みなさんこんにちは。ひょんなことでジモコロデビューすることになりました。藤本智士です。はじめまして。
大好きなジモコロで何を書かせてもらおうかなぁ~って考えてたんですけど、あらためて過去記事を読みながら、ジモコロっていうメディアの使命は
「世の中の『イメージ』と『実際』との間の距離をぐっと縮めること」
にあるのかな? と思ったんですね。
で、それって編集の最も大切な仕事の一つだと思うんですよ。
という前振りのもと、今回まず見ていただきたいのがこのイラスト。
参考:http://negosix.com/gallery-nego6/
だいぶ奇妙な絵ですね。僕もこの絵を最初に見たとき、これ描いたやつ完全にこじれてるなって思いました。
©文藝春秋 ©PATRICK ©すごろくや
でもほら、実際こうやって書店に並んだり、アナログゲームのパッケージで使われたり、スニーカーまで発売されちゃって……
ひょっとしてこのイラストレーターさん、だいぶ人気なんじゃないか?と。
で、実はこのイラストを描いてるのがこの人物。
ん? どこかで見たことあるような……。
イラストレーターとして、ストリートファッションやネットの界隈をちょっこす賑わせているこの人物こそが、僕が今回、世の中の「イメージ」と「実際」の間の距離をぐっと縮めるべく、ジモコロで紹介したい人物。
本名、根来川悟(ねごろがわ・さとし)。ネゴシックスと言えばわかってくださる人も多いんじゃないでしょうか?
ということで、いきなりですが……
M-1王者、メインMC、同期の花形、だいたい友達!
芸能界最弱芸人ネゴシックスが実は幸福な理由
をお届けします。
お笑い以外で求められるものを探したら、イラストだった
ネゴシックスが生まれたのは島根県・安来(やすぎ)市。
豆絞りを被り、鼻には一文銭、竹ザル片手にひたすらエアどじょうを掬いまくるという、これぞニッポンのザ・余興、どじょうすくい踊りで有名な「安来節」のふるさとです。そんなオモシロタウンに生まれたネゴシックス。
その継承か、はたまた反発か、華やかなお笑いの世界を目指して大阪に出た彼は、いくつかのプチブレイクを経ていよいよ東京へ。
そこからもう12年。
……正直売れてるとは言えないけれど、ネゴシックスという一人の芸人さんの「知られざる姿」をお伝えすれば、そのゆるやかな多動力にジモコロ読者ならきっと共感してもらえるんじゃないか?と、テレビの収録で島根県松江市にいた彼の元を訪ねました!
「実は僕とネゴちゃんはもう14年くらいの付き合いになるんだけど、ネゴちゃん、変わらへんね」
「見た目に年齢がやっと追いついてきました。もう39歳です、やべえですよ。藤本さん、いくつですか?」
「僕は44になった。ネゴちゃんと知り合った頃は、まだ僕も自分の職業は編集者ですって言えるほど、ちゃんとメシ食えてない感じやったから」
「マジっすか?」
「マジマジ。それこそ当時のネゴちゃんは島根から大阪に出て来て、若手ながら存在感しめしてたわけじゃないですか。例えば『めちゃイケ』だったり、さらに元をたどれば『オールザッツ漫才』だと思うんだけど、分岐点的ないくつかのプチブレイクがあって」
※『オールザッツ漫才』…1990年スタート。毎日放送(MBS)の関西ローカル名物年末特番。約5時間という長丁場の深夜公開放送のネタ番組。ムーディ勝山の「右から左へ受け流す歌」、天津・木村の「エロ詩吟」から、最近では、ゆりやんレトリィバァ、霜降り明星、尼神インターなど、若手たちがその面白味を存分にアピールし、その活躍をもって、東京でブレイクするという流れが後を絶たない。
「その時は、これでいくか? いくか? と思って期待してたけど、なんとなく芸能界ではくすぶりつつ。最近の『アメトーーク!』では『あいつだけまだ牢屋に入ってる』なんて言われながら」
「はっは! そうやって名前だしてもらえるだけでありがたいです」
「そういう意味では確かにお笑い芸人としての成功じゃないかもしれないけど、単純にネゴちゃんは今、本当に好きなことをいい塩梅でやってるように見える」
「そうっすね。やれてるなって思います」
「それってとても幸福なことだよね。世間の皆さんは、ネゴちゃんのお笑い芸人としての活動以外のことはあまり知らないと思う。だけどネゴちゃんといえば、ストリートファッションの世界で少し面白いことになってるよね? 最近では、ネゴちゃんの絵のスニーカーが出たりとか」
「そうなんす。ありがたい」
「原宿でイラストの個展やったり、グッズ売ったりっていうのを、僕も実はこっそり見に行ったりしたけど、それが自己完結じゃなくてちゃんと広がっていってるのはすごいことだなって」
「東京出て10年ネリネリして、何が自分にマッチすんのかな? っていろいろ考えて。でもまあ、自分の好きなものをやるしかないので、我ながらよくこんな変なのが好きなもんだって思いながらイラスト描いてたら、それをいいと思って使ってくれる人たちが現れたんですよね」
イラストの個展を開けば、ご覧の通りたくさんのファンの方々が
ワークショップの様子。子どもたちにも人気!
