメッセージを発信するための手段なんです。実際、支持されるスラムのリーダーみたいな人たちって、みんなラッパーなんですよ。ラップに自分の考えを乗せて発信して、共感を得られたらフォロワーが増えていく」
「ある意味、ラップが支持者を集めるための選挙演説になっているんですね」
「そのくらい音楽が根付いているので、楽器演奏に興味がある人は多いんですよ。だから集客に苦労はほとんどしなかったですね。初めてヴェノーヴァを手渡したときのあの笑顔と興奮は忘れられません」
「プロジェクトの規模が大きいのでいろいろ苦労はあったと思うのですが……たとえばプログラムの途中でドロップアウトする子どもはいなかったんですか?」
「危ない瞬間は何度かありました。たとえば、レッスンの日程情報がスラムの山の上に住んでいる子どもに正しく伝わらず、『長時間歩いて集合場所に行ってみたら誰もいない』みたいなことがあって嫌気がさしてしまう……といった事件はありましたね」
「確かに集合場所に誰もいなかったらダメージ大きいな……」
「その状況をリカバリーしてくれたのは、子どもの母親です。『ここで辞めたら、この子の人生に“辞める前例”をつくってしまうだけ』と、我が子を鼓舞してくれた。おかげで事なきを得ました」
「なんて素敵なお母さんなんだ……」
「でも、最もヒヤヒヤしたのは、コロンビアのサッカー協会との交渉ですね。時差も距離もあるコロンビアのサッカー協会はカンタンではなくて……(苦笑)」
「現地のサッカー協会と交渉していたんですか!?」
「しかも、プロジェクト期間中のサッカーW杯では、グループリーグ予選でまさかの日本戦。もし日本が勝っちゃったら絶対に向こうのサッカー協会の機嫌を損ねると思ったので……」
「『日本、負けろ〜』と?」
「ま、まさか! ただ、圧勝しすぎてもその後のやり取りに気を遣うので……」
「スコアレスドローで、お互いに勝ち点1が与えられる展開なら、みんなハッピーなのになぁと思っていました」
「あの歴史的勝利のウラ側でスコアレスドローを願っている人がいたとは……」
「コロンビア戦勝利は寿命が縮みましたね。結果としては全く問題なかったのですが、もし頑張ってレッスンに参加して、ちゃんと上達している子どもたちを裏切ることになってしまったらと思ったら……」
「確かに子どもたちの成長を間近で見ていたら、僕も嘉根さんと同じような気持ちであの試合を観戦してしまうかも」
音楽には人を変える力がある
練習の末、2018年9月30日コロンビア国内一部リーグ「カテゴリア・プリマベーラA」にて26人の子どもたちは強豪サッカークラブの選手たちと共に入場。大観衆を前に立派にコロンビア国歌を演奏した
演奏を終え、緊張から解放されたことで自然と笑みがこぼれる26人のヒーローたち
「念願のサッカースタジアムでの演奏が実現。その様子は映像で観ましたが、嘉根さんの目には堂々と演奏する彼らの姿はどのように映っていたのでしょう?」
「やはり音楽の可能性を強く感じましたね。音楽は人を変えられる。楽器を始めたときと本番を迎えたときとでは、ビックリするぐらい成長しているんです」
「目に見える変化があったんですね」
「ある子どもは『ずっとストリートで悪い人たちとつるんでいたけど、楽器を手にしてから家で練習するようになった』と言っていました。たった半年で、ですよ?」
「そこまでひとりの人間を変えてしまう音楽の力って一体何なんでしょう?」
「何なんでしょうね? まぁ、個人的には音楽の力に疑問を感じることもありますよ。ビートルズがラブアンドピースを唄ったところで平和な世の中にはなっていないじゃないですか。でも、『楽器の音色に想いを乗せる』という自己表現の手法や大勢の人をひきつける力は音楽ならではのものだと思うんですよね。今回はそのあたりがうまく作用したんじゃないでしょうか」
「確かにラブソングの歌詞なんてメロディがないと口にするのも恥ずかしいもんな」
「今回、演奏するまでの過程を音楽と表現するのなら、それこそがヤマハの提供価値だと思うんですよね。楽器をつくって売ることももちろん大事だけど、音楽文化を広めていくことのほうが先なんです」
「金儲け優先じゃないぞ、と」
「そうです」
「ホントですか……?」
「……う」
「……まぁ、音楽文化を広めていく過程で、ヤマハの楽器を使ってもらえたら嬉しいなって思ってますよ」
「正直に話してくれてありがとうございます。では、最後にプログラムに参加した子どもたちにメッセージがありましたら教えてください」
「そうですね……あまりおこがましいことは言えないんですが、もし彼らがプログラムをきっかけに自分だけじゃなくて周りにも目を向けられるようになったら嬉しいですね」
「というと?」
「音楽はひとりじゃできないんですよ。一緒に演奏する仲間や聴く相手のことを考えないといい演奏なんてできるはずがない。友達でも家族でもいい。自分の周りで支えてくれている人たちのことを思いやれるような大人になってくれたら……なんてことを願っています」
「音楽の醍醐味は自分の気持ちをメロディーに乗せて、人に届けることです」と、話してくれた嘉根さん。
昨年の9月30日、サッカースタジアムで26人の子どもたちは間違いなくこの醍醐味を感じたのでしょう。そのことを教えてくれた嘉根さんという存在は、彼らにとってもヒーローだったに違いありません。
嘉根さん、そして26人の子どもたちの半年間がギュッと凝縮されたこちらの映像、ぜひぜひご覧になってみてください。
I’m a HERO Program – Documentary Film [Full]