こんにちは、秋田犬のふりをしたライターの友光です。
みなさんは『のんびり』という秋田のフリーマガジンをご存知でしょうか?
『のんびり』は2012〜2016年に秋田県庁から発行された季刊誌。「ニッポンのあたらしい“ふつう”を秋田から提案する」をコンセプトに、秋田県内のみならず日本全国で配布されていました。
編集長をつとめたのは、関西在住の藤本智士さん。アイドルグループ「嵐」や俳優の佐藤健さんの本の編集も手がけるスゴ腕の編集者です。
この『のんびり』、発刊が終了した今もなお、ローカルメディアに関わる人が「すごかった」と語り継ぐ雑誌なんです。
いったい何がすごかったというと…
①取材は行き当たりばったり!
「予定調和はつまらない」と、事前に決めるのは最低限。現場での偶然の出会いがそのまま誌面で表現されました。
まるで一緒に旅をしているような臨場感と、最後に待ち受ける思いもよらない結末……読むほうはめちゃくちゃ楽しいのですが、これ、作る側は死ぬほど大変なのでは?という記事ばかりなんです。
②合成かと思うくらいスケールの大きい表紙
雪の中で炎を掲げるなまはげだったり、本物の新幹線を囲んでお花見したり、花火をバックに踊り子さんたちが舞っていたり……。全国流通の雑誌でも、なかなかここまでできません。というか、どうやって撮影してたの???
③県外から一流クリエイターが集結…だけど、地元の人も巻き込みまくる
表紙をはじめ、全国流通の雑誌に勝るクオリティを実現したのは、第一線で活躍するデザイナーやカメラマン、編集者が県外から参加したから。ただし編集部は「よそもの」ばかりでなく、地元のクリエイターとともに構成されていました。
④リアルへの幅広すぎる展開!
「池田修三」という秋田で愛されていた木版画家を特集。その結果、展覧会の開催や作品集の発売など、全国的な再評価をもたらしました。
さらに休刊後、編集部によってテレビやラジオの番組を制作。さらにマルシェイベントの開催など幅広く展開しています。
……といった具合に、単なる雑誌にとどまらない『のんびり』。
行き当たりばったりの作り方といいクオリティといい、とにかく「県の予算で作った雑誌」をはるかに超えているのです。一体どうやったらこんな雑誌ができるの???
編集長の藤本さんはいろんなメディアに登場しているのですが、『のんびり』誕生の裏側を語るのを見かけることはあまりありません。
『のんびり』はいかにして生まれたのか。そこにはきっと、「地方からいかに面白い情報を発信していくか」のヒントが隠されているはずです。
人生の崖っぷちで出会った、藤本さんと『のんびり』
まず『のんびり』で注目すべきなのは、地元・秋田の人たちを編集チームとして集めたこと。
県外からやってきた藤本さんたちを、地元側の人はどのように感じていたのか? 秋田から編集部に加わった、矢吹史子さんに話を聞きました。
「矢吹さんは『のんびり』でどんな役割だったんですか?」
「取材のセッティングや調整、全体の進行管理が中心ですね。藤本さんを中心に進める毎号のメイン特集をサポートしつつ、秋田チームだけのページの編集も担当してました」
「立ち上げ当初から関わっているんですよね」
「はい。『のんびり』は県外の人と秋田の人がチームを組んで一緒に雑誌をつくる、というのがコンセプト。私は地元の秋田でフリーランスのデザイナーとして活動していて、声がかかりました」
「あれっ、先ほどのお話だと『のんびり』では編集者だったのでは?」
「最初はどんな役割で関わるかもわからなかったんです。というのも、当時の私は学校を出てすぐデザイナーとして独立したんですけど、次第に行き詰まってしまって」
「行き詰まりというのは、どのような?」
「面白い人が秋田にたくさんいるのに、チラシやポスターをつくる以外に、もっと別の関わり方はないのかな?と悩んでいたんです。それで雑誌を作りたかったけど、やり方も知らないし、一人じゃできない。悶々としすぎて人生の崖っぷち状態みたいなときに、『のんびり』から声がかかりました」
「では、まさに渡りに舟だったんじゃないですか」
