ハロー、みなさん。はじめまして! 柳下恭平(やなした・きょうへい)です。
僕は、これから自己紹介をします。
僕は本屋さんです。
かもめブックスという本屋で働いています。
本を開いて横から覗けば、形が、かもめみたいに見えるでしょう?
だから、かもめブックスという名前にしたのです。
本を、普段読まない人たちに、本のおもしろさを伝えたいなって、僕はいつも思っているので、かもめブックスは、だから、そのような理由で作りました。本っていいよね!
さて、本ってたくさん、あるのです。
ありすぎて選べないくらい。
そう、思う人も多いんじゃないだろうか。
ですから、僕はこの連載の中で、みなさんに読んでもらいたい本を紹介していこうと思います。
毎回、テーマを決めてね。そのテーマを考えるための本を、知ってもらいたい。
最初のテーマは「世界にきちんと関わるための本たち」です。
難しそう?
退屈そう?
まあ、とにかく、理由を聞いてください。
では、はじまりはじまり。
(これからよろしくね!)
人生にもリハーサルが必要だ
製造業・サービス業・流通システム・小売業・飲食業、エトセトラエトセトラ。
世界には、驚くほどにいろんな仕事があるなって思う。まあ、僕はもう一度、生まれ変わったとしても、やっぱり本の仕事を選びそうだけれど、それでも。
そのように、目移りしてしまいそうなくらい、僕が知らない仕事はたくさんあって、どれも、本気でやれば、とてもおもしろそうだ。
さあ、たくさんの仕事をこれまで見てきたけれど、印象的だったもののひとつが、映像や音響が入ったイベント関係の仕事かもしれない。ショービジネスや広告の仕事は派手で、大掛かりで、たくさんの人間が動いていた。お金もたくさんかかっている。すごいね。
たとえば、神楽坂のかもめブックスがテレビのコマーシャルの撮影に使われたり。
たとえば、取材や打ち合わせでコンサートの舞台そでに入ることがあったり。
たとえば、ドラマの監修をしたこともある。
ディレクターだったり、ホストだったり、ライターだったり、監修だったりと、僕の役割はその時々で変わるけれども、音楽や、舞台や、撮影に立ち会うと、いつもと違った現場を見ることができて楽しかった。
それは、束の間の非日常。
どれも、社会科見学のようで、とてもおもしろかった。
毎日が文化祭のような人たち。あるいは、校了がない雑誌のような世界。
数年前、舞台の仕事を見学した時のことを、僕は今でもよく覚えている。
その日、搬入口からは、僕がこれまでに見たことがないくらい大きなスピーカーが運ばれてきた。
色とりどりのケーブルは、大勢の音響マンの手によって、天井を走り/壁をめぐり/床を潜って、必要な場所に伸びていく。
ゲストが入る前の客席がひっそりと冷めているのとは対称的に、舞台の上はにわかに熱を帯び、会場ではあちらこちらで、裏方のそれぞれのプロフェッショナルがせわしなく動き回っている。
音声・照明・映像・機材、彼ら、あるいは彼女らは、みんな棘のような緊張をまとって、それぞれの持ち場で戦っていた。きっと、ここから見えないところにも、たくさんの専門職がいるんだろうな。
僕は、このときの風景がとても好きだった。
ここにいる、すべてのクルーは、自分のできる事とやるべき事を知っているからだ。
プロの仕事は見ていて気持ちがいい。
演者が舞台に入る前に間に合うように、点在していた混乱は収束し、ようやく準備が終わる。
暫しの静寂。
ステージにライトが当たり、やがてバンドが入り、リハーサルが始まる。来るべき本番のその前に。
そう、リハーサル!
これについて、僕はとてもおもしろいと思ったんだ。
「ぶっつけ本番」という言葉があるのは、この「リハーサル」というものが重要だからだと思う。ぶっつけ本番は危ないよ、なんて、誰でも知っているから。どのようなステージでも、撮影でも、時間の余裕を作り、リハーサルを行う。なぜなら、幕が開いたら失敗はできないから。
本番を成功させるためには、リハーサルは必要だ。つまり、リハーサルがなければ本番は不安だ、ということ。
さて、笑ってしまうくらいに不完全な僕らが、それでも人生を生きていくために、「ぶっつけ本番」は不安じゃないのかなって僕は考えている。
重い緞帳が上がり、眩しいくらいにライトが当たり、音楽が鳴る。そんな、人生という舞台がいきなり始めるのは、みんな怖くないのかな?
つまり、人生にもリハーサルが必要だ。
だから僕は、読書こそ人生のリハーサルだと考えている。
火星に行ったことがなくても、小説を読めばそれを体験することができる。
テーブルマナーから、中東で美しい絨毯を買う方法まで、ガイドブックがそれを教えてくれる。
世俗でも、法律でも、実用書はタイヤにチェーンを装着するように、悪路の不安を和らげてくれる。
本は世界に通じるすべての入り口に存在していて、僕らを正しくガイドしてくれる。
信じられないかもしれないけれど、これは、本当のことなんだよ。
僕が今日、紹介するのは、世界とはじめて関わるための本たち。
君が子どもでも、恋人のいる青年(もちろん女の子)でも、家族を持つ大人でも、未知の世界はまだまだあるから、つまり世界とは毎日はじめて関わるようなものだ。
(ハロー、ワールド!)