「そもそも、芸人たるものこれはやんなきゃいけない、もしくはそれやっちゃいけない、っていうのをスゲー気にしてたんです。わかりやすく言うとゴールデンの冠番組を持つのがゴールみたいな、芸人みんなが思い描くほうに行こうとしてた。でも、それをできない人は違うやり方をしなきゃいけないんだって気づいて」
「それはいつ頃?」
「東京出て4年くらいのときですかね。仕事はフワフワあるものの、スゲー減ってくんですよ。家からも出ずに、真っ暗な部屋で目だけ開いてるみたいな(笑)。月給もすごい少ないんだけど、稼働してるのが月に2日とかだから、そりゃ少ないわなって。世の中の人は月に20日以上働いてるわけじゃないですか」
「そうだよね」
「そりゃダメだわって思った。ラーメン屋さんでも、クリーニング屋さんでも、みんな自分で何かをやってるわけで、ただじっと仕事を待つんじゃなくて、自分で何かをやらなくちゃって。それをお金に換える仕組みを作ればいいんだと」
「その仕組みが難しそうだよね」
「そうなんです。そこからみんなが欲しくなるものなんだろう? っていろいろ考えて。とにかくお笑いは一つの窓口にみんなが集中しちゃってるので、お笑いじゃないところで『これ欲しい!』って言われるものを作ろうと思って。そこで悶々としてると、まわりの芸人が本を書いたり映画を撮ったりしはじめるわけですよ」
「そういう時代だったよね」
「僕も本書いてみたら、信じられないくらいつまらなくて……」
「なんだこれ!!!って」
「書いたんや(笑)」
「音楽もやってみようと思って、ギターをボローンって弾いたら弾けんわ!ってなって。バッコーンって投げて。料理とかやってみたり。動画の編集を覚えてみたり。それこそ、とろサーモンの単独ライブのオープニングVTRとか作ったんです」
「へえー」
「それも『いいね』って言われるけど、作るのに3日くらいかかるのに、サクサクやったみたいに思われて。信じられないくらい割に合わんわと。それでイラストやってみたら案外、評判良かったんです」
お笑いの素養がその世界だけで使われるのはもったいない
「そうかー。で、いまやネゴちゃんはイラストレーターとしても活動してるわけだけど、僕がなんで今日、松江までやってきてネゴちゃんに話を聞きたいと思ったか? っていうと」
「はい。気になりますね」
「ネゴちゃんの生き方って、実は今、とても世間に響くんじゃないか? と思ってるんです」
「ええっ! マジですか? ちょっと落ち着きたいから寿司食お…」
「うめーーー! 染みる~〜〜」
「落ち着いた?」
「すんません。ちょっと嬉しくて」
「これまでの世の中って、成功の形っていうのが、ある種ワンパターン化してて、みんなが思うゴールに行けば成功だし、そこに辿り着けなかったら失敗だった。いわゆる勝ち組と負け組みたいな言われようが延々と続いて来たけど、ここ数年のうちに一気に、いろんな幸せがあるじゃんってことに、多くの人が気づきだした」
「そうですね」
「ある側面からネゴちゃんを見たときに、不憫に思う人がいるかもしれないけど、また別のほうから見たら、めちゃめちゃ幸せそうだよ、って」
「藤本さん、乾杯しましょう!(笑)」
「嬉しいなぁ。火照ってTシャツになっちゃいましたよ。いやあ、でも、そう思ってもらえれば最高ですね」