「そうですね、でも……」
「正直に言うと、最初は藤本さんがいやだったんです」
「えー! 今はとっても仲が良さそうですが。なにがいやだったんでしょう?」
「なんか、県外からふらっと講演しに来て、地方のダメなところを指摘して、都会の風を吹かせてすぐ帰っちゃう人っているじゃないですか」
「ああ、セミナーとかワークショップとかオンラインサロンとかやたら横文字を使う感じの……」
「こうして田舎に住んで、田舎のネットワークでしかできない私たちの気持ちの何がわかるの?って、秋田で活動してた身としては抵抗感があって。藤本さんもそんな一人に見えてたんです」
「外からいきなり知らない人が来た!みたいな。その抵抗感はどうやって解消されたんですか?」
「だんだん『この人、全然帰らないな』って気づいたんです。何度も秋田に来るし、私たちの話をちゃんと聞こうとしてる。なんか違うぞ、と。そうやって藤本さんを信頼しはじめた頃、『のんびり』1号の取材で、いよいよハマっちゃったんです」
寒天取材の現場で、奇跡が起きた
「第1号の特集は『寒天』でした。編集会議で『秋田のおばあちゃんはなんでも寒天で固めちゃう』って話したら、藤本さんが『なにそれ面白い!』って食いついたんですよね。私たち秋田県民からしたら『記事になんかなります? あの寒天ですよ?』なんて感じだったのに」
「特集では、寒天博覧会を開催したんですよね。地元の寒天名人の女性たちを集めて」
「そうそう、それがもう、本当〜〜〜〜〜にハードだったんです! だって『2日後に寒天博覧会やろう!』っていきなり決まるんですよ」
しかし今回の取材で県外チームが動けるのは2日後の5月3日まで。今日(しかももう夜)思いついて、明後日には「かんぱく」こと寒天博覧会を開催できるのか? って、ふつうなら「無理無理!」で終わると思うんですが、僕たちのんびり編集部は違います。「なんとかなる……いや、なんとかしよう」と、それぞれに自慢ののんびりハートでポジティブ宣言。そうと決まればやるしかない。
(『のんびり』第1号 p.7より)
「『それぞれに自慢ののんびりハートでポジティブ宣言』で笑っちゃいました」
「もう、藤本さんからの無茶振りですよね。『2日後に寒天博覧会をやるから、出場するお母さんを見つけてきて!』って」
「秋田チームは雑誌づくりの初心者で『取材ってどうやるの?』状態なわけです。それなのに知らない町のおばあちゃんに声をかけて、集まるかもわからないイベント会場を交渉して借りて…」
「しかも期限は2日。体当たりすぎて、聞いてるだけで胃に穴があきそう」
「本当に追い込まれる企画でした。でも、嘘みたいな出会いが重なって、博覧会本番に地元のお母さんたちが何人も来てくれたんですよ」
博覧会でつくられた色とりどりの寒天たち
「奇跡だって思いました。取材が終わったあと、みんなで温泉に行ったんですよ。そこでお湯に浸かってたら『何か始まっちゃったかもしれない』って気持ちが急に込み上げてきて」
「ほおお」
「秋田でデザイナーをやっていたときは、一人で完結してたんです。でも、初めてチームで動いて、みんなで一つのものを作り上げることを経験したんですよね。それが本当に、新しい時間が動き始めたってくらいの感動で。ほかの秋田チームのみんなも同じだったんじゃないかな」
「それに、全力でやったら面白い事が起きるんだってわかったんです。自分はそんな風に持ってる力を全部使う、全力投球がしたかったんだって。デザイナー時代には、思いっきりやりたかったけど、力の出し方がわからなかったんですよね」
「環境の違いはありそうですね」
「そうですね、『のんびり』では藤本さんの無茶振りのおかげで200%の全力投球をすることができました。あ、もちろん無茶振りといっても、藤本さんはじめ関わる人たちが全力でサポートしてくれましたよ。発行元の秋田県庁からのサポートもすごく大きかったですし」
「あ、県庁側の関わり方も気になります。行き当たりばったり具合が、とても行政が発行してた雑誌には思えなくて」
「立ち上げ時の担当者の方に連絡してみましょうか? もしかしたら会えるかも」