さあ、本を読もう。
読書は人生のリハーサル。
これがなくっちゃ、幕は上がらない。
世界にきちんと関わるための本たち
1:コミュニケーションについて
『夜中に犬に起こった奇妙な事件』 マーク・ハッドン著(ハヤカワepi文庫)
夜中に犬に起こった奇妙な事件 (ハヤカワepi文庫)
主人公は数学的な才能に溢れている男の子で、彼は頭がよくて、そして答えを知っている。
でも、それを世界に伝えることができない。
伝えることができないって、とても苦しいことだ。だから物語の中で、かわいそうに彼はいつでも混乱している。
さて、コミュニケーションとはなんだろう?
主人公は自閉症で、自閉症とはつまり、病気ではなくてパーソナリティのひとつだということだけれども、それは極端な状況を演出しているだけで、僕らと彼とは、実は何も変わらないんじゃないかなって思う。コミュニケーションとは必ず、誤解をくぐり抜けた先に成り立つものだから。
出自・性別・立場・イデオロギー。
僕たちの関係性は、すぐにノイズに埋もれてしまう。
本来はもっともっと、シンプルな関係性のはずなのに。
この本は、真っすぐに疑問を持つということのむつかしさを教えてくれる。
普段の僕らは、関係性と社会性のフィルターを通してしか世界を見ることができない。
それを持たない主人公は、当然世界から拒絶される。でも、いっそ、その姿が清々しくも思うんだ。
表題の通り、犬に起こった奇妙な事件を追いかけていくという、ミステリ仕立てでもある。
とても読みやすく、少し切ない。
普段本を読まない人でも楽しく読めるんじゃないかな。
2:知的興味について
『アルジャーノンに花束を』ダニエル・キイス著(ハヤカワ文庫)
アルジャーノンに花束を〔新版〕(ハヤカワ文庫NV)
「知性とはなにか?」ということについて、僕はずっと考えている。
「賢そうとはなにか?」のような対外的な評価ではなくて、知性そのものについて。
インテリジェンスやウィズダムを包括する、知性そのものについて、僕はずっとそれを知りたくて考えている。
誰でも、自分自身の知性を愛しているんじゃないかなって思う。
スマートさの総量は、その尺度にならない。どのような知性でも、愛すべき対象だ。
一流のアスリートは皆、聡明なように、身体性と知性も密接に結びついている。
我思う、ゆえにね。
知性というものを因数分解していると、「記憶のつながり」というものがとても大きな要素であることに気がつく。自分というそのものが、知性に及ぼす影響の大きさに驚く。
それがたとえ拙くても、自分で見つけたアイデアが、最も美しい知性であると僕は思っている。
有名すぎる、すでに古典ともいえる、この本は、しかし何度読んでも発見のある名著だ。
知性の獲得や喪失は、実は(重要だけれども)大きな問題ではない。
知性を求め続けることが、もっとも重要な人間の営みだと教えてくれる物語。
読んでいると、世界につながるって何だろうと思う。
ああ、この本を思い出すだけでも、感情が強く揺さぶられる。
文学とは、なんてすばらしい芸術なんだろう。
もしも、あなたが英語学習者であるならば、この本を読んだ後に、ぜひ、原著でも読んでみてほしい。
理由は読めばわかるからね。邦訳で使われていた文芸的手法は、もちろん原著から来たものだ。
それを読み比べるだけでも、とてもとても、知的に興奮するから。
3:行動の責任と大人になることについて
『ガツン!』ニック・ホーンビィ(福音館書店)
大人になった瞬間を覚えているだろうか?
もちろん、年表の色が変わるみたいに、はっきりとその瞬間があるばかりでもないだろう。
夕日が沈むときに、オレンジと紺色のグラデーションが交わるように、複雑に、そしてある程度の時間をかけて自分史が入れ替わることもあるだろう。
世界は、自分を含む誰かが起こした行動によって変わる。
それは、行動によってのみ。読書や思弁では変わらない。
沈思黙考の先でも、無念無想の中でも、行動は行動。
ニワトリとタマゴのどちらが先に生まれたのかは分からないけれど、リアクションは常にアクションのあとにくる。あたりまえだよね。
行動が大事。
それがたとえば軽率なものでも、行動こそすべて。
僕だけが知る統計によれば、恋の、実に45パーセントはアルコールの勢いで始まっている。つまり、考えることよりも動くことが大切だ。今すぐ世界を抱きしめよう。
しかし、動いたあとには、必ず考える必要が出てくる。
動きはじめるには思考は不要だけれど、動き続けるには思索が伴う。
行動と思考、この両輪が世界を回している。
この本は、行動によって自分の世界が大きく変わってしまった男の子の青春小説。
青春とは子どもと大人の端境期のことだよ。つまり、僕らのことだ。
彼が起こした行動についてでなく、彼を取り巻く環境の変化について考えることがおもしろい。
この本を読んでいると、変化する世界ってなんだろうって思う。
自分が動いても、動かなくても、どうせ世界は変わっていくから。
だから、動くのが大事だよねって思う。
読書は人生のリハーサルだけれども、人生の本番には、本なんて読んでいられないから。
イラスト:船津真琴