「少なくとも僕はそう思う。でね、じゃあネゴちゃんはどうして今そういうところまで来れたのか? を解き明かしたくて。今に至るまでいろいろやってみたけど、結局帰ってきたのって、自分自身のルーツ。それって、とてもストレートに言うと、ネゴちゃんの田舎者体質でしょ」
「あっはっは! そうっすね」
「『田舎者がひたすら都会に憧れてた』って自分の恥部みたいなものを、どこかの時点でとてもストレートに恥ずかしげもなく出していったよね? すると、とたんに響いた! みたいな感じじゃないかと」
「ほんと、格好つけポイントは山ほどあったと思うんですよ。とにかくスタイリッシュに!みたいな憧れとともに東京とか大阪に行って。あんな先輩みたいに売れたい!って考えるんですけど、東京出た瞬間に『俺、無理だな』って……」
「それでも、さあどうしよう?っていうのが3年か4年続いたと思うんです。でも、どうやってもならんもんはならんし。もう自分の乗り物でやりくりするしかない」
「そこ、みんなわかってても行けない」
「そうですよね。でも全員同じ条件ですから、全然行けると思うんですよ。たしかに昔はもっとやり方が限られてたから難しかったけど、今はインターネットのおかげで『それいいね!』って言ってくれる人と出会いやすくなってる。同時に自分の表現に辿り着きやすくなってる。そうやって100人支持者がいれば、全然やっていけると思います」
「そうだよね。ネットがあるから出会えちゃう。素早い動きだけあれば。そういう意味ではネゴちゃんはちょっとしたカリスマ感すら感じるんよね」
「いやいやそんなことはないっす! でも僕はタレントでも芸人活動でもイラストでも、好きだって言ってくれる人が存在すれば、出会える時代だと思うんですよ」
「千原ジュニアさんたちがよく言う『おもろいやつは必ず売れる。ただ売れるまで続けられるかどうか』って言葉が僕はすごくいいなあと思うんだけど、でも続けるってことはめっちゃ大変だよね。やめちゃう人も多いわけやんか」
「続けることのハードルが高いのは、特に僕らの世代だと『君は一体何者なの?』っていう問いをすぐ立てられちゃうからかも。つまり芸人だったら芸人として生きろっていう、一つに絞れ的な強迫観念がすごくある。だけど若い世代の人たちは、もうちょっとそれが寛容。いろんなことを好きにやってもいい時代になってる」
「確かにそうですね」
「大きな組織ほど維持することが大変な時代で、大船に乗るなんて選択肢より、いろんな小舟抱えてたほうが安心だからね。でも僕らの世代が、いろいろ手を出すのは、基本的には否定されることが多い。そういう意味で、ネゴちゃんもなにかと言われたりもしたのかな? って」
「それはありますね」
「料理やったり本書いたりするのは、あくまで『芸人としての軸につなげるため』というのが、多彩な芸人さんの言い訳的美学だったと思う。けどネゴちゃんの場合、結果論としてイラストとかが芸能とかテレビとかにつながってることはあっても、そもそもそこにつなげようとしてやっていない」
「そうっすね」
「でもきっと、少し前まではネゴちゃんもそうやったと思うねん。それでいろいろやってみたんだと思う」
「そうっすね。いいあきらめがついたっていう感じで。今は芸人っていうのが一般化しちゃって、いろんな人がお笑いをできる状況になってますよね。だから、医者からのお笑いとか、先生からお笑いとかのほうが、テレビの世界では受け入れてもらいやすい。ということは、お笑いからのスタートがかなり不利な状況というか……」
「たしかに、そうだよね」
「アイドルもオネエの方もみなさんお笑いやるんで。でもお笑いの感度というかヒットポイントが強いのは絶対お笑いから入ったやつだと思うんです。なので、そこをうまいこと世の中に活かしたい!」
「お笑いの素養ってすごい武器になると思うんだけど、それが、いわゆるお笑いの世界だけで使われるのはもったいない。もっとオールマイティに使ったら、いろんな業界が変わるのにね」
「うん、マジで思いますね。例えば普通の企業の会議でも、ちょっとお笑いの要素が入れば変わると思うんです」
「みんながつっこまれへんのをつっこむとかね」
「そういう役回りっていうのが、役職としてないのが残念ですね。そういう人が高給取りになってほしいですよ」
「それこそネゴちゃんも島根県の役所のいち担当課長になってもいいんじゃないかな。1日警察署長的なやつじゃなくてね。ガチのやつ」
「言いにくいことを笑いにしてざっと言っちゃう担当。無粋担当とか」
「それいいね(笑)。それこそ芸人さんの数も今めちゃめちゃ増えて、劇場に立てない人もいるわけだよね? そんななかで、じゃあその劇場が企業の会議室でもいいよね?」
「吉本でも、芸歴10年以上の芸人が出るライブがあって、みんなそれに出ようとするんです。でも、なんで出るんだろう。10年やったんだったら違う角度からやってもいいのにって思う。でも芸人は舞台しか見えてない」
「今の若い芸人さんたちもそうなのかな?」
「うーーーん、あの、芸人の話じゃないんですけど。若い人の話でいえば、僕がイラストやりだした5年くらい前に『学生でお金がないんですけど、めちゃめちゃラジオが好きなんです。今度ラジコロっていうホームページを作りたくて、そこのヘッダーにネゴさんのイラストを使いたい』ってメールが来たんですよ」
「うんうん、それで?」
「学生だし、『お金はいいよ、大丈夫』って言ったんです。そしたらその子たちがその後『面白法人カヤック』って会社に入って『名刺を作るのにやっとお金を払えるようになりました。みんなイラストの名刺を作っているので、僕たちはネゴシックスさんに頼みたい』って連絡をくれました」
「へー。いい話」
「彼らは1~2年後に会社を辞めて、地元の鹿児島でデザイン事務所を起業したんです。そのホームページのイラストデザインは全体的に僕がやりました」
ネゴシックスさんがイラストデザインを手がけた「Lucky Brothers & co.」のHP
「その流れがめちゃめちゃ面白くて。今まで何か依頼を受けるときに、面白いことをやる人って芸人しかいないと思ってたんですよ。それは違うなって思ったんです」
「なるほど」
「なんかやろうって悶々としてた人たちが、勝手になんかやり出してるんで、今の20代ってスゲーなって思いますね」
「ネゴちゃんがくれた恩を、きちんと返したいっていうのは、彼らにとって、ものすごいモチベーションになってたと思うなあ」
「僕が体感してた25歳と今の25歳って全然違うって思うんです。だからこそ『面白い』っていう価値観は大切にしたいですね。芸人だけが面白いっていう考えはやめてほしいな」
「それを芸人であるネゴちゃんが言うっていうのがいいなあ」
「みんな気づき出してると思うんですよね。うっすらと。今まで憧れて来た芸人の姿ってのがかっこよくあるけど、芸人もいろいろやり方を増やしていて。面白いって価値観がもっと多様的に広がったらいいですよね」
今の時代の「売れる」ってなんだ?
「あと僕がもう一つ話したかったことなんだけど、最近ネゴちゃん、島根でレギュラー番組やってるじゃないですか。TSK(山陰中央テレビ)の『ヤッホー!』って番組でMCを」
「それって一昔前だと嬉しい反面、都落ちっていうか。単純にレギュラー持ったぞ! わーい!って話ではなかったと思うねん」
「確かにそうですね」
「ネゴちゃんが大阪経由で東京に出て。今も東京でのいろんな思いとか夢とか捨ててるわけじゃないんだけど。結果的に再び地元の仕事をしてるっていうのは、これは明らかに、島根を出て行ったときの思いとは全然違うと思うんだよね」
「僕はやっぱり『俺、東京住んでるんだぜ』みたいに思ってたんですよ。出たときは。でも今は東京とローカルの差は、ほぼないなって思っていて。もちろん住んでる人からしたら感じると思うんですけど、その差の埋め方がいろいろあるんじゃないかなって思うんです」
「例えばネゴちゃんは、吉本がローカルを盛り上げようと芸人さんたちを各県に住まわせる『住みます芸人』として島根にやってきたわけじゃなく、島根のことを頑張ってる。それって、結構大きなポイントだと思う。吉本クリエイティブエージェンシーっていう会社組織と、ネゴシックスっていう個人との間を、うまく生きてる」
「目立たないように(笑)」
「最近、評価経済って言葉が使われたりとか、自分の価値や信用に対して経済がついていくっていう価値観があって、世の中全体がそういう方向にチェンジしてるのも感じる。そういう視点で見れば、M-1王者になったとろサーモンの久保田くんや、MCはってる南海キャンディーズの山ちゃんみたいな同期の芸人よりも、ネゴちゃんが一番先端を行ってる可能性だってある」
「くううううう。いや、売れたいですよ(笑)。でも、売れるっていうのが、まわりが今まで使ってきた単語なだけであって、売れる売れないっていうことじゃないんだろうなって」
「ふんふん」
「ただ、まだまだ世の中の人の目線って、売れる売れないなんですよ。今まで使ってきていない言葉で新しい評価が言えるようになったらいいですよね」
「今の『いや、売れたいっすよ』って言葉は、お笑い芸人としてのサービス精神と瞬発力だと思う。だけど、それもこれもまさに『売れたい』ってことが共通言語であり、みんなが理解してくれるからこそ、笑いになるわけで。そもそも『売れる売れないの本質ってなんだ?』なんて問い出すと、芸人としては笑ってくれなくなるよね」
「過激なこと言ったら芸で笑ってくれなくなるっていうのがあるんで。尖ったことは言わない。日本でお笑いやるんだったら、それはしょうがないかなって思うんですけどね」
「一方で、そこに対してクレバーで言語化が得意なキングコングの西野さんみたいな人は、それはそれで評価されてるわけだよね。芸人の世界でどう言われようと、別のところで自分のコミュニティを構築して、結構なクラスタを持っている」
「そうですね、まあ西野も激しめですね」
「そうなんだよなあ、ネゴちゃんはほんとソフトなんだよね。最近だとウーマンラッシュアワーの村本さんとかと比べても全然タイプが違う」
「僕はガンガン切り開きたくないんですよ。僕も吉本とどこまでやっていいか線引きのバトルをするとき、8人くらいの社員に呼ばれて囲まれたことがあるんです」
「それは怖いわ(笑)」
「そうっすよ。そこでケンカするのも嫌だし、昭和のやり口だからしょうがないかとも思いながら。でも納得してるわけじゃないので、誰か行かないかなと思ってたら、西野みたいなやつが現れたので『よし、いいぞ! 行け行け! ぶっ壊せ!』って(笑)」
「確かにネゴちゃんは自ら切り拓くっていうよりも、時機を待つ感じがあるよね」
「沸々とあるんですけどね。でもこのナリが言っても、社員も聞かないでしょ(笑)。強面じゃないとダメなんすよ」
「でもネゴちゃんが気づいてる世界っていうのが僕にとっては面白みだし、言い換えれば希望だよね」
「ただ、バレたくない(笑)。ボコボコにされるんで。僕、HPが少ないんですぐにやられる……」
「無駄にマジックポイントはいっぱいありそう(笑)」
「魔法の種類が少ないですけどね(笑)。器用になりてえっす」
「ネゴちゃんのある種の不器用さは、ネゴちゃんがチャーミングである所以だから」
「スイスイを目指してたんですけどね。今世はそういうやつじゃなかった。来世に期待ですよ(笑)。来世見とけよ!」
「つっても、やっぱ売れたいか(笑)」
まとめ
ネゴちゃんと再会するまでのこの12年間……。
お笑いの世界地図は、大きく変わっていないように思います。還暦の明石家さんまさんはいまでも茶の間のヒーローだし、ダウンタウンさんはもちろん、さま〜ずさんも50歳オーバー。若手然と振る舞うテレビで活躍する芸人さんのほとんどがアラフォーです。
でもこれ、意外と他の業界も一緒ですよね?
かつての成功者のやり方でもない。僕たちなりの方法を見つけなきゃいけない時代にあって、僕はネゴちゃんの泥んこな生き方を賞賛したいと思っています。
人生百年時代。世の中をガンガン開拓していくようなHPはなくとも、あたらしい生き方を見つけていくことはできるし、そこに確かな幸福があると思っています!
写真:Hiragi Ayako
二人の話はまだまだ続く…ということで、おまけの懐かし対談をどうぞ!