「本当ですか…? ありがとうございます!」
「県庁としても受けるのはチャレンジです」
突然の連絡にも関わらず、秋田県庁の職員として『のんびり』を最初に担当していた高橋央(たかはし・なかば)さんに会えることになりました。
「お忙しいところ、ありがとうございます」
「今日は『のんびり』の裏側についての取材なんですけど、最初のコンペの話をしていただきたくて」
「ああ、コンペのプレゼン資料に編集方針が『行き当たりばったり』と書いてあった件ですね(笑)」
「えー! 県の雑誌となると税金を使うわけですし、いわゆるお役所的な価値観と『行き当たりばったり』って真逆じゃないですか?」
「でも、そこで『県庁としても、これはチャレンジです』って言った上で採用してくれたんですよ。他の会社さんの素晴らしい企画案もあったなかで」
「なぜ…? チャレンジしすぎて担当者さん左遷されてたりしませんか…?」
「大丈夫です(笑)。当時の秋田県は『あきたびじょん』という新しいキャッチコピーの元、生まれ変わろうとしていたタイミングだったんですよ。だから、それまでのお役所的なことじゃなく、変わったことをやらなきゃと県庁の皆が思っていました」
「実際、完成した1号目を見て驚きました。『寒天』のテーマであんなに面白く書けるのもそうだし、現場で偶然の出会いが繋がっていく勢いが誌面から溢れている。そうか、これは『行き当たりばったり』じゃないと生まれないと」
「県庁側では、どれくらい記事の内容にタッチしていたんでしょう」
「事前にわかってるのが『テーマは寒天です。あとは行ってみないとわかりません』くらいだからねえ。内容にタッチするも何も、信じて待つだけ。第1号のクオリティを見て、編集部の皆さんを信頼していましたから」
「作ってる側も、どんな記事ができるか最後までわからなかったので……」
「でも、県庁の上司に進捗の報告とかしなきゃいけないのでは?」
「上司には『順調です!』としか言わなかったですよ。途中で横槍を入れて変えちゃうのはつまらないし、いいものができたら勝ちでしょう? 上司も細かいことを言わない人だったので、それで大丈夫でしたね」
「すごい信頼関係だし、高橋さんの胆力がでかい。ギャンブルめっちゃ強かったりしません?」
「いやいや、発行が間に合うかどうかだけは、いつもドキドキしてましたよ(笑)。ただ基本的には編集部に好きにやってもらって、何かあったときに県庁が出て行けばいいやと」
高橋さんのネクタイには「ミッフィー」が。「こういうお茶目な一面もあるんです」と、矢吹さん
「いちいち上司に確認してたら時間がかかっちゃうでしょう。スピード感も大事だから、信頼できる現場の人たちにお任せするのが一番いいですよ」
「上司から怒られることはなかったですか?」
「県民に怒られたら痛いけど、上司や身内から怒られるのは別に構いませんよ」
「おおお!」
「というのも、雑誌やウェブの記事は作り手側の感性を活かしてほしいんです。こちらから中身にいろいろ言うと、結局、一番偉い人の感性が反映された記事になってしまうでしょう。それではせっかく記事にしてもらう意味がありませんから……やっぱり、さっきの発言は記事になっちゃうとまずい気がしてきたなあ」
「これ読んだら上司の方も怒れませんよ! 書いてもらいましょう!」
「大丈夫かなあ(笑)」
「大丈夫ですよ! でも、本当に信頼していただいてましたね。途中で担当を離れた後も、『のんびり』主催のイベントに遊びに来てくれたり」
「役所のものって出して配って終わりになりがちでしょう。でも、『のんびり』は、やって終わりじゃなく、具現化して地域に残そうと活動してくれている。そこには感服しますね。最近の『いちじくいち』のように、秋田に根付いて、地元の人が取り組めるようなイベントとかね」
「『やって終わり』じゃないから、私たちは毎号出るごとに背負うものが増えて行くんですよね。途中で気づいたんですけど…」
「だから心配してたよ!池田修三さんの展覧会の頃かな、『記事書く時間ある? 大丈夫?』って言ったよね」
「大丈夫じゃなかったですよ! 雑誌つくりながら展覧会やるみたいなことになっていって…(笑)。あ、そろそろお昼休み終わっちゃいますよね」
「高橋さん、ありがとうございました」
「引き続きがんばってください。応援してます」
『のんびり』の普通じゃないやり方
高橋さんの取材を終えたあとは、『のんびり』の事務所へ。仕事をする皆さんの横で、さらに矢吹さんに話を伺っていきます。
「高橋さんの受け止めてくれる感じ、すごかったですね。県庁側に『責任とるから』って言ってくれる人がいるのは大きいなあ」
「あとはやっぱり、デザイナーの堀口努さんですね。藤本さんと同じく関西の方なんですけど、アートディレクターとして『のんびり』に関わってくれたんです。堀口さんが『のんびり』の最後の砦でした」
「それはどういう…」
「なに、俺の話してるの?」
「!!!」
ここで、たまたま秋田を訪れていた堀口さんが登場! 話に加わっていただくことになりました。
「堀口さんはどんな経緯で『のんびり』のアートディレクターに?」
「藤本くんとは若い頃からの知り合いで、『のんびり』の前に彼が編集長をしてた『Re:S』が藤本くんとの初めての仕事。それ以降、藤本くんのつくる雑誌や本のデザインは結構やってるかなあ」
「長年のタッグというわけですね」
「藤本くんの雑誌づくりは大変ですよ。例えばね、いきなり6万字の原稿が渡される。それを、最終的に8ページで2万字の記事にしていくんです」
「6万字を2万字に︎ どういうことですか?」
「まず読むんです。6万字を」
「読む……」
「全部を載せたいわけじゃなくて、取材の顛末を全部見てもらうためなんです。ここでこんなことがあったから、この写真が重要なんだなって内容を取捨選択してもらう手がかりですね。堀口さんは大変だったと思いますけど……」
「全部わかってるから、この次のページは絶対に見開きで海の写真を入れようとか、いいこと言ってるからその章の文字数を増やすために前の章を減らそうとか、デザインで調整できたんです。これがよく言う『のんびり』には台割がないって話につながるんですが、まあ、普通じゃないやり方ですけど」
「『Re:S』のときからそうですか?」
「はい。『Re:S』は既存の流通に乗ってる本ってどうなん?ってとこから始まってるし、そもそもあんな人と作ってる本やから、みんな普通にやろうとは思ってない。『のんびり』もその延長線上にあったから」
「やり方もスケジュールも普通じゃないなかで、堀口さんは秋田チームのデザイナーと一緒にきっちりデザインを上げてくださるんです」
「なるほど、『最後の砦』の意味がわかった気がします」
「ただまあ、やるほうは大変ですよ。『Re:S』も『のんびり』も、デザインしてる時間は1週間いくかどうか。ひどいときは入稿の3日前に原稿がくることもあるし」
「その節はすみません…」
「でもね、できるんですよ。できちゃダメなんですけど。藤本くんとの仕事でスムーズに終わったやつなんてないんじゃないかな(笑)。でもギリギリまで取材してて、時間がない中で原稿を書いてるのもわかってるしね」
「ギリギリまでこだわるからこそ、高いクオリティが実現できるのはありますよね」
「『デザインのクオリティとは何か』って話もありますけどね。必ずしもきれいでかっこいいデザインがいいわけじゃない。例えば『のんびり』では、秋田らしいデザインを目指してて」
「秋田らしいデザイン、ですか」
「なにか思い浮かびます?」
「民芸調みたいな感じとか…」
「まあ、そうですよね。でも僕は、そういう土着的なものは違うと思ったんです。都会の人が東北に対して持ってるステレオタイプなイメージからは離れたくて」
「秋田の風景や人を実際に見てみると、愚直で青臭いデザインのほうがいいんじゃないかと思ったんです」
「雑誌名も『のんびり』ですもんね」
「だからかっこよくしたいのをグッとこらえてやってました。デザイナーとしての戦いですよ」
「それと、僕は東北を『日本の北欧』やと思ってました。だから『のんびり』をつくるとき、初めにキーカラーを決めたんですよ。こうやってカラーチャートにして、秋田チームのデザイナーにも共有してね」
「たしかに北欧っぽい色合いですね」
「秋田って曇りが多いんですけど、北欧も同じ。そういう土地の人って、明るい色を求めるんですよ。きつすぎず、淡い色合いのね」
「風土で色の好みが変わるんですね。はあ〜面白いなあ」
「堀口さんは第一線でバリバリ活躍されてるデザイナーさんですし、県外から参加してくれていたカメラマンさんもそう。だから、できあがってくるものが半端ないんですよ」
「カメラマンさんの写真は素晴らしいし、藤本さんの原稿を見たら『あの取材がこんなにドラマティックに!』と思うし、最終的な堀口さんのデザインは強烈に楽しいし」
「どんなに取材が大変でも、その誌面を見たら報われますね。『報われ感』が矢吹さんの顔に現れてます」
「それに、私たち秋田チームの人間は、地元でフリーランスとして活動してた人ばかりで、第一線のプレーヤーの方々と仕事をする機会なんてなかったんです。でも『のんびり』でそれが叶って、本当に学ぶところは大きかったですね」
「田舎だしできないよ」を乗り越えさせてくれた
取材当日、ラジオの収録現場にお邪魔した。堀口さんがゲスト出演した当日の模様は、ポッドキャストで聞くことができる
「『のんびり』刊行終了後も、編集部はそのまま残っているんですよね」
「はい。秋田県のメディアとして、ウェブマガジン『なんも大学』を制作しています。それと、秋田のケーブルテレビの旅バラエティ番組『のんびりし〜な』も」
『のんびりし〜な』はYoutubeでも視聴可能。ナレーションの声は矢吹さんが担当しているのだそう
「あとは『なんもダイニング』や『いちじくいち』なんかのイベントも編集部で企画・運営しています。この間まではラジオ番組もやってました」
「めちゃくちゃ多いですね。『のんびり』の頃よりも大変そう」
「そうなんですよ! 『のんびり』の次にどうするか、ってなったときに藤本さんがテレビにラジオに…と言い出して。イベントも信じられないくらい少ない人数で運営してるし……」
「常に藤本さんのハードルは高いんですねえ」
「『これ全部やるの? 意味わかんない』って思ったんですけど、なんかやれちゃいました。大変ですけど、藤本さんは『全部自分が守るから間違ってもいい。思い切ってやれ』と言ってくれていて。『のんびり』の頃から、それが救いになってます」
「藤本さんや堀口さんという『よそもの』の方々が大きな砦として存在してくれたからこそ、『のんびり』はできたんだなと思いました」
「藤本さんも堀口さんも、クオリティに関しては一切妥協しないんです。『そんなんじゃダメだ。もっといいものができる!』とバシバシ言ってくれる。『秋田っていうコミュニティの中だけでは成立してるものを、よそものがとにかく波風立てていくのが「のんびり」だ』って、藤本さんは言ってましたね」
「その『波風』がないと、本当にいいものはできないわけですね」
「そうですね。『のんびり』って『田舎だしできないよ』を乗り越えさせてくれたんだと思います。秋田が田舎だっていうのは言い訳で、みんなで手分けして一緒にやれば、乗り越えられる。そのことを教えてもらいました」
「なるほど…ものづくりにおいてメチャクチャ大事なことを教わった気がします。ありがとうございました!」
おわりに
『田舎だからできない』なんてことはない。ただ、それは一人の力だけでは実現せず、「よそもの」と地元の人たちができることを持ち寄り、力を合わせて初めて成されることでした。
そんな風にして生まれた『のんびり』の誌面は、今でもウェブ上から見ることができます。
そして『のんびりイズム』は、秋田にしっかりと根付いています。
例えば、池田修三の絵が出迎えてくれるにかほ駅前に。毎年5000人を超える人たちが集まる『いちじくいち』の会場の風景に。
そして編集部では、『のんびり』の愛読者だった女性たちが新たなメンバーとなり、矢吹さんとともに『なんも大学』で秋田の魅力を日々取材しています。
『よそもの』たちが起こした波風は、静かに、しかし確実に、秋田の地を輝かせているのです。
写真:小林